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4-2 「群狼」



This story is a thing written by RYUU


Air・Fantagista


Chapter 4

『Coming in flight warship age』


The second story

'Wolves'





◆ ◆ ◆



 首都の郊外。

 中王都市軍の管轄にある古い発着場。


 その敷地の末端の格納庫は、配属されている人間もまばらで、警備も薄かった。



「―――飛翔艦が手に入るんだよ!!」


 昇る朝陽に照らされて、庫内が蒸し暑く温度を上げる中。

 バーグが、大袈裟な身振りと手振りで叫ぶ。



「あのねえ…」


 軍手で汗を拭い、ミーサは整備の手を止めた。



「勝手に敷地に乗り込んでくるなり…そんな馬鹿げた話、しないでくれる?」


「ん?」


 歓迎されるとばかり思っていたバーグは、その冷たい反応に面食らった。



 コルツとマルリッパが持ってきた、飛翔艦が賞品という『大レース』の情報。


 バーグは、人がその話に乗るのは当然だと思い込んでいる。

 だからこそ、これから彼女を伴って現地に行き、戒達と合流するという算段まで立てていたのだ。



「私もね……生活があるのよ。

 軍隊で整備やってる方が安定しているのに、そんな大博打ばくちに乗れるわけないでしょ。」


「あ、そうか。

 そうだな、何も今すぐ軍隊を辞めなくたっていいよな。

 飛翔艦が手に入ってから、来てくれればよ…」


「………。」


「え、何だ?

 それも反対なのか?」


「当たり前でしょ!

 個人が飛翔艦を持つだなんて、そんな夢みたいな話……持ってこないでよ!!」


 彼女は火中で弾けた栗のように、怒って言った。



「…まったく、おめでたいというか、世間知らずというか…」


「わ…悪かった。

 全部、俺の…空回りだ。

 そうだよな………今の話、忘れてくれ。」


 バーグは見てからに沈んだ様子で、それだけを言い残し、去っていく。

 だが、そんな別れ際の言葉にも、彼女は何も返さなかった。



「…ミーサ曹長。」


 その一部始終を格納庫の奥で眺めていた、一人の女性士官が近付く。



「あ、どうも…。」


 ミーサは、部外者と接触していたことを言われるのではないかと、愛想笑いを浮かべて身構えた。



「いい腕ですね。

 貴女の整備なら…この部隊の仕事の効率が、従来から3割は増す。」


 だが彼女は、庫内の戦闘騎を一望してから言った。



 ミーサが新しく配属された部隊の隊長は、また女性だった。


 かなり背は低めで、線も細く、軍人らしくない。

 しかし、細かい部分に神経が行き届く、抜け目の無さそうな雰囲気がある。



「このように腕の良い整備士が、今まで輸送艦などに配属されていたとは驚きですよ。」


「ありがとうございます。」


 彼女の言葉に安堵したミーサは、適当に返し、作業へと戻ろうとした。



「貴女の志願は『今後タンダニア方面へ派遣される調査団』とのことでしたから、ちょうど我が部隊への配属になりましたが。

 本当に良いのですね?

 我々としては、例の件の当事者がいるのは、大変助りますけども…」


「はい。」


「かつての仲間に憎まれても?」


「………。」


 手を止めるミーサ。

 やはり、彼女を欺くことは出来なかったようだった。



「…どうしても……回収したい物があるんです。」


 瞼を閉じて、胸に思い起こしながら呟く。



「それは、思い出?」


「…ある意味では。」


「良い働きを期待しています。」


 それだけを言い、隊長は踵を返す。


 ミーサは、その背に向かって感謝の敬礼をした。



◆ ◆



 変わって、首都中心部にある中王都市大聖堂。


 そこは今日、先のムーベルマにおける戦没者の合同慰霊を催していた。



 …だが、大半は遺体の還らない慰霊である。

 集まる遺族も、相当に少なかった。



 モンスロン暗殺に関わる一連の事件だが、現在の軍の執行部の意向は、タンダニアへの調査団の派遣のみに留まり。

 ムーベルマで失った部隊の残骸や、人員の遺体回収は見送られた。



 それというのも、近隣諸国への配慮に他ならない。

 列強国の筆頭が、内部で争っているなどという弱味を見せるのは、愚と判断したのである。


 事件の真相は闇に葬り、世間の知るところではない。

 中王騎士団の関与が濃厚だと判っていても、軍がそれを圧倒する力を蓄えるまで、懲するのを待つ。


 それが、今の方針であった。



 教会内で儀式を終えた、仰々しい装いのクレインの司教と神官達が帰る時刻。



 その門とは、反対側の柵。

 二人は、そこで顔を合わせていた。



「一体…どの面をさげて……会いに来たというんだ。」


 軍服の胸に喪章を下げているギルチが、ネクタイを緩めながら、あからさまに不満そうな表情を見せつける。



「恥を忍んで。」


 鉄の格子を握り締め、フィンデルは答えた。



「その割には、堂々としているものだな。」


 思わず肩をすくめて、眼鏡を直す彼。



「君は、既に軍の関係者ではない。

 私が教えられることは、何一つ…」


「解ってます。

 でも…すがりたいのです。」


 彼女は柵へとさらに近付き、真剣な眼差しを送った。



「すがるだと?

 ……もう、何もかもから背を向けたのだろう?」


「…自分でも……解りません。」


「真実に近付きたいという欲求は、理屈ではないということか。」


 ギルチはゆっくりと視線を下げ、砂利を踏んでいる地面を静かに見詰めた。



「退役することを……どうして、私に相談してくれなかった。

 君は昔から、いつもそうだな。」


 そして小石を靴先に当てながら、早口でまくし立てる。



「本心を、何も明かさない。

 仲間が近くにいるにも関わらず。」


「………。」


「…私は軍の新しい体制を築くため、これから多忙になる。

 もう一般人とは、おいそれと会えまい。」


 突き放すようにして、彼は背を向けた。

 フィンデルは、初めから覚悟していたように、それに頷く。



「だから、これで…最後だ。」


 彼は、穏やかに足を止めて言った。



「リード少佐の遺品に、一つ。

 妙な物が紛れ込んでいた。

 詳しい者が言うには……それは『孔雀』という種類の鳥の羽らしいが…。

 そんなものは、ルベランセで飼ってなかっただろう?」


 フィンデルは息を飲み、顔を上げた。



「今は、軍の保管施設にある。

 君の名前で受け取れるように、後で手配しておこう。」


「良いのですか…?」


「残念だが…。

 私は早急に軍隊の足並みを揃えるため、騎士団の動向を探っている余裕が無くなったのだ。」


「…恩に着ます。」


 すぐに、フィンデルは振り返った。


 何も目に入らない様子で、ただ真っ直ぐに進んでいく。



「そうやって…君はいつも……だな。」


 彼は、寂しそうに呟いた。



 自分とて、彼女に謝りたい気持ちがあった。

 だが、今回も、それすら聞いてくれる間は無かった。



 頭上で。

 死者を送る鐘の音が、悲しく鳴り響いていた。





◆ ◆ ◆



エア・ファンタジスタ

Air・Fantagista




第四章

飛翔艦時代到来



第二話 『群狼』



◆ ◆ ◆



◆ ◆




◆ ◆ ◆



 小高い砂丘から、戦場を見下ろす二頭の駿馬。



「我等の軍勢に、あの者が加わってから…。

 今までの苦戦が、嘘のように優勢ではないか。」


 ジェダス=オルゼリアは鞍上で、驚嘆を込めながら言った。



「ただ…あれは自分勝手すぎる節がある。

 これが全体の士気に関わらねば良いが。」


 冷静に答えるのは、彼とあぶみを並べたザイク=ガイメイヤである。



 二人はリエディン騎士団の双璧として、遠征当初から軍勢を率いていた。

 当時、騎士団員の数は少なかったものの、それに付き従う農民出身の兵卒は多かった。



 豊富な兵を幾つかの班に分け、そこに戦い慣れした騎士を頭として据える。

 それが彼等の兵法である。



 だが、そんな工夫など。

 圧倒的な『武』の前では、まるで意味を成さないのだと、二人は思い知らされていた。



 その日も、彼等が戦況を改めて確認していると―――敵陣から飛び出す大男。

 砂埃を立てて、瞬く間に、こちらの砂丘まで一気に駆け上ってくる。



 右手で手綱を引き、彼は二人の前で急停止。

 続けざまに、左手で握っていた敵将の首4つを、無造作に放ってよこした。



「敵陣、崩れ申した。

 総攻撃の合図を…」


「下馬されよ!」


 報告の対面、ガイメイヤからの叱責。



「お、これは……失礼…」


 気付き、慌てて馬を降りる彼。



「何ぶん、田舎者にて、こういう儀式事には慣れておらず…」


「最低限の礼儀を『儀式事』と申すのか。」


 その態度に、ガイメイヤは眉尻を吊り上げて続けた。



「…貴殿は、王自らが招かれたということで……何か勘違いをしてはおらぬか。

 私だけならば、いざしらず…。

 こちらはリエディンの名家、オルゼリア卿なのだぞ。」


「まあ、よいではないか。」


 苦笑して、ジェダスは止めた。

 そして彼もまた下馬し、自ら男に寄って、労をねぎらう。



「あの見事な戦いぶりに、私はただ感心するばかりだ。

 豪傑とは、まさに貴殿のためにある言葉よ。」


「は。」


 恐縮する素振りを見せながら、男は背筋を伸ばした。



「…そなたはもう、本営へ戻るがいい。

 獲得した首級の報告は、こちらでしておく。」


「いや、まだ夕刻には時間がありますゆえ……自分も総攻撃に参加いたしまする。」


 命令を下すガイメイヤに対して、男は一礼し。

 外衣を返して、再び馬に跨った。


 そして、迅雷の如く戦場へと帰っていく様は、今度は戦神と見まごうかのようだった。



「あの男……まだ手柄が足らぬというのか!」


「欲しているのは、手柄ではなかろう。」


 憤慨するガイメイヤに対し、ジェダスは呟いた。



「なあ、ガイメイヤ。」


「何だ?」


「お前は一介の騎士の身分から、『叩き上げ』で将軍の地位を掴んだ。

 その努力は皆が知るところだ。

 だから、特別扱いされる者に辛く当たるのは良く解る。」


「………。」


「しかし、もっと寛大な心で物事を捉えてみんか?

 あらゆる垣根を越えて……我々は、友になれると思うぞ。」


 砂を踏み、丘の先端へと到る。



「見ろ、あの男……。

 たった一人で、この戦乱を50年は縮める気だ。」


 そして、彼は眩しそうに眺めていた。



 押し寄せる津波の如く、たった一騎で敵陣をなぎ払っていくその雄を。



◆ ◆ ◆



 ベッドの中で、ジェダスは薄く目を開ける。


 見慣れた室内。

 だが、脇には、普段いるはずのない大男がそびえ立っていた。



「―――いま、夢の中で会って来たばかりだというのにな。」


 冷静に呟かれる言葉。



「やれやれ…少しも驚かぬとは。

 相変わらずよの。」


 タンダニスは苦笑して、その脇に腰を下ろした。



「おぬしの友人だと名乗ったら、ここまで簡単に通してもらえたぞ。

 これが、名家の屋敷の守りとは恐れ入ったわ。」


「老いぼれを守る必要など、無いではないか。」


 ジェダスは笑い、ゆっくりと上体を持ち上げる。



 何気ない動作だったが、驚くくらい遅い。

 タンダニスは感慨深げに、老いた友を見詰めていた。



「そんな顔をするな。」


 そんな上からの視線に気付いている彼は、苦笑して言った。



あわれんでなど、おらぬわ。

 しかし……わしが来ると思うておったのか?」


「いずれな。」


 老体の、猫背が揺れた。



「…大団長のことであろう。」


 だがその眼光だけは、衰えを感じさせなかった。



「察しておったか。」


 タンダニスは続ける。



「だが……わしは信じたくない気も半分じゃ。

 あれは決して、私利私欲に走る男では無かろう。」


「その通りだ。

 奴は、自己にも他者にも厳しい男よ。

 だからこそ、今まで騎士団を率いてこれたのだ。」


 強い口調で、ジェダスは拳を握って言った。



「…だが、中王都市の政府と軍隊が腐り過ぎた。

 奴が変心したとしても、不思議は無いくらいにな…。」


「……。」


「会うつもりか、今のガイメイヤに。」


「そのつもりでおるが…」


 タンダニスは片手で顎鬚を遊ばせながら、困ったように呟いた。



「この国の実情は…見えたのか?」


 ジェダスが窓の外の景色に目を移して、問いかける。


 オルゼリア領の、色濃い新緑。

 青葉の茂る、逞しい木々を見るうち、彼の顔の血色は良くなっていった。



「……ふむ?

