1-4 「無謀な作戦・前編」
◆
This story is a thing written by RYUU
Air・Fantagista
Chapter 1
『 From the sacrifice which should be loved 』
The fourth story
'Reckless strategy・First part'
◆
花で一杯の棺。
両の手を水平に、背筋を伸ばしたまま仰向けに。
肩口から胸部、そして下腹部へとかけられたわずかな白い薄布。
そんな彼女の前で―――
◆
「不思議なものだ。
生きても死んでもいない。」
「どんなに時を経ても全く朽ちもしない。」
「『神の奇跡』として、このまま展示しようではないか。」
「賛成だ。これで民の教団への信仰もより一層強くなろう。」
「女神のように美しい肢体でもあるしな。」
―――大勢の司祭らの、下卑た哄笑が響いた。
◆
傷ついた足を引きずり、身体全体を斜に歪め、そんな彼等の背後から棺に近付く。
仰向けにされているのは、背中一面に浮き出た文様の所為。
彼等の言うとおり、それは美しい寝姿だった。
居るはずの無い聖歌隊の、普段の歌声が響いて聞こえてきそうな気さえする。
その錯覚は、礼拝堂の外の朽ちた校舎と大勢の仲間達への鎮魂歌か。
頭の後ろに目は付いていない。
だが、分かる。
未来永劫、休まることの無い彼等の恨み。
無事である自分への妬み。
背にした扉の外から、それらが髪を引くような。
だが止まるわけにはいかない。
自然と向かう、遠い彼女の身体。
届け、と。
手を伸ばす。
だが、掴むのは虚空のみ。
自分は無力だ。
いっそのこと、想いを、未練を、この不自由な足ごと断ってもらえたら。
―――どんなに楽だろう。
◆
「…我々は常に狩りを稼業とするものに睨まれている。
凶獣は人の敵なれど……この世はバランスなのだ。
いくら民の為とはいえ、己の器量もわきまえず…教団の意向を無視して勝手に結界を拡大するなど愚かな。」
「本人もまさか、守ろうとした『人間』に足元をすくわれるとは、思いもしなかったでしょうな。」
鼻でそう笑った途端、二人の教師は不意に背後から肩を掴まれた。
「何かね?君は…」
振り向き、落ち着き払った面持ちで答えた一人の顔を目にした瞬間、戒は無意識のうちに
握り締めた拳を振り切っていた。
鈍い音と共に、椅子と卓を割りながら教師は無様に飛び、教団から派遣された数人の司祭達の足元へと転がる。
「…こいつは…自分を犠牲に、俺達を…この学校を守った。
それが…この仕打ちか!!」
赤く腫れ上がった自分の拳に目もくれず突き進み、続けて奥に控える司祭達にさえ食ってかろうとする。
司祭への危害は御法度中の御法度。
教師達は泡を食って、多勢でそれを止めにかかった。
「……確かに あの得体の知れない飛翔艦の襲来は、このレティーン神学校始まって以来の危機だった…。
だが、この惨劇を神秘的な美談にしてやろうというのだ!
永久に女神と謳われる、彼女も幸せだろう!!」
「勝手なこと言ってんじゃねえ!!」
教師の言葉に反し、周囲を見渡して怒れる腕を水平に振り、威嚇。
そんな戒の剣幕に、教師達は一様に怯えた。
だが司祭達は、全く恐れず、慄きもせず、ただ冷淡な笑みを浮かべている。
「このまま…ずっとさらしものだと…?
てめえらのやってることは……陵辱…いや、それ以上の行為だぜ……!!」
「……知られたからには…!!」
先程、戒に殴られた教師が錫杖を構えた。
「よせ。この男は我が校きっての問題児だ。
ヘタに近寄ると噛み付かれるぞ。」
それを別の教師がすぐに制する。
「ふ、まったくだ。 戒=セバンシュルド、おまえの口からそんな『偽善』が聞けるとは思わなかったぞ。」
また、別の教師が言った。
「てめえら……!!」
「よしたまえ。」
そんな中で、学長が奥から一歩、彼に近付く。
教師の全てが手を止めて言葉を飲みこんだ。
「では聞こう。
セバンシュルド君……キミは彼女を救えるか?」
「……!」
静まる礼拝堂。
「彼女にかけられた呪いを解く方法は無い。
我々は それを知っているからこそ…」
「ご、御託を並べて誤魔化すな!」
教師達の手を振りほどき、戒は学長の面前へ進んだ。
「俺は…そういうことを言ってるんじゃねえ!!」
「…なるほど…そうか…。
わかった。 では何が望みかね?」
静寂の中、彼は微笑んだまま、両手の指を自分の腹の上で交差させて静かに質問する。
「望み…だと!?」
脅迫のつもりは全く無い。
しかも今さら懐柔しようというのか。
怒りで全身が震える。
……だが、怒りでは何も変わらなかった。
誰も救えなかった。
手の平に強く握りこんだ指の爪が割れる。
はっきりと、強い考えが浮かんだのは その時だった。
「……ああ。
……いいぜ…そういうことにしてやるよ…。」
独り言のように小さく呟く。
「何かね? はっきりしたまえ。」
「……この件についちゃ、他言無用にしてやる。
代わりに…俺様の願いを…聞いてもらおうか…。」
「俺様?
まったく……あの女のような下品な口ぶりだ。」
学長の目が彼女の方向へ動く。
それだけで汚される気分。
だが、戒は嫌悪の吐き気を抑え、自分を指差した。
「この世で一番大事なのは自分だ。」
―――自分を大事にしなければ、何も、誰も守ることなんて出来ない―――
(そう教えてくれたのは…あんたじゃねえか。)
戒は心の中で哭いた。
(それなのに…自分だけ……犠牲になるようなことしやがって。)
「―――だから、自分に『様』をつけて生きてやる。
誰も侵すことの出来ない…孤高の領域とするために。」
彼女の口癖を真似る。
(もう…沢山だ。
これ以上…この天命の輪のさだめに振り回されるのは。)
青年は生き方と夢と覚悟を同時に決めた。
「代わりに今年の聖十字を渡せ。」
「バカを言え!
首席で卒業させろ、と?」
後ろで教師が叫んだ。
「構わん。」
それを総学長は冷静に制した。
だが、次の瞬間、その穏やかな顔は憤怒の色に変わる。
「いいだろう。
だが、その肩書きなど何処でも使うところなど無いぞ!
