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4-3 「二つの聖十字」



This story is a thing written by RYUU


Air・Fantagista


Chapter 4

『Coming in flight warship age』


The third story

'Doble Closs'





◆ ◆ ◆



 垂耳の集落では、生まれた子は全て、おさの元に預けられる伝統である。



 そこにおいて、『―――ああいう立派な人間になりなさい』など、目標を提示するような育て方はしない。



 極力、他の民族と文化を避けてきた退嬰たいえい的な歴史からか。

 それとも、生来の穏やかな気質が作った知恵か。



 そこにはただひたすら、漠然とした教えのみがあった。



『―――他人に迷惑をかけるような人間になってはならない』と。



◆ ◆ ◆



 競技開始の合図と共に、参加者達の列は折れるようにしてV字形に展開した。



 真ん中に突如として発生した土煙は、事態の確認よりも、身の安全の確保が先決だと思わせる。



 瞬く間に抜け出ていく両翼の集団。

 彼等の予想通り、後方は地獄だった。



 放たれた術によって、様相を変えられた景色。

 助けを求めるように空へ伸ばされた、土に埋まった負傷者達の手。



 そして、大混乱の首謀者―――カジェット=セイルクロウは、舞い上がった粉塵の中心で。

 悪鬼のように目を凝らしていた。



「…出遅れるのは気にくわねえが……まァ、いいか…。

 ちょっとした、準備運動にはなるだろ。」


 ゆっくりとした彼女の言葉と共に、徐々に晴れゆく視界。



 すると周囲からは、無数の怨嗟の目が向けられていることが明らかとなり、パンリは腰を抜かしそうになった。



「おいおい。

 ベルッサス……ひでえなァ。

 お前の術のおかげで、やる気になっちまったみたいだぜ。」


 カジェットはおどけた表情で、編んだ後ろ髪を振り上げながら。

 皆に伝わるよう、大声で言った。



 仲間を傷つけられた恨み。

 痛烈な源法術への畏怖。


 それらは次第に、大きく渦巻いていく。



「すべて私のせいですか……二代目。

 ただ…『手助け』をしただけなんですがね。」


 両瞼を閉じ、彼女と背中を合わせたまま、まるで小事のように呟くベルッサス。



 カジェットが敢行した、全方位を攻撃する源法術に加え、土を陥没させる彼の術。

 それらは複合されることにより、相乗効果を生み出し、個々で発するよりも何倍もの被害を与えていた。



 事前の打ち合わせすら必要としない二人の息は、既に円熟の形を見せており、頼もしいことこの上ない。


 だが、眼前にいる人間達の憎悪、そして無念を、そ知らぬ顔で受け流している『気質』だけはいただけなかった。



 パンリは、不意に疑う。


 強くなりたいがため、カジェットの話に乗ったものの、彼女たちの善悪までは視野に入れていなかった。


 当面協力する関係というだけで、そこはずっと甘い認識でいた。

 否、考えまいと努めていたのだ。



 いま目の前に広がる惨状を見ながらも。

 二人には、罪悪感が何処にも無い。



 自分と彼等は、明らかに、棲む世界が違いすぎている。





◆ ◆ ◆



エア・ファンタジスタ

Air・Fantagista




第四章

飛翔艦時代到来



第三話 『二つの聖十字』



◆ ◆ ◆



◆ ◆




◆ ◆ ◆



「…おらあッ!!」


 かかってきた相手の顎を目がけ、カジェットがその巨体から振りかぶった掌打を入れる。


 見た目通り。

 彼女は腕っぷしも、かなりのものだった。


 中途半端な男達では、たとえ一山いようが、彼女を止めるには足りないくらいである。



 一方のパンリは、全ての動きが鈍い。

 心の表れは、早速そういった形で体現されてしまっていた。


 そして、ひとり何も出来ないでいる中。

 戦況が動くにつれ、頼りのベルッサスまで背中から離れていく。



「パンリ!

 おまえ、後ろの奴な!!」


 前方で人を捕まえて、その頬を殴り抜いているカジェットに急に命ぜられ。

 自然と身を返すパンリ。



 そこには、震えた両手でナイフを構えた、必死の形相で向かってくる痩せた男。


 彼はどうやら、カジェットの仲間と見られるパンリも、相当の使い手だと勘違いしているようだった。



「わ…私がやるんですかぁ!?」


 一拍子遅れてから、自身の置かれた状況に気がついて、情けない声を上げるパンリ。

 その間も、当然ながら相手の足は止まることはない。



「う…ううっ……!」


 勇気を振り絞り、それに向かって両手をかざす彼。



「ふぇ…《源・フェルー・ド》!!」


「!!」


 情けない声で唱えられた術に、一瞬、先ほどの惨劇が脳裏によみがえり、相手は怯む。


 そして、それを横目で追っていたカジェットも、別の意味で動きを止めた。



「……んん?」


 何も起きていない自身の体を見回す男。

 その背後から、ベルッサスの飛び蹴りが延髄に決まる。



「…あ…ぁ…ありがとう…ございます…。」


 パンリは彼のおかげで事なきを得たものの、突き出した腕を収められないまま、全く身動きできずにいた。



「てめえ!

 死にてえのか!?」


 そこへすかさず飛ぶ、カジェットの叱責。



「…二代目。

 実戦に不慣れの彼では、無理もありません…。」


 ベルッサスは、それをかばうようにして言った。



「仕方ねえ。

 …それじゃあ、お前たちは、ブッ倒した野郎どものブレスレッドとリングを奪え!

 このへんで、撤収する!!」


 時が経つにつれ、カジェットの強さを見かねて、逃げ出す者が続出していた。

 現場に残ったのは、戦利品と負傷者が殆どである。



「あたしらのモノを横取りする奴ァ、容赦しねからな!!」


 諦めきれずに周囲を徘徊している少数の輩を睨み付けながら、さらに彼女は威嚇する。



 気の昂った彼女の態度は、まるで盗賊団の頭目。

 そしてパンリもやはり、それらの手下になったような心地だった。


 今までの人生の殆どを、本や机にばかり向かってきた彼にとって、それはそれは惨めな体験である。



「……!」


 そんな彼の落胆をよそに、カジェットは注意深く周辺をうかがっていると、遠くの木々に目を留めた。



 高い枝葉の上に立ち、自分たちを眺めている集団。

 その中心の、コルスス。


 彼は、開始時にけしかけた手下の仇をとろうとする様子もなく。

 そして、彼女の高調した様子に逆上することもなく。



 まだ序盤とばかりに余裕の笑みさえ浮かべ、森の奥へと消えていった。



◆ ◆ ◆



 この競技大会は第一回目ということもあり。


 参加者達の動向、設定した競技内容や規則ルールが引き起こす事態。

 それらは、主催者側にも甚だ不鮮明であった。



 デスタロッサ男爵が、この試験的な意味合いを承知してまで開催を推進したのは、あくまでも今後へと繋げるため。

 次回、また次回と、良い参考を重ねることが出来れば、御の字である。



 しかし、本大会の資金の殆どを捻出したギルドは、その思惑とは別に、たった一点だけ筋書きを用意した。



 ―――上位三賞の独占である。



 大会中にどのような不確定要素が働いても、そこだけは守りきらねばならない。

 また、絶対条件でもあった。



 はじめ、各企業は中王都市側に、本大会の賞品として飛翔艦の寄付を、単独で申し入れようとしていた。

 その口を初期の段階で止めたのは、他の何ものでもない、ギルド総本部であった。



 ギルドという組織を飛び越えて、企業が国に対して発言力を得ることを、彼等は極端に恐れていた。



 ただでさえ、最近は特に飛翔艦技術を利用した企業の成長は著しい。

 新勢力の『はびこり』を、今まで大陸上で利益を独占してきた者達は、何よりも脅威に感じていたのである。



 幸い、賞品である飛翔艦は、ギルドが買い取ることを前提とし。

 その手の者が獲得した場合は返却するという条件を、企業側は飲んだ。



 失敗すれば、莫大な費用がかさむ、危険な賭けである。

 だが、ギルド総本部も、偏屈な言い分と面目のみで戦うわけではなかった。



 大会には、口の堅い傭兵を50人近くもかき集め、参加させ。


 さらに今作戦の要として、彼等が子飼いとしている『七星剣』すら二人も擁し、万全の布陣で臨んだのである。



◆ ◆ ◆



 だが、そんな総本部の期待を裏切る事態は、なんと競技開始の頭に発生していた。


 大陸で仕事を請け負っている最大の組織が、絶対の信頼を置いて作り上げた、最も手堅く優秀なる一組が。

 初っ端から蹴つまずくなどという展開は、誰が予想しただろうか。



「……何だ?」


 源法術によって吹き飛ばされたロメスを地に寝かしつけ、セアムリッヒが介抱する最中。


 スタート地点の柵外から、双頭の魔導人形がステッキを片手に、自分たちへ向けて何かのサインを送っている様子に気付く。



「戦場で使う『旗信号』に近いようですが。」


 ドゥナガンは一目見て、そう答えた。



「私には馴染みが無いな。

 あの人形…何と言っている?」


「『息はあるのか?』だそうです。」


「あるにはあるが……全身を強く打ち、気も失っているぞ。」


 セアムリッヒは屈み、ロメスの額に手を当てて言う。

 そのままの言葉を、ドゥナガンは剣を用いて伝えた。



「『ならば、競技を続行しろ』……だそうです。」


 そして、返された信号の意味を言い終えてから、唾を吐き捨てる彼。



「流石は、ギルド総本部の人形様だな。

 まるで感情を持っているようじゃないか。」


 柵へと視線を戻し、そこで人形がステッキを叩き折るのを鼻で笑いながら、セアムリッヒは呟いた。



「どうします?

 ああは言っていますが、続行は無理でしょう…」


「いや。

 ギルドの命令とあらば、続けようではないか。」


「…正気ですか?」


 平然と返される言葉に、ドゥナガンは目を剥いた。



「彼は、私が運んでいく。」


 その非難の目から逃れるように、セアムリッヒは兜のバイザーを降ろし、反転する。



「俺はギルドに恩はあるが、手先じゃない。

 あんたは、そこまでして報酬が欲しいのか。」


 思わず、声を荒げるドゥナガン。

 セアムリッヒは甲冑越しに、その若者の本性を強く肌に感じた。



「…勘違いするな、これは金の問題ではない。

 続行を希望する理由は、ただ一つ。

 私は……これまで任務の失敗によって、ギルドを失望させたことが無いからだ。」


「今は人命に関わる。

 信用などを気にしている場合じゃない。

 俺は降ろさせてもら…」


「それは困るな。

 我々のうち一人でも欠けるのは。」


 肩の甲を響かせて、長斧の刃先をドゥナガンに突きつける彼。



「貴様……!」


「私の背中に、かぎになっている部分があるだろう。

 そこにロメスを引っ掛けろ。

 あと何かロープのような物があれば、巻いて身体を固定させてくれ。」


「…軽蔑するぜ、あんた。」


「構わんよ。」


 セアムリッヒは森の先へと視線を向けて、平淡に呟いた。



◆ ◆



 どうやら、初めに全力で駆け抜けた組と、足止めを喰らった組とでは、距離に相当の差が出たらしい。



 森を進めば。

 鳥のさえずりが際立つほど、そこは静けさに包まれていた。



 だが、ここでも我が道を行くカジェットは微塵も焦らずに、傍の適当な切り株に腰掛けて、二人に対して休憩を命じたのであった。



「……術が発動しなかったのはいい。

 あたしが解せないのは…よりによって一番弱い《源・フェルー・ド》を使ったことだよ!」


「す、すみません…!

 勘違い…してました…。」


 それは説教のためでもあった。


 パンリは、その間ずっと何も言い訳もせず、草むらに正座して謝り通す。



「でもな、これはまだ『注意』だ。

 いいか。

 あたしは今、もっと怒っている別のことがある。」


 カジェットは顔を深刻な表情に変えて、きつく腕を組んだ。



「…お前、まだ覚悟を決めてないだろう。」


「き、決めてますよ!

 もう、自分だけが安全だなんて思ってません!」


「そうじゃねえ。」


 声を上ずらせながら否定するパンリと対称的に、彼女は静かに呟く。



「―――他人を傷付ける覚悟だ。」


「…え?」


「たとえば!」


 カジェットは先ほど戦利品として得た、小振りのナイフを脇のベルッサスの首元に突きつける。

 その鋭利な刃は、首の皮がへこむくらい強く付けられていた。



「いま、とびっきり凶悪な強盗が現れたとする。

 そいつが、お前の一番大切な人間を刺し殺したと思え。」


 その鬼気迫る雰囲気に。

 パンリは食い入るようにして、彼女の様子を眺めた。



「もしも大切な人間を、こんな目の前で殺されたら、おまえはどう思う?」


「そ、それは……実際にそういう風にならないと、何とも言えませんが…」


「違うだろ!!」


 煮え切らない言葉を、ぼそぼそと洩らす彼に、彼女は突っかかる。



「もしもそうなったら!

 お前は、そいつに対して逆上する。

 当然だろ?」


「い、いや…でもぉ……一概にそうとは…」


「あーもう!

 男なら当然なんだよ!!

 それともあれか、お前が股間にブラさげてる、あの立派なモノは飾りか!?」


 彼女は牙を剥きながら、卑猥な動作を手で示した。



「なっ、なっ……なに言ってるんですか!!」


 対し、パンリは真っ赤になって言い返す。


 そんなやりとりを、ベルッサスは非難に満ちた目で、はたから眺めていた。



「とりあえず、お前の股間の話は置いておいて…。

 仇を討ちたい人間は『何が何でも』、『自分と刺し違えてでも』、『相手を殺したい』と願うもんだ。

 …戦いでは、そういう奴こそ一番恐い。」


 唇を苦々しく歪めながら、カジェットは続けた。



「いいか?

