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4-8 「兵士に挽歌 鳥には鎮魂歌を」(上)



This story is a thing written by RYUU


Air・Fantagista


Chapter 4

『Coming in flight warship age』


The eighth story

' An elegy and Requiem '





◆ ◆ ◆



 勢いよく排気する、二機の戦闘騎。

 瞬時に熱気と化す、格納庫で澱んでいた冷気。


 これに絆され、背中を押されるようにして。

 再び、空という戦場へと赴くのか。


 戒は焦れるような興奮に、胸を高鳴らせていた。



「逃げるなら今のうちだぞ!

 途中で帰りたくなっても、降ろしてやらねえからな!!」


 プロペラ越しの向こう。

 機体の発する轟音に負けないよう、声を張り上げるのはコルツ。



 その挑発的な言葉を、壁際で座り込んだザナナは微動だにせずに受け流すと。

 マルリッパが巨体を揺らしながら、出入り口に姿を見せた。


 件の飛翔艦を造った会社の長。

 イマツェグを伴って、である。



「作戦は決まったか!?」


「うん。

 フィンデル大尉が言うには…」


 コルツの呼びかけに対し、少し目線を落とすマルリッパ。



「おそらく相手方にも、相応の航空戦力が予想される。

 それを一点集中で突破した後、降下部隊による敵飛翔艦の制圧。

 常に攻勢を心がけ、相手に先んじるよう行動せよ、と。」


「上等だ!!」


 コルツは両の手を打ち鳴らし、酷な伝令を嬉々として歓迎した。



「…二人とも、本当にいいの?」


「何だ?」


 向けられるマルリッパの問いに、顔を上げたザナナが平然と返す。



「この作戦、とても無事で済むとは思えんということだ。

 今のうちに、連れの女にでも別れを告げておけ。」


「連れの…誰だって?」


 さらなる戒の言葉に、訊いたコルツの方が目を丸くする。



「まあ……それくらい、絶対に戻ってくるという気持ちが必要かもしれませんよ。」


 そこでイマツェグは気を利かせ、笑顔で取り成した。



「どうぞ、今作戦は失敗を恐れず、大胆に決行して下さい。

 後曲に控えた我が社の艦が、必ずや王宮を死守してみせます。」


「まったく……流石だな。」


 さらに胸を叩きながら続けられる彼の滑稽な身振りに、コルツは笑う。



「そう言えって頼まれたんだろう?」


「…まあ。」


 図星を突かれ、イマツェグは正直に声を洩らした。


 彼等は優秀な技師だろうが、実戦に関しては素人。

 だが、フィンデルは戦場に赴く者達の憂いを晴らすため、わざわざ芝居まで打たせているのだ。



「外面では頭を下げてるように見えても、裏では操って従わせるのが、あいつの常套手段よ。

 まったく、相変わらず悪知恵が働く女だ。」


 二人のやりとりを眺めながら、歯を剥き出して呟く戒。



「無事に帰って来たら、あいつにタカってやろう。

 それでようやく、この骨折りの帳尻が合うってもんだよな。」


 彼が同意を求めると、ザナナは呆れたように再び頭を垂れ、肩に担いだ白槍を揺らした。



「…最終確認だ。

 目標について、さらに詳しく知っておきたい。」


「はい。」


 唸りを上げる戦闘騎から一旦離れ、コルツからの改まった問いに、イマツェグは襟を直した。



「艦名:グレーリ・オーサ。

 我が社として初、民間用として開発した当艦は、非常に単純な機構であり、万人に快適な運用をもたらすことでしょう。

 兵装も両翼に搭載した機動型主砲二門にのみに絞り、前方320度を完全にカバー。

 …裏を返せば、真後ろにあたる防備が無いため、攻めるならばここがポイントとなります。」


 彼の講釈に、眉をひそめる面々。

 その微妙な空気に、イマツェグは思わず目を剥いた。



「もちろんこれは、あくまで初期プランの話ですよ?

 オプションとして、後部の空きスペースにも砲座や武装は搭載できます。

 が、これ以上は別料金となり…」


「見事な話をありがとうよ。

 ためになったぜ。

 これがお互い、商売の席じゃなけりゃあな。」


 セールスと見紛うイマツェグの流暢な話を、戒は途中で茶化して終わらせた。



「早い話、死角に回り込んで、中に突入すればいいわけだ。

 …しかし明らかに奪取が困難な場合、撃墜する予定に変更は無い。

 全員、それだけは頭に入れておけ。」


 咳払いして、皆に告げるコルツ。



「一応、聞くが…。

 あれを機銃レベルの武装で墜とすのは、困難だな?」


「我が社の商品は、搭乗者の安全第一がモットーです。

 耐火・防水に秀でており、その装甲は重厚にして堅牢。

 その程度では、びくともしないと思いますが…。」


 彼からの問いに、イマツェグは大いに自負を含ませた答えを返す。



「その場合、最後の手段として、僕の機体をぶつけるよ。」


 搭載火力に秀でる重戦闘騎、リッツァー・ゲルガ。

 マルリッパが、その自機を視界に収めながら呟いた。



「ならば、不笑人わらわずびとが一緒に乗ってくれ。

 そうなった時は、二人でオレの機体に飛び移るんだ。

 …かなり太っていて重たい荷物だが、出来るか?」


 コルツの冗談めいた言葉に、特に深く考える素振りもなく、豹頭は無言で頷く。



「これが艦内の図面です。

 突入の際、参考にして下さい。」


 そしてイマツェグから差し出される、一枚の紙切れ。

 だいぶ簡素化されているが、そこには艦の侵入経路からブリッジへの道筋まで、しっかりと記載されている。



「あんな代物を空中で奪い返すなんて、アホみたいな作戦だが…。

 こうやって目に見える形になると……なんというか、実感が涌くな。」


 戒は喉を緊張で鳴らし、その紙を奪い取るようにすると。

 網膜にまで焼き付けるかのように、必死に睨み合いを始めた。



 マルリッパは安堵する。


 若い士官達と問答するよりも、遥かに話が早い。

 取るに足らない、意思の疎通が嬉しかった。



 あとはただ、先に気が滅入ってしまわぬよう、何も考えずこの緊迫した空気に身を任せるだけだ。


 出撃まで、あとわずか。

 今が最期の安らぎの時間となるかもしれないのだから。



「……親父は何処に行ってる?」


 それを意識したのか、皆から離れた位置で、コルツはイマツェグに訊いた。



「こちらへ向かうよう私に指示を出された後、別れたきりです。」


 少し迷いながらも口を開く相手。



「…やはりそうか。

 あいつも他の政治家や貴族連中と同じだ。

 いつもいつも、国のためにと偉そうにふんぞり返っちゃいるが、肝心な時になると自分だけ助かろうとしやがる。」


 その愚痴の最中。

 低く屈みこんだイマツェグが、戦闘騎の先端部に触れるのが見えた。



「おい!

 オレの機体に勝手に触るな…!」


「平気ですよ。

 この『クモサ・クァターナ』は、私の設計ですから。」


「お前が…造ったのか?」


「ええ、とても懐かしい。

 男爵の依頼で製作してから、どのくらい経ったかな。」


 イマツェグは機体下部に顔を潜らせて、いやに嬉しそうに笑った。



 ―――意外なところで、人は繋がっているものだ。


 否。

 今の飛翔艦騒動も、元を正せば親父の繋がりではないか。


 別段、この巡り合わせは、不思議なことではない―――



「しかし…随分と、操縦席コクピットまわりに手が入っているようですね。」


「元々の装甲が厚すぎたからな。

 軽量化するため、すぐに交換してやった。」


「それは良くない。

 機体重量やバランスは、全て計算して作っているのです。

 これでは、本来の機体の力を出せていないでしょう。」


「……そういうものか?」


 コルツは呻く。



「軽いことが、即、機体速度に繋がるわけではありません。

 形状や重さ、空気抵抗や風の流れなど…技師は、全ての要因を計算してモノを造っているのですよ。

 …10分だけ時間を下さい。

 現状で、最適の状態にしてみます。」


「それは助かるが…」


 出撃間際に、よく知らない人間を自機に触れさせるのは如何なものか。

 だが、そんな複雑な面持ちの彼を顧みず、既にイマツェグは腰に下げた工具を取り出していた。



「機械だって、まるで人間のように複雑なものですよ。

 男爵も無愛想ですが、あれでなかなか優しい一面もありましてね。」


 早速、作業に取り掛かりながら語る彼。



「搭乗する者が必ず生きて帰れるような機体を、あの人は依頼してきました。

 装甲を厚くしたのは、そのためでもあって…」


「あの野郎!!」


 そこで色をなして、コルツは吼えた。



「隊長は、部下を何人も殺す運命にあるんだ!

 自分だけ、のうのうと安全な機体に乗っていられると思うか!!」


「わかります。

 ただ親が子を思う気持ちとは…」


「五分だ!

 それで調整を終わらせろ!!」


 程々に背を向け、言い放つコルツ。

 イマツェグも慌てて命に従い、口を閉ざして集中する。



「貴様らも準備万端か!?」


「夜間の飛行だから、合図用の照明は忘れないようにしないとね。」


 迫るコルツに、マルリッパが床に置かれた木箱の中身を漁りながら、和やかな口調で言う。



「…何だ、そのヒモは?」


 だが戒は、彼が用意した道具類の一つに目を付けて、思わず呟いた。



「縄ばしご。

 突入時に必要でしょ?」


「お前っ、ふざけんなよ!

 そんな安っぽいボロで、飛翔艦に乗り込ませる気か!?」


「急場で、まともな装備を求めるな!