所詮、暴力しか取り柄の無い貴様には……未来永劫、血にまみれるのが おあつらえむきだぞ!!」
普通の者であったなら消沈するであろう、その叱責。
しかし、戒はまったく怯まなかった。
それどころか、その若者は 自分の目の前に血に塗れた手を伸ばす。
まるで邪神に贄にされるような気分だった。
「おまえに意見する資格はねえ。
言ったろう? 誰も侵せないって。
俺様に命令出来るのは―――」
首の皮ごと襟を掴み上げ、後ろの十字架へ背中を叩きつける。
学長は低く、小さく呻いた。
どよめく周囲。
「『俺様』だけだ。」
魂を喰らうような戒の微笑。
押し付けた学長と共に、大きな十字架が傾いた。
その空間が、その一日で最も静まりかえった瞬間。
膝元に望むのは彼女の姿。
十字の下で 二度と目覚めることない彼女の姿。
大勢の足音が忙しく、自分に近付く。
もう何も湧いてこなかった。
「教団を―――なめるな!」
「この無礼者が!!」
「お前のような輩は……!!」
数十本もの錫杖が乱舞して、自分の身体を束縛する。
そして、傷を負った箇所を何発も重ねて叩かれる。
薄れいく意識。
傾いた十字架。
薄れいく意識。
(俺が証明してやるよ…あんたの考えは…生き方は正しかった…って…。)
(それまで……おやすみだ……。)
(リア=カナン…………先生。)
十字の下に神など降りて来なかった。
あるのは自分。
……十字の下にに神など降りて来なかったのだ。
◆
◆ ◆ ◆
エア・ファンタジスタ
Air・Fantagista
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第一章
愛すべき犠牲より
・
第四話 『無謀な作戦・前編』
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1
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初めは地震が起こっているのかと錯覚した。
だが、窓の外には大きな月。
ここが空であることを思い出し、戒は薄ぼんやりとした感覚から完全に身を覚ます。
月光で室内を確認すると、天井に吊るされた油切れのランタンは やはり少し揺れていた。
「…世羅?」
おもむろにベッドに近付いて確認する。
世羅は毛布のみ腹にかけ、小さく丸まりながら横になって寝息をたてていた。
安堵から腰を床に下ろし、頬を伝う汗を指で拭う。
―――ベッドの奥の窓に映る自分の顔。
あからさまに憂いだ表情が気恥ずかしい。
床は僅かに振動していた。
予想していたものよりは微弱なのだが、やはり動かない地上とは根本的に違う。
寝るまでは気付かなかったが、緊張が解けた今、生きる環境の違いを痛感する。
その不安が見せた夢か。
戒は首を左右に振りながら膝を突いて立ち上がる。
既に治療の代償とした足の痛みは消えていた。
世羅に覆いかぶさるようにベッドに手を突いて、窓ガラス越しに夜の景色を眺める。
よほど高い所を飛んでいるのだろう。
視界の下半分は全て雲に覆われていた。
満天が星で一杯の、遮るものの一切無い夜空で 月はいつもより明るく光る。
その明かりに照らされて造られる雲の陰影は、まるで自分が別世界にいるように思わせた。
……別世界…夢の世界……。
(そういや最近…いやな夢が……多いな。)
認めたくないが、精神的にも参っているのだろう。
仕事に追われる毎日、休む暇も無い。
目的地へ行く手段を手に入れたものの、肝心の学業を疎かにしてきた事実。
不安にならない方がどうかしている。
だが、今はこの飛翔艦のように前へ進むしかない―――。
そんな思いを巡らせる中、戒は遠くの雲の一部が盛り上がったのを見た。
まるで、魚が飛び上がった時に作られるような海のように、一瞬、突起した雲。
「?」
顔を窓に近付けようとすると、下で世羅が寝返りをうつ。
彼女を起こさないよう、ベッドからそっと手を離し、今度は手の平をガラスに直に付け、態勢を前に。
深い夜の闇から、一筋の煙が流れた。
◆
「おいおい、俺のとっておきの場所に踏み込むなよ。」
飛翔艦後部、滅多に誰も来ない甲板近くの廊下の大窓。
見渡しの良いガラス張りの一角で煙草をふかしているリジャンが、顔を全く動かさずに言った。
「かたいこと言うな。 俺らはそんな仲じゃねえだろう?」
暗い廊下の先から歩いてきたバーグは、独り言のように呟くと胸ポケットから煙草を一本出す。
「食堂の時とは随分態度が違うじゃないか?」
それに合わせて、リジャンはライターを差し出して火を点けた。
「……あれは…悪かった。
最近、イラついてんだ。 何もかも上手くいかなくてよ。」
眉を下げながら口を真一文字に閉じ、くわえた煙草をリジャンの火に近付けて、バーグも彼と並んで
空の遠くを見詰める。
夜の特有の肌寒さが煙草の温度で少し和らいだ。
「ま、いいさ。
俺も言い過ぎた。
急に生き方を変えろって言うのも無理な話だ。
それが無骨な中年男の人生だったら…なおさらだな。」
リジャンはバーグのしおらしい態度に満足そうな笑みを浮かべ、大きな腹をさすった。
「……もしかして…ここにずっと居たのか?」
彼の足元のおびただしい量の吸い殻と灰に気付き、バーグが訊く。
「ああ……変わった嬢ちゃんを連れてきてからずっとだ。」
「嬢ちゃん?」
「昨日から民間人を乗せているだろう?」
「……あ、ああ…あれな。」
先刻のシャワー区画での自分の失敗を思い出すバーグ。
あれは何もかも上手くいかないという、最近の自分の状況を象徴するような出来事だった。
「それより…なんか眠れなくてよ。」
自分の羞恥心を誤魔化すように言う。
「お前もか?」
「『も』?」
だが、意外なリジャンの一言に、バーグは目を見開いた。
「こんなこと……この軍隊に入って初めてだ。」
顔をしかめて、悦に入るリジャン。
「全身の毛が危険を感じて ざわざわしやがる。
こういう気持ちってのは…」
「よせよ!
傭兵時代から お前の嫌な予感は当たるんだ!!」
バーグは口から煙草を離し、両手を広げた。
「……憶えているだろ?
いつ現れるか判らない密林ゲリラと戦り合った時もよ…」
「見事、奴等の奇襲を予測したっけな。」
リジャンは歯に煙草を挟んだまま大きく笑った。
「でもよ、それを言ったら、おまえだって。」
「アルドの残党、捨て身の爆撃を退避したこと、か?」
バーグも一転、笑顔で返す。
「…あれは傑作だったよなぁ!
俺らの部隊以外は全滅でよ、政府からはスパイ容疑をかけられて……」
それまでの緊張が緩み、なつかしそうに子供のような無邪気な表情で話すバーグ。
しかし、リジャンは緊張な面持ちを崩さず狼狽―――
「みんな真っ青になってよ……ん?」
バーグも思わず、そんな彼の視線の先を追う。
ルベランセの上方へと近付く、月の明かりに照らされた、細く白い煙。
そして闇に紛れ、恐ろしい速度で流れている小さな鉄塊。
煙草の灰が落ちる。
一瞬の風を切る音。
「―――っ!?」
その音にわずかに遅れること一秒。
到着した強烈な縦揺れの激震に、二人は思わず手すりに掴まった。
やがて、何事も無かったかのような沈黙。
「……着弾した…のか。」
窓の上方、飛翔艦の表面装甲が ぱらぱらと舞って堕ちていく様を 中腰のまま冷静に眺めながら、
リジャンは静かに呟いた。
「着弾だと……!?」
生まれて初めて体験する、艦内に響く爆音と振動に打ち震えながら バーグも中腰で叫ぶ。
「ひょっとしたら対艦戦が始まるかもしれん。 急ぐぞ。」
リジャンは大きな肩を揺らしながら、素早く格納庫へと爪先を向けた。
「ま、待てよ!
……戦いが…始まるってのか? こんな…空中で…。」
バーグは床を手の平で叩いて立ち上がると、慌てて彼の後を追う。
「ラッキーじゃねえか!」
「あ!?」
「ここ十数年間、一度も戦争をしていない天下の中央都市軍が喧嘩を売られたんだぞ?」
「ど、どこがラッキーなんだよ!?」
「戦闘騎乗りにとって、実戦が何よりの勉強になる。
そういうことだ。
……大丈夫さ。 お互い『勘』は……錆びついてねえようだしな。」
リジャンの能天気な言葉。
バーグは足元の灰を蹴飛ばした。
◆
世羅はベッドの代わりに、生温かく、柔らかい『何か』の上で寝ている自分に気付いた。
「……う…ん…」
しかし眠気により、考えるのも面倒な彼女は 声にならない声を洩らした後、再び夢の世界へ旅立とうとする。
「……寝るな…。」
そんな中、耳元で聞こえる声。
「んん……。」
目をこすりながら、片手を立てる。
ぐにゃり、とした慣れない感触。
「早く……どけ!!」
世羅の手で押し潰された頬を動かしながら、戒は叫んだ。
「わ!?」
「ヴっ…!」
突然の大声に、覚醒する世羅。
下敷きになっている方の戒は、その反動でみぞおちに体重を思い切りかけられ、悶絶する。
「なんでなんで?
なんでボク、戒の上で寝てるの?」
「……この……あんな衝撃があったのに、起きないなんて……どこまで図太い神経してんだ…。」
「しょうげき?」
寝ぼけた顔で まばたきを続けている世羅。
「いい! 説明するのも面倒くせぇ……」
いつまでも上に乗られているのでは堪らないと、戒は世羅を退け、ベッドに腰掛けてから荒れた室内を眺める。
空で地震が起こるはずもないが、荷物はあちこちに散乱し、ベッドも大きく場所と向きを変えていた。
あからさまな艦内の異常。
これは夢ではない。
「……一体どうなってる?
