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4-5 「以心変心・中編」



This story is a thing written by RYUU


Air・Fantagista


Chapter 4

『Coming in flight warship age』


The fifth story

'Understand・middle part'





◆ ◆ ◆



「―――よう、オーロン。

 今日の成果はどうだい。」


 その小さな場末のバーの主人は、扉を開けた男を一目見るなり、軽い口調で訊いた。



「芳しくない。

 マフィア通の情報屋を、片っ端から当たっているが…どうにも。」


 闇路からやって来た、無精髭を生やした中年の彼は枯れた声で答え。

 慣れた様子で、カウンターの末席に腰を落ち着けた。



「中王都市きっての腕利きが、連日珍しいこともあるもんだ。

 …ところで、どんなご関係だい?

 べっぴんさんが開店からお待ちかねだぜ。」


「…?」


 冷やかすような店主の目線をなぞり、顔を向ける。


 酒が並ぶ棚越しのテーブル席に、スーツ姿の女性。

 それは、暗めの店内に吊るされたランプの光に映える、色気のある佇まいだった。



「失礼…。

 一体、どちら様ですかね……?」


 オーロンは気だるい足を引きずりながら、全く心当たりの無い様子で、目深に被っていた帽子を取りながら接近する。

 彼女の方もそれに合わせ、ゆっくりと立ち上がり、会釈をした。



「あ…」


 そこで初めて、彼は気付いたようだった。



「フィンデル大尉じゃありませんか!」


 急に表情を気恥ずかしそうに変え、彼女の手を両手で取り、大袈裟に振るオーロン。



「私は、既に退役済みだと言ったはずですが…。」


 そんな彼から伝わる妙な熱気に、フィンデルは苦笑を覗かせた。



「ははっ、そうでしたね。

 いやあ、この間はあんな形で別れたものですから、一体どうされているのかと思ってました。」


「ご心配おかけしました。

 実は、あれは知り合いの馬車でして…。」


「知り合い?

 それにしちゃあ…ずいぶん乱暴な…」


 彼女の言い訳に対し。

 彼は、ふ、と記者の顔に戻る。



「しかし……本当に、フィンデルさんですかい?

 前回お会いした時とは、だいぶ雰囲気が違うというか…」


「ええ、本物のつもりですが…。」


 眉をひそめ、一層に苦笑を強めるフィンデル。



「何か…前より、ぐっと美人に見えるんでねぇ…。

 どぎまぎして、いけねえや。」


「?」


 何やら口ごもる彼に、彼女はそれを聞き取ろうと顔を近付けた。



「いやいや、こっちの話で。

 マスター!

 一杯、強いの出してくれや。」


「……オーロン。

 その女性が、例の捜し人かい。」


 だが店主は先程とは打って変わり、フィンデルを冷ややかな目で睨みつけている。



「ん、ああ。

 まあ…そうさな。」


「ならば、もっと怒ってやっても良いんじゃないのかね。

 彼女のために費やした時間は、決して少なくはないのだろう?

 色んな仕事を蹴ってまで、だ。」


「それ以上、言うなよマスター。」


 慌てて取り繕うようにして、オーロンは返す。

 フィンデルは、そんな彼等のやりとりに何かを察したようだった。



「まさか…あれからずっと、捜してくれていたのですか?」


「いやその……。

 取材の対象を、あんな至近距離で見失ったとあっちゃ、『遠目のオーロン』の名がすたると思いましてねェ…」


「すみません!

 もっと早く、お知らせしていれば…」


 直後。

 テーブルに額を付ける勢いで、彼女の頭が下に向く。


 その愚直なまでの謝罪を前に、オーロンは大口を開けて呆気にとられていた。



「よしてくださいよ。

 所詮、ウチらなんざ、興味を誘うものにたかるハエみたいなもんです。

 だから、これは親切ではなく、あくまで私の意地……そう思って下さいや。」


 暫くして、彼は主人から出されたグラスを傾けつつ、仕切り直す彼。



「無駄話はこのくらいにして、用件をうかがいましょうか。

 欲しいネタがあるからこそ、わざわざこんな所まで足を運んでくれたのでしょう?」


「…これを見ていただきたいのです。」


 彼女は頷き。

 書類用の鞄から、鳥の羽根を取り出した。



「こりゃ…何ですかい。」


 極彩色の大きな一枚。

 それを受け取るなり、彼はとぼけた調子で片眉を上げた。


 酒場の主人は、それを合図に店の入口の鍵を閉める。



「……私の仲間が遺してくれた…何かの『手がかり』だと思います。」


 そう毅然と切り出すフィンデルの顔を見ながら、オーロンは以前の彼女の姿を記憶から手繰り寄せた。



「あれだけ放っておいてくれと言っていたあんたが、これはまた随分なご変化で。

 斬った張った、跳梁跋扈の血なまぐさい世界はもう懲り懲りだって、そんな顔してましたぜ?

 一体、何が目的なんです?

 仲間の遺志? 仇討ち?

 …どれも、聞こえがよろしくありやせんがねぇ。」


「そのような―――」


 畳み込むような彼の言葉に、彼女は目を伏せる。



 その仕草に、オーロンは失望した。


 だが。

 その考えは、すぐさま訂正することとなった。



「そのような崇高な考えが、私にあろうはずがありません。

 何にも強制されることなく、ただ真実を欲している―――それだけです。」


 改めて口を開き。

 対面を射抜くように見詰めてくる、彼女の瞳との一瞬の交錯。



(…これが、この御方の本領ってやつですかい。)


 以前の彼女と印象が違って見えたのは、決して錯覚ではない。

 自分の背を伝う一筋の汗を感じ、オーロンは思わずグラスを握り締めた。



「…もう軍人でもないあんたが、真実を知ってどうするおつもりで?

 まさかウチらのように、大衆相手の『餌やり商売』をするわけでもありますまい。」


「知った後のことは、元より考えておりません。」


 酒に浸かった大きな氷が、音を立てて半分に砕ける。



(…こうやってこの御方は、幾多もの死線をくぐり抜けてきた……なるほど、そういうわけで。)


 オーロンは思った。


 自分はここまで、想像力が豊かな方だったろうか。

 彼女の瞳を通し、その生き方、過去にまで思いを馳せることが出来ようとは。



 また、他の者には頼りなく聞こえるような、その言葉は、こうも聞こえた。


 考えずとも。

 己が魂が、自分の行く末を、進むべき正しい道に導くだろう―――と。



「あんた…難儀な女性ひとですねえ。」


 やがて態勢を斜にして、刺激にあてられた全身を休ませながら、テーブルを指で神経質そうに叩く彼。



「殺伐としている方が、ずっといい顔してるなんざ。

 きっとロクな死に方しませんぜ。」


「随分な言い方ですね。」


 目尻を吊り上げて返す彼女からは、既に先程の凄味は感じなかった。

 そのことが余計に、愉快で。



「褒めているんですよ。」


 そう言って彼は、グラスを一気にあおって片付ける。



「ちなみに…この羽根について、何か掴めたんですかい?」


「国立図書館に何日か通い詰めました。

 しかし、どうしても行き詰まってしまって…。

 そんな折、ここを思い出したんです。」


 フィンデルが続けて取り出すのは、このバーの場所が明記されている名刺だった。

 前回の接触の際、オーロンが渡した物である。



「これは『皇帝孔雀クジャク』と言われる鳥の羽根だ。

 世界有数の資料を誇るあそこなら…そこまでは余裕で辿り着けたはず。

 違いますかい?」


「仰るとおりです。」


 彼女の返答に頷いてから、彼は再び唇を開いた。



「私が知りうる限り、これが、この中王都市で繋がる事柄は一つしかない。

 ―――ただし、その一つとは。

 『表』で探している以上、一生かかっても見付からないものでしてね。」


 謎かけのようだが。

 その口ぶりから、オーロンは何かを、確実に知っているようだった。



「そして、真実を知れば……早期のうちに私に相談されたことを、これ以上ない祝着だと感じることでしょう。

 やはり、あんたにゃあ、運命が味方してるに違いありませんぜ。」


「?」


「この件、教えてさし上げますよ。

 ただし…」


「その見返りとして…例の事件を取材させろと…?」


 彼女は身構え、先んじて言った。

 ムーベルマの惨事、騎士団との確執を表沙汰にするのは、今はどうしても避けたかった。



「とんでもない!

 情報屋としての私を頼って来られた以上、あんたはもう客ですぜ。

 お客様に対して、そんな無粋な真似、出来るはずないじゃありませんか。」


 しかし、返ってくるのは意外な反応。

 うやうやしくお辞儀をした後、彼は続けた。



「ときに、お客様。

 これから暇ですかい?」


「……と言いますと?」


 突然の申し出に戸惑いながら、フィンデルは訊き返す。


 対するオーロンは、おもむろに立ち上がり。

 壁に掛けられていた外套に袖を通し、身支度をし始める。



「あいにく、自分はこれから、すぐに出発しなけりゃならないんです。

 数日に渡る取材が先用で入ってましてね、そちらの依頼は後回しにせざるをえない。

 しかしながら、一緒に取材の地までご同行いただければ、お互いにとって時間が有益に使えるということです。

 いやもう、前から編集長がカンカンで……これ以上サボると私のクビが…おっと、旅費くらいは、こちらで負担いたしますぜ。

 とまあ、とにかく、あ、いかがでしょうか?」


「わかりました…。

 それで、場所は…」


 つくづく口の回る男だと。

 フィンデルは呆れ半分、感心しながら呟いていた。



「ちょいと西まで。

 今、飛翔艦に関する、何か妙な大会が催されているのをご存知ですかい?