 それにこの間は、もっと乱暴なやり方してたじゃねえか!!」


 マルリッパに変わり、コルツが反論する。



 あの時は土壇場の機転で、命綱ひとつで相手飛翔艦のブリッジに直接飛び込んだのだ。


 今思えば、無茶をした。

 三人は急に笑いが込み上げて、抑えることが出来なかった。


 笑うという感情の無いザナナも、快い空気を肌で感じ。

 イマツェグは脇目を細める。



「まあ、あれに比べりゃあ、今回の作戦はハナクソみてえなもんだな。

 楽勝だ。」


「…だろ。」


 やがて、ふてぶてしく返す戒の修道着の胸に、コルツは軽く拳を当てる。



 この部隊には、全てが杞憂に思えた。

 自分の求める理想とは少し違うが、不思議と充実感に満ちている。



(いつだって、死ぬ覚悟で戦ってきた。

 敵を殺すのだから、代償として当然だ。)


 踵を返したコルツは、振動する戦闘騎に歩み寄り、胴体に触れた。



(お前は、そんな人殺しの道具。

 …価値の無い命を守る役目なんて、似合わねえ。)


 自分の内と同様、愛機も熱を帯びている―――





◆ ◆ ◆



エア・ファンタジスタ

Air・Fantagista




第四章

飛翔艦時代到来



第八話 『兵士に挽歌 鳥には鎮魂歌を』



◆ ◆ ◆



◆ ◆




◆ ◆



《 ―――戦闘騎は、無事に飛び立ちました。

残念ながら、三文芝居はアッサリと見破られましたがね。 》


 事務官に席を譲られて、報告する声はイマツェグ社長のものである。



「色々とお手数をかけてすみません。

 …他に何か、周辺の状況で気付いたことがあれば、教えていただけませんか?」


《 ……。 》


 フィンデルの少し頼りない語句に、返される沈黙。



「恥ずかしながら、今の首都周辺の事情には、あまり詳しくないのです。

 住居はありますが、任務で帰ることが少なかったため…。」


 視線を泳がしつつ、彼女は卓上の声通機に向けて言う。



《 …そういうことでしたか。

ええ…大丈夫……だと思います。 》


 がさがさと地図の音を立て、自信なさげに答えるのは事務官だった。



「ほんの些細なことでも構いません。

 気がついたことがあれば何でも、遠慮なく報告して下さい。」


 フィンデルはそれを敏感に読み取って、念を押した。

 小さな見落としでも、現状では命とりになりかねない。



《 首都の西方では、例の大会が続行されております。

現在そちらがどうなっているか、関係者らも詳しく把握できておりません。

おそらく参加選手達にも、この状況は伝わっていないでしょう。 》


 イマツェグは焦りを帯びた口調で言う。


 それはフィンデルも頭の片隅に置いてある事柄だった。


 ルベランセで共に戦った彼等の所在や、安否が気にならないわけではない。

 だが今となってはどうにもならないこと故、意識的に考えないようにしていたのだ。



《 実は、そこで賞品になっている飛翔艦が、もう一隻余っております。

別の会社ですが、そちらにも応援を要請した方が良いでしょうか? 》


「…やめておきましょう。

 彼等が中王都市のために協力してくれるとは限らないですし、あまり大ごとにすれば、それこそ混乱を招きかねません。」


 フィンデルは思案しながら答え、再び小さな地図に目を落とした。



「懸案事項は、そのくらいかしら…」


 ―――何か忘れてはいまいか。

 しかし、このような薄っぺらな二次元の対象が相手では、想像力を刺激されないのが現実である。



「…大変。

 私ったら同業者から、お客さんの横取りをしてしまったわ。

 『大鷲おおわしの瞳』規約、第三条の重大な違反ね。」


 そこでイメルゲが、自身の両手を重ね。

 間の抜けた声で、のんびりと呟く。


 幸い、声通機には届いていないが、視線を向けられたオーロンは噴き出していた。

 国家が危機に瀕している最中に、そんな悠長な言葉が聞けるとは思わなかった。



「少し休憩にしましょう。

 また、こちらから連絡します。」


 フィンデルも適度に気が抜けたようで、声通機に告げ、姿勢を若干楽にする。



「事の発端の…あの通告。

 彼等が名乗った、『コーラル救国軍』というものをご存知ですか?」


 そして彼女は椅子を引き、記者であるオーロンに自然と訊いていた。



「聞いたことがありませんねぇ。」


 対し、肩をすくめて答える彼。



「そもそも、この一連の行為の益が見当たらない。

 彼等は、いったい何の目的があって、こんな真似をやらかすんでしょう。」


「単に飛翔艦が嫌いなだけじゃない?

 あんな巨大なものが空を飛ぶのだもの。

 新しい時代に追従できない頭の固い連中の目ほど、脅威に映るんじゃないかしら。」


 彼の言葉に、イメルゲの憶測が続く。



(今回の件、中王騎士団は関係ないと信じたい…。

 自国の土地や王宮を狙うなんて、あまりにも…)


 フィンデルは過去に思いを馳せながら、小刻みに首を左右に振った。


 彼等は今まで、背信者のみでなく、その障害となった軍の一艦隊までをも容赦なく葬ってきたではないか。



「今の先生の話で思い出した。

 飛翔艦に対して、複雑な思いを抱く連中は……確実にいると思いますねェ。」


 そんな中、低く呟いたのち、言葉を濁すオーロン。



「アルドの叛乱後期、飛翔艦の導入による殲滅戦。

 あれは筆舌に尽くしがたい、陰惨なものでしたよ。」


「では、前戦争の敗残兵や、蛮族の類ということに!?」


 思わず、フィンデルは口に出してしまった。


 今の騎士団は、炎団をはじめ、立場・組織の垣根を越えた関係を四方に張り巡らせている。

 きっと、彼等のような人種を焚きつけるのに秀でた、おぞましい何者かが、その中核に存在しているのだ。



「…すると彼等の目的は、中王都市の現体制に対する批判。

 これが最も有力な線かしらね。」


 イメルゲは、長い前髪を弄りながら呟く。



「摂政のゼンに敵意を抱く者ですかい?

 …自分が戦場に派遣された時、実際に会った経験があるんですよ。

 あの当時、奴は従軍医師でしたがね。」


 その言葉尻を掴まえて、オーロンは強い口調で言った。



「あら、凄い人と知り合いじゃない。」


「会ったと言っても、袖が触れた程度ですぜ。」


 驚く彼女に、特に自慢する素振りも見せず、片方の瞼を閉じる彼。



「アルドの叛乱の終結後、奴は経済学者となり……今の地位に転じたようですが、そこから中王都市は一層に拡大政策を執っている。

 良くも悪くも、経済の発展を促してきたわけです。

 それで国民の暮らしが向上するってのなら、私は文句はありやせん。

 …少なくとも、あの戦場に触れてきた者にとっては、豊かさこそ真理だ。

 そんな考えに行き着くのが、自然でしょう。」


 オーロンは持論を語りながら、編集長の苦い顔を思い浮かべた。

 アイアンウォー紙で、自分がゴシップ程度しか任されないのも、現体制に肯定的なため面白実に欠けるからだ。



「…とまあ、悪党の素性を詮索してもしょうがない。

 手の空いている人間は、今のうちに上で食料を調達してきますかね。

 今日は、どうやら徹夜になりそうだ。」


 そして高い天井を親指で指し、欠伸をしながら扉に向かうオーロン。


 彼の残した言葉どおり。

 険しく、長い深更の様相を呈している。



 虫の音ひとつ入らない。

 密閉された空間に押し潰されそうだった。



 これからは目視できないところを、様々な情報を元に間接的に見通して決断を下さねばならない。


 自分にとっての未知の指揮が、幕を開けようとしている。



◆ ◆



 森林に息づく自然。

 それが『生』をイメージするところならば。


 カジェットが選んだ地形。

 露出した岩肌の丘陵地は『死』だと、パンリは感じていた。



 この競技にさえ使用されず、人が寄り近なくなってなって久しい、採掘用の小さな洞穴群。

 重畳とは縁遠い場所。


 彼女が何を思い、ここで佇むのか。

 その真意は一切知らされないまま、時は過ぎた。



 他の参加者は、どうなったろう。

 もはや、喧騒は耳に入らない。



 いずれ時間を数えることも忘れ、瞑想と居眠りの中間のような心持ちが訪れた。


 そうなると、わずかな風の変化でさえ、感じられるようになる。

 錯覚かもしれないが、自分の感覚が鋭敏になっていくのだ。



 パンリとカジェットが、僅かな音の方へ顔を向けたのは、ほぼ同時であった。


 そこに立ちつくしていたのは、斥候として放っていた彼女の手下達。



 顔を向けた二人と同様、ベルッサスとの連絡が途絶えて久しいらしい。

 定時を決めて互いに接触を計っていたはずの彼等の焦りの表情が、それを如実に表している。


 いてもたってもいられず、遂にカジェットの元に駆けつけたといったところだろう。



「あの人が、他の参加者との戦いに巻き込まれた可能性もあります…。

 早く探しませんと…」


「その前に、だ。」


 手下の一人が進言した直後、カジェットが制止する。



「どうやら、先に兄貴の方の面倒を見ねえといけねえようだな。」


 顎先を向けた、岩山の頂。


 月光に照らされる、三白眼の凶面。

 コルスス。



「…!」


 そこで初めて、事態の深刻さに気付いたカジェットの手下らが狼狽する。


 自分達を囲むようにして、さらに二十人超の人影が配置されていたのだ。



「…手間が省けて助かったぜ。

 どうやって、ここへ来て貰おうか、考えていたところだ。」


 だが、カジェットは涼しい顔を崩さなかった。

 歓迎の挨拶とばかりに、軽口を叩いてみせる。



「手間が省けただと?

 強がりも程々にしやがれ!」


 嬌声が夜空に響いた。



「最高のタイミングで、最高の結果を導く。

 この『かけひき』に関しちゃ、オレの右に出る奴はいねえんだ!」


 そんなコルススが、意気揚々として放り投げる物体。

 砕けた風来棒。



「カジェット=セイルクロウは、二代に渡って弟を狂わせやがったおかげでな。

 このざまよ。」


 さらなる合図で連れられてこられたのは、負傷したベルッサス。

 もはや自分の足では立てないほど疲弊しきっており、両腕を二人がかりで取られ、ただ引きずられている状態である。


 そんな彼の髪を掴み上げ、コルススはせせら笑った。



「…何故…!?」


 呆然と見上げるパンリの横で、カジェットの表情が凍りつく。



 理解が出来なかった。


 彼等に単独で戦いを挑むほど、ベルッサスは動揺していたのだろうか?

 それとも、アルドに師事したという先代のいきさつを話した自分が、彼を追い込んでしまったのか?


 混乱めいたものが、頭の中に一気に広がっていく。



「安心しろ。

 命にかかわるほどの怪我じゃねえ!

 少し痛い目をみせてやっただけだ!!」


 そこでコルススは握っていた弟の髪を放し、叫ぶ。



「命まで取らないところを見ると、てめえにも肉親の情が残っていたようだな…。」


「どう思おうが勝手よ!

 だが、お前に『効く』と思ってなァ!!」


 そしてカジェットの減らず口に、威勢良く返される言葉。



「この種の手が、あたしに通用すると思ってんのか…!

 おい!!