 世の中には、『怒りは技を鈍らせる』なんて、もっともらしいことを言う奴もいるが……実際はその逆だと思う。

 戦いにおいて、それこそが一番の武器さ。

 なぜなら……尋常でない怒りの時ほど、普段は見えない部分が見えてくるもんなんだ。」


 再び、ナイフを目の前に突き出す彼女。



「そういう状況に置かれた奴は、ものすごい集中力で、相手を確実に殺せる箇所を探している。

 相手のどこを傷つけたら、死に至らすことが出来るか。

 相手の武器は、どうかわすべきか。

 それとも、相手にこの身をわざと刺させ、首を絞め上げるか?」


 そして、さらに早口で捲くし立てていく。



「それは、たとえ自分が素手だろうが、相手が大きな剣を持っていようが。

 術が相手より弱かろうが、勝ろうが……そんなことは大きな問題じゃねえ。」


 仕上げに、ナイフを傍の樹木の幹に叩きつける彼女。



 乾いた音が森の中を響き渡り、驚いた鳥たちが羽ばたいていく。



「…重要なのは、相手に危害を加えようとする『必死さ』なんだよ。

 でも、そういった気持ちが、お前から微塵も伝わってこねえのは何故だ?」


 そこでカジェットは立ち上がり、背を向けて歩きだした。



「源法術なんざ、平たく言やあ、一種の殺人術だ。

 相手を傷付けることをそんなにビビッてちゃ、一生経っても身につかねえ。

 ……もう、このへんで諦めろ。」


「二代目!

 そう言われましても…人には、持って生まれた性格というものが…」


 辛辣なカジェットの意見によって、見てからに消沈していくパンリの様子を気の毒に思い、ベルッサスは進言した。



「持って生まれた性格なんざ、あたしゃ信じねえよ。」


 だが彼女は、振り向きもせず言い放った。



「鼠だって、追い詰められりゃ猫を噛むんだ。

 そうしなきゃ、強くなるなんて……夢のまた夢だぜ、パンリ。」


 そしてさらに足早に、二人の前方を行く。



「…すみません。」


 ベルッサスは申し訳なさそうに、その場に座り込んだままのパンリに小声で囁いた。



「元はといえば、二代目が貴方を巻き込んだというのに…。

 これでは…。」


「…いえ。

 才能がある方には…やっぱり弱者の気持ちは理解されないんですよ…」


 震える唇で答え、膝を握り締める彼。



「それに、自分で言い出したことですから…。

 これくらい…我慢しないと…」


 他人を傷付ける覚悟はあるのか。

 先ほど、彼女は言った。



 その詰問は、確かにパンリの心の核を貫いていた。



 言われたことは、頭ではどうにでも理解は出来る。

 だからといって、人間がすぐに変われるものとは思えない。



 生来の人格までも否定され。

 自分はどうしたらいいのか、不意に目標を失ってしまったようだった。



「《源・フェルー・ド》。」


 失意の中。


 すぐ脇で、小さな空気の破裂音が鳴る。

 目を向ければ、そこではベルッサスが、両手で円を作っていた。


 そこで、もう一発。

 同じ術を放って見せる彼。


 黄色く光る、わずかな衝撃が、その両手の小さな空間に生まれていた。



「確かに二代目には才能があり、気質も戦闘向きです。

 だからこそ、自分には簡単なことが出来ない、そんな貴方をもどかしく思っている。」


 ベルッサスは言いながら、前方の彼女を、遠く見詰めた。



「…ですが、やはり源法術というものは、一般人には容易くなど出来ません。

 練習はこうやって、目で見たイメージが一番。

 それを繰り返して発動するのが、二番とされています。」


「イメージ?」


「つまり、頭に印象が強く残っている術ほど、成功しやすいのです。

 その反対に、一度も見たことのない術は、本などを読んだだけでは、まず発動することは出来ないでしょう。」


 パンリの疑問の眼差しに答えるべく、彼は続けた。



「《源・衝》というものは、このように……さっき君が言ったほど、本来は凄まじい威力のものではない。

 だから、発動できなかったとも言えます。」


「な、なるほど…。」


 カジェットの精神論と違い、ベルッサスの説明は理にかなっていた。



「二代目の責任は、自分の責任でもあります。

 差し支えなければ……術に慣れるまでは、私が代わりに教えてさしあげますが…。」


「そ、それは、ぜひとも…願ってもないですよ!」


 しかも、言葉は丁寧で物腰も柔らかい。

 気が付けば、パンリは二つ返事で同意してしまっていた。



 ベルッサスは、いつも無表情で淡々としているので、とっつきにくい印象がある。

 だが、その実は違うらしい。


 何につけても乱暴なやり方しか出来ないカジェットとは、段違いである。



(………!!

 しまった……。

 どうして、私はいつも…こうやって…)


 そして、一度は彼に慰められて一緒に歩を並べたパンリだったが。

 直後、再び足を鈍らせてしまった。



 少し親切にされたくらいで、どうしてまた、彼を善い人などと判断してしまったのだろう。

 自分の人の良さが恨めしい。



 外面ばかり繕って、心の中では相手を蔑んでいる人間は多いのだ。


 むしろ気取らない気質―――戒やシュナのような者達の方が、付き合っていくには清々しい。

 これまでの苦い経験から得た、当然の帰結である。



「…ところで、君が見たという、その威力のある《源・衝》…。

 どれ程だったのですか?」


「え……。

 お、大きな岩が…こなごなになるくらいでしたけど…」


 そんな思考の中、ベルッサスから声を掛けられ、思わず正直に答えてしまうパンリ。



「……それはそれは…。

 一度…見てみたいものですね…。」


 案の定。

 彼は、まるで嘘を言いふらす子供を見るような冷めた眼差しで、苦笑を浮かべていた。



◆ ◆



 開始と同時に駆け出した集団は、深い森を進むうち、糸がほつれるようにばらけていった。



 そして次に、参加者達の歩を拒んでいたのは、獣道である。



 樹木の間に、また樹木。 

 常人ならば、その先の見えない、険しい自然の連鎖にうんざりするだろう。



 加えて、視界も悪い。

 敵が潜んでいないか、木の隙間さえも、常に注意深くしていなければならない。


 これは、精神的にも辛いものがあった。



 そんな過酷な環境の中。


 参加者たちの獲物でもあるリングの通ったホルダーを、斜めに肩から掛けて。

 か細い手首に似合わない、ぶかぶかのブレスレッドをつけた少女が一人でうろついていたならば。


 十中八九、罠だと思うだろう。



「ま、まさか、こんなところで、ガキがうろちょろしているなんてぇ……!

 ぼくちゃん、ツきまくり……!!

 そして、儲けもんですなァ…!!」


 だが、焦りから思考力を奪われていた愚かな大男は、直情的に彼女に襲い掛かっていた。



 少女は少女でも、それが世羅では相手が悪い。



「…あ、あでぇ!?」


 不用意に突き出した手の薬指と中指を取られ、反転して宙を舞う彼。



「えげへッ!!」


 一瞬にして、背中から地に叩きつけられる。



「―――ひぎいぃぃき!!?」


 さらに、その耳にブーツの踵が突き刺さる。



「……こんなアホみたいな罠にかかりやがって…。

 ブレスレッドとリングを置いて、さっさと消えろ。」


 見下ろし、踏みつけたまま、面倒くさそうに脅しをかけて最後を飾るのは、戒であった。



 さらに仰向けになった男の視界に飛び込む、彼の仲間二名。

 ザナナの槍の先に、服の襟を吊るされて運ばれてくる。



 危険を承知で大会に参加したとはいえ、やはり命は惜しいようで。

 男どもはあっさりと降参し、逃げ去っていった。



「…そろそろ、先に進むか。」


 彼等の醜態を目で追いながら、世羅のホルダーに奪ったリングを通す戒。

 代わりにブレスレッドを返されて、それを再び装着する。



 まずは、順調な滑り出しであった。


 スタートは喧騒を予想し、徹底的に森を前進。

 そして途中、見晴らしの良い地形を選び、先のように世羅を餌にして、二組を降している。



 現在、得た腕輪は三つ。

 リングも、木々の高い枝に隠されていたものをザナナが適度に回収して、余裕のある数が集まっていた。



 慌しい時間帯は終了し、各組もそろそろ警戒態勢に入る時間でもある。

 前へ進むには、丁度いい頃合だろう。



(そういや……)


 世羅の肩口で、ホルダーをきつく締めてやりながら、戒は思い返す。



(こいつ…素手でも、俺より強かったんだよな…。)


 それは、飛翔艦の搭乗を巡って争った過去。


 体格差を物ともしない彼女の不思議な体術に、自分は手も足も出せなかったのだ。



「…なあ、さっきの体術も師匠に習ったのか?」


「うん。」


「多分、『てこ』とか『こま』の原理なんだろ?

 なあ…あの技のコツ、俺様にも教えろよ。」


「え……?

 んと…えっと…」


「理屈ではないのだろう。」


 困った表情で首を捻ってばかりの世羅に代わり、答えるザナナ。



「ザナナだって、身体で覚えた。

 きっと、世羅も同じことだ。」


 そうして彼は、安物の竹槍を構えた。



「冗談だっての。

 俺様には、これさえあれば充分だからな。」


 戒は苦笑しながら背筋を伸ばし、アクセサリーと称してチェックを抜けた聖十字を手に取った。



「!?」


 …そんな雑談をしていると、傍で不気味な音を立てる草むら。

 戒はぎょっとして目を向ける。



 だが、そこから姿を見せたのは、主催者側から案内を課せられているクマの着ぐるみだった。

 大きな矢印看板を携えて、木々の間から自分達を凝視しているのである。



 その示された方角には、小高い丘がそびえていた。



「…ん?」


 早速、そこを目指して足を踏み出すと、何故か世羅だけは足を止める。



「どうした。」


「…なんか……バーグの匂いがする…」


 促す戒に、鼻を小刻みに動かしながら答える彼女。



「気のせいだろ。」


 彼はその手を取って引きつつも、一応、周囲を確認した。



 後ろには、顔の向きを変えずにいる、先ほどのクマの着ぐるみ。


 視線を向けられたそれは、案内のためとはいえ。

 不自然なほど、固まって直立していた。



「世羅。

 …あんなド馬鹿野郎のことなんか思い出させるんじゃねえ。

 勝手に行方不明になりやがって…。

 まあ、いてもいなくても、誰も困らねえけどな!」


「……。」


 苦々しい表情で不満をぶち撒けると、そのクマは肩を一瞬だけ震わせる。

 その様子を訝しげに観察する戒。



「―――前に、何かあるぞ。」


 だがそこで、先行したザナナが二人に呼びかける。



 丘の向こうでは、高いポールが規則正しく、横に並べられているのが見えた。


 一気にそちらへと興味が移った戒と世羅が丘の頂点まで駆け登ると、眼下には数組の参加者たち。



 そして、双頭の魔導人形。

 再びスタート地点と同じように、物品の交換所も設置されていた。


 どうやらそれらは、輸送機で先回りをしているようである。



「あそこがチェックポイント……か。

 さて、どんな課題が待ち構えてやがる…」


 慎重に坂を下りながら、呟く戒。

 それに、世羅は続いていく。



 丘を境として、景色は明らかに変わっていった。


 これまでは高い樹木の連続だったのに対し、急に視界は開け、代わりに膝丈まであしが伸びた湿地帯が出迎える。


 地面は、少し水分を含んでいるらしい、粘土質。

 体重をかけると、ある程度沈むため、それだけで体力を奪われそうな予感がした。



「…!」


 戒は、そびえたポールに近付くにつれ、その真下の土から覗いている物体に仰天した。



 目を疑う光景。


 それは。

 凶獣除けの結界の一部であった。







◆ ◆



◆ ◆



 双頭の魔導人形は、間近で見ると、もっと強烈な印象で不気味だった。



《―――選手様方への前半戦の課題。

 それは、こちらに放たれた凶獣を捕まえることでございます。》


 だが、赤いルージュを唇に引いた首は、集まった彼等の、そんな好奇の視線にも全く動じることなく。

 肘を軽く曲げて、ポールの内側を指し示しながら淡々と説明する。



「つまり、狩りをしろってのか?」


 それを前にして、戒が人混みの後ろから言った。



《はい。

 …各組のノルマは一匹、獲物の生死は問わず。

 選手村直前のチェックポイントにて、課題のクリアを確認の後、初めて村内に入ることが可能となります。

 さらに先着した10組には、5万Pポイントの『ボーナス・リング』を進呈いたします。》


 特典の話に差し掛かっても、集まった選手達は、一様に表情を曇らせていた。



《皆様の不安は、痛いほど解ります。

 今回は特別に許可を得ているとはいえ……ここは、本来なら人の立ち入りを一切禁止している区域なのですから。》


「『特別に』って…。

 これは、やりすぎだろ…。」


 呆れながら、小さく呟く戒。



《仰るとおり、この先は相当の危険を伴います。

 もしも自信が無いようでしたら、ここでのリタイアも可能です。

 左手の湖畔にて、首都行きの大型船を用意しておりますので…。》


 それを聞いた人形は、その方角を示しながら言った。



《なお、標的としていただく凶獣は、『丹足ファバロ』という種類です。

 見本は、あちらの檻に入れておりますので、ご確認下さい。

 …手強いので、くれぐれも怪我のなきよう……》


 話が終わりに差し掛かっても、選手達は誰も動けずにいた。



《ちなみに、課題をクリアした各組は、三日後の早朝に選手村から同時にスタートとなります。

 その時刻までに村へ辿り着けなかった場合、自動的に失格となりますので、あらかじめご了承ください。》


 異様な雰囲気の中、一礼をして締めくくる人形は、最後まで機械的な説明だった。



(レースの後半は三日も先か…。

 このチェックポイントを早く抜けさえすれば、そのぶん、かなり休憩が出来るな。

 …しかし、裏を返せば、それだけ厳しい課題なんだろうが……。)


 不安を覚えながら、先に人混みを抜けて檻へ向かう戒。

 世羅とザナナも、それに続いていく。



 その途中、脇の長机に陳列された道具類。

 各種武器に加え、今回は罠の類まである。


 さらに用意された食料と水の価格設定は、スタート時よりも遥かに高い。

 それでも、長期戦を想定した組が、干し肉や缶詰めなどに殺到していた。



 三人は不意に、小柄な人間とすれ違う。

 振り向く、お互い。



「なんだ?