何かが爆発したとかじゃねえだろうな!?」
飛翔艦が飛ぶ仕組みなど解りもしないが、それゆえの不安がある。
居ても立ってもいられずにドアを開けると、そこは無機質で不気味な廊下。
漆黒の闇に、戒は進むのを少し躊躇した。
小さな二つの光の点が廊下の奥から近付いて来たのは、その時であった。
音も無く、上下に揺れる光。
それは近付くにつれ、やがて命の輝きを見せる。
廊下の闇に溶け込むような黒猫。
彼女は止まり、その瞳は、黙ったままの戒の顔を下から凝視した。
「梅さんだ!」
それを見た世羅が笑顔と共に、軽い身のこなしで戒の背後から部屋から抜け出す。
だが、彼女が撫でようと左手を近づけると、梅はソッポを向いて距離を置いた。
「お前、やっぱ嫌われてるぜ。」
戒が茶化して笑い、世羅は頬を膨らませた。
だが、梅は廊下の奥を向いた後また二人に近付くと、飄々(ひょうひょう)と彼等の目の前を歩き回りながら、
クイ、と再び廊下の奥へと顔を向ける素振りを見せる。
「何か…あるの?」
後ろに立ち、梅を見下ろしながら屈む。
「おい……勝手な解釈をするなよ。
猫の行動なんざ あてに…」
「きっと、『来い』って言ってるんだよ。」
「おいおい……。」
戒はぼやきつつも乱れた長髪を直し、梅について行く世羅の後を追う。
見えない足元。
壁を手で伝いながら、必死に追いかける戒。
やがて廊下の突き当たりまで案内されると、急に向かいの角で人影が蠢いた。
世羅が反射的に一歩退く。
戒は駆け、すぐにその彼女の腰を抱き寄せた。
その時感じる、廊下の死角からの重圧。
戒は恐怖のあまり、その方向へ拳を勢いよく突きあげる。
「……どうして…民間人がここに居る?」
そこには顔が傷だらけの、軍服を着た男が居た。
寸止めされた戒の拳を顎の手前に感じたまま、彼は窮屈そうに言う。
「……いちゃ…悪いかよ?」
戒は声を振り絞って言い返した。
滴り落ちる汗。
錯覚だったのか、もう重圧は感じない。
男の顔の傷は大分古いもののようであったが、長さも太さもバラバラで幾つも縦横無尽に顔面を巡っている。
体つきは全体的に痩せ型だったが、その他に特徴は無く、この艦の乗組員ではない二人には勿論見覚えはない。
だが、梅はすぐに彼と戒の間に割って入ると、その男の足に顔をすりつけている。
その行動に対し、男は相当に複雑な表情を浮かべた。
そして、慣れているように、そっと梅を抱き寄せながら、再び言った。
「……例の…民間人か。
フィンデル副長から…聞いているよ。」
さらに、背後の厚く鈍重な鋼鉄の隔壁を見ながら、男は自分の唇を噛んだ。
「おい……ここって…」
戒が自然と声を出す。
この隔壁がある所は見覚えがあった。
確か自分がルベランセに初めて来た時に通った廊下。
蒸気と金属の音を感じた、機関室があった場所である。
だがその扉の前に左右から飛び出した隔壁は相当に厚いらしく、今は何も聞こえない。
男は 戒のその様子を、暫くじっと眺めていた。
「中で…何かあったの?」
そして世羅が訊くと、彼は素早く彼女を見下ろした。
「いや…内部ではなく、外だが……」
そこまで言うと、考えを巡らせるように握った手を口元に当てる。
男の瞳が一瞬、輝きを増した。
「……ここ…機関室の外表近くに何らかの衝撃を受けてな。
多分これは……何らかの弾頭が命中したのだろう。」
答える男。
「…ちょっと待て。 弾頭?」
唐突な話を聞き、半ば状況を飲み込めないまま 戒が言った。
「……ここは…空なんだよな?
それって…別の飛翔艦からの……攻撃ってことか?」
「…恐らくはな。」
「それに、機関室の外表近くって…!
そんな、大丈夫なのかよ!?」
「だから…隔壁を閉めたのだ。
安全の確保の為に。」
そこで廊下の薄暗さに目が慣れてきた戒は、彼の指先に血痕がわずかに付着していることに気付く。
「おまえ、怪我を…!」
「私は大丈夫だ。」
触れようとする戒の手を、男は言葉で遮る。
「……中の作業員は?」
戒は咄嗟に訊いた。
「大丈夫だ。
皆、少し動揺しているが 重大な怪我人はいない。」
まるで報告のような、正確で迅速で、流暢すぎる言葉。
「……本当か?」
戒が男を睨み付ける。
「ああ。」
彼は躊躇せずに返答した。
だが、戒は妙に思った。
詳細こそ知らないが、機関室の仕事は主に小人達が行っていたはずである。
しかし、彼の着ている軍服はフィンデルと同じく士官のもので、おおよそ作業をするには向いていない。
艦内の構造にやけに詳しいところは、ここで何か重要な役割を担っているのだろうが、
戒には目の前の男の素性がどうしても不安でならなかった。
「……こちらは大丈夫だ。
それよりも……君達はブリッジへ行ってくれないか?」
「ブリッジ?」
男は目を丸くする戒から世羅へ視線を移し、最後に梅を足元の床へ戻した。
「飛翔艦において指令と管制をつかさどる場所だ。
私が今ここを離れるわけにはいかない。
君達はそこへ、ここの状況を伝えてやってくれ。
この艦の機関部……つまり動力が少し異常を見せている…すぐに飛行を停止して修理するべきだ。」
「…異常だって?」
戒は息を飲み込んだ。
「もしも…それを放っておけば……どうなる?」
そして、恐る恐る訊いた。
「この艦は……堕ちる。」
「!!」
男の返答に戒が血相を変えるのと同時に、世羅が早くも彼の袖を引く。
「大変だ、早く知らせないと!」
「あ……ああ…。」
世羅に捲くし立てられ、戒も流される。
「さあ、行くんだ……梅さん。」
男は屈んで呟き、梅の頭を撫でる。
そして彼等の案内をするよう示した。
……廊下を駆け抜けていく二人と一匹。
傷だらけの顔を持つその男は、彼等を見送ると苦笑して扉を血に濡れた指で弾いた。
「…罪の上塗り……か。」
◆ ◆
2
◆ ◆
(堕ちる……?)
(堕ちるって何だよ……?)
(この艦が墜落する…ってことか?)
当然のことを、頭の中で繰り返す。
(それって…乗ってる奴は全員死ぬってことだよな?)
廊下を駆けながら、頭の中で繰り返す。
思えば部屋の窓から見た雲を抜けてきた煙の筋、それが大砲の弾だったのだ。
「くそ……やべえぞ、世羅!!」
世羅は何も答えずに、前を行っている。
身体が重い。
余計な考えが行動を鈍くしているのか。
「おい、猫!
ブリッジってどっちだよ!?」
背後からの大声に、梅は振り向いて止まる。
うるさがるような表情。
「猫じゃなくて、梅さん!」
世羅も立ち止まって口ごたえをする。
「わかったわかった!
今から名前で呼んでやる!
あと……信用するから進め! しっかりついて行ってやるから!!」
そこで戒は、梅が振り向く瞬間、満足したような表情を見たような気がした。
(…人間の言葉がわかるみたいな動きをしやがって…。)
今度は何も考えずに全力疾走。
もはや、どこをどう進んだか分からなかった。
もう案内無しでは、寝室には戻れないだろう。
行き着いた細い廊下。
一番先は扉で行き止まりになっている。
その扉はわずかに開いており、中から光が洩れていて、そして何かがそこで小さく動いている。
足元の梅が、毛を逆立てた。
◆
「今、指揮をとっているのは誰だ!?」
前を走るバーグが叫ぶ。
「さあな…。
あの…どうしようもない…艦長じゃねえことを祈るが……」
息も絶え絶えに、廊下を走り抜けるリジャンは大きな腹を揺らしながら答えた。
「軍隊に入ってからは、ずいぶん不摂生をしてたようだな!」
一方のバーグは、全く息が上がっていない。
「だ…だまってろ……」
リジャンはもはや根性だけで巨体を動かしている。
格納庫へ続く螺旋状の階段に到着すると、二人は目を見張った。
冷たい風が下から噴き上がっているのを感じる。
格納庫の発進口が開いているのだ。
呆然と立ち尽くしている間に、そこから外の闇に飛び出す一機の輸送騎。
「あれは……ミーサか!?」
「…わからん。」
鉄の手すりに触れたまま、二人は ゆっくりと階段を降りる。
「偵察の任務を…受けたのかもしれんな…。
お前、彼女から何か聞いていないか?」
「何で俺が?」
リジャンの言葉に、さも意外な顔をするバーグ。
「いつも仲が良いだろう。」
「あいつが勝手に まとわりついてくるだけだ。
……だが、このことは聞いてな―――」
「何してるの? 二人とも…?
それに、この騒ぎは一体……」
寝巻き姿で、当のミーサ本人が後ろから現れる。
「……お前じゃないのか?」
ミーサを指さし、バーグが呆けた顔で訊いた。
「何が?」
ミーサも呆けた顔で返す。
「今、出撃した輸送騎、誰が乗っているのか知っているか?」
「え?」
だが、リジャンの言葉がミーサの眠気を一気に覚まし、彼女は二人を抜いて階段を駆け下りた。
「ええ!?
私の…輸送騎!!」
愛機の無い格納庫。
見回して愕然とする。
「どうなってるの!?