 降りてきやがれ!!」


「充分、効果あるようじゃねえか。」


 激昂する彼女を見るだけで、コルススは悦に入ることが出来た。


 鬱積していたものが、晴れる心地。

 快楽の極みである。



「てめえらのやり方は、よく分かった…。

 全員…覚悟しておけよ…。」


 一方、堰を切った彼女の怒りは、手当たり次第、目に映る全てに向けられている。



 たじろぐコルススの手下達を見て、パンリは思う。


 カジェットは強い。

 だが、この害意を向けられたら、相手は誰でも必死になる。



 罠だ。

 コルススならば、平然と手下を盾にして、いずれ疲れ果てた彼女の隙を突いてくるに違いない。



「……パンリ。」


 だが内心、怒りにたぎっているはずの彼女が小声で呟いた。


 誰からも見えないよう、手を腰元で振る合図。


 逃げるように。

 そう示している。



(あたしがお前を戦いに加えようとしないのは、本当は、経験の差とか…そんな理由じゃない。

 …周囲を巻き込まずに戦うような、器用な真似できねえだけだ。)


 彼女は、地に伏したままのベルッサスに目を向けた。


 自分の怒りに任せた、源法術による戦闘が展開されれば、身動きのとれない彼が巻き込まれるのは確実だろう。

 だが元より、怪我を負って動けないような者を救うことも、かばうことも、この状況では出来はしないのだ。


 彼には恨まれるだろうが、今のカジェット空挺団に所属していた運の悪さを諦めてもらうほかない。



「…あたしが教えた術は、好きなように使え。

 元の仲間の所に帰るんだ。」


 少しずつ前進しながら、小声は続く。


 だが、せめて無関係の彼は無事に帰したい。

 最後に残ったのは、そんな切なる願いだった。



(すんません師匠…。

 やっぱ……こじれちまったものは、直せねえみたいです。)


 目を瞑る。


 初代カジェットの築いた全て。

 その地位を継いだ自分が、壊して良いはずはない。


 だが、他に方法は見出せなかった。

 師は笑うかもしれないが、これでも自分なりに必死にもがいた末の結果だ。



 背後で、砂利を踏みしめた音が聞こえる。

 パンリが傍を離れる音だろう。


 それを皮切りにして、瞼を開く。



 ―――初撃で決める。

 はじめから攻勢に出ねば、この人数は捌ききれない。


 半数を削ってからが本当の勝負。

 そこからは、自分にはこの地形を利用した、対コルスス用の策がある。



 だが。

 そんな風にカジェットの頭に巡っていた全ての血流は、一気に全身に霧散した心地だった。


 自分よりも前に出ているのは、もう去ったかと思っていたパンリの姿。



「貴女の言うとおり…」


 自分よりも何回りも小さな少年。



「学んだことを、好きに使わせていただきます。」


 月光の下。

 両者が、相まみえている。



 初めて彼と会った時と全く逆の光景に、時が遡る。



 今度は自分が、傍観者だった。





◆ ◆



◆ ◆



 小鳥は、枝の端や木々の間で、平穏にさえずっている印象がある。


 だが、その実。

 それらは、主に茂みや藪の中で日々を過ごし、耽々と獲物を待ち狙っているものだ。





「……何をやっていやがる。」


 下から真っ直ぐに向けられる少年の眼差しに対し、コルススは苦々しく呟いていた。



「小僧の方は、もうお呼びじゃねえんだ。

 さっさと尻尾を巻いて、この場から消えろ!」


 カジェットの前に出たまま微動だにしない彼に向けて、今度は自身の頭蓋にまで響く怒声を放つ。



「…私と勝負をして下さい。

 この前、貴方には殺されかけましたから、そのお返しをしなければ、こちらも気が済みません。」


 だが、胸を疼かせる瞳は背かない。

 臆すどころか、逆に粋がった言葉が返される。



「…誰が…誰に…仕返しだってぇ!?」


 コルススは込み上げた笑いを堪えきれずに、思わず噴き出した。



「それとも、最近は決闘を申し込むのが流行はやりなのか!?

 なぁ、おい…」


「私は源法術をたしなんで、二日ほどです。」


 冗談を交える相手に構わず、続けるパンリ。

 あまりに正直で慇懃いんぎんな独白に、周囲は水を打ったように静まり返る。



「これから新たに頭領を狙わんとする人間が、こんな素人に喧嘩を売られては、面白くないでしょう。

 器の小さい人間だと思われたくない、違いますか?」


「……。」


 コルススは余裕の表情から転じ、口を真一文字に結んだまま、その戯言たわごとに聞き入っていた。



 挑発であることは明白。

 両者の力量の差も歴然としている。


 相手にする必要など全く無い。



 だが。

 今のコルススは確信を持って、その決断が下せなかった。


 先刻、弟のベルッサスとの苦戦の様を、手下共に見られている。


 相手の質がどうであれ、理由も無く決闘を断れば、彼等に対して示しがつかない。

 団内での統率を、僅かでも失いかねないのではないか、と疑った。



「恐いですか。

 私を相手に、万が一でもあれば。」


 その心を見透かしたように聞こえる、パンリの言葉。


 笑う者はいない。

 吐息すら静まり、岩陰に潜む蛇蝎だかつの動きさえ耳に届きそうだった。



「…何を考えてんだよ。」


 やがて敵方の気持ちを代弁するかのように、パンリに声をかけたのは、背後のカジェットである。



「逃げろって命令したろ。

 …おかげで、奇襲が台無しだ。」


「貴女が…冷静でないからです。」


 いぶかる彼女に、パンリが目線で示す。

 そこにはコルススによって投げてよこされた、砕けた風来棒。



「布の結び方からして、あれはベルッサスさんの物ではありません。

 一方的に私刑にでも遭わせたよう見せかけ、貴女を怒らせようとしているのです。」


「そんなことは、どっちだっていい…!

 あいつがやられたのは、事実じゃねえか…!」


「ならば、向こうの人間が、ほとんど無傷でいるのは何故ですか。」


 パンリの言葉に促され、カジェットは改めて周囲を見回した。


 確かに、コルススの手下共に怪我を負っている者はいない。

 戦いがあった痕跡が全く見られないのだ。


 ベルッサスの力をもってして、彼等に埃さえつけられないのは、甚だ妙である。



「…まさか、あいつ……初めからコルススだけを狙って…!?」


 今度は視線を上げ、伏している彼を視界に納めて呻く彼女。



「彼は師が残してくれた空挺団を、貴女のように諦めていない。

 ……解りますか、この想い。」


「お、お前こそ、知った風な口を!!」


 自然と口をつく、むきになっていることを自覚できる言葉。

 紛れも無く、冷静でない証拠である。



「…確かに、あたしは今、全部をブッ壊そうとしていたさ。

 よくて五分五分の賭けだが……それでも仕方ねえと思っていた。」


 それを悟り、カジェットはやがて虚ろな笑みを浮かべた。



「本来なら、あたしが始末をつけなきゃならねえ問題に、お前らはそうやって、あえて土足で上がりこんでくるわけか。

 まったく身勝手な奴等だぜ。」


「申し訳ありません。

 でも…」


 嫌味のたっぷりと効いた言葉に、パンリは暫く間を置き。



「この感情に従う自分を、どうか許してください。」


 胸元を強く掴みながら頭を下げる。


 カジェットは大きく息を吐くと共に、いからせた肩から力を抜いた。



「いいだろう…混乱しきったこの空挺団を再びまとめるには、決闘こそ相応しい!

 だが、大将の私が出るまでもねえ。

 弟子が代役で充分よぉ!!」


 そしてパンリの背を思い切り叩き、周囲に響き渡る、気風の良い大声を放つ彼女。


 対し。

 コルススの顔面には、一気に憤怒の血管が浮き上がった。



「…いいのか?

 大層、その小僧がお気に入りのようだが……そいつは一度、お前を裏切ろうとしたことがあるんだぜ。」


 彼は激昂を必死に抑えながら、口を尖らせて言う。



「以前、オレと遭遇した時にな。

 『自分は無関係です。見逃してください。』ってよぉ。

 そんなカス野郎を、本気で信じられンのか?」


 パンリは口をつぐんだ。

 事実に、言い訳もしようがなかった。



「あたしがロクでもない性格だってのは、自分が一番良く知っている。

 いつ見限られても、無理はねえ。」


 だが先んじて返し、力強く彼の肩を寄せるカジェット。



「しかし、こいつは『今』、ここに残ってくれている。

 それだけで充分だ!!」


「小僧が負けりゃあ、お前はオレのものになり、カジェット=セイルクロウの名を譲る。

 この条件を飲むのなら、あえて挑発に乗ってやってもいいがな。」


「…発想が、細々と小せえんだよ。

 いっそのこと、ここで本当に全ての決着をつけてやろうぜ。」


 彼女は不敵な笑みと共に、筒と腕輪、リングの類を取り出して答えた。



「そっちも、この大会に関係してるものを全部出せ。

 勝った方が総取りだ。

 ゴールするのに必要な通行証だって、ここにある。」


 一挙一動に、皆の耳目を集めていた彼女だが。

 その頭は、いよいよ狂ってしまったのではないかと、誰もが思った。



 パンリと呼ばれている少年。

 彼は、大会のスタート地点の村での襲撃の折、カジェットが偶然に出会った者だということは周知である。


 あの時、恐れおののくことしか出来なかった、ただの子供風情では、とてもコルススの相手にはならないだろう。


 獣の前に生肉をブラさげれば、どうなるか。

 結果は、これ以上ないほど目に見えているではないか。



 彼女が自信をもって、彼に全てを託す意図が掴めなかった。

 ―――否、きっと何も考えていないに違いない。


 二代目カジェット=セイルクロウには、コルススのような狡猾さが圧倒的に欠けている。


 己の嗅覚だけで生きているためか、他者に対する意識や配慮も薄い。

 それが自分達を、逐一不安にさせてきたのだ。



「今の話、一字一句逃さず聞いたか?

 てめえら!!」


 皆が暗沌とする思いの最中、コルススが意気揚々として叫ぶ。


 後半戦を出遅れていた彼にしても、カジェットが出した条件は魅力的だった。

 二分して相争い、疲弊しきった空挺団の再興には、新しい飛翔艦は不可欠である。



「言っておくが、こいつは遊びじゃねえ。

 正真正銘、オレ達の未来を賭けた決闘だ!!」


 さらに大声を張り上げて、右腕を大きくぶん回す彼。



「明かりを掲げ、この場を囲め!!」


 周囲の殆どは彼の手下だが、カジェットも構わずに命を下した。

 その威勢に、彼等も従うほか無い。



 にわかに騒がしくなる周囲に、地に伏していたベルッサスが意識を取り戻す。

 彼は半分塞がった目で、三人の姿をはっきりと視界に納めた。



◆ ◆ ◆



 世界は、公平を拒み。

 どうしようもなく、不公平を愛する。


 種族や性別、生まれや貧富の差。


 だが、たとえ恵まれた側に生まれても、薔薇色の人生が送れるとは限らない。



 カジェット=セイルクロウは、二代に渡り、従者達と心の隔たりがあったと言わざるをえない。

 この騒動を巻き起こしてしまっていることが、良い証明だ。



 自分は彼女らと違い、凡夫で良かったと思う。

 才があるからこそ他者と相容れず、生きる枷となることを、傍で散々眺めてきた。


 そして才が無いからこそ、強者に従事し、それを補佐することが自分の身分に相応なのだと確信が持てる。



 だが、個々の器をはみ出した行為に対し、天は的確に罰を下すのだろう。



 先代の死の真相。

 その真意を知った時。


 自分は、分不相応の行動をしてしまったのだと痛感した。


 最も目を背けたい構図が、そこにはあったからだ。



 我が兄と対峙しているのは、こともあろうに、あの少年―――





 少年の習得の早さには、驚いたものだ。

 つい最近まで初歩さえ出来なかった彼が、源法術の数々を貪欲に吸収していく様を見るのは、少し複雑な気分だった。



 きっかけを掴んだ後は、まるで坂道を下る雪玉のようである。

 恐るべき素質が、その小さな体に眠っていたものだ。



 だがベルッサスは、不意に恐ろしくなったのを憶えている。



 最終的に、肥大していった雪玉はどうなるのだろう。


 どこかの平地で、大きいまま落ち着くか。

 そのまま加速して、何かに衝突し、粉々に砕け散ってしまうのか。


 この世で圧倒的に多いのは、後者だと思った。



◆ ◆ ◆



「…見ろ。

 代わりをあんな小僧に任せるなんざ、皆が呆れ果てている。

 敵、味方も含めてな。」


「…彼の力を…あまり見くびらない方がいい…。

 才能は…二代目に匹敵し…その資格は充分にある…。」


 コルススが語りかけるのを、ベルッサスは地に伏したままで返した。



「いい加減、夢から醒めてくれ。

 弟よ。」


 哀れむように、しみじみと呟き。

 その顎を持ち上げるコルスス。



「そもそも何故、歯向かったお前が、まだ生かされているのか解るか?