 そこのゴール地点での取材を任されてまして…」





◆ ◆ ◆



エア・ファンタジスタ

Air・Fantagista




第四章

飛翔艦時代到来



第五話 『以心変心・中編』



◆ ◆ ◆



◆ ◆




 道の両端に大きな松明たいまつが置かれ、辺りを煌々と照らす。


 選手村の夜は、格段の趣きがあった。



 酒盛り場から風に乗る、楽しげな音楽と料理の香り。

 戒達は、それに後ろ髪を引かれつつも、宿への帰路についた。



 双子の姉妹が興味を示したものを、右から左へ。

 散々遊んで、散々歩いた。


 歳相応の遊びを、教会の暮らしでは制限されていたのだろう。

 遊びたい盛りの子供が、羽目を外す気持ちも分からないでもない。


 戒は、終日振り回されたことを鬱陶しく思いつつも。

 少々の理解を添えて、出来るだけ平静に努めていた。



 加えて今夜は、いつ凶獣に襲われるとも知れない野宿とは違い、綺麗で柔らかいベッドが待っている。


 明後日から始まる後半戦。

 入賞を狙うための準備と、充分な休息をとる時間は十二分にある―――



 ところが、宿の手前に差し掛かったところで、三人は不意に足を止めた。

 門前で、シュナと大きな図体の物体が、何やら話しこんでいるのである。



「あれは、ジャグマー君…?」


 エリスが小さく呟く。



「誰か、不正でもやったんじゃないの?

 もしかして、失格かしら?」


「そんなわけ…あるか。」


 さらに続くレンの冗談を、戒は一旦は短く切って捨てたものの、すぐさま表情を変えた。


 そのクマの着ぐるみが、こちらの姿を発見したかと思えば。

 猛然と、大きな足取りで近付いて来るのである。



「……がッ!?」


 そして戒は、一気に振り抜かれたクマの拳に、全く反応することが出来なかった。

 分厚い布越しの拳自体は、非常に柔らかい材質だったが、その勢いのため、瞼の裏では星が飛ぶ。



「な……なにしやがる…!?」


 大きく後ろへ反り返った首を向け直し、怒鳴りつける彼の言葉は至極もっともだった。


 ところが相手は、その一撃でも気が収まらない様子。

 さらに彼の襟を掴み上げ、拳を振り上げようとする。



「ま、まちなさいよ、この暴力グマ!!」

「やめてください!!」


 体格差にも物怖じせず、両者の間に割って入るレンとエリス。

 彼女達が腕に食らいつく恰好で、二発目は寸前で止められることとなった。



「戒……」


 そこへ、シュナが神妙な顔つきで歩み寄り、戒の耳元に迫る。



「なに……!?」


 その言葉を聞き、血相を変えて宿の中へ駆け込む彼。

 双子の姉妹もただならぬ空気を感じたらしく、顔を見合わせた後、それを追いかける。



「……バーグさん。」


 三人が去った後。

 シュナは改めて口を開いた。



「悪いが、正体を明かすのは、お前さんにだけだ。

 ギルドとは、ちょっと訳ありでよ。

 皆が俺と関係していることがバレると、面倒なことになる。」


 その場で背中を向けたまま、淡々と答える彼。



「…すみません。

 私がついていながら、こんなことになっちゃって…。」


「いいや。

 こんなに環境の良い場所を用意してくれてたのは、まさに不幸中の幸いだったぜ。

 何か状況に変化があったら、連絡をくれ。

 俺の方も……ダメもとで色々と当たってみるからよ。」


 そして、別れの挨拶として片手を力無く上げ、彼は夜道の闇へと足早に消えていった。





 戒が部屋に踏み込むと、まず目に飛び込んできたのは、白衣を着た小人だった。


 そして次に。

 ベッドに全身を沈ませ、息を荒げている世羅。


 その脇では、タンダニスとザナナが付き添っていた。



「…おぬし、一体どこに行っとったんじゃ。

 連れの娘が大変なことになっとるぞ。」


「くわしく説明しろ。」


 タンダニスの言葉を真っ向から返して、戒はベッドに歩み寄る。

 一変して衰弱しきった彼女の様子に、身の硬直を余儀なくさせられた。



「体調不良で倒れたところを、ギルドの施設で保護されたらしくての。

 あのクマの人形が、わざわざこの宿を探して、運んで来てくれたというわけじゃ。」


 彼の言葉を片方の耳で聞きつつ、戒は喉を鳴らしながら、世羅の顔に手を差し伸べる。

 熱い吐息と体温が、触れる前から伝わるようだった。



「…こいつは?」


 白衣の彼を見下ろしながら、戒はさらに訊く。



「見ての通り医者だよ。

 自分も、あのクマに強引に連れて来られたクチさ。」


 肩をすくめ、甲高い声で答える相手。



「あいつが…どうして、そこまでする義理がある?」


 戒は自分の頬に触れながら、さらに殴られた理由も探していた。



「そんな疑問より、この患者のことを聞くのが優先だろう?

 発熱と意識混濁で、極めて危険な状況にあるんだ。

 この、やたらに腫れた右手が原因かもしれない。

 何か前兆みたいなものは無かったかい?」


 そう言われて、戒はザナナに目を向ける。

 だが、豹頭は左右に首を振るばかりであった。



「―――陛下。」


 そこで部屋に入ってくるアリアネ。



「どうやら、この付近で常駐している医師は、今は不在のようです。

 大会側が村を貸し切った時から、休暇をとっているらしく…」


 彼女は息を整えながら、落胆した様子で続けた。



「地元の医者って、こいつのことじゃないのか?」


 彼女の報告を聞いた後、戒は再び男を見下ろす。



「俺は、ギルドに雇われている船医だよ。

 ほら、あの向こうの湖に泊まってる、大きな船さ。」


 彼は、唇を尖らせて返した。



「それにしても、他の医者の見解が知りたかったのだが…参ったな。

 こりゃ、街まで戻らないとどうにもならん。」


「街って…ここから、どのくらい時間がかかるんだよ?」


 そして、ぶつぶつと呟きだす彼に、戒は詰め寄る。



「俺も乗ってる、中途離脱の選手達を乗せた第一便は、明日の昼に出発する予定さ。

 その日のうちの夕方には、何とか到着できると思うけど…」


「とても、それまで身体が保たねえぞ!

 何か…他に方法はねえのか?」


「ならば、わしが運んでやろう。」


 感情的に騒ぐ戒の肩を抑え、一歩前に出るタンダニス。



「どうやって。」


 睨み合っていた二人は、同時に目を剥いた。



「もちろん、湖を泳いで渡るんじゃよ。

 そのくらい朝飯前じゃて。」


「あのな……冗談でも、それは勧めないぞ。

 夜の水温はかなり低いんだ。

 病人なら肺炎を起こしかねない。」


 医者は半眼で、呆れながら言った。



「そうか…。

 そりゃ、まいったのう。」


「真面目に考えろ!

 このフンドシ野郎!!」


 どこか飄々(ひょうひょう)とした苦笑を浮かべるタンダニスに対し、悪態をつく戒。



「せっかくの陛下の親切心に、何たる口の利き方ですか!!」


 さらにどうでもいいことに、そこへアリアネが突っかかる。



「はいはい!

 患者の前では、お静かに!!」


 そんな喧騒に目がけて、手を叩いて注目させる医者。



「しっかし、この発熱具合は、ただの風邪や体調の変化じゃない。

 おそらく元を断たなければ下がらんぞ。

 つまり、原因が特定できない限り、打つ手なしだ。」


「お前、医者だろ!?

 何とかしろ…」


 弱気を見せる彼に、戒は苛立つ。

 その肩を、今度はザナナが背後から抑えた。



「このまま放っておくと、どうなる?」


 そして呻くような声で訊く。



「さっき打った解熱剤の効果が薄いのが、非常にまずい。

 こんな状態が長く続けば、最悪の場合……失明や脳障害、生殖機能の喪失などを引き起こす可能性がある。」


 医者の言により、絶望の空気が室内を支配し。

 世羅の吐息の音が目立つようになった、その時。



「―――そうよ!」


 部屋の隅で、様子を伺っていたレンが突然に叫んだ。



「薬とか病気だったら、うちのお父さんが詳しいじゃない。

 何とか出来るかも。」


「…本当か!?」


 不意に射した一つの光明に、戒は色めきだつ。



「私、すぐに呼んできます!!」


 反転し、駆け出すエリス。

 だが直後、その身体は、廊下で構えられていた太い腕によって宙に浮いてしまう。



「こら、急に走ると危ないぞ、エリス。」


 抱いた彼女を優しく叱りながら入室したのは、なんとウベ本人であった。



「……何か、あったのかい?」


 やがて彼は、そんな自分をやたらに注視している全員を見回してから訊ねた。



◆ ◆



「これは……蛇薔薇スネイクローズの毒では、ありませんか?」


 全ての事情を聞いたウベは、世羅の容体を確かめるなり、あっさりと診断を下した。



「学術書でしか読んだことは無いが…確かに、症状が酷似してるな。

 もしかしたら……いや、きっとそうだ。」


「おい、二人だけで納得してるんじゃねえよ。」


 そんな彼と医者の間に、戒が割り込む。



「蛇薔薇は、中王都市周辺の山間部のみに生息する固有の植物だ。

 茨の部分に強烈な毒がある。」


「あの手の擦り傷……そうだったのか…!」


 戒は後悔から、拳を自分の手の平に叩きつける。

 当時はパンリの惨状に気を取られたあまり、彼女の様子を、つい軽視してしまったのだ。



「待てよ……だとしたら、本格的にまずいんじゃないか?」


 そして、独り言のように言葉を洩らす、医者の表情は優れないままだった。



「刺された直後なら、患部から毒を放出すれば済むことだが…。

 彼女の症状は、すでに潜伏期間を過ぎて、第二段階に移っている。」


「ええ。

 こうなるともう、体内に回った毒を、解毒するしか方法は無い。」


 ウベは冷静な口調で返した。



「これを解毒する薬草は何だったろうか…?

 いや、これから採取するには時間がかかる上、精製にも特殊な知識が要る。

 やはり街に行かねば…」


「アガレア樹木の新芽。

 これでしょう?」


 医者の不安をよそに、ウベは鞄から赤茶けた草を取り出す。



「これは…ついてる!

 持ち合わせがあるなんて!!」


「薬師とは、常に色々な状況を想定しているものです。

 そして、この種の毒に対抗する手段は、近くにある自然が生み出してくれるのが定石。

 こうやって、行く先々での採取を欠かさないのは、癖みたいなものなんですよ。」


「……本当なの、お父さん?

