1-2 「小道の上で」
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This story is a thing written by RYUU
Air・Fantagista
Chapter 1
『 From the sacrifice which should be loved 』
The second story
'On an alley'
◆
頬の傷。
小さな丸眼鏡の奥の瞳は鋭く、挑発的なオールバックの髪と金色のピアス。
近寄り難い黒色の修道着。
人との触れ合いは少なく、極めて非社会的。
新しく街にやって来た、そんな生意気そうな若者。
それを知った血気盛んな街の男共は それを逃すはずがなかった。
瞬く間に乱暴な挨拶が敢行されたが、彼はどんなに多くの者達に囲まれても全く動じる様子は無かった。
若者のそんな異常さ。
加えて、背負うものの大きさに、男達はすぐに気付くべきだった。
一切の手加減の無い拳。
『相手を殺すことは無い』という絶対の自信から、全力で相手の顔面に叩きつける。
小さな小競り合い程度で腕を慣らしていた男達は、その若者とその戦い様に震えあがった。
さらに同時に、彼の色々な意味での強さに、尊敬にも近い感情が一様に生まれていた。
やがて、いつしか街は静かになっていた。
二ヶ月後……再び喧騒に包まれる その日まで。
◆
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エア・ファンタジスタ
Air・Fantagista
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第一章
愛すべき犠牲より
・
第二話 『小道の上で』
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1
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「……これが依頼の品になる。頼むぞ。」
大型のレンズを両目を入れた鍛冶屋の主人が、畳の上に一振りの刀を置く。
「…すごい…綺麗。」
細かく彫りの入った鞘と豪華な装飾の鍔と柄。
それを物珍しそうに眺める世羅の様子に、主人は満足げな表情で着物の袖を直した。
「銘を『偽造竜牙』という。」
鍛冶屋の奥座敷。
囲炉裏と茶器を挟んで話す。
そこから望める庭内では、燃え滾る釜の周りで滝のような汗を流して働いている男達が居た。
「中王都市に着いたら、その品と紹介状を向こうのギルドに渡せばいい。
そうすれば報酬も向こうが渡してくれるだろう。
さて…」
主人が取り出した金属の輪、二つ。
「…一応、こういう輸送の仕事には『保険』をかけるのが決まりになっている。
品を預けたままトンズラされちゃあ、かなわんからな。
いや、もちろん嬢ちゃんがそういうことするようにゃ見えん、あくまでも決まりだ。」
その輪を鞘と柄の方から それぞれ入れて、鍔を挟み込む。
世羅はそんな主人の作業を黙って眺めていた。
「…これはな、依頼主が持つ鍵でないと開かない仕組みになっている。
防犯を兼ねた『錠』といったところだ…な。」
主人は傍に飾ってある頑丈そうな東方の鎧から籠手を外し、それを装着した後で刀の柄を握った。
そこで、世羅は慣れない正座に足を直した。
「これを盗もうなんて考えたらどうなるか…ヒヒ……」
目のレンズを怪しく光らせ、気色の悪い笑みを浮かべる主人。
「おやっさん! ちょっと鍛冶場へお願いします!!」
だが刀を引き抜く、まさにその時、若者が突然部屋に舞い込んで叫ぶ。
「なんだ!
今、接客中だぞ静かにしろ!!」
「す、すみません…。
でも…お願いします! おやっさんに火加減見てもらわないと…!」
「火加減だぁ?
失敗してもかまわん、自分達でやれ。
さもないと練習にならんぞ。」
「イヤ、それが…早急に『商品』を『たくさん』作らないといけないんです!」
「?」
「ついさっき、ウチの武器が全部売れちまったんですよ!」
「……全部だとぉ?」
主人は思わず片膝を立てた。
「ガラの悪い若者達が一杯押し寄せてきて…全部買っていっちまって…。
在庫もカラで!
早いところ、新しいのを作らないと!!」
「……確かにこの街で武具はここでしか手に入らねえからな…。
しかし…いったい何に使うつもりだ……? おい、おまえ、用途は聞いたのか?」
彼の言葉に対し、弟子は首を振る。
「いえ…迫力に押されて…うむを言わさず売った買ったになりまして…。
ただ…『最後のひとあばれ』とか、物騒なこと言ってたのを聞きました…。」
「……まったく、しょうがねえやつらだ。
最近来た若造にシメられて、少々おとなしくなったと思ったらこれだ。」
再び、主人は静かに正座する。
「しょうがねえ…。
わかった。今日は看板を下げておけ。
だが今は客が来てるからな。 ……後で行く。」
弟子は頷いた。
だが一向に部屋を出ようとはしない。
「なんだ?」
「あの…どういう関係ですか? そこの子と…」
そこで、話の腰を折られたために、再び刀の装飾を眺めるのに没頭していた世羅が
弟子と不意に目を合わせる。
彼女の瞳に凝視されて、彼は思わず頬を赤く染めた。
「鼻の下伸ばしてるんじゃねえよ。
ギルドの依頼を受けたモンだ。 中王都市まで例のブツを運んでもらう。」
「……なに…言ってんですか? おやっさん!?」
「なにって何がだ?」
「こんな『やわ』そうな子にできる仕事じゃないでしょう!? それは…」
身を乗り出して、弟子は主人に詰め寄った。
「それにこれは…あの組織の注文…」
「それ以上、言うな!