妙な震動に起こされて、こっちへ来てみたらこんなことって!!」
「盗まれた…みたいだな。」
「もしくは…誰かが勝手に脱出したのか…。」
バーグとリジャンは他人事のように小さく呟いた。
「ひどぉい!!」
両の拳を握って叫ぶミーサ。
しかし、すぐに怒りを沈め、二人に向き直る。
「…ず…ずいぶん物騒な発想なのね…。
今…何が…起こってるの?」
「イヤ…別に何も起こっちゃいねえさ。」
視線を泳がせながら、バーグが答える。
「今更、隠してどうなる。」
しかしリジャンは彼の二の腕を叩き、ミーサに近付いた。
「今さっき、この艦が攻撃を受けた。
一発でかいのを貰ったが、それ以降の攻撃は無い。
敵の目的は不明だが、いつでも出撃できるように準備をしようと思ってな。」
驚く彼女を横切る彼。
「…乗員区画に非難するんだ。 あそこが一番丈夫に出来ているはずだ。」
「わ、わからないよ…。
急にそんなこと言われても…」
「わからなくてもいい。 さあ早く…」
「やだ!!」
混乱ゆえに、ミーサはリジャンの優しい物言いにも反発する。
「おとなしく言うとおりにしておけ。」
バーグがミーサの肩に触れた。
温かで分厚い手の平に、彼女の緊張がほぐれかけ、力が抜ける。
「……二人は?」
「万が一の出撃に備える…って言っただろう?」
ミーサの問いに答えるバーグ。
黙って頷くリジャン。
「じゃあ、整備…手伝う…」
「―――いいから行け!!
そんなもの…既に完璧に決まってるだろ!!」
「………!!」
急なバーグの怒号に、ミーサは一瞬体を強張らせ、それからすぐにうつむいたまま何も言わずに
格納庫から走り去った。
「あんな言い方はないだろう、バーグ。」
「…ああでも言わなきゃ……あいつ…行かねえだろうが。」
危なっかしい手つきで戦闘騎の機関銃に弾を込めながら、バーグは呟いた。
そんな彼を見ながら、リジャンは静かに笑みをこぼした。
◆
「外表が傷ついたが、…大したことは無い。
航行に支障は…無いと思う。」
手元にある艦内の地図板を手にした念通球で探り、瞳を閉じながらリードは言った。
「保安念通士としても、これ以上は判らないな…。
現場を直接見なくては。」
「けっこう衝撃があったけど…本当に大丈夫?」
フィンデルが艦長席から尋ねる。
「ああ…。
被弾したのは間違いないが……熱源反応は無い。」
「それは…矛盾してるわね……。」
「俺もそう思うよ。」
リードは自分の唇を弄りながら言った。
直撃にも関わらず、あまりに軽微な被害。
「……射ち込まれた弾頭に火薬が入っていない。」
二人は同時に疑問を口にした。
「この空域は?」
続けてフィンデルが訊く。
「どの国にも属さない。
たとえ領域侵犯でも、何の警告も無しに攻撃される道理なんてあるものか。」
「下に…降りるっすか?」
舵をとるタモンの問いに、フィンデルは軽く首を横に振った。
「様子を…見ましょう。」
彼女の一言で、しばらく無言の時間が流れた。
初弾以降、全く動きが無いのが余計に気味が悪く、精神をすり減らされる思いがする。
「畜生! 俺達は……中央都市の軍隊だぞ!!」
辛抱出来なくなったリードが声を上げて、足下の鉄柱を蹴飛ばす。
そう、自分達は補給部隊とはいえ、大陸でも名立たる中央都市…その正規軍なのだ。
中央都市軍の紋章を掲げた飛翔艦が攻撃されるなど、滅多に無い。
だが絶対では無い、フィンデルだけはそう思っていた。
その時。
ゴン……と鈍い音がブリッジの扉から響く。
ブリッジ内の三人は皆、一斉に固まった。
「この野郎!!」
今度は、扉の奥からはっきりとした怒鳴り声。
三人は、今度は席から立ち、身構えた。
そこで強い音と共に扉が開き、前のめりになった男が、ブリッジ内に転がり込む。
それは艦長のペッポであった。
「な、なにをするんだ、この野蛮人!!」
「艦長なら艦長らしくしやがれ!
こんなところでコソコソ様子をうかがいやがって…」
そして勝手にブリッジに上がりこむ戒。
世羅も後からついてくる。
「だって……急に凄い衝撃が…それに…攻撃受けたとかって恐い話してるし…」
「言い訳するんじゃねえよ! このオカッパ頭が!!」
ペッポのおでこを手の平で思い切り強く叩く戒。
「何なんだ? お前たちは?」
とりあえず無様な恰好の艦長は置いておき、リードは他の二人に対して叫んだ。
「戒君?
それに…世羅ちゃん…!?」
後ろでフィンデルが立ち上がる。
「……もしかして、彼等が例の民間人か?」
「ええ…ここのメンバーには直接紹介してなかったけれど。
でも……よくこの場所が分かったわね?」
飛翔艦で指揮を司り、最も重要とされるブリッジは、他の侵入を防ぐために最も奥に造られている。
「うん、梅さんが……」
答える世羅は後ろを見回すが、既に梅の姿は無かった。
「……梅さんがどうかした?」
「あれ……さっきまでいたのに。」
ブリッジから顔だけ出して、廊下の奥まで確認する世羅。
「…ところで、何の用かしら? こんな夜遅く…」
気を取り直し、フィンデルは今度は戒に訊く。
「何の用かって!?
おまえら余裕じゃねえか。
あんなに凄い衝撃があったってのによ!」
「……うん…確かに凄い衝撃だったわね。」
フィンデルは静かに答えた。
「だが安心しろ。
それなりの衝撃はあっても、所詮は無火薬。
外表の損傷なんて微々たるものだ。
ましてや内部まで被害が及ぶなんて考えられない。」
リードは冷静に言う。
「機関室も俺様の部屋も、目に見える被害があったぞ…!」
「被害?
物が飛んだ程度だろ。」
詰め寄る戒に言い返す彼。
「バカにするなよ。
把握はしてるさ。艦内の様子くらいは。
ま、おおよそだが……。」
念通球を片手にリードは淡々と答えた。
「実際に見ないで、どこまで判るってんだ?」
だが、そんな彼の態度に、戒の顔は段々と凄みを増していく。
「だいいち重要なのは、この艦が何者かに攻撃を受けたってことじゃねえのか?
それに対して何も対策を講じないのかよ、軍人ってのは!!」
「攻撃……!?
