1-3 「明日への抱擁」
◆
This story is a thing written by RYUU
Air・Fantagista
Chapter 1
『 From the sacrifice which should be loved 』
The third story
'Embrace to tomorrow'
◆
遠くに見える、大きな荷物を引きずる戒。
それに気付いた世羅は すぐに腰掛けていた岩場から立ち上がる。
「待ちくたびれちゃったよ!」
「……誰も待ってくれなんて頼んでいないだろが。」
頬を膨らませる世羅に対し、戒が汗を拭いながら小さく呟いた。
「…ずいぶん大きな荷物だね。」
戒の引いてきた木製のトランク。
それを触りながら世羅が言う。
「当たり前だ。
俺様は、しばらくは中王都市に住む『予定』だからな。」
「予定?」
「………。」
世羅の無邪気な問いに、戒は深刻な表情をする。
一向に進まない勉強のことが、頭の中を巡った。
「どうしたの?」
「…なんでもねえ。
それよりお前の荷物は、割りと少ないな。」
彼女の背負うバッグを見て言う。
「うん、換えの服が少しだけ。
行動が鈍くなるから、どこかに落ち着くまで荷物は増やすなって、お師匠が言ってた。」
「お師匠ねぇ……。」
戒が片唇を下げる。
ぶっきらぼうな言葉を使う彼女が『お』をつけるくらいだ。
相当尊敬していることは想像に難くない。
戒は世羅の顔に注目しながら、色々な想像を巡らせていた。
すると、何故か彼女の顔も笑顔へと変わる。
「うふふ…」
「なに、にやついてるんだ。」
「だって、一人で旅をするよりも、他の誰かと一緒にした方が全然楽しいもん。」
純朴な表情でまともに言われる戒。
「さっきから勝手に決めるんじゃねえ。
俺様は別に、お前と一緒に旅行するつもりは無えんだ。」
「……そうなの?」
一転して、悲しげな顔。
そんな感情を露にし続ける少女に、終始調子を狂わされ続ける戒は思わず顔を逸らした。
「まあ、『あれ』なら、中王都市までは三日程度で着くからな…。
その間だけなら付き合ってやっても別に構わねえけどよ。」
「…ありがとう!」
海上に悠然と浮かぶルベランセを背景に。
静かにはにかむ世羅。
手が強く引かれる。
戒は戸惑いながら、彼女の早い歩調に合わせた。
それが旅の始まりだった。
◆
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エア・ファンタジスタ
Air・Fantagista
・
第一章
愛すべき犠牲より
・
第三話 『明日への抱擁』
◆ ◆ ◆
1
◆ ◆
「何これ!?」
格納庫に入ると、フィンデルは仰天して声を上げた。
見たことも無い銀無垢の戦闘騎。
それが、そこに平然と置いてあったのである。
ルベランセに搭載されているのは、戦闘騎2機に補給騎が1台。
いくら疲れていても、それは間違うはずもない。
現実を確かめる為、その美しい銀の機体に触れてみる。
ほぼ新品に近い。
形状も普通の戦闘騎とは違って、プロペラが無く、両翼が極端に小さく短くて、筒のようだった。
「あ、副長…」
普段どおり作業着姿で、ミーサがその戦闘騎の影から顔を出す。
「ちょっと……これはどういうこと!?」
「副長こそ!
その服は一体…!?」
血にまみれたフィンデルの姿を、思わず指差しながら驚くミーサ。
「私のことはどうだっていいわ! それよりも、こっちを説明して…」
「副艦長……であらせられるか。」
足早にミーサに近付くフィンデルが、不意に男の声に止められる。
「丁度良かった。
私はこの戦闘騎の操縦士、マクス=オルゼリア。
……中王騎士団の者だ。」
名乗った長身の男は、うなじを覆うまで達する銀髪に銀の瞳。
更に銀色の大きな甲冑で全身を包むという、傍の戦闘騎と同じ、銀一色のいでたちでミーサの後ろから現れる。
「中王…騎士団…!?」
「実はマクスさんは、この空域で訓練中に母艦とはぐれてしまったらしくって…」
あまりに急な事に目を点にするフィンデルに、ミーサは付け加えた。
「補給を求めて来たんです。」
「……着艦許可は…ペッポ艦長が?」
「いえ……」
ミーサの声がしぼむ。
「ブリッジの独断と聞いてます…。」
「そんな! 軍規違反だわ!」
「やはり…まずかった、と?」
片方の眉を落として、マクスが訊く。
「あ……いえ…その…」
思わず、独り言を大声で発してしまい、フィンデルはばつが悪かった。
「こちらとしては、墜落寸前だったので感謝しているのだが。」
「…あ……そう…ですね。
まあ…状況が状況だったのなら…仕方ないと…思います。」
真顔で近寄ったマクスの穏やかな銀色の瞳に射抜かれて、フィンデルは頬を赤らめて目を背けた。
一方の身長の高い彼は、不思議そうに彼女の反応を見下ろしている。
「ところで…どうされた?」
「え? 何が、ですか?」
さらに問いかけられて、フィンデルは慌てて訊き返した。
「副長……だから…服、服!」
「あ!!」
ミーサに言われて、自分の無様な服装に改めて気付く。
「あ、あの! 後で艦長室へお越し下さい!!
色々…手続きを踏みたいと思いますので!!」
マクスの方を向いて言いながら、通路へ後ずさる。
「場所は…えっと……ミーサ!
丁重に教えて差し上げて!!」
言いながら、さらに後ずさる。
「こんな恰好で…私ったら!!」
そして叫びながら、一目散で廊下を駆けて抜けて行く。
マクスとミーサは唖然としてそれを見送っていた。
◆ ◆
「暑いな…それに油くせえ…」
飛翔艦の入り口を抜けると、そこは暗めの廊下。
鉄で出来た その無機質な通路が声を反響させる。
「ここで待つように言われたんだがな……!」
あまりの蒸し暑さに、繋いだままになっていた世羅の手を乱暴に振りほどく戒。
傍の鈍重な扉の奥からは、蒸気のあがる音と金属が重なり擦れる音が響いていた。
やがてその扉は開き、中からは熱気と共に、頭に四角い麻の袋を被せられた油まみれの小人達が
ぞろぞろと沢山出てくる。
それは、俗に『蛮族』と呼ばれる被支配階級の者達だった。
頭の袋にあいた二つの穴から覗く目。
それと目が合うと、睨み返される。
栄華を極めた国には、やはり差別・貧困など、常に一種の『影』がつきまとうものなのだろう。
戒は彼等の自分に対する、殺伐とした空気を肌で感じながら思った。
「…二人とも、おまたせ。」
そして気が付けば、既に目の前にフィンデルが立っていた。
彼女は灰色の軍服に着替えていて、ピンと立つ襟、タイトスカートに軍帽、首に締めた幅広のタイが
先程よりも立派で締まった印象を強める。
「どうかしたかしら?」
「イヤ別に…」
そう言いながらも、戒の目線は まだ小人達に向けられる。
フィンデルは、すぐにそれに気が付いた。
「機関室に配属されている隊員達よ。 そろそろ夕食の時間だから。」
「…そうか。」
「食堂…あるの!?」
言葉の重い戒に対し、全く思考の無さそうな世羅が叫んだ。
「ええ、これからの用件を済ませたら行ってみるといいわ。
味は保証できないけどね。」
苦笑しながらフィンデルは言う。
「あんた、そっちの服の方が似合ってるな。」
そんな彼女の横に並んで歩き、戒は何気なく言った。
「……え?」
思いもしない言葉に戸惑うフィンデル。
「……イヤ、私服より無理してる感じがしない、ってことだが。」
「…そう見えるかしら。」
そして、フィンデルは視線を落とした後、足早に離れるようにして先行した。
一瞬、その態度に足を止める戒。
「……おい、行くってよ…。」
気を取り直して脇の世羅に声をかけると、彼女はそわそわと艦内を物珍しそうに、ぺたぺたと
壁を興味深そうに触りながら、小動物のようにフィンデルの後を追って走って行く。
「女ってのは……わからん。」
戒は二人を最後尾で眺めながら、一言呟いた。
◆
どこも似たような通路を超え、しばらく廊下を歩き続けると 大きな銀鎧を纏う長身の男が目に付いた。
その男はフィンデルに会釈をする。
彼女も平静を装って、会釈を返した。
「…聖騎士…だと!?」
「…え?」
だが、彼の姿を目にした途端に発せられたの戒の言葉に、すぐさまフィンデルが反応する。
鎧の肩と胸に刻印された大きな赤い十字架。
戒は、過去に神学校の定期集会で呼ばれた聖騎士が全く同じ鎧を着ていたのを思い出していた。
騎士の外見というものは国によって様々なれど、聖騎士と呼ばれる者達は必ず同じ甲冑を身に着けている。
それは現在の大陸で一番普及しているクレイン教の総本山…『聖都』で洗礼を受けている証拠でもあり、
それがことあるごとの神学校への来訪に繋がっているのだろう。
老いた聖騎士が行事の度に学校を訪れ、長々と延々スピーチをする…。