 肉親だからじゃねえ。

 その力量を買っているからだ。」


 彼の表情は、不思議と悪辣さが失せていた。



「オレが本格的に取り仕切れば、組織は今よりもずっとデカくなる。

 その時に、他にも手下共をまとめられる優秀な人間がいなくちゃあ、不便だからよ。」


「……私は…それほど優秀ではない…。」


「謙遜するなよ。

 お前は教え上手だし、部下の信頼も厚いことも知っている。

 それでいて、自分を磨く努力も怠っていないようだしな。」


 袖を捲くり、先ほどの激戦によるあざを撫でる様子に、遺恨は無い。

 ただ、続けられる甘言に、ベルッサスは言い知れぬ『むず痒さ』を背筋に感じた。



「頼む……。

 あの子の命までは奪わないでくれ…。」


 その一縷いちるの望みにすがるようにして、ベルッサスは懇願した。



「矛盾した願いだな。

 あの小僧の才能を認めているんだろう?」


「それは…長い目で見た時の話だ…。

 …初めて風来棒で空を飛んだ時、どう感じた!?

 何でも出来るような、不思議な錯覚に陥らなかったか!?」


 鉄面皮の弟が、珍しく形相を必死に変えて、前傾になって訴える。



「きっと今の彼も、それと同じだ…。

 急に力を得、一時的に気が大きくなっているにすぎない…。

 その才能と若さゆえ、思い上がっているんだ…。」


「ああ。

 確かに、空の飛び方を覚えたての頃は、どこまでも行けるような気がしたな。」


 口角を歪めるコルスス。


 その顔が一瞬、懐かしそうに。

 また、穏やかになる。


 だが、行き着いた先は、氷のように凍てついた表情だった。



「……やはり、全ての元凶は、初代カジェット=セイルクロウだ。

 さっさと引退して、オレに跡目を継がせ、あの女とお前を補佐役に据えてさえくれれば……こんな事にはならなかった。

 三人であの頃のまま、もっと高いところまでいけたに違いねえ。」


「そうだ…。

 これは、あくまでも我々の問題……。

 関係ない人間の未来までは…奪わないでやってくれ…。」


 もはや反抗の意思も無く、単純に頭を垂らすベルッサス。



「もしも願いを聞き入れてくれるならば…お前が作ろうとする組織に、この身を捧げても構わない…。

 二代目にも掛け合って、和平の道を選ぶよう勧める…。

 だから…」


「ダメだな。」


 だが、コルススは顔を寄せて言い放った。



「今さら仲直りだなんて……お互い、そんな軽い覚悟で争っていたわけじゃねえ。

 命のやりとりを始めたら、どちらかが果てるまでよ!!」


 瞬時に、返した手の甲で殴りつける。

 ベルッサスの紅い飛沫が、乾いた地面に飛び散った。



「あの小僧が無惨に殺されるのを見て、あの女につき従っていたことを後悔しろ!

 オレが欲しいのは、その絶望の果てに、生まれ変わったお前だ。

 現実を直視し、新たなカジェット=セイルクロウとなるオレを祝福できるような!!」


「……待て…!」


 まだ食い下がろうとするベルッサスを、傍にいた手下達が強引に地面に押さえつける。


 口を塞ぐためではない。

 彼がこれ以上殴られないよう、かばうためであった。


 その健気な様子を鼻で笑ってあしらい、コルススは緩やかな斜面を下りる。



「代役を立てた人間に、途中で手を出されちゃ困るからな。

 お前の動きは、封じさせてもらう。」


 彼の指示によって、左右からカジェットへと恐る恐る近寄る複数の手下達。



「ま、当然だ。」


 あからさまに畏怖した彼等の様子に苦笑しながら、彼女は自ら両手を背に突き出す。

 そこには縄がすぐにかけられ、厳重に締められた。



「……すみません。」


 自らが起こしたその状況に、パンリの表情に罪悪が滲み出る。



「今さら、そんな顔すんなよ。

 それより、お前にも何か策があるのかもしれねえが……とりあえず、あたしの奥の手も授けておいてやる。」


 だがカジェットは、軽い調子で彼を呼び、他の人間に聞こえないよう耳打ちをした。



「……わかりました。」


 パンリはすぐに頷き、無数の穴の開く周囲に再び視線を移す。



「だからこそ…この地を選んだのですね。」


「今のお前なら、あたしと同じことが出来るはずだ。」


 カジェットは断言した。


 だが、その笑顔の裏では、違いすぎる土台に悲観する心もある。


 やはり実戦と頭で浮かべた予測とは違う。

 それを埋めるものこそが経験なのだ。



 無論、パンリも解っている様子で、傍で屈みこみ。

 緊張を紛らわすため、靴紐や服を固定し直している。



「そうだ、もう一つ重要なことを言い忘れてたぜ。

 …これは師匠から聞いた話なんだが―――」


 強張った様子の小さな背に向け、彼女は付け加えた。



「大悪名、アルド=セイングウェイも『垂耳』だった。」


 その言葉に驚き、頭を上げるパンリ。

 既にカジェットは背を向けていた。


 彼は自分の頬を両手で強く張り。

 岩に立てかけていた風来坊を手に取って、接近する足音に視線を上げた。



「…おぅい。

 戦う前に、一つ聞かせてくれよ。」


 対面のコルススが、両の手首をほぐしながら関節を鳴らす。

 得物を一切持たないのは、せめてものハンデのつもりだろうか。


 否。

 彼がリーダー・ブレスレッドを外していることは、この一戦に油断が無いことを示している。



「お前の切れた足は、トカゲの尻尾みたいに生えてくるのか?」


 冗談を吐き続ける唇。



「だとしたら、少し面倒だと思ってよォ。」


 絶えず語りかけてくるのは、警戒心があるというあらわれだろう。

 かつて自分に負わせた傷が、跡形も無くなっていることに疑念を抱いているのだ。



「もう一度、切ってみたらいかがでしょう。

 そうすれば、解ると思いますよ。」


 パンリは危険を承知で、その質問をはぐらかした。



「…今度は、素っ首を飛ばしてやる。

 そうすりゃあ、もう、その舐めた口を聞くことはねえ。」


 一方的に言葉を締める相手。


 燃え盛る松明たいまつで出来た円陣が、彼の無表情を八方から照らしていた。



◆ ◆



 普段は平和な領空を、かつてない速度で駆け抜ける、たった二機のコルツ=デスタロッサ隊。



 戒は修道着越しに感じる寒気に、体が堪えるのを感じた。


 だが、脇に並んだ機体にマルリッパと同乗しているザナナは、更に薄い着物一枚。

 半裸に近いにも関わらず、よくも平気なものだと苦笑する。



 そんな折。


 自機のエンジンやプロペラからでない。

 耳に障る音を聴いた。


 戒には実感が薄いが、おそらく目標の空域まで、中ほども達していないだろう。



「嫌な予感、的中か……!」


 前の操縦席から、コルツの呟きと強い身軋りが伝わる。



「…何だ…?」


 振り返る戒。


 月光を返す、無数の鈍い光沢。

 戦闘騎の集団である。



「援軍じゃねえか?

 一体、どの基地から…」


 思わず連ねた言葉に、若干の期待がこめられているのが自分でも判った。



「……相変わらず、こっちが嫌がる用兵をしてきやがって…」


 だがそれは、コルツの低い声調によって、無惨にも打ち砕かれる。


 迫る機体の紋章エンブレムには、『三つの脚の馬』。

 中王騎士団の象徴が刻まれていた。



「最悪だ…!

 やはり、こいつら、つるんでやがった…!」


 戒はなびく後ろ髪を押さえながら、服の中で聖十字を握り締める。



「どうする…!?

 このまま背後をとられたままじゃ…!!」


 機体をさらに寄せたマルリッパが叫んだ。



「ただでさえ、時間が無いってのによ!!」


 コルツはエンジンの回転数を下げ、思考の中の選択肢に迎撃の二文字を加えた。



 背後の群れは、瞬く間に押し寄せて、無言の圧力を向けてくる。


 闇の中で一糸も乱れぬ、横並びの整列。

 秀麗な集団飛行であり、さらにそこへ先頭の一機だけが抜け出て、豪速度で追い上げてくるのが見えた。



(…騎士団には、これほどの奴がまだいるのか……?)


 マルリッパの機体に速度を合わせているとはいえ、ここまで素早く距離を詰められたのは意外。

 以前に交戦した銀の戦闘騎を思い起こしながら、コルツは、遂に機関銃の引き金に親指を添える。



「先に行って!

 ここは僕が引きつける…!!」


 マルリッパが叫んだ矢先、光が飛んだ。

 集団から抜け出た一機からである。



「…?」


 光は連続して点滅し。

 信号らしきものに変わる。



「奴等め…!

 白々しい……!!」


 コルツが大きく目を剥いて、まるで吐き捨てるように叫んだ。



「『こちら中王騎士団、蒼華の戦闘騎部隊である。

所属を名乗られよ。

貴兄らは、当団の管轄空域を無断で侵犯している。』……だって?」


 マルリッパは、戒とザナナのために信号を音読しながら、その真意を自問する。



「あいつら、この状況を知っていながら…いけしゃあしゃあと…!

 お返しだ!

 この緊急事態を、ありのまま説明してやれ!

 一体、どんなツラをするか拝んでやろうぜ!!」


 コルツの激が飛ばされるや否や、シャッターのついた発光信号用のランタンで打ち返すマルリッパ。



「……!!」


 そこへまた、すぐに返される光の連続。

 途端、二人の表情は固まった。



「何と言っている。」


 背後に迫る鎧姿の操縦士達をじっと睨みつけながら、今にも飛び掛かって行きそうなザナナが訊く。



「『それは、大変だ。

ぜひとも、我々も援護・協力させて欲しい。』…って…?…これ、どういうこと!?」


「どっ、どう考えても罠だぞ!!」


 再びのマルリッパの音読に対し、座席に噛りついて肩を震わせる戒。



「だが……撃つ気があるなら、とっくに撃っているはずだ。」


 左翼後方にまで迫っている、隊長格と思しき一機。

 そして、背後で展開する戦闘騎群を視界の端に納めながら、コルツが呻いた。



「てめえ!