 そんな、都合よく…?」


 室内が安堵の空気に包まれる中、エリスが言った。


 ウベはその質問に、少し黙り、考えてから口を開く。



「どうして、そんなことを聞くのか…わからないな。

 お父さんが、いつもしていることだろう?」


「……。」


 そうして穏やかな口調で頭に乗せられる父の手に、エリスは異様な圧力を感じて黙り込んだ。



「まさに備えあれば、憂いなし……か。

 それなら、後はよろしく頼むよ、薬師さん。

 これでようやく、俺も持ち場に帰れる。

 向こうも、怪我人が沢山でね。」


 肩の荷が降りたように、医師は笑顔でそう告げて、部屋を出て行った。



「礼の代わりにもならんがの、せめて帰り道をお送りいたそう。」


 それに、タンダニスとアリアネが続いた。



「助かったぜ…。

 ここまで来てリタイアなんて、たまらねえからな。」


 戒は大きく息を吐いて、床に座り込み。

 力無く笑いながら呟いていた。



「皆…少し席を外してくれないか。

 彼と大事な話がある。」


「…?」


 そこで、唐突に言葉を発するウベ。

 無論、エリスとレン、ザナナに向けられたものであった。


 だが理由を聞いている暇も無く、三人は彼の言葉におとなしく従った。



「…話って何だよ。

 そんな暇があったら、早く治療にとりかかってくれ。」


 床に座ったまま、不満そうにこぼす戒。



「単刀直入に言わせてもらう。」


 ウベは真剣な顔つきで迫り、切り出した。



「この容体から見て、今ここで処置したとしても、とても後半戦が開始されるまで全快には至らない。

 だから……彼女を救う条件として、君達のリングを全て渡してほしいのだ。」


 そして、世羅に視線を落とし、戒に向けて手を差し出す。



「私は、この選手村に辿り着く猛者達を観察しているうち…。

 このまま幼い娘達を連れて、上位入賞に食い込むことなど、やはり不可能だということを確信した。」


 彼は、奥歯を噛みながら続けた。



「天命の輪を持つ君は、私のような凡人とは違う。

 より多くのチャンスを持っているはずだ。

 その気になればどこででも重用されるだろうし、どのような仕官だって叶うに違いない。」


 それはひたすら自分を正当化し、諭すような口調だった。



「この申し出が、どれだけ破廉恥なのかは重々承知だ。

 しかし私達が勝つためには、この方法しか無いということも理解して欲しい。」


「ふざけんなよ、てめえ!」


 戒は、跳ぶようにして立ち上がり。

 自分の腕輪、そしてホルダーにかかったリングの全てを、ウベの胸元に乱暴に突きつけた。



「こんなモンが欲しいなら、一言で済むだろうが!

 回りくどい話をしやがって!!」


「そう感情的にならずに、もっと深刻に考えてくれ。

 あの不笑人の彼とも、よく相談した方がいい。

 双方が納得した上でなければ、私としても実に胸が閊える心地だ。」


「あと少しでも無駄口を叩いてみろ。

 その口、ブッ潰すぞ!!」


「……!!」


 交渉の流れによっては、自らの譲歩も覚悟していたウベは、目を見開いて驚いた。


 そしてまた、彼はそれ以上問わなかった。


 戒の怒りは、脅迫まがいの申し出に対しては微塵も無い。

 そのことが気迫から知れた故である。



 ウベは早速、鞄を開き。

 小さなすり鉢と、先程の草を取り出して作業に取り掛かる。



「熱い湯が必要になる。

 都合して欲しい。」


「ああ!!」


 言われるがまま、扉を開いて飛び出す戒。

 すぐその裏で待っていた三人とも、目もくれずに走り抜けて行く。



「……お父…さん?」


 入れ替わるようにして、レンが部屋を覗くと。


 床に置き去りにされている、腕輪とリングの数々。

 エリスに至っては、その光景は、とても受け容れられるものではなかった。



「これより、処置にとりかかる。

 向こうへ行っていなさい。」


 だが、中腰で作業をしている父の横顔は、驚くほど冷ややかで。



 無機質な瞳は、何も映していなかった。



◆ ◆



◆ ◆



 まるで、辛い現実から逃避するかのように、身体が深い眠りを欲していた。



 パンリが目を覚ましたのは、実に、翌朝のことである。



 染み一つ無い綺麗な天井。

 自身が沈むベッドから漂う、清潔感のある香り。


 だが彼は、それらに違和感を覚える以上に、奇妙な静寂を感じていた。



 まるで旅の途中で、自分一人が取り残されたような、孤独にも似た空気。

 それにほだされて、記憶の断片が押し寄せてくる。



「…!」


 シーツをわずかに持ち上げ、恐る恐る確認した。


 わずかな傷跡も無く。

 元のまま、意のままに動く足がそこにあることが判ると―――パンリの思考は、すぐに世羅を経由して戒に辿り着いた。



「……。」


 安堵と共に、窓の外へ目を向ける。


 辺り一帯、色濃い芝生が敷き詰められた庭園は、まるで平和を象徴するような情景だった。


 だが、その中心で座り込むカジェットの姿を見止めた時。

 パンリは反射的にカーテンを閉めてしまった。



 ほどなくして隙間から覗くと、彼女はたまに上体を大きく前傾し、うたた寝をしている様子が判る。


 きちんとした施設で介抱されている自分とは、あまりに対照的なその姿に、彼はにわかに混乱した。



「…起きたの?」


 だが屋内においては、かすかな物音が気付かせたのだろう。

 部屋の扉を開けて、無遠慮に入って来る者がいた。



「シュナさん…!?」


 まず、彼女の存在に目を丸くするパンリ。



「思ったより、元気じゃない。

 …おなか空いたでしょ?

 食事の用意をしてあげるから、こっちに来なさい。」


 説明を求めようと外へ目を向ける彼を置いて、シュナは足早に寝室を出る。


 その後を追うと。

 廊下には沢山の部屋がある割に、やはり一様に静けさが支配していた。



「ここは、選手村よ。」


 途中。

 彼女から聞かされた言葉に、彼は早速、淡い期待を挫かれた。


 カジェットが外にいた時点で薄々勘付いていたが、ここは安寧が保証されている地ではない。



 ―――コルススとの対峙。

 恐怖、屈辱、苦痛の全てを覚えている。



 完全な心の安らぎ。

 しかも、速やかな『それ』を求めていたパンリは、落胆せざるをえなかった。



「……シュナさんがここにいるということは…バーグさんも見付かったんですか?

 それでも…もう一人いないと、参加は出来ないはず…」


 大広間に入ると、彼は思考を紛らわせるため、適当なことに気を回しながらソファに座った。



「私のことより、まずは自分のことでしょ。」


 だが、彼女は見透かしたように、背後からその小さな肩に触れて、話を引き戻す。



「…!……すみません…。」


 対し、すぐさま目を伏せる彼。

 初めてまともにとがめられたような気がして、湧き上がる感情の下、自然と四肢が硬直した。



「まあ…どう叱ってやろうか、色々考えてたけど。

 あんたの無事な姿を見たら、全部吹き飛んじゃったわ。」


 だが次の瞬間、朗らかな言葉と共に、パンリは強く抱かれていた。



「…言われたとおり…甘かったみたいです…。

 強くなりたいけど…やっぱり…自分には…どうにもならないって…。」


 その胸に赤子のように身を任せ、自責の念で咽ぶ。



「今は何も考えないで、身体を休めなさい。

 何か美味しいもの食べれば、きっと気分も上向くわよ。」


「…ありがとうございます…。

 …でも…食欲が…」


「こういう時は、無理にでも食べるの。

 あいつの力で傷は治せても、失った血は戻らないんだから。」


 シュナは少し離れてから、笑顔で人差し指を振り、妙に真実味のある忠告をする。



「そうだ…。

 先に…戒くんに謝らないと…」


 だがその一言で、パンリは重要なことを思い出した。



「私の傷は、かなり深かったんです…。

 その痛みを抱えて、これからの競技に望むのは不本意でしょうし…。」


 呟きながら力無い笑みを浮かべる。

 そんな彼を、シュナは全ての動きを止めて、複雑な表情で見詰めていた。



 一層、深まっていく静寂が、何かを予感させた。



◆ ◆



「きっと…明日は晴れるな。」


 船尾の甲板上で、手すりにだらしなく背を預けながら、戒は快晴の大空を眺めていた。

 遠くに喧騒を目に納めながら、ザナナは無言で頷く。



 二人と同じ甲板にいる人だかりは、脱落者の類ではなかった。

 選手村に辿り着きながら、賢明な判断をもって、自ら棄権することを選択した者達である。


 だが彼等に、不思議と悲壮感は無く。

 戦利品を各々の手に、大きな催しに参加できたという、一種の満足で熱気立っている様子だった。



「…今回は悪かったな。」


「……何がだ?」


 その熱に無常を感じつつ呟く戒に、豹頭は真剣に訊いた。



「まだ、暴れ足りないんじゃねえかと思ってよ。」


「平気だ。

 ザナナにとって、『それ』は大事ではない。」


「…そうか。」


 戒は苦笑を浮かべ、無頓着そうに喉を鳴らしている彼を眺めていた。

 こういう仕草を見ていると、たまに本当に半獣なのではないかと疑ってしまう。



 暫くして、船が大きく揺らいだ。


 見ると、クマの着ぐるみが二人がかりで、湖に沈めていた大きな錨を引き上げている。

 それを皮切りに、出発が近いことを察知した連中は、船室へ向けて続々と流れ始めた。



「そろそろ…部屋に戻るとするか。」


 伸びをしながら、手すりから離れる戒。



「戒は、もう少し、ここにいろ。」


 だがそこでザナナは彼の肩を掴み、強引に押し付けた。



「…?」


 その腕力にバランスを崩し、戒は思わず振り返る。


 向いた視線の下。

 湖の畔には、パンリが立っていた。



「…何で、お前…ここに…」


「全部……シュナさんから…聞きました…!」


 息も絶え絶えで、さらに寝巻き姿のまま喚く彼に、戒は思わず眉をひそめる。



「…世羅さんの…容体は……?」


「もう毒は消えて、熱も下がった。

 まだ眠っているけどよ…まあ、大丈夫だって話だ。」


「…私のせいで……彼女が…皆さんが棄権することになってしまうなんて…。

 間違ってる!」


 早口で続くパンリの声は、今まで聞いたことが無いほど大きかった。



「貴方達には、夢があるのでしょう?