 まだ、来たばかりじゃて。」


 その視線にならいながら、タンダニスは笑って誤魔化した。



 ムーベルマからの一連の事件を、ジェダスはまだ知らないだろう。

 もはや騎士団の関与は決定的であり、その点に関しては、なまじ中王都市の軍隊よりも確信がある。



 ―――だが、モンスロンが遺した文書に記されていない要素も、否定はできなかった。


 文面だけを信用して、ガイメイヤと対峙するのは、まだ何かが足りない。


 己の豪気さゆえか、ここまで身を動かしてきてしまったが。

 いま立ち止まって、深慮する必然は、大いにあった。



「そうじゃ、この間。

 息子の聖騎士殿に、お会いしたぞ。」


 それらの考えを、とりあえず頭の端へと送り。

 一転してからかうような口調で、タンダニスは言った。



「そうか。」


 口を真一文字に結ぶジェダス。



「人の成長は、実に早い。

 よくぞ、あそこまで立派に育てたな。」


「……そうか。」


 何かの含みを持たせて、彼は同じように呟くばかりだった。



「どうした、何が気になる?」


「……この家名が、マクスには重いのではなかろうか。

 前々から、そう思っておってな。」


「…重荷じゃと?」


「家の歴史と名誉、聖騎士の責務。

 これらに、板ばさみになってはおらぬかと。」


「親ばかめ。

 あれは、まだ若いのだ。

 気の済むまで、苦悩させれば良いではないか。」


「お前は、他人ごとのように…」


「はは、他人ごとではないぞ。

 わしとて…あの子と……因縁が浅からぬわけではないからな。」


「…それ以上は言うな、タンダニス。」


 ジェダスは真摯しんしな眼差しで、彼の言葉を止めた。



 二人の脳裏に、記憶がよみがえる。



◆ ◆ ◆



 もう、何度目の遠征を数えただろうか。



 叛乱軍が核になる人間を失った時期。

 それらは同時に、当初の勢いをも失い、減衰の一途を辿っていた。



 その頃。


 ザイク=ガイメイヤは中王都市と名を変えた母国で、改めて編成された騎士団の長に任命。

 それを補佐するように、ジェダス=オルゼリアは白の隊の筆頭となっていた。



 タンダニスも招かれたが、頑なに現地に残り、転戦を繰り返し。

 様々な功績から、自身さえ辞退しなければ、聖騎士になっている程だった。



 そのように十字軍による殲滅戦が主な時代になると、中王騎士団の本隊が参加することは稀となった。



 だが、その日に限って。

 ジェダス率いる白の隊が、殲滅隊に加わっていた。



 再会の喜びを味わう間も無く、彼等は共同して、抵抗勢力があった『とある村』の一つを焼き払った。



 そしてその後、二人は確認のために、村内を練り歩いていた。



 地と泥にけがれた廃屋を、馬で踏んで進む。

 そんな戦場になった生活の場を巡るのは、いつでも胸が悪くなる思いだった。



 ―――その時、二人は赤子の泣き声を耳にした。



 声のする方へ馬首を返した矢先。

 目の前の家屋の屋根が、大きく崩落する。



 二人は安全な場所に退避して、その全てが落ちるのを待った。

 だが、すぐに異常さに気付いて、身を乗り出した。



 泣き声は止まなかったのである。



 幻想的な風景。

 赤子の周囲では、崩れ落ちた瓦礫が銀の粒子へと変わり、降り注いでいた。



「神の奇跡か……?」


 それに導かれるようにして、馬を降りたジェダスが歩み寄る。


 拾い上げる赤子の、薄っすらと生えた髪の毛は艶やかな銀色で。

 玉のような肌も煌めいていた。



 だが、その右腕に、奇妙な紋様が浮かんでいることが解ると。

 タンダニスは迷わず、手にした槍を赤子の首元に向けた。



「!!」


 それを遮るように子を抱きしめ、ジェダスは彼の前に立ちふさがる。



「許せ。 私のわがままを。」


 その遠征の直前、ジェダスは第三子を病で亡くしていた。


 タンダニスはそれを知っていてなお、もろとも貫かんとばかりに、彼の背に槍先を突きたてる。



「気持ちは解る。

 だが、その子はいかん。

 ここで息の根を止めねば、後の世に大きく仇を成す、叛乱の芽となろう。」


 その忠告にも、ジェダスは動じなかった。



 彼は、もう疲れ果てていた。


 悲しみにも。

 そして、戦乱の世にも。



 結局。

 『至高の槍』と呼ばれた勇でも、そのように巡り逢うべくして巡り逢った親子に、手を下すことは叶わなかった。



 その後。

 多数の難民の心を掴んだタンダニスは、それらと共に東方へ流れ、不毛の地で建国することとなる。



 そして現在まで、二人が顔を合わす機会は無かったのだ―――



◆ ◆ ◆



 給仕の女性が、桶に溜められた水を月桂樹の枝葉ですくい、焼けた石に飛ばし、定期的に湯気を発生させる。


 タンダニアでは、このように薫り立つ蒸気風呂が、公衆浴場として定番とされていた。



「いいんですか、こんな公の場で鎧を外されても。

 ……聖騎士殿。」


「……。」


 不意に隣に座ってきた男の言葉に、顔全体に被せていたタオルを上げるマクス。



「…探しましたよ。

 クゥさんに言付けるだけで、人をここまで呼びつけて…。

 まったく。」


「すまないな。」


 そうして確認したヒュベリの横顔に向かって、マクスは微笑んで言った。



「今は、何をなさっているんです?

 本国に帰還もせずに。」


「教会で捕まっている。

 しかも、これから各地を説法に廻って欲しいと頼まれてな。

 それに…すぐに帰還しろとは、命令されていない。」


「なるほど。

 物は言いようですか。」


 ヒュベリは、外部から特に親しいと見られないように、終始正面を向いたまま喋る。



「タンダニアの国境付近の様子はどうだ?」


「ええ、驚きましたよ。

 レイザンピークでは現在、わが国のルベランセという輸送艦が解体作業中です。

 何でも賊の襲撃に遭ったとか…」


 その報告を、マクスは複雑な気持ちで聞いていた。



「…彼等は、モンスロン卿の亡命の手助けをしていたのだ。

 卿自身も、同じ頃に暗殺された。」


「なんですって…!?」


 彼とは同じ隊に属していたヒュベリが、手で押さえた口の奥から、驚きの声を上げる。



「私も、つい先日にタンダニアの関係者から聞かされてな。

 おそらく、これも騎士団の仕業…」


「いや、そうじゃなくて!

 モンスロン卿は、どうして亡命なんか!?」


「私とて、詳しい理由はわからない。

 だが…騎士団が不利になる情報を握っていたのは確かだろう…。」


「……いま、騎士団では何が起こっているんですか。」


 ヒュベリは、憤りを隠さなかった。



「最近の不穏さは、尋常じゃありませんよ。

 聖騎士殿が、こういった行動をとる理由が分かったような気がします。」


 そして表情に一抹の野心をのぞかせて、彼は小声で近付く。



「もし、聖騎士殿が立つつもりならば、私もお供しますよ。」


「やめてくれ。」


 マクスは鼻で笑った。



「柄じゃない。

 それに、もしもそうしたら、君と同じようなことを言い出す人間が、もっと多く出てきそうだ。」


「それはそうでしょう。

 下っ端の騎士ならば、大半が私と同意見になるはず。

 オルゼリア家が立ち上がれば、他の名家……ハイランドとメルステンも黙っていないでしょう?

 この御三家が手を組んで、中王騎士団の先頭に立つというならば……」


「おいおい。」


「騎士団だって、一枚岩じゃありません。

 名家出身でない大団長への不満は…若く、末端の者ほど、強く根付いているのでは?」


「…………。」


 マクスは押し黙った。


 子供の頃、父のジェダスが昔話をしてくれた時、彼は常にガイメイヤへの賛辞を欠かさなかった。


 だが、今の時代では、それを伝える者も少ないようである。



「それに……国内戦争を強行するかのような今の騎士団の姿勢に、『大義』は無いですからね。

 誰だって、同じ国民同士で殺し合いなんてしたくないでしょう…」


「だがもしも、それを手に入れたらどうなる?」


「…大義を?」


 彼は途端に口ごもる。



「ヒュベリ。

 しばらく、聖騎士をやってみる気はないか?」


「は?」


「互いの服を交換して、ここを出よう。」


 マクスは、おもむろに立ち上がる。



「何を言ってるんですか。

 自分が貴方になりすませるわけ…」


 タオルで股間を隠し、それを慌てて追うヒュベリ。



「聖騎士といっても、皆、銀の鎧しか見ていないさ。

 タンダニア国内の教会を適当に巡回するだけでいい。」


「自分は、大聖典の一文だって憶えてませんよ。」


「私だって似たようなものさ。」


 彼は笑って、前を行く。



「つまり……『マクス=オルゼリア』が『ここ』に滞在していた、という事実があれば良いわけですか。」


「その通りだ。

 戦闘騎は操縦できるな?」


「少しならば。」


「…よし。

 頃を見計らって、私の機体でオルゼリア領へ帰ってくれ。

 あそこなら、怪しまれずに済む。」


「どちらへ行かれるおつもりですか。」


「……あの軍師を騙すには、相当の裏をかかねばならん。」


 精悍な眼差し。



 ヒュベリはそこから、ある種の人間しか持ち得ない、天賦の資質を感じた。


 すぐに脇に置かれた水桶を取り、そばの焼け石に放つ彼。


 発する、濃い蒸気。



 そして、風呂内がそれから明ける頃には、二人の姿は無かった。







◆ ◆



◆ ◆



 オルゼリア邸門前の木陰で、タンダニスは既に待ち構えていた。



「遅れてしまい、申し訳ありません……!」


「首尾はどうじゃ?」


 目前で停止した馬車から、慌てて降りて来るアリアネへ尋ねる彼。



「…これといった有益な情報は得られませんでした。

 やはり、今回の事件は民間に広まっていないようです。

 御用の方は、もう終えられたのですか?」


「……うむ。」


「陛下?」


 薄目のまま報告を聞き、返事もうわ言のように呟くだけのタンダニスに、彼女は近付く。



「やはり…国の問題は、その国で収めるのが流儀なのかもしれぬ。」


 彼は、先程のジェダス=オルゼリアの態度を、何度も思い返していた。



「ここまで来て、迷うとは。

 …このわしも、歳をとったものじゃ。」


 そうやって自嘲する彼の足元に、後から馬車を降りて来た小猿が寄り添う。



「なにやら、このあたりで評判の店より購入いたしました…。

 しかし果たして、陛下のお口に合いますかどうか……。」


 面前では、アリアネが照れた表情で、紙袋を両手で差し出していた。


 言われるまま、その袋を開く彼。

 そこには小くて丸いパンが、沢山詰められていた。



「まだ温かいのう。

 どれ…。」


 それを一つ掴み、千切って口に運ぶ彼。


 現地に着いてからというもの、何も食していない腹の底に。

 ほのかな小麦の香りと、砂糖に漬けられた胡桃くるみの味が染み渡る。



「空腹は…考え方を貧しくさせるもの、か。

 すっかり、忘れておったわ。」


「……陛下におかれましては…何事も独りでなさらずに、もっとしもべを使われますよう…切に願います。」


「わしは果報者じゃな。」


 小猿を肩に乗せて、ひざまずくアリアネの手を取り、彼は歩み出る。



「もっと、この国を知ろう。

 それから改めて、あやつに対峙しても……遅くはあるまい。」


「…は!」


 小気味良い彼女の返事と共に。

 上空では、幾つもの輸送騎が、音を立てて飛んでいく。



 王は興味のこもった瞳で、それを暫く眺めていた。



◆ ◆



 ケンリントンは、湖に面する小さな村である。


 首都は程近く。

 湖を挟んだ反対側に、その街並みを僅かに確認できる。



 村の唯一の広場にて、大会の説明と受付が行われるのは、夕刻の予定であった。



 それを見越し、続々と集まる参加者達。

 さらに、それらを格好の獲物とする各種屋台の出現で、会場は芋の洗い場と化している。



「……。」


 そして戒は、口を半開きにして、愛らしいというよりも『珍妙な彼等』の様子を不思議そうに眺めていた。


 周囲の混雑も顧みず。

 広場では、大勢の『クマの着ぐるみ』が大道芸を披露して、空気を和ませているのだ。



「あれって、コーラルサーカスじゃない。

 えっと…確か…マスコットキャラクターの……」


 思い出しながら、言葉を止めるシュナ。



「『ジャグマー君』だな。」


 それを補足したのは、意外にもバーグだった。



「く、詳しいんですね…。」


「あのサーカスはよ、昔は戦場で慰労の活動をしてたんだ。

 娘がまだ子供の頃……あれのキーホルダーとか買ってやったんだぜ。」


 若干引き気味の彼女に、誇らしげに続ける彼。



「喜んだか?」


「いや……あんまり記憶にねえな…。」


 戒の疲れたような問いに、バーグは頭を掻いた。



 広場の流れを逐一確認できる、付近のパブのテラス。

 彼等は時が訪れるまで、そこで席を取り、待機することにした。



 だが、本番を明日に控えているというのに、会場には未だ手の及んでいない箇所が多く。

 アーチや柵の設置を急いでいる連中が、忙しく目の前を横切っている。



「でも……フィンデルさんはともかく、ミーサまで来ないとはね…」


 それらを眺めつつ、シュナは暗い声調で切り出した。



「バーグさんが誘えば、確実だと思ったのに。」


「…何でだ?」


 火の点いた煙草たばこを片手に、素の表情で訊く彼。



「…それは…その…」


「来ない奴のことを、いつまでも気にしてたって仕方ねえだろうがよ。」


 言葉を濁す彼女に対し、戒がテーブルに頬杖を突いたまま言った。


 その視線の先には。

 早速、食べ物屋台の行列に並びながら、脇の大道芸を見物している世羅とザナナがいる。



「…ザナナさんにべったりね。」


 それに目をつけて、シュナが半眼で呟く。



「私、てっきり、あの子は戒のことが好きなんだと思ってたけど…」


「適当なこと言ってんじゃねえぞ、お前。」


 戒は、思わず立ち上がった。



「なに動揺してんだ。

 座れよ。」


 小馬鹿にした笑みを浮かべ、その肩を掴むバーグ。



「やきもち焼くくらいなら、いっそのこと、お前がザナナをかばってたのを教えちまったらどうだ?

 その反動で、もっと好きになってくれるかもしれねえ…ぞっ。

 いてっ、いててて…」


 肘鉄を頬に喰らいながらも、彼はからかい続けた。



「あのねえ……ふざけてる場合じゃないのよ。

 受付が始まる前に、早く最良の組み合わせを決めておかないと。」


 鼻息荒く、足元に置いていた大弓を片手にとるシュナ。

 そしてその弦を何度も引いて、鳴らしてみせる。



「組み合わせ?

 何のことだ。」


「大会は三人一組での参加なんだろ。

 俺たちは、今ちょうど、六人いるわけだ…。

 なら絶対、二組で出た方が有利じゃねえか。」


 訊き返す戒に、バーグが答えた。



「だから、各人の力のバランスを考えて…」


「バカか。

 俺様とザナナと世羅で、もう決まりだ。

 やりたけりゃ、残った連中で勝手にやれよ。」


 さらに話に輪をかけようとするシュナを、戒は冷たくあしらう。



「パンリみたいな戦力外と組む方の身にもなりなさいっての!!」


 脇に当人が座っているにも関わらず、叫ぶ彼女。



「まあまあ、俺たちで上手くフォローすれば、意外に何とかなるんじゃねえか?

 競技の内容にもよるけどな…」


 それをなだめる余裕を見せながら、バーグは笑った。



「……!」


 だが次の瞬間、表情を一変させて硬直する彼。


 その視線は、広場の端に集まっている身なりの良い一団へと向けられていた。



「……悪い。

 ちょっと、予備の煙草が切れちまってたんだ。

 買ってくるわ。」


 そして唐突に、くわえていた煙草を潰して立ち上がり、彼は正面の人混みの中へと消えて行く。



「何だ?