おまえこそ単なる衝撃だけで、何故そこまで言い切れるんだ!?」
リードが怪訝そうな表情を浮かべて叫んだ。
「実際に撃ち込まれた大砲の弾を窓から見たからだ!!」
戒が気迫で押す。
「……あと…機関室で男に事の次第を聞いたしな。」
「男?」
今度はフィンデルが訊いた。
「そう…ここの連中が着ているような軍服を着てた。」
戒はブリッジを見回し、続けた。
「顔面が傷だらけの男に、だ!」
フィンデル、リード、タモン…そして床に腰を下ろしたままのペッポ。
彼等は狼狽して、黙ったまま戒を見返す。
「……誰のことだ?」
そんな中、まずリードが口を開いた。
「俺様が知るか!!」
じれったそうに、戒がわめく。
「…確かに今は そんなことを議論している場合じゃないわね。
……戒君の目から見て、機関室の様子はどうだったかしら?」
フィンデルが二人をなだめるように言った。
「わからねえよ、実際に中を覗いて見たわけでもねえし…。
ただ、機関室と近くの俺達の部屋、かなり揺れたのは事実だ。
それに…この飛翔艦の動力部が少しおかしいとか聞いたぞ。」
たどたどしい戒の報告。
それを聞いたフィンデルは、リードに顔を向けた。
「…いくら民間人とはいえ…そこまでの報告を受けたら保安念通士として何もしないわけにはいかない。
それに、もしも本当に源炉に異状があればことだ。
一旦、どこかに着陸し、源炉を止めて調査することを提案する。」
顔をしかめながら言う彼。
「……いかがですか、艦長?」
フィンデルは一応、ペッポに尋ねた。
「………だ、大丈夫だよねぇ?」
震えながら、泣きそうな顔でペッポが言う。
「それは…調べてみないと判りませんが。」
「う……。
…ちゃ…着陸を許可する…。」
その言葉に、フィンデルは頷くことでタモンに合図する。
彼も頷き、すぐに舵の横のレバーを上へ強く押しつけた。
艦全体が斜めに傾き、ゆっくりと高度を下げる。
「お…」
「うわ…」
慣れていない重力の変化に、戒と世羅は足を踏ん張りながら、身体を強張らせた。
目下に広がる雲への侵入。
ブリッジ正面のガラスに広がる、白い景色。
抜ける瞬間、冬に吐く真っ白い息のように、雲が軽く千切れ飛ぶ。
そして広がる闇。
雲の上とは対照的に、星一つ無い夜の景色。
そして星の代わりに。
―――正面に一隻の飛翔艦。
「!?」
念通球を握ったリードの手が跳ね上がる。
脳天まで突き上げる、危険を知らせる痺れの感覚。
雲を抜けた途端、索敵反応。
だが、もう遅い。
「待ち伏せ……!?」
フィンデルは呟いた。
全身が赤い飛翔艦。
「炎団…」
その側面にマーキングされた黒い炎の紋章。
「炎団セルゲドニ…。」
それは、大陸で最も危険な空賊の名前だった。
◆ ◆
3
◆ ◆
ルベランセから離れること3000M。
そこは一寸先の視界さえ覆い尽くす、不気味で濃い雲が広がっていた。
《―――任務完了。》
「了解。これより貴殿を警護する。」
雲の真っ只中で飛空、待機したまま、マクスは交信に答える。
《……意外と脱出に手間取ってな。
工作を少々と、こんな輸送騎を一機しか持ち出せなかったよ。》
「…源炉は予定通りの出力を見せている。
破壊ではなく、戦力を低下させるだけのシナリオだ。
上出来だろう。
流石は、『黒の隊』といったところか。」
《『聖騎士』殿に褒められるとは光栄だよ。
しかも脱出の護衛までしてもらえる、なんてな。》
交信を続けたまま、下から雲を突き抜けて現れる輸送騎。
美しい銀色の戦闘騎と並列する。
「その名で呼ぶな、友よ。」
マクスは微笑みながら言った。
お互いに敬礼すると、輸送騎に乗った、傷だらけの顔をもつ男も歯を見せて笑う。
「さて…奴等のお手並み拝見…といきますか。」
「母艦でゆっくりと、だ。」
「了解。
だけど、この輸送騎に速度を合わせてくれよ、マクス。」
そう言うと、輸送騎内の操縦士は顔を手の平で覆った。
小指の付け根が輪の形に光り、傷だらけの顔が人あたりの良さそうな青年へと一瞬で変化する。
「ああ……わかってるさ。 ヂチャード。」
その様子を見て、聖騎士は再び微笑んだ。
◆ ◆
「緊急上昇! また高度を上げて!!
雲の中に身を隠さないと……」
下は一面が岩場の荒地で、それは見渡す限り広がっている。
降りてきた中空は見晴らしが良く、あまりにも何も無さ過ぎる。
狙い撃ちにあえばひとたまりもない。
ところが、フィンデルの指示にも関わらず、ルベランセはいっこうに動こうとしない。
「高度、上がってないわ、タモン!!
上昇を…」
「……副長…もう…やってるっす…。」
レバーを握った、力を込めた太い腕を震わせるタモン。
既に、現在の出力は全開であった。
「バカな…!?
源炉が機能していない……!!」
リードが叫ぶ。
「やはり故障だというの!?」
「違う!
一定の推進力は出ている……。
だが、何故か上昇するだけの出力まで出ない!
これは航行には重要でない不具合だが…」
息を飲む。
「この局面では致命的だ……。」
頭上の雲に比べ、今いる何も無い空が恨めしい。
ルベランセは裸同然で、敵を前に決断を迫られている。
「真っ赤な飛翔艦だ……。」
そんなブリッジの乗組員の焦りをよそに、正面の大きなガラスから夜空を覗きこみながら、世羅が呟いた。
「この大陸で最も強大で、最もタチの悪い空賊だぞ!!」
リードが大声で叫んだ。
「だけど…い、いくら最大の空賊といっても、ウチの軍隊を襲った事なんて聞いたことないよ!!」
「……でも事実だろうが!!」
ペッポに掴みかかる戒。
「先の攻撃は…本当に奴等の仕業っすか?」
「…そう考えるのが自然ね。」
タモンに、フィンデルが答えた。
「……だけどよ…やられたら…やりかえせばいいだけの話じゃねえか…。
さっさと蹴散らしちまえよ…おい。」
軍人達を見回し、うっすらと苦笑と汗を表情に浮かべながら、戒は言った。
「バカ言うな!
戦闘なんて…できるわけ…ないだろう…」
そして、彼に胸ぐらを掴まれたままペッポが叫ぶ。
見ると、リードもタモンも震えていた。
「お前ら……軍隊だろうが!!」
彼等のふがいない様子に、戒は叫んだ。
防衛のために領土各地に配備されている中王都市軍だったが、その大国に戦争を挑むも国は無く、
その殆どが実戦の経験など無い。
輸送艦の彼等は特に、中王都市軍の紋章が掲げられた飛翔艦に挑むような者が大陸上に『いるはずがない』、と
安心していたのだ。
―――だが、もろくも崩れ去る甘い考え。
それが身体を脱力させ、精神から戦闘の意欲を奪い、思考を低下させる。
その中でフィンデルは、一種のパニック状態に陥いりつつあるブリッジの様子を、独りで傍観していた。
事態の収拾。
立て直し。
作戦。
決断。
士官学校で習った緊急事態におけるトラブルシューティングが頭に順に浮かぶ。
絶望するほど、実践には程遠い。
「フィンデル…」
しかし、この状況下でもう一人冷静だったのが、意外にも世羅だった。
傭兵の経験からか、それとも単に鈍いのか。
だが、フィンデルにはその少女の方が他の連中よりも、よほど逆境に慣れているように感じられた。
「どうするの?」
全てを見透かしたように、大きな瞳でフィンデルの瞳を見詰める。
「……それは…私にも…判らない……。」
彼女は視線を逸らして言った。
「何か……白い物だ!」
そんな中、唐突にペッポが叫ぶ。
「…白いもの!?」
そんな突然の彼の様子に、ブリッジ内の全員が呆気にとられる。
「大きな白い物……そうだ!
シーツがいい!!」
「待ってください!」
虚ろな瞳、だが急いでブリッジを出ようとするペッポを、フィンデルは慌てて制した。
「まさか、向こうに対し降伏の意向を示せば……交渉の余地がある、とでも?」
「そうさ! まずは白旗を揚げて安心させてから、そして彼等の申し出を聞こうじゃないか。
同じ人間同士なんだし!」
「落ち着いてください!
彼等が交渉に応じるとは思いません。
賊にとっても軍隊を標的にすることは覚悟のいること……。
万が一、交渉に応じたとしても、きっと口封じのため、私達は一人残らず処分されます!!」
一瞬にして、ペッポの口を閉じさせる早口の言葉。
ブリッジも静まりかえる。
「それに……攻撃の程度からして、こちらを無傷で手に入れたいことは明白…。
これが既に無言の降伏勧告だとすると、それがあちらの望むところでもあり、そう差し向けていることです…。
この作戦を立てたのは…かなりの計略家…だからこそ、今は裏をかく行動をしなくては……!」
「…それは……攻勢に出る…ということか?
フィンデル……。」
リードが緊張で喉を鳴らした。
「む…無理だよ…。
それに……た、戦ったら…きっと僕のルベランセが傷物に…。
僕の記念すべき初航行は…問題無く終わらせなきゃ…」
「傷に関して言えば……もう手遅れです。」
フィンデルは冷たく言い放ち、深く座り直した。
(…それにしても……あまりにも都合が良過ぎる……。
上昇のみが出来なくなった源炉…。
戒君が見たという男…。
それに…軍艦を狙うなんて あまりにも大胆な発想……。
私の予感が正しければ―――)
気が付くと、リードが席を離れようとしていた。
「こうなったら、早く、メイとヂチャードを部屋から戻さないと!!」
「リード! ここにいる私達だけでやるしかないわ!!」
「正気か、フィンデル!?
戦略念通士無しでは……とても…」
「貴方だったら、このような状況でブリッジを離れていたらどうする?」
フィンデルの問いに、リードは彼女に向き直る。
「決まってるさ!
異常を感じた時点で、何はさておき『ここ』に戻る!!」
「…きっと……誰でもそう考えるわ。」
「……?
まさか……あの二人に何かあったとでも言うのか!?」
「それだけで済めば良いのだけれど……。」
目を伏せるフィンデル。
その様子に、渋々再び席につくリード。
「……とにかく、このままじゃどうしょうもないだろ!?