欠伸を連発するような退屈な話だった。
いつも列の後ろの方で悪友達と私語をしていた、故郷でのその光景が少し懐かしい。
「せ…聖騎士…でいらしたんですか?」
腕を組んだ彼の全身を細かく見渡しながら、フィンデルの声が緊張でうわずった。
軍隊に入っていても、聖騎士と呼ばれるものが特別な存在であることは知っている。
神と教団への絶対の忠誠のため、その重い鎧は決まった時以外脱ぐことがないとか、
真に大陸の平和の為に尽くしていると教団に認められた者のみなる事ができるとか―――
大抵が噂話だったが、中でも重要なのは、時に施行される大陸全土に影響するクレイン教の法王の勅命。
それは国と人種の枠を超えて、聖騎士達を任務の遂行へと向かわせる。
教団の意にそぐわないという理由で、各地の聖騎士達に粛清を受けた国や豪族達が歴史上には
幾つも存在した。
たとえそれが自国であろうと、聖騎士達は私情を捨てて冷酷にその命に従った、とも聞く。
それゆえ、各地に聖騎士を任命するのは、教団が世界を監視する為の一つの名目とも言われているほどだった。
「君は…修道士か。
その服は、レティーンの神学校のようだが。」
「ええっ!?」
戒の着る、黒の修道服に対する鎧の男の言葉に、世羅とフィンデルは同時に驚愕の声をあげた。
「何だよ、今まで気付かなかったのか?お前ら。」
「私はてっきり…」
「ボクはてっきり、盗賊団のボスかと思ってた…」
言いたいことを世羅に先に言われて、フィンデルは思わず言葉を飲み込む。
彼女にとっては聖騎士云々よりも、こちらの方が驚きとしては大きい。
「…色々と誤解があるようだな…。」
二人からの言われように、戒はこめかみを痙攣させながら言った。
「ところで……この部屋で宜しいのか? 副艦長殿。」
「あ…そ、そうです。」
鎧の男の問いに、フィンデルが我に返り、頷く。
そして、目前の扉を二回ノックして一歩踏み出した。
「ペッポ艦長。
フィンデル中尉、失礼します。」
雨戸まで締め切られた薄暗い室内では、寝巻き姿でベッドに横になっている優男。
脂汗を額に浮かべ、シーツを幾重にもかけて小さく唸り続けている。
「病気か?」
戒が思わず飛び出す。
「いいえ……乗り物酔いよ。」
フィンデルは恥ずかしそうに呟いた。
「…あんた、今、こいつのことを『艦長』って呼ばなかったか?」
「ええ…呼んだわ、確かに。」
室内全体を包む重い空気と沈黙。
皆が一様に動きを止める中、最初に動いたのはやはり戒だった。
「おい!」
そして、横たわるペッポの胸倉を乱暴に掴み上げて一気に持ち上げる。
「『客』だ。 起きやがれ!!」
さらに、自分自身を指差し、堂々と言う。
「?…な!?…!!?…なに?」
ペッポは急に起こされた衝撃で立ちくらみを起こしながら目玉を剥き、ずれた寝巻きの帽子と
ズボンを直しながら叫んだ。
戒の片手一本で軽く持ち上がる、筋肉の殆どついてない痩せた体は、およそ軍人とは思えない。
「きゃ…『客』って…!? …きみたちは一体…!?」
目をこすり、周りを数回見渡して、やっとのことで室内の四人を確認する。
そして、すぐに鎧の男に目を留めた。
「……!?」
「これが初陣とお見受けします。
聖騎士の名にかけて祝福いたします。 ペッポ艦長殿。」
机の上に置かれた真新しい軍服を見るなり、マクスは微笑みながら敬礼する。
「フィンデル! どういうことか説明しろ!!」
「はい。」
フィンデルはペッポの動揺を軽く受け流すように返事をし、両の踵を合わせた。
「マクス氏は我が国、中王騎士団・飛翔艦部隊所属の戦闘騎の操縦士です。
演習中に母艦とはぐれてしまったらしく、偶然居合わせた本艦に補給を求めて参りましたので、
即時保護いたしました。」
感情的なペッポに対し、冷淡に事務的な態度で臨むフィンデル。
残る三人は後ろで、ただ黙ってその様子をうかがっていた。
「騎士…しかも、よりによって中王騎士団だって……!?
こっ…こんなことが もしもパパに知れたら……。
な、なんて勝手なことをしてくれてたんだ!!」
「…何言ってる?
同じ国の者同士、どこが都合が悪いってんだ?」
戒が素朴な疑問を口にした。
「実は、中王都市の軍事組織……我々の中王騎士団と 彼ら中王都市軍は犬猿の仲なのだ。
他国の者から見れば、まったくおかしな話ではあるがな…。」
真面目な顔つきで、マクスが彼に耳打ちする。
「す、すぐに放り出せ、フィンデル!
補給なんて絶対に認めないぞ!! 騎士なんて野たれ死んでしまえばいい!!」
「……同じ国に属し、心身を削る同胞として、それは賢明な判断とは言えないかと。
それに仕方なく副艦長権限を使わせていただいたのは、艦長ご自身が不在だったため。
勿論、これは全て私の独断です。
処罰は いかようにでもなさって下さい。」
フィンデルの凛とした虚言に、マクスは彼女の顔を一瞬見た。
「う…う……。
処罰ったって…そんなことしたら、誰がこの艦の指揮をとるんだよぅ……。」
そんな彼女の態度に、一転して口ごもるペッポ。
「拘束、謹慎、どのような罰に対する覚悟も出来ております。」
「……いいよ…不問だ。
…その件は…全部任せる…。」
「ありがとうございます。」
深々と頭を下げて、悟られないよう深く息をつくフィンデル。
無能な上官に対する自分の意地悪い計算に、少し胸が痛んだ。
「ところで…そっちの二人は?」
ペッポが、今度は世羅と戒へ顔を向ける。
「世羅=ディーベンゼルクさんと戒=セバンシュルド君。
二人は中王都市までギルドの依頼を果たすため、本艦に搭乗許可を得に来ました。」
「ふ……ん……」
あからさまに世羅の比率を多く、二人の顔を交互に眺めるペッポ。
「世羅って娘はいいよ。
でも、そっちの戒ってはダメだね。」
「あ?」
思わず、戒はペッポに近付いた。
「態度が生意気だから。」
「てめえ……!」
「どうか、お願いします。」
戒がペッポに再び掴みかかる寸前で、フィンデルが慌てて言った。
「冗談だよ。
まったく、野蛮なやつだ…。
でもこの艦で空いている部屋は一つだけのはず。
それもブタ小屋みたいに汚い部屋だよ、どうするの?」
「あ……。」
フィンデルは思わず、手を口に当てた。
ルベランセは元々戦艦を改装したもので、膨大な物資を運ぶには適していない。
隊員達の部屋は使用分を除き、その区画のほぼ全てを物資を積むために流用してしまっていた。
マクスと戒達の処遇をいかに上手く誤魔化して認めさせるか、それだけを考えていた為に
そこまでは頭が回っていなかったのだ。
「でも、安心しなよ。
この艦では、綺麗な子はそれなりの扱いをするからさ。
ブタ小屋行きは、生意気そうなその男だけ。」
「それは……どういうことでしょうか?」
ペッポの思いつくことが良いためしなど今までに殆ど無い。
故に、それが名案であるという期待は全くせず、フィンデルが一応訊き返す。
「君は、この部屋に泊まるといいよ。」
世羅に近付きながら、いやらしい笑みを浮かべるペッポ。
フィンデルも、その破廉恥な言動を平然と行う彼の様子に肩を落とした。
「このクソ野郎…」
拳を握る戒。
既に鼻を伸ばしたペッポの顔面に照準を合わせている。
「いや、ボクは戒と一緒の部屋だよ。」
「え?」
だが、さもあたりまえのように言う世羅に、戒は拍子抜けした。
「ボクら一緒に旅をするって約束したんだから。
ね、そうだよね、戒?」
「……ま…そうは言ったが……。」
あまりに急な彼女の言葉に思考が止まる戒。
そんな様子の彼を、白い目でペッポが覗き込む。
「きみたち……付き合ってるの?」
「付き合ってねえよ!!」
即、否定。
だが、それによりフィンデルまでもが白い目に豹変する。
「でもそれって…余計に問題あるわよ!」
「おい、あんたまで…!!」
土壇場での意外な障害に、戒は戸惑った。
「―――いや、安全でしょう。」
そんな中、マクスは静かに口を開いた。
「敬虔なクレイン教徒は、一生涯女性を断ちます。
レティーンは『神都』と呼ばれるほどの国。
彼はその神学校出身なのですから、相当身が堅いと思われますが。」
「……本当に?」
マクスの言葉を聞くが早いか、ペッポとフィンデルが戒を問い詰める。
「…そういうことだ。」
一瞬の判断、戒は真っ直ぐ向いて答えた。
「だから…あいつと同室というのは…むしろ、ガキの子守みてえなもんだな。」
さらに、既に話に飽きて、室内に飾ってある奇妙な民芸品の人形を弄くり回して遊んでいる
世羅に目を配る。
「なーんか…腑に落ちないな……う!?」
世羅の方を未練がましい目で見た直後、ペッポは皆が見ている前で口を両手で押さえて屈みこんだ。
突然の他人の来訪で麻痺していた感覚が再び戻り、視界が歪む。
「艦長?」
「いい!…いい!