 兄弟じゃねえか。」


 そして、狐の頭が口を利いた。



「……ンマーロ…?」


 ザナナが小さく言葉を洩らすと、彼は嬉々としながら寄って来る。


 だが世羅は、反射的にザナナの着物の裾を引いて、彼から離そうとした。



「安心しなよ、お嬢ちゃん。

 俺はもう、ザナナを連れて行ったりなんてしないよ。」


「………。」


 だが、彼女は警戒したまま、ザナナの背から彼を睨み続けている。

 戒も同様に、厳しい目つきであった。



「ははぁ、オレも嫌われちゃったねえ…。」


 その様子に、ンマーロは頬を掻く。



「実はさ。

 この間、あんたにやってもらったのは、この大会の仕事なんだよ。

 まさか参加してたとは……ついてるなァ、兄弟。

 頑張れよ。」


 そして、ザナナに手短に言い残し、彼は少々の名残惜しさと共に、停めてある馬車へ向かっていく。



 三人が改めて檻の方を見ると、その中には一匹の凶獣が鎖に繋がれていた。



 まるで狼の如き顔。

 身体の殆どが、その大きな顔で、首の根元に短い後ろ足だけがついている異形。



 前足が無いというのに、休むことなく檻内を跳ね回っており、確かに獰猛そうだった。



「……ここに放された凶獣って……もしかして…?」


「うむ…。

 一度、ザナナ達が、捕まえたやつだな。」


 訊いた世羅に対し、答える豹頭。



「……!!

 もらったぜ、この競技。

 いや…むしろ楽勝じゃねえか……!」


 周囲に誰もいないのを確かめてから、興奮のあまり、思わず拳を小さく握りこむ戒。



「これなら、世羅が源法術を使えなくても関係ねえ。

 速攻で終わらせてくれ。

 ついでに、ボーナスってやつもいただこうじゃねえか。」


「…世羅……?

 そうか…世羅……か。」


 そして、すぐにでも区画内に飛び込もうとする戒に、ザナナは後ろで何やら口ごもりながら呟いていた。



 らしくない、その素振りに。



「……なんだよ、世羅がどうかしたのか?」


 横の彼女を見やりながら、戒は聞く。



「……『丹足ファバロ』は、人間のメスの匂いに、敏感なのだ。」


 彼の傍にゆっくりと近寄り、耳打ちするザナナ。



「人間のメスが近くにいると、地中深くに潜り、隠れてしまう。」


「……女らしくなくても、メスになるのか?」


「おそらくな。」


 戒の冗談に、豹頭は真剣に頷いた。


 一方、何も知らない世羅は、密談する二人を不思議そうに見上げている。



「どうする、戒?」


「くっ……!

 まてまてまて……いま考える…。

 …ちょっと、ここで待ってろ。」


 ザナナが急に提起した問題に、戒は二人から距離を置いて、頭を抱えた。



 このチェックポイント周辺では、比較的、大勢の組が残っている。

 そのようにして、たむろっている連中は、目の配り方や仕草からして、一癖も二癖もある印象を受けた。


 だが不思議なことに、彼等は本当に何もせず。

 ただひたすら、周囲に気を払っているだけなのである。



 戒は、何かしらそこからヒントを得ようと、必死になって彼等を見回していた。



「―――迷ってるんだろ?」


 そんな折、唐突に声を掛けてくる男。



「課題をクリアするため、凶獣が放たれた危険な道を通るか。

 安全だが、遠回りなうえ、課題もクリアできない迂回路を通るか。」


「……!」


 振り返った戒の表情が、全てを物語っており、男は笑う。



「だがよ…この課題には、ひとつだけ抜け穴があるんだぜ。」


「なに?」


「獲物を得た組を『待ち伏せ』して、強奪すりゃあいい。」


「あ……。」


 盲点に気が付かされて、戒は口を大きく開けて呆けた。



「どの道を通ろうが、各組は必ず、選手村を目指すんだ。

 後はわかるだろ?

 まあ…無論、同じことを考えている奴等と競争するハメになるかもしれねえがな。」


「…いいのかよ、そんな役に立つ情報を教えちまって。

 ……何か裏があるんだろ?」


「裏だって!?」


 戒の詰問に、思わず笑いを噴き出す男。



「ぷっ…」

「ククク……」


 さらに、それを後ろで堪えている、彼の仲間と思われる二人。



「…何がおかしい。」


「いや、すまんすまん。

 余裕はあるが、本当に裏は無いんだぜ。」


 相手は、まだ口元に怪しげな笑みをたたえたまま言った。



「お前は、あの程度のメンバーと一緒で、本気で勝つつもりでいるわけだ。

 それが可笑しくってな。」


 そうして、向こうにいる世羅の容姿を眺めてから、肩をすくめる彼。



「……バカにしてるのか?」


 戒は思わず、にじり寄った。



「まあ、気を落ち着けて聞けよ。」


 両手を軽く前に突き出して、彼はそれをいさめる。



「どうにかして選手達を急かそうとしている、あの人形の話に惑わされるな。

 選手村に先着した10組にだけ貰えるボーナスなんざ、それほど重要じゃない。

 後半で失格したら、そんなもの、全くの無意味になっちまうんだからな。

 ……つまり、ここで肝心なのは、どれだけ『体制』を作れるかだ。」


 饒舌な男だった。

 戒の怒りも質問も、向ける暇を全く与えずに、知識を自慢するように喋り始めていく。



「それというのも、参加者の中には、明らかに動きがおかしい連中がいる。

 目に見えて結託している様子は無いが、この前半戦、明らかに『勝ちに向かっていない』奴等だ。

 これは、それなりに戦場で揉まれていないと、なかなか気付けないと思うがな。」


「…そいつらってのは…もしかして……」


 戒は、自分の腕輪に視線を移した。



「ああ。

 おそらくは昨晩、初めに出された腕輪を取りに行った連中と見て、間違いないだろう。

 お前らのように一般参加にも関わらず、それを偶然に得た組もあるだろうが……大体、20組程度と見るね。」


 その腕輪の番号を、男も確認して言った。



(…こいつも……腕輪の事に気付いてたのか…。)


 驚きに変わる戒の表情に対し、相手は当然だとばかりに、再び肩をすくめて見せた。



「…そいつらの目的は何だ?」


「完全には分からんが、何か裏があるんだろう。

 ルールで定められていないのをいいことに、奴等はきっと、後半まで戦力を温存した後、上位を独占するつもりだ。

 ……おそらくな。」


 男は続けて、周囲に目を向ける。



「要するに、最終的に勝つためには、『それ以外の連中』と『同盟』を結び、対抗勢力を作る必要があるってことだ。

 いま行われているのは、まさにそのための……高い技量を持つ者達の睨み合い、腹の探り合いさ。」


 辺りで錯綜している、視線と視線。


 彼の説明で、ようやく戒は合点がいった。



 待機している組は、それぞれの動きを見張り、試しているのだ。

 こんな場所で、素人丸出しの動きをしていては、自分達が小馬鹿にされるのも頷ける。



「だから……お前らなんて、誰の眼中にも無いんだよ。

 組として貧弱すぎるし、仲間にしても足枷になるだけだからな。」


 言いながら、男は胸ポケットに六本装備している、太い缶を手にとって見せた。



「そこで、俺が調合した爆裂缶だ。

 これさえあれば、用途は色々だし、戦力も幾らかマシになるだろう。

 買うなら、売ってやるぜ?

 一つ5000Pでどうだ?」


「いらねえよ。

 偉そうに講釈たれてたのは……結局、そうやってセコい商売をしたいがためか?」


「親切のつもりなんだがな。」


 即、申し出を突っぱねた戒に対し、さらに肩をすくめる男。



 彼等はここでポイントを稼いで、ゆくゆくは他の組との交渉を優位に進めるつもりなのだろう。


 今後、ポイントの取引―――すなわち、数に限りあるリングの価値が上がっていくことは必然で、それは容易に想像できた。



 男の言っていることは、正しい。

 しかし戒は、彼等の見下した態度には怒りを覚えていた。



 ―――だが、ここで争っていても、何の得にもならないことは分かりきっている。



(裏で動いている連中も気になるが…。

 まずは当面の障害をどうするか、だな。)


 その場は憤りを抑え、世羅とザナナの元へと向かう戒。



(世羅と一緒にいたままじゃ、課題をクリアできねえ。

 だが…『ルールの穴』の、迂回ルートで獲物を強奪する方法が、必ずしも成功するとは限らねえ。)


 頭の中で考えながら、彼は一点に引っかかった。



(…ルール……?

 …穴……?)


 そして、ひらめきが訪れる。



「そうだ!!」


 戒は思わず、手を叩いて叫んでいた。



「ルールで決められてなけりゃ、何でもありなんだよ!!」


「!?」


 その様子に驚く、世羅とザナナ。



「ならば、穴は一つどころじゃねえ。

 思いついたぜ……この状況を切り抜ける方法をな…!」


 笑いをこぼしながら、戒はまた二人を置き去りにして、今来た道へと走って行った。





「おい、お前。」


「何だ、気でも変わったか?」


 あっさりと引き返して来た戒に対し、いやらしい笑みを浮かべる男。



「いらねえって言ってんだろ、そんなもの。」


 だが、取り出された爆裂缶に目もくれず、戒は言い放った。



「じゃあ、何の用だい。」


「てめえら、この場所にどのくらい居るんだ?」


「妙なことを聞く奴だな…。

 俺たちは、先頭グループだったからな、初めの方からいるさ。」


「全体から見て……俺様たちは、どのくらいの位置にいる。」


「まあ中盤だろうな。」


「こんな、長いヒゲを生やした野郎は来なかったか?」


 戒は顎をつまんで、それを腹の方まで下げる仕草を示す。



「いたよ。」


 急に彼等三人は、同時に驚いた顔つきになった。



「疾風のように、森の中へ入って行ったぜ。

 そういや、若い女を連れてたようだが…」


「じゃあ、大女の組は通ったか?」


 言葉の途中に、さらに重ねられる質問。



「大女って……どんな奴だよ。」


 彼等は呆れて返す。



「名前は知らん。

 だが…変な棒を持った…」


「アレじゃねえの?」


 男の仲間が示す、その先。


 先程の自分達と同じように、人形の説明を聞いている彼女達がいる。

 パンリの姿もあるので、見間違いは無い。



「…しめた。」


 それを見て、戒は礼すら告げず、すぐに踵を返して去っていく。



「何なんだよ、あいつ。」


 男達は憮然として、それを眺めていた。





「よう。」


「戒くん……?」


 いきなり背後から声を掛けてきた戒の姿に、パンリは驚く。


 愛想良い笑顔の彼は、大層不気味で、逆に恐ろしかった。



「景気、良さそうじゃねえか。」


 さらに彼は、カジェット達が身に付けてきた、おびただしい数のリングを眺めながら言う。



「ええ…なんとか……ぼちぼちと…ですね。」


 覇気の無い顔で、パンリは答えた。



「あぁ!?

 よりによって、凶獣地帯での課題かよ……参ったな…。」


 そんな中、魔導人形から説明を聞いていた彼女が喚く。



「…きょう…じゅう…?」


 その忌まわしい語句に、凍りつくパンリ。



「いかがしましょう。

 源法術が使えない場所では、我々の力は半減……凶獣に限らず、他の参加者との戦いも苦戦は必至ですよ…。」


 比較的、冷静に状況を述べるベルッサス。



「そこで、俺様が良い話を持ってきてやったわけだが。」


「……オイオイ、怪しいな。」


 そして、合いの手を入れて割り込む戒に、カジェットは一応、聞いてみる素振りを見せた。



「いいのか?

 未来の恩人に、そんなこと言って―――」


 怪しさ極まる笑みと共に、戒は自分の考えを彼等に明かした。



◆ ◆



(…ああ〜、やってらんねえよな…)


 バーグは手近の岩に座り、大きなクマの頭部を小脇に抱えて煙草をふかしていた。



(四六時中、被りものしてる不笑人ってのは偉いねぇ。

 暑いわ、きついわ……それに、くせえ。

 たまんねーぜ。)


 そして欠伸と共に、鼻から煙を吐き出す彼。


 完全密閉の、蒸した着ぐるみの内部のおかげで、頭から汗だくであった。



 そして、雑用の連続。

 仲間達に手助けが出来たといえば、昨夜に参加のための袋を渡したことと、道案内くらい。


 思った以上に成果が無いのが現状だった。



(それにしても…世羅には驚いたな…。

 犬並みの嗅覚を発揮しやがって。

 危うく正体がバレそうになったぜ……もう、重要な時以外は、近付かない方がいいな…。)


 彼にしてみれば、今はどうであれ、いざという時に手助けできれば良いと考えている。


 ただ、そのような状況がいつになるか。

 そして、運良く自分がそばにいれるか。


 それは分からなかった。



(しかし…戒達はともかく、パンリやシュナまで知らねえ奴等と組んで……みんな…平然と参加してたなぁ…。

 もしかして俺……いなくなっても、あんまり心配されてねえのか…)


 それはそれで少し寂しさを感じながら、彼は視線を落とす。



「ハイ!