早く次の行動を指揮しろよ!!」
そんな二人を交互に眺めながら、戒は叫ぶ。
幸いなことなのか、目前の飛翔艦は全く動かない。
だがそれはまるで、獲物の動きをうかがったまま一切のスキも見逃さない、草原で『狩り』をする獣のようだった。
「指揮……?」
その彼の言葉で、フィンデルは自分が艦長の椅子に座っていることに気付いた。
「ボケっとするなよ!」
「え…今は…艦長がいる…から……」
不意に不安に襲われる。
さほどでもないその席の高さだが、フィンデルはめまいさえ感じた。
「フィンデルぅ……」
当の艦長が、いつものように甘えた声を出し、いつものように期待する。
(指揮……?
…だって……この状況で…)
目を開いたまま、硬直する。
(…戦闘すれば……おそらく…どちらかが……死ぬ……!)
過去に何度も思うこと。
常に自分を襲い、縛る感覚。
―――争いたくない。
「艦長が健在の場合は……それに従うまでです。」
フィンデルは無表情のまま言った。
「無理だよぅ!!」
ついに、ペッポは泣き叫んだ。
「なあ、軍隊では艦長が健在でない場合は どうしてるんだ?」
戒は静かに言った。
「……?
それは…現時点で最高の役職の者が指揮をとるのが原則だけど…。」
フィンデルが何気なく答える。
「そうかい。
―――ごめんよ、オカッパ頭!!」
「え!?」
ブリッジに鈍い音が響いた。
戒の拳を腹にめり込ましたまま、『く』の字に折れ曲がるペッポ。
そして、すぐに白目を剥いたまま、そのままの姿勢で床に伏す。
「さて…指揮をとってもらいましょうか、フィンデル副艦長。」
戒は笑うと、肩をすくめた。
◆ ◆
4
◆ ◆
その惨事は、彼女にとっての禁断の果実だった。
「―――フィンデル君!」
血にまみれ、ただの肉塊のような姿で中年の男が叫ぶ。
「確かキミは、中王都市の士官学校の生徒だったな……!!」
すがるような眼差し。
「……はい。 まだ、一年ですが。」
とりあえず頼りない返答をしたが、周囲の者は皆 泣いて喜ぶ。
―――意外な反応だった。
「今、この艦で指揮をとれる者は あんたしかいない!!」
「……指揮…ですか……。」
「頼む……!!」
手や足がもげた者達ですら、しっかりとした意識を持って、生返事を続ける自分に懇願してくる。
フィンデルはすぐに理解した。
ガラスは全て吹き飛ばされ、大半の機材を破壊され、見る影も無くなったブリッジ。
足元には、折れた鉄パイプを頭に貫通させた 初老の艦長が横たわっている。
周りの者は全員、戦略のイロハも知らない田舎者。
今ここに、経験不足の憂いも性の差別もない。
存在するのは、生きるためになりふり構わない人間の生への執着と欲望、自分に対する畏敬の念のみ。
そう、人は『生きるための道』をなりふり構わずに、選ぶのだ。
それは生き物として恐ろしく醜い。
……が、それでも たとえようの無い優越感だった。
そして興味があった。
書物で溜めた自分の知識が『実戦』でどう発揮されるのか。
自分がどれだけ通用するのか。
「…わかりました……。」
フィンデルは静かに、はっきりと答えた。
絶望的な状況にも関わらず、不敵な笑みを浮かべながら……
◆ ◆
「―――おい、フィンデル!!」
戒が繰り返し名前を呼び、ようやく四度目。
彼女は振り向いた。
「何をぼけっと考えてんだ、早く指揮をとれ!
今は お前が一番偉いんだからな!!」
「ごめんなさい……やっぱり…出来ない……!」
死人のような虚ろな表情で、ゆっくりと艦長の椅子から降りるフィンデル。
そして、彼女の言葉に凍りつくブリッジ。
「なんだと……!?」
戒が顔の筋肉を強張らせたまま口を開く。
「じゃあ、俺様が こいつを眠らせた意味がねえじゃねーか!!」
さらに気絶しているペッポの側頭部を踏みつけ、捻る。
(…っていうか……メチャクチャだ、こいつ――― )
リードとタモンは、目の前の青年の悪態に心底怯えた。
「しかし今、この艦でまともな指揮をとれる者は君しかいないんだぞ!!」
気を取り直し、リードが叫ぶ。
「本当にごめんなさい…。
よかったら…リードが指揮して。
それでもしも、悪い結果になっても……私は恨まないから。」
様子が激変していた。
任務中、幾度も艦長の代わりを務めていた彼女の毅然とした姿はもう見る影も無く、非常に弱々しい。
「……わかった。」
消沈するフィンデルの為に勇気を振り絞り、立ち上がるリード。
だが、膝は笑っていた。
「……あ…。」
そして歩こうと目線の先を見、思わず声が洩れる。
空席になった艦長の椅子には、いつの間にか先程の少女、世羅が座っていたのだ。
「おまえ!
こんな時に遊んで……ふざけてる場合じゃねえだろ!!」
戒がそんな少女の腕を乱暴に掴む。
「ふざけてないよ。
ボク、わかるよ。
艦長って、隊長みたいなものでしょ?」
「………。」
彼女の真摯な瞳に、仰け反る戒。
「傭兵をしてた時…隊長のやり方、沢山見てきたよ。」
「見るのとやるのとはワケが違う!!
それにお前なんかに…命令が出せるわけ……」
「ボクは命令なんかしない。」
「……命令しない!?」
「そう。 信頼している仲間なんかには命令なんて要らないんだ。」
疲弊しきった皆と違い、生命力に溢れた表情。
「フィンデル。」
自分を呼ぶ声。
思わずフィンデルは顔を上げた。
「みんなを助けてよ。」
「―――!!」
次にフィンデルは世羅の顔を見た。
決意の表情。
「フィンデルなら…多分できる。
ただ…ここには座りたくないだけなんだ。」
それはさらに、出会ったばかりの自分を信頼している表情でもあった。
それを見ると、心が安まるのは何故だろう。
(うん……。
…私に…争う資格なんてない……。 だけど…)
嬉しさで戸惑うのは何故だろう。
(……)
それはきっと…利害とは関係なく、自分が信頼されたのは初めてだから―――
ブリッジ内の面々を順に眺める。
助ける。 救う。
考え方の方向を変えれば、きっと戦いは勝敗だけではない。
そう感じさせてくれる、自信に溢れた表情を絶やさない少女。
「…わかりました。 世羅艦長代理。」
その言葉に、世羅が思わず笑みを浮かべる。
フィンデルは、そんな彼女の場違いな表情が可笑しくて思わず目を細めた。
「…お…おい…」
その様子に、戒とリードが半ば呆然として同時に呟く。
「こんな時は、何て言うの!?」
世羅の問い。
それに合わせ、フィンデルは声通管を勢い良く手に取った。
◆
《総員、『対艦戦』用意!》
張り上がった音が声通機から響く。
「こちら、戦闘騎格納庫。
……準備は出来てる。」
リジャンは別段驚く様子も無く、戦闘騎の中から片手を伸ばして声通管を取り、そのラッパ状の
切っ先へと語りかけた。
「今のは……?」
バーグが訊いた。
「副艦長の姉ちゃんだな。
引き締まる……いい声だ。
さぁて、久々の出撃…血が騒ぐな。」
リジャンは、カラカラと笑った。
「何で、おめえはそう呑気に構えていられるんだよ…」
バーグが発進口の鉄の大扉に渋々と手をかける。
「ビビったか、バーグ!?」
「だれが!!」
憎まれ口を叩き合う。
傭兵時代と変わらないやりとり。
これを繰り返すうち、いつしか緊張はほぐれていく。
友の厚意に感謝しつつ、腕に力を込める。
軋んだ音を響かせて開いた扉から 抜ける突風。
それに貫かれた胸が凍りつく。
「こいつぁ…地獄への穴だな。」
目の当たりにする。見たこともないような夜の風景。
吸い込まれそうな深い闇が、永遠と思えるくらいに広がっている。
バーグは首にかけた細い鎖を、軍服の上から心臓の位置へと押し付けた。
◆
先のフィンデルの一声で一つになるブリッジ。
「主砲、副砲、発射用意。」
更に続ける彼女。
「リード、出来る?」
「…やるしかないだろう!」
リードは言われたまま、若干前のめり気味の態勢で念通球を構えた。
とはいえ、飛翔艦の砲台を動かしたことは数度。
そうなると、専門家の念通士達が不在なのは痛い。
「操舵手、旋回の用意を…」
「いつでもいけるっす!」
タモンが縮み上がった喉から、無理矢理 声を振り絞って気合を入れる。
思いもしない、戦闘中での操舵。
ミスは許されない。
そして一通りの指示を終えたフィンデルは、真っ直ぐと正面を向く。
敵艦の向きとルベランセの直線上の先に厚い雲。
貯めこんだ記憶を必死に思い返す。
士官学校で幾度と無く繰り返した模擬戦。
マス目と駒のイメージ。
知識の総動員―――。
『嫌な予感があれば、それを全て払拭せよ。』
そして最後に浮かんだのは、一人の好きな戦略家の言葉だった。
「回頭開始!