この子が出来るって判断したのはギルドだ! ならば出来るんだろうよ!!」
主人の大声に、庭内で仕事中の男達は思わず作業を止めて目を向ける。
「……出来るよな?」
「うん!」
さらに主人の問いに自信満々で即答する少女。
弟子は思わず固まった。
「それにな、この炎と煙と男の汗が充満した鍛冶屋で嫌な顔ひとつしねえ。
俺は気に入ったんだよ。」
見ず知らずの少女に、少なくとも主人は本気のようである。
「……おやっさんもギルドもどうかしてらあ!!」
座敷の中で、呆れかえった弟子の叫びと、ししおどしの音が同時に響いた。
◆ ◆
「何だか、俺様の想像とは かなり違うんだがな…」
フィンデルを見下ろしながら、戒は彼女の顎を軽く持ち上げて呟いた。
両の腕は後ろで縛られ、周囲は刃物を持った男達。
目の前には彼らの頭と思われる…より一層に人相の悪い…頬に傷のある男。
身動きがとれないながら、フィンデルは膝小僧を地に付けたまま、恐怖で身体を精一杯後ろに退く。
ここは浜辺に近い空き地。
滅多に人も来ないに違いない。
自分の不幸。
そして、迂闊に艦を離れてしまった後悔で、フィンデルは目に涙を溜めた。
「髪型が全然違うぞ。」
「イヤ、ほら、こうすると…」
「…いっ…いたた!!」
不満そうな戒の様子に、手下の一人が、慌ててフィンデルの長い水色の髪の根元を乱暴に掴む。
「見事にポニーテールでしょ? でしょ!?」
「……まあ…確かにな。」
戒はまだ納得いかない口調で言った。
(…コレってひょっとして品定め…!? ふぅええぇぇ……。)
人身売買……フィンデルは自分が想像しうる限りの、一番最悪の事態を目の当たりにして一気に絶望する。
「そっ、それに逃げたんでさあ。
兄貴、言ったじゃないですか、怪しい奴がいたら捕まえて来いって。」
別の手下が付け加えた。
「しかしな……聞いていたよりも…年増なんだが…」
「な、なにそれ、失礼ね!!」
今までは恐怖で一言も声を上げなかったフィンデルは、そこでようやく口を開く。
「私、まだ『28』よ!
この年齢だって……お客にも、きっとまだニーズがあるに違いないわよ!!」
「…ニーズ?」
「客?」
子分と戒が目を見合わせる。
「なんか勘違いしてるようだが……まあいい。」
服装や髪型に関して異なるのは さほど問題ではなかった。
いつまでも『それら』が同じという保証は無い。
「…で、荷物は?」
フィンデルを捕まえてきた者達が持って来た紙袋を調べている子分に訊く。
「これといったもんは無えです、兄貴。
中身はお菓子ばかりで……。」
「フン…こんなに沢山か。 あまり食うと太るぞ。」
「別に…私が食べるわけじゃ…」
意地悪そうに言った戒に向かい、フィンデルは真っ赤になって否定する。
「あとは…こんな本があるだけで。」
「どれ、かしてみろ。」
戒は子分から二冊の本を受け取ると、それを適当にめくってみた。
「『航空戦略/上級編』…それに『誰にでも出来る念通術』…?
なかなか難しそうな物を読んでるじゃないか。」
時折、眼鏡を直しながら、一枚一枚、ページの間を熱心に確かめる仕草。
(……? この人、何か…探してる…?)
内容そのものには興味が無さそうだが、戒の丁寧すぎる動作にフィンデルは違和感を覚えた。
「兄貴…ブツは……?」
「無い。 本の中には挟んでないな。」
本を乱暴に畳み、紙袋の中に投げ入れる。
そして、再び高圧的に彼女を見下ろし、睨みつけた。
「ディーベンゼルクさんよ、ブツは一体どこにある?
隠すと痛い目に遭うぜ。」
「…だ、誰のこと!?
私の名前はフィンデル…。
貴方達の目的は全くわからないけど、私は軍隊の飛翔艦の副艦長をやってるの。
今、みんなのおつかいで降りていて……この街も初めてだし、多分、貴方達は人違いをしてるんだわ…。
だから……お願いだから帰して…。」
説得するべく、声の調子を穏やかに、皆を諭すように。
だが慌てているためか、そのフィンデルの言葉はいまいち要領を得ていなかった。
「だまりやがれ。」
思いは全く届かず、戒は悪魔のような形相でフィンデルに近付いて来る。
「嘘をつくのなら、もっとマシな嘘をつくんだな。
部下のパシリをする副艦長が何処の世界にいるんだよ。
さっさと紹介状と依頼の品を出せ。 早くしねえと……あの飛翔艦が出発しちまう。」
空き地の向こう、海上にそびえる飛翔艦の方へ顔を向ける戒。
「な……!? ルベランセに何の用が…?」
「俺様は中王都市へ行かねばならねえ。」
フィンデルの襟元を掴み、自分の顔に近付かせ、凄みを利かせながら言う。
「どんなことをしてでもな。」
その顔は恐ろしかったが、決意が込められていた。
「あ、兄貴!」
「止めるな、俺様は本気だ!!」
手下の言葉にも微動だにせず、さらに襟元に加わる力強さに、フィンデルは言葉を失った。
「ち、違います……!!