 ジャグラー人形の皆さん!!

 半分は、これより輸送騎で選手村へ移動です!

 もう半分は、ここの後始末を!!」


 隠れている藪の裏側では、開催側の役員とおぼしき眼鏡の女性が、両手を叩き。

 声を張り上げて命じていた。



(……いけねえ。

 サボるのも、このへんにしておかねえとな。)


 バーグは煙草を岩に擦り付けて火を消してから、再びクマの頭部を装着する。



 だが、辺りの様子が一変しているせいで、すぐに歩を止めた。


 なんと先の女性に、クマの着ぐるみ達が一斉に迫り、囲んでいるのだ。



「な…なんですか……!?」


 彼女―――ウェイ=ルネントは、デスタロッサに現場を任されていて、必要以上に気負っていた。



「何が気に食わないのか知りませんが……あなた方は、雇われているんですよ?

 私に従わないと、中王都市の偉い人が怒りますよ…!!」


 秘書としての自負もある。

 下働きの連中に舐められまいと、言い返す。



 だがそれに対し。


 唯一、腕に赤い腕章をした着ぐるみが、頭部を外す。

 露になる、壮年の厳しい顔。


 そこには無数の傷があった。



(…!?)


 覗き見ていたバーグは、歴戦の傭兵を連想する。



「……だから、一体、なんだと!!」


 彼等の無言の圧力に負けじと、ウェイは訊いた。



「…『ジャグラー人形』ではなく、『ジャグマー君』です。」


 男は彼女の手を乱暴に掴み、低く、野太い声で叱りつけた。



「これは、子供達にも受け容れやすい名前にしようとした、我々の誇りです。

 二度とお間違いなきよう…!!」


 それはまるで、捕虜に対する拷問のような、背筋も凍るような調子だった。



「それに、彼等への命令は私が下します。

 部外者は、余計なことはしないでいただきたい。」


 ウェイが地にへたりこむと、その男は再び頭部を被り直し、用意された輸送機へと向かう。

 その後を追い、無言で行進していくクマの着ぐるみ達。



「事前に決めた組分け通り……総員、搭乗用意!!」


 そして、先の男の号令で散開し。

 手と足を真っ直ぐに、機敏に駆けて乗り込んでいく。


 一糸も乱れぬ、美しい行進であった。



(…コーラルサーカスってのは、変わってんなあ…。

 ヘタな軍隊より、よっぽど行き届いてるんじゃねえか…?)


 バーグはその様子に感心しながら、自身も輸送機に潜り込もうと整列に加わる。



(しかし、こいつら…こんなにギスギスした連中だったっけ…)


 そしてタラップに足を掛けつつ、昔の記憶を必死に手繰り寄せていた。



◆ ◆ ◆



 どこの地方だったか憶えていない。



 周囲には、沢山の傭兵仲間。


 家屋は壊され。

 田畑は焼かれ。


 荒れ果てている。


 が、死体は無い。



 戦争や内乱。

 それらが終わりを告げる時、世界は何処でも同じような景色を見せる。



 コーラルサーカスは、そんな枯れた人々の心を癒す存在だった。


 優れた大道芸や奇術、手品などで、悲しみを一時は忘れさせてくれる。



 ―――だが、実のところ、それを楽しめたのは、勝利した兵士達だけだったのかもしれない。


 一般の民はといえば、これから、瓦礫の山の中で、一からのやり直しが強要されるのだ。



 バーグは当時。

 娘のクゥを連れて、一度だけ戦場を訪れたことがあった。


 無論。

 自分のついた軍の勝利が殆ど決まり、安全を確保してからである。



 その幼娘への溺愛ぶりに。

 傭兵仲間には、『あのバーグが丸くなったものだ』と、からかわれたものだった。





「ほら、ジャグマー君のキーホルダーだぞ。」


 サーカスでは、募金も兼ねた、子供だましのようなグッズも販売されていた。

 バーグは早速に入手して、娘に持って来る。



「いらない。」


 だが、そう答える娘の視線は、バーグの背負う大剣に注がれていた。



「……こ、こっちはダメだぞ。

 …まいったな…。」


 彼は焦り、何も無い空を見上げた。



 今にして思えば。

 どうやら、彼女の興味は、幼い頃から剣術にあったようだった。



◆ ◆ ◆



(……あれ?)


 席に座り、機内でうつらうつらとしていた最中、バーグは不意に目を見開く。



(…『いらない』って……なんだよ。

 …おれ…返されちまったのか……。)


 おぼろげな記憶に、問いかける彼。



(おかしいな……誰かにやったような…記憶があったんだが…。

 どこの、どいつだったっけなあ…)



 焼け野原の戦場。

 難民の子供達。



 バーグは、戦場を去る間際、それらに近付いていく自分の姿を思い出す。

 だが微弱な風景は、そこで途切れてしまった。



(もう10年以上も前のことだ……思い出せねえのも無理ねえか。

 …まあ、いいや。)


 そうして彼は、疲労した身体を休ませるため、今度は席に深く頭をもたれた。



◆ ◆



 選手達の最後尾は、奇しくもギルド本命の組だった。


 初めの出遅れを挽回できることもなく、静かな森を進む。



 セアムリッヒは、口では余裕を語っていたが。


 森の道は意外と険しく。

 怪我人を背負い、足元に注意を払って駆けるには適していない。



 それでもドゥナガンは、手を貸すつもりは全く無かった。

 むしろ、一刻も早く音を上げてくれるのを願っている程で、後方から渋々ついていくのみである。



「………ぅ…。」


 緩やかな斜面の半ば。

 身体を伝う振動に、セアムリッヒの背に掛けられたロメスは、目を覚ました。



「…ここは……?」


 後ろ向きに景色が流れている異常に、繋がっていく意識。



「ようやく、お目覚めか。

 打ち所が良くてな……傷は意外に浅かったぞ。」


 セアムリッヒのかける気休めの言葉に、ドゥナガンは吐き気さえ覚えた。


 彼はそうやって、自身の名誉のため、怪我人をおだててまで競技の続行を促そうとしているのだ。



「すび……ません…。

 …ドジ…こきました…」


 その背でロメスは、息を詰まらせながら、消え去りそうな謝罪の声を洩らす。



「喋るな。 今は休んでおけ。」


「……いくらなんでも…私を背負ってのハンデはきつい…。

 …今すぐ棄権を…」


 ロープで完全にセアムリッヒと固定、一体化された身体。

 自分の状況を、ようやく全て理解してから、ロメスは言った。



「今さら、一人分の重量が加わったところで、私なら平気だ。

 君が苦しさから解放されたいと言うのなら、話は別だがな。」


 足を止めずに、セアムリッヒは返す。

 両脚の甲を地にめり込ませながら、必死に踏ん張っている。



「………うちの…カミさんがねぇ…。

 最近……四人目の子供が出来たんでさあ…」


「…?」


 急にロメスが呟きだす脈絡の無い言葉に、ドゥナガンは耳を傾けた。



「絶対に…この仕事を…成功させて……。

 これからも……もっともっと稼がないと…いけないんで…」


 大粒の涙が、甲冑を滑り落ちる。



「おいおい、喋るんじゃないと言ってるだろう。」


 進行速度を緩め、いたわるセアムリッヒ。



(……!)


 一方、ドゥナガンは完全に足を止めていた。



(俺達にとっては、些細なことだが…。

 ロメスが、この重大な任務を失敗させたとなれば……ギルドは二度と彼に仕事を回さない…。

 ……そういうことか…。)


 二人の会話を傍観しながら、ドゥナガンは自分の浅慮を恥じるように、腰のベルトから垂らした小さな鎖を手で握った。



「…先頭、行きます。」


 そして、ぶっきらぼうに言い放ち、前に走り出る彼。



「後をついてきて下さい。」


 その先導により、足場を選ぶという負担は軽減され、セアムリッヒは走りに集中できる。


 ロメスが彼に顔を向けると、涙で滲んで見えなかった。



「勘違いするな…。

 俺は、他人に足を引きずられるのも、他人の引きずるのも……まっぴら御免だ。

 だから戦場では、単独での遊撃を好んでいる。」


 その視線に対し、ドゥナガンは厳しい言葉を返す。



「だが……子供達には、罪は無い。

 そう思った…だけだ。」


「優しいじゃないか。

 流石は、『勇士』と呼ばれる男。」


 すかさず茶化す、セアムリッヒ。



「からかわないで貰いたい……そんなんじゃ…ないんだ。」


「ますます、奥ゆかしいな。」



 森の中に響いていく笑いが、予期せずに一丸となった彼等を押すようだった。



◆ ◆



「……世羅、これからお前は、こいつらと一緒だ。

 選手村までの限定だがな。」


 待機させていた彼女とザナナに、開口一番に告げる戒。


 その背後には、カジェットの組。



「…パンリ?」


 それに世羅は、驚いたように声を発する。

 だが、他は知らない人間なので、若干戸惑っているようだった。



「相手するのが凶獣だけならばまだしも、参加者達もいるからな。

 世羅を連れて行くのは、やはり危険だ。

 ここは、安全策をとる。」


 戒は続けた。



「ザナナ。

 俺様とお前だけで結界の内側に入り、凶獣を『二匹』捕まえてくるぞ。」


「?」


 そして急な申し出に、目を丸くする豹頭。



「勝手に話を進めるのは結構だがなぁ、それが成功するって保証はどこにあるんだ?」


「無い。」


 背後のカジェットの質問に、戒は振り返りもせずに答える。



「もしも凶獣を捕り損なった場合、どう責任を取るつもりなんだって聞いているんだ。」


「だから、責任なんて取るつもりはねえ。」


 そしてやはり、きっぱりと言い放つ彼。



「だが、もしも一匹しか捕まえられなかった場合は、てめえらに優先でくれてやる。

 それでいいだろ。」


「……。」


 カジェットとベルッサスは、無言で視線を交わした。

 そして、さらにその後ろで、パンリは不安そうに状況を見守っている。



「こっちの条件は、選手村の直前まで世羅を無事に送り届けてくれりゃあ、それでいい。

 美味しい話だろうが。」


「あたしらがそのガキを人質にして、裏切る可能性もあるんだぞ?」


「まあ……それは平気だろ。

 たぶん。」


 カジェットの脅しに、背を向けたまま戒は笑い、真面目に取り合わなかった。



「…わかった。

 なら、その条件でいこう。」


「二代目。」


 根負けしたように答える彼女に、ベルッサスは少し咎めるように言った。



「私は賛成できません。

 他の組の者と行動を共にするということは、逆に我々も寝首をかかれる恐れがあるということ…」


「男なら小せえことをグダグダ抜かすな。

 それに、この話……こっちにも重大な利点があるだろうよ。」


 カジェットは正論を両断して言い放つ。



「この期間、特訓だけに集中できるのは大きい。」


 そして、パンリの方を見る彼女。

 だが、先ほどの激しく叱咤されたこともあってか、ばつが悪そうに目を逸らす彼。



「……それは…失礼いたしました。

 確かに、パンリさんが今の状態のままで戦場にいるのは、危険ですからね。」


 これには、ベルッサスも納得したようだった。



「決まりだな。」


 自分の思い通りに事が運んだ勝利の笑みを、口元から消してから、そこでようやく振り返る戒。


 同時に、世羅の肩を抱いて、引き渡すようにカジェット達に向けて押す。

 だが、その足取りは重い。



「……何か不満か?」


「だって、ボクだけ仲間はずれだし。」


 膨らませていた頬を解いてから、呟く彼女。



「お前が危険なのは、さっきちゃんと説明しただろ。

 それにな、凶獣の捕獲は大変な作業なんだぞ。

 あっちこっち、汗と泥だらけになっちまう。」


 根拠の無い嘘でなだめる戒。



「ここでは当分、風呂も入れないのに……それはきついだろ?」


 さらに彼は、彼女に効き目のあるツボを心得ていた。



「じゃ、じゃあ、パンリ達と一緒に行くね。」


 一転して、誤魔化すように彼女は笑いながら、離れていく。



「世羅。」


 反対に、戒は一言、彼女を引き止めた。



「何かあったら、空に向けて術を撃て。

 どこにいても…すぐに、ザナナが駆けつけるからよ。

 ……ついでに俺様もな。」


「うん!!」


 力強く、世羅は返事をした。



「…やれやれ。

 信用されてるもんだな、お前も。」


 そうして離れていく四人を暫く見送り、戒は横の豹頭に洩らす。



「信用されているのは、ザナナではないだろう。」


 着物の両袖の中で、腕を組み直しながら呟く彼。



「……どういうことだよ?」


 さらに返す戒に。


 ザナナは無言のまま、軽い足取りで、足元の結界をまたいで越えた。







◆ ◆



◆ ◆



 チェックポイントの湿地帯を避け、西へ迂回すると、コース序盤に良く似た鬱蒼とした森が続く。



 カジェット達はそこから更に、勾配こうばいのきつい獣道を選んで進んでいた。



「―――わかった…二代目には伝えておく。

 無理はせず、課題のクリアを目指してくれ。」


 列の殿しんがりを歩くベルッサスが、そう告げる。

 すると、先ほど追いついてきた男は一礼をして、すぐさま道を引き返していった。



「今のは…」


「我々の仲間です。

 彼等に、コルスス達の動向を探らせていましたので。」


 問いかけたパンリに、ベルッサスは素早く答えた。



「報告によると、奴等も迂回を選んだようです。

 我々よりも随分と先に進んでいるとのこと…。」


「そうですか…」


 当面、彼等との接触の危険が無いことに、パンリは胸を撫で下ろした。



「ところで……あのぉ…。

 頭領は、本当にカジェットさんなんですよね?」


 気持ちに余裕が生まれたため、興味本位のまま訊いてみる彼。



「ええ、そうですが?」


「昨日から感じていたんですけど、部下の皆さんと彼女って……何か距離がありませんか?」


 カジェットの手下達は何故か、一切、彼女に近付こうとしない。

 彼等の窓口になっているのは、もっぱらベルッサスの方で、彼が全てを取り仕切っているといっても過言ではないのだ。



 規模もさほど大きくもない組織にしては、少し奇妙だと。

 パンリは時間が経つにつれ、考え始めていたのである。



「……二代目は若干、皆が近寄りがたい存在であることは確かです。

 あの通り、自由人ですし。」


「そ、そんなことで頭が務まるんですかね…?」


 ためらいがちに、パンリはさらに突っ込んでみる。



「………。」


 だが、その一言に対し。

 黙り込み、上から見下ろすベルッサス。



「す、すみません…!