 やりたいことがあるのでしょう!?

 それが、どうして、私のようなつまらない者のために……!!」


 だが、その言葉の出どころへ、近くにあった清掃用の桶を投げて命中させる戒。



「…い……痛いです…!」


「黙れ、馬鹿。」


 涙目で訴えるパンリに、拳を前に構えながら、ぐっと身を乗り出す彼。


 大型船は、ゆっくりと水面を進み始めていた。



「まるで世界の終わりみたいに、大声で騒ぎ立てやがって。

 俺様がこの程度で挫折するような、小物みてえに思われるだろうが。」


「そんなこと…気にしてる場合ですか!」


 パンリは追いかけて、さらに叫ぶ。


 戒の言葉が強がりということを知っている。

 犠牲にしたり、犠牲になったりすることを、彼が人一倍嫌っていることも。



「…じゃあ、何なんだよ。

 ……言いたいことがあるなら、こっちへ上がれ。」


 だが、そんな相手は、気を取り直すように一度だけ咳払いをし。

 地に向けて、大きく手を伸ばす。



「……それは…」


 対するパンリは、口ごもりながら、何故か立ち止まっていた。


 理由は解らないが、足が進もうとしなかった。


 もう逃げたいはずなのに。

 虚ろな表情でうつむいて、遠ざかる飛沫の音を感じていることしか出来なかった。



「―――気が済むまで、やってこいよ。」


 それに混じって聴こえた、唖然とするような言葉に、瞳を向ける。



 進み行く船上には。

 口角を歪め、根性が悪そうに笑う、普段の彼の横顔があった。





 周囲で鬱蒼と茂る木々と。

 背丈の短い草花が。


 風に吹かれ、生温い音を立てていた。



「…どうして、踏みとどまったのです。」


 その背後から迫る、ベルッサスの声。



「あの船に乗ってしまえば、君はもう戦わなくて済んだというのに。」


「ずっと、見ていたんですか。」


 振り向きざま、目に涙を溜めたまま睨み付けるようなパンリの顔を、彼は一瞥した。



「ええ。

 君を守る義務がありますので。」


「義務…」


 その間接的で無機質な語句に、思わず閉口する。



「どうやら、考え違いをされているようだ。

 二代目に付き合う羽目になった経緯には同情していますが……ただそれだけです。

 君に対する私の全ての行動は、彼女の不始末を処理しているにすぎない。」


 ベルッサスの人当たりの良さは、嘘のように消えて。

 今では、鉄面皮が冷たい言葉を吐き連ねていた。



「…思えば、二代目が頭領の座を継いでからというもの、私の役目は、ずっとそれに終始していた気がする。」


 挙句の果てに両腕をだるそうに組み、傍の大木に身を委ねながら、溜め息混じりに呟く彼。



「人には、他人を見限る権利が、いつでもあるのかもしれない。」


 そして感慨深げに放たれた一言に、パンリは拒絶感を抱いた。



 単なる愚痴ともとれる言葉だったが、その向こう側があるような気がした。

 シュナや戒が、こんな自分をかばい続けるという、異様さを思っての一言かもしれないと―――



「君も遠慮なく、我々を見限ってもらって構わないのですよ?

 二代目は、君を守るという約束を果たせなかったのだから。」


 だが、ベルッサスは次の瞬間、全く別の問いかけをしてきた。



「……それでは、貴方達が困るんじゃないんですか。」


「こちらの状況がきわまっているのは、今に始まったことではありません。

 元々、コルスス達と比べて、組織力も戦力も圧倒的に劣っている。」


 首を左右に振り、堰を切ったように飛び出す辛辣な言葉は、蓄積されていた彼女への憤懣ふんまんだろうか。



「ならば…まず、貴方が彼女を見限るのが自然の流れでしょう?

 それとも…仲間だから…出来ないとでも言うのですか…」


 パンリは無意識に、自分が抱いていた不可解な気持ちの答えを、ベルッサスに求めていた。



「…仲間だから見限らないのではない。」


 彼は、その真意を知ってか知らずか。



「絶対に見限らないと決めたから、仲間なのです。」


 瞼を薄く閉じて、小さく呟いていた。





 皆が寛容なのは、自分が未熟に扱われているからとばかり考えていた。



「…だから、ここで君が脱落し、我々の空挺団が潰えても何ら後悔はありません。

 二代目の出した結果であれば、甘んじて受け容れることが出来る。」


 だが、その言葉を聞きながら、パンリは償いたいと思った。



「あなたは……私を守るのは、『彼女の不始末の処理』と言った…。

 まさか…カジェットさんは…」


「ええ。

 徹夜した状態でさらに一晩中、見張り続けるなど、無謀と言わざるをえない。」


 首肯するベルッサス。

 その事実に、膝を落とす。



 庇護を約束し、弟子として扱ってくれた彼女に、偽りは無かった。

 それに比べ、自分には果たして同等の気構えがあったろうか。



「……何だ…これ…」


 何かが腹の奥底から逆流して、急に吐き気をもよおす。


 粘性のある、どす黒い感情。

 生まれて初めて体験する、自分への憎悪だった。


 全身が溶かされそうで。

 だらしなく地面に這いつくばり、いつの間にか、砂利を噛んでいた。



「一時でも、源法術士を志したのならば―――その感情を込めて、今こそ唱えればいい。」


 ぼやけた視界の中。

 厳つい表情のまま、自分の手をとるベルッサスの姿。



(……《源・フェルー・ド》…!)


 いざなわれるまま、口が微かに動いていた。



 重なる手中で何かが弾けると。

 彼はすぐに両腕で自身を抱き、今にも零れ落ちそうな、不安定な感覚を掴み込んだ。



「ベルッサスさん…!」


 そして、期を逃したくない一心で上半身をもたげ。



「お願いがあります…!!」


 切り出さずにはいられなかった。



「…30秒だけ、待ちましょう。」


 ベルッサスは彼の顔を少し眺めた後。

 背を向けて、口調を冷淡に戻して返す。



 猶予の間、パンリは大声で泣いた。




◆ ◆



◆ ◆



 盤外へ出た者達を乗せた船便が向かう先は、奇しくも競技の終着地である。



 ギルドによる貸切のため、船内では何の気兼ねも要らない。

 が、『中途の脱落者』と、まがりなりにも選手村へ到達することができた『勇気ある離脱者』との扱いの差は歴然だった。


 怪我人が多いせいもあるが、前者は三等以下の客室で雑魚寝を余儀なくされているのに対し。

 後者に充てられたのは、立派な二等客室。


 普段は一端の観光船として使われているらしく、それらの区画には厚い絨毯と、廊下には見晴らしの良い大窓が設置されていた。



 そこから眺望する湖の様子は、非常に穏やかで。

 気がつくものといえば、船体が水を掻き分ける際に作る細波くらいなものである。



 戒はすぐに、そんな船内見物にも飽きて、世羅を休ませている部屋へと足を向けた。

 その途中、果物や干し肉などを両手一杯に抱えたザナナと、廊下で遭遇する。



「……今は、その量は無理だな。

 いくら食い意地の張ったあいつでも。」


 歩を合わせ、その内の一粒に手を伸ばす彼。



「仲間をかばって傷つくのは、ザナナの故郷では、最高の名誉だ。

 食いきれないくらいで、ちょうどいい。」


 だが相手は顔を真正面に向けたまま、早足になってかわす。


 厨房で働く料理人達も災難であったろう。

 戒は虚空を切った手を遊ばせて、ただただ苦笑した。



「…最高の……名誉ねえ。」


 そして、ふと足を止め、頬の古傷に触れながら呟く。



「…ん?

 それってもしかして、釘を刺しているつもりか?」


 直後に気付き、彼は苦虫を噛み潰したような表情で、ザナナの背を睨みつけた。



「あいつの無茶さ加減はな、初めから勘定のうちだ。

 お前に言われなくたって、怒る気…」


「そうか。」


 戒の口ぶりから内容を解し、ザナナが途中で会話を断ち切る。



 それ以上の説明は必要無かった。





 彫り物の施された重厚な扉を開くと、中に満ちていた薬草の香りがそれぞれの鼻腔をくすぐる。


 室内にあるベッドの上で、おとなしく横になっていた世羅は、彼等二人を見た瞬間に飛び出して。

 直後、柔らかい絨毯に足を取られてよろめいた。


 そんな彼女を、背の高い観葉植物の脇で受け止める戒。



「おい…平気か…?」


 約一日ぶりの会話を、まずは障りの無い言葉で探る。

 支えた華奢な身体には、まだ微熱が残っていた。



「…うん。

 へーき、へーき。」


 すぐに彼から離れ、ベッドの上に跳んで腰掛け、はにかんで返す世羅。


 健気だが、その言葉は額面通りには受け止められない。

 仲間に心配かけまいと元気に振舞うのは、彼女の悪い癖だ。



「じゃあ、恐い夢でも見たか?」


 今度は、子供扱いするようにからかうと。



「…二人が…どこか遠くに行っちゃったのかと思って…」


 世羅は後ろに束ねている髪を左右に大きく振って、閉じたももに両手を挟んで縮こまった。



「ザナナは二度と、黙って消えたりなどしない。」


 そこで、抱えていた食料を棚の上に降ろし、強い口調で言い放つ彼。


 それを聞き、身体の力を解く彼女を傍で見て、戒も安堵した。


 これから辛い事実を伝えなければならないのだ。

 その負担が、少しでも楽になることに越したことはない。



「隠してもしょうがねえから、はっきり言っておくけどよ…。

 この大会、うちらは降りたぜ。」


 世羅の落ち着いた様子を見計らって、戒は一気に切り出す。



「…うん、知ってる。」


 だが、そこで返されたのは、意外な言葉だった。



「……全部、聞こえてたから。」


 さらに呟く世羅。

 先程の彼女の行動は、罪悪感からも起因しているのだと、二人は感じ取った。



「熱がひどかった時も…意識はあったのか?」


 戒が近寄って訊くと、シーツを掴む力が強まる。



「あ、あんまり悔しがるなって…」


「悔しいよ。」


 励ましの言葉を遮り、世羅は再び身体を強張らせて言った。


 そんな憂いだ横顔を暫く眺めているうち、踵を返して無言で部屋を出るザナナ。


 本人は気を効かせたつもりだろうが、こういう時こそ『名誉云々〜』の話を、本人の前でしてやれば良い。

 まったく無粋な奴だ、と戒は恨めしそうに彼の背中を目で追った。



「…でもな。

 お前が落ち込んだら、助けられた奴の立場はどうなんだよ。」


 場を一方的に任された形になって、苦し紛れに呟く言葉。

 もう、慰めているのか責めているのか、戒自身にも解らなくなっていた。


 だが。

 そんな一言にこそ、世羅は顔を上げた。



「そっか…。

 そうだよね…。」


 ふっと、普段の穏やかな顔つきに戻り。



「ねえ、パンリは元気になった?」


 そして熱い眼差しで戒を見詰めながら、再びベッドで横になる彼女。



「ああ…。

 だから、次にあいつと会う時のために、お前も早く元気になっておけ。」


 戒にしてみれば、別段、優しさを演出したつもりは無かったので、全身がむず痒い。

 だから、再び彼女が休む様子を見せれば、すぐにでもザナナの後に続くつもりだった。



「…あの時……どうして、川の近くへ行った?」


 だが背を向けて、彼女から目を離した途端、口が動いていた。

 機を逃してはならないと、逸る心が後押ししたのだ。



「…え?