 あの野郎…」


「様子が変だったわね。」


 戒の疑問に、シュナも同意する。



「あの…すみません……。

 私も少し、宿へ戻っていても良いでしょうか…。

 ちょっと気分がすぐれなくて…」


 そこへ、さらに続けて、パンリが深刻な表情で言った。



「ああ、いいけどよ…」


「では……。」


 戒の言葉に頷き、自分の荷物を背負って、とぼとぼと歩いていく彼。



「…お前が悪いんだぞ。

 あいつが頼りないとか言うから…」


「なによ、事実でしょ?」


 その姿を目で追いながら、再び二人は言い争う。



「ここ最近、あいつ口数少なくねえか?」


「知らないわよ、そんなの。」


「…………。」


「…………。」


 もう面倒になり、お互いが無言になる中。

 行列に並ぶザナナと世羅の姿が、若干、前に進んだ。


 その後ろへ、さらに食料を求める集団が加わっていく。



「しかし…まあ、当然だよな。」


 呆れたように呟きながら、広場の先の湖へと顔を向ける戒。



 停泊している、飛翔艦の数々。

 そこから、次々と参加者達が押し寄せているのである。



「そうね。

 今すぐ新しい飛翔艦を欲しい人達って、既に扱える人達ぐらいだものね…。」


「ズブの素人だけが参加するわけねえか…。

 この分だと、かなりの人数になりそうだぜ。」


 シュナの指摘に、戒は苦笑した。



 どんな内容の競技が行われようが、個人的な能力が試されるのなら、それほど臆するものは無い。



 だが、組織を相手にするのは、厄介だった。


 何と言っても。

 飛翔艦の乗組員達が、複数の組を作り協力し合えば、個人で参加した組が入賞できる確率は極端に減ってしまう。



 大会で、この点を規制するルールが定められているのか、非常に気になるところであった。



「……ん?」


 そのような考えの最中。

 戒は、二隻の奇妙な飛翔艦に目を付ける。



「どうかした?」


「…いや、どうってことはねえけどよ。」


 彼女の問いに、指で示す彼。



 その二隻は、並んで停泊しており。

 お互いに面した、『脇腹』―――砲門などが備えられている部分が著しく損傷して、真っ黒にすすけていたのである。



「これまた、随分とボロいわね〜。

 辿り着いたのがやっとの感じじゃない。」


「あれは……なんか臭うぜ。」


 率直な感想を洩らす彼女に、戒は煮え切らない表情を作る。


 その時だった。



 さらなる一隻の飛翔艦が、湖の奥から、大型船に牽引されて姿を見せたのである。



 後部に付いた、四門の噴射口。

 両側面で、美しい傾斜を描く翼。


 大砲の類は一切外に出ておらず、それらが格納されている部分の継ぎ目が、装甲の至るところに走っていた。



 真新しい鋼鉄の光沢を美しく輝かせ。

 悠然と水面に波をたてて、迫り来る圧巻の景色に。


 自然と湖のほとりに出来上がる、人の壁。



 当然だった。

 皆、これを目的に集まっているのだ。



 その様子には、列の二人も釘付けになっている。

 特に世羅は、純粋に飛翔艦だけを食い入るように見詰めていた。



 戒は、その横顔に見入っている自分に気付き、慌てて対面のシュナに視線を戻す。



 彼女は呆れた表情のまま、今度は何も言わなかった。



◆ ◆



 そんな広場の喧騒を横切りながら。

 パンリは、首都へと戻る道を急いでいた。



 装甲馬車でも鉄道でも、何でもいい。

 とにかく、遠くへ行きたい。


 このところずっと、そんな考えに支配されていた。



 本来なら、世話になった仲間達に断りを入れてから旅立つのが筋だろうが、大会に向けて意気の上がり始めた彼等に、

水を差してはいけない。


 そう自分に暗示をかけるが如く。

 今はただ、逃げるようにして足を動かしていた。



 違和感は、ルベランセに搭乗した当初からあった。


 そもそも、そこに乗りこんだ理由が、興味本位といっても過言ではない。

 他の者と比べても、気持ちの面で劣っていた。



 そして過ちもあった。


 それは、空という別環境に身を置くことで、自心の劇的な変化を期待したことである。



 現実の空では、暴力という風が吹き荒れて。

 生命を無遠慮にもぎ取っていく。


 そのように過酷な場所での生活など、弱い自分の姿を、余計に浮き彫らせただけに終わった。



 備えが無いということが、こんなにも罪だとは思わなかった。

 今回は、周囲に有能な人間がいたおかげで、助かったにすぎない。



 だが、それをバネに自身が強くなってやろうという思想は、パンリには無かった。

 肉体的や精神的に、『向いていない』ということが、自分で良く理解しているからである。



 ―――ならば、初めから守られる必要の無い、平穏無事な暮らしを求めればいい。

 それが、最後に行き着いた答えだった。



 過去にウェンウェンは、自分は友に対して、何かの手助けが出来るような存在だと占った。



 頭の片隅で、少しだけ信じていた。

 だが今、そんな根拠や可能性は、この臆病な身体のどこを探しても見当たらない。


 そのことに対して、少し恨みにも似た感情も芽生えた時、彼は全てから逃げることを決めたのである。





 急ぎ足にも疲れた頃。



 広い農道の真ん中で、頭上が急に断続的な影に覆われた。


 パンリが顔を上げると、道端に連なった風車小屋の屋根で、何かが飛び回っている。



 少し集中してその動きを追うと―――目を疑うような景色だった。

 沢山の人間が、小舟で使うかいのような不思議な棒の上に立ち、空を飛んでいるのである。



 驚きのあまり、パンリは足を止めて、身を強張らせていた。


 そこで地面に訪れる、激しい衝撃。



「いっでぇ……!!」


 太い呻き声だが、女性。


 それが、パンリの脇で、しこたま打ち付けた尻の砂を叩きながら、立ち上がる。



 丸みを帯びた体の曲線がくっきりと浮かぶ、薄いツナギを纏った、良質な体躯。


 目元は防風ゴーグルをかけているので、表情はうかがえない。

 だが、後ろで結んだ群青色の長髪と合わせて、なかなか端整そうな顔立ちをしていた。



「くそっ…!

 風に…乗り損ねちまった…」


 舌打ち交じりに、手にしていた棒を放す彼女。


 良く見れば。

 その棒の平たい先端部には、無数の布が、何かの法則性をもって結ばれている。



 しかし、詳しく分析している場合ではなかった。

 慌ててその場を離れようとするパンリ。



 だが既に遅く、その棒と同様の物で頭上を飛んでいた集団は、落ちてきた彼女を追いかけるように次々と地に降り立ち。

 あっという間に、その周りをパンリごと囲む。



「…きったねェぞ、コルスス!

 今は、停戦中のはずだろうが!!」


「ははっ!

 油断を見せる奴が悪いんだろうがよォ!!」


 彼女の咆哮に対し、囲みから一歩前に出る男。


 人相が悪い系統の顔は、さんざん見慣れていたはずのパンリだったが。

 その彼の三白眼が醸し出す気配は、相当に肌寒いものがあった。



「おとなしく降参して、オレの女になりやがれ。

 痛い目を見ないうちにな。」


「もう飽き飽きだね、そのセリフ。」


 彼女は不敵に笑って返し、すぐ脇で震えているパンリに目をつける。



「…それにさぁ。

 あたしにゃ、もう別の『男』がいるんだ。」


「な、なんだとォ!?

 いつの間に!?」


 大袈裟なリアクションと共に叫ぶ相手。



「―――え?」


 次の瞬間。

 パンリは軽々と抱きかかえられ、彼女の大きな胸に埋もれていた。



「こいつが、あたしの男さ。

 わかったら、もう諦めるんだね。」


「う、うそつけ!

 そいつは、単なる通行人だろうが!!」


「ああ、そうさ。

 だが、たった今、『一目ぼれ』した。」


 ゴーグルの中から、琥珀色の瞳が僅かに覗いた。



「…悪ィ。

 話合わせてくれや。

 それと…」


 同時、耳元で囁く彼女。

 続けざまに、パンリは股間を強く握り締められる。



「良かったぜ。

 ちょっと、女じゃねえかと疑ってた。」


「!!?」


 下品に笑う相手に対し、恥ずかしさと恐怖に混乱したパンリは、黙って頷くことしか出来なかった。



「あたしゃねえ、こんな可愛らしい顔した年下の子が好みなんだよ。

 てめえみたいな、極悪人まるだしのツラした野郎が、一番嫌ぇなんだ!!

 とっとと失せな!!」


「う……ぐ…」


 さらに飛び出す罵詈雑言に、コルススは悔しそうに歯茎をむき出しにしたまま固まる。



「…こうなったら、力ずくだ。

 てめえら…痛い目を見せてやれ。

 その男は……特にボコボコにしろ。」


 だが暫くして、その怒りに震えた彼の口から、パンリは恐ろしい言葉を聞いた。



「ちっ!

 そう来るか!!」


 咄嗟に、かばうように身を乗り出す彼女。



 男どもは不思議と、先程のように、棒を利用して飛んでは来ない。

 普通に、ナイフを片手に襲い掛かってくる。


 彼女はその凶刃の軌道を読み、パンリを地に押し付けると。

 突っ込んできた相手の手首を簡単に取って捻り、掴み上げる。



「……ッ!」


 もがく暇も無い、一瞬だった。



「―――《雷・グェ・ルブ》!!」


 彼女の言葉と共に。

 鼓膜を襲う裂音。



 そして目の前で起こる局所的な発光に、パンリは思わず目を細める。

 動物が焼けたような臭気の煙の中で、敵影が揺れる。



「……!!」


 その惨状が判った時、パンリは気を失いかけた。



 全身の穴から煙を立ち昇らせ、眼球が蒸発した顔面から地に伏す相手。


 彼女は彼の手首を握っており、その先端は木炭のように真っ黒に焦げていた。

 気味の悪い臭いは、そこから放たれているのだ。



「次に死にたい奴…かかってこい。」


 その手首を無造作に放り投げ、彼女が挑発すると、途端、男どもは遠巻きになった。



「―――二代目!!」


 形勢が傾きつつあるそこへ、さらに若い男の声が響く。


 その彼は、皆が注目する中。

 例の棒に乗って器用に風車から風車へと渡り、彼女の元に着地した。



「…ベルッサス。」


 パンリには、その名を呼んだ彼女の声が、少し安堵したように聴こえた。



「遅れてすみません。」


 言いながらゴーグルを下ろし、集団へと向かい合う彼。



「もういい加減にしろ、兄貴。

 亡き師が、あの世で嘆いているぞ!!」


「うるせえぞ、この腐れ弟が。

 ……《風・ハイ・バウル》。」


 それをいなすように自身はゴーグルをかけ直し、唱えるコルスス。


 すると突如、彼の足元に風の力場が発生する。

 そこで初めて、彼等は手にした棒に乗り、その風を利用して飛んで行くのであった。



「…ここは一旦、引いてやる。

 だが…てめえのツラ…忘れねえからな…。

 ぜってえ八つ裂きにして、ぶち殺してやる。」


 コルススは去り際に、厚いガラスの奥から恐ろしい瞳相をのぞかせて、それらを呆然と見上げているパンリに告げた。



 平穏無事な暮らしを求めた矢先の彼だったが。


 それとは程遠い運命が、待ち受けていたものであった。



◆ ◆



 広場の裏手に設けられた卓。

 そこでワインとチーズを囲み、談笑するギルドの関係者らしき一団。



 バーグは付近の茂みに隠れ、その面々を確認していた。



 案の定、その中には、傭兵時代に知った顔の人間が何名かいる。


 そして、忘れようとしても忘れられない、一つの顔。

 自分が過去に殴ったギルドの主人であった。



(こいつも、来賓らいひんとして呼ばれているのか…)


 込み上げて来る、恨みとも怒りとも分からない、不思議な感情。



(わざわざ確認しに来て良かったぜ。

 …シュナには悪いが、俺はこの大会には出れそうにねえな…。)


 ギルドの出入りが禁止されている身である。

 たとえ入賞しても、それが理由で、取り消されるのが目に見えていた。



 バーグは拳で地を叩き。

 自分の過去の所業を、そこで初めて呪った。



「―――いやはや、大変な催しになりましたな。」


 そんな彼の絶望をよそに。

 彼等は、酒を互いの杯に注ぎながら、労をねぎらい合っていた。



「しかし、これは費用がかさんで仕方がない。

 本部は何を考えて、こんなものを企画したのやら。」


「いや、滅多なことを言わないほうがいいですぞ。

 それは…」


 一人の愚痴を、誰かがいさめた正にその時。



「チバスティン=デスタロッサ男爵、お着きです。」


 給仕人の報告で、全員が反射的に背を伸ばした。



 そんな緊迫した空気の中を、外行きの装いで現れるデスタロッサ。

 彼は神経質そうに、ステッキを片手に集団を見回し。


 そして、目当ての人物―――ムーゼンクレタ社の会長へと近付き、握手を求めた。



「先程、到達した飛翔艦を拝見させて貰った。

 これまた随分と新しい物を、ご尽力いただけたようだが…。」


「いえいえ。」


 微笑んで応える相手。



「お礼でしたら、まずはギルドの皆様に。

 彼等の協力なくして、このような規模の大会はありえませんからな。」


 そして、全員を見回す。



「中王都市の今後の方針を取り入れれば、各国のギルドも忙しくなりますよ。

 その発祥の場所に立ち会えるなんて、皆様もさぞかし光栄でしょう。」


「?」


 そんな彼の言葉に対して、各街のギルドの主人達は一様に困惑した表情を浮かべた。



「これはこれは。

 どうやら皆様は、この大会の趣旨を理解していないご様子。

 男爵。

 いかがですかな、ギルド総本部の意向を動かした名演説を、今ここで披露されては。」


 恩に着たばかりの人間にそう促されては、引けなかった。



「……これは随分と前から協議されているのだが―――中王都市は、個人の飛翔艦乗り達に対して、『特権』を授けることを

検討している。」


 咳払いと共に、デスタロッサはグラスを卓に置く。



「具体的に説明すれば、軍の施設を利用でき、そこで武器・食料などを調達させて貰えるということだ。

 『ギルドに認められ、そこで正式登録された飛翔艦乗り』を限定にな。」


 絶妙なアクセントを入れて、説明を続ける彼。



「…この法律が適用されれば、モグリの飛翔艦は淘汰され。

 さらに、依頼の達成率の向上にも繋がることは、疑いようがない。」


 初めは漠然と聞いていた各主人達も、そこでようやく事の重大さに気付き、色めきだつ。



「何よりも……個人の飛翔艦を、実質的に政府側へと取り込む事が出来るのは大きい。

 有事の際に、彼等を予備軍として使えれば、単純に国力の増強にも繋がるだろう。」


 デスタロッサは、そこで言葉を止めなかった。



「そして今大会は、飛翔艦文化の高盛をアピールする絶好の機会と共に。

 あらゆる身分や種族の垣根を越えて、その門を大きく開け広げたという点において、重要な意味合いを持つ。

 …これは、まだ小さな波だろうが、将来、確実に大きくなるだろう。

 皆様、中王都市の永遠の安寧のため、どうか手を貸していただきたい。」


 そして話の締めくくりに、帽子を外して会釈する。


 万雷の拍手は、すぐに巻き起こった。



(…つまり、これから先…飛翔艦に乗る限り…。

 ギルドとの関係は…切っても切れなくなるってことか…?)