あ、あそこ……あ、あれ!!」
そんな中、一人の子分が指差したその先は、飛翔艦の停泊所へと続く小道。
そこを、とことこ歩くの背の低い少女に、広場にいる大勢の子分達も戒もフィンデルも、全員しばらく注目した。
その娘は布に巻かれた長い物体を持ち、旅荷物を背負い、一心不乱に前を向いてゆっくり歩いている。
背は低く、遠目にも判る薄紫色のポニーテールに、濃い紫を基調とした黒い紋様の入った服。
尖ったリボン。
さらに詳しくは、左手全体を覆った手袋に丈の短いズボン。
ギルドの親方から聞いたとおりの そんな人物が歩いていた。
「…………あれだ…。」
戒は一瞬で判断。
力無く呟いた。
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「おい……折角、俺様が街を厳戒態勢にしたのに、何であんなわかりやすい奴が平気で歩いているんだ!?」
「な、何ででしょ?」
空き地を全力で走りながら戒が叱咤する。
子分達は困惑して、それぞれの顔を見合わすばかりだった。
「…なら、教えてやる…。
それはな…てめえらが全員、ここに集まっちまってるからだ!!」
「あ……。」
「バカみてーに、偽者の女を全員で追っかけやがって!」
「ご、ごめんよぉ、兄貴……。
最後だから、みんな手柄が欲しかったんだ!!」
「偽者っていうか、全然似てないんだけど!!
あなた、一体どんな指示を部下に出したのよ!?」
「…って、なんで、お前までついてきてるんだよ!?」
縛られたまま、大柄の手下のに抱えられているフィンデルに向かって、戒が足を止めずに叫んだ。
「これが、ついて来てるように見えるって言うの!?」
「離してやれ!」
戒の大声で、ようやくその手下は気付き、フィンデルを下ろした。
その間に、他の子分達は小道を歩く少女を取り囲むべく散開する。
「奴等はバカだから、三つ以上のことを憶えられねえんだ。
それが、お前が間違えられた理由だな。」
戒はフィンデルを束縛する荒縄を解くと言った。
「災難だったな。 行っていいぞ。」
そして紙袋を乱暴に投げつける。
(な…なんで他人事なのよ!?)
全く悪びれることのない様子にフィンデルは心底呆れた。
再び少女に真っ直ぐ走り出す戒。
彼を漠然とした目で追いながら、彼女はあることに気付いた。
(……うそ!? ……た…たた、大変!!)
その少女は街で自分に道を尋ねてきた娘だったのだ。
(な、なんとかしなきゃ…)
だが心と裏腹に、足は集団から離れ、弧を描くようにして広場の大木の後ろに隠れる。
身体が恐怖に包まれつつも、彼女は何故かその場から離れることが出来なかった。
◆
「おい、そこのお前! ちょっと待て!!」
「…!?」
自分の声に反応し、立ち止まり振り向いた少女の顔を見る。
戒は凍りついた。
今まで見たことも無いような、均整のとれた顔の輪郭。
潤いのある唇と、曇りの無い瞳。
(クソ親方…てめーの言ったとおり、ホントに……綺麗じゃねえか。
こんな時だけ正確な記憶出しやがって…。)
思わず唾を飲み込んだ音が、自分自身の耳に聞こえた。
だが、それによりすぐさま我を取り戻す。
既に、手下達は少女を完全に包囲していた。
「それ以上……飛翔艦の方へ近付くんじゃねえ!!」
戒の言葉を皮切りに手下は全員、刃物を抜く。
そこで少女は表情を一瞬にして変えた。
「……そうか…。
この『刀』は渡さないぞ!
これを守るために中王都市へ行くんだから!」
手にした棒状の布巻きを抱えこむ少女。
「刀…?」
戒と手下が動きを止める。
「?」
その様子に、少女は不思議そうに首を傾けた。
「おまえ…名前は『世羅=ディーベンゼルク』…だよな?」
「そうだよ。……なんで、ボクの名を?」
さらなる戒の質問に、少女は素直に即答した。
「…こいつも……バカだ。
俺様に考えがある、少しの間、お前達は黙って見てろ。」
傍らの子分に耳打ちし、世羅に向かってゆっくりと歩き出す戒。
肩をいからせ、鬼気迫る恐ろしい顔で近付いてくる、そんな男。
反射的に、世羅は身体を強張らせた。
「戦うつもり!?」
「……頼む!!」
だが身構える世羅に対して、その恐ろしい形相の男は意外にも頭を下げる。
「その仕事…俺様に譲れ…いや、譲ってくれ!!」
「……?」
「俺様の名は『戒=セバンシュルド』。
頼む、同郷の生まれとして、俺様の一生の頼みだ!!」
「……え…。」
同郷と聞き、気が緩む。
「俺様は、二週間以内に中王都市へ行かなければならねえ用がある。
その仕事を譲ってもらえないだろうか。……どうしても必要なんだ。」
「…………。」
警戒を解くように肩の力を抜く世羅。
しかし次の瞬間―――
「今だーーーーッ!! いただいたぁ!!!」
そこへ無闇にテンションが上がった、暴走する子分達が刃物を手に 一気に襲い掛かかる。
「!!」
世羅は それを寸前で上手にかわし、全員に、戒に向き直った。
「バ…バカ……!