 その辺りが涼しいかな、と思って…」


 振り向くと、綺麗な双眸そうぼうが何の疑問も持たずに、純粋に見詰め返してくる。



 高熱をもたらす毒が、急激に彼女の全身に回ったのは、入浴したことが一因だと、ウベは言っていた。

 その後、涼を求めた彼女の行動は、ごく自然である。



 だが戒は、自分とシュナとの会話を、彼女が気にしているのではないかと疑っていた。

 しかし今の態度を見る限り、それを聞いたかもしれないが、おそらく内容までは理解していない。


 どうやら完全な思い過ごしだ。

 ともすれば、この質問自体が、何とも女々しい。


 戒は己の足元から、蟻のように這い昇ってくる不快感を掻き消すように、素早く世羅の両手を握った。



「俺様と一緒にいれば、いずれ飛翔艦は必ず手に入る。

 お前は、そこで飛翔艦乗りになる。」


 世羅はそのままの姿勢で、上体を退いた。

 驚きを隠せない、そんな仕草に戒は笑う。



「協力する見返りとして、レティーンに来い。

 そこに俺様の目的がある。

 …最後まで付き合ってやるんだ、必ず役に立てよ。

 …絶対だぞ。」


「うん……!」


 聞く人が聞けば、卑しくも尊大で、強引な言葉であろう。

 だが世羅は、これまでで一番の快活な返事をした。



 挫折感は晴れ。

 夢が不思議と、途端に現実味を帯びてくる。



 戒が自分に対して、旅の目的を明確に話してくれたのは、これが初めてだったのだ。





 根拠の無いことを、胸を張って言えること―――


 相手の喜ぶ顔や、希望に満ちた表情を見る度に。

 これが己の利点なのだと、戒は少し自覚している。


 流石に八方塞がりの苦境に立った時には、糞の役にも立たないが、一方でも可能性があれば、功を奏す特技だ。



 これまでも、そうやって何度も状況を打破してきた。

 …今回も間違っていないはず。


 シュナの提言に僅かながら従ってしまったことが少し気に入らないが、この件は、どのみち世羅に話すつもりでいた。

 …丁度いい機会だったのだ。


 戒は部屋の扉を閉めた後も暫く、そう自分に言い聞かせていた。



 そこへ不意に、廊下の先で待っていたザナナの槍が、視線の前を横切る。



「―――いやはや、ついてますなァ…!

 ボクちゃんをボコボコにした奴等と、同じ便で遭えるなんて…!」


 同時に、ノイズのように響く、不快な声。

 廊下の床を伝わる、集団の足音。



「なるほどな…。

 これに乗った以上、こういう可能性もあるか…。」


 身構えるザナナの脇で、戒はどこか納得したように呻いた。



 大方、船内を見物していた時に目を付けられていたのだろう。


 こぞって姿を見せ始めた連中の先頭。

 顔面や四肢に包帯を巻いていて判別しずらいが、おそらくは競技中に交戦した男達である。


 さらにそこへ、野次馬的に加わっている連中を含め。

 総勢10名程によって、狭い廊下の両端は埋められていた。


 しかもおめでたいことに、彼等は自分らを、同じ『手負い』だと思い込んでいる。



「おい、ザナナ。

 てめえの故郷だと……仕返しにきた奴に対しては、どうもてなすんだ?」


 待ち望んでいたとばかりに笑い、指を鳴らし始める戒。



「…息の根を止める。」


 深くこもった豹頭の返答に、さらに彼は口笛を吹く。



 どこか懐かしい暴の匂いが漂い始めると。

 二人は何の申し合わせも無く、左右に分かれた。



 ―――これからも、同じことの繰り返しかもしれない。


 だが、戒は拳と蹴りが乱舞する宴に興じながら、新しい運命に身を任せる覚悟を決めていた。



◆ ◆



 がくり、と自分の頭が大きく垂れたところで、カジェットは夕暮れの景色に気が付いた。


 胡坐をかいたまま、ずっと寝ていたため、下半身が痺れきっている。

 見張るべき部屋の中にも、もう誰もいない。



「寝ちまったのか…」


「ええ。

 それはもう、ぐっすりと。」


 間の抜けた独り言に対する、背後から皮肉混じりの声。

 彼女はそのままの姿勢を崩さすに、歪んだ表情を一層に強めた。



 そこへ畳み掛けるように、ベルッサスはこれまでのいきさつを重ねる。


 パンリの負傷から、それによって引き起こされた世羅の病。

 戒らの苦渋の選択。


 建物の裏で、ただ愚直に一室だけを見張っていたカジェットは、そこで初めて事態の深刻さに気付き、頭を抱えた。



「…最悪だな。

 何もかも巻きこんじまって…」


「貴女が未熟なのは仕方がありません。

 はじめから、期待だってしておりません。」


「…みんながみんな、そうは思ってくれねえだろ。」


 彼の冷言に全く気を留めず、彼女は続けた。



「『群れ』ってのも、そういうもんだ。

 あたしだって…先代が死んだ時は、何か……力強い後ろ盾が無くなった感じがして、絶望した。

 やっぱ、頭ってのは賢く…強くあるべきなんだよ。」


「その苦労を承知で継いだのでしょう?」


「……わかんねえ。

 ただ、大好きな師匠の頼みだったから……そうしなきゃいけねえ気がしたんだ。」


「肝心なところでも、いい加減ですね。」


 無表情のまま、横を向くベルッサス。



「…こんな質問をすること自体、おこがましいがよ…。

 今、パンリは無事なのか?」


「……。」


 カジェットは、その問いに押し黙る彼の視線を、自然と追った。



 そこで思考は止まる。


 見張るべき部屋が空になり、ベルッサスが自分を哀れむように傍にいてくれている。



 だから、その光景は予想していなかった。


 風が凪ぎ、邪魔な音は微塵も無い。

 静止した時間の中で、その画が目に飛び込んでくる。


 大きく葉を広げた大木の根元に、直立不動の少年―――瞑想するように、深く瞼を閉じるパンリ。

 何かを呟くたび、小さく握りこんだ両の手が、それに応じて規則正しく発光を繰り返している。


 それは、初歩的な現法術を連続して繰り返す。

 カジェット空挺団における、基礎練習法であった。



「彼は『きっかけ』を掴みました。

 そして、私が見せた幾つかの手本を、あのとおり完璧にこなしてます。」


 唖然とするカジェットを尻目に、淡々と言葉を連ねるベルッサス。



「まったく…妬ましい才能が眠っていたものですね。」


 彼は微笑を浮かべた。



「…お前がそんな風に笑うところ……久しぶりに見たぜ。

 やっぱ、あたしより…お前の方が…」


「だが、彼はカジェット流の門前に到ったすぎない。

 ここから先は…貴女の仕事です。」


「……!!」


 その言葉に、彼女は戸惑う。

 まだ半分寝ているせいもあるが、頭が上手に回らなかった。


 そうこうしているうち、ベルッサスが指を鳴らす。

 パンリが気付き、急いで駆け寄って来る。


 そのわずかな間も全く役に立たず、彼女の頭の中は依然として真っ白で、何も考えがつかなかった。



「…おう……」


「カジェット師匠…!」


 気の抜けた彼女が適当にかけた言葉に対して、威勢のいい掛け声。

 さらに彼は突き進んで来る。



「どうか私にもう一度、機会を下さい!