 だが、それを隠れたまま聞いていたバーグは、さらに愕然としていた。



「………冗談じゃねえ。」


 その場から中腰のまま離れ、泥の中を歩くように重い足を引きずる。



(…これから先、もう一緒に居れないな…。

 だが最後に、せめてこの大会だけは…何とか、あいつらに勝たせてやりてえ……。)


 首にかけた妻の形見の鎖を握り締め、祈るような思いで目を閉じたその時。



 彼は脇に、荷車が置いてあるのを発見した。


 近寄って覗いてみると、おそらく予備であろう。

 例の大道芸人達の着ぐるみが、大量に置いてある。



 抜け殻のようにしぼんだ胴体部は元より。

 固い材質で造られた頭部は、見れば見るほど、粗末な顔のつくりだった。


 クマを模しているといっても、黄土色をベースの楕円形に半円の耳を繋ぎ、目と口を付けたのみである。



 だが、その中の一つが。

 何かを訴えるように、自分の方へと向いているように見えた。



「……ジャグマー君か…」


 そんな黒いガラス玉で出来た瞳を眺めているうち。

 彼は誘われるように、それを手に取っていた。



「―――おい、そこのあんた。」


「!?」


 そこで、背後からかけられる声。

 焦ったバーグは、手にしていた着ぐるみの頭部を、反射的に被ってしまう。



「いま荷物が届いたから、手伝ってくれ。」


 振り返れば、大会の雑用係らしき男が、別の荷車から手招きをしていた。



「………。」


 そこで逃げれば怪しまれると思い、クマの頭部を着けたまま歩み寄るバーグ。



「これを、夕方になったら、参加者に渡してもらうからな。

 そろそろ他の連中も呼んできてくれ。」


 荷車には、ずた袋が山のように積まれていた。



「…それにしても、コーラルサーカスも大変だよなあ。

 この大会の運営中、ずっと手伝うんだろ?」


 それらを降ろしながら、しみじみと呟く彼。



「…ずっと?」


 バーグは着ぐるみの中から、小さな声で訊いた。



「何だ、下っ端か。

 おまえら、大会の『雑用』と『監視員』をするんだろ?

 詳しいことは、後で団長さんにでも聞くんだな。

 ……ちなみに俺は、このスタート地点だけのバイトだから楽だがね。」


 相手はそうして、自慢するように歯を見せて笑った。








◆ ◆



◆ ◆



「…ダメ。

 二人とも、宿にいないわ。」


 息を切らせながら、シュナが席に戻る。



 空も湖も、既に夕暮れのせいで朱色に染まっていた。

 慌しかった周囲の様子も整いつつあり、いよいよ大会の幕が上がろうとしているのを感じる。



「バーグさんの荷物はそのままだから、どこかをウロついているんだろうけど、パンリは戻った様子すら無いのよ。

 ずっと前から、逃げる算段をしてたんだわ……あの卑怯者!!」


「…ま、仕方ねえだろ。」


 戒は、歯の隙間を掃除していた肉料理の串を皿に置き、それをテーブルの端へと寄せた。



「体力面から考えても……あいつにとっては、それが賢明じゃねえか。」


 そして落ちかけた陽を眺め、納得したように呟く。



「どうして、そんなに平然としていられるわけ?

 あんたたち、友達じゃなかったの?」


「………。」


「私は、友達のつもりだったわ。

 だからこそ、こうやって真剣に怒ったり、心配したりするのよ。」


 シュナは胸に手を当てながら、そこから随分と離れたテーブルにいる、ザナナと世羅の方を見た。

 ご丁寧にも皿を別にして、二人きりで食事をしたような様子が見てとれる。



「…私たち、完全にバラバラじゃない。

 こんな状態で、本当に勝てるの?」


「知らねえよ。」


 意気の消沈と疲労でテーブルに伏せる彼女を、戒は視界に入れないようにした。



《お集まりの皆様に申し上げます…。

 広場中央の壇上にご注目下さい…》


 そこで、妙にエコーがかった声が広場に響く。



「…二人のことは諦めろ。

 どうやら、タイムアウトだ。」


 立ち上がる戒。



《只今より、第一回リエディン杯、中王都市大競技会を開催いたします…。》


 広場の真ん中に設けられた、高い演壇。

 そこに立つのは、煌びやかなドレスに身を包む魔導人形だった。



 背中に、玩具のような白い羽根の飾り。

 それとは対照的に、無機質な表情には、妖艶な赤いルージュとアイシャドウが引かれていた。


 そしてさらに、その首の脇に、もう一つの首。

 青のルージュの顔が、眠ったように瞼を閉じている。



《進行は私、『真実を伝える魔導人形』、ハーニャンが務めさせていただきます。

 以後お見知りおきを。》


 口内に装備した拡声器で、周囲に呼びかけ。

 礼儀正しく、お辞儀をする。


 だが双頭の人形とは、何とも面妖で悪趣味だと、誰もが感じつつ、そこへと足を向けた。



《このたびは、記念すべき第一回目の大会となります。

 まずは、競技をこの地で行う由来についてご説明いたしましょう。

 ……自らの名を冠した『リエディン王国』を『中王都市』と改名された先代の王は、稀代の名君と誉れ高い方でありました。

 このケンリントンの村は、その美しい景観から、かの王が生前に、特に愛した地方と言い伝えられております。》


 柔らかい手振りで景色を示しながら。



《時は流れ…今、大陸における飛翔艦文化は、最高盛を見せようとしております。

 中王都市が、その世界の流れに遅れをとらないのは、まさにかの王の偉業無しには語れないところであります。

 …この地での開催とあいなりましたのは、それを偲ぶためでもあるのです。》


 人形は流暢りゅうちょうに言葉を続ける。



《さて、既にご存知かとは思いますが……。

 本大会では公報した通り、入賞した上位三組に『飛翔艦』が進呈されます。

 ご覧下さい、あの雄姿を…》


 そうして、勢い良く手で示す湖面。


 だがそこに停泊しているのは、先程到着した飛翔艦が一隻のみで、さきほど感動を味わったばかりの、人々の反応は薄かった。


 そこでスーツ姿の女性が壇上へ駆け上がり、耳打ちをする。



《―――の予定でしたが、思いのほか運搬に手間取っているようです。

 ゆえに今はまだ、一隻しか到着しておりませんが……最終日には首都にて、その雄姿を拝めることと思います。》


 直後、淡々と付け加える人形。

 白けた空気が、若干の不安を運び込んだ。



《特典は、こればかりではありません。

 上位入賞された各組には、首都の宮殿におきまして、王室政府主催のパーティーへご招待など、様々な副賞が御座います。

 どうぞ振るってご参加下さい……。》





「……よし…。」


 喜びを思わず口走ったような、呟き。

 戒がそれを聞いたのは、進行役の人形が『宮殿でのパーティ』の話に及んだ時であった。



(飛翔艦よりも、そっちに興味を示す奴もいるのか…。)


 声が聴こえた方へ目を向けると、そこはすっかり混雑しており、誰がその言葉を呟いたのかは全く判断がつかなかった。



《なお、賞品である飛翔艦の扱いについて、自信の無い方もご安心下さい。

 本大会では、飛翔艦乗りの人口を増やすことも、活動の一環としております。

 そのような方々が賞品を獲得された場合、ギルドが責任をもって訓練させていただき、立派な飛翔艦乗りへと

仕立てて差し上げます。》


「―――!!」


 続く説明に、思わず踵を浮かせる世羅。



「良かったな、世羅。」


「うん!!」


 ザナナがかけた言葉に、彼女は眩しい笑顔を向ける。



「………。」


 いかにも楽しそうな二人を、戒は取り残されたようにして眺めていた。



《続きまして、競技内容の説明に移ります。》


 そんな中、魔導人形の話は本題へと移る。



《まずは、指針を。

 この大会では……飛翔艦乗りにおいて、特に大事とされる三つの要素。

 『勇気』と『知恵』と『体力』を競っていただきます。》


「…勇気と知恵と体力だって?」


「そんなの、誰が決めたのよ。」


 人形から飛び出した常套文句に、所々で沸く嘲笑。



《選手の皆様には、この湖の対面に位置する首都を目指し、半円を描くように西の陸路を進んでいただきます。

 詳しいコース説明は、スタート直前まで控えさせていただきますが…前半はケンリントンの森、後半はアルチーユ洞窟。

 いずれも、言わずと知れた難所が、待ち構えております。》


 同時。

 演壇の脇に、簡易的な地図が係員によって設置される。



《それでは。

 参加を希望する各組の代表者は、お近くのジャグマー君から、こちらの袋をお受け取り下さい。》


 さらに、『その時』は唐突に訪れた。


 ずた袋を手に取り、高々と掲げる人形。

 それを合図に、同様の袋を両手から提げたクマの着ぐるみ達が、演壇の影からコミカルな歩調で広場に進行する。


 予想だにしない、その急な出来事に、人々は半分パニックの状態で殺到した。



「こ…このタイミングで出すのか…?

 何考えてやがる!!」


 背後から押し寄せてくる人波に飲まれ、戒が叫ぶ。


 他の三人も、そばを離れないでいるのがやっとであった。



《一組につき、一つです。

 慌てないで下さい。》


 人の濁流を眼下に、淡々と口を開く魔導人形。



《それと……もう一点。

 大事な約束事がございました…》


 やや低音の口調に。

 一瞬、広場全体の動きが止まる。



《本競技におきまして……我々主催者側は、『参加選手の命の保障を一切いたしません』。

 皆様におかれましては、袋を受け取った時点で、それに『同意』したとみなさせていただきます。》


 目を見張る全員。

 一転、奇妙な静けさが、辺りを包み込む。



「そりゃあ一体、どういうことだよ!

 人形のねーちゃん!!」


 その寂を破るように、演壇の真下から、酔いどれが酒瓶を片手に大声で喚いた。



《うるせーよ、バカ!!》


 彼に目を見開いて答えたのは、魔導人形のもう片方の首、青いルージュの顔であった。



《てめーらは、いわば、飛翔艦という餌に目が眩んだ亡者ども!

 これから始まる地獄で利を得るには、それなりの覚悟が必要だってこどだ、アバババ!!》


 興奮のあまり、口から謎の液体を振りまきながら、首を回転させる人形。

 だが右手がクッキーを取り出し、口元までに運ぶと、それをむさぼるようにしてかじりつく。



《大変、失礼いたしました…。》


 青いルージュの顔が、そのクッキーに夢中になっている隙に。

 淡々と進行する、赤いルージュの顔。



《残念ながら、『競技』に関する質問には、一切お答え出来ません。

 ただし、参加自体は、明日の正午―――スタート直前まで受け付ける予定です。

 只今から行う説明を聞いてから参加を決められても、遅くは無いかと存じます。》


 その言葉で、各所から安堵の声が漏れた。



 そしてそれからというもの、ほとんど誰もが、袋には手を伸ばさなかった。

 あのような脅しをかけられては、当然である。



「……。」


 だが戒は、それらの言に、どこか引っかかるものがあった。



「後でも参加が許されるだと…?

 だったら、何でこんな……あえて混乱を招くような真似をしたんだ?」


 自問のような戒の問いかけに、世羅とザナナは全く反応を返さない。

 彼は仕方なく、シュナに目を向ける。



「知るわけないでしょ。

 私は、大会の関係者じゃないんだから。」


「……くそったれ。

 こんな時に、フィンデルがいりゃあ…」


 彼は口惜しそうに唇を噛んだ。



「悪かったわね!」


 怒り、そっぽを向くシュナ。


 その彼女の向こう側。

 大半の人間が動かないのに対し、確信を持った表情で、迷わずに袋を取りに行く者達がいた。


 戒はそこで、注意深く周囲を観察してみる。

 すると、そもそも、クマの着ぐるみ達が持つ袋の数が、少なすぎることに気付く。



「…まてよ。

 あの人形……質問が『競技』に関するから、拒否をするって言ったな……!」


 呟きながら、ようやく駆け出す戒。

 だが寸前のところで、最後の一袋を目の前に、割り込まれてしまう。



「へっへ。

 悪いな、にいちゃん。

 これは、おれの……ぶッ!?」


 相手が勝利の笑みをこぼした瞬間、前方で勢い良く反転したジャグマー君から、見事な裏拳が炸裂した。



「……?」


 男が吹き飛んだ後、何事も無かったように、戒の目の前に差し出される袋。



(なんだ、このクマ…!?

 …あいつを妨害したように見えたが…)


 警戒しつつ、それに手を伸ばす彼。


 周囲も皆、異様な空気に呑まれまいと必死である。

 個人の些事には、誰も気付く様子が無い。



《当面の参加希望者達に、袋が行き渡ったようです。

 では続けて、競技内容の説明に移ります。》


 壇上から再び放たれる、魔導人形の言葉。


 反射的に見上げ、聞き入る戒。

 気が付けば、袋がその手に持たされていた。



 振り向くと、着ぐるみ達は集結して、再び広場の端へと引っ込んでいく。

 不審なものがどれなのか、今となっては区別がつかなかった。



「どうしたのよ、戒。」


 彼を追いかけてきたシュナが、後ろから訊く。



「別に、慌てなくてもいいんでしょ?

 説明の後からでも参加できるんだから。」


「ああ……それは嘘じゃないだろうな。

 だが、あえて『謎かけ』に乗ってやったぜ。」


「?」


 不可解だと言わんばかりの表情を浮かべる彼女をよそに、戒は再び壇上へと視線を向けた。



《さて、参加を決断された勇気ある方々は、ぜひ私の説明と共にご作業願います。》


 続けられる説明。



《……まずは、袋をお開き下さい。

 番号が刻印された、この『リーダー・ブレスレッド』が入っているかと思います。

 これを参加登録後に紛失されますと、組ごと失格となってしまいますので、ご注意下さい。》


「…これか。」


 戒も腕輪を取り、眺めてみる。

 そこにはしっかりと、『18番』の刻印がしてあった。



《…次に、このホルダーを、手にお取りください。》


 今度は、細い皮製のベルトを取り出して、頭上に掲げる人形。



 十数個のリング状のものが、連なって通っている。


 色の他に、装飾すら無い。

 口径は、小指にはめるのがやっとのくらいであった。



《内訳は…金のリングが1個、銀のリングが5個、白のリングが10個です。》


 言葉に合わせて、人形はそれらを丁寧に数えて見せる。



《これらは、金が100ポイント

 銀は10P、白は1Pとなっております。》


「……?」


 広場全体に訪れる、一瞬の考えの間。



《大会ではァ、ゴール地点まで集めたポイントの、総得点を競うんだよ!!

 このバカチンども!!