もう面倒だよ!! 彼等の件は…ぜーんぶ、フィンデルに任せるから…」
青い顔で、フィンデルに肩を抱えられながら、情けない姿でベッドへ戻るペッポ。
「それでは……失礼いたします。」
微笑を浮かべながら、フィンデルを一番後にして、部屋を出て行く四人。
「……あとで…バケツ…持って来ましょうか?」
そして扉を閉める直前に放った副艦長の言葉に、艦長はシーツの中から左右に手を振った。
◆
「大変失礼いたしました、マクスさん。」
艦長室の扉を閉めてすぐに、聖騎士に頭を下げるフィンデル。
「いや……。
中王都市において、軍隊と騎士との間の深い溝はある程度覚悟しておりますゆえ。
それに…結果的に何とかなったので良かったといたしましょう。」
「そう言ってもらえると助かります。
しかし、貴方の部屋はどういたしましょう…。
先程聞いた通り、今、この艦には空き部屋が無くて…。」
「ご心配なく。 我々は戦闘騎の中で睡眠できるよう訓練しております。」
マクスは淡々と言った。
「……なあ、ところであんた、固そうに見えて機転が利くじゃねえか。
おかげで助かったぜ。」
そこで、聖騎士の肩の鎧に笑顔で気安く触れる戒。
マクスも微笑んで返す。
「機転?」
フィンデルが言った。
「『女断ち』の話だ。」
戒が笑顔のまま答える。
「嘘だったの!?」
声を荒げて戒に詰め寄るフィンデル。
「嘘言ったのは、俺様じゃねえだろうが!!」
「……う。」
「…聖騎士には文句言わねえのか!?」
そして急に黙りこくった彼女に、戒は口を尖らせた。
「なに、あの程度なら嘘にはなるまい。
それに…機転という点では副艦長殿には敵わんよ。」
その様子に苦笑しながらマクスが言う。
「さして事情を知らない貴女が独断で私の着艦を許可したという話…。
実際に許可した乗組員を庇うためか? それとも私を庇うためか?」
「りょ…両方です…。」
「…そうですか。
……貴女には感謝の言葉も見付からない。」
「……あ…」
フィンデルの手を両手で握り、片膝を落とし、頭をその手よりも下げて最上級の敬意を示す聖騎士。
「こいつは…ごちそうさまだな。」
すっかり耳まで真っ赤な色に染めた彼女の様子に、戒が脇で眺めながら呆れかえった。
「何か…内緒で食べたの?」
戒のその小さな独り言を聞いた世羅が彼を見上げて見当違いの言葉を放つ。
「……そういや、腹が減ったな。」
面倒なので説明はせず、戒は夢心地のフィンデルに聞こえるように、わざと大声で言った。
「そ、そうね。
それじゃあ、部屋を案内するから、そこに荷物を置いてから食堂に行きましょうか。
それと……」
戒の言葉で現実を取り戻した彼女は、惜しむように手を離し、そのままマクスを見詰めて口を開く。
「良かったら……マクスさんも…ご、ご一緒にいかがですか?」
伏せ目がちに、彼女はたどたどしく言った。
「折角のお誘い、申し訳ないが私はこれから格納庫へ。
あの整備の方と機体の整備をする約束をしましたので…。」
挨拶もほどほどに、マクスは会釈をした後、廊下を真っ直ぐ歩いて消えていく。
それを、フィンデルはうっとりとしたまま、口を半開きにして暫く見送っていた。
しかし、それと代わるようにして、廊下の置くから極端に小さな影が近付いてくる。
「梅さん…?」
それに気付いたフィンデルが、唇をわずかに開いて呟く。
その影は一匹の猫だった。
「梅さん?」
「なんか偉そうだな、猫のクセに。」
世羅、続けて戒が言った。
「もう16年もこの艦に居るの。
誰よりも先輩だから、みんな『さん』を付けてるわ。」
中腰になって、手を伸ばすフィンデル。
「おいで。」
梅は彼女の声に導かれて、トトトと音もなく足早に寄ってくる。
「…可愛いね。」
しかし、世羅が近付いた瞬間、方向を転換。
何度も向き直りながら、再び廊下の隅に隠れる。
そして その毛の色は白と黒の『ぶち柄』から、みるみるうちに赤一色に染まっていった。
そして一瞥くれてから、廊下の奥に消えていく。
「……。」
手を伸ばしたまま固まっている世羅。
「気にしないで。 けっこう好みが激しいの。
ウチの艦長のことも嫌ってるし。」
そんな彼女に対して、フィンデルが優しく声をかける。
「なんか……色が変わってたぞ。」
戒が廊下の奥を指差したまま言った。
「気分で変わるみたいなの。 色とか模様とか。」
「気分だって…?
ただの猫じゃねえのか?」
「さあ?
詳しくは知らないわ。
彼女には、色々と伝説が残されているけれど…。」
「伝説?」
「絶滅した貴重種の生き残りとか、実は正体は魔女とか、犬以上に鼻が利くとか…」
「……くっだらねえ。 さっさと荷物を部屋に置いて、メシだメシ。」
今度は戒が先頭になって廊下を突き進む。
たったひとつの とても小さな猫の鳴き声が、誰も居なくなった廊下に、静かに響きわたった。
◆ ◆
2
◆ ◆
指示された部屋。
ただ扉を開けただけで舞い上がるカビと埃。
その中で荷物を降ろす。
「依頼品はちゃんとベッドの下に隠しておけよ。」
「うん。」
世羅は素直に従って、部屋に一つしかないベッドと床の隙間に刀を入れた。
生活環境に対してタフらしい、平然とした彼女。
普通の女とは違って、色々と手間はかかりそうも無く、戒は安堵する。
「……食事前にお風呂にでも入りたいね。」
「なに!?」
だが、直後の唐突な言葉に驚く。
「さっぱりしたあと食べるごはんは美味しいんだよ?」
「…バカ。
…空では水は貴重なはずだ。 風呂なんてあきらめろ。」
「じゃあ、ここの人達は汗やホコリで体がべとべとになったらどうするの?」
「濡れタオルとかで拭いてるんじゃねえか? 節約の為に。
大体、風呂なんて三日くらい我慢出来るだろ…」
だが、そこで世羅が瞳を潤ませているのを見て言葉を止める戒。
じわりと足が痛んだ。
(……俺のせいか。)
戒は、その理由が分かると押し黙り、足を押さえながらベッドに座り込んだ。
「仕方ねえな…そのことだったら俺様が何とか…」
戒が言葉を途中で切らす。
泣きそうな顔から一転、満面の笑顔の世羅が同じベッドに飛び乗ってきたのだ。
「…世羅!?」
「うごいてる!!」
「動いてる!?」
「飛び立つんだ……この船…!!」
ベッドの脇の小窓を覗く、満面を好奇の表情に変えている世羅。
促されて見ると、既に飛翔艦は海面から離れようとしていた。
稀に見る巨大な質量の乗り物である。
相当の揺れを覚悟していた戒は、肩透かしを食らった気分だった。
ほとんど無音で、無振動。
戒は、静かにゆっくりと動き出す自分の乗っている物体に、普通の技術とは違う何か不気味なものを
感じざるをえなかった。
空を往く行為とは、もしかしたら人智を超えたものではないのだろうか。
そんな気さえする。
はじめはわずか、だが段々下へと遠ざかっていく見慣れた景色。
港町で過ごしたわずかな時間と記憶も遠ざかっていく。
「…意外と……静かなもんだな。」
「見てよ、戒!!」
若干の感傷に浸る戒の耳元で世羅が騒ぐ。
「戒の友達…。
みんながお別れをしているよ!」
小さく粒のようだが、見慣れた顔。
誰もが手を振っているのが見えた。
「最後まで暑苦しい奴等だ…。」
「応えてあげなよ。」
「無駄だ。
向こうから こっちの姿は見えねえ。」
―――それは向こうも分かっているはずなのに。
戒はその光景をすぐに心の中へ押し込んで、目を離した。
決意を鈍らせる余韻からは覚めなければならない。
自分は進まなければならないのだ。
◆ ◆
「うあ、せんべい割れてるっすよ…。」
「ケーキもクッキーも、形が崩れてるの…。」
「乱暴に扱ったんじゃなかったでしょうね! 副長?」
必死の思いで運んできた品に対し、口々に不満を漏らすブリッジの面々。
故郷への出発と共に、和やかな時間が流れていた。
「…あのね…。それどころじゃなかったのよ…。」
しかし、当のフィンデルは疲れきった顔で応える。
「……それよりも、随分、勝手なことをしてくれたそうじゃない?」
「それについての処分は覚悟しています。」
彼女の言葉に、ヂチャードが立ち上がる。
「待ってくれ、副長。
やむをえない状況だったんだ。 別に彼は悪くない。」
そこでリードは言った。
「そうっす、大体、あの艦長さえしっかりしていれば…」
「わかってるわ。
……この件は不問にしておきます。」
タモンの言葉を制するフィンデル。
「え……?」
「艦長が居ないのに外に出てしまった、私の方にも非はあるってこと。」
一同が驚く中、フィンデルは続けた。
「それに私達はいくら軍属っていったって、戦闘部隊じゃないし。
そうきつく締め上げてもしょうがないでしょう。
それよりも、進路をとってくれるかしら? 中王都市が私達を待ってるわ。」
「……ありがとうございます。」
ヂチャードが頭を下げる。
「さすが、話が分かるっす。ウチの副長。」
喜びの声をあげるタモン。
メイもリードも思わず笑顔をこぼす。
こういう甘い性格が威厳を損ねるのだろうか、フィンデルは喜ぶ彼等の様子に少し複雑だった。
争いが嫌いな性分。
故にいつでも他人に合わせて生きてきた。
そんな太い芯も持たない自分が何故、軍隊などに属し、飛翔艦に乗っているのだろう?
―――ただ流されて 何となく『ここ』にいるのではないか。
自分の年齢を感じはじめてから、よく疑問に思う。
ガラス越しの空。
それはいつでも『そこ』にあったが、答えてくれることは無かった。
◆ ◆
小さな食堂に、人の姿はまばらだった。
おそらく、食事の時間も回数も隊員それぞれなのだろう。
料理のカスや汁が飛んだままのテーブル。
向きも適当で引き出されたままの椅子。
そこには風紀も何も無い。
「少なかったね…料理。」
「仕方ねえだろ。
この飛翔艦にとって俺様達は『余計』なんだ。」
テーブルに付けている世羅の腹が重低音を響かせた。
自分が半分も食べないうちに すっかり平らげた皿。
戒は小さな少女の旺盛な食欲に呆れ返っていた。
「いっそのこと、この椅子でも食ったらどうだ?