 出過ぎたことを言ってしまって…」


「いや……そう見られても、仕方ないのかもしれない。」


 だが彼は一転、遠くの山の景色へと目を向ける。



「…ですよねぇ?

 もしも人を率いるのならば、ベルッサスさんみたいな方がいいんじゃないかと…思うんですが。」


 肯定されたのをいいことに、パンリも調子に乗って続けた。



「それは…どうでしょう。

 絶対的な力や才能に、人は惹かれるものです。

 私には、二代目ほどの、そのような資質はありませんよ。」


「では……貴方のお兄さんは…」


「ええ。

 あれも才能に恵まれた……ですが、危険な男です。

 亡くなった先代を敬わず、受け継いだ術を己のためだけに使おうと企んでいる。

 …多くの弟子たちも、奴の甘言や脅しに屈服してしまった。」


「甘言……ですか。」


「力で捻じ伏せて、弱者から富を手に入れるということ。

 それでは、空賊と同じでしょう。」


 ベルッサスの凄味は、語るうちに増していった。

 肉親を語るにしては、何か別の確執がありそうな気配さえある。



「先代の教えは、己が技術を磨くことこそが本懐。

 必要以上の殺生や利益は、決して許しませんでした。

 そして、その『偉大なる教え』を後世に伝えていくことこそ、我々の使命なのです。」


「な、なかなか高尚なんですね…。

 カジェットさんを見ていると……全然、そんな風に思えませんけども…」


「あの方は、特別ですから。」


 またも、彼はさらりと言い放った。



「先代の方は…どうして彼女を二代目に選んだのでしょうか?

 私は正直、あの人が他人にモノを教えることが上手いとは、思えないのですけども…」


「理由については、二代目だけが遺言を聞かされたので、私には分かりませんよ。」


「ちょ、ちょっと待って下さい!

 当人同士の話し合いだけで決めて、第三者は誰も聞いてないんですか?

 まさか、文書も残っていないとか…?」


 泡を食って慌てるパンリに、ベルッサスはさほど重要でない、といった顔つきで返す。



「…その通りです。

 しかし、皆がそれほど納得できないことではないでしょう。

 先代が死すまで……結局、あの『風の術』を受け継ぐことは、門弟の中で三人しか出来なかったのですから。」


「三人というのは…」


「二代目と私、そして兄です。」


 その話を聞いて、パンリには、コルススの執着が解るような気がした。



 密室で行われた継承者の決定。


 弟子の気持ちになってみれば、そんな二代目決定の事柄に対する不信感や憤りは、想像に難くない。



 ベルッサスは、カジェットに対して、何か特別な感情があるのかもしれない。

 だからそのあたりの、ごく常識的な感覚が麻痺しているに違いないのだ。



「…貴方は……後継者になれなかったことを悔しく思わなかったんですか?」


「逆にホッとしましたよ。

 自分には重すぎますからね。」


 そう返すベルッサスは、生真面目で、何事も難しく考えるタイプに見える。



「それに、どちらにせよ…私は、後ろで彼女を支えたいと思っていました。」


 さらに、感情のこもった瞳で、カジェットの背を見詰める彼。



「あの……間違ってたら、ごめんなさい…。

 もしかして、彼女のことを……好き…なんですか?」


 パンリは『やはり』と思い、探りを入れてみた。



「そういう感情とは、少し違うと思います。」


 だが対する彼は、思いのほか平坦な顔で答えるばかりだった。



「二代目とは長年、共に修行を積んできた仲だからこそ、です。

 彼女はご覧の通りの粗忽そこつ者ですが……人の道を外すことは無いと、それだけは信用できますから…」


「―――おい、二人とも何くっちゃべって、ノロノロ歩いてやがるんだ。

 早くこっちへ来い!!」


 話も途中に。

 だいぶ距離の開いてしまった前方から、カジェットが呼んでくる。


 世羅の方も、彼女の後を無心で付いていったようで、その傍らでおとなしく待っているのが見えた。



「は、ただいま参ります…」


 彼女らに向かい、二人は共に駆け足で斜面を駆け登る。



 そこは、見晴らしの良い丘だった。


 岩肌を露出している山の壁を西側に据え、遥か眼下には一面の森が生い茂っている。



「ここなら障害物も無いし、『風』に乗れるだろ。

 風来棒で、近道をするぞ。」


「?」


 カジェットの言葉に反応し、パンリと世羅は崖から身を乗り出してみた。


 真下の崖は堅そうな岩場続きで、ほぼ垂直に切り立っている。



「世羅さんは二代目と。

 パンリさんは、私と行きましょう。」


 だが、ベルッサスにも異論は無いようで、背の棒を手に取りながら答えた。



「え……?

 あ、あの…本当にここから?」


「《風・ハイ・バウル》。」


 カジェットはパンリの質問を無視して唱え。

 世羅を小脇に抱えたまま、早くも空へと飛び出していく。



 先ほど術によって発生させた風圧に、棒の腹はぴたりと張り付けて、さらにその上で器用に風を乗りこなすのである。



「う……わっ!

 すごい、すごいよ!!」


 奇怪な棒と術だが。


 今まで体験したことのない感覚に、興奮する世羅。

 生身に直に感じる風は、戦闘騎の飛行とは、また一味違う感覚があった。



「あれが……カジェット流の秘術…。

 確かに…使える術ですよね…」


「それだけに危険が伴う。

 使いようによっては、悪しきことに有用でしょう。」


 先行する彼女らを眺めながら呟くパンリに、ベルッサスは苦々しい表情で答えた。



◆ ◆



 深いあしの群生から、頭だけを出して。



「………。」


 戒は不機嫌きわまる表情で、辺りに気を払っていた。



 標的の凶獣を捜してからというもの、軽く三時間。

 目立った生き物の気配は、いまだ全く無い。



「…お前、アレを何匹くらい捕まえたんだ?」


「……50は、あっただろう。」


 戒の横で、彼と同様に葦に浸かっているザナナが返す。



「それじゃ、数としては、全ての組には行き渡らねえよな。

 だが、先発の奴等に根こそぎ奪われる数でもねえ。

 一体、どうなってんだ…。」


 二人はまず、一つの巨木に遭難防止のための目印を付け、そこから中心に円を描くように周辺を探索していた。



「こうして、ご丁寧にメスの匂いってやつも消してんだぞ。

 何か…やり方を間違ってるんじゃねえの?」


 水位が膝まである沼一帯を選び、全身に泥を塗りたくっているのは、ザナナの意見を取り入れたのである。



「ザナナが、狩りを間違うと思うか。」


「現にこうして、一匹も捕まってねえじゃねえか…。」


 彼等は言い合いながら、一旦、目印付近の岸まで戻り、すっかり疲労しきった身体を休ませることにした。


 その間も、深いやぶを背にして警戒を怠らないようにする。



「…畜生。

 まさか、本当に泥まみれになるとは思わなかったぜ。」


 ずぶ濡れの一張羅を摘まみながら、不本意な状況への愚痴をこぼす戒。



「少し休んでいろ。

 しばらく、ザナナだけでやってくる。」


「ああ、頼むわ。」


 若干の責任を感じているのか、すぐに狩場に戻ろうとするザナナに対し、彼は大いに甘えた。

 二日酔いという具合の悪さも手伝って、やる気は完全に削がれている。



(もしも、このまま成果が無かったら……世羅に、どうやって説明すんだよ…)


 自分の腕を枕にし、仰向けに転がる戒。



(いや、あいつには誤魔化しが効くから、まだいい。

 問題は…パンリと組んでる、あの大女だ。

 失敗したと知れたら……きっと…あの棒で頭をかち割られるぞ…)


 陽の傾きが顕著になりだした空を見詰めながら、怖気たつ。



(他の組から獲物を強奪する線も、視野に入れとかねえとな…。

 最悪、いざとなったら、世羅を連れて逃げる算段も…)


 そんな考えを巡らせていると、藪の側から、草を掻き分ける音。



「ずいぶん早かったな。

 …獲れたのか?」


 戒は大して期待もせず、空を見上げたままの態勢で訊いた。


 だが返答は無く。

 地を伝う足音が、急に速度を増す。



「……!?」


 そして視界に飛び込んでくる、刃物。


 戒は気付き、寸でのところで地を転げてかわす。



 だがそれでも、鋭い痛みをあごに感じ。

 一気に醒めた眼差しを向ける。



 そこにはザナナではなく、少女が二人。

 同じ顔―――双子の姉妹は、二人とも細身の槍を携えていた。



 先端に一つ、その両脇に二つの刃が付けられた十字槍である。

 かわしたつもりでも、横に飛び出た刃に、戒は顎をかすめられていたのだ。





「や…やったわ……!

 ずっと隙を狙ってた甲斐があった…!!」


 得物を伝わった確かな手ごたえに、少女は笑っていた。

 彼女の方だけは、額当てを装着しているため、それで見分けをつけることが出来る。



「エリス、見てやりなさい。

 あの傷……かなり深くえぐってやったわよ。」


 そして勢いずく彼女は、その背後で縮こまる、もう片方の少女に言った。



「あぁ!?」


 顎を手の甲で拭い、思わず睨み返す戒。

 どうやら相手は、頬の『目立つ古傷』を、自分でやったのだと勘違いしているようである。



「おい、クソガキども……こっちは、いま付いた傷じゃねえぞ…。」


「ふん!

 負け惜しみを!!」


 高い声で威嚇しながら、槍の切っ先を斜め下に向け、体を斜に構える相手。



 そんな少女を前に、戒は不用意に近付くことを止めた。



 歳の割に、熟練した構え。

 油断のならない相手だということが、それだけで伝わる。



 さらに、自分が流した血液の香りも伴って。

 戒は複雑な高揚を感じた。



「……レン…。

 お父さんは……お父さんは、おとなしく隠れてなさいって言ったのに…」


 見ると、前の少女と対称的に、後ろの少女は怯えきった顔つきで呟いている。



「今さら止めたって遅い!

 もう、さいは振られたの。

 …それにどうせ、こんな所で呑気に寝そべっているバカが相手なら、楽勝よ。」


「お、おい!!

 …誰が……バカだって…?」


 おどけたふりをしてポケットに片手を入れ、その中で十字架を握り締める彼。



「おっと、おかしなマネしないで。

 二対一だから、もうあんたに勝ち目は無いわよ。

 もっとも、その腕輪さえ置いていけば、命だけは助けてあげるわ。

 神の名のもとに、ね。」


 地を強く踏み、脅しをかけてくる彼女。



「…どこだ……レン! エリス!!

 …どこにいる!?」


 互いが出方をうかがう最中。

 さらなる藪の奥から、男の大声が響き渡る。



「…お父さん!?」


 途端に二人の少女は、驚きと喜びが入り混じった様子で叫ぶ。



(お、親父だと?)


 戒にとっては、油断だった。

 この三人目の存在は、競技の規則ルールや彼女らの会話からも、予想して当然だろう。



 少女二人が相手なら、どうにでもあしらうことも出来る。

 そんな余裕が、心にあったのだ。


 だが、今の声の主が相手側に加わってしまえば、状況は一気に絶望的になる。



「……レン!

 エリスゥゥ!!」


 嫌な予想通り。

 気迫充分に、娘の名を呼びながら藪の奥からのぞく人影。



 詳しく観察している暇など無いのだが、相手の筋肉質の太腕には、腕輪が三つ見えた。

 数だけならば、自分らと同じである。



 その目が戒の姿を確認するなり、枝葉を蹴散らし、白布が掛けられた肩口を向けて突撃をしてくるのだ。


 しかも動きは、恐ろしく俊敏。

 戒は一瞬でふところの深くに、潜り込まれたため、回避はもはや間に合わないと悟った。



聖十字イーディス!!」


 ポケットから手を抜き、切り札としていた聖十字の加護を早くも発動させる彼。



(……!?)