 本気で奴等と協力するつもりじゃねえだろうな…!」


「前も後ろも敵じゃ、流石にどうにもならん!!」


 難色を示す戒に対し、彼は前を向いたまま怒鳴りつける。



 無論、本音では協力なぞしたくない。


 だが、目標との交戦を前に、わずかな消耗でも避けたい。

 今回の件と騎士団が、全くの無関係であるという危険な仮定を信じて、突き進みたい状況である。



 戒の意見は自然と却下され。

 マルリッパが協力を受け容れる旨を信号で伝えると、隊長格の一機は速度を落とし、隊列に戻って行った。



 それからの後方の戦闘騎群は、非常に慎ましかった。

 自分らは先導しているつもりは無いが、彼等は絶妙の距離をとって確実に後をついてくる。


 よほど訓練されている部隊に違いない。

 悔しいが、それが頼もしく感じざるを得なかった。



 そんな中、戒だけは振り返ったまま、彼等の動向を注意深く追っている。



 相反する組織。

 腰抜け中王都市軍と、憎き中王騎士団。


 こんなにも奇妙で、予想外な組み合わせは無い。



 彼等は、今にもこちらを蜂の巣に出来るよう、銃の照準を合わせているのではないか。

 そう思うと、まるで生きた心地がしなかった。




◆ ◆



◆ ◆



 松明の炎が遠巻きになり、殺風景な山岳に大輪の花をつくる。

 二人のためだけの、決闘場である。



 だが、コルススが注意する対象は、戦う相手ではない。


 カジェットとベルッサス。

 いま対峙している少年に、何らかを授けたと思われる彼等であった。



 どちらの影響を色濃く受けているか。

 コルススは、それを推測するだけで事が足りると、信じて疑わなかった。



(さて、こいつ…。

 風来棒を…どこまで使える?)


 漠然とパンリの全身を眺める。


 彼が手にした棒は、ただの異物として握られている、その程度の印象だった。



(大方、ただの威嚇だろう。

 本格的に風を乗りこなすのに、数ヶ月はかかる。

 …あの女が、要領よく教えられるはずもねえ。)


 一歩踏み出すと、案の定、パンリはその分を退いた。

 距離をとろうとする相手に、コルススも必要以上に追わなかった。



(ならば、ベルッサスの奴が格闘を仕込んだか?

 いや…それも、それなりの体格が前提にあってのこと。

 こいつは、あまりにも貧弱…。)


 身の構えだけで、実力の程は知れる。

 パンリの姿からは、その種の圧力が全く感じられない。



 ただ一点。

 自分に向けられている、闘志に溢れた双眸のみを除いて。



(…こいつの自信の根拠は、やはり……!)


 ―――才あれば、肉体を鍛えるより遥かに早い期間で、人を殺すことを可能とする。

 源法術である。



 逆に考えれば、パンリの活路はそこにしかない。


 改めて結論づけて、焦れる。

 いっそのこと、一気に屠りたくなる衝動に駆られそうだった。



「どうした。

 今回は、『源・フェルー・ド』は使わねえのか?」


「…あの時の…何も知らなかった私とは、違います。」


 向き直り、正対したコルススに、パンリが落ち着き払った声で返す。


 距離にして、数歩。



「ならば……代わりに、オレが使わせてもらおうか。

 ―――《源・フェルー・ド》!」


 コルススの諸手より、発せられる小さな光。

 無防備な鼻柱に、わずかな衝撃が走り、パンリはのけぞった。



「ほれ、どうした。

 かわせよ、《源・フェルー・ド》!!」


 再び、冗談交じりに放たれる光球。

 今度はパンリの足を捉える。


 威力こそ、小突かれた程度だが。

 それが何を意味しているかは、両者には解っていた。



「その位置でいいのか?

 次は、もっと威力の強い術でいくぞ。」


「…いっそのこと……貴方の持つ最大の術を使ったら如何ですか?」


 強がりながら、後退するパンリ。

 体が反応するには、まだ距離が足りないことを悟った様子であった。


 場慣れしていない証拠を早くも露呈した相手に、コルススは笑いを必死に噛み殺す。



「まあ……慌てるな。

 こっちとしても、少しは楽しませてもらいたいじゃねえか。

 ―――《風・ハイ・ド》!」


 会話も途中、閃光と衝撃。

 その不意打ちに合わせ、パンリが地面に伏せる。



「《石・ザイ・レイズ》!!」


 小柄な体を隠すように地が盛り上がり、生成される岩の壁。



 両者の闘いを見詰めるベルッサスが、息を飲んだ。


 はじめは初歩の術すら使えなかった少年が、実戦で申し分の無い集中力を発揮できている。


 選択も悪くない。



 しかし、相手が悪い。



「壁ごと吹き飛びやがれ!

 《風・ハイ・ド》!!」


 コルススは容赦しない。


 岩に打ち続ける衝撃。

 その裏で身を隠すパンリの肩口に、火花が弾雨のようにかすめていく。



「小僧。

 そのままじゃ、逃げ場はねえぞ……」


 コルススの余裕の口ぶりと、術が同時に止まった。


 岩の壁は無傷。

 代わりに、胸が悪くなるような、嫌に焦げ付いた臭いが辺りに立ち込めていた。



 屈み、足元の地面に触れてみる。

 砂利と共に、指に付着する光る粒。


 即座に彼は、相手の企みを理解した。





 盾とした壁は、想像以上の用を成してくれた。

 自分は、とりあえず無事である。


 緊張と疲労。

 気が遠くなりそうな、荒々しい呼吸の中、パンリは自分の頬が持ち上がるのを感じた。



 ―――まるで、戦記の主人公になったような気分だ。


 わずかに砕け散った岩の破片を拾い、眺めてみる。

 今でも、自分が現実にしていることとは思えない。



「…おいおい。

 大口を叩いた挙句、隠れているだけか。

 そんな虫も殺せないような顔じゃあ、当然だなァ?」


 壁に背をもたれて息を整える中、相手の挑発に思わず顔を上げた。



 中性的な容姿。

 獣のような耳。


 何度、蔑まれたことだろうか。

 何度、その場から立ち去り、聞こえないふりをしただろう。



 ―――今は、応じることが出来る。



「つまらん小細工に付き合うのは止めにしたぜ。

 …お望みどおり、オレの持つ最大の術で、これから首を刎ねてやろう。」


 岩陰から身を乗り出して様子をうかがうと、コルススは爪を立てた右手を背後に、姿勢を低くとっていた。


 前に切断された足が、疼く思いがした。



「やはり貴方は…その術に相当の自信を持っている…。」


 その場を離れずに、パンリは震える指で襟元を開けながら、言葉を放つ。



「源法術の中でも、上級の威力を誇る『風・走(ハイ・ゾン』…。

 ですが……習得が難しく、術の軌道も直線的であり、有効範囲が狭い。

 そして何より、術者本人の消耗が激しいことが大きな欠点です。」


「……。」


 コルススは、あえて黙って聴いた。

 やはり、壁越しの相手がダメージを受けていないことが、流暢な言葉使いで判る。



「大抵の術に関しては、このとおり頭に詰め込みました。

 特に貴方の得意とするものに関しては、具体的な対処法を、既に聞かされています。

 過去に痛い目に遭わされていますからね…。」


 パンリは喋り続けた。

 そうして相手が聞き入る隙に、彼は地面の砂利を大きくすくって握り締める。



「…それがどうした。

 理論や理屈で、人が殺せるとでも思うのか?

 勉強しただけで勝てるなら、世話ねえのさ、小僧。」


 やがて否定の文句と共に、コルススは岩壁へと歩み寄った。



「…ならば、試してみますか?」


 少年の言葉は、いちいち癇に障る。


 不敬であり。

 不敵だった。



「安心しろよ、小僧。

 もう、挑発する必要なんてねえんだ。

 こっちは、乗ってやるって決めたんだからよ。」


 コルススは歩を止め、わざとらしく肩をすくめて見せた。



「確かに、『風・ハイ・ゾン』の消耗は激しい。

 オレでさえ、日に三回の使用が限度だ。

 しかも、そのうちの一回は、さっき弟との戦いで使っちまった。」


 彼の言葉に嘘は無いことが、周囲の手下達の困惑した表情から汲み取ることが出来る。



「ペラペラと、こちらがタネを明かすのが解せないか?

 まあこれは……間抜けな師匠を持った、憐れなお前への、せめてもの手向けだと思ってくれりゃあいい。」


 不気味に微笑みかけるコルスス。



「こんな場所で待ち構えてるなんざ、初めから妙だと思っていたが…。

 なるほど、昔の採掘場らしく、ここらの土は金属質を多く含んでやがるわけだ。」


 そして見回す、洞窟など穴の開いた地形。



「確かに硬い、硬いなぁ!

 いくらオレの術でも、これを切断するのは無理だ!!」


 強く両足で地を踏む間、彼は遂に堪えきれずに吹き出した。



「オレの『風・ハイ・ゾン』を、お前はあと『二発』、さっきのように壁で凌げばいい。

 簡単だろ?

 そうすれば、オレはもうクタクタに疲れて、術を使うことが出来ない。

 後はもう、楽勝じゃねえか。」


 しかし、すぐにコルススは嬌態を止め、態度を一変させる。


 再び態勢低く。

 右手を背後につけて、大きな溜めを作りだした。



「…だが、これからの攻撃は、さっきのように直線で放たれると思うな。

 様々なフェイントと、角度をもって襲い掛かる。

 素人のお前に、本当に防ぎきれるか?」


「……!」


 パンリの顔に、はっきりと絶望の色が滲んだ。



「口車に乗せられて、肝心な点を分かっていなかったようだな。

 あの女が立てた作戦は、お前なんかが出来る代物じゃない。

 …地獄で恨めよ。

 無茶な作戦をけしかけた、バカな師匠になぁ!」


 コルススが跳ぶ。


 たまらずに半端な姿勢で岩陰から飛び出したパンリは、すぐにバランスを崩し、片手をついた。


 だが、残る片手で握った棒が地面を凪ぎ、かろうじて砂利を乗せる。

 それは迫るコルススに向け、真っ直ぐと掲げられていた。



「…《石・ザイ・ボルグ》!」


(…壁ではなく……!

 風来棒で防ぐつもりか…!?)


 若干予想とは違ったパンリの行動に、コルススは動きを鈍らせる。


 だが、前の戦いでベルッサスが用いたように、棒が硬質化される気配は無い。



「!?」


 狼狽するパンリの表情。

 一瞬、対するコルススも同じ心地に陥ったが、答えは簡単だった。


 術の不発である。



「《石・ザイ・ボルグ》!!」


 再度のパンリの言葉も虚しく、続く二回目も不発。

 棒は、何も変化を起こさなかった。



「集中が切れたんだよ!