 それくらい、すぐに理解しろれら!!》


 クッキーの欠片かけらを吹きながら、再び青いルージュが口を開く。



《…そう。

 本競技の勝敗は、ゴール地点に到達する順位を争うものではありません。

 ゴールに到達した組が所有する、総得点で決まるのです。》


 そこで理解の溜め息が、広場を包み込んだ。



《ちなみにこのリングは、各コースでの課題をクリアすることによって、大量に獲得できます。

 他にも、コース上のあらゆる場所に落ちておりますし、また、別の組が所有している物を奪うのも有効な手です。

 様々なことに挑戦して、より多くのリングを集めて下さい。》


 手にしたホルダーを掲げたまま、人形は続けた。



《…これらは同時に、金銭の代わりにもなっております。

 競技中に必要な道具類は全て、各特設場にて、このリングとの『交換』という形をとらせていただきます。

 ゆえに、武器の持ち込みは一切禁止。

 水や食料も同様とさせていただきます。》


 その言葉に、ザナナが反応する。

 彼ばかりでなく、腕に自信のある者は、大抵が動揺しているようだった。



《ちなみに、1Pは大陸通貨の100ヤクスに相当します。

 それと同価値の品物と、交換が可能だとお考え下さい。》


《つまり、競技で楽をするには、リングを使わなくてはならねー。

 だが、それを節約しないと、勝つことが出来ねー。

 このバランスが重要ってことだよォーーーな!!

 バヒャーヒャッヒャッ!!》


 青いルージュの顔が、高い壇上から見下して、けたたましく下品に笑った。



《なお、先のブレスレッドとリングに関しましては、最も重要なルールがございます。

 自分達の物は勿論のこと、他の組から奪った物も全て、必ず、『他者から見える箇所』に装着して下さい。

 荷物に紛れ込ませたり、地中に隠したりするなどの悪質な反則行為は、監視員によって発見され次第、失格とさせていただきます。》


《それらは、錬金術で出来た特殊な合金だ!

 重量の面では、ほとんど差し支えねーから、どんどん集めやがれ!!》



(―――だが、目立つ……な。

 つまり『狩りすぎた組』は、そのぶん標的にされるってことだ。

 …それなら、確かに公平か。)


 試しに着けてみた腕輪を眺めながら、頷く戒。



 そのうちに、壇上では係の者が、説明に使っていた袋と道具類を片付ける。

 広場は、暫し休息の気配を見せた。



「…ちょっと、ザナナさん。

 どこへ行くんですか。」


 そこで、場を抜けようとする豹頭に、強い口調で声を掛けるシュナ。



「先に、宿へ戻る。」


 ザナナは背を向け、そこで寝息を立てている世羅を二人に見せて、淡々と述べた。



「…話が難しすぎて、寝てしまったようだ。

 実はザナナも、良くわからん。

 後で、わかりやすく、頼む。」


「…あ、ああ。」


 戒が生返事をする間に、彼は足早に去って行く。



「いいの?」


 シュナが小声になって訊いた。



「仕方ねえだろ。

 まったく、ガキなんだからよ…。」


「違うってば。

 …宿に二人っきりになるのよ?」


「想像力、はたらかせすぎだぞ。」


 戒は顔を引きつらせ、空を見上げた。



「でも、男と女じゃない。

 随分と仲がいいみたいだし…」


「たとえそういう関係だってな、俺様には関係ねえんだよ。」


「明日からのレースには、影響しないわけ?

 あんたの気持ち的に。」


「…もう、次から次へと問題を提起するな。

 ただでさえ、明日のことで頭が一杯なのによ…。」


 うんざりして、重い息を吐く彼。



「それだって、あんたが一人で抱えることないのよ。

 あのパートナー達は、何も考えて無さすぎだわ。」


「だからこそ、俺様が頭脳役なんだ。

 あいつらには明日、存分に体で働いてもらう。」


「…やっぱり、私、バーグさんとパンリを探してくるわ。

 二組で協力した方が絶対、楽になるだろうし。」


「……おい…」


 離れていくシュナに向けて、戒は自然と腕を伸ばしていた。


 この辛い時に一番の頼りになるのが、邪険に扱ってきた彼女だという事実が、重く圧し掛かった。



《…それでは、次も重要な項目、『中立地帯』について説明いたします。》


 遠くで、人形の説明が再開する。



《中立地帯とは、このスタート地点、各チェックポイント、コース中間の選手村……そして、ゴールのことを指します。

 これらの場所での戦闘行為も、発覚した時点で失格となりますのでご注意下さい。》


 一呼吸置く、人形。



《ただし、それ以外での戦闘行為は、全て有効となります。

 そこに関するルールも、一切ございません。》


 その言葉が巻き起こしたのは、この夜、一番のざわめき。


 広場の各所で議論が沸き起こる。



《コースについての詳しい説明は、スタート直前のお楽しみということで、今日はお開きだぜ!

 諸君、これが最後の夜になるかもしれねーから、せいぜい心残りの無いようにな!!

 ギャワハハハハハ……!!》


 収まらない騒ぎの中、片方の頭が不吉な事を口走りつつ、演壇を降りる人形。


 それと入れ替わって壇上に現れるのは、例のクマの着ぐるみ達。

 ここから参加を決めた希望者達に、袋を配る作業を、大々的に行うようだった。





「つまり……凶器攻撃、急所攻撃。

 相手を怪我させようが、殺そうが何でもオッケーってことか。

 とんでもねえ、大会だな…。」


「ええ、まったく…。」


 苦笑しながら、前の二人が呟いた。



「あわわ……」


 その背後で、震える顎を押さえながら、失神寸前になるパンリ。



「今からブルってて、どうするんだよ。

 ま、今夜はとりあえず飛翔艦に戻って、ゆっくり作戦でも練ろうや。」


 彼女は陽気に、指で袋を回しながら彼の肩を叩く。


 そして湖へと、足を向けた時。



「!!」


 パンリは、人混みから抜け出てきたシュナと、鉢合わせをした。



「………。」


 無言のまま指の骨を鳴らしながら、歩み寄る彼女。



「…あんた……何してるの…。

 おかげで、こっちは大変な思いしてるってのに…」


「いやそのぉ…」


 殺意に満ち溢れる形相を前に、弁解の余地は無いように思えた。



「…知り合いか?」


 頭を掻きながら、後ろから訊くゴーグルの女。

 シュナは一瞬、それを睨みつけてから、一気に近付いた。



「戻るわよ!

 これからバーグさんも探して、参加の準備をしないといけないんだから…」


 そして、パンリの腕を取り、強く引く。

 だがそれは、想像よりも強い力で抗ってきた。



「……すみません…。

 実は……この人達と競技に参加することになってしまって…。」


「!?」


 そのまま細く呟かれるパンリの言葉に、彼女は困惑する。



「…私も……今度こそ、この厳しい環境の中で…強くなりたいんです。

 ……いや、強くなってみせます…。

 だから…私のことは……しばらく…放っておいて下さい。」


 気弱な彼は。

 語る間、決して顔を合わせようとしなかった。


 だが、恐れながらも、精一杯に意を示そうとするその姿に、シュナは思わず気を取られていた。



◆ ◆ ◆



「…申し訳ありません、二代目。

 奴等、停戦協定を無視してくるとは…。」


「いいってことよ。

 あたしも、まさか会場の村で襲撃してくるとは思わなかったしな。」


 風車前のあぜ道に腰掛けて、汗を拭い。

 呑気に笑いながら、女は応えた。



「あ、あの……わた……八つ裂きにって…どういう…」


 だが、先の争いごとの毒気にあてられて。

 その傍らで気を動転させているパンリが、彼女の裾を引く。



「ああ、悪ィ悪ィ。

 あたしのせいで、恨み買っちまったな。」


「この少年が…どうかしたのですか?。」


 男がその尋常でない様子に驚いて、訊いた。



「コルススの野郎が、あんまりしつこいんでよ。

 当面の恋人役にしたんだが…見事に逆上させちまった。」


「……それはそうでしょう。」


 軽い冗談のように笑って言い放つ彼女に、彼は眉間を押さえて、肩を落とす。



「…貴女たちは一体、何なんですか……!?

 見たところ…」


「先に断っておくけど、賊やマフィアの類いじゃねえぞ。

 たまに間違えられるけどな。」


 何かを言いかけたパンリの機先を制する彼女。



「『カジェット空挺団』っていう、空の何でも屋さ。

 そして、あたしは、頭領の二代目:カジェット=セイルクロウ。

 よろしくな。」


 そこでようやく、ゴーグルを首まで下ろす彼女。

 続けて、無理矢理、パンリの手をとって握手をする。



「…私は……パンリといいます…。」


 見とれながら、呟く彼。

 目の前で露になった彼女の顔は、粗野な言葉とかけ離れた、美人そのものだったのである。



「君も巻き込まれてしまったからには、知る権利があるでしょう。

 ……説明いたします。」


 その間ずっと、脇で難しい表情を浮かべていた男は、意を決して言った。



「…実は、あれは仲間同士の抗争でして。」


「仲間同士?」


「ええ。

 我々、カジェット空挺団は、二隻の飛翔艦を有しています。

 一隻は頭領として二代目が任され、もう一隻は、副頭領として、あのコルススが任されてました。」


 そこで一度、彼は語尾を弱め。



「ところが先日、すでに病にて引退していた……先代が亡くなられたのです。」


 感慨深げな表情を浮かべて、唇を強く噛む。



「それを好機とばかりに、血気盛んなコルススは、組織の乗っ取りをかけてきました。

 我々は当然、抵抗し……そして全面抗争に。」


「うわぁ…」


 思わず顔をしかめるパンリ。



「その挙句、奴は自分の力をさらに誇示しようと、二代目を妻にめとろうなど……まさに言語道断です。」


 男は、さらに怒りの拳を震わせていた。



「……状況は把握できました。

 でもそれがどうして、この村に?」


「ああ、それか。」


 その問いに、今度はカジェット自身が口を開いた。



「初めは何でもなかった小競り合いが、日々を重ねるごとにエスカレートしちまってよ。

 ついには飛翔艦同士でドンパチやったら、お互いにヤバイくらい壊れちまって。」


「………。」


 照れながら答える彼女に、パンリは絶句する。



「そこへ、飛翔艦が手に入るという大会の情報を聞きつけたのです。

 私達は一旦、停戦の協定を結び、この村に到ったのですが…」


「…なるほど……。

 それで、あの場面に繋がるわけですか……」


 パンリは溜め息混じりに、呟いた。



「それで、私は、これからどうすればいいんです?

 せっかく、この国を出ようとした矢先なのに、いつ襲撃されるか…」


「困ったねえ…。

 あたしも、大会に参加しなくちゃならんし。

 でも、そうすると、あんたを守れないだろ…?」


「ならば、二代目はお控え下さい。

 我々だけで、飛翔艦を勝ち取ります…。」


 男は真剣な眼差しで、二人の間に割って入る。



「ベルッサスよ、そりゃあ無理だ。

 確かに、お前はウチの艦ではナンバー2の腕前だけど、あのコルススにゃ勝てんぜ。」


「……く…。」


 悔しそうに、自分の拳を風車小屋の壁に叩きつける彼。



「貴方は確か…彼を兄と呼んでいたようですが…。」


 その様子に同情しながら、パンリが訊いた。



「…はい。

 あの男は、私の実の兄なのです。

 恥ずかしながら。」


 ベルッサスは再び、苦しそうに唇を噛み締める。



「まったく……亡き師に顔向けできません。」


「あんまり、気に病むなって。

 てめえは生真面目すぎんだよ。」


 豪快に笑い飛ばしながら彼の背を叩き、それを慰めるカジェット。



「…なあ、パンリ。

 こうなったらさあ、おまえも大会に参加してくれねえか?」


「……どういう…ことでしょう?」


 そして急に思いついたような彼女の言葉に、彼は半身を引いて返した。



「おまえを守りつつ、飛翔艦を手にするには、この方法しかねえ。

 頼む!!

 見返りとして、このカジェット流の源法術、みっちり教えてやるから!!」


 目の前で拝むようにして手を合わせ、巨体を迫らせる彼女。



「二代目!

 それは……門外不出…」


「背に腹は変えられねえだろ!!」


 ベルッサスの制止にも、彼女は頑として言い張った。



「…あの、それって、さっきの飛行術みたいなの…ですか?」


 興味のまま、訊いてみるパンリ。



「ああ。

 『素質』があれば……それも、だな。」


 彼女は光る唇に含みを持たせて、誘うように笑った。



◆ ◆ ◆



「……どうしても、自分を変えたいんです。

 私は、強くなりたい!!」


 パンリが、目一杯の大声で叫ぶ。



「もう…肝心な時に役に立たないなんて、嫌なんです!」


「……パンリ…。」


 その決意の言葉に、シュナは諦めたように肩の力を抜いて、髪をかき上げて背を向けた。



「何があったか知らないけど……わかったわ。

 あんたが自分の力の無さを、そんなに思い詰めてたなんて知らなかった。

 …もう勝手にしなさい。」


「シュナさん…」


 表情をほころばせる彼。

 だが、その油断した顔面をめがけて、再び向き直った彼女の手が飛んだ。



「―――なんて、言うわけないでしょ!!

 『強さ』ってのは、日々の鍛錬の積み重ねなのよ!!

 しかも、こんな危険な競技の最中に……なめてるんじゃない!!」


「い、いだだだだだ!!!」


 頬を思い切りつねられ、悶絶するパンリ。

 それを見かねて、カジェットがシュナの手を取る。



「…言ってることはもっともだが……。

 パンリは、もうあたしの弟子同然なんだ。

 勝手に折檻せっかんしないで欲しいね。」


 そして挑発的な笑みを浮かべ、大きな胸を突き出す彼女。



「それに、そんなに頭ごなしに恫喝したら、まともな判断なんて出来やしないだろ?」


「部外者は引っ込んでなさいよ。」


 真正面から対抗し、その胸の下から、さらに自分の胸を突き上げるシュナ。



(…すごい人だな…。

 あの二代目と張り合うなんて…。)


 ベルッサスは若干の距離を置きながら、そんな二人のやりとりに喉を鳴らす。



「…もう、いいわ。

 だけど、最後に一つだけ聞かせて頂戴。

 あんたは……こいつらに脅されているんじゃなくて、自分の意思でそこにいるのよね?」


 このまま相手と睨み合っていても埒が明かないと思い、シュナはパンリに訊いた。



「……はい…。

 …ごめんなさい…ごめんなさい…。

 ……でも、決めたんです…!」


 下を向いたまま、嗚咽する彼。



「…あんたも……あの時の戒と同じだわ!