 強くなるための術を…ご教授いただけないでしょうか!!」


 カジェットの足元に達した直後、パンリは伏し、地に額を付けるようにして懇願した。



「ベルッサス!!」


 その態度が卑屈に感じた彼女は、思わず怒声を上げる。



「ベルッサス先生は関係ありません…」


 本人が弁解する前に、パンリは先んじて言った。



「まず最初に謝ることは、自分で考えたことです…。

 自分の気持ちの弱さを棚に上げて…貴女の熱意に気付けなかった。

 それを反省した上で…」


「よ、よせよ。

 確かに、師弟の関係ってのは、礼儀作法とか厳しいかもしれないけどさ…。」


 カジェットは恥ずかしくなって言った。


 本来は、謝るのは迷惑をかけた自分の方であって、彼ではない。

 まるっきり逆なのだ。


 だが、彼女はそう思いつつ、その言葉をあえて飲み込んだ。

 物事の始まりには、形が必要な時もある。



「い、今までどおりでいいぜ。

 そうやって改まれると…余計に気恥ずかしいからな。

 行き過ぎな敬語も、やめてくれ。」


「私も先生と呼ばれるのは少々、抵抗が…」


 カジェットの言葉に、ベルッサスも付け加えた。



「…ありがとうございます、二人とも!!」


 パンリはまたも、気分が良くなるような、はっきりとした声で言う。


 照れたカジェットが何気なく脇を見やると、建物の玄関からは、シュナが姿を見せていた。



「見ての通り、状況が変わった。

 これからは一秒も無駄にしたくねえ。

 食事と泊まる所…ここで世話してもらってもいいか?」


 彼女と目を合わせるなり、カジェットは口を開く。



「ずいぶんと不躾ぶしつけね。」


 シュナは腕を組み、呆れたように返した。



「まあ、いいわ。

 男二人は入りなさい。」


 そして顎で示し、彼等を屋内に導く彼女。

 断れない空気に、まずはベルッサスが従った。



「シュナさん…どうか、穏便に…」


「ちゃんと、台所で手を洗うのよ。」


 そして、パンリが小声で囁くものの、今の彼女には取り付く島も無かった。



「さて……忘れたとは言わさないわ。

 あんたは、私の好意を一度断ってる。

 何でも勝手に、自分の思い通りになる、そんな風に思ってる傲慢な奴を手助けするほど、私は人間が出来ていないんだけど。」


 シュナは、真正面から突き放す格好を見せる。



「無礼を承知で相談してんだ。

 こっちは、弟子が強くなるためなら……信念くらい、いくらでも曲げてやる。

 吐いたツバだって、飲んでみせらあ。」


 だが、臆するどころか、さらに一歩踏み込むカジェット。



「…器用じゃないわね。

 腹立たしいくらいに。」


 あまりにも堂々とした相手の態度に、シュナは組んだ腕を解き、それを腰にやりながら溜め息をついた。



「…友達の師匠を名乗られた以上、もてなさないわけにもいかないか。」


 そして半身をかわして、屋内へと招く合図を出す。



 奥に見える大広間には、既に豪勢な食事の用意が整っていた。


 カジェットは、考えてもみれば空腹。

 目の色を変えて、それを眺めていた。



「急に二組も居なくなったせいで、食材も余ってんのよ。

 腐らせるのもしゃくだしね…」


 シュナは複雑な笑みを浮かべ、再び顎で示してかす。



「悪い。

 全部、あたしの責任…」


 カジェットが謝罪を言いきる前に、その頬は強く張られた。



「初めて会った時から、気に入らないのよ。

 人の友達をそそのかしたり……挙句の果てに、怪我まで負わせてさ。」


 痺れる手を押さえたまま早口で捲くし立て、その脇をすり抜ける彼女。



「でも…傲慢なあんたは、一番、傲慢な人間を判らせてくれたわ。

 きっと親切ってのは、自分の願望の裏返しなのね。」


 戒が聖十字を持って消えた時も、事情を知っていながら、寛大になりきれなかった。

 今でこそ仲間に戻ったが、彼に一番必要なのは、自分を含めた過去との断ち切りなのではなかろうか。


 さらに尊敬しているフィンデルへ差し伸ばした手も、拒絶され。

 パンリもまた、自分の厚意をすり抜けて行く。



「私は……あの子があんな風に変われるなんて、少しも信じてなかったのよ。

 …薄情な友達でしょう?」


 他者への好意は、その者の未来を摘む可能性を孕んでいる。

 恐怖に震える声で、シュナは呟く。



「親切な奴が傲慢なんて話、初耳だぜ。」


 だが、小指で片耳をほじりながら、カジェットは返した。



「あたしは、あんたと初めて会った時……パンリには、すげえいい友達がいるなって思った。

 その気持ちは、まったく今も変わらねえ。」


 そして、大きな足音を踏み立てながら進み。



「そんなくだらねえ話より、腹ごしらえだ。

 …今日は徹底的に食うぞ、てめえら!!」


 空腹で待ちぼうけをしている二人に向けて、発破をかける彼女。



「…ちゃんと…台所で手を洗うのよ!!」


 それに負けじと、シュナも振り向きざまに大声を放った。




◆ ◆



◆ ◆



 訪れた正午は、快晴。



 腕におぼえあり。

 そう言わんばかりの自信に満ちた顔ぶれによって、選手村の小さな広場は埋め尽くされる。



 進退を考える時間は、十二分に与えられた。

 故に、この場に残っている者達には一切の迷いも無い。



「予定通り……我々は、自由にやらせてもらって良いのかな?」


 そんな鼻息の荒い連中を煙たがるように。

 離れた場所に陣取ったセアムリッヒが、欠伸あくび混じりに訊く。


 選手村に着いてからというもの、酒浸りの二日間だったが、ギルド側の使いが何度もなく自分達の宿に訪れているのを彼は気付いていた。



「ええ…計画自体は…変更無いんですがねぇ…」


 それらとのパイプ役を担っているロメスは、周囲に気を払いつつ小声で囁く。



「ウチの組は、腕輪の数では二番手らしいですよ。

 現在、三個差で。」


「ほう、かなり頑張ったつもりだが…まだ上がいたのか。」


「…詳細は分かりませんが、かなりの手練だそうで。

 くれぐれも彼等とは争わないように、とのこと。

 その他は予定通り、自由に行動して構わないそうです。」


「だったら、尚のこと交戦するべきだろう。

 憂いは、早目に潰しておくに限る。」


 密談する二人の背後で、ドゥナガンは口走る。



 物騒な言葉だが、あながち間違いではなかった。


 上位三賞の確保のためには、ギルド班が集めたポイントを、最終的に分配しなくてはならない。

 たった一組とはいえ、その計画を脅かす存在があれば、ここでの消極策があだとなる。



「いえ、どうか……今回ばかりは、我々を信用してなすって下さいよ。」


 だが前歯を剥いて笑顔で取り成すロメスに、二人は互いに顔を見合わせた。

 どうやら運営側には、まだ自分達の知らない奥の手があるらしい。



「で、生き残っている『お仲間さん』はどのくらいいるんだ?