 素人が!!」


 勝利を確信し、強く地を踏むコルスス。


 直線的な動きが止まり。

 左にステップしてから、すぐに右へと返り、最後は上へ跳び込む。



「《石・ザイ・レイズ》!!」


 棒を投げ捨て、パンリは両手で地面を叩き、最後の苦し紛れを行った。


 再び発動する、地面を直接媒体とした岩の壁。


 だがコルススはそれを軽く蹴り飛ばし、その反動で斜めから迂回。

 難なく、パンリの背後に回りこむ。



 硬直して動けない標的へ、中空にいる時から、既に狙いは定まっていた。



「《風・ハイ・ゾン》。」


 相手の延髄めがけ、手の平を突き出す。


 抑揚の無い非情な声が、乾いた地に響き渡った。



◆ ◆



 東部に位置する、中規模の町を越える。


 そこで寝静まった民も、まさか中王都市軍・騎士団の連隊が、遥か頭上を駆け抜けている姿など、夢にも見ないだろう。



 果てしなく思える、過酷な空の旅。

 唯一歓迎してくれるのは、自然。


 目の退化した夜行鳥の群が、仲間と勘違いして機体の列に並ぶ。



 本日の見所は、海原のように雄大に隆起し、横一杯に広がった流れ雲。

 そして、その隙間から、闇夜に降り注いでいる月光で御座います―――



 だが、感傷も長くは続かない。

 天然の照明が、遥か前方に巨大な影を照らしたことで、現実に連れ戻される。


 ―――フィンデルが用意した念通士によって、事前に索敵された方角。

 件の飛翔艦である。



「…あのデカブツの他に、何か見えるか?」


「いや……!」


 敵護衛機と一戦交える覚悟だったコルツの茫然とした問いに、後部座席で眉間にしわを寄せる戒。



「こっちの信号にも、反応無し!!」


 飛翔艦に対する停止の呼びかけも空振りに終わり、マルリッパがランタンを振り回して叫ぶ。



「こうなったら、罠だろうが何だろうが……行くぞ。」


 迫る飛翔艦に対し、徐々に機体の速度を緩めるコルツ。



 その時。

 騎士団の動向。


 操縦に集中していた彼は勿論のこと、戒も眼前の目標に気をとられ、その事実に気付くのに遅れた。



「おいッ!!

 いつの間にか、連中……数が減ってるぞ!!」


 首を真後ろに向けたまま、戒が喚く。



「…奴等、手馴れてやがる。」


 コルツは耳を澄まし、感嘆と共に上空を指した。



 薄雲の中から聴こえる、かすかなエンジン音。


 騎士団は部隊を半分に分け、片方を待機させるつもりなのだ。

 それは目標に対する用心であり、全隊の動きを悟られないようにする意味合いも兼ねている。



 ほどなくして、隊長格の機体から、具体的な指示を求める信号が発せられた。



 ―――飛翔艦に接近し、戒とザナナが侵入。

 まずは格納庫を制圧した後、発進口ハッチを解放し、そこから戦闘騎が突入するという流れである。


 マルリッパは、それを光信号で騎士団側に伝えた。

 若干の沈黙の後、了解の意を示す光が飛ぶ。



「『イカれてやがる』だとよ。」


「…大きなお世話だ!

 俺様の気が変わらねえうちに、さっさと行っちまえ!」


 戒は両腕を組んだまま、覚悟も半ばに命じた。



 すぐさま反転し、機体の向きを飛翔艦の針路に合わせるコルツとマルリッパ。


 騎士団の部隊は、上昇。

 邪魔にならないよう、旋回しながら待機する構えである。



 だが、周囲を虫のようにたかられても、艦は依然として緩やかな飛行速度を保っていた。

 胴体後部の装甲へ目掛け、まずはザナナが降下。


 躊躇は無い。


 横殴りの突風をものともせず。

 絶妙なバランス感覚で、艦体の表面に裸足を吸い付け、扉の傍へと到達する。



「次は俺様だな…。」


 じっと身を屈めて待機するザナナを眼下に、戒はタイミングを計っていた。



「頼んだぞ…!」


 コルツの祈るような本音が聴こえ、それを合図に身を投げる。



「!!」


 だが予想以上の突風に、修道着が煽られた。

 ほぼ真横に泳いだ戒の体を支えたのは、咄嗟にその手を掴んだザナナだった。


 その際に、肘の皮が伸ばされて、筋肉と健が嫌な音を立てる。



「…平気か。」


「こんなもん…鼻毛を抜く程でもねえ。」


 ようやく艦体表面に張り付いた後、ザナナから出た心配に、舌打ち混じりに答える戒。



 コルツとマルリッパは、二人の無事を見届けて離れていく。


 腰から解いた命綱を直ちに放り投げ、戒は小さな鉄扉を開けた。

 イマツェグの情報どおりならば、この縦口は格納庫へと直接繋がっているはずだ。



「ならば……先を行く…!」


 設置されている鉄梯子すら使う間を惜しんだザナナが、一気に飛び降りる。


 下への着地と同時に両手で槍を上段に構え、辺りを威嚇。

 が、それを出迎えたのは戦闘騎が一機のみ。


 格納庫は、完全に無人だった。



「…拍子抜けだな。」


 梯子を慎重に降りきった戒も、安堵の息をつく。


 爆薬などが満載され、異様な武装集団が跋扈ばっこしている図を、勝手に想像していた。



 丹念に辺りに気を配る最中。

 床に響く自分の真鍮入りブーツが、潜入向きでないことが知れる。


 だが、それが全くの杞憂に思えるほど、周囲に人の気配は無い。



 二人は無言で視線を交わし、鈍重な発進口ハッチのレバーに手をかけた。



◆ ◆



 勝利を祝福する血しぶきはなく、代わりに浴びたのは石の飛礫つぶて

 その意外すぎる洗礼に、コルススは瞼を狭めた。



「……!?」


 薄目のまま確認するパンリの首と胴は、分断されていない。

 自分の最大の術を直撃させたにもかかわらず、その身は、やや沈んだ程度である。



 真一文字に裂かれた、その服の襟元。

 隙間から覗く、硬質。


 パンリの首は、周囲の石と同化して守られていた。



(あの術は…失敗なんかじゃねえ…!)


 棒ではなく、自身を覆うため。

 そして最後に出した岩壁は、接近するであろう自分に、それを悟られないよう死角を作るため。



 相手の真の狙いに気付くのと同時に、眼前の影が揺らぐ。


 自分はまだ、視界が完全に晴れていない。



「…《氷・チス・ラキナ》!!」


 パンリの細い指先から飛び出す、細く尖った氷。


 反射的に顔を逸らす。

 喉元を、冷たい塊がかすめた。



「……くそッ!!」


 コルススは両目を乱暴に擦り、外野に向けて睨みを利かす。


 会心の笑みを浮かべているカジェット。

 決闘の寸前、彼女がパンリに何かを吹き込んだのは承知していた―――



「……っ!!」


 絶好の機会だがパンリは激痛のあまり、それ以上の攻撃を重ねられず、片膝を落とす。


 人体を容易に切断せしめる術である。

 いくら特製の『岩の鎧』越しとはいえ、全身に堪えた。



 一方、態勢を戻すコルスス。

 だが手下の目が、少年の変調ではなく、自分を凝視していることに気が付いた。



 己の鎖骨にまで達する、熱い液体。


 恐る恐る、首筋に手を当てる。

 噴き出す程ではないが、薄く裂けた皮から、鮮血が染み出している。


 まるで赤い前掛けをしているような自分の姿に、周囲は驚いていたのだ。



「…確かに……才能がある。」


 どこかで相手を侮っていた傲慢さを嘲るように、コルススは虚ろな表情で呟いた。



「よく短期間で…ここまで…。

 弟の言ったとおり、逸材のようだ…。」


 少し間違えば、頚動脈を切られ、絶命していた。

 相手が、自分と対等の位置まで来たことの証明としては、充分だった。


 屈辱で、耳朶の下で奥歯が鳴る。



「《炎・ホヲラ・ゴ》!!」


 患部を抑えた手を中心に、爆風を起こす彼。


 自らの肌を焼き。

 強引に傷を塞ぐという乱行に、周囲の松明が興奮で揺らいだ。



「認めてやる。

 だが―――あくまでもそれは、『源法術』の話だ。」


 不意の接近。

 前蹴りに続き、肘の一閃がパンリの横っ面に決まる。


 避けきれず、まともに食らった彼は、残る膝を地につけざるをえなかった。


 そこへ、さらに鼻柱を目がけて蹴り上げるコルスス。

 パンリはそれを拾い上げた風来棒で受け、何とか直撃を防ぐ。



「何が、首を刎ねるだ…。

 安い挑発に乗せられた挙句、してやられ……逆に『このザマ』だ。」


 衝撃で遠のく相手の姿を追わず。

 地面の一点を見詰めたまま、コルススは低い声で呻いた。


 だらりと下げた両手から、焦げた皮膚の粉が散る。



「お前は、強い。

 単に勝ちを優先することを…もう恥と思わなくても良さそうだ。」


 そして適当な石を拾い、手の中に忍ばせる彼。


 その硬い拳が、振り向きざま直後に、パンリに振るわれた。

 細身の体が浮き、その手から風来棒が落ちる。



 格闘には、思考の介入する余地が少ない。

 コルススの行動を想定した中で、最悪の事態が、まさにこれであった。


 直角に曲げた両腕が、上下左右あらゆる方向から襲い掛かる。

 一直線上の戦いならばまだしも、横や縦の動きについていけるほど、自分は戦い慣れしていない。



 ただ殴りつけるのみ。

 コルススは原始的だが、最も堅実な方法を、ここで選択した。


 今の彼にとって、周囲の目は無いに等しい。


 ただ機械的に間合いを詰め、石を仕込んだ重い拳を振るう。

 それを繰り返すのみである。



「…運の悪い奴だ。

 あの女にさえ関わらなければ、平穏無事に暮らせただろうに。

 オレと戦うことさえしなかったならば、将来、その才能を生かせることも出来た。」


 やがてコルススの口を突いた言葉に触発され、パンリの脳裏に様々な過去が甦る。



「ちがう…」


 彼は膝を掴みながら、まだ身が動くことを確認した。



「……誰よりも幸運なんだ…」


 そして、震える腕に力を込め、上体を起こす。



「私は…わずか数日の間で、素晴らしい師に二人も出逢うことが出来て……。

 かけがえのない仲間に、何度も助けられた…。」


 もはや、これが一方的な処刑であることは、誰の目にも明らかであった。

 立ち上がった彼は、なすすべもなく次々と喰らった痕―――体の到る部分を腫れ上がらせている。



「そして…この『きっかけ』が無かったら…この先もずっと、悔しいことに目を背け、何かを理由にして逃げ続けていた…。」


 だが、切れた唇から発せられる言葉。



「ありがとうございます…!