敵方向真逆、十時の方向!!」
「敵に背を向けるのか? フィンデル!!」
既に動き始めたルベランセ。
横殴りの重力の中、手にした念通球で艦内の制御板を操作しながらリードが叫ぶ。
「お願い、言うとおりに!!
そして、同時に副砲のみ後ろ敵艦への照準を合わせ!!」
「……な!?」
無茶を言う。
リードは脳内に流れ込む複数のイメージに混乱しないよう、必死に抵抗した。
回頭する方向と逆に動く、ルベランセ下部に付けられた二門の砲座。
照準を合わせた赤い飛翔艦はいまだ動かない。
「つづけて本艦真正面、仰角30度に主砲発射用意。」
「その方向は雲しか無いぞ!?」
「いいから!!」
「…!」
ルベランセの下部、一際大きい砲座の口が開く。
リードはもはや、何も考えなかった。
念通球を持つ手を震わせながら、頭の中で見る。
主砲の筒の中。
闇に在る弾頭。
そして その導火線。
念通術のための、艦内に張り巡らされた回線が指先の神経と繋がった。
いつでも撃てる。
「―――主砲、発射。」
そんな中、フィンデルがタイミング良く合図を発した。
「発射!!」
リードは念通球を強く握り締めた。
ブリッジの真下の閃光。
大きな花火のような、一瞬の大きな空気振動。
反動でルベランセが空中を跳ねる。
皆が声にならない声をあげ、騒然とする。
その中でフィンデルだけは一瞬たりとて目をつぶらず、主砲の弾頭が真っ直ぐに雲を突き抜けるのを見届けた。
(敵の目的が…『ルベランセの奪取』というなら……私ならば こう配置する!!)
まず、雲は円形に吹き飛び。
ブリッジでは全員が その奥で何かが炸裂した光を見る。
雲の円形状の穴は時間が経つにつれ更に広がり、そこから、こぼれ落ちる沢山の金属片。
別の赤い飛翔艦が体を沈ませ、腹を少し見せた。
「……まだ飛翔艦が潜んでいたのか?」
疲弊しきったリードが、虚ろな目で呟く。
「すげえじゃねえか……フィンデル!」
戒は笑顔で彼女の肩を叩いた。
だが、その肩は震えていた。
「お願い……逃げて……。
これ以上…戦えば……。」
敵に対する、奇妙な懇願だった。
想いが届いたのか、一旦は雲の下に沈んだ前方の飛翔艦は、やがてすぐに体勢を直し、
白煙を上らせながら雲の中へと戻っていく。
だが、その艦の一部は燃えており、危険な状況なのは明白だった。
◆ ◆
「中央都市軍は腑抜けと聞いていたんだがな。」
肘を椅子にかけたまま、頬杖を付いて笑う男。
「なかなかどうして……やるじゃないか…あの補給艦め。」
先ほどルベランセと対峙していた飛翔艦内のブリッジ。
その艦長の席に座る者は、立てかけた大剣を脇に余裕の表情を見せていた。
「……ここで『最善』の選択とは。
この計画を聞いた時、あまりの完璧さに寒気がしたが…まさかそれを破るなんてな。」
そして、楽しそうに自分の厚いマントの毛を弄る。
「向こうの指揮官は どうしようもない奴だという情報だったが……まあいい。
まさかの一撃を喰らった、こっちのお仲間の様子はどうだ?」
「……9番艦、撤退開始しました。
我々はどういたしますか。」
前方の念通士が言った。
「作戦は続行する。」
「しかし…それは作戦予定と違いますが…。
確か、予定の変更が余儀なくされる場合は一旦退却し体制を整えよと…依頼主が…」
「いいから、続行だ。
それと……『炎の矢』を準備。
先程とは違って今度は本気で潰しにいくぞ。」
「よ、よろしいので…!?
標的は なるべく無傷で手に入れろと……。」
「炎団の掟、第2条―――」
艦長の睨み。
「か!『艦長の命令は絶対』!!」
念通士は口癖のように叫び、立ち上がった後、背筋を伸ばす。
「そうだ…。
それに、せっかく最強の空賊に入れてもらえたんだ。
仲間がやられて、オメオメと退却するようなマネしたら……お笑い種だぜ。」
艦長の男は椅子に深く体重をかけ、ブリッジ内と外の全体を眺め回した。
「むしろ…9番艦がしくじったのは運がいい。
ここで手柄を立てりゃ、早くも組織で一つ上がれるチャンスだ。」
撤退する仲間の飛翔艦を想像しながら、目の奥をギラつかせる。
「…もう向こうの乗組員の生死は問わねえ…。
こうなった以上…殺し合いだ。
標的さえ堕とさなきゃ何をやっても構わねえぞ!!」
艦長の合図で、周囲の団員の気炎は一気に上がる。
「さて…空賊の戦い方…見せてやろうか……!!」
◆ ◆
「そうか……姿の見える方の攻撃に集中していたら……後ろから襲われていた…。」
前方で撤退する飛翔艦を睨みつけながら、席で果てるリード。
全身から力が抜ける。
「だけど…きっと本番はきっとこれから……ね。」
フィンデルが背筋を直す。
降伏すれば勿論、終わり。
こちらを攻めれば、後ろから奇襲を受けて終わり。
やはり思ったとおり、二重三重に入念に練られた策略。
「副長! これからは…」
「前方の艦の姿が完全に消え次第、全速前進して。」
「了解!」
タモンの意気は上がっていた。
「そして…リードは…」
フィンデルが言葉を止める。
「……なんだ?
…何でも指示…してくれ。」
対照的に、気丈に振舞う彼の顔色は明らかに悪い。
通常は各念通士が分担して行う飛翔艦の操作をたったの一人で行っているのだ。
それは無理なかった。
「おい! フィンデル!!」
突然、背後から戒が声を荒げる。
「奴等……来るぞ!!」
振り向くと、今まで微動だにしなかった背後の飛翔艦のあらゆる部分が光を放っている。
小康状態からの急変化。
それは敵が攻勢に転じたことを示していた。
「副砲は…どうする?
さっき用意したまま、すぐにでも使えるぜ…。」
「いえ……とりあえず休んで頂戴。」
「な……に?」
彼女の言葉に、憤慨するリード。
「俺は まだやれる! やれるぞ!!」
「大丈夫、このまま何とか誤魔化しながら、逃げましょう。」
まともに撃ち合う必要など無い。
とっくに射程距離に入っている自分達に対して砲撃を全く行わないことは、相手がルベランセ自体を
欲していることを確実に示している。
理由は不明だが、それを生かさない手は無かった。
とりあえず時間を稼ぎ、リードの回復を待つ。
そして、あとは副砲の一斉掃射で何とか退けられるに違いない―――
「……? 機影探知!!」
しかし、そう考えた矢先、リードが声を発した。
「機影!?」
それはあまりに急だった。
「本艦背後500Mに戦闘騎サイズが、数にして………」
彼は念通球を片手に、中腰のままで報告する。
「約……18機…だと!?」
声には既に絶望の色が滲み、ブリッジを包み込む。
それを聞いたフィンデルは、目を閉じたまま右手人差し指を虚空で素早く動かす。
さらに壁に貼った、付近の空図を確認。
(……数が…多すぎる…!
これでは……逃げられない!!)
苦虫を噛み潰したような表情で 次に見るのはブリッジの背面ガラス。
近付いてくる赤い粒。
戦力の差は歴然だった。
よほどの大型飛翔艦でなければ、搭載できる戦闘騎などせいぜい5機以下。
だが、相手の機影数は確かにリードの索敵どおりである。
おそらくそれらの殆どは別働隊で、雲の中にでも待機させていたのだろう。
戦時下であれば補給部隊を警護する部隊は当然として配備するものなのだが、ルベランセだけで
この数の敵を退けられるほどの装備は無かった。
額を押さえながら、必死に意識を保とうとするリードの姿を見る。
慣れない砲台操作、同時に索敵。
彼の精神は既に限界。
しかも、今ルベランセに残されたのは通常よりも遥か以下の戦力。
「『普通の戦略』では『策略』に勝てない…。
『良い戦略』では『謀略』に勝てない……。
だが…『完璧な戦略』は……何にも勝る…。」
震えながら唇の上で 手の平を組み合わせて呟く。
言葉を繰り返しながら心臓の音が休まっていく。
フィンデルは少しずつ冷静を取り戻し、考える。
(……!)