料理の味的には そんなに変わらないと思うが。」
ゴムのようなパスタを噛みながら、味も素っ気も無いポテトをフォークですり潰す。
「そんなことないよ。 ボクは好きだな……」
「お気に召したのかい? ルベランセ名物、『ブタも食わない空中料理』が。」
唐突に鉄製のトレイが顔の横に出現する。
「!?」
振り向いて見上げる世羅。
そこには頭にターバン交差して巻く、中年の太った男が食事を差し出していた。
「食いな。」
「………!?」
目をぱちくりさせる世羅を見て、その男は目を細めて微笑む。
「若い時は、気の済むまで食っとくもんだぜ、お嬢ちゃん。」
「いいの?」
「……なに、丁度処分に困っていたところだ。
それに……」
ニイ、と歯をむき出して笑う。
「俺にはこれがある。」
もう片方の手に隠し持つ二本の酒瓶。
「……じゃ、いただきます。」
世羅は瞳を輝かせて、料理を男の手から奪うように取った。
「……くっくっく…がはは!
そうだ、子供はそれでいい。」
見ている方が恥ずかしい気持ちにさせられる世羅の振る舞いに、戒が思わず黙り込む。
そんな彼を尻目に、上機嫌の太った男は千鳥足で別の席へと歩いて行った。
そして戒が何気なく彼の動きを追ったその時、フィンデルが周囲を見回しながら食堂に入って来た。
◆
「遅れて悪いわね。
あ、食事をしながらでいいから…」
何故か二人分の料理を相手にしている世羅を凝視しながら。
フィンデルは席につくなり、書類とペンを取り出した。
「これから搭乗証を作るの。
ちょっとした質問に答えてくれるかしら?」
「ああ。」
「二人の出身は?」
「二人とも瑠邑の国。」
世羅が料理を口に詰めたまま言った。
「……あの五星島の近くの?」
「とても小さな国だぜ、よく知ってるな。」
「そりゃあ、飛翔艦発祥の地だもの。」
「そうなのか?」
戒の驚きの言葉に、フィンデルがさらに驚く。
「知らなかったの?」
「俺様はそこで生まれただけで、育った国は違うからな。
お前は知って…」
戒はすぐさま世羅に聞こうとしたが、彼女のへらへらした笑顔を見て止めた。
「ボクも初めて聞いたよ。」
そして返される、予想通りの答え。
「そういえば……戒君は何故、中王都市まで?」
「……言わねえと、何か問題でもあるのか?」
「そういうワケじゃないけれど…。」
「まあ、聞かねえと納得がいかねえわな。
あんな目に遭ったからには。」
「……。」
思わず、フィンデルが苦笑する。
「中王都市には大きな大学があるだろう?」
「……まさか…。」
「『まさか』って何だよ?
仮にも神学校の推薦で入学試験を受けに行く、俺様に対して。」
「へえ……。」
フィンデルは感嘆の言葉を漏らした。
「世羅さんの方は…仕事だったかしら?」
「世羅でいいよ?」
「じゃあ、世羅…ちゃん。
…あなたは いつも独りで依頼をこなしているのかしら?
まだ若いのに偉いわね……。」
「ううん、ギルドでの仕事は初めて。
今までは傭兵団に居たから。」
「傭兵……。
ちなみに、年齢を聞いてもいいかしら?」
「16。」
世羅が何気ない表情で答える。
「16……!?」
「どうしたの?」
驚くフィンデルに、世羅が訊く。
「年齢の割には、あんまりガキっぽいから呆れているんだろ。」
「……そうなの?」
憎まれ口を叩く戒に、世羅は真面目な顔で返す。
「…ちがうわ。
16っていったら、私が まだ仕官学校にいた年齢だから…ちょっと驚いただけ。」
力なく笑う。
「ちなみに、俺様はそれの一つ上だ。 ちゃんと記しておけよ。」
「……はあ。
若いっていいわね。」
フィンデルはしみじみと言いながら、搭乗証にペンを滑らせた。
「ところで、お前よ、何で中王都市なんだ?
仕事の依頼だったら、ギルドには腐るほどあったろうに。」
戒が世羅に訊く。
「そこへ行けば、『飛翔艦乗り』になれるって聞いたんだ。」
「…なってどうする気?」
その答えに、フィンデルは声を上げた。
「わかんない。
どうするかは、なってから決めるよ。」
あっけらかんとして続ける世羅に、彼女は唖然とした。
「そんなことで……なれると本当に思ってんのか。」
戒は瞳を閉じながら言った。
「うん。
なんとかなるよ、きっと。」
皿の上に残った最後のポテトを平らげて、世羅は椅子から飛び降りた。
「あ、ちょっと…」
反射的にフィンデルは彼女に手を伸ばすが、世羅はそのまま、小走りで去って行く。
「あいつ…世界的なバカかもしれねえな。」
「ある意味……羨ましいわ。」
「本気かよ?」
戒が肩をすくめる。
「…ところで、戒君。
……ちょっといいかしら。」
だが彼女はそこで急に姿勢を直し、真面目な顔つきで戒に対面した。
「……さっき年齢を聞くまで特に心配してなかったんだけど…」
口ごもりながら小さな声で言う。
「…なんだ? 言いたいことはハッキリ言えよ。」
「彼女と…一緒の部屋で…その……絶対に『間違い』は起こさないでね?」
「…………。」
長い沈黙。
「…世界的なバカだぞ?」
そして、戒は手にしたフォークを彼女に向けて逆に聞き返した。
◆
太った中年の男は、大剣をテーブル脇に置いて既に一杯やっている男のテーブルについた。
「おい、バーグ!
公共の場に そんな物騒なモノは持って来るなと言ったろう?」
そして椅子に深く腰を下ろすと、彼はすぐさま言う。
「何度言ったら分かるんだ。お前は戦闘騎のパイロットなんだ。
もっと誇りと気品を保て。 ……この青く雄大な、大空のようにな。」
「うるせえよ、今は夜…。
沼より深い、絶望の黒い闇だぜ、リジャン。
まったく、ことあるごとに説教たれるんじゃねえよ……。」
バーグと呼ばれた大柄な男は、バーボンを片手に面倒臭そうに言った。
「……いつまでも一匹狼的な気分じゃ困るぞ。
ここは軍隊だ。
団体生活もあれば、規則もある。」
リジャンと呼ばれた太った男は、まだ続けた。
「ここへ来て、もう一ヶ月だろう?
その間、お前が乗組員達とまともに喋っている所を見た事が無い。
今までどんな生き方をしてきただろうが関係ない、お前は二等兵、ここでは一番下っ端だ。
それなりに気を使って、他の連中とコミュニケーションを図るべきだと思うぞ。
それに…いくら同じ戦闘騎チームとはいえ、曹長の俺や軍曹のミーサに対しても敬意を…」
バーグはリジャンの長い説教に、舌打ちをしながら無精髭をさすった。
「……俺は…剣士だ。」
リジャンを睨み付けながら、テーブル脇の剣を取り、立ち上がる。
「…どこへ行く? もう飲まないのか?」
「飲む気分を削いだのは……お前だろうが。」
さらにバーグは額に巻いた小さなベルトを締め直し、食堂を後にした。
一方のリジャンは赤ら顔のまま、彼の様子を特に気に留めずに、持参した酒のコルクを歯で抜く。
「……けんか…したの?」
そこで、尖った赤いリボンがテーブル下から上がった。
「ん。」
瓶の中身のアルコールを一気に半分ほど胃に流し込んでから、口を結んで声の方へと向く。
そこには、さきほど自分が料理を与えた少女が テーブル脇に屈んでいた。
リジャンは酒瓶をゆっくりテーブルに置いた。
「…なに、いつものことさ。
俺達は戦友なんだ。
だから少し時間が経てば、また仲良くなるのさ。
……心配してくれてありがとうよ。」
そう言って、世羅の頭を撫でるリジャン。
「ねえ、この艦の中、探険してもいいかな?」
「ああ、勿論さ。
特に甲板に近い廊下の窓は、夜空の星が最高に綺麗に見えるぞ。」
「見たい! どこにあるの?」
「ふ、『客』を案内するのも隊員の役目ってね…」
―――テーブルに、二つの酒瓶を置いてきぼりのまま。
リジャンは立ち上がって世羅の手を引き、食堂を後にした。
◆
「あの聖騎士さま、まるで伝説に謳われる神使のようだって思いません?
美しい顔つきで……まるで彫刻みたい。
ううん…中王教会の大天井に描かれた絵にも……似てたかも。」
「ミーサはロマンチストね。」
「えぇ…?そんなこと…ないです…」
「いい年こいて、目の前で女学生みたいな会話しないでくれねえか?