何やってんだテメエら!!」
戒は思わず両手を横に広げ、手下全員を見回して叫んだ。
彼にしても予想外の手下の行動―――。
「だって…こういう作戦でしょ!? 兄貴!?」
笑顔で振り返る子分達が、非常に憎らしい。
「バカが! 『刀だけ』奪っても意味がねえんだ……見ろ!!」
世羅が荷物から一通の封を取り出し、それを急いで自分のズボンのポケットにねじ込む。
「あの『ギルドの紹介状』を血に染めるわけにはいかねえ! これで面倒なことになっちまった!!」
眼前の少女はもはや、怒りのこもった目で自分達を睨み回している。
「話し合うフリをしてだますなんて、汚いぞ!!」
「誤解だ!!」
戒が言うよりも早く、世羅は荷物と刀を道端に置き、踵を返しては反対方向の手下達の半分に
向かって走りだした。
小柄な彼女はさらに態勢低く、右の手の平を大きく広げて、彼等の懐に恐るべき
スピードで飛び込んで行く。
「ばかめ! 自分から来るなんてな!!」
もはや歯止めの利かなくなった手下達のナイフが乱舞する。
それを器用に縫いながら、世羅は最後に軽く跳び、集団の中心に入った。
「……《源・衝》!」
振りかぶった右手は地面に勢い良くぶつけられ、一瞬、黄色い光が地全体から洩れ、収束。
そして、すぐに地は山のように盛り上がり、破裂。
吹き上がった砂利と雑草混じりの土に押されて中空へ舞い上がる手下達。
蜘蛛の子を散らすように彼らが落下した直後、砂煙の中から軽い身のこなしで側転しながら世羅は現れ、
すぐに戒と残り半分の手下達に狙いをつける。
「今……あいつ、一体何をしやがった!?」
まるで大砲が着弾したかのような 見たことも無い破壊力に、戒達は状況をすぐには理解できなかった。
「『源・衝』…とか聞こえたが…!」
「兄貴、冗談!! 初歩の源法術があんなに威力があるはずがねえでしょ!」
戒の言葉に、横に居た手下が逃げ腰の態勢で答える中、間も無く、世羅の手の周りに光の粒子が集まる。
「―――《源・衝》!!」
彼女の狙いを肌で感じた戒は、咄嗟に身を(よじ)捩る。
髪が引っ張られるほどの黄色い大きな光球の勢い。
背後の巨石の全体が薄丸く陥没し、やはり直後に破裂。
砕けた石の衝撃と破片が命中し、残りの手下も皆吹き飛び、空き地に叩き落とされる。
そして、再び立ち上がる者は居なかった。
戒は、自然による災害が起こっているかのような光景に、思わず目を見張る。
(……早え! これだけの術を…詠唱無しかよ……!!)
膝を地に付けていても、今の爆風で幾分 体が押されていた。
「……そうか…おまえ…あの時の…!」
降りしきる豪雨の中。
泥鬼の屍。
それらの腹に開いた大きな風穴。
まだ記憶に新しい、昨晩の光景と胸の悪くなる臭気が感覚によみがえる。
「なんてこった……。」
戒は首を下に垂らして、静かに眼鏡を外した。
「だが、退くことはできねえ……!
できねえんだよ!!」
倒れた子分達を器用に避けながら、戒に突進する世羅。
ただならぬ気迫を感じとり、少女は決して彼から目を離さない。
戒は右手を前に、左手を自分の腹部に構えをとった。
世羅は、少しも動じず、走りながら焦らずに彼に狙いをつける。
「《源……」
そこで戒は突然横へとステップし、狙いを外した後、駆け抜けて間合いを一気に詰める。
不意に飛び込まれた世羅。
そこへ彼女の脇腹を狙って振り込まれる戒の拳。
避けられない――――そう判断した世羅の体は自然と動き、小さな手の平が
その攻撃に対してタイミングよく合わせられる。
「な!?」
お互いの手が触れ合い、世羅の細腕が勢いよく振り上げられた次の瞬間、転ずる視界。
戒の身体は大きく宙を舞い、気が付くと既に背中を強く地面に叩きつけられていた。
「………!?…!!」
戒は暫く放心していたが、青空の中、自分が小さな少女に見下ろされている屈辱にすぐ気が付き、
慌てて立ち上がろうとした。
しかし、自分に向けられた彼女の右手に、その動きを止められる。
「やめろ。
ボクの源・衝を近くで喰らえば、ただじゃ済まないぞ。」
その勧告は、さらなる屈辱。
目の前の少女は陽を背に堂々と二本の足で立ち、真っ赤なリボンをなびかせている。
風が強まってきた。
「何かの…武術か…!?」
叩きつけられた背の痛みに顔を歪めながら、戒は呻いた。
そうでなくては、こんなか細い少女に自分が力負けをするはずが無い。
同じ言葉を頭の中で何度も巡らせながら、戒は修道着の脇のポケットから赤い十字架を
さとられないように取り出した。
「……そうだよ。 力は必要ない武術。
実際に本番で使ったのは今日が初めてだけど…」
律儀に世羅は答えた。
だが、喋って術名を唱えることが出来ないその間に、戒が立ち上がることを許してしまう。
「……ずるい!!」
「うるせえッ!