 それだけ余裕があるということは…」


 セアムリッヒの問いに、ロメスは無意識に目配せして、指で『9』を示した。

 視線の先には、記憶力に長ける彼にしか識別できない、ギルドの息のかかった者達がいるのだろう。


 現在、広場にいる参加者達は、目測で40組程度。

 互いに顔を知らないものの、全体の四分の一が味方と思えば、それは歓迎すべき要素である。



「魔導人形の計算によると、このまま順調に事が運べば、上位の独占は間違いないそうです。

 お二人のおかげで何とか……私の首も繋がりましたよ。」


 前半戦における自分の失態が、思わぬ窮地を演出してしまったため、ロメスは思わず声を震わせていた。



「礼を述べるには、まだ早いんじゃないか?」


 そんな彼の肩を、手甲ガントレットの裏で軽く叩いて励ますセアムリッヒ。



「勝利が間違いない―――そうおだてられ、とんでもない戦場に回されたことが、一度や二度では無いんだがな。」


 一方のドゥナガンは、油断の無い眼差しで二人を睨みつけ、やはり皮肉を口にする。



 どんなに有利な状況に在ろうが、楽観できないのは傭兵のさがらしい。



 セアムリッヒは頬が突っ張るほどの笑みを浮かべ、手にする長斧の先を真っ直ぐ地面へと突き刺した。



 今回もまた、安心して彼に背中を任せることが出来そうである。



◆ ◆



 広場に設けられた高い演壇に、やがて何者かが姿を現すと、途端に注目が集まった。



《―――只今より、中王都市大競技会・後半戦の説明を行います。》


 静寂を待った後、凛とした言葉を投げかけるのは、例の双頭の魔導人形。


 青と赤のルージュで判別される二又の首のうち。

 前者は今回も眠ったように目を閉じて、後者に場の仕切りを任せている。



 だが参加者達も慣れたもの。

 もはや、そのような異様には何の関心も示さずに、ただひたすら、続く言葉を待ち詫びていた。



《後半戦の課題、それは『洞窟探索』です。》


 眼下で渦巻く、そのような感情を知ってか知らずか。

 さっそく本題を切り出す人形。


 同時に、脇の巨大な地図板の幕が取り払われ、暴かれる。

 ―――そこには無数の×印が記されていた。



《このアルチーユ洞窟は、中王都市の創生当時、主な輸出品として鉱物の採掘が盛んに行われていた地。

 故に、付近一帯の表層には、数百の穴が造られております。

 そのうちのいずれかの最深部に、『宝』を隠させていただきました。》


 説明を一句とて聞き逃すまいと、固唾を飲んで見守っている目を、人形は地図の北西部へ向けさせる。



《その宝とは、競技の最終目的地である『首都リエディン・西征門』をくぐるために必要な『通行証』に他なりません。》


 言葉通りに地図をなぞれば。


 前半戦では、スタート地点から湖の右側を半周して選手村に至ったのに対し。

 今度は、湖の左側を半周して首都方面へ帰る形となっている。



制限時間タイムリミットは、二日後の日没。

 それまでにゴール出来なかった組は例外無く失格とし、得たポイントも全て無効とさせていただきます。》


 児戯のような内容だが、時間の余裕は無い。

 参加者達の一部から、嘆息が洩れた。



《なお競技の勝敗は、先にお伝えしている通り、『ゴールした順位』ではなく『総合ポイント』にて争われますので、お間違いなきよう。》


 そこで少し間を取りながら、人形は注意を喚起する。



《無論、今回もゴールに先着した組には、特別ボーナスを用意しております。

 内訳として、第一着に5万Pポイント、二着に3万P、三着には2万Pが加算。

 …以降には、加算ポイントはございません。》


 そして、何気なく付け加えられたその発言に、誰もが耳を疑った。


 たかが中間地点であるこの選手村に先着した10組でさえ、5万Pのボーナスが貰えたのだ。

 これでは、ゴールへ早く到着する価値は無にも等しい。



《―――以上で説明を終わります。

 何かご質問はございますか? 無ければ、これにて…》


 大半が呆気にとられている中。

 群集から一人、太い腕を突き上げる男。



「この腕輪もポイント加算の対象だったはず。

 今、全員がいるこの場で、その価値を明確にしていただきたい!!」


《……。

 大変失礼いたしました。》


 大声でなされた質問に対し、スカートの両裾を軽く持ち上げ、うやうやしく頭を垂れる人形。



《皆様の持つリーダー・ブレスレッドは、ゴールした時点で、一つにつき『10万P』に換算させていただきます。》


 その常軌を逸した法外な価値設定に、広場は一瞬にして様々な雑音が混じり始めた。



《…なにぶん、第一回目の開催ですので、ルールにも色々と洗練されていない部分がございます。

 どうぞ、ご容赦ください。》


 言葉とは裏腹に。

 喧騒を壇上から見下ろす魔導人形の態度には、およそ一片の謝罪も無い。



 そこで参加者の大半は理解する。



 運営側は、もっと露骨に各組の潰し合いを狙ってきたのだ。



 腹の中では憤然としながらも、彼等はそれで一応の納得に至った。


 何故ならば、相手は初めから、その一貫した姿勢を崩していない。

 さらに何よりも、自分達はその悪意の始まりとも言えるべき、前半戦をクリアしてきた自負がある。



 この期に及んで、覆るはずの無いものに対しての妄想や論議など、時間と労力の無駄であろう。



《それでは、只今の説明をもちまして、後半戦開始の言葉と代えさせていただきます。

 ……終着の地にて、皆様と再び会えることを。》


 もはや慇懃無礼にしか聞こえない、わざとらしい挨拶の後、魔導人形は背を向けた。


 それを合図に、広場を囲んでいた柵の一部が解放されると。

 その先には、やはり大量の武具と雑貨が整然と並べられている区画が見える。



 大混戦になったスタート時の慌しさとは対称的に、今回は各組とも急ぐ様子は無かった。


 象のように雄大に歩み。

 勝利へ向かうための、考えを巡らせているのである。



 ―――しかし、その光景は、魔導人形の瞳には滑稽に映っていた。



 一見して不条理に見えるルールなど、ただの添え物にすぎない。


 これから体験する絶望に比べれば、勝利に思いを馳せられる今が、なんと幸せなことか―――と。



「…流石は、ここまで残った精鋭じゃな。

 まるで至強の軍団のように、内に気を秘めておるわ。」


 そこで横から飛び込んでくる、呑気な声。


 魔導人形は演壇の階段に片足をかけたまま、動きを停止する。



 振り向けば、地図を支える柱の影で、大偉丈夫が待ち伏せをしていた。





 前半戦を最も荒らした男の突然の来訪に、魔導人形ハーニャンは警戒した。



(…どうして……この男が…ここに…?

 狙いは…何だ…?)


 その高度な演算能力をもってしても、彼とタンダニアの関係が結びつくはずも無い。


 ハーニャンにとって、この『ヘイカ』という人間は。

 卓越した戦闘力を有するものの、組織的な行動が無いため、ギルドにとって大した障壁にはならない―――その程度の認識であった。



 だが、ここであえて接触を計ってきたあたり、やはり他の連中とは毛色が違うようである。



 刹那。

 前半戦で彼に敗れたギルド班の誰かが、『仕掛け』について口を割った可能性を、魔導人形は最も案じた。


 個人の文句ならば幾らでもかわせるが、まだ周囲には参加者達が多すぎる。

 ここでネタを晒されて、彼らが暴徒と化す事態だけは、何としても避けなくてはならない。



《……ええ。

 まさに、どの組が優勝するか、見当もつきませんわ。》


 青いルージュをひいた首は、それまで閉じていた瞳を見開いて、まずは言葉で探った。



「やはり皆、上位の賞品に目の色を変えておるようじゃな。」


 だが、とぼけているのか、世間話のようなものを続ける相手。



《人間にとって、強大な力を追い求めることは、安寧を求めることと同意義なのでしょう。》


「……そういえば、武力は、他国と同等、またはそれ以上でもって応じる。

 国防のため『仕方ない』と、オーンヒルデは言っておったな。」


 タンダニスは重臣の名を小さく呟きながら、憂いを帯びた瞳を半分だけ瞼で隠した。



「じゃが、悲しすぎるとは思わんか。」


《……悲しい?》


 彼の身分を知らないため、言葉の意味を解さぬまま、双頭の人形は訊き返す。



「いつから人間は、武器を携えねば、隣人と会話すら出来ぬようになった?」


《…先程から、ご質問の意図が解りかねます。

 妙な言い回しをなさらずに、本題を仰って下さい。》


 その毅然とした言葉に、タンダニスは立派な顎鬚に触れながら笑った。



「人の手に余るようなものを、ただの民草にまで広めようする。

 これが単に、おぬしらが益を貪るためだけの行為なれば、然るべき処置をとらねばならんと思ってな。」


《…やはり、脅迫なさるおつもりですか。》


「……今わしは、そんなに恐い顔をしておるか?」


 二度三度、まばたきをする彼に、人形は肩透かしを食らった心地だった。


 直後、彼の言葉には表面的な意味しか無いことに気付き、赤いルージュの首は唇を開く。



《そのようにギルドの運営を誤解をされている方は、良くいらっしゃいます。

 ですが本来、我々は営利機関。

 大陸全土の円滑なる社会向上のために、それなりの代価と利権を要求するのは当然のことでありましょう。》



 タンダニスは瞳を閉じた。



 この魔導人形の言葉は、真理だ。



 文明は一握りの者達が、闘争の中で創る。

 それが次代へと繁栄をもたらし、幾度も積み重ねられていく業の様を、歴史と呼ぶのである。



 自分が『悲しい』と評した思想は、きっと未来永劫に続くに違いない。



《…ただし、此度の大会は、中王都市側から持ち掛けられた話です。

 指針に意見されるならば、ぜひとも、その主要格たるデスタロッサ卿に直接申されてみたら如何でしょうか。》


「ほ。

 なるほど。」


 そこで青いルージュの首が洩らした嫌味に、己が膝を叩くタンダニス。



「忙しいところを、すまんかったな。

 親切な魔導人形どの!」


 そして、彼は勝手に満足した様子ですぐに踵を返し、背景の集団に紛れ込んで行った。



《…いま、私は何か、親切をしましたか?》


 奇妙だが、不快ではない残滓ざんしを感じつつ、ふと、青いルージュの首が傾く。



《……さあ…。》


 赤いルージュの首は、自然と脱力した声で返していた。





 参加者達の殆どが慎重に動く中、激しい気勢を隠さない集団があった。


 コルスス率いる一党である。



「…とにかく、まずは休息だ。

 半日くらい遅れてもかまわねえ、すぐに休める所を探して来い!!」


 鶏の足をかじり、急ぎ足で小道を進みながら怒鳴りつける彼。



「おい!

 返事は……!?」


 だが振り返れば、手下は全員、離れた場所で硬直していた。



「…ぁ!?

 てめえ……どうしてここに…!?」


 眼前。

 至近距離に、憤怒の表情たるカジェットの姿。


 思わず、コルススはその場で腰を抜かす。



「なにやら、弟子がえらい世話になっちまったんでな。

 お礼に来たぜ。」


 とても女性とは思えない低い声で唸るが早いか、彼の鼻先に拳を付ける彼女。



「あ…あのガキ、生きてやがるのか…?

 どうやって…」


 コルススが体を反らしたまま視線を泳がすと、他の組がその不穏な気配を注目していた。



「…おい…中立地帯で争えばどうなるか、知ってんだろ…?

 どんな手段を使ったか知らねえが……全部、無駄になっちまうぞ…へへ…。」


「てめえのバカっ面を一刻も早く叩きのめせるなら、それも悪くねえわな。」


 その会話を聞き、ようやく周囲の手下共が距離を詰め始める。

 カジェットが睨みを利かせると、一触即発の緊張が全体を駆け巡った。



「あ…慌てなくとも、ちゃんと競技中に殺してやる。

 それまで、せいぜい生き延びやがれ!!」


 その隙に彼女の間合いから抜け出し、コルススは逃げるようにして建物の影に姿を消した。


 従う手下共も、同様に退散していく。



「ははっ、おっかしいぜ。

 連中のあの疲れきったザマを見たか?」


 彼等を最後まで睨み続けていたカジェットは、後から追いついて来たベルッサスに笑いかける。



「ずっと、あたしらを『外』で探してたんだな。

 この後半戦が始まるギリギリまでよ。」


「…!」


 彼女の言葉を受けて、周囲を見回す彼。

 連中が道に残した足跡には、新しい土が大量に付着していた。



「大方、パンリをやった後、あたしらにもトドメを刺すつもりだったんだろ。

 だけどあの時は、戒のおかげですぐに選手村に入ることが出来た。

 あいつらの予定は完全に狂ったんだ。」


「コルススの性格からいって……すぐには襲ってこないでしょうね。」


 ベルッサスは彼の顔を心に浮かべつつ、呟く。



「姑息だが、慎重な野郎だからな。

 …ま、おかげで、こっちの使える時間はかなり増えたってわけだ。」


「それまでに『彼』は少しでも戦力になるでしょうか。」


「…パンリを鍛えるのは約束だからさ。

 こっちのゴタゴタには、これ以上巻き込みたくねえ。

 刺し違えてでも、あたしが決着ケリをつけてやる。」


 そう言って、カジェットは握った拳をもう片方の手の平に叩きつけた。



「そのような危険な真似を、二代目だけにさせるわけには…」


「いや、お前がいるからこそ、やれるんだよ。」


 そして迫るベルッサスを、制する彼女。



「縁起でもねえけどさ。

 あたしが死んだら、お前に三代目を…」


「お止め下さい。

 ただの言葉でさえ、亡くなった初代がお嘆きになられます。」


「継いで欲しいんだ。」


 二代目カジェット=セイルクロウは、あっさりと遺言を口にした。



 背にした青空と同じような、清々とした表情だった。



◆ ◆



 シュナとパンリは、二人きりでいた。


 後半戦開始直後だというのに、互いの組のリーダーは、競技の説明中に何処かへ消えてしまったまま。

 アリアネとベルッサスも、それを探しに出たきり戻って来ない。



 下手に動くことも出来ずに待ちぼうけする中、パンリは沿道の岩に腰掛けて、重ねた指先を絶え間なく動かしていた。



「緊張してる?」


 明らかに落ち着きの無い様子の彼に、シュナが明るい声をかける。



「正直……恐いです。

 私にとって、本当の意味での初陣ですから…。」


 虚ろな表情のまま、静かに返す彼。



「とか何とか言って、本当は覚えたての術を早く使ってみたくて、ウズウズしてるんじゃない?」


「…そうかもしれません。」


 シュナの冗談に、パンリは正直に答えた。


 彼が恐れを抱いていたのは、周囲の状況ではなく、そんな自分の感情に対してである。

 以前ならば、考えられない心境だった。



「……何か使える物があるか、見てくるわ。

 ちょっと待ってて。」


 暫し無言の後、前方に陳列された品々を何気なく眺めていたシュナは、一言告げて離れていく。



 取り残されたパンリは、無理もないと思った。


 現法術を少々かじった程度で、生意気な態度をとった自分を、彼女は大いに軽蔑したに違いない。



 だが、衝動は、それくらい抑え切れなかった。


 集中すれば、周囲は音を失い。

 じわり、と痺れるような緊張が足元から這い上がる。


 ひどく現実感の乏しい世界が、頭の中に広がって。

 そこで自分は、想像した相手と、何度も戦っている―――



「…っ!?」


 いきなり頭のフードが外され、頭上から襲う圧迫感と、暗転する視界。


 パンリが慌てて立ち上がると、笑い声が背中から聞こえた。

 視界を塞いでいた物を上にずらすせば、それは深い毛糸の帽子である。



餞別せんべつよ。

 これなら長い耳を丸ごと覆えるし、フードより邪魔にならないでしょ?」


 さらにシュナは態勢を屈めて、彼の腰に皮のベルトを巻く。

 すると、みるみるうちに、ローブ状の服装が改善されていった。



「機動性を高めないと、戦場では命取りよ。

 ……以上、先輩からの有難いお言葉でした。」


 そして自分の胸当てに片手を軽く乗せ、おどける彼女。



「…よろしいんですか?