 だが直後、その赤い壁越しに、重い鉄槌を落とされたような衝撃。


 あっさりと膝を崩された超重の負荷に、戒は相手が人間ではないような錯覚をおぼえた。



 これは―――娘への脅威に激する、親の迫力だけではない。



(……!

 バカな…!!)


 戒は改めて前を向き、茫然とする。



 聖十字の防御を前に、相手の得物は砕けていない。


 それどころか、より発光を増す男の手元。



 自分と同じ、赤い十字架である。



 だが、それを覆う膜は、『壁』ではなく『斧』のように変化しているのだ。



「…聖十字イーディス……か…?」


 やがて男の方も、自分に向いている十字架に、愕然とした様子を見せる。


 戒はそこで、相手が纏う白い衣が、良く見れば教衣であることに気付いた。



 不意に動きを止める男。

 しかし、その理由は、停戦を申請するためではなかった。



 藪の中に身を隠したザナナが、彼の背に槍を突きつけていたのである。



「…お父さん!!」


 着物姿に豹頭という、その容貌に恐れを抱き、咄嗟に槍を構える少女。



「みんな、動くな。」


 ザナナがそう告げるまでもなく、誰もが互いに身動きとれずにいた。



「そ、そっちこそ、動かないで!!

 あんたの仲間の命は、こっちが握っているんだから…」


 だが気丈にも、今度は戒に槍を向け、少女は睨み返す。



「そうではない……!!」


 その位置から、さらに槍を突き入れ、放つザナナ。



「あ…お父さんッ!?」


 娘の危惧をよそに、父親の脇を通り抜け、泥に埋まる槍。

 するとそこから、黒い影が浮かび上がる。



 それは大魚だった。

 口を一杯に開き、その内に多くの牙を見せる。


 それがザナナの一撃により、全身をはねらせて、もがき苦しみ。

 振られた巨大な尾びれが、武器となって宙をさまよっていた。



「きゃ…!!」


 その様子に、慌てて散る二人の少女。


 だが、一方の彼女は、少し鈍いようである。

 進む道を誤り、ぬかるみに足を取られ、すぐに身動きが取れなくなってしまっていた。



「おい!

 何やってんだ!!」


 無意識で駆け、その小さな手をとる戒。


 だが彼自身もバランスを崩し、二人は共に倒れこむ。

 その際、戒は自分を下に、彼女を泥からかばった。



「……あ…」


 四つんばいになって、自分の状態に気付く彼女。

 思わず、戒の顔を見詰める。



「!」


 そこで、彼女は興味深そうに古傷を指で撫でたので、戒の方が驚いて退いてしまった。



「す、すみません……。

 助けて…いただいて…」


 伏せ目がちに、そう謝る彼女は。

 世羅よりも、ずっと幼いようである。



「いや…別に、助けたつもりはねえんだが…」


 口ごもりながら、顔を背ける戒。



 一方の大魚は、そこで断末魔の叫びの代わりに大きく痙攣したかと思えば、急に動かなくなり、こと切れたようだった。



「…沼に棲む凶獣のようだな。」


「こんな危険なものがいるんなら、先に言えよ!

 当てになんねーな、お前も!!」


 ザナナの淡々とした態度に対し、胸に少女を抱いたまま叫ぶ戒。



「……ザナナとて、初めての狩場だ。

 そこまで予想は、出来ん。」


 呟き、彼は魚の巨体から槍を引き抜く。



「…どうやら、君たちに救われたようだな。

 礼を言わせてもらおう。」


 やがて、服に付いた泥を払いながら。

 一番に立ち上がったのは、先程の男。



「と、その前に……エリス!

 敵と、いつまで抱き合ってるの!!」


 続いて、もう一人の少女が口やかましく叫んだ。



◆ ◆



 強襲してきた時とは、ひどい変わりようであった。



「私の名はウベ=ルッター。

 クレイン教・ニグ派の……神父をしている。

 不可抗力とはいえ、同志に刃を向けたことを許していただきたい。」


 もみあげから繋がっている、くせのある髭。

 それが特徴の、幅広い顔が笑みを作ると、和やかな印象を受ける。



「君は見たところ、修道士のようだが…」


「ああ、俺様は……戒=セバンシュルドだ。」


 ウベが胸元で十字を切り、握手を求められても、信仰心が薄い戒の表情は冴えなかった。



「何が俺様よ。

 お父さんは神父なのよ。

 修道士なら、敬語を使って敬いなさい!」


「いいんだ、レン。

 信仰とは聖職を崇めるのとは違う。

 我々は、神の代弁者にすぎないのだから。」


 わめく娘の方を向きながら、父親はさとす。



「どうでもいいがな…。

 てめえら、今のままじゃ永久に、課題をクリア出来ねえぞ。」


 そこで、心底うざったそうに、戒は呟いた。



「何ですってー!?

 今度は、そんなデタラメを言って惑わすつもり!?」


「…それは、どういうことだろうか。

 ぜひとも詳しく聞かせてもらいたいな。」


 そんな彼の態度に逆上する彼女に、制止をかけるウベ。



「実は私も、妙に思っていたんだ。

 標的の凶獣を、ずっと『この周辺で』探していたのだが……全く出合いが無い。」


「……それが理由だよ…。」


 戒は襟を直しながら、今度は呆れたように言う。



「あの凶獣は、人間のメスの匂いから、逃げる習性があるのだ。」


 そして、付け加えるザナナ。



「…なるほど、そうだったのか。

 それは……重ね重ね、すまなかったなァ。」


 ウベは苦笑しながら低頭し、彼等二人の手を取った。



「チッ……わかったなら、どっか行けよ。

 お前らはずっと、俺様たちの邪魔をしてたんだからな。」


 だが、すぐにその手を振りほどく戒。



「…いや!

 しかし、困ったぞ。

 それが事実ならば、これから我々は、どうすればいいんだ?」


「そうよ。

 私達の課題はどうなるのよ!?」


 ウベに続き、その傍らでレンが騒ぎ立てる。



「そんなこと、てめえら家族の問題だろうが。

 自分で考えろ!

 そして、さっさと消えろ!!」


「待ってくれ。

 どうだろう、ここは我々と協力してみないか?」


「足手まといは……必要ねえよな。」


 戒は、わずかにザナナの顔を見て言った。



「…だが、今日はもう陽も落ちる。

 夜になれば、他の選手達の襲撃にも備えねばならないだろう。

 多人数の方が有利だぞ。」


「あのな……こっちは、ただでさえ面倒なことを背負ってんだ。

 俺様たちの分とは別に、もう一匹もっていく約束をしちまってよ…。」


「この際、二匹も三匹も変わらないんじゃないか?」


 彼は引き下がらなかった。



「どうしても、お願いできないかな?

 ウチは…この通り、娘も若いから……実は困っていたんだ。」


「いやだね。」


「……ならば、このままずっと、君達に張り付いていよう。」


「そんなことしたら、こっちも凶獣が捕まえられねえじゃねえか!!」


 大きく目を見開き、彼の発言に驚く戒。



「ああ……それは困るだろうな。」


「お父さん、頭いいわ!!」


 そして、父娘は笑う。



「畜生……悪知恵を働かせやがって…」


 交渉は結局、戒の方から折れる形となった。



「だが、ただで手助けしてやるわけじゃねえぞ。

 狩りの間は、俺様に全面的に従ってもらう。

 いいな?」


「感謝する。

 これも、神のおぼしめしだな。」


 ウベは口走りながら、今度は額を二回叩いた。



 だが、その行為に、戒は少し違和感を抱く。

 神学校では、神官や司祭の類を嫌というほど見てきたが、知らない身振りだったのだ。



「…そうと決まれば、まずは夜へ向けて準備しなくてはな。

 たきぎに使う枝を取ってこよう。」


「おいおい!!

 とっとと凶獣を捕まえるんだろ?

 寝る準備なんて、後にしろ…」


「君は、自然の厳しさを知らないようだな。

 野宿するなら、今から準備をせねば、とても間に合わんぞ。」


「そ、そうなのか…?」


 振り返ると、ザナナは無言で頷いていた。

 戒は、急に気恥ずかしくなって、そこで目を伏せる。



「私達、野宿は慣れっこなの。

 良かったわねェ、一緒に組めて。

 都会の人。」


 恩着せがましく、レンは言った。


 戒にしてみれば、弱味を見せたくない所での先制攻撃である。

 悔しさも倍増であった。



「…あの……すみません…。

 お父さんが…強引で…」


 そこで、戒の服を引いて背後から囁く、エリスと呼ばれていた少女。


 レンに比べて控えめであり、気配があまりにも薄いので、彼も存在を忘れかけていたほどである。



「ご迷惑…おかけします…」


「もういいってんだ。」


 透き通った声の小さな謝罪に、戒は無感情のまま返した。



◆ ◆



 夜の訪れた森は、暗闇の支配下にある。



 陽光に守られていた昼間と違い。

 脆弱な生き物は、そこでは息づかいさえ改めねばならない。



 もはや、後続は無いと思われ。

 落胆と共に、魔導人形のハーニャンも輸送騎で場を後にした直後。



「……さて…と。

 ぼちぼち、最後尾から、挽回といきますか。」


 交換所から離れたセアムリッヒが、バイザーを下ろす。

 両肩の甲冑にランタンをぶら提げて、夜戦仕様は万端である。



「追討戦は、背後を突く側が圧倒的に有利ですよ。」


 茂みの奥から応える声。



 セアムリッヒが茂みをランタンでかざすと、瞳が光を反射する。


 そこには、集団を地に伏し、鬼人のように猛けた顔のドゥナガンが佇んでいた。



「なればこそ、夜を待つ、か。

 なあ…君たち。

 うちの勇士さまと同意見だったのは見事だったが……どうやら、欲をかき過ぎたようだな。」


 兜の下を笑顔に変えて、セアムリッヒが唸る。



 伏している集団の中の一つの手から、不発の爆裂缶が坂を転がっていった。







◆ ◆



◆ ◆



「……傷は平気かね。」


「それほどでもねえ。」


 ウベ神父に軟膏を処方された顎に触れながら、戒は焚いた種火に小枝を放り込む。



「良く効くでしょ?

 お父さんは、腕のいい薬師でもあるのよ。」


 そこへ、頭上から枝の束を乱暴に降ろしてくるレン。



「なにせ、中王都市に来る間も、これで路銀を稼いでいたんだから。」


「お前たち…この国の人間じゃねえのか?」


「ああ。」


 戒の素朴な疑問に、彼は照れるように笑みを重ねた。



「国境そばの小さな村落で暮らしているんだ。

 一応、教会は持っているんだが、やはり信仰だけでは生活が苦しくてね…」


「それで、賞品に目が眩んだってわけか。」


「…平たく言えばその通りさ。

 私は、もしも飛翔艦を得ることが出来たなら、それをすぐに売ろうと思っている。

 ……娘たちに楽な暮らしをさせたくて。」


 再び薪を採りにいく娘の姿を眺めながら、臆面もなく言う彼。



「別に、いいんじゃねえか?

 理由なんて、人それぞれだしよ。」


「……そう言ってもらえると、有難いな。」


 二人の呟きと共に。

 火にくべていた枝が弾け、乾いた音を響かせる。



「…君にも何か、心を支える目的はあるかね?」


「…まあな。

 ……俺様は…」


 だが、そう戒が言いかけたところ。



「お父さんはね、薬の知識だけじゃないのよ。

 こう見えても若い頃、色々な功績を上げて聖十字イーディスを得たの。

 すごいでしょ?」


 早くも戻ってきたレンが、再び興奮気味に口を挟んでくる。



「……誰も聞いてねえよ。

 それより俺様の…」


「聖十字よ?

 すごいでしょ!?」


「すごくねえよ!!

 俺様だって、このとおり、同じの持ってんだからよ!!」


 あまりにもしつこく自慢してくる彼女に苛だち、自分の十字架を出して突きつける彼。



「…さっき見たから、知ってるわよ。

 でも、あんたのは、どこからか盗んできた物よね?」


「失礼なこと言ってんじゃねえ!!

 正真正銘、俺様のだ!!」


「彼の言う通りだぞ、レン。

 聖十字が、持ち主を二人選ぶことはありえない。

 ……神様は、いつでもお見通しということだ。」


 真っ向から反論する戒とは対称的に、ウベは穏やかな口調で娘を諭した。



「今の時代なら…大方、君は神学校の主席卒業生といったところかな?」


「主席ぃ?」


 だが、続けられる父親の言葉に、レンは頭から疑ってかかる。



「お、おうよ…。」


 そしてそれらの話題に移ると、戒も急に視線を泳がせるのであった。



「じゃあ試しに、簡単な問題を出してあげるから答えてみなさいよ。

 大聖典に書かれた前文は…」


「それより、明日からの作戦を立てねえか?

 やはり今は俺様のことなんかより、競技に専念するべきだろう。」


「なに都合のいいこと言ってるのよ。

 もしかして、それ……まだ所有者がいないうちに盗んだんじゃない?」


「…主席ってのはな、今日び勉学だけでは取れんのだ。

 …俺様の場合……品性良好なる、この人格が……すこぶる高く評価されてだな…。」



 戒は必死に取り繕った。


 教師達を脅し、半ば恐喝して得たなどと―――本当のことは、とても言えるわけがない。



「見苦しいわね…。

 盗賊の言いわけも、ここまでくると。」


「レン、もうよしなさい。

 我々は共同戦線を張っているんだ。

 お互いを疑い、争っていても仕方がないぞ。」


「だって…お父さん…こいつ、あまりにも…」


「いいから。」


 ウベが指を鳴らすと。

 それに一瞬怯えたように反応して、途端におとなしくなる彼女。



「……。」


 そのやりとりに、戒は、ただ気を取られていた。


 ―――いくら父親とはいえ、娘に妙なしつけを施しているものだと。



「…あの……火の用意…できました?」


 場が収まったところで、先ほど仕留めた大魚の頭部を担いだザナナと、その切り身を刺した枝を両手に抱えたエリスが、並んで現れる。



「エリス!