戦いにずるもクソもねえ!!」
地面に唾を吐き捨てる戒。
悔しいが、目の前の相手は強い。
その事実がプライドも体裁も崩していく。
口を拭いながら、手の中の十字架を深く握り込む。
「よこせ!」
そして、不意をつく下段蹴り。
「俺様は…一ヶ月前から、飛翔艦に目を付けてたんだ!
それを…横取りされてたまるか!!」
それを器用に一歩ずつ下がって避ける世羅に向かって戒が叫ぶ。
「そうなの!?」
続いて繰り出される蹴りを避け続けながら、世羅も叫んだ。
「?」
その反応に、戒は自分の動きが鈍るのを感じた。
「一ヶ月前からってこと!」
「そうだ! ああ、そうだよ!!」
「ごめん!! 知らなかったんだ!!」
「何ぃ!? 戦いの最中に……!」
相手を敵として完全に捉えることの出来ない自分。
思わず唇を噛みしめる。
「謝罪なんて…いるかっ!!」
段々と上がりだす呼吸。
何度も強く握りこむ拳の中の十字架。
もはや、まともに動ける時間は少ない。
勝つ為には、本気で倒す覚悟を決めなければならなかった。
「おい……ただでは済まないんだったよな。
自分の術に随分自信があるじゃないか!?」
「だって、ほんとうの事だもの!
だから、あまり人に使っちゃいけないって、言われてる!!」
「そうか……。
なら……やってみやがれ!!」
「……!?」
急に動きを止めた戒に、つられて世羅も動きを止める。
「行くぜ! しっかり狙えよ!!」
その隙に戒は一気に間合いを詰め、両足を浮かせて世羅の顔面へ蹴りを放つ。
明らかに陽動。
屈んで避けるのはわけなかった。
戒の服の前垂れが、目の前で回転して舞う。
空中で、本命の回し蹴り―――それもすぐに手の平で受け流す。
互いに近付く上半身。
両者の間合いは文字通り、至近距離。
「ごめん……! 力…抑えるから!!」
態勢を崩す恰好になった戒の胸元を狙い、世羅の右手が再び粒子を集める。
「《源…」
それは、明らかに世羅のタイミングだった。
(かかった……!!)
だが戒は諦めずに地を蹴り、踏ん張って無理矢理身体を持ち直す。
そして、その世羅の小さな手に対して、今度は戒の方が十字架を握った拳をタイミング良く合わせるのだった。
(悪いが……指の骨二、三本は覚悟してもらう!!)
強い海風が青葉を散らせた。
潮の匂い、大地の草の匂いを、鋭敏になった神経が感じとる。
互いの瞳に映り合う、互いの姿。
二人はそれを長い一瞬で見詰め合っていた。
◆
「―――やめなさい!!!」
だが、戒の拳と世羅の光る手の平が衝突する、まさしくその瞬間。
寸前で二人は動きを止め、同時に大声のした方向へ顔を向ける。
そこには、いつの間にか道端から刀を拾い上げたフィンデルが居た。
「事情はよくわからないけど…喧嘩はダメよ!
こ、こんなになるまで…」
無様に転がった戒の手下を眺めながら言う。
「…なぜ逃げてねえ、この女!
せっかくの……くそ、邪魔しやがって……!!」
戒は握った拳を下ろし、フィンデルに向き直る。
「あなた! 恥ずかしくないの!?
子供相手に…こんなによってたかって…しかも本気で戦って…。」
「黙れ! お前に何がわかる……!!」
「あなたもそう!」
戒の反論を無視し、今度は世羅を指差すフィンデル。
「え、ボク!?」
世羅が大きく瞳を見開く。
「さぞかし、修行を積んだんでしょうけど、恥ずかしくないの!?
それをこんな……チンピラ風情相手に本気で戦って!!」
彼女の言葉に、戒と世羅は思わず互いの顔を見合わせた。
「なんかよ…言ってることが矛盾してねーか? あんた。」
「と、とにかく…喧嘩はダメってこと!!」
フィンデルは、真っ赤になって必死に答える。
「喧嘩じゃねえ! 俺様のこれからの人生の為に必要な戦いだ!!」
「人生の為の戦いだなんて…若い子が言うもんじゃないわよ!!」
「……何だってんだよ……急に強がりやがって…。」
先程まで震えているばかりだった彼女が、一気に自分と対等に、目を付き合わせて意見してくる。
戒は、自分自身も世羅も構えを解くのを確認しながら、例えようの無い、どこか内心安堵している
自分に気付いた。
だが、地面の小石を蹴飛ばし、そんな思いをすぐに捨てる。
「…ひっこんでろ。 部外者の出る幕じゃんねえんだ。」
「部外者ですって!?