メシが不味くなる。」
皿に残した料理をちびちびと食べながら、テーブルで読書をしながら戒は言った。
「一体何なんですか、副長。
この失礼な男は…修道士って聞いたから、どんなに礼儀正しい人かと思ったら…」
ミーサは久し振りに隊員以外との楽しい食事を期待して、急いで用事を済ませてかけつけたというのに
非常に損な気分にさせられる。
「世の中の修道士が全員礼儀正しいだって? 随分勝手で誇大な妄想だな。」
戒は本のページから目すら離さずに言った。
その態度が、さらにミーサの神経を逆撫でる。
「……ところで、もう一人居るって聞いたけど…」
「さあな。 ひととおりメシを食ったらどっか行っちまったよ。
まったく落ちつかねえ奴だ。
しかも…よくもまあ、こんな不味いメシを二人分も食えたもんだぜ。
あとで腹でも壊さなきゃいいけどな。」
「……食べさせてもらってるくせに!!」
「まあ、作っているのは彼等だから…。
でも人間の味覚も知らず、限られた食材でよくやってる方じゃないかしら。」
怒りで肩を震わせるミーサを抱き、厨房で働く覆面姿の小人達を脇目に、作り笑いを浮かべるフィンデル。
「…中王都市では、あいつらのことをまるで人間じゃないみたいな言い方をするのか?」
戒は言った。
「…!」
特に意識もしていなかった言動を指摘され、フィンデルがハッとする。
「経費削減のために被支配階級を使うことくらい、先進国ならどこもやってるわよ!」
ミーサは返した。
「俺様は単に社会勉強のために他人の意見が聞きてえだけだ。
それも、お前みたいな三下じゃなくて、フィンデルみたいに地位がある奴の、な。」
「なんですって!?
大体、副長を呼び捨てにするなんて……」
「黙れ。 俺様は確かに若いが、それなりの修羅場を潜り抜けてきた。
こんな狭い船の中で閉じこもりきりの奴等よりは、よっぽど世の中のことを知っているつもりだ。」
「な…な……!」
「いいの。ミーサ。
ごめんなさいね。 人には……色々と事情があるものだもの…ね?」
爆発寸前のミーサをなだめ、フィンデルは戒に言った。
「わかりゃあ、それでいいんだよ。」
そんな彼女のはからいもまるで意に介さず、今度はテーブルの上に足を放る戒。
(やっぱり、私…こいつ嫌いだ……)
その悪態に我慢の限界を感じるミーサ。
そんな中―――
「ところで……この艦に、シャワーはあるのか?」
両の目を閉じ、急に戒が言う。
「シャワーですって!?」
その言葉に対し、ミーサが声を荒げる。
「とんでもないわ! 水は空じゃ一番貴重なの!
この飛翔艦の搭乗員だって、どんなに水を浴びたくても体を拭くくらいで済ませてる。
…これだから素人は!」
「違うわ、ミーサ。」
フィンデルは穏やかな表情で彼女を制した。
「別に…戒君が浴びたいわけじゃ…ないのよね?」
「………。」
仏頂面のまま、何も答えない戒。
「10分くらいなら…そして一人なら許可するわ。
シャワー室は、機関室の横。
もう何十日も使われていないから、色々不具合はあるでしょうけど。」
ミーサはフィンデルの顔を見た。
彼女は今まで見たこともないような優しい顔で笑っていた。
「おい。」
だが、そこで突如としてテーブルが影に覆われる。
三人は思わず天井の照明を見上げた。
その影の原因。
それは大きな剣を背にし、軍服の上着の前をだらしなく開け広げ、無精髭を生やした屈強な体つきの人物。
指先と軍服は油まみれで、顔もすすだらけ。
どうやら、彼が格納庫で『苦戦』したのは明らかだったことをフィンデルとミーサは直感する。
「バーグさん……。
紹介するわ。
こちら、戒=セバンシュルド君。彼は修道士で、中王都市まで…」
他を圧倒する彼の様相に、フィンデルが少し気後れしながら言った。
「そんなこと、どうでもいい。
それより…」
息を大きく吸い込む男。
「機体の整備をしたいのでね。
手伝っていただけませんかね、ミーサ軍曹殿。」
「…何? どしたの?
妙にトゲのある言い方して…。」
「へえへえ、どうせ、わたくしめは所詮軍隊見習い、二等兵の身分でございます。
ゆえに自分だけでは どうしてもわからねえ部分が沢山あるんです。
だから……どうか、直々にご教授いただけませんかね。」
「リジャンにまた何か言われたのね…。
分かったわ。
行きましょ、私……今、すごく暇だし。」
立ち上がり、戒を見下ろす。
ミーサの様子に、戒は特に気にも留めず、本を読み続けていた。
◆
二人が去った後。
戒を頬杖を突いて眺めながら、フィンデルは口を開いた。
「戒君って、面白いわね。」
「……失礼だな。」
「そうじゃなくて、何事にも動じない、ちゃんと『自分』を持っていて羨ましいってこと。」
「……妙なこと言いやがって。」
戒が本を開いたままテーブルに置く。
「自分ってのは、この世で一番なんだぜ?
自分がしっかりしてねえ奴が、他人をどうこう出来るはずもねえ。
……まず自分あっての他人だ。 そうじゃねえのか?」
戒は、自分に言い聞かせるように言った。
「……しかしまあ、他人を羨んでいる時点で、あんたは論外だけどな。」
別段、責める気は無いのに、口が勝手に動く。
「……そうね。」
反論もせず、フィンデルは目を伏せ。
「私にも天命の輪があったなら…才能があったなら……そんな風に、きっと自分に自信がもてるのにね。」
そして本当に小さく、つぶやいた。
「才能?」
しかしそれを聞き取った戒が声を荒げる。
「……普通の人と違う力は才能よ。」
「ふざけるな。
これが…才能? こんな…中途半端な能力がか?
こんなものをもって生まれたことが いかに残酷か……お前にはわからねえだろうよ。」
右手の指を左手で包みながら立ち上がる。
「俺様は俺様だ。
たとえ、天命人で……なくたってな。」
感情的に席を離れる戒。
それがフィンデルにとって初めて、彼の若さと幼さを感じた瞬間だった。
◆
3
◆
「遅かったな。」
深夜。
世羅が部屋に戻ってくると、ベッドの上の戒は読んでいた本をすぐさま閉じた。
「えへへ、きれいな夜空を見てたら、時間を忘れちゃった。
リジャンっておじさんが楽しい場所に連れていってくれたんだ。」
そう言って笑う世羅を、戒は冷めた目つきで眺めて立ち上がる。
「来い。 風呂は無理だが、シャワーは浴びることができるらしい。」
「ホントに!?」
「汗を流せるのがそんなに嬉しいか?」
「うん!」
「そうか。
でも別にお前を喜ばせるためじゃねえぜ。」
戒が世羅の顔に人差し指を近づける。
「これで、貸し借りは…チャラだからな。」
「…なんのこと?」
「……いいからついて来い。
今日は疲れたからな、さっさと済まして寝るぞ。」
「あ…とと……待って!」
戒が急かすのをよそに、世羅は自分の荷物の方へ移動する。
「えへへ……石鹸とタオル。」
取り出した入浴用具を抱えて、先に廊下を進む戒に並ぶ。
廊下には、わずかな光を放つ小さなランタンが一定の距離で掲げられていた。
そして廊下のガラスの先に大きな月を臨みながら、二人は靴の音を響かせて歩いていった。
◆ ◆
「くそっ! くそっ!!」
冷え込んだ格納庫奥で、バーグが大きく呻く。
戦闘騎の内部。
一度外して掃除した小さな歯車を再び元の位置に戻すだけでも、
彼の大きな手先では一苦労であった。
さらに焦りが精度を狂わせて、きちんとした位置にはまらない。
「畜生! 向いてねえ…向いてねえんだ!!」
バーグは手にした歯車をついに放ると、その場に大の字になった。
「短気は損気。
慌てずに、ゆっくりやってみなよ。」
ミーサは転がった歯車を拾い上げ、油を注いで綺麗にしてから、バーグに優しく返した。
だが、彼は一旦はそれを受け取ったものの、もはや立ち上がる気力を失っていた。
「なあ…おまえも内心は思ってるんだろ?」
「何を?」
「俺は操縦士には向いてないってことだ……。」
「そんなこと…」
ミーサが視線を床に落として黙り込む。
全て言わずとも、その反応だけで充分だった。
バーグは仰向けの態勢から自分の腕を枕にして横になる。
「とどのつまり、剣士以外、不器用な俺の生きる道はねえんだよ…。」
「そんなのわからないってば!
まだここに来て一ヶ月くらいなんだし……。」
「なぐさめはよしてくれ。」
バーグは自分の顔面を分厚い左の手の平で覆い、携帯用の度の強い酒を取り出して一気にあおった。
「……俺がこの一ヶ月で教えてもらった中で一体どのくら会得できた?
操縦も満足に出来ねえ。
整備だって手間かけさせる…。
おまえもリジャンも、さぞ迷惑だろうよ!!」
「そんなことないよ!!
それに…はじめっから何でも出来る人なんて…どこにもいないんだから…。」
「だから、なぐさめるな!
余計にむなしくなるんだよ…」
横になった体制によって、奥にある銀無垢の戦闘騎が目に入る。
バーグはおもむろに立ち上がった。
「…あー、面白くねえ…。
ピカピカしやがってよぉ…」
さらに近付いて指紋を塗りたくる彼。
「もし、操縦席の中に小便ひっかけたら、持ち主はさぞかし困るだろうなあ。
ひゃはは。」
完全に酔いが頭に回っている様子だった。
言いながら、バーグはズボンを下ろし始める。
「みっともないよ! バーグ!!」
「うるせえ! 俺は騎士ってのが大嫌いなんだ!!」
「ダメったら!
それの持ち主は副長のお気に入りなんだから!」
「あ…?
副長? あのねーちゃん、年甲斐も無く、聖騎士さまにときめいちゃってるってのかぁ!?」
「恋愛に…年齢は関係ないでしょ!」
「なにムキになってんだ?」
ミーサは目を開いて少しの間固まった。
だがすっかり酔い、正常な判断を欠いている今のバーグを見て、覚悟を決めて口を開く。
「…バーグは……もう…恋…しないの?」
「馬鹿言え!