 何の相談もしないで、勝手に…!!」


 次の瞬間。

 堪えきれなくなった彼女も、三人から顔を背け、走り去る。



「本気で怒ってたなァ…。」


 カジェットは半分呆気にとられながら、それを見送り。



(……いい友達じゃねえか。)


 傍で震えてい彼の小さな肩を、優しく抱いてやった。



◆ ◆



 まるで祭の後のように閑散とした広場を、縦断し。



「…失礼する。」


 主催者側の詰所となっているテントの、入り口をくぐる二人。



 無骨な挨拶をした、細身の若い剣士。

 幅広の甲冑で、全身を固めている男。



 彼等に共通しているのは、腰に下げた剣とマントに施された、七つの菱型ひしがたの紋章だった。


 大陸に列強七国が成立した時。

 その拠をレンセン共和国に移した時に創られた、ギルド総本部の証である。



 彼等は普段なら、諸手を挙げて歓迎される身分だったが。

 今のテント内は、既に人もまばらで、静けさが返ってくるばかりだった。



「……。」


 それをむしろ好都合とばかりに、刺すような鋭い眼光で、一人一人を確認する剣士。



「…待て、男爵殿がいらっしゃる。

 ご挨拶を。」


 そこで気付いた甲冑の男は会釈をし、彼に促す。



「構わんよ。」


 遠くから、デスタロッサは手で遮るような素振りを見せた。



《ご苦労です。

 勇士、ドゥナガン。

 重闘士、セアムリッヒ。》


 その代わりに接近するのは、先の進行役の魔導人形であった。


 それが彼等と同様の紋章が入った書簡を携えていたため、二人は即時に理解する。



「極めて不快だ。

 本部からの急な要請で戦地から駆けつけてみれば、このような茶番を見せ付けられ……。

 我々に、何をしろというのだ。」


 だが臆面も無く、言い放つ若者。



「私からも、正当な理由を説明いただきたいな。

 せっかくの余暇が台無しだよ。」


 甲冑の男も、嘆きの声をあげる。



《…解析、終わりました。

 あの広場にいた者……ルサシウル系・トラル人、204名。

 亜ルサシウル系・トラル人、43名。

 スラリック系・シウル人、16名。

 蛮族の類、9名。

 その他・人種識別不明、13名。

 計285名……最大で95組の参加が見込まれます。》


 それまで、黙って演算作業を行っていた、青いルージュの首が告げる。



《…よろしい。

 そのうち、20組に先行配布した『上位』の腕輪は、ギルドの手の者で8割を回収しました。

 98%の確率で、我々は上位を独占できます。》


 それに答える、赤いルージュの首。



「……?」


 一方、得体の知れない問答に、対面の二人は顔を見合わせる。



《御二方には、優勝することを前提に、この大会に参加していただきます。

 これは勿論、ギルド総本部の正式な依頼で御座います。》


 魔導人形は口元に微笑をたたえながら、『1番』の刻印が入った腕輪を差し出した。



「…失礼、私は席を外させてもらうよ。」


 そこで、おもむろに立ち上がるデスタロッサ。



「お気を遣わせて申し訳ございません。」


 首すら向けず、魔導人形は返した。



「……出立なされるのですか?」


 彼に付き添う秘書のウェンが、テントを抜けてから言った。



「予定が詰まっていてな。

 最終日には、何とか首都に顔を出せるようにする。

 …後は任せたぞ。

 まあ、あれだけギルドが何もかもやってくれるのなら、特に問題も起こるまい。」


「…はい。」


 皮肉のように付け加える彼に、彼女は内心で辟易しながら返事をした。



「ところで、デスタロッサ様。

 これは……出来レースなのですか?」


 何も聞かされていなかった彼女は、出来るだけ声を小さくして訊く。



「飛翔艦は非常に高額だ。

 こうでもしなければ、企業もギルドの連中も、首を縦には振るまい。

 こちらは大会の開催という、当初の目的が達成できれば良い。」


 彼は、いとも平然と答え。



「それにしても、総本部め。

 七星剣を与えた傭兵を使うか…。

 やり方を任せた身としては、文句は言えんが……」


 唇を歪ませながら、歩を早める。



 そして広場出口のアーチで、通行人とすれ違った時。

 彼にしては珍しく、両目を剥くほど狼狽し、背後を凝視した。



 感じる威厳。


 それは、薄着の大柄な男だった。



 だが、すぐさまデスタロッサは首を振り、再び視線を前に戻す。



「どうなさいました?」


「私も疲れているようだ。

 …到底、このような場所に見えられるような御方ではない。」



 彼女からの問いに対し、彼は己を嘲るように笑った。







◆ ◆



◆ ◆



 ケンリントンの夜は冷えることもなく、穏やかであった。



 戒は一人。

 パブのテラスへ戻り、明日の作戦を立てる。



 魔導人形の説明では、自分が期待していたような、各組の協力を規制するようなルールは無かった。



 ポイント制―――この競技の特性が、個人参加に向いていないのは明らかである。


 運営側は、いかにも素人を歓迎するような文句を述べていたが。

 これは端頭から、飛翔艦を扱える組織力を試しているといっても過言ではない。



 気が付けば、目の前の広場にはもはや、一時の活気は消えていた。

 何の対応策も思いつけないまま、時間ばかりが過ぎていくようである。



「―――まいっちゃうわ、まったく!!」


 暗沌した思案の中、戒の前に再び姿を見せるシュナ。

 そして席につくなり、彼が手にしていたグラスを奪い、それで乾いた喉を潤す。



「何よこれ、アルコール入りじゃない。

 …まさか、『ヤケ』を起こしてるんじゃないでしょうね?」


「バカ、夜はこういうのしか出さないんだとよ。

 ……それより、どうした?」


 半ば図星を当てられたのを誤魔化すように、彼は早口で訊いた。



「パンリを見付けたの。」


 口を拭いつつ答える彼女。



「でも、あいつ……妙な連中と一緒になってて。

 そいつらと組んで、この競技に出るとか言ってるのよ。」


「…何だと?」


「パンリのくせに生意気でしょ?」


「あいつが本当に、俺様の敵に回るって言ったのか。」


「…別に、そこまで露骨じゃないけど…。

 何だか…『強くなりたい』とか言ってたわよ。

 そんなに甘くないのにね。」


「強く……?」


 シュナの言葉を反芻はんすうしながら、思わず宙に浮かせた腰を椅子へ戻しつつ、目を泳がせる戒。



 だが途中、その視界に入る。

 演壇の傍をうろつく大男。


 その彼はしきりに、地図と大会規約が貼られた掲示板を、興味深そうに眺めていた。



「……!?」


 戒は、その長い顎鬚と、体に纏う薄布という、極めて特徴的な風貌に釘付けになり。

 座りかけた尻を椅子から外し、床に転げ落ちる。



「何やってんのよ、あんた!」


 その失態を大いに笑うシュナ。



 だが戒の方は、ほんのわずか口にした酒が、こんなにも早く回ったのか。

 そんなことばかりを真剣に考えていた。



「…やべえな…。

 …タンダニアの……ふ…フンドシ野郎が…見えるなんてよ…」


 そして床に座り込んだまま、虚ろな表情で呻く。



「タンダニア…?」


 彼女は怪訝な表情を浮かべた。



「あ、いや……何でもねえ。

 こんな場所に…いるわけねえんだ…。」


 その言葉と裏腹に、身を隠すように前傾する彼。



「でも……タンダニアっていえばさ、あそこに行ってからというもの…わたしたち…。

 ついてないわよね〜!!」


 何も知らない彼女は、冗談混じりに大声を上げた。



「―――ほほう、随分な言われようじゃな。」


 そこで突然の背後からの気配に、戒は硬直する。

 前の広場を見れば、既に男の姿は無い。



「…誰……この人?

 ……知り…合い?」


 圧倒されながらも、それを凝視している対面のシュナの瞳に映る偉丈夫。



「陛下ァ〜!!」


 さらに、情けない声を張り上げて、広場の隅から猛然と駆けて来る若い女性。

 その両手には、手の長い小猿を抱いていた。



「……もう…酔いのせいじゃねえな、これは…」


 観念し、戒は気を落ち着かせながら片膝を立てる。

 それだけ、どこか記憶に新しい彼等の姿は確定的だった。



「おう、アリアネ、どうした。」


「どうした、ではありません!

 まったく…目を離せば、すぐどこかに行ってしまわれるのですから…!」


 一方、傍で繰り広げられる二人のやりとりを、シュナは漠然と眺めていた。



「お前がさっき言ってた……そこの国の王様と、親衛隊長だよ。」


 言葉少なげに、囁いて教えてやる戒。



「パンリだけじゃなく……あんたまで、私をコケにするつもり?」


 それに対し、彼女は冷淡に返す。



「冗談で、こんなバカげたこと言えるか…。

 大方……来賓で呼ばれたんだろうが…」


「いやいや、そうではないぞ。」


 小声にも関わらず、タンダニスはそれに反応して答えた。



「じゃあ……どうして…」


 血相を変えて立ち上がる戒。



「この通り、わしは地獄耳でのう。

 首都で、そこの娘が艦長殿と話しているのを聞いてしまったのじゃ。」


「艦……まさか、フィンデルに会ったのか…?」


「うむ。

 実は、此度の件を直接、謝ろうと思って…な……!?」


 飛び出した戒の拳が、喋っている途中のタンダニスの頬を捉えていた。


 その強靭な首は、びくともしなかったが。

 突然の凶行に、脇のシュナは両手で口元を覆う。



「……殴るぞてめえ!!」


 続けざま、その胸襟を掴んでくびり、背を伸ばして迫る戒。



「…もう殴っておるではないか。」


 タンダニスは、少し驚いた様子で呟いた。



「ぶ、無礼な……!

 陛下に向かって…!!」


 それまで呆気に取られていたアリアネが、ようやく腰の細剣を抜く。



「うるせえ。

 てめえも『陛下、陛下』とか、連呼してんじゃねーよ。

 この田舎モン丸出し女。」


 戒は据わった目つきで、一瞬だけ彼女の方を見やる。


 既に、通行人やテラスの他の客の視線が集まりだしていた。



「…謝るだと?……余計な事を…。

 てめえらみたいな身分の連中がノコノコやって来たら……。

 あいつのことだ……また責任を感じて、背負っちまうだろうがよ…!」


 だが、そんな周囲の様子に目もくれず、再び凄む。

 タンダニスは、ただ、その言葉に目を伏せるばかりだった。



「…すまぬ。

 少し、後先を考えておらんかった。」


「何でもかんでも、詫びを入れりゃ済むと思ってんのか!?」


「よしなさいよ、戒。」


 さらに激昂していく彼に、静かに告げるシュナ。



「…私も基本的には、あんたと同意見よ。

 でも、フィンデルさんは……少し元気を取り戻したように見えたわ…。

 きっと、王様が会いに来てくれたおかげで。」


「……!」


「…そういう立場の人間が、こんな所まで来るなんて…今はまだ、半信半疑だけど…。

 謝罪以外の他意が無いのは判る。

 裏の無い、真っ直ぐな心だから……きっと、フィンデルさんなら、なおさら感じ入ったはずだわ。」


 彼女は無感情を装いながら、淡々と続け。



「ありがとうございました。」


 さらにかしこまり、彼等に頭を丁寧に下げる。

 立つ瀬の無くなった戒は、タンダニスから手を離し、勢いよく席に座り込んだ。



「それと、すみません。

 こいつ…ホントにバカで……歴史にも疎いから、陛下がどんなに偉大な人物なのかも理解せずに手を…」


「こんな奴等に、謝ることなんかねえ!」


「…まだ言うの、この!!」


 シュナが叱り飛ばすと、彼は不満そうに顔を背ける。



「……剣を収めよ、アリアネ。」


 そんな二人を眺めつつ、タンダニスは呟いた。



「…しかし、陛下に手を上げたのは重罪に値します…」


 眉をひそめながらも、その命に従う彼女。



「いや……むしろ、救われたよ。」


 だが彼はそう洩らし、感じ入ったように頬をさすった。



「アリアネ。

 わしに残されておる時間は、幾日じゃ?」


「……いくらオーンヒルデとはいえ、陛下の不在を隠し通せるのは、10日程度が限界かと…」


「充分じゃな。」


「…何が…でございますか?」


 アリアネは嫌な予感を感じつつ、尋ねた。



「中王都市の事柄に触れる絶好の機会が、目の前にあるのじゃ。

 これを逃す手はない…参加しないわけにはいくまいて。」


「……あ?」


 耳に入る彼等の言葉に、まず反応したのは戒だった。



「待てよ。

 てめえらは負い目があるから、俺様達の手助けをしたいとか、また単純に考えているんだろうがな。

 ……そんな同情は、まっぴら御免だ。

 色々と問題になる前に、とっとと自分の国に帰りやがれ。」


 そして、憮然として言い放つ。



「早合点するでない。

 もう、そなたらのする事に水を差そうなどとは、思っとらん。」


「何?」


「こっちはこっちで、勝手にやらせてもらうつもりじゃ。

 ついでに最新の飛翔艦を持ち帰れたら、軍事大臣も、さぞかし喜ぶであろうな。」


 その言葉に、今度はアリアネも飛び上がった。



「ば、馬鹿げてる…!

 そんなことが、本気で許されると思ってんのかっ!?」


「そうですよ!

 お考え直し下さい、陛下!!」


 そして意図せずに言葉を共にする、戒と彼女。



「いやじゃ。

 さっきの一撃で吹っ切れたわ。

 わしはもう、とことん楽しむぞ、この祭を。」


 だが、その王の面の皮の厚いこと、この上なかった。



「こ……こうなったら…」


 説得を無理と悟った戒は、そこで反転し。



「てめえら、良く聞きやがれ!

 ここにタンダニアの―――」


 テーブルをわざと騒がしく打ち鳴らして、大声で叫ぶ。


 だが直後、その口に差し込まれる酒瓶。

 それを握っているのは、なんとシュナであった。



「……ん…んぐ……!?

 …ぐ……ぅ……」


 その勢い開いた喉へ、大量の酒を一気に流し込まれ。

 戒は凄まじい勢いで顔面からテーブルに突っ伏した後、ぴくりとも動かなくなる。



「そ…その方は…仲間ではないのですか?」


「ええ、仲間よ。」


 そのあまりに乱暴な扱いに驚くアリアネの問いに、笑って答えるシュナ。



「……でも今回は、そちらに協力いたしますわ、陛下。」


 続けて、彼女はこうも言った。



「…ほう。

 それはまた、何故じゃ?」


「色々と事情がありまして…私は参加できなかったんです。

 そちらも、ちょうど一人足りないご様子ですし。

 …お互いにとって、悪い話ではないと思いますけど…。」


「この件、そなたに利益は無いぞ?」


「だって一国の主にわざわざ御足労いただいて、ただでお返しするのは礼儀に反するじゃありませんか。」


「……面白い女子おなごよの。」


 全く物怖じせずに提言するシュナに対し、タンダニスは思わず破顔した。



「よかろう。

 交渉成立じゃな。」


「陛下!