 大事なポイントを、こんなところで使ってしまって…」


「やぁね。

 気にするほど、高い買い物じゃないったら。」


 その好意に、少年は身を任せた。



「すみません…。

 いつも心配してくれているのに…自分は……わがままな人間です。」


「そう、あんたって一度決めたら、頑固よね。

 …でも私はきっと、そこが気に入ってるんだわ。」


 シュナは二本目のベルトを彼の脇に通しながら、自分の気持ちを確かめるように呟く。



「シュナさん…」


 言葉にならない何かを口にしかけた矢先。

 パンリは視界の端に双子の少女を見る。


 話だけは聞かされていたので、それが誰なのか、すぐに見当が付いた。



「…あれから、ちゃんとした宿に泊まれたの?

 疲れてない?」


 その視線に感づき、シュナも立ち上がる。


 相手が幼いためか。

 彼女の口からは、まず先に心配が言葉として出た。



 だが、それがかえって不気味さを増して、脅えさせてしまう。


 双子の姉妹は無言のまま後退すると、再び人混みに紛れていった。





 二人は、参加者の大半が村を出るのを見計らい、父親と合流する手筈だった。



 幼い彼女らは目立つ上に、標的にされやすい。

 しかし大黒柱のウベさえ顔を知られなければ、まだ戦う手は残っている。


 一家がそんな思いから立てた作戦の途中、よりによって彼女と出くわしてしまうとは誤算だった。



「ああ、びっくりした…!」


 咄嗟に走って逃げたのは、レンの主導である。



「…私、ちゃんと謝りたいよ……」


 開けた場所で足を止め、エリスは呟いた。



「謝るなんて、どうかしてるんじゃないの!?

 お父さんのせいで仲間が失格させられてるんだからさ、きっと怒ってるに決まってるでしょ。

 近付くだけでも危険だって。」


「……。」


「もう考えを切り替えないと、今度こそ怪我するわよ。」


「…でも……昨日のあれは、あまりにもタイミングが良すぎない?」


 レンの度重なる忠告にも、エリスは聞く耳を持たなかった。



「あんた…本当に…昨日からずっとそればかりね。」


「だって…。

 世羅さんの症状が発生してから丁度、外出してたお父さんが帰って来るなんて…」


「そんなの、偶然で説明がつくわ。」


「私もそう信じたい。

 だけど…」


「……何よ?」


 二人は、小さな額に浮かべた汗を拭いもせずに、互いの顔を付き合わせた。



「薬に詳しいってことは、毒にも詳しいのよ。

 傷を見ただけで、発病する『可能性』くらいは予想できるんじゃないかしら…。

 それで、あえて黙ってたとか……」


「たとえそうでも、これは勝負じゃない!

 敵の弱味につけこんで、何が悪いのよ!!」


「違うよ。」


「………!」


 自分の意見を滅多に主張しないエリスは、たまに強い志をもって見詰め返してくることがある。

 その場合、怯んで黙り込むのは、決まってレンの方だった。



「お兄ちゃんには…戦う意思は無かったの。

 後半戦は協力しようって…私には言ってくれてたのよ。」


 若干、都合の良い解釈を交えつつ、エリスは静かに告白した。



「何それ……。

 本当なの…?」


 自分が全く知らされていなかった事実に、口を尖らせるレン。



「―――ようやく追いついたわ。

 何も逃げることないでしょーに。」


 その瞬間。

 背後から忍び寄っていたシュナが、二人の服の襟を掴む。



「げっ、追ってきてた!?」


 レンは反射的に飛び退くが、既に遅かった。

 決して強い力ではないものの、子供の力ではまるで動じない。



「…私の娘達に、何か用かな。」


 だが、そのシュナの手首をさらに掴み上げる、白い修道服。



(…お父さん……!)


 人混みを割るようにして駆けつけた彼が、姉妹の頭上でそびえ立つ。

 非常に険しい表情であることが、真下からでも見てとれる。



「ウベ神父…。

 どうして、黙って出て行ってしまったんですか。」


 だが、シュナは臆さずに訊いた。



「……君の仲間達に悪いことをしておいて、共にいれるはずないだろう。」


 先制の詰問に、彼女の手を離してから、淡々と答える彼。



「悪いこと?

 あいつらの腕輪を取り上げて、未練を断ってくれたのが悪いことなんですか?」


 だが、続けてシュナが示した意外な反応に。

 姉妹は自分達の父親を、驚きの表情で見上げる。



「君の言う通り、彼等の安全を優先した―――薬師としての自分に打算は無い。

 だが、この大会に参加している以上、人の親としての自分には利己心を感じた。

 神に仕える者として、非常に恥ずべきことだ。」


 そこでウベは膝を曲げ、両手で静かに娘達を抱き寄せた。

 疑っていたエリスさえも、今では彼の自責の念が痛いほど判る。



「真面目ですね。

 誰かさんとは大違い…」


「―――おお、ここにおったか!

 随分と探したぞ!!」


 その様子に感心するシュナに対し、遠くから大きく振られる手。

 地鳴りのような声に目を向けると、タンダニスの顔が、参加者の群れから頭一つ飛び出している。



「何じゃい。

 空気が重いのう。」


 そして合流を果たした途端、くぐもった場の様子に、歯に衣着せぬ物言いをする彼。



「陛下!!

 どこに行ってたんですか、もう…」


 その余りにデリカシーの無い様子に、シュナは声を荒げた。



「―――お、喧嘩か?

 楽しそうだな。」


 ちょうどそんな折、もう一人の無頼者カジェットも、パンリとベルッサスを連れて姿を見せる。



「あたしらは、そろそろ出るぜ。

 ちょっと事情があってよ……できるだけ早く、先に進んでおきてえんだ。

 一宿一飯の恩が返せなくて、悪ィな。」


 その言葉は、まだ少し先だと思っていた別れを唐突に予感させる。


 覚悟していたつもりだったが、シュナはすぐに声が出なかった。

 視線の先のパンリも、ただうつむいている。



「…長い道中、そんなに急ぐこともなかろう。

 そうじゃ、皆で一緒に楽しく参らんか?

 ここから先、単独では、ちときつそうじゃぞ。」


 そんな中、タンダニスは出し抜けに提案した。



「子連れなら、なおさらの。」


 さらに彼は片目を閉じて、小声で付け加える。



「わ、私達も…?」


「あ…ありがとうございます!」


 子供の無邪気さで、素直にその申し出を受けるレンとエリス。



「……このお導きを、神に感謝します。」


 喜びで抱き合う娘達の姿を見て、ウベの心も自然と定まり、額を二回叩く独特の仕草で感謝の意を示した。



「あたしらには、事情があるって言ってんだろ。」


 しかし、一向の歓迎の空気をよそに、カジェットだけは、うなじを強く掻きながら反発する。



「別に途中まででも構わんぞ。

 いつ集団を離れても自由、そういう約束でどうじゃ?」


 彼女の態度に気分を害することもなく、タンダニスは自分の意見をさらに押した。



 他の人間と組めば、自分の正体を晒す危険がある。

 矛盾だらけの彼の行動に、シュナは目を丸くして、ただ傍観するしかなかった。



「じゃあ……そうするよ。

 多勢でいることが安全なのは、疑いようもねえからな。」


 深慮の末、カジェットは仲間の二人に脇目を振りながら呟く。



「決まりじゃな。」


 その反応に、タンダニスは分厚い手を打ち鳴らし、今度はシュナに大きな笑みを見せた。



 よく人を惹きつけて、よく人心を得る。


 不思議な王だ。



 しかも、自分が纏めた集団を率いることもなく。

 最後尾から、全員を包み込むように眺めているのが好みのようである。



「…今までどこを放っつき歩いてたんですか。

 アリアネさんが、探しに出たままなんですよ!」


 シュナは歩調を緩め、そんな彼と並んだ。



「おほっ。

 それじゃあ、村を出る前に、あやつを先に探さんといかんのう。」


 脇腹を肘で突かれる感触に、思わず素っ頓狂な声を上げるタンダニス。



「毎回こんな調子じゃ、彼女の苦労する気持ちが良く解りますよ。

 ご自身の立場のこと、まったく省みないんですから。」


「…ふぅむ。

 あやつには日頃の苦労に見合うよう、たまには何か褒美でもとらせねばなあ。」


「……赤ちゃんとかどうですか?」


「あっはっはっ!

 何の冗談じゃ、そりゃあ!!」


 全く真に受けていない様子で高笑いする彼を見て、シュナは彼女のことが少しだけ気の毒に思った。



 残念なことに、自身に向けられた好意には、とことん鈍いらしい。



 もしかしたら全ての行動も、深い思惑があるようで、実は何も無いのかもしれない。


 だが、この捉えどころの無さも、魅力の一つであろう。



 シュナは丁重な礼の代わりに、短い間だけ、本当にただの仲間として振る舞い続けることを心に決めた。



 破格の傑物である、人徳の王がそう望むままに。



▼▼


第四章

第五話 『以心変心・中編』


▼▼


to be continued…




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