間違えて、私を拉致しておいて…」
「だから、それはさっき謝っただろうが。
いいから、それを置いて消えろ。大事な品なんだからよ。」
「そ、そうだよ。大事な品なんだから!」
唐突なフィンデルの行動に呆気にとられていた世羅も、彼女が手にしているのが自分が請けた依頼の品だと
いうことを思い出して叫んだ。
「とにかく……お互いもっと話し合うべきよ…。 さもないと…」
「さもないと……?」
「これを捨てます!!」
フィンデルは刀を両手で目一杯高く持ち上げた。
その様子に、世羅と戒は唖然とする。
「……捨てるったって…どこに捨てるつもりだ?」
「え?」
戒の冷静な問いに、フィンデルが周囲を見回しながら戸惑った。
ここは一面草っ原の空き地。
海へは、まだ少し距離がある。
「教えてくれよ、一体どこに捨てる場所があるっていうんだ、ええッ!?」
世羅をそっちのけ、今度はフィンデルに近寄る戒。
「あ、の…そのだから…例えばの話よ、ね、ね?」
戦いを止めたい一心で口にしてしまった台詞に後悔をしながら、後ずさる彼女。
「遊びじゃねえんだ。 さあ、よこしな。」
「やめて…近寄らないで……!」
フィンデルは、手にした刀の柄に思わず手をかけた。
「やめろ、手つきでわかるぞ。……素人だってこと。
刀なんて握ったこともねえんだろ…?」
「う……。」
戒はいともあっさりと、刀の鞘の先端を掴んだ。
フィンデルも柄を持った手に、一層の力を込める。
「離せ!」
「だ、ダメ! 絶対に……ダメ!!」
―――互い持った部分を引き合った瞬間だった。
鞘から鍔が外れた瞬間、カタリ、と妙な金属音がした。
刹那、鍔に付いた器具が蛇の頭へと変化して、牙のぎっしりと詰まった口を大きく開ける。
(―――罠!?)
鞘を持つ戒にも、刀を持つフィンデルにも、その罠の標的が自分達であるとこをはっきり認識する。
動きは、非常に素速い。
大きな蛇の口は両者の手首を同時に噛み砕くため、恐ろしい速さで閉じ込もうとする。
そこへ、二人の間に滑り込む世羅の姿。
軽く身体を浮かせたまま戒を脇へと蹴り飛ばし、着地した後に続けてフィンデルの手から刀を手で払う。
だが、そこからは彼女の予想と違った。
攻撃を外したと認識したが早いか、蛇の頭は伸び、一本の槍へと姿を変える。
そしてすぐに標的を世羅とし、彼女に向かって一直線に突き出したのだ。
態勢が崩れたまま足に、まさかの衝撃を受けた世羅は、宙を行く一筋の槍と飛散する赤いしぶきを
ただ客観的に眺めていた。
やがて、全身を巡る耐えようも無い激痛。
嫌がおうにも自分が傷を負ったのを知る。
槍によって斬られた彼女の細い足は、踵から ふくろはぎまで無残にも縦一文字に裂け、
筋肉の間からは骨が露出して見えるほど傷は深かった。
初めは小さな粒だった鮮血は、白い肉からやがて大量にこぼれ出す。
「だ、だれか……!!」
世羅の足からの出血を止めようと、フィンデルは咄嗟に彼女の患部を押さえつける。
だが一旦噴き出し始めた血は止まらず、彼女の服を瞬く間に真っ赤に染め上げた。
「は、はやく、医者に……!!」
「―――代われ!!」
世羅は朦朧とする意識の中、フィンデルの叫びと戒の怒号を聞いた。
そして、すぐに心地よさが、痛くてたまらないはずの足を包んでいた。
◆ ◆
3
◆ ◆
赤い空。
そこを流れる透明感のある無数の白い帯状の雲。
戒は中腰のまま自分の周りを眺める。
一面ガラス張りの部屋。
みたことのない機械や、無骨な椅子が並んでいる。
ブーツの底が固い。
目線を下げると、敷かれた鉄床の上に自分は居た。
不思議に思わずにはいられない。
もはや、そこは港街ではなかった。
モーター、エンジンの音。
さらに空気の振動で微量に揺れる室内。
窓の外で落ちかける陽。
自分たちの巣へと戻るのだろうか、雲の向こうを集団で飛ぶ大きな鳥達。
そんな流れる景色をガラス越しに眺めながら、戒は一つの結論に達した。
道理はまるで通っていないが、自分は今、まぎれもなく飛翔艦に乗っている。
意を決して一歩進むと、すぐにつま先に硬い金属が触れた。
それは大きな反りのある片刃の剣で、まるで使われた形跡が無く、無機質な床に新品同様で落ちていた。
広い上げようと屈むと、その先に人が転がっているのが認められる。
その先に目を向けてみれば、さらに一人、また一人。
何故、今まで気付かなかったのだろうか。
自分の居る室内は首の無い人間の死体だらけだった。
そして、にわかに室内の中央に浮かび上がる人影。
数にして八。
だが、『人』という形容が合っているかは疑問だった。
薄暗い室内で動めく彼等の動きは、人間とどこか違う。