 まさか、この女を信用なさるおつもりで!?」


 声を荒げて、横槍を入れるアリアネ。



「ちょっと、親衛隊長さん!」


 それに萎縮するどころか、シュナは向き直って言った。



「あなた、そんなに簡単に『陛下』なんて口にしていたら、すぐにボロを出すわよ。」


「な…ならば、どのように呼んだら良いと……」


「それ、口癖のようなものだから、すぐには直せないでしょう?

 だからいっそのこと、陛下には大会中、『ヘイカ』という偽名で参加してもらいます。

 いざという時も、これなら言い訳もつきますから。」


「妙案じゃ。

 おぬし、頭も切れるな。」


 シュナは早くも、タンダニスの評価を得たようだった。



「そのお召し物も、目立ちますね…。

 ちょっと夜も遅いですけど、服を見に、店へ繰り出しませんか?」


「…うむ。」


 そこで肩に飛び移る小猿を連れ、彼女と共に行く彼。

 アリアネは歯軋りしながら、渋々、その二人の後を追う。



 後に残されたのは、酔い潰された戒という惨状のみ。



 大きな月の下。

 これでは、明日の策の発案どころか、夢を見ることさえも許されないようであった。





 湖に停泊した半壊の飛翔艦。

 その焦げ付いた嫌な匂いは、内部にも届いていた。



 飛翔艦自体に良い印象が無いパンリは、特に緊張しながら、カジェットの背にぴたりと張り付くようにして、足を踏み入れる。


 その通路はルベランセと比べ、幅の余裕が無く、圧迫感があった。



「…二代目。

 先ほど、確認を取ったのですが…。」


 途中。

 帰還してすぐに姿を消したベルッサスが追いついて、神妙な顔つきで報告してくる。



「奴等の奇襲によって、多数の負傷者が出ております。

 明日からの競技の組分けは、どういたしましょう?」


「そうだなァ。」


 カジェットは歩みを止めずに、応えた。



「少しでも体調に不安がある奴は、出ないよう伝えろ。

 あと、腕に自信が無い奴もな。」


「そうしますと……2〜3組ほどしか出場できませんが…」


「それでいいよ。

 あのルールじゃ、半端な奴だと死んじまう。」


「了解です。

 ……おそらく、苦しい戦いになりますね。」


「まあな。」


 あえて苦境を望まんとばかりに、何故か含み笑いで返す彼女。



「あと……そいつらには、何も心配せずに養生しろって伝えておいてくれや。」


「了解です。」


 それを聞き終えてから、ベルッサスは軽く礼をして走り去る。

 パンリはずっと、その両者の機敏なやりとりを眺めていた。



「どうした?」


 その視線に気付き、カジェットが訊く。



「いえ……何だか…すごいなあって。」


 遠慮がちに呟くパンリ。



「あ? 何が?」


「大変…なんでしょうね…頭領の仕事って。

 でも、あんなにテキパキと指示を下せるなんて…。」


「え、そんなことかよ。」


 拍子抜けしたように、彼女は苦笑を浮かべた。



「慣れだよ、慣れ。

 指示って言うには、あたしのは大雑把だし。

 細かいところは、ベルッサスの奴がやってくれる。」


 そして歩を止め、廊下の壁に手を触れる。



「この艦を一つ飛ばすんだって、あたし一人の力じゃ無理だ。

 それは何事も、みんな同じさ。

 少しずつ、仲間が力を出し合って支えているんだよ。」


「まるで役に立たない人とか…いないんですか?」


「お前の言いたいこと、何となく分かるよ。」


 先の彼とシュナとのやりとりを思い返しながら、彼女は頭を掻いた。



「でもな…必要ない人間だったら、はじめっから乗せねえさ。

 それだけ、空は危険なんだ。」


「……そういう…ものですか…。」


「…ああ。

 お情けじゃ、絶対に乗せたりはしないな。」


 彼女は自身の言葉に頷きながら、再び進み、廊下奥の一室の扉を開く。


 脱ぎ捨てられた衣服がそのままのベッド一台と、少し散らかった床。

 覗くのは、そんな殺風景な室内。



「…っと。

 ここが、あたしの部屋だ。」


「………。」


「なに、ボーっと突っ立ってんだ。

 遠慮せずに、早く入りな。」


 先に入室したカジェットは、早速ツナギを上だけ脱いで、下着姿になって言う。



「ええっ!

 あっ、相室…なんですか!?」


「我慢しておくれよ。

 部屋の数が少ないんだからさ。」


 それが何事でもないような顔で、彼女は続けた。



「こ、困りますよ…私……」


「普通、こっちの台詞だろ、それ。

 あたしがいいって言ってんだから、いいじゃんか。」


「し、しかしですねぇ…」


「こんなことで揉めてる時間は無えんだぞ。」


 そして本棚から、使い古した本を取り出して放る彼女。



「とりあえず、源法術の基本は暗記からだ。

 今夜中に、憶えられるだけ憶えろ。」


「あ……は、はい!」


 一転、急にらしくなってきた展開に、パンリは元気よく返事をした。



「本当は、お前に術を覚えさせるのは、あくまでも『条件』だし、後回しでもいいかなって思ってたんだ。

 でも……ちょっと考え方に相違があったみてえだな。」


「…すみません。

 何だか…利用するみたいで…。」


「いいさ。

 お前がさっき、友達に見せたような根性……あたしは嫌いじゃない。」


 爽やかだが、厳しさもこもった目でカジェットは見詰めてくる。



「でもな……まがりなりにも、この短期間で人並みの術者になろうってんだ。

 常人がするよりも100倍の努力をしろ。

 ま、明日からは、実戦には事欠かないシチュエーションだし…才能があれば、上達も早いかもな。」


「……はい…。」


 その脅しともとれる言葉で、今度は全身を強張らせるパンリ。



「本当に、自分の部屋だと思って楽にしてくれよ。

 その暑苦しいフードも取っていいからさ…」


「!!」


 だが、彼女が優しさから服に触れようした矢先、彼は即座にその手を振り払った。



「す、すみません…このままでいいです…。

 もう…暗記に集中したいものですから……。」


 その行為に唖然とするカジェットに顔を背けて、呟く。



 拒絶したのは、反射的だった。


 垂耳だということを明かして、幸福になった試しなど、今まで無い。

 そんな恐れが、手を動かしたのである。



 カジェットの方はといえば、それで気を悪くすることも特に無く。



 そのことを、その時は、まるで気にも留めていなかった。



◆ ◆



 参加者達にとっての夜。

 そして迎える早朝までの時の流れは、とりわけ早く過ぎ去っていくようだった。



 正午を間近に控え、パブのテラスまで迎えに来たシュナは、既に聖弓隊の制服を身に纏っている。



「―――てめえだけ、ちゃっかり準備万端してんじゃねえよ!

 あかげでこっちは、二日酔いの頭を抱えてるってのに!!」


 一方、ぼさぼさの頭で、死んだ魚のような瞳で喚き散らす戒。

 そのままテラスで夜を明かしてしまい、体力的にも精神的にも、完全にグロッキー状態である。



「そりゃ、大変だわね。

 飲みすぎは体の毒よ?」


「てめえ……。

 俺様が、昨夜のことを憶えてないとでも…思ってんのか……!?」


 彼女に迫ったもの、すぐに反対側へ走り、道端で嘔吐する彼。



「平凡な服も、とってもお似合いで…素敵です……陛下。」


「そうか?

 どうにも、きつくてかなわんのう…」


 その向こうから。

 瞳を輝かせたアリアネに付き添われながら、現れるタンダニス。


 彼は昨夜のうちに、なめし革のジャケットにズボンという、無難な軽装にさせられていた。



「…おう、若いの。

 どうじゃ、調子は?」


「何でお前ら、まだここにいるんだ?

 まさか本当に参加を…」


 そして股ぐらを直しながら、当然の如く声をかけてくる彼に、戒は面食らう。



「実は私もね、陛下の組に入れてもらったの。

 …世羅とザナナさんにも、事情は説明してあるから安心して。」


「な…!?」


 補足するシュナの言葉に、思わず後ずさる彼。



「それと、私達の荷物と梅さんは、お二人が乗ってきた馬車で運んでもらうから。」


「…お前の行動力には……ときどき、恐ろしくなるんだが…。」


 そして後は、ただ溜め息ばかりが口から漏れていく。



「楽しくなりそうじゃな。

 年甲斐もなく、ワクワクしてくるわい。」


 スタート地点とされる村のはずれへと向きを変え、タンダニスは晴天に向かって笑う。

 それを先頭に、彼等は歩き出した。



「……もう何も言わねえ。

 せめて、敵にまわるなよ。」


 戒はこぼしながら、後ろからタンダニスの装着した腕輪の番号を見る。



(…フンドシ野郎は、174番か…。)


 続けて、彼は自分の腕輪も確認した。



(俺は18番…。

 あいつらが参加を決めたのは遅かったとはいえ……随分と開いているな。

 そんなに人数がいたようには、思えなかったが…)


「……戒、今のうちに渡しておくわ。」


 そこで、背後から声をかけてくるシュナ。

 彼女は新品の眼鏡を手にしていた。



「王様の服を選んでた時に、ついでに買ってきたの。

 お互い…もう二度と会えなくなるかもしれないし。

 弁償するっていう、あの約束……今のうちに。」


「よくも、そんな不吉なことを、ぬけぬけと…」


 彼女の改まった言葉に口元を引き締め、戒はそれを受け取ってポケットに忍ばせる。



 それから間もなく。

 遠くに見え始めた門に、戒のおかげで待ちぼうけを食らわされている、世羅とザナナの姿が見えた。





 一面の森を前にして、厳重な柵が設けられていた。


 選手以外の人間が立ち入れないよう、たった一つの入り口となっている門では、不正を防ぐボディチェックと

参加者の登録が行われている。



 登録方法は至って単純。

 腕輪の番号が記された紙に、三名の手形を押すのみ。


 そして、その後の身体検査を通過すれば、物品の保管所へ案内されることになる。



 整然と並んだ長い机の上に置かれているのは、各種の武器・道具類。

 先日の説明どおり、どれにも値札が付いており、それと等価のリングと交換できるようである。



(こういうのは……わからねえな。)


 試しに、手頃な剣を手にとってみる戒。

 刃の付き具合はともかく、メーカーの名前が、かなり大き目に刃の腹に刻印されていた。



「何だよこれ……宣伝じゃねえか…。」


 他にも、槍、斧、飛び道具など、武器の種類は多様に渡っていた。


 ザナナ本人からは弱音らしきものは聞いていないが、普段の彼の槍が使えないことが、どう響くかは未知数である。



「ええ?

 それでいいんですか?」


 そんな中での、シュナの大声。

 戒は自然と、そちらへ顔を向けた。



「…他国では穏便に済ましたいからのう。

 わしは、これで良い。」


 木剣を右手に携えて、答えるタンダニス。



「賛成です、

 陛下ほどの武芸者ならば、どのような武器でも遅れをとるはずがありません。」


 アリアネも同様の物を手に取り、断言した。



「でもぉ…見たかったです…。

 世に聞こえる、陛下の『至高の槍』の腕前を。」


 甘えた声で残念そうに、自分は安物の弓矢を取るシュナ。



「はっは!

 それはまた、別の機会にの。」


 おだてられたタンダニスは、上機嫌であった。


 そんな楽しそうな彼等の様子に、戒は引き寄せられる。



「…なあ、おい。

 何か考えてるのか、今日の作戦?」


「作戦?」


 そして背後から、シュナに向かって小声で訊く彼。



「…別に無いわよ。

 ただ、『楽しくやりましょう』ってのは約束したけどね。」


 さらに三人分の水と携帯食料を両手に抱え、彼女は返した。



「…おいおい、序盤からそんなに散財して……。

 もっと節約しろって。」


「あんたの方こそ、そんなのでいいの?

 水と食料、一人分だけなんて。」


「それくらい現地で調達する。

 何と言っても、こっちにはサバイバルの達人がいるんだからな。」


 自信に満ちた顔で振り返る戒。

 だがそこには、目的のザナナはおろか、世羅の姿すら既に無い。


 代わりに、ここでも雑用としてかり出されているジャグマー君が、リングを所望して、手を伸ばしていた。



「…もうとっくに、武器を選んで出て行ったわよ。

 森の中、あんただけ置いてけぼりにされないように、せいぜい気をつけなさいね。」


 舌を出して笑うシュナも、一足先にタンダニス達とその場を後にする。



「……くそったれ…。」


 焦りながら、急いでリングを清算する戒。

 だがそこで、新たに入ってくる別の組にパンリの姿を見て、動きを止める。



「……あ。

 ど、どうも……戒くん。」


 シュナが上手く説明していることを祈りつつ、引きつった表情で手を上げる彼。



「……よう、裏切り者。」


 だが、皮肉をたっぷりと込めた笑みで近付いて来る戒に、淡い期待は早くも打ち砕かれる。



「何だ、その棒切れは。

 森の中で舟でも漕ぐつもりか?」


 そして三人が手に携えてきた物体を見て、彼はからかうように笑った。



「馬鹿にしないでおくれよ。

 ウチの伝統の『風来棒ふうらいぼう』を。」


 怯えるパンリをかばうように、立ち塞がったのはカジェット。



「それ、武器になるんじゃねえのか?

 ルール違反だろ。」


「チェックは通ったんだ。

 これ以上、イチャモンつけやがると、承知しねえぞ。」


 握り拳を作り、彼女は参加を示す腕輪を突き出す。



「……やめとくぜ。

 競技開始前に争っても、失格になるだけだしな。」


 このまま一触即発かと思いきや、それは意外にも、戒の方から離れて行った。



「…コルススほどじゃねえが、あいつも恐い顔してんなァ。」


 気張った息と共に、感想を洩らす彼女。



「でも、ああ見えても…根は優しいんですよ……」


 パンリは青褪めた表情で、説得力に欠ける言葉を呟くので精一杯だった。



◆ ◆



 静寂の後。

 気に障る金属音と、砂利を踏みつけを耳に受けて。


 それまで門に寄りかかり、腕を組んで待機していたドゥナガンは刮目する。



「やあ、お早う。

 ご機嫌いかがかな。」


 案の定。

 目の前に到着したセアムリッヒは、全身に甲冑という、昨夜のままのいでたちだった。



「…いいんですか。」


 特別な傭兵であることが割れてしまうような物品以外は、互いに身に着けていないとはいえ。

 ドゥナガンは、それを見るなり呟いていた。



「この鎧か?