 さっきから見ないと思ってたら……何してんの!!」


「お手伝い…」


「あ、あれと二人きりなんて…危険すぎるわよ…!!

 不笑人わらわずびとって、人間の子供の脳みそと内臓が大好物だって、おじいちゃんの書斎にあった本に書いてあったじゃない…!!」


 父の目があるため、レンはなるべく小声になってから彼女の手を取り、引き寄せる。



「そ…そうなんだ…。

 でも…悪い人とは…思えなかったけど…」


 その剣幕に押されながらも、エリスは魚の串を丁寧に地面に降ろした。



 そしてザナナは、黙々と、それを手際よく焚き火の周囲に設置していく。

 彼女らの偏見に満ちた視線にも、当の本人は別の境地にいるように無頓着であった。



「―――これを食べたら、出るぞ。」


「…そうだな。

 私もザナナ氏に遅れを取らぬよう、頑張ってくる。

 だから…いつも通り、おとなしくしているんだぞ。」


 やがて、彼が切り出した言葉にウベは賛同し、娘たちに向けて告げた。



「何だ、何の話だ?」


 彼等の様子に気付き、それまで地面で横になっていた戒は、慌てて飛び起きる。



「実は、先ほど打ち合わせをして……この夜のうちに、私たち二人で狩りに出ることに決めたんだ。

 その間、君には娘たちを守ってもらいたい。」


「ふ、ふざけんな!!」

「冗談でしょ、お父さん!?」


 それを耳にした直後、同時に悲鳴を上げる戒とレン。



「はい、二人とも、いちいちテンション上げない。

 納得のいく説明は、ちゃんと用意してあるんだからね。」


 いきり立つ彼等を前に、ウベは続けた。



「まず、狩りが得意なザナナ氏に単独で行ってもらうという選択肢があったが、他の参加者もいるここでは危険すぎる。

 だから、私が補佐を願い出た。

 そして獲物の性質上、レンとエリスは動かずに、ここで待機しているのが望ましい。」


「だからって、どうして俺様が護衛せねばならんのだ。」


 その説明の途中、戒は口を尖らせて意見する。



「君も、一応は聖十字を使いこなしているようだし……たった一晩くらい、子供二人を守ることなど造作も無いと思ったのだが…」



「ふざけんな!

 俺様だって、夜は寝てェんだよ!!」


 そして、全く恥じることなく吐き出された本音に。



「……あんた…何となく予感はしてたけど…最低な男よね…」


 レンは脱力し、もはや声をひり出すだけで精一杯だった。



「そっちの役目が嫌だと言うなら、ザナナ氏と代わってもらうことになるな。

 こっちは…寝れないどころか、死ぬ危険もあるがね。」


「……う。

 見張りは、交代制だ。

 それなら手を打ってやろう。」


 またもや挑発的なウベの取引に、戒は、今度は絶対に引き下がるまいとする。



「…お父さん。

 私も見張り、頑張るから……。」


 そこで、ぼそりと呟かれたエリスの言葉が決め手となった。



「じゃあ、それでいこう。」


 満面の笑みを浮かべ、あっさりと了承するウベ。



 一方の戒は、どうにも面白くない。

 先程からどうも、相手の計算通りに、事が進んでいる思いがしたからである。



 ただでさえ自分の組が二手に分かれた状況で、さらに分断されてしまうのは如何なものだろうか。



「……ならば、寝る順番は、俺様が一番な。」


 だがそのような危惧も、疲労の前では塵に等しかった。



◆ ◆



 カジェットの余裕と自信は、決して荘言ではなかった。


 『風来棒』と『風を生む術』は、想像以上に便利な代物である。



 それらは、戦闘騎のように速いわけでもなく。

 また、飛翔艦のように圧倒的でもない。



 だが。

 地上での小事を済ますには、本当に丁度いいものだった。



 異文化の技術で作られた棒は、軽やかに風に乗り。

 しばらくの空中散歩を楽しむうち、カジェット達は、選手村の門が見える丘陵まで一気に到達していた。



 『空を飛ぶ』という究極の近道で、森林を進む選手達を一体どれだけ抜き去ったのか。

 それさえ把握できない程である。





 到着した丘陵の中腹で、彼女たちはまず、キャンプに適した平坦な土地を発見した。


 周囲に草木も多く茂っていて、余所からは見えにくい。

 そのうえ、選手村周辺の様子は逐一、見張ることが出来る絶好のポイントだった。



 早速、彼女らがそこで焚き火を作ってから数時間後。



「……どうだ?

 初歩の術くらいは出せるようになったか?」


 奥の茂みを割って現れたパンリとベルッサスに向け、カジェットは口を開けた缶詰を放り投げる。



「…あの……それが…」


「まあ、いいや。

 メシでも食って、ちょっくら休憩しろ。」


 直後、彼女は言い直す。

 対するパンリの、浮かない表情が全てを伝えていた。



「…面目ありません。

 きっと、私の教え方が悪いせいで…」


 そうやって取り成すベルッサスでさえ、失望の色は隠せない。


 彼が知りうる限りのコツを教え、そこへさらに修練を重ねても、パンリの源法術は微塵も上達しなかったのである。



「パンリ、源法術の練習してるんだ。」


 重くなる一方の空気の中。

 一人、事情を知らない世羅が、無邪気に訊いた。



「ええ…まぁ……はい。」


「それなら、ボクも一緒に教わりたいな。

 まだ苦手だし…」


「……!!

 …どうして、そんな嫌味を言うんですか!?」


 それまで、虚ろな表情で返していたパンリが、急に声を荒げて立ち上がる。



「おいおい……なにブチ切れてんだよ、パンリ。

 修行がうまくいかないからって、他人に当たっても仕方ねえだろ。」


 彼の豹変ぶりに、三人は一様に呆気にとられていたが、カジェットだけはすぐに気を取り直して言った。



「…だって…世羅さんは……あんなに才能があるのに…。

 そんな風に言うなんて…あまりにもひどいですよ…。」


「さいのう?」


 正論でいさめられ、ばつが悪そうに座り直すパンリに、世羅が不思議そうな顔で近付く。



「もしかして、昼間の話は……この子のことなのですか?」


 それに続き、少し驚いたようなベルッサスの問いに、彼は頷いて示した。



「では…世羅さん、あとでこのベルッサスと練習いたしましょう。」


「うん、いいよ。」


 その申し出を、すぐさま受ける世羅。



「しばらく、パンリさんの修行は二代目にお願いします…」


「パンリは元々、あたしが面倒見るって約束だろうが。」


 一人だけ話から弾き出されているカジェットは、苦々しい面持ちで返した。



「…とにかく、明日が勝負だ。

 中立地帯の選手村にも、できるだけ早目に入った方がいい。

 そのぶん、心置きなく修行に時間を費やせるからな。」


 そして、おもむろに立ち上がり。

 世羅の脇に席を移す彼女。



「…あの戒って野郎……ちゃんと信用できるんだろうな?

 あいつがしくじったら、あたしらも苦しくなるんだぞ。」


「大丈夫だよ、きっと。」


「そうか…。

 ならいいけどさ。」


 大きな笑顔を前に、さらに懐から缶詰を取り、差し出す彼女。



「二代目。

 もしかしてそれらは……我々が高いポイントを払って交換した食料に見えるのですが…気のせいでしょうか。」


 世羅の足元に転がっている、空き缶の山にも目を付けながら、ベルッサスは呻いた。



「今後のため、もっと節約していただきたい。

 非常に申し上げにくいのですが…彼女の食欲は…ちょっと…」


「どっからどう見ても、育ち盛りの子供だろ?」


「……いえ。

 どこからどう見ても、力士並み…」


「せこい野郎だな、おい!

 村だって目の前だし、いざとなれば、そこらに生えているペンペン草でも食って繋げりゃいいだろ!!」


 与えられた食料を無遠慮に平らげていく世羅の頭を撫で回しながら、言い放つ彼女。



「……。

 何なのでしょう。

 この、差別感は。」


 その様子を呆然と眺めながら、パンリはベルッサスに囁く。



「…二代目は、可愛いものには目が無いんですよ…。」


 同様の表情の元、もはや諦めた様子で返す彼。



「この大会で雑用している、あの着ぐるみ人形たちも、いたく気に入ってたようですし…。」


「…だからあの時、すぐに袋を取りに行ったんですか。」


 パンリは納得して呟いた。

 ゆえに、彼女の着けている腕輪は、若い番号なのである。



 だが現在の自分にとって、大会そのものは既に重要ではなくなってしまった。



 簡単な源法術が、どうやっても発動しない。

 そのもどかしさと悔しさで、気持ちが一杯なのである。



 勉学において、つまづいた事は無かった。

 それどころか、こと憶えることに関しては、人並み以上に出来る自信がある。



 だが、術を扱うことに関しては、何か別の作用が働いているのではないかと疑うほど、手も足も出なかった。



 初めにカジェットから忠告された通り、ある程度の厳しさは予想していた。


 それでも、勉強のように努力すれば、何とか詰め込めるのではないかと、たかをくくっていたのだ。



 明けない夜は無い。


 パンリは両手を焚き火に当てながら、それを頭上に輝く星々に祈るような気持ちだった。



◆ ◆



 ようやく、寝静まることが出来た真夜中。



「―――ってぇ!!」


 尻に強い刺激を感じ、戒は飛び上がって目を覚ます。



「いつまで寝てるのよ!

 とっくに、見張りの交代の時間は過ぎてるんだからね!!」


 下を覗けば、ハンモックの布越しから、レンが槍の刃を突き立てているのが見える。



「お…おまえ……ふざけやがって…。

 ケツの穴が二つになったら、どう責任とってくれるんだ…この…」


 声にならない声と共に、渋々とハンモックを降りる彼。



「下品なこと言ってないで、さっさと見張りの準備しなさいよ!!」


 見ると、彼女が握る短い松明の炎は消えていた。


 これを目安に、交代の間隔を決めているのである。



「くそ…まだ寝たりねえ…。

 明日も競技は続くってのに…」


「状況はお互い様でしょ。

 こっちは子供なのに、対等に仕事してやってるだけ、少しはマシって思い知りなさい。」


「…お前、いくつだ。」


「まだ14よ。」


「……お前らの親父、どうかしてるぜ。」


 戒は冗談を交じえながらハンモックを降りきり、大きな欠伸あくびをする。



「あと、私が寝ている間に、エリスに変な真似したら……今度は心臓を貫くからね!」


「うるせえ!

 わかったから、さっさとくたばりやがれ!!」


 ハンモックに昇る間際のレンの悪態に、戒は応戦しながら焚き火に向かって歩いていった。



 周囲の森闇に感覚を向ければ、聞きしに勝る不気味さで。

 夜鳥の鳴き声が、絶えず響いている。



 野宿の経験が乏しい彼には、それらが一層に奇異なものとして感じられた。



「…交代だ。

 向こうで、しばらく寝てろ。」


 周囲の見物もそこそこに、エリスから遠い位置に腰を下ろす彼。



「でも……見張りは二人制だって、レンが…」


 燃えさかる火の向こうで、彼女は小さく答えた。



「一人だけ起きてりゃ、充分だろ。

 あれは小さなハンモックだが、子供なら二人くらい余裕で寝れるぞ。」


「……。」


「そうか。

 二人制にしたのは、監視のためか。」


 自分の厚意に対し黙り込む彼女を見て、戒は納得し、苦笑した。



「…いえ!

 レンはまだ疑ってるけど…私は決して…。」


「別に、言い訳しなくてもいいぜ。

 こんな状況で、お互いを信用しようってのが偽善だ。」


 先ほどの神父の言葉を何となく思い返しながら、呟く彼。



 揺らめく、大きなオレンジ色の炎に目を移す。

 眺めていると、眠気以外の感情が溶けていくようであった。



「…でも…さっきは…助けてくれましたよね…?」


「あ?」


 今まさに落ちかけようとしていた意識が、脇からの質問によって舞い戻る。



「……どうして、私が大きな魚に襲われた時…助けて下さったんですか?

 敵同士なら…見捨てることも出来たでしょうし…」


「あのなあ…。」


 いつの間にか傍に座っていたエリスに言い寄られ、戒は、いちいち相手をするのにも面倒な様子で返した。



「あんな巨大な魚が暴れ回っている状況で、考える余裕なんかあったと思うか?」


「じゃあ、体が自然に…?」


「…悪いかよ。」


「い、いえ…!」


 ぶっきらぼうに答えると、少女も穏やかな笑顔に変えて、焚き火に目を移す。



「しかし……お前、運動神経わるいだろ。

 選手村に着いたら、そこで棄権した方がいいと思うぞ。

 大体、あの親父も親父だ。

 自分ところのガキ連れて、こんな危険な大会に参加するなんてよ…」


「お父さんのことは…悪く言わないで下さい。

 私達のことを思ってのことなんです。」


「だがな、もっと方法があるだろうよ。」


「そうなんですか?」


 素直に訊き返してくる彼女を、戒は目を見開いて凝視する。



「『そうなんですか?』……じゃねえよ。

 世間のことを、何も知らねえのか?」


「はい。

 私…世間に疎いんです。

 今まで一度も、教会の敷地よりも外に出たことが無くて…」


「一度も…か?」


「はい、教義で決められてましたから。」


「…随分と厳格だな。」


「……普通は違うんですか?」


「まあ…同じ教徒でも、地方によって色々と違いがあるんだろうな。

 …とは言っても、俺様は教徒でもねえけどよ。」


「教徒じゃない?