 私の前に、敵として現れてくれて…!!」


 虚勢。

 比類なき強情さに、周囲の者達は驚愕を重ねた。



 そうまでして何故、コルススに抗うのか。

 彼の暴力の前に屈するしか無かった彼等にとって、少年の姿は理解しがたいものであった。



「オレは、踏み台にするには高すぎるぞ。」


 平淡に呟き、拳の中の石を握り直すコルスス。



 いつの間にか決闘の場は、その役目どおり、二人の空間となっていた。


 そして彼等の位置は、初めの場所から、幾つもの穴が開いた所へと移っていく。



 鉱物が掘り尽くされた墓場。


 その洞窟の中の一つを、パンリが感慨深く見入り、おぼつかない足で近寄る。

 そして、後を追うコルススを一瞥し、最後の力を振り絞って中へと駆け込んだ。



「…いよいよ、終演らしい。」


 コルススは自ら勝利を宣言するかのように両腕を広げ、腫れた手の中から石を落とした。



◆ ◆



 あまりにあっけない侵入劇。

 機体から降りてきたコルツとマルリッパも、一様に冴えない表情を浮かべていた。



 開かれた発進口ハッチからは、続けて騎士団側の戦闘騎と人員がなだれ込んでいる。


 胸に青い線が引かれた皮鎧に全身を固め。

 各自、大鉈を腰に佩び、頭髪を剃り上げた、巨躯の者ばかりで構成された威容。


 コルツは負けじと、そんな厳つい騎士達の前に歩み寄り、下から睨みつける。



「―――なんつぅ作戦だよ…。

 軍隊ってのは、意外と無茶をする奴等なんだなぁ。」


 そこへ、少し間延びした声。

 最後に格納庫に降り立ったのは、先の隊長格の男である。


 垣根のような大柄な集団を掻き分けて前に出る彼の外観は、思ったよりも若い。



「ン……おたくら、本当に軍隊の人間か?

 随分と面妖な……」


 早速、修道着の戒、不笑人のザナナを目に留め。

 面白がる彼。


 防風ゴーグルを外し、山なりに立てた頭髪を両手で直しながら、それは人懐っこい笑みで歩み寄ってくる。

 部下の雰囲気とは正反対の、気さくそうな青年であった。



「コルツ=デスタロッサ中尉だ。

 とりあえず、協力を感謝する。」


 嫌に平然とした相手の様子。

 その真意をまだ読みきれないコルツは、まずは口先だけで礼を述べた。



「こりゃあ、光栄だな。

 同じ空に携わる人間として、そちらの評判は聞いてるぜ。」


 だが、わずかな感嘆を呟いただけで、握手を求めてくる彼。



「最近の景気はどうだい?」


「おかげさんでな。

 前の戦闘で、ほとんど壊滅状態だ。」


 コルツは応じずに、さらに探りを入れる。

 だが、騎士達の表情に変化は見られない。



「へぇ。

 軍隊は、うちらより台所事情は良いと聞いてたがね。」


 肩をすくめて屈託の無い男の笑顔には、肩透かしさえ食らうようだった。



「申し遅れた、俺はダラス=メルステン。

 蒼華の戦闘騎部隊を仕切ってる。

 とはいえ、こんな状況だ。

 挨拶も程々にしようか。」


 片手を軽く挙げて号令。

 背後の面々が、背筋を伸ばして一歩前進する。



「メルステンといえば、たしか騎士団の名家の一つだよ…。」


「何だぁ?」


 マルリッパが戸惑いながら呟く説明に、戒が口角を歪めて撫でた。



「また、ボンボンの坊ちゃん部隊かよ。

 勘弁してくれ。」


 その分かり易い侮辱に、並んだ騎士達は、無言で腰の得物に手をかける。


 ―――だが、それを御したのは他でもない、メルステン自身であった。



「手厳しい挨拶には、慣れっこさ。

 ファグベールの伯父貴おじきにも、会う度に言われていることだしな。」


 あの剛直で口うるさい老騎士は、最近どうしているだろうか。

 そんなことを軽く心に思いつつ、まだ真新しい床を踏み鳴らす。



「しかし、おたくらの情報だと、こいつが首都の王宮を狙っているってことだが…。

 抵抗が一切無いのは何故だ。

 外部の侵入者に対し、ちょっとおかしくないか?」


「ああ。

 まるで幽霊船だ。」


 コルツは、他人事のように返した。



「ま、あれこれ議論するよりも、制圧しちまうのが一番てっとり早いか…。

 幸い、こちらには腕自慢君が沢山いる。

 何か艦内の情報があれば、もっと楽なんだが…」


「それなら、これだ。」


 催促されるがまま、戒はイマツェグから預かった見取り図を差し出す。

 それを渡すつもりは無かったが、メルステンは存外に強い力でそれを抜き取ると、背後の面々に広げて見せた。



「…全員、すぐに憶えろ。

 お前とお前は、機関室。

 残りは、俺とブリッジの制圧。

 ―――進撃。」


 そして手際よく組を分け、廊下へ吶喊とっかんする彼等。



「おい……図面…」


 そのあまりの機敏さに何も出来ず、戒は片手を伸ばしたまま間抜けな恰好で呟いていた。


 静けさを取り戻す格納庫。

 残された四人は憮然として、顔を見合わせるばかりだった。





◆ ◆



◆ ◆



 恐怖。

 人の本能に根ざし、その行動を支配する要素の最たるもの。



 それに打ち克てる者を指す言葉が、『強者』なのだとすれば。

 先ほど己の傷に対し、乱暴な治療を施した相手―――相手には、その資質がある。



 自分はどうだろうか?


 今の自分が最も恐いと感じるのは―――大好きな仲間の顔を、まともに見られない生き方をすることだ。



 ただ強く変わりたいという、曖昧な願望から始まった旅から、どうして、そのような結論に行き着いたのか。



 よく解らない。



◆ ◆ ◆



 コルススは闇の中を追った。


 洞窟内は分岐も無く、天井は背がつかえそうなほど低い。

 片手に掲げた松明の炎で、そこに自身のおぼろげな影が揺らめくのを、視界の端で一瞥する。



 一見、相手は追い詰められた末に、ここへ逃げ込んだように思えた。

 だが、このように極端に狭く、細い地形では、直線的な戦いが必然となる。


 人数の差を埋めるためには、もってこいの場所だろう。

 さらに今では、互いの身体能力の差を埋める作用も果たしている。



(ここも……あの女の思惑…。

 外での作戦の延長…なのか…?)


 首筋の火傷が疼く。

 道幅はさらに狭まり、自然と腰が引けた。


 そこで、音の反響が変わる。

 前方で不意に感じる、体温。



 ゆっくりと、松明の炎を向けた。

 ―――闇に溶けるように浮かぶ、少年の姿。



「…ひとつだけ、教えて下さい…」


 病人のように洩らされる吐息に、コルススは歩みを止めた。



「…私の知らない…貴方とカジェットさんの関係を……」


「そんなものを、訊いてどうする。」


 問答に彼がまともに付き合う気になったのは、相手の位置を掌握できた安堵からだった。



「大会が始まる以前…貴方は、彼女に『自分のもの』になるよう呼びかけていました。

 地位や名前だけが狙いだけではない、そこに何かを感じたのは……私の錯覚でしょうか。」


「オレがあいつに、特別な好意を抱いている。

 そう問いたいわけか?」


 若干、照れた言葉に、小さな影は身を乗り出してくる。



「ならば……今からでも、全てをやり直すことも出来るのではないかと思っています。

 貴方に、その気さえあれば…」


「ククク。

 この期に及んで…どいつもこいつも…」


 思わず、傍の岩壁を殴りつけたい衝動。

 猛烈に込み上げた笑いを、コルススは必死に抑え込む。



「立会人が不在だったとはいえ……あいつはカジェット=セイルクロウの名を継いだ者。

 同じ源法術士として対等に扱えば、かなりの数の団員が与しようとしただろう。

 それを止めるため、あいつが『女』であることを強調して演出する必要があった。

 こっちが強引に言い寄っているように見せかけてな。」


 彼の剥き出す犬歯が、松明の炎を照らし返した。



「無論、周囲にオレの方が優秀だと認めさせることさえ出来れば、そんな演技も終わりだ。

 全身を切り刻んだ後、先代と同じ墓にブチ込んでやる。」


 およそ、この世の全ての負の感情が集約されたような。

 今までパンリが見た経験の無い、醜悪な人間のかおだった。



「だが…女につくよりはマシだという程度で、オレに付き従った連中も程度が知れているな。

 奴等のように平凡なクズどもも、組織が大きくなった暁には、お払い箱よ。」


 先代の遺物を、微塵も受け継ぐ意思は無い。

 自分が後継として選ばれなかった悔恨と叛発が、今でも言葉の端々に込められている。



「弟の奴は、自分で物事を考えろなどと、世迷言を抜かしていたが…。

 所詮、弱い者には、生きるための選択肢は限られている。

 そんな奴等を導いてやるには骨が折れるからな。

 苦労の対価に見合わぬ人間など、そばに居させてやる必要など無いだろう?」


 同意を求めるように肩をすくめ、拳を握る。



「この世は、どのような間柄だろうと、互いの打算と見返りで成り立っているんじゃねえか。

 それらが釣り合わなくなった時は……決別するまでよ。」


 一連のコルススの言葉で、パンリは理解できた。


 自分が恐れるものの正体。

 それを知る糸口となったのは、この真逆の存在の相手だった。



 本当に大事なのは、力の有無ではない。

 期待に応えられないことは、裏切りではない。


 無償の絆の存在を、今の自分は強く確信できる。



 いつも己の弱さに不安や負い目を感じ、怯え。

 特別な人間や、志ある者の邪魔をすることはならないと、卑屈になっていた。


 自分はそんな、とても『おこがましい』理由で逃げだした過ちを、まだ面と向かって仲間達に謝っていない。



「…数奇な出会いの数々は……この答えを導き出すためのようにさえ思います…。」


 パンリは祈るように、ただ呟いていた。



「いま…帰ります…。

 自分のもてる…全力……最高の術で…」


 不意にパンリは立ち上がり、岩壁を離れた。

 そこが既に、洞窟の行き止まりであったことにコルススが気付いたのは、その時だった。



◆ ◆ ◆



 シュナから貰ったクッキーを、口に含む。


 材料も調理道具も満足でない選手村で、大した出来だ。

 バターとシナモンの利いた、甘くて優しい香りが鼻腔に立ち込め、すぐに全身の疲れが薄まるような気がした。



「―――いいか。

 詠唱を使う術は、源法術士の切り札だぞ。」


 パンリが呑気に感心をしていると、カジェットが脇から、そのクッキーの包みに手を伸ばしながら言った。



 ウベ神父らと別れた直後。

 山頂へと場所を移す最中、彼女は手短に教えてくれた。



 威力や効能が高い術の発動ほど、精神の集中を要する。

 それを補助するものが、『詠唱』である。



 つまり、主な用途として、高難度の術の発動。

 例外として、術の威力の単純な向上、が挙げられる。



「で…なんだ……うん。

 お前は、どんな切り札を持ちたい?