そして一つの手段を思いついた。
(待って…私……。 それは……ダメ。)
思いついてしまった。
(何て事を…考えるの……?)
手で顔を覆う。
……だが、彼女の頭は、自分の意思とは関係なく、考え出された戦略は巡り、生き残る手段をはじき出す。
《おい、ブリッジ。》
そんな中、耳元の声通機から響く低い声。
《一部始終をこちらの声通機で聞いてたんだがな。 一つ提案がある。》
リジャン=デベント。
ルベランセ、戦闘騎の操縦士。
《いくらエンジンの調子がいまひとつでも、前には進めるんだろ?
……それなら逃げ切れる。》
「無理っす!
今、向こうの戦闘騎が沢山出てきて!!」
タモンは艦長席横の声通管に届くよう、大声で反論した。
《やれるさ。
こっちからも戦闘騎で向こうの飛翔艦に直接突撃する。
奴等も飛翔艦が大事だろう。
きっと敵機はそれを放ってはおかないはずだ。
…こっちとしては、そんなふうに適当に時間を稼ぐ算段だが、あわよくば飛翔艦も撃沈できれば儲けモンだな。》
「そんな無謀な作戦……誰がやるってんだ!!」
戒が叫ぶ。
絵空事に近い、机上の空論。
しかも圧倒的な数の差を目の当たりにして、それが極めて危険で困難であることは素人にも判断できた。
《俺とバーグがやる。》
《ああ!?》
リジャンに加え、バーグの裏返った声が一つブリッジに響いた。
「無理だ……。
保安念通士として…許可は…出来ない。」
リードが言う。
《無理…無謀……結構なことだ。
……だがな、『ごちゃごちゃ言うな』。》
リジャンの低く、ゆっくりとした口調にブリッジ内は静まり返った。
《そんなこと、こちとら、ハナから承知なんだよ。
でも、やらなくちゃならねえ。
誰のためかって?
そりゃ、お前らのためさ。》
タモンが強く舵を握る。
《…だったら、ちっとくらいは『お願いする』とか『信じる』とか、そういう言葉、出てこねえのか?
『仲間』として ちょっと悲しいぜ。》
「……!!」
意を決して壁にかけられた地図を取り、一気に開くフィンデル。
「進路を若干修正し、本艦は一旦、ゴーベ山脈のふもとへ避難します。」
そして声通管を取るなり、すぐさま言った。
《……中立地帯か。
そしてそこの山脈を抜ければ、すぐに中王都市の国境がある。
山越えが少し困難だが、距離的にはさほど変わらない…。
……いい作戦だ。》
「……副艦長として、その作戦…正式にお願いするわ、リジャン。」
《…了解。》
「……ごめんなさい。」
フィンデルは声通管を握りながら、小さく呟いた。
《…あんたも俺も同じ考えだったってことか。
ああ、心配はいらない。
こちとら、くぐり抜けた修羅場の数が違うんだ。
…それより、ここまでするんだ。 絶対に中央都市へ戻れよ。 いいな?》
「……了解です。」
フィンデルは静かに念通管を置いた。
戒はもう、ブリッジのやりとりを、距離を置いて傍観していたけだった。
視界の利かない夜の大空を何気なく見る。
こんな処で自分にやれることなど、ただの一つとて無いのだ。
「なあ、世羅…」
同意を求むように、艦長の椅子の肘掛けに触れる。
「……世羅?」
だが、そこでは誰も居なくなった艦長席の椅子が静かに揺れていた。
◆
「大したもんだ。
あの姉ちゃんくらい出来る人間がこんな部隊にいるなんてもったいねえな…」
「……おい!
ンなことより、向こうの戦闘騎はいくついるんだ!?」
感嘆の独り言を呟くリジャンに対し、激しい言葉をぶつけるバーグ。
「いくつだって望むところだ。
空賊の戦闘騎なんざぁ、100騎でも1000騎でも落としてやるよ。」
そんな彼をあしらいながら、リジャンは手袋の紐を歯できつく締める。
同時に操縦席内のエンジンレバーをキック。
機外に露出しているアイドリング状態の戦闘騎の心臓部が更に唸りを上げ、プロペラを激しく回転させる。
「くそったれ!
ゲリラの奇襲の方が幾分もましだぜ!!」
バーグもそれに続く。
しかし彼の機体のエンジンは、一瞬ひとすじの細い火を噴き、すぐさま不自然に動きを止めてしまった。
「……!?」
振り向き、自機の後部を確認するバーグ。
エンジンの脇のパイプから立ち昇っている黒煙。
「動力系…!?
ウソだろ! 昨日までは…正常だったのに…!!」
「いいぞ、バーグ!!
後から来いっ!!」
「……すまん!!」
操縦席から飛び降りて、すぐさま機体のチェックにかかる。
リジャンはその様子を脇目に、首に下げたゴーグルをかけた。
「蒼く澄んだ大空のように誇り高く…。
己を育んだ大海と大地への感謝を忘れずに…。
まばゆい陽の光に全身を照らされても恥ずかしくないように生きます……。
どうか、ご加護を…。」
いつ以来だったろうか。
リジャンは狭い棺桶のような戦闘騎の中で、手を組み、黙祷する。
「リジャン=デベント、出る。」
出撃の為、戦闘騎と床を繋ぐ下部ストッパーを外すため、脇にかけられた長い鉄棒を握った。
その時『何か』が、中腰で作業するバーグの脇を走り抜ける。
「―――お、おい! おまえ!!」
バーグの大声。
器用に素早く、自機の右翼に駆け上がる少女の姿。
「……なんだと!?」
一度かけたゴーグルを額へと上げるリジャン。
「ボクも行く!!」
開け放たれた発進口の扉から強く吹き込む風の如く、小さな少女は唐突に現れた。
高揚感。
そう、あれは、自分が傭兵を辞め、己の飛翔艦を持った、夢追いし頃の感覚に等しい―――
「―――嬢ちゃんが来ても、出来ることなんて無えぞ!」
「連れて行ってくれれば、きっと役に立つ!!」
はっきりとした少女の言葉に、リジャンは大笑いした。
「くっくっく……!
お前、肝っ玉で この嬢ちゃんに負けてるな!!」
「うるせえ! お前らが異常…マトモな神経じゃねえだけだ!!」
工具を片手に、バーグが叫んだ。
「よぉーし、来な!!」
「後ろでいいの!?」
「そうだっ! ベルトをしっかりと締めろよ!」
後部座席に飛び込む世羅。
「……で、どうすんだ、兄ちゃんの方は?
嬢ちゃんは ちっちゃいから、後部座席は詰めればあとひとりくらい入れるぜ。」
「……?」
世羅が驚いた様子でリジャンの目線の先をうかがう。
そして、その彼女の表情はすぐに笑顔へと変わった。
金属の床を鳴らしながら、ゆっくりと歩み寄って来る戒。
「戒!!」
手を伸ばす世羅。
「……俺様には…」
だが、それとは裏腹に、戒は寸前で足を止める。
「…………戒?」
彼の態度に気付き、世羅の手からわずかに力が抜ける。
「俺様には…やらなきゃいけないことがあるんだ。
こんな所で…死ぬわけにはいかねえ。」
髪を風圧で乱し、視線を下に落としたまま戒は続けた。
「お前らが時間を稼いでルベランセを逃がすんだろ!
自信があるんだろ!?
だったら、俺様は こっちに残って目的地へ行かせてもらう……。」
自分は当然のことを言っている。
そのはずだ。
「だいいち……俺様が行っても…何も出来ねえ。
勝手かもしれねえが……ここはお前らに任せる。」
「うん、わかった。」
予想通り、世羅は優しく微笑んだ。
「もしもの時は…ボクの代わりに……中王都市に荷物届けてね。」
「……ああ。」
「ありがとう。」
彼女の言葉に、思わず顔を背ける。
「……戒の夢……叶うといいね。」
いやに遠くで聞こえる声。
プロペラの回転とエンジン。
二つの轟音が奏でるのは死出への旅の曲か。
やがて鉄の棺桶は前へとゆっくり進み、加速をつけた後、無邪気に手を振る彼女の姿と共に夜の闇へと消えていった。
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第四話 『無謀な作戦・前編』
了
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