それを詳しく確かめる間も無く、戒は彼等の奥の機械棚に沢山並べられた生首に気付く。
男女問わず、そんな首達の恨めしげな目線が、自分に向けられている感覚。
戒は思わず顔を背けた。
今、床を転がっている死体に付いていたもの…それが判ると同時に動悸が早くなる。
戒は自分の胸を掴みながら、視線を人影達に戻した。
八人の影は一人の幼い少年を囲んでいる。
やがて一つの影がその少年を片手で掴み上げた。
「摂理に反し、空で生まれし者。」
他の影もその言葉に続く。
「ついに捉えることができた。」
「大聖典に記された危険な存在。」
「果たして、業を授けることで回避できるのか。」
「やらねばならない。」
「我等の主人に仇なすとあらば。」
「人は、未来永劫、地で這いつくばる運命。」
それぞれが一言を口にしたところで、全ての影の動きが止まった。
外の鳥も雲も止まり、全ての音も止んで。
動いているのは自分だけだった。
やがて、その中で八つの影のうちの一つが動きだし、ゆっくりと戒の方を向く。
大きく鳴り出した心臓が頭の頂点まで揺らす。
右手が熱い。
近寄る影、少しずつ陽に照らし出される姿。
それは、黄金を基調とした、七色の鎧。
各間接部は柔軟でなく、硬く複雑な形で出来ており、全く肌を露出していない。
巨大な仮面の奥の視線の先が分かるはずもなく、ただ凝視される続ける様に、戒は不快感を覚える。
「ほう…ここへ来た人間は……あのアルドという子供以来だ。」
丸みを帯びた仮面が揺れ、こもった声で始めた。
「天命第五之位『犠牲の月獣』……か。
悲しきさだめを持つ人間よ。 歓迎はしよう。 だが…」
鎧が堂々と立ち止まり、仁王立ちする。
その金属表面の色がつるりと流れた。
「頭が高い。
時の神のひとつ、天命第一之位『逃れえぬもの』の御前であるぞ。」
声の重圧により、戒は膝から崩れ落ちる。
(神…神だと……!?)
倒れこむのだけは必死に抵抗しながら、顔を上げる。
「…まあよい。
己の天命の輪すら具現化出来ぬ、未熟者風情に我々の尊さが判ろうはずもないからな。」
七色の鎧は戒の目の前で柔らかく解けだし、人の形から変化して ただの流動体という形状をとった。
「信じるか?
生物は皆、元々腐敗している。
生きるという事は、ただ腐らないように努力しているに過ぎない。」
その異形の者は戒の目線の高さまで昇り、そのまま続けた。
「終わりを…腐敗を恐れるな。 それはあるべく姿に戻るに等しい。
世の流れに抵抗することは無駄なのだ。
ならば…おのずと解ろう。
……身を全て任せてしまえば良い。」
戒の口元で、溶けた鎧の七色の光が流転する。
「せいぜい『この者』を守るがよい。
それが、貴様の…『夢』のためにもなる。」
「てめえ……! 知ったような口を……!!」
その言葉に、戒は一瞬にして感情的に怒鳴り散らした。
しかし、すぐに口元に笑みを浮かべる。
「『この者』て誰だ? それに、俺様の『夢』だって!?
…言ってることがわからねえな。」
肩をすくめて精一杯 強がってみせる。
その様子に、目の前の鎧は沈黙した。
「俺様は俺様の道を往く。 誰の指図も…受けはしない。」
「……。 抗うも逆らうも勝手よ。」
鎧が静かに答える。
すると、止まったはずの時間の中、影の中の一人が戒の方を向いた。
だが、いくら陽に照らされても その者の身体の細部は確認できず。
やがてその黒さは影のためではなく、その者自身が影のように黒いのだという事実に気付かされた。
それは、まるでこの世の闇の全てを纏ったような黒だった。
その者は先程片手で掴んだ少年の首に力を込める。
(……!……やめろ!!)
戒は目を強く閉じた。
◆
「……人間よ。」
声に気付き、目を開くと、そこには人型に戻った鎧が居た。
もはや自分が立っている処は飛翔艦の中ではなく、周りにも自分と鎧以外他の誰も居ない。
「そなたの感じるまま、心に従え。」
鎧が戒の目前で腕を広げる。
すると、鎧の一つ一つが、平たく広がり、大きなシーツのように戒の全身を覆うように開いていった。
戒は、張り裂けるくらい瞼を見開いた。
鎧の中に認められるのは、先程 人影達に囲まれていた少年。
細身の体を鎧に護られるように入れられ、母体の中で眠るように静かに瞳を閉じている。
だが、少年の表情は亡として、顔に残った涙の跡がとても哀れを誘った。
理由など無いのに、何故か胸が苦しくなる。
「天命の輪は繋がりだした…。 それを止めるのではない…。
全てを絡め、回し続けるのだ…。」
やがて、鎧の中からあふれだす粘ついた液体が戒の髪に、眼球に、全身にまとわりつく。
自分が床に溶けていく感覚。
(…待て……!