 それとも、この肥満の体型かね?」


 だが相手は微笑を浮かべながら、上げられた兜のバイザーをつまむ。



「…両方です。」


「この競技は、レースのような形式だからな。

 君が不安に思うのも無理はない。」


「……。」


「しかし、杞憂だ。

 私のこの姿も体型も、昔から少しも変わっていない。

 今でも、半日に3万Mは走れる自信があるよ。」


「それは心強い。」


 ドゥナガンは素っ気無く返すと、腰のベルトから垂らした短い鎖を指で弄りながら、再び傍の門柱に背をもたれかけた。



「ところで……まだ、『三人目』は到着していないのか?」


「ええ。

 あの魔導人形との打ち合わせでは、ここに来るはずなんですがね。」


 セアムリッヒの問いに、頷く彼。


 既に自分達を除いた全ての参加者がこの門をくぐっていることは、周囲の気配からして明らかであった。



「…ところで、聞いたかね?

 どうやら、あそこに停泊している、三位賞品の飛翔艦……。

 3000万Yもするらしいぞ。」


 だが、甲冑の彼は、呑気にも遠くの湖を指差して笑う。



「あれでも飛翔艦の中では、まだまだ小さい部類らしい。

 優勝賞品のやつは、ゆうに1億を越えるとか言っている。」


「…重大じゃないですか。

 我々の任務は。」


 それでも興味無さそうに感想を述べるドゥナガンに、彼は苦笑して甲冑の肩口を擦った。



「この件でギルドの息がかかった者が優勝できた場合、賞品は返却する。

 だが、それが出来なかった時は、買い取りだ。

 二位と三位の賞品も同様。

 まったく……いくら大会を盛り上げたいからといって、馬鹿な取引きをしたもの…」


「―――白昼堂々と本部批判ですか……流石は、七星剣の方々は違いますねえ…。」


 彼の愚痴に被せるように、門の内から言葉を割りこませる小男がいた。



「…誰かね、君は。」


「ロメスって言うもんです。」


「……『三人目』か。」


 ドゥナガンの詰問に頷き、小男は書類の束を片手に持ったまま近付く。



「ロメス……聞いたことがない名だが。」


「ええ。

 そうでしょうとも、そうでしょうとも。

 おたくらと違って、あっしはチンケな傭兵ですから。」


 呟くセアムリッヒに、前歯を剥き出す彼。



「…ただ、記憶力だけは、誰よりも自信がありましてね。

 今も、参加者の顔とブレスレッドの番号を一致させて憶えてたんですよ。

 ちなみにコースの地理や、隠されたリングの配置も、全て頭に入っています。」


 そして、自分の側頭部を指で突いて得意げに話す。

 その様子を、ドゥナガンは無言で睨みつけた。



「まあまあ。

 そんなに、恐い顔をしなさんな。

 何も、不正をするわけじゃあないんです。

 正々堂々、こうやって参加するわけだから。」


「正々堂々だと?」


「よしたまえ、ドゥナガン。

 君もだ、ロメス。」


 セアムリッヒは、強い口調に変えて言った。



「我々の任務は、ただ優勝することのみ。

 各々、私情を捨て、尽力しようではないか。」


 そして甲冑の音を響かせながら、自ら率先して門をくぐる。



(流石は、上手にまとめなさる。

 セアムリッヒ…42歳……か。

 ガトランザの剣闘士ランヴェールを引退後、傭兵業で名を馳せる。

 場数も踏んでいるようだし……リーダー的な資質も充分のようだ。)


 それを追いながら、ロメスは頭の中で、ギルドから提供された資料を繰り返す。



(一方…こっちの、ドゥナガンは19歳……。

 各国の紛争地域などに赴いている、遊撃専門の剣士だが…それは単独任務が主で、社交性にはやや欠ける。

 しかし、私とこの二人の組み合わせは……本部がそう判断を下したように、意外と上手く噛み合う感じがするな……!!)


 そして、脇の青年を横目に、手ごたえを感じていた。



 彼もまた、この任務の手柄によって、ギルドからの信用と評価を得ることを目的とする。


 ―――夢を見る、獣であった。



◆ ◆



 門を抜ければ、そこは柵の外。


 前方に深い森林を挟み。

 血気盛んそうな参加者達が横に並ぶ中、戒は先に出た二人を探していた。



《―――それでは、競技の開始前に…前半コースの説明を簡単にいたします。》


 響きわたる声の後に、内門が閉められる軋音。

 皆がそれに目を向けると、柵外の高台から、前夜の双頭の魔導人形が姿を見せていた。



《すでに地図からも推測されている方も多いかと存じますが…。

 前半のコースとなるのは、この目の前に広がるケンリントンの森。

 まず皆様には、その途中にあるチェックポイントで『課題』をクリアしていただき、中間地点の『選手村』を目指していただきます。》


 逃げ場を失い、囚人のような心持ちになる参加者達に対し。

 冷淡に言葉を続ける人形の様は、まさに牢獄を見下ろす看守である。



《ここで、昨夜は触れなかったルールを明かしたいと思います。

 これは決して、組同士の争いを増長するわけではありませんが…。

 各リングだけでなく、皆様のリーダー・ブレスレッドも『ポイント』として加算させていただきます。》



 そこで、割れんばかりの喚声とざわめきが、一帯を支配する。



《ただしこれは、ゴールに辿り着いた組が所有するブレスレッドに限定します。

 かなりの高得点となっておりますので、それらを集めることこそ、最も優勝への近道かもしれません…。》


 少し緩やかな調子で、人形は付け加えた。



(…得点だと…本当にそれだけか?

 他にも何か……秘密があるはずだ。

 …確か、パンリの組は15番だったな…。)


 人垣を掻き分けながら、戒は思い返す。

 彼がパンリに絡んでいったのは、それを確認するためでもあった。



(…番号と組の数が合ってねえのは、明らかじゃねえか。

 このスタート地点にいるのは、せいぜい300人……100組だ。

 フンドシ野郎達が最後の組だとしても、数がまるで合ってねえ。

 どうなってやがる……。)


 そうやって、自然と各組に目を向けるうち。



(……二桁以下の番号が…ほとんどねえのか…!?)


 彼は気が付いて、足を止めた。



(ならば、昨日…初めに渡されたブレスレッドが、二桁の番号……。

 だけど肝心な部分がわからねえ……それらに何が隠されているっていうんだ……?)


 スタート直前の急な種明かしによって、大抵の組は、自分達の腕輪が『ポイントになる』としか認識できていない。

 それらの『番号』自体について深く考えている人間は、まだ少なそうだった。



《なお、後半のコースにつきましては、選手村にて説明させていただきます…。》


《それまで、何組の参加者が残っているか、判らねえがな!

 ガハハハハ!》


 人形の片側の顔が目を開き、また高らかに笑う。


 そして、その脇に、競技の開始を知らせるための大砲が運ばれてくるのであった。



(シュナの言うとおり…こんなバラバラの状態じゃ勝てねえ…。)


 かくて本気の目へと変わりだす人間達の間を、さらに駆け足で進み、目を凝らす戒。



 戦いのルールが無いということで、やはり参加者は、強力な連中に厳選されている。

 空で味わってきたものと同等の殺気を肌で感じ、戒の焦りは一気に噴出した。



 準備不足の組など、どこにもいない。

 自分の方はといえば、仲間の居場所を探し、闇雲に駆けずり回っている有様である。



《それでは、競技開始まで、5分前…》


 人形によるカウントダウンが始まった時。

 戒はようやく、列の最右翼でリボンと着物姿を発見する。



(なんで……あんな端っこにいるんだ!

 スタートで出遅れるぞ…)


 鈍痛の残る自分の頭を叩き、さらに表情を険しく変えて。

 二人へ迫る。



「……いい加減にしろ。」


 そして遂に、彼は小さな肩を掴んでいた。



「一体、何が気にいらねえんだ。」


 驚いて振り向く世羅に対し、怒鳴るわけでもなく。

 諭すように、穏やかに言う。



「前に、約束…しただろ…。

 これからは、何でも正直に言えって……。

 俺様とお前は、同じ目標のはず…」


「?」


 しかし彼女は全く動じずに見詰め返してきたので、やがて調子が狂いだす言葉。



(まさか……それすら忘れてんじゃねえだろうな…。

 こいつの頭なら、ありえる…)


 その堂々とした態度を前に、冷や汗を垂らす彼。



「戒の言ってくれたことなら、全部おぼえてるよ。

 あたりまえじゃないか。」


 だが、やがて彼女は言った。



「……そ、それなら、何で避けるんだよ。」


 自分の言葉に、複雑な気持ちを感じながら、戒は問う。



「…だって、少しでも離れたら…。

 …ザナナが…また、どこか行っちゃうみたいで…。」


「!?」


 だが、そこで遠慮がちに呟かれる彼女の言葉に、戒は驚愕した。

 ザナナもその後ろで、困ったような目を向ける。



「ただ、そんな理由なのか?

 …昨日の夜、寝てたくせに……?」


「だって……話が長いんだもん…」


 痛いところを突いた言葉に、世羅は赤面してうつむいた。

 自分の思い違いと、その様子が可笑しくて、みるみるうちに脱力して笑う戒。



「紛らわしい……っての!!」


 そして、世羅の髪を強めに撫でる。



「……?」


 口を開けたまま、その一連の行為に呆けている彼女。



「…飛翔艦乗りになるんだろ?

 こいつは、お前のその願いを叶えるため、戻って来たんだぞ!

 それが、いなくなるわけ…」


 代弁する戒の肩を、ザナナは無言で触れた。



「ないぞ。」


 そして何も無い、横へと顔を向けながら、短く切って言う豹頭。



「え……そう……なの?

 ほんと?」



 真摯な表情で、世羅が再度聞いた。

 彼との別れが、よほど辛かったようで、いじらしい。



「…そういえば、まだ聞いていなかったな。

 これから、何を、どうすればいい?」


 その照れを隠すように、今度は戒に詰め寄るザナナ。



「どうせ、小難しいこと言ったって、てめえらには理解できねえんだろうよ…。

 苦労するぜ、まったく……」


 戒は苦笑と共に、前髪を両手で上げて直す。



「とにかく、全てを蹴散らして前へ突き進め。」


 そして続けられる、自信に満ちた言葉に、二人は躊躇せずに頷いた。



「……後は、俺様が帳尻を合わせてやる。」



 ここには、他の参加者達のような、『全』は無い。

 ひたすら『個』があるのみである。



 それでも何故か。

 戒の心から、気の後れは無くなっていた。





《競技開始まで、3分前…》


 開始までの僅かな時間を告げていく魔導人形。



「…なるほど、ギルドが描くシナリオはこうか。

 競技中はとにかく、ギルドの息のかかった各組が、リングとブレスレッドをかき集める。

 そしてゴールの間際で、選ばれた組にそれらを渡す。」


 その声に隠すように、セアムリッヒは仲間の二人へ囁いた。



「…その前にこちらが、手当たり次第に敵を潰して、ポイントを独占してしまえば良いんじゃないんですか?」


「いけませんよ。」


 ドゥナガンの短絡的な意見に、ロメスは厳しい口調で咎めた。



「お二人とも存分に力を発揮したいでしょうが、今回はあまり目立たぬように。

 ゴール直前まで、ポイントはなるべく分散させて、煙に巻くプランなんですから。」


「故意に、他の組に狙われないようにするわけか。」


「ええ、安全策だそうです。

 どうしても倒したいならば…突出して稼いでいる『優勝の恐れがありそうな組』に限定して下さい。

 そこで奪ったポイントも、私が記憶している組達に分けて渡しますんで。」



 ドゥナガンとセアムリッヒは、顔を見合わせた。

 ここで初めて、ロメスの存在価値というものが把握できたのである。


 ギルド側の上位独占を図るには、終了間際でのポイント調整が必要不可欠。

 その上で、味方の組を完全に識別できることの優位性は、計り知れない。


 しかも情報は一人に限定しているため、この不正ぎりぎりの行為も、発覚しにくいという利点もある。



 だが同時に。

 セアムリッヒは、その作戦が持つ弱点に気が付いた。



「……これは、私とドゥナガンには、全く心配は無い点だが…。

 万が一、君がやられてしまったらどうする?」


「私とて傭兵のはしくれ。

 身のこなしにも、それなりに自信がありますから。

 それは、本当に『万が一』ですよ。」


 ロメスは少し自尊心を傷付けられたように、むっとして。

 だが、直後に笑い直して言った。





 列の先頭に陣取るのは、自信の表れか。


 カジェットの組は、そこに陣取っていた。

 ただし、艦の仲間達とは別れて、単独である。



「何をなさっているんですか?」


 彼女が足で地に円を描いているのを見て、傍のパンリは訊いた。



「二人とも。

 スタートしたら、この円の『内側』で動くなよ。」


「え?

 それはどういう…」


「了解です、二代目。」


 困惑するパンリをよそに、それだけで通じたように返事をするベルッサス。



「……?

 そろそろ…始まってしまいますけど…?」


 パンリが危惧した直後、放たれる大砲。



 開始の合図の轟音に。

 列の先頭は初め、ためらいがちに足を動かす。


 やがて、それを追い立てるように迫り来る、無数の地響き。



「!!」


 それらとは、全く別の意図をした動きに、パンリは気付いた。


 ナイフを片手に、人波の隙間から這い出して来る男達。

 それは、コルススからの刺客である。



「―――《轟・ガルス・ラス》!!」


 だが、それを見越し、カジェットが迎撃として待ち構えていた術。

 足で描いた線から外に発生する衝撃が、彼女を中心にしてドーム状に広がっていく。



「《土・ダー・ナン》。」


 続けて、両手を地に付けて唱えるベルッサス。



 土が怒れたように唸りだし、地すべりを起こしていく。

 それも全て、円から外の部分に効果をもたらしていた。





 平静を装っていたが。

 二人の傭兵に侮られたことが、よほど堪えていたのだろう。


 ロメスは単独で飛び出し、列の中腹の集団を抜けていた。


 しかし突如として目の前で広がった術の衝撃に、それが完全に失敗だったことを悟る。



(―――え!?

 こんッ……こんなの、避けれるわけねえ……っ!?)


 陥没しながら流れる土に軸足を取られ、跳ぶことも逃げることも叶わない。



 先ほど大口を叩いていた風景が、走馬灯のように脳裏を流れた。


 この仕事のため、故郷においてきた妻の笑顔が、嫌に懐かしい。



 直後。


 先の祝砲よりも、幾段も大きな音が顔面で弾け。

 そして全身の皮に、何かが波紋のように広がっていく感覚。



「ロメス!!」


 用心して距離を取っていたドゥナガンは、陥没していく土の前で止まり、大きく宙を舞う彼を目で追った。


 周囲では。

 彼ばかりでなく、その他の人間も、かなりの数が巻き込まれている。



(…まずいな……!)


 同様に難を逃れていたセアムリッヒは、いち早く、彼が飛ばされた地点に駆け寄っていた。



 ―――しかし。



(…万が一が……起こってしまったぞ。)



 木の幹に引っかかった。

 ぼろくずのような彼を前に、兜を掻いて立ち尽くすばかりだった。



▼▼


第四章

第二話 『群狼』


▼▼


to be continued…




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