40近い、子持ちの中年が そんなみっともないこと出来るかよ!!」
ズボンを降ろしたままの姿勢で言う。
(今の恰好の方がみっともないんだけど…)
ミーサは彼の姿を白い眼で追いながら思った。
「たとえば、娘より年下の お前なんかと付き合ったら…」
「!」
ミーサの心臓が高鳴る。
「かなりの傑作!!
天国にいる愛する妻に顔向け出来ねえよなぁ…。」
だが、うっとりした表情で、銀の戦闘騎に自分の顔をすりつけるバーグ。
「―――バカ!!」
「うげ!?」
そんな彼の尾?骨を、ミーサは手にしたスパナで思い切り叩いきつけた。
「い!?…い…いてぇぇぇぇ……なにすん……!?」
「深夜の見回り行って来なさい! この新入り!!」
悶絶して床を転がり回る彼を見下ろしながら、恐ろしい形相と剣幕でまくしたてるミーサ。
バーグは涙目で尻をさすりながら、その場から命からがら逃げ出したのだった。
◆ ◆
鼻歌混じりの世羅に対し、戒はシャワー室と呼ばれる場所に足を踏み入れた瞬間に言葉を失った。
フィンデルに言われたとおり、そこは現在使われている様子が全く無く、相当に汚れていた。
生きている大蛇のように 壁際にうねる錆びた鉄パイプ。
カビすら生えない パサパサに乾燥した床。
しかもこれらには全て まんべんなく埃が溜まっていた。
いくつもあるシャワーの各扉は、上と下にかなりのスペースがあり、密閉されていない。
防犯上は かなり危険である。
「……本当に使えるのかよ…コレ。」
戒は漠然と呟きながら、恐る恐る一つの扉を開ける。
中も、さして周りと変わらず汚ない。
蛇口を捻ると、壁の上方に付いた鉄のシャワーから錆びついた赤く濁った水が漏れ出し、
床の汚れと混ざりあって黒ずんだ液体として外の排水口へ流れていく。
戒はその様子に思わず顔をしかめるが、流し続けるうちに透明の綺麗な水が出るようになるのを
確認して安心した。
「なんとか…使えるようだ。」
「やった!」
「10分くらいの約束だからな、さっさと浴びろよ。」
「うん!!」
戒と入れ代わり、世羅がいそいそとシャワーに入った。
待ちきれないのか、世羅は既にリボンを解いている。
髪をおろした彼女はすれ違った瞬間、印象が違って見えた。
軽い扉をしっかりと閉め、戒はすぐに見張りに付く。
「戒は?」
ブーツが床に投げ出され、長い手袋が扉にかけられるのが遠目で分かった。
「俺様は…いい。」
このことを知らない乗組員が水の音を不審に思うかもしれない。
自分が離れるわけにはいかなかった。
「そう? きっと気持ちいいと思うけど。」
続いて、上着、瞬く間に下着がかけられる。
そんな中、戒は食事の時でさえ取らなかった彼女の左手の手袋に何気なく注目した。
長い、二の腕全てを覆うくらい長くて薄い手袋。
貴婦人が点けるような、世羅の性格にはおよそ似つかわしくないもの。
戒は自分の感じ始めた妙な気分を紛らわせる為、そこで暇つぶしに持って来た本を取り出した。
「わ!」
「…どうした!?」
しかしそれも束の間、世羅の発した大声に思わず身を乗り出す。
「冷たくて、すごく気持ちいい!」
だが、何でもない一言に溜め息をつく。
…やがて一分と経たぬうち、けたたましい水の落下音と共に、石鹸の泡が排水口に流れはじめた。
ほのかで清潔な匂いが読書中の戒の鼻腔をまさぐる。
ひょんなことから共に旅をすることとなった元気でガサツな少女に対し、戒は
色気など微塵も感じなかったものだが、今は彼女の意外な女性らしさを感じざるをえない。
「あ!」
再び大声。
戒は今度こそ気に留めず、読書を止めなかった。
「戒! 戒!!」
「なんだ!? 今、俺様は忙しいんだよ!!」
「石鹸ー!!」
誤って落としてしまったのだろう。
見ると、濡れた楕円形の石鹸がつるつると床を滑っていた。
「……くっ…!」
排水口に飲み込まれる寸前、戒は咄嗟に走り、なんとか石鹸を助け出す。
「何やってんだ、おまえ!!」
「ごめんごめん。」
扉の空いた上部から、泡だらけの髪で、目を閉じながら舌を出す世羅の顔が見える。
「…ほら、受け取れ。」
「ん。」
戒は遠くから石鹸を放ろうとするが、目を閉じた世羅がそれを判るはずもなかった。
仕方なく、近付く。
「手、出せよ。」
なるべく室内を見ないように、戒は遠くから大きく腕を伸ばした。
それに呼応して、世羅は全く意図せずに、左手を差し伸べる。
―――だが、それは真っ黒な腕。
彼女の白い柔肌と対照的な黒。
石鹸は滑って落ちた。
しっかりと開いた目で見ると、それは完全な黒ではなく、鮮やかで細かな紋様。
それが左手の全ての指先から手首、肘、二の腕にかけて螺旋状に伸びていたのだ。
つまり、真っ黒に見えたのは錯覚。
……だが、それは望まれない錯覚だった。
見た刹那、自分の中を物凄いスピードで突き上げる衝動。
全く止めることが出来ない。
戒は勢いよく扉を蹴破り、中の世羅を腕力で壁際に押し潰した。
「―――ん!」
突然の背中への衝撃に、世羅が小さく呻く。
さらに、戒は世羅をそのまま乱暴に押し倒すと、胸元から取り出した十字架を彼女の首元に押し付けた。
世羅の濡れた顎から、肌の温度の加わった生暖かい水の雫。
それが、彼女の首を捉えた自分のもう片方の手の甲に落ちる。
「…答えろ。
……何故…」
戒の意思によって細く伸び、先端を尖らせ始める赤い十字架。
彼はそれを押し付けている彼女の首筋にも黒い紋様があることに気付いた。
そして、目を下の方へ移すと、さらに驚愕する。
左胸…丁度心臓のある箇所。
そこにも同様の紋様が蛇のように細くうねりながら、下へと伸びていた。
それが、やはり腹にもある紋様に繋がっているのである。
盛り上がっても へこんでもいない。
完全に肌と同化している特殊な紋様。
―――戒には、まったく見覚えがあった。
「何故…。
何で、お前の身体に……これが……あるんだ!!」
彼の迫力と大声に驚き、世羅が目を閉じたまま、小さな身体を震わせる。
「答えろ!!
何故……『その紋様』があるのに、おまえは動いていられる!?」
閉じた瞼。
世羅は闇の中でも、戒の腕が自分と同様に震えてるのが判った。
「それとも…『あいつ』の『呪い』と……お前は関係があるのか!?」
上から覆いかぶさられたまま、戒の重みと鼓動を感じる。
そして、理由の分からない問い。
「…答えろぉおおおっ!!」
嗚咽にも似た絶叫が、鼓膜に轟いた。
◆ ◆
バーグは痛む尻をさすったまま、乾いた自分の足音が響き渡る廊下を歩いていた。
この艦がルベランセに改装する前は、戦艦だったことはリジャンから聞いていた。
なまじ人の歴史を感じる場所の方が気味が悪い。
これならば夜の森を歩いた方がまだマシだ、バーグはそう思った。
官軍…大陸十字軍として戦争に加わった、若い傭兵時代。
夜中といえば、局地においてゲリラ戦で抵抗する地元兵。
それを、今思えば身震いするくらいの数を葬った。
その後もその経験を生かし、各地を転戦。
時には凶獣退治に精を出し、人々からそれなりの賞賛を受けたこともあった。
その中で妻と出逢い、娘も出来た。
自分には過ぎた幸せな人生のはずだった。
ところが、40歳という年齢を前に自分は、何の因果か、今までの人生とは全く脈絡の無い仕事で生活している。
…屈辱の日々だ。
最近では、悔しさを紛らわすために飲めない酒に手を出し、悪循環の連続だった。
そんな自分に嫌悪しながら、無機質な廊下を見回す。
異常などあるべくもなかった。
だが格納庫へ戻ろうとしたその時、耳元の壁が響いた。
研ぎ澄まされた感覚が戻り、洩れるような水の音を捉える。
「…………!」
背の大剣を握り締める。
バーグは小走りで、音のする方向へ自然と進んでいった。
◆ ◆
(『覚悟』をするんだ世羅。)
(『普通の人間ではない』おまえが『下界』で普通に生きるということは、並み大抵の努力では出来ない。
それを肝に銘じておけ。)
(特に『身体』は隠せ。 人は『自分と違うもの』を極端に『恐れる』。)
(決して気を許すな。 真に『信じあえる者』と出逢うまで……)
師の言葉が闇の中、聞こえた。
熱い。
涙がこぼれた。
「……ごめん……なさい…。」
世羅が胸の中で細く鳴く。
恐らくその謝罪の言葉は自分に向けられたものではないだろう。
だが、それは戒の頭から血の気を抜き去るには充分だった。
首元に突きつけた凶器と化した十字架。
弱々しい、そんな少女の命を握った右手を、その身体を乱暴に扱った左手を冷静に見詰める。
そこには取り乱した自分が独りで居て、悔いた。
「……すまん。 …あまりに…似すぎて…いたんだ…。
…俺様の知っている『呪いの紋様』と…」
世羅の瞼に付いた石鹸の泡と水を指の腹で静かに拭う。
おそるおそる薄目になりながら、少女はゆっくりと戒を見た。
そこには、乱れた前髪から自分と同じように雫を垂らして、憂いでいる戒の姿があった。
「ボクには…8歳からの記憶が…無いの…。
気が付いたら、この身体で、お師匠のところにいて……」
濡れた唇を震わせて答える。
「憶えてることは、ボクが飛翔艦乗りになりたいってことだけ…。
だから……だから…」
「何も知らねえよな。 それじゃ…」
涙を頬に伝わせる世羅を、戒はそっと抱き寄せた。
「……なあ、油断したんだろ?