 詠唱を必要とする強力な術……教えられる範囲ならば、何でも教えてやるよ。

 ほ……美味いじゃねえか、このクッキー…」


 口と包み紙の間に、手を忙しく往復させながら。

 カジェットはさらに、こうも言った。



 ―――源法術士が、必要以上の強大な力を持っていることに越したことは無いんだ。


 そう、嫌そうな顔をするなよ、初心者くん。



 人生には、何があるか分からない。

 そんな時に何も出来ず、無力を痛感したくないのなら。


 この新米師匠の言うことを、ちゃんと聞いておけ―――と。



◆ ◆ ◆



「グース・バーヤの山に、十を捧げよ。

 されば十を授けん―――」



 瞼を閉じ、無防備にさらけ出す。

 パンリの体と言。



「グース・バーヤの谷に、十を捧げよ。

 されば十を授けん―――」


 源法術の詠唱に規則は無く、それを聴いただけで、どのようなものが放たれるかを察することは、至難である。



(…この術……!)


 だが、この時ばかりは、コルススには鮮明に思い出された。



 よりによって、自分の最も得意とする『風・ハイ・ゾン』。

 相手が唱えているのは、かつて師から教わった詠唱と全く同じである。



 確かに、詠唱は先人が考案したものを、そのまま使用するのが常。


 伝統は、得てして洗練されており。

 整った韻律を踏む分、集中力が増す。



 だが、完全に舐められたものだ。


 コルススは一旦、右手を後ろに振りかぶる。

 撃ち合いになれば当然、詠唱を必要とせず、錬度も充分な、自分の『風・ハイ・ゾン』の方が早い。



 しかし闇の中であることが、寸前のところで彼の行動を止めた。

 万が一、仕損じた場合を考えれば、ここで対抗することは賢い選択ではない。


 消耗の激しいこの術を、あと一度放てば、自分も後を失うのだ。

 相手は、先の戦いと同様、何かを企んでいる恐れもある。


 松明を前方に投げ捨て、コルススは前へ飛び出した。



「天空の牧、カジェット=セイルクロウの名において、原初の風を与えたまえ―――」


 パンリの両手が、指を開いて突き出される。


 が、その照準は外れていた。

 迫ったコルススの身体は、既にパンリに密着し、その手を掴み上げている。



「《風・ハイ・ゾン》!!」


 手を左右に捻られ、その身が大きく宙に浮いたまま。

 術の発動は、止まらなかった。


 直後。

 コルススの背後で、岩が風の刃に抉られる音が響いた。



(勝った……!)


 完全に動きを封じた相手を見下しながら、コルススは嗤う。

 同時に、その表情が止まった。



「…自分が得意にしているからこそ…余裕ある対処が出来る…」


 呻くパンリ。



「だから…必ず…そう来ると信じていました……。」


 浮いた膝が、コルススの左胸に届いている。



 手からではなく、足からの発動。


 疾風は、コルススの胸筋と肋骨を裂き、心臓を薙いでいた。



 源法術を放つ部位は、利き手が最も集中できるとされている。


 しかし理論上は、全身のどの部位からでも放つことが可能である。



 ―――先代が考案した、『四極しきょく』。


 両手に両足を含める、四肢を用いることからそう呼称される秘儀だが、この特異な芸当をこなせる人間を

コルススは二代に渡るカジェット=セイルクロウ以外に知らない。


 そのくらい、実践できる者は稀なのだ。



 自分も何度も習得を試みたが、努力の分だけ、疎外感は増すばかりだった。



 同じ空を飛ぶ。

 だが、どんなに手を伸ばしても届かない。


 あの二人は、自分にとって、本当の鳥のようだった。



 そんな彼女らの姿が、目の前の少年と重なる。


 コルススの唇が歪んだ。



 打ち捨てられた松明の炎が、瞳孔を照らし。

 光がこぼれて消えた。



 もはや、以前の饒舌さは返らない。



◆ ◆ ◆



「よりによって……何で『風・ハイ・ゾン』なんだよ?」


 パンリの申し出を受けて、すぐにカジェットは不満そうに頭を抱えた。



「お前も、相当な物好きだぞ。

 あんなひどい目に遭ったくせに…」


「だからこそ、ですよ。」


 彼女の言葉も途中に、彼は首を横に振って応える。



「ベルッサスさんが、かつて教えてくれました。

 源法術は、体験した印象が最も大切だということを。

 私は、あの術の恐さも威力も、身をもって知ってます。

 どうか……お願いします。」


 強い感情を秘めた眼差しで、彼は言った。


 理には、適っている。

 彼女に断る理由は無かった。



◆ ◆ ◆



 やがて、洞窟に入ったきり、一向に姿を見せない両者を不審に思い、中の確認をコルススの手下の一人が行った。


 それが最奥で見たものは、不自然に盛り上がった岩と、そこに寄り添うように力尽きているパンリの姿。


 疲労しているのみで息がある彼に対し、コルススは見当たらない。

 少年が源法術でこしらえたと思われる『それ』が、彼の墓標であることは、想像に難くなかった。



 外の面々が、その報告を聞いた時の心境は、驚愕よりも呆然の色が強い。


 動揺する周囲の喧騒に紛れ、解かれるカジェットの拘束。

 すぐに彼女は駆けて、運ばれてきたパンリを抱きしめた。



 ひどい有様だった。

 あの軽かった短躯が、鉛同然に重い。


 内出血で膨れ上がった肉。

 まるで熟れた葡萄のようにグズついている皮。


 また、赤く染まった膝元は、彼女に闘いの全容を見せてくれた。



(…悔しがるなよ…コルスス……。

 あたしの作戦だけじゃねえ。

 お前を倒したのは…その強さを尊敬し、越えたいと強く願った…こいつの心なんだ…。)



 カジェットは息を深く吐いて、パンリを腕に抱いたまま、その場に崩れるように座り込む。



「…二代目……。」


 背後に気配が寄る。

 彼もまた、満身創痍である、ベルッサスだった。



「二人とも、心配させやがって!

 これなら自分だけで戦った方が、何倍もマシだ。

 寿命が何百年あっても、足りゃあしねえ。」


 顔も向けずに、口を尖らせる彼女。



「勝手な行動をして、申し訳ありませんでした。

 兄の不始末は、自分が断ずるべきと…。

 結局……何も出来ませんでしたが。」


 ベルッサスは痛む身を折り曲げて、生真面目に頭を下げた。



「…そう落ち込むな。

 あたしの方策だけじゃあ、一手足りなかった。

 あらかじめ、お前がコルススを消耗させていなければ…勝敗は違っていたかもしれねえ。」


「……その兄についてですが…。

 皆が揃っている今の機会に、全ての真実を話し、名誉を回復すべきかと思います。」


 ベルッサスは、周囲を見回して言った。

 コルススの手下だった彼等は何かを待つように、固唾を飲んで彼女を見守っている。



「必要ねえ。」


 だがカジェットは、短く切って吐き捨てた。

 思わず、ベルッサスは目を伏せる。


 そう彼女が答えることは、分かりきっていた。

 先代の死の真相を、明かすつもりなら、とっくに晒していただろう。


 師が受け容れたことを、彼女も永遠に胸の中にしまうつもりである。

 その気遣いに対する言葉が、彼には見付からなかった。



「あの…これを……。」


 やがて、地に金属音が鳴らされる。

 誰かが気を利かせたつもりで、決闘に賭けられていた腕輪とリングの類を持ってきたのだ。



「それらは…迷惑料とでも思って、てめえらで分けてくれ。

 運が良けりゃあ、いい順位に食い込めるだろ。」


 だが、ぶっきらぼうに、他人事のように言い放つ彼女。


 その場にいる者の殆どは、初代の後継者を裏切ったという認識が、はっきりとある。

 だからこそ、何かしらの制裁を食らうものとばかり思っていた彼等は、ひたすら呆気にとられていた。



「そ…それはどういう…?」


 周囲の疑問の目。

 彼女は背を向けることで、返答と成す。



「この抗争の中、あたしだって、お前らの仲間を手にかけてきた。

 いくら決闘での取り決めとはいえ、団内のいざこざが、それだけで全て丸く収まるなんて思っちゃいねえさ。

 ここで、あいつのように……誰もが納得できる、悪知恵が働けばいいんだけどなァ。」


 ベルッサスの背中が、開け広げた言葉と共に、強く叩かれる。



「だから…カジェット空挺団は、今をもって解散だ。

 急で迷惑な話だろうがな。」


「……!!」


 それを聞いた面々は、一斉に詰め寄った。

 彼女を恐れていた彼等にしてみれば、不自然な行動であった。



「不平や不満がある奴は、中王都市で聞いてやる。

 あたしは逃げも隠れもしねえ。

 だから、さっさと行っちまいな。」


 一方的に急かす彼女。

 だが、やはり従う者はいない。


 それどころか、松明の輪は狭まっていく。



「…近付くんじゃねえ!!

 文句は、中王都市で聞くって言ってんだろ!!」


 急に激昂した大声。

 その雷鳴の如き衝撃には、流石に彼等は三歩も足を退いた。



「……腰が…抜けてんだよ!!」


 その様子に、彼女は吹き出して、諦めて照れ臭そうに叫ぶ。



「恥ずかしいったらありゃしねえ。

 自分が戦う時には、これっぽっちも思わなかったけどな。

 こいつが傷付くのを見て、初めて恐いと思ったぜ、畜生。」


 カジェットはパンリの顔を撫でながら、感情を吐露する。



「……悪かった。

 こういう気分を、今まで解ってやれなくてよ。」


 そして、何気なく呟かれた一言に、彼等は思わず目を見開いた。



 彼女との会話は少ない。

 故に、互いに知り合う機会が無さすぎた。



 初代カジェットが没し、コルススの暴威に屈することしか出来なかった。


 それに屈辱を感じないほど、鈍感ではない。

 吐き出したいが、必死に抑えているものがある。


 彼女は、その痛みを理解したと言ってくれた。

 初めての共感だった。



 確かに、団内の抗争において、友や仲間が傷つき、失われることもあった。

 だが果たして、彼女の言うとおり、何もかもが手遅れなのだろうか。


 否―――



「行くぞ!」


 誰かの号令を皮切りに、地に集められた腕輪とリングが、それぞれの手に取られていく。


 ベルッサスはただ、何もかも失ったカジェットの横で、その様子を眺めていることしか出来なかった。



「…あぁ、そうだ。

 言うのを忘れてたが、通行証の入った筒は絶対に開けるなよ!

 そいつは、腕輪を壊す罠になってンだ。」


 そこで思い出し、慌てて付け加える彼女。



「……そんな重要なことを、忘れないで下さい。」


 いやに整然とした応えが返った。



「これを頭のため、無事に運ぶことが…俺たちの初仕事なんですから―――」


 集団は列の形をとり、返事を待たずに一丸となって、駆け抜けていく。



 ベルッサスは、夜空を見上げたまま、何も返さない。


 腕の中で眠る、パンリの前髪が揺れる。



 沁みるような風が、胸に届いていた。



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