 修道士なのに?」


 エリスは、驚きの眼差しを向けた。



「神なんざ、生まれてこのかた、一度も崇めたことがねえ。」


「……え。」


 胸を張る戒に、戸惑いと興味の入り混じった複雑な表情で、その横顔を見詰め続ける彼女。



「しかし、そんな厳格な所で育った割には、お前の姉はヤンチャしてやがるな。

 さっきも…」


「……姉は、私なんですが…。」


「そうか。

 全然、見えねえ。」


 はっきりした言葉に、今度は落ち込んだ様子で頭を垂らす。



「…こんなに頼りないんじゃ、お姉さんの資格…ありませんよね…。

 私、あの子には、いつも押されっぱなしだし…。

 武術もさっぱり…」


「いや、ガキが武術を学んでいる時点で、何か妙だろ。

 仮にも教会なんだからよ…」


「おかしい…ですか?

 ニグ派というのはクレインの中で、武門を司っているらしいんですけど…。」


「…肉派とか野菜派とか言われても……俺様には分からん。

 だが、お前らの親父がマッチョな理由は理解できた。」


 そんな戒のぼやきに、彼女は微笑んだ。



「お父さんは、とても強いんです。

 この大会中も、私達を安全なところにかくまってから……常に一人で戦ってるんですよ。」


「たった一人でか?

 確かに、ひでえ馬鹿力だったが……あいつ、化け物だな。」


「ふふ…」


 そこで少女が初めて見せる、肩の力の抜けた笑顔。



「聖十字ってのはよ、ああいう風に使うことも出来るものなんだな。

 少し勉強に…」


「あの…すみません。

 喋っていたら…眠くなってきちゃって…」


 茫とした顔で呟く彼女の言葉に、戒も自然と話しこんでいた自分に気付く。



「やっぱり…寝ても…いいでしょうか…?」


「ああ、だから言ったじゃねえか。

 あっちで寝てろって…」


 直後、戒の肩に寄り添う、絹糸のような髪。



「おい……。」


 制止も既に届かず、彼女はそこで無防備に寝息を立てていた。



◆ ◆



 今の自分に、寝る暇は無い。

 そんな思いから、パンリは疲れた身体を奮い立たせ、術の修行を続行していた。



 具体的な術を教える前の段階である。

 カジェットも一切口出しをせず、傍の岩に鎮座して、それを見守っていた。



「…ぅ…《源・フェルー・ド》…。

 …ぁ……ぅ…。」


 やがて、パンリは終始、地面に崩れこんだ状態になる。

 それでも、口だけは止めなかった。



「…さ…参考のためにお聞きしたいのですが…。

 …カジェットさんは…初めて術を出せた時…どのくらいで習得できましたか…?」


「入門した、その日のうちに出来たさ。」


 腕を固く組んで見下ろす彼女は、うっかり言ってしまってから、慌てて口を押さえた。



「そう…ですか…」


「あんまり気を落とすなよ。

 ある時、急に出来たりする奴もいるもんだ。」


「…私も…そうなれば…いいんですがね…。」


「ああ、そうだな。」


 流石に、彼のあえぐ姿を不憫に思ったのだろう。

 カジェットも以前よりは、意識して優しい対応を心がけてくれているようである。



「それに……もしかすっと、お前は体質的に使えないだけかもしれねえしな。」


 だが、慣れない慰めをかけたせいか。

 またしても口を滑らせたことに、彼女は気が付かなかった。



「……?

 ………源法術は、誰でも練習すれば使えるわけではない…のですか?」


 パンリは目の色を変え、自問のように呟く。



「…まあ…な。

 体質的なものに限定すれば、源法術の才能は、半分の人間に潜在しているって言われてる。

 だが実戦クラスの術をこなせる所まで行ける奴ぁ……そこから、せいぜい二割程度だろうな。」


 もはや、はぐらかせないと悟り、カジェットは腹を決めて打ち明かした。



「そ…そんな……!

 だって、あの時……いかにも強くなれるような口ぶりで誘ったのに…」


「別に騙したわけじゃねえよ。

 お前があの話に乗ってくれたってことは、少しは術に覚えがあるからと思ったんだ。

 まあ、すぐに素人って気付いたけどよ。」


「ならば、どうして、その時すぐに言ってくれなかったんですか?

 私に才能が無ければ、こんなことやったって全くの無駄じゃないですか…!!」


「おい。」


 今まで溜めていた不満を一気に噴き出すパンリを、カジェットは思い切り掴み上げる。



「あたしに対してなら、ともかく…一生懸命教えようとしているベルッサスに対して、同じ言葉を吐いたら……承知しねえぞ。」


「…あなた達は、この競技に参加したいがため、私と仕方なく取引をしたんでしょう?

 上手くいく保証が無いのを黙って…。

 その必死さだって……飛翔艦が欲しいから…違いますか?」


 胸倉を下から押し上げられた態勢のまま、パンリは目に涙をたたえて呻いた。



「見くびられたもんだな…!

 弟子に『才能が無い』なんて前提で教える馬鹿が……どこにいるってんだよ!!」


 カジェットは、そんな彼を乱暴に突き放す。



「弟子…ですって……?」


 さも意外そうな表情で喉元を緩めながら、パンリは自嘲気味に呟いた。



「二代目。

 少しよろしいですか。」


 そんな折。

 草むらの奥から現れるベルッサス。


 カジェットは気付くと、すぐさま平静を装って歩み寄った。



「どうした。

 そっちは、もういいのか?」


 離れた場所で、彼も世羅に付き合っていたはずである。



「…少々、つかぬことをお聞きします…。

 二代目から見て、私の才能はいかほどでしょうか。」


「あン?

 今日はどいつもこいつも…才能がどうたらってよ……。

 一体何があった!?」


 その言葉に、沸々と怒りを胸に還らせながら、問いただす彼女。



「…どう思われますか。」


 だが彼は全く怯まずに、訊き返してくるばかりである。



「はっきり言って、凡庸だよ。

 お前は基本に忠実すぎて、面白味がねえ。

 でも、他人に術を教えるには、丁度いいいんじゃねえのか?」


 仕方無く、カジェットはそれに付き合った。



「…仰る…とおりですね。

 ……だからこそ、私は今まで…羨望という感情を抑えてきたつもりでした…」


「?」


「…しかし…あんなものを見せられては……。

 今まで…自分が学んできたことは…いったい…」


 得体の知れない語句を呟きながら、徐々に彼の肩は左右に揺らいでいく。



「おい、気をしっかり保て!

 お前らしくもねえ!!」


「…!!」


 彼女に頬を張られ、そこでようやく目の焦点が戻るベルッサス。



「…今日はもう休め。

 お前らはきっと、この大会の毒気にあてられてんだよ。

 明日になりゃ、少しは頭も冷えるだろ。」


 カジェットは言い残すと、彼の代わりを務めるため、草むらを分けて進んでいく。



「………。」


 その場に残された二人は、互いに何とも言えない表情で視線を交わし。


 今宵、それ以上は何も語らなかった。



◆ ◆



 平たい坂を最奥まで登ると、そこは丘陵の頂上。


 浅い洞窟の傍で、世羅が一人で佇んでいた。



「あれ…ベルッサスは?

 さっき、5分だけ休憩って言われたんだけど…」


 まだ動き足りない。

 そんな様子で、元気良く駆けて来る彼女。



「あいつ、ちょっと気分が悪くなってな。

 その代わり、あたしが見てやるから安心しろ。」


「…うん。」


「まずは、おおよその技量が知りたい。

 何でもいいから、術を見せてくれよ。」


 彼女をなだめつつ、傍の大岩にどっかりと腰を下ろし、カジェットは軽い気持ちで言った。



「ボク、二つしか使えないんだけど…」


「得意な方でいいさ。」


 彼女は指示を続けながら、背を後ろに反らして伸びをする。



(ベルッサスの野郎、何を見たってんだ?

 …たったの二つじゃ、今のパンリと大差ねえじゃねえか。)


 月が、ちょうど真上に昇っていた。

 その鈍く射す光に、目を細める。



「じゃあ、さっきと同じのでいくね。

 《フェルー・・…」


「…ン!?」


 だが、世羅の言葉が聞こえた瞬間、空気は一変する。



 周囲に突如として発生する、大量の光の粒子。


 さらに全身から力が抜けていく感覚に、カジェットは思わず前傾姿勢で構えた。



 一瞬のまばたきの後。


 そこには、月よりも煌々と輝く、少女の姿があった。



◆ ◆ ◆



「なァ、最強の源法術ってのは何だと思う?」


「…わからないっす、すんません。」


「じゃあ、最弱は?」


「それはもちろん…《源・フェルー・ド》じゃないですか。」


「普通は、そう答えるだろうねェ。」


「違うんですか?」


「いやいや。

 当たってるよ。

 だが、同時に間違ってもおる。」


「……ずるいっすよ。

 あたしが、複雑な問答が苦手と知ってるくせに…」


「悪ィ、悪ィ…。

 だがな、わしの師匠に会えば、誰もがきっと同じ結論に辿り着くさ。

 《源・フェルー・ド》こそが、最強の源法術だってな―――」



◆ ◆ ◆



「―――どうしたの?」


 懐かしい記憶の次に、目の前へ飛び込んできたのは、心配そうに見上げてくる世羅の顔だった。



 浅かった洞窟は、さらに深さを増している。

 粉塵は夜空に立ち昇り、先ほどの幻想的な光は既に無かった。


 カジェットはゆっくりと立ち上がり、散らばっている真新しい石の欠片を拾い上げる。



「…自然に出来た穴じゃねえのか…。

 これを…《源・フェルー・ド》で……。」


 そして、手にした石と洞窟を、交互に見ながら呻いた。



 達人になればなるほど、己の限界を知る。


 技や術の持つ限界もまた、然りだった。



 ゆえに、目の前のこの光景は。

 己に研鑽を積み重ねた者ほど、強い衝撃を受けかねない。



 ―――自分も『あの記憶』が無かったなら、卒倒していただろう。



「…その術……それで最大の出力か?」


 彼女は、自分の中で早まる動悸を感じながら、問いかけた。



「もっと大きくする?」


 世羅は応じ、大きく息を吸い込む。



「天に達する山の如き…」


 真剣そのものの表情で、今までと違う声質で言葉を紡ぐ。


 間違いなく、誰かに教え込まれた詠唱であった。



「…源の理を頂くアルド=セイングウェイの名において…」


「あ、悪ィ。

 もういいぜ。」


「えっ?」


 確信に満ちた言葉で、制止を求める声。

 世羅が驚いて腕を下ろすと、再び周囲に集まる源は消えていった。



「5分休憩な。」


「ええーー!?」


 そしてカジェットに告げられ、またも即刻で終わった修行に、世羅は不満の声を上げた。



◆ ◆ ◆



「弟子が、師匠に対して出来る一番の『孝行』ってのは、何だと思う?」


「…想像もできませんねぇ。」


「それは、弟子に『教えてもらう』ことさ。」


「そりゃ矛盾してますぜ、師匠。

 技量が高い方が、教える側なんだから。」


「やあれマァ。

 相変わらず頭が悪いねェ、お前さんは。」


「…へえ、すんません。」


「腕が劣っていようがよォ、そこは心意気よ。

 弟子から何かしら教わる気分ってのは、いいもんらしいぜ。

 お前もぜひ、そうなってくれや。」


「はぁ。」


「それで、私が自分の師匠に再会できたなら、ぜひとも教えたい術がある。

 術というか…まあ、既存にある術の応用だ。

 長年の修行の末、思いついたわけさ。」


「……。」


「でもなぁ…わしは老いぼれだしな。

 もし、それが生きているうちに叶わなかったら、代わりにあんたにお願いしたいんだが、いいかね?」


「……どういうことです?」


「代金は、この、カジェットの名でさァ。」


「…よして下さいよ。

 二代目を継ぐのは、あたしなんかより、コルススかベルッサスが相応しいでしょう?」


「いいや、お前しか考えておらん。

 それに……」



 そこで突然、師は鈍い咳をする。



「もう、時間が…無ェんだよ。」


 唇を覆う手の平。


 そこから漏れた血の跡を見て、彼女は悟った。



 まだずっと先の話だと、思い込もうとしていた事態が、すぐ目の前に迫っていたことを。



◆ ◆ ◆



 あの時。

 カジェットはすぐに、その名を訊いた。



(…他の弟子には…ナイショにしておくれよ…。

 何せ…あの御方は、大悪名で世間を通ってるからなァ。)



 その声は今でも、鮮明な音で聴こえてくる。



(……アルドだよ。

 …アルド=セイングウェイ。)



 初めてそれを、弟子に打ち明ける師の言葉は、存外に嬉しそうだったのを憶えている。



(何も、本人でなくていい。

 誰か…ゆかりのある者に……頼むわ…)



「わかってますって。

 たぶん、ありゃ…そうでしょ…。」


 さらなる願いの言葉の途中。

 それを振り払うように、カジェットは思わず声に出していた。



「でも……どうすれば、いいんですか…?

 あたしには…今もう一つ背負いこんでる問題が…」



 その問いに。

 師の亡霊は答えない。



 カジェットは思い切り、夜空の月に向けて小石を蹴飛ばしてやった。



▼▼


第四章

第三話 『二つの聖十字』


▼▼


to be continued…




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