俺様と親しくなって。
本当は、それは隠さなきゃいけないって言われてたんじゃねえのか?」
世羅は耳元で囁く戒の問いに頷いた。
「ごめんね……先に言えば…良かったね……。
戒のこと信じてたのに……ちょっとだけ…知られるのが恐かった…」
「謝るな。
それにな、これからは…油断しても……いいぞ。」
「……信じてくれるの?」
「……おまえは…嘘をつけるほど頭よくないからな。」
戒がシャワーを片手で止める。
けたたましい水音は消え、静けさが広がった。
「俺様の方こそよ……その…なんだ…」
「戒も……恐かったの?」
言葉が上手くまとまらない戒の胸が、世羅が温かい吐息を感じる。
「ああ……そうだな。
俺様の目的…。
まさか、中王都市に行く前に、何か『それ』に近いものを掴めるなんて…思わなかったからよ…」
「お師匠は…これを『神呪』って…呼んでた…。」
世羅が顔の雫を振って飛ばして、自分の黒い左腕を指す。
「神呪……か。」
具体的な名称に、戒は切っ先を触れることさえ途方も無いことと思っていた『糸』を
一気に手繰り寄せた気がした。
世羅の身体の紋様をもっとよく調べる為、顔を少し離して更に注目する。
傷一つ無い真っ白な柔肌。
その紋様以外は、何ら変哲の無い普通の人間と何ら変わらない。
だが、彼女の胸に触れている自分の胸から、心臓の鼓動が伝わるのを感じて、彼は
すぐにある一つの重大な点に気付いた。
夢中になって気付かなかったが、今お互いは濡れたまま、胸や腹はおろか、
腿の付け根まで密着させている。
訳もわからず、あどけない表情を浮かべている世羅に、突然の罪悪感を覚えた戒は
すぐに、彼女の肢体から目を離し、首を無理矢理な方向へ逸らした。
「……誰かに見られたら誤解されそうだ。
さて、シャワーを浴び終えたら……今日は もう休もうぜ…。」
世羅から離れようとした丁度その時。
シャワー区画の扉が勢いよく開かれた。
そして重い足音を鳴らして中へ入ってきたその者は、大剣を持つ大男……バーグだった。
なんという間の悪さ―――。
戒は彼に説明するために、咄嗟に口を開いた。
だが、その大男の認識は、肌を露にした少女とそれに覆いかぶさる食堂で見かけた若い男の姿。
その事実だけだった。
「……貴様ッ!?」
しかも襲われていると思ったのは、自分の子供と同じ年頃の娘。
途端にバーグの頭の中は真っ白になる。
「ま、待て! これは―――」
「問答無用だ!!」
遠い距離を、一気に跳躍。
縮こまった姿勢のまま、中空で抜剣。
「だから、ちょっ…ま……」
あまりにも動きのキレが良い相手の様子に、ひとまず説得をあきらめ、戒は急いで世羅から離れる。
きらめく刃。
頭上のパイプは一瞬で寸断され、一気に水が噴く。
戒は濡れた床を転げ回り、またたく間に室内の隅へと追いやられた。
「許せねえ…」
そこへ、さらに上段に構えてバーグが突進して来る。
「坊主の分際でウチの女子隊員に手を出すとは…いい度胸だ!!」
「……ウチの隊員だって!?」
世羅のことを言っているのだろう。
この男が大きな思い違いをしているのは明らかだった。
だが、考える間もなく、空を切る音。
戒は息を呑んで、瞬時に腰を落とす。
髪をかすめる刃。
明らかに、首を狙っている攻撃。
(………やばいぞ!!)
そこで戒は自分の頭上で剣が止まったのを見て、その次の動きを理解すると、握ったままだった十字架を構えた。
案の定、返す刃が向きを変え、今度は縦の軌道で戒に襲いかかる。
「聖十字!!」
戒の叫びに呼応し、上下左右が一気に伸びた十字架。
瞬時にその中心が菱形の赤い膜に覆われる。
「!?」
渾身の力を込めて振り下ろした剣が一瞬強い抵抗を感じたと思えば、そのまま両腕が空をきり大きく落ち込み。
剣身が、十字架の赤い膜に触れた部分から粉々に砕け散る。
気が付けば手に残ったのは、刃がわずかに残った柄のみ。
バーグはその光景に目を見張った。
「『聖十字』だとっ!?」
そして叫びながら、蹴りを放つ彼。
「く……!!」
戒はそれを交差させた腕で耐えるが、相手のあまりの怪力に、再び世羅の脇まで一気に飛ばされてしまう。
「……なんで、戦うの!?」
たまらず、世羅は戒の前に立ちはだかり叫んだ。
「えっ!?」
少女が一糸まとわぬ姿で自分に浴びせかける、その意外な言葉。
バーグは間の抜けた声で返した。
「何故って、お前が襲われているから…。」
「?」
「……おまえ、名前と階級は?」
少女の態度に、額から脂汗がにじんでくるのを感じながら、バーグが訊く。
「ボクは、世羅=ディーベンゼルク。
……階級って?」
「おまえ、ウチの隊員じゃないのか!?」
「二人とも…『客』だ……!」
戒が叩きつけられた腰をさすり、歯ぎしりを混じえて言った。
刃を失い、羽毛のように軽くなった自分の剣を力無く下ろすバーグ。
「誰だってよお……『そういうこと』って思うじゃねえか…。
人相の悪い男に若い娘が襲われてりゃあ……。」
「……ちょっと待て、それは言い訳か?」
戒は静かに言った。
「じゃあ…認めるんだな!? てめえが悪いってよ!!」
「ぐ……ああ、謝るぜ。」
軍服の上着を脱いで、一糸も纏わぬ世羅にかけてやるバーグ。
そして彼は、丸太のような太い腕を小さく落とし、申し訳なさそうに彼女の薄い肩に軽く触れた。
「おまえこそ…ホントにここの隊員か?
そいつが自分の仲間かそうじゃねえか、それくらい見分けはつくもんだろうよ。」
戒が納得のいかない様子で、さらに世羅を見ながら言う。
その言葉にバーグは顔色を変えた。
「俺はまだ、この艦に来て日が浅い。
艦内に人がいりゃあ、軍人と思うのが普通だ。
それよか、紛らわしくもこんな所で、いやらしい行為に夢中だった奴の方が責任はあるんじゃねえのか?」
「……いやらしい…!? 俺様達は…そういう関係じゃ…」
「どうかな、このスケベ坊主め!
女体を開く前に、悟りを開きやがれ!!」
「な、な……!!
大体、最初にこっちの話を落ち着いて聞きゃあ、こんなことにもならなかったろうが!