…くそ!…一体……なん…なんだ……)
声にならない声を喉の奥で叫びながら、戒はまどろみのなかに意識を沈めていった。
「戒=セバンシュルドか……憶えておこう…」
最後に聞こえた鎧の声。
その声は、きっと哂っていた。
◆ ◆
4
◆ ◆
目を開けると、嫌に青空が眩しかった。
陽の光を背に、世羅とフィンデルが仰向けになった自分の顔を心配そうに覗き込んでいる。
何か夢のようなものを経験したはずだった。
だが、戒はそれを全て忘れていた。
「……気付いた…。」
「……良かったわ…。」
最悪の気分で上半身を起こしてみる。
足に非常に強い痛み。
自分は、その為に気絶したらしい。
「あなた……『天命人』…ね。」
間を見て、フィンデルが言った。
目の前で一人の若者が起こした奇跡。
彼女自身、噂に聞く天命人の能力を見たのは初めてで、ただただ驚愕するばかりだった。
あの時、患部に触れただけで世羅の傷を完全に治療した戒。
だが、その後すぐに彼はのたうち、失神した。
彼自身に傷は無い。
その能力は、痛みを己に移すことを代償として他者の身体を癒すもの。
「………。」
戒は手をわずかに持ち上げて、自分自身、虚ろな表情で眺めていた。
能力を発現させた、彼の右手中指の付け根に浮かぶ青い光の輪―――
天命人に生まれた証、『天命の輪』が浮かんでいる。
「あまり…人を好奇の目で見るんじゃねえ…。」
フィンデルの視線に対し、戒は呟いた。
足の痛みが、再び鈍痛として襲い掛かる。
「くっそ……」
一方の戒は目を閉じ、後頭部を広場の草に任せた。
どこまでも逆らえぬ己の運命。
また今回も飲み込まれるのか。
悔しさと疲労感が身体を包む。
堕ちていく闇の中。
しかしそこへ光が射し込むように、熱い吐息を感じ、薄目を開ける。
「死んじゃだめ!」
世羅が思い切り、互いの唇が触れ合いそうになるくらい顔を突然近づけて来る。
「!!」
その行動に、戒は一気に跳ね起きた。
「きゅ、急に寄るんじゃねえ!!」
尻を地に付けたまま、勢いよく退く彼の様子に世羅は満面の笑みを浮かべた。
「……死にはしねえよ…。
それより、世羅とか言ったな…。」
若干調子を狂わせながらも、完全に意識を取り戻した戒は足をさすりながら言った。
「…仕事はお前のもんだ…行けよ。」
「ううん。」
世羅は顔を横に素早く振り、戒に覆いかぶさるように、再び顔を近づけた。
彼女の爽やかなエメラルドグリーンの瞳に映る、自分の驚く顔に驚いて、戒は再び退がる。
「何だってんだよ!?」
「…思い出したんだ。」
戸惑う戒に、世羅が答えた。
「確かキミは……昨日の馬車に乗っていたよね?」
「……そうだ。 …アイザックの傭兵さんよ。」
「知ってたの?」
「…ああ。忘れるはずもねえ。」
力無い微笑みを浮かべる戒。
それと逆に、世羅は満面の笑顔になっていく。
「……ボクの方こそ、この仕事…キミに譲るよ。」
「あン!?」
「ほら、見てよボクの足。 すっかり元通り。
キミはボクの身体を治してくれた恩人だし。」
戒は、しばらく言葉を失った。
「……バカか!? お前が怪我したのは俺様のせいだ。
これは自分で自分のケツを拭いたまでのこと……だから行け!!」
「やだ!
だって、キミは……中王都市に…大事な用があるって言ったじゃないか!」
「ある!
だけど、もういい!! 気の変わらないうちに行けっ!!」
「やだったら、やだ!!」
「このクソガキ……。
お前だって、大事な用があるんだろ!」
「あるよ! でもやだ!!
ボクはキミが あの時だって子供の怪我を治してたのを知ってる。
キミは…」
「やめろ! あんなの戯れ事だ!!」
「……もうやめて!!」
終わりの無い二人の幼稚な応酬。
仲裁に入ったのは、やはりフィンデルだった。
「今度は口喧嘩?……もう争いは沢山よ…」
呆れ返ったように言い続ける。
「二人とも……ルベランセに来なさい…。 乗せてあげます!」
「……何言ってるんだ…。
乗せられるわけないだろう、お前に。」
「で…出来るわよ。
私、副艦長だもの。」
フィンデルは口を尖らせ、胸を張って答えた。
戒は口を小さく開けたまま、二度まばたきをする。
「……あの言葉…本当のことだったのか?」
「この期に及んで嘘ついてどうするの!」
全身から力が抜けるのを感じた。
「良かったね、戒!」
「え? あ、ああ……!」
世羅が馴れ馴れしく名前を呼び、まるで自分のことのように肩に飛びついて来る。
戒は、砂の付いた自分の髪を手でくしゃくしゃにした。
「本当に…いいんだな?」
「ええ。 それで争いを止められるなら、安いもんだわ。」
そう告げると、フィンデルは世羅の頭を優しく撫でた。
「私はあの飛翔艦…ルベランセの副艦長、フィンデル=ハーディ。
貴方達を歓迎するわ……半分だけど。」
そして戒の方を見ながらそう言うと、彼女は血まみれになった自分の服をつまみながら
恨めしそうに苦笑したのだった。
陽が傾きだした大空に笑い声が響く。
三人は小道の上で遠くに見える飛翔艦を目にしながら、いつの間にか風が止んでいることに気付いた。
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第二話 『小道の上で』
了
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