この単細胞のクソヒゲ野郎!!」
二人は顔を互いに顔を突き合わせ、歯をむき出しにしていがみ合った。
だが、その様子をぽかんとして見上げる世羅の視線に気付き、バーグは短く咳払いをする。
「…それより、坊主。
どこで聖十字を盗んで来たんだ?」
「ああ?」
「それは各地の神学校、首席卒業の証のはずだ。
お前みたいな野郎がもらえるような代物じゃねえんだよ。」
襟を直すバーグ。
その太い首に一瞬、細い鎖が光る。
「馬鹿言え、実力だ。
お前の言うとおり、首席卒業なんだよ。この俺様は。」
堂々と言い切る戒に、バーグは思わず顔をしかめた。
「……中王都市まで一体何しにいくつもりだ?」
「大学へいく。」
「世も末だな。 お前の人相じゃ、司祭より魔王の方がおに合いだぜ。」
「誉めてもらってありがとうよ。
だが、もっとも、俺様は司祭になる気なんざ毛頭ねえ。
俺の目的は、そこの『呪術科』で勉強することだ。」
「!」
世羅がその言葉に反応する。
そんな彼女の様子を、戒は見て見ぬふりをした。
一方のバーグは、すらすらと自分に対して意見する青年が気に入らない。
「…砕けた剣、弁償しろやクソガキ。」
終わったことを持ち出して再び詰め寄る。
「…てめえこそ、俺様の高等な技を使わせやがって。
おかげで、疲れちまったぜ。
こっちが金をもらいてえくらいだ。」
「あ? なんだと!?」
「殺すぞ!! ヒゲ!!」
戒も応戦し、それはまるで子供同士のつかみ合いの形に発展する。
だがそこで、再びシャワー室の扉は突然開かれた。
「……だれなの!? こんなところで騒いでるのは?」
それは戒も、勿論バーグも知っているミーサの姿だった。
「……バーグ!?」
その手には、やはりスパナがある。
反射的に尻を押さえるバーグ。
まだ、ほのかに痛い。
「…帰りが遅いと思ったら……一体何してるのよ…。
それに……」
ミーサは彼等の傍にいる世羅に目線を向けながら、怒りで肩を震わせていた。
恐る恐る確かめる戒とバーグ。
世羅は髪と全身が水浸しの姿で、さらに半裸のまま。
それを囲むように二人の男。
はたから見れば、完全に不審な光景。
同時に蒼ざめていく二人は、忍び寄る不安に一歩ずつ退いた。
その後、シャワー区画には暫くの間、重々しくも鈍い金属音が響き続けていた……。
◆ ◆
「ケーキ…そろそろ食べたいの。」
艦体安定の確認作業を終えたメイが呟いた。
「あら、まだ食べてなかったの?」
フィンデルが訊く。
「さっき食べた『残りを』って意味さ。」
リードが呆れながら答えた。
「……そうだ、お茶をいれよう。
ケーキに合うのは…紅茶だろうか。
『砂糖』は沢山入れるのがいいかな?」
ヂチャードは立ち上がりブリッジの扉へ向かう。
その途中、彼は中央の椅子に座るフィンデルに目線を送りながら近寄った。
「?」
彼の不自然な行動が気になった彼女は、近付くように態勢を傾ける。
「…副長、お話があります。
実は先程……」
それは小声での耳打ちだった。
◆ ◆
4
◆ ◆
急遽、ブリッジに呼び出されたマクス。
「先程、この艦の念通士がある通信を受け取りました。
実は……貴方の母艦がこの付近の空域まで来ているようなのです。」
フィンデルの言葉にも、彼は重い表情ながら眉一つ動かさなかった。
「マクス操縦士はすみやかに帰還するように、と。」
「帰還?」
重い表情を変えずに、腕を組む。
「それは……今、この艦が飛行中に、との解釈で宜しいのか?」
「ええ。
…早い話、先方は貴方とルベランセが接触した事実を公の記録に残したくないそうで…」
「つまり、あんたが軍隊に世話になった事実を隠蔽したいってことさ。
中王都市に着く以前に手を打ってきたってわけだよ!」
「リード!!」
椅子で伸びをしながら悪態をつくリードを、フィンデルが叱咤する。
「フン、騎士団の連中が考えそうなことさ。
何よりも名誉を重んじる、素晴らしい方々だからな。
恩に対する礼よりも、恥をさらしたくない心の方がよっぽど強いと見える。」
かまわず続けられる言葉にも、マクスは動じなかった。
「助けていただいたのに、非常に申し訳ない。」
「いえ、何も言わないで下さい。
解ります。人には立場というものがあることを。」
「……感謝いたします。」
フィンデルだけでなく、ブリッジの乗組員全員に深く頭を下げるマクス。
メイとタモンはつられて会釈し、リードは面白くなさそうにそれを脇から眺めている。
「では早急に準備を、聖騎士殿。」
ヂチャードに促され、マクスは彼の顔を一瞬見た。
そして一瞬、笑顔をこぼした。
「……どうかされましたか?」
「いいえ。
では失礼しようと思います。」
別れの言葉を発するマクスに、フィンデルが付き添おうとする。
「ありがたいが…私ごときに見送りは結構。
そして…この礼は、いつか必ず。」
「……はい。
では、お気をつけて。」
二人は互いに敬礼をして離れた。
ブリッジの扉が閉まった後も、フィンデルは暫くそのままの態勢だった。
◆ ◆
天井に吊るしたランタンを消すと、窓から洩れる月の光が映えた。
暗闇で感覚が冴えたおかげで、カビ臭さが際立つ二人の寝室。
「ねえ、戒…さっきの話だけど…」
硬いベッドの上で世羅が呟く。
「何だよ。」
さらに硬い、その床に横になりながら戒は答えた。
「戒は呪いを解く勉強をしたかったんだ……。」
「…それが…何だってんだよ。」
「えらいよね。」
ゆっくりと上半身だけを起き上がらせ、胡坐をかいて微笑む世羅。
「………。」
戒は毛布を頭からかぶったまま、振り向きもせずに何も答えなかった。
「世の中で呪いに苦しむ人々を助けたいんでしょ? それって素晴らしいよ。」
「勘違いするな。」
寝返りをうつ。
「俺様が真に救いたい思っている人間は この世で一人だけだ。
別に他の人間がどうなろうと知ったこっちゃねえよ。」
その言葉に、世羅は黙っていた。
「ああ、勿論…お前のことだって考えてやるよ。
明日になったら、呪いの症状とか教えろ。『ついで』に考えてやるから。
だから……心配しないで もう寝ろよ。」
そこでようやく戒も上半身を起こし、世羅に向く。
「……戒、ボクは…そんなつもりで言ったんじゃないよ。」
だが月明かりを背に、世羅は優しく微笑んだ。
「……。」
それを見て、戒は再び毛布の中に頭を突っ込んだ。
彼女の純朴な眼差しと今の一言がとても痛かった。
◆ ◆
格納庫の扉が開かれると、冷たい夜風が一気に中へ流れ込んだ。
吹き付ける豪風によって、鉄の扉を握ったミーサの短い髪がなびく。
「急な事態で申し訳ない。」
流曲の形をする銀の兜を被ったマクスが、銀の機体の操縦席の中から言った。
「いえ……お気をつけて!」
ミーサは風圧で片目をつむりながら叫ぶ。
それを合図に、マクスの戦闘騎は振動。
小さめの両翼がわずかに横に開き、最後部のブースターに蒼い火が灯る。
そして機体全体が垂直に浮き始めると、ミーサは思わず目を見張った。
普段聞き慣れた、戦闘騎特有のエンジン音が無い。
整備士の自分が見たことも無い起動。
先程、彼と共に機体を整備した時も、機関系統には錬金学的な封印が施されていて、
開けて中を覗くことすら叶わなかった。
だが、ルベランセの整備士だからこそわかる。
この戦闘騎には、この飛翔艦と同じ、『源炉』の技術が使われている。
源法術の素にして、この大気に充満する万能物質『源』。
これを利用する動力機関を持つ機体は、ほとんど燃料を必要としないで大空を自由に出来る。
勿論、その分扱いが難しく、戦闘騎に積めるほどの小型の源炉が開発されたなど今まで聞いたことが無かった。
「それでは、旅の無事を。」
敬礼するマクス。
銀の機体が宙に浮いたまま、ブースターから噴出する炎によりゆっくりと前進する。
横から見える彼の表情は、銀の兜に覆われて、何も伺い知ることは出来なかった。
◆ ◆
深夜のブリッジでは、メイが椅子で小さな寝息をたてていた。
「…ったく、メイのやつ…職務怠慢もいいところだぞ…」
リードが自分の重い肩を拳で叩きながら、立ち上がろうとする。
「ああ、私がやるよ。」
それに先んじて、彼女の食べかけのケーキと皿、紅茶のカップを片付けるヂチャード。
「もう寝室まで連れて行こう。
彼女は精神的に子供だ。きっと疲れが溜まっているんだろう。」
「……ああ、頼む。」
リードが頷くと、彼はそのままメイを抱えてブリッジを出ていった。
二人が出て行った後、リードはすぐさま口を開いた。
「なあ、フィンデル。」
「!」
普段ブリッジで聞き慣れない自分の名前に、艦長の椅子に座ってうたたねをしていたフィンデルは
どきりとして目を覚ました。
「な、なにかしら、リード…。」
「さっきの俺、ガキっぽかったか?」
「……マクスさんに言ってたこと?」
まだ眠そうな目をこすりながらフィンデルは答えた。
「ああ…。
俺はいまだに公私混同で物を考えちまう…。
それに比べてフィンデルは凄いよ。 あるべきところでは、しっかりと軍人だ。」
「…そんなこと…ないってば。」
あまり緊張の無いところでは、元々くだけた口調のフィンデルだったが、同期に軍の補給部隊に配属され
それから働きを共にしてきたリードとだけ話す時は、特にそれが顕著に現れてしまう。
「俺は何年もフィンデルの働きを傍で見ているから、お前の凄さが分かる。
……尊敬してるんだ、マジで。」
溜め息混じりのリードの言葉。
「ところが俺は全然ダメだ。
それに比べてヂチャードの奴…。
軍で働くのはこれが初めてなのに、念通士としての技量も判断も俺より上だ。
人としての度量もな……。」
「リード?」
急に彼は立ち上がり、フィンデルに近付いた。
「今回のルベランセへの異動だって…フィンデルとまた一緒だったから喜んだけど
いいところ…見せられそうもねえな。」
「ちょ…ちょっと…」
真顔で憂いだ表情で寄って来るリードに、フィンデルは困りながらも顔を赤らめた。
二人きりになると、ことあるごとにリードは自分にアプローチをかけてくる。
「べ…別に…私にいいところを見せようだなんて…。
リードは自分らしく…していれば…いいと思うけど…。」
彼女の方にあまり『その気』は無いのだが、彼のひたむきさは嫌いではない。
何年もの間、迫られる度に、何とか誤魔化すことを続けている。
「あれ?
他の二人、どうしたっすか?」
そこへ用を足し終え、戻って来るタモン。
すると、リードは何事も無かったかのように自分の席へ戻る。
フィンデルも椅子に深く座り直し、同時に胸もなでおろした。
◆ ◆ ◆
照明のほとんどを消し、周りの闇に溶け込むように。
それは天高くに居た。
月夜を切り裂く大きなエンジン音。
乗りこむ者全ては息を潜め、それぞれの得物を手に、言い表しようの無い高揚感に浸る。
《9番艦から10番艦へ…》
真っ暗なブリッジに響くノイズ混じりの念通士の声。
《こちら…視界不良になってきた。
『鳥』が見えないため……作戦開始時刻の特定ができない。
そちらからは…どうだ?》
厚いマントを羽織り、双眼鏡を両手にしてブリッジ中央に陣取る男。
それを聞いて、傍の念通士の肩を叩く。
「…教えてやれ。 合図の『鳥』は飛び立った、と。
幸運の……『銀の鳥』がな。」
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第三話 『明日への抱擁』
了
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to be continued…