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4-1 「一つの邂逅」



This story is a thing written by RYUU


Air・Fantagista


Chapter 4

『Coming in flight warship age』


The first story

'Riadhin of encounter'





◆ ◆ ◆



 中王都市の首都―――リエディン。


 民主制が取られる以前の国名を残したそこは、世界でも有数の大都会として知られている。



 そして、中心部にそびえる王宮の程近い場所に設けられた、中王都市軍:総本部。


 この日の執務棟は、今までにない慌しさ包まれていた。



 東方へと派遣した、北部艦隊の壊滅。

 これは五日前にデスタロッサ隊によってもたらされた、最初の報である。


 だが、唯一の光明としてルベランセは生存し、モンスロンの亡命が相成ったという事を知り、ギルチは胸を撫で下ろしていた。


 ―――ところが、彼の人生で最悪の報告は、唐突に訪れた。



 三日前。


 タンダニアより、緊急の使者の来訪。

 彼等は戦闘騎から降りるなり、すぐに神妙な面持ちでむねを告げた。



 モンスロン卿、ディオール邸にて暗殺。

 近隣の街に駐留していたルベランセも、何者かの襲撃により中破。


 かろうじて危機を逃れた乗組員達は、おって送還するとのことであった。



 ギルチはそれからというもの、生きた心地がしなかった。


 軍の上層部にも、事の次第は当然ながら届けている。

 対策のための会議が催されるのも、時間の問題だった。



 己に責任問題が波及することは勿論として、それ以上に、彼には心に掛かっているものがある。


 それは、無理を押して今回の派遣に参加してもらったフィンデルのことであった。

 このような事態を、繊細な彼女は受け止めきれているのだろうか。


 情などをかけている状況ではないが、それを考えると、どうしても仕事が手につかなかった。



「……失礼いたします、准将。」


「ああ、入ってくれ。」


 思案の最中、執務室の扉の向こうからの呼びかけに、彼はすぐに応じた。



「タンダニアの飛翔艦、ただいま到着いたしました。」


「……来たか。」


 呟き、重い腰を上げるギルチ。


 そこで、対面した秘書官が大量の書類を抱えているのを目にする。



「…それは?」


「使者より預かりました、フィンデル大尉からの資料だそうです。」


「彼女が?」


 言われるまま受け取り、彼はそれに目を通す。



「その者が申しますには……大尉は寝る間も惜しんで、その報告書を作成していたと。

 そして、こちらが…」


 さらに取り出された、一枚の封筒。

 ギルチは横目で、それを見やる。



「共に預かりました、退役届けです。」


 そして続けられる言葉に、一瞬呆ける彼。



「…受け取った…のか……!?

 直接、彼女からの意思も確認せずに!!」


「…は……!

 もう、姿がありませんでしたので…どうしようもなく…。

 何か不都合が…ありましたでしょうか…」


 詰め寄った怒りの形相を目の前に、相手はしどろもどろになる。



「もういい…下がれ。」


「…よ、よろしいので…?」


「下がれと言っている!!」


 唾を飛沫させて叫ぶ、こんなにも感情を露にするギルチは、珍しい。


 秘書官は脱兎の如く、その場から退散した。



(…この良く出来た報告書…。

 …本気で戻らないつもりだな…フィンデル……)


 やがて静けさを取り戻した執務室で、ギルチは手元の書類を何度も繰り返し読みながら、彼女を想っていた。



 そこから更に時が経ち、再び執務室の扉を叩く音が訪れる。

 問うまでもない、今度は会議召喚の報せであろう。



 彼は机の上で書類の端を叩いてまとめ。

 わずかの間、瞳を閉じた。



 訪れるのが早過ぎた大一番に、用意した答えも、緊張する間も無い。



 ただ、覚悟だけが決まっていた。





◆ ◆ ◆



エア・ファンタジスタ

Air・Fantagista




第四章

飛翔艦時代到来



第一話 『一つの邂逅』



◆ ◆ ◆



◆ ◆




 朝靄あさもやの中。

 良く整備された石畳の街道を、馬車が行き交う。


 それも、田舎道を走るような汚い荷馬車ではない。

 れっきとした社交人が利用する、上品な装飾の施された小馬車である。



 その背景には、数多も立ち並ぶレンガ作りの建物と塔。

 雑多な人の往来。


 それらが全て混ざり合って、都会という空間を演出している。



 シュナが気分を変えるべく見上げた青空も、思ったよりずっと小さなものだったので、彼女は思わず目が回りそうになった。


 自分のとっておきの、胸元が広く開いた白のワンピースも、ここではそれほど目立つ物ではないと身の程も知る。



「ごめんなさいね、歩かせちゃって。

 もう、そんなに時間は、かからないから。」


 前を行くフィンデルから、かけられる言葉。

 それを聞いてシュナは我に返り、駆け足で追いついた。



「いえ…。

 ちょっと珍しくて……」


 都会の景色の他にも、軍服でない彼女の姿を見るのは、まだ慣れなかった。



 外見上は元気があるように見える。


 しかし、シュナはそれを額面通りには受け取っていなかった。

 ここへ来る間も、取りとめも無い会話を少々交わしたが、魂の入ってない言葉というのは、何となく判る。



「あら、見て。

 ここ……いい場所だと思わない?」


 休憩ついでに立ち止まり。

 フィンデルが示した指先を、シュナは追った。



 そこは角地の建物。


 大きな扉、日よけのオーニング。

 一面、ガラス張りの窓から奥を覗けば、厨房とダイニングテーブルが見えた。


 どうやら、空き店舗のようである。

 その旨を知らせる札が、扉に掛かっていた。



「ねえ、ここで、お店をやってみない?」


「え?」


 彼女の唐突な申し出に、気の抜けた声を洩らすシュナ。



「私ったら、手に職が何も無いでしょう?

 でも、お金は結構貯めてるの。

 だから出資人オーナーになって、貴女にお店を提供する。

 ……勿論、メニューとか経営方針も、全て任せるわ。

 貴女の料理の腕なら、きっと成功間違い無しよ。」


 フィンデルはそこで、無表情のまま立ち尽くしている相手に気付いて、照れながら言葉を止めた。



「…あ、ごめんなさい。

 自分だけ先走っちゃって。

 もちろん、嫌なら断っていいのよ?」


「いえ、嫌だなんてそんな…。

 でも…」


 胸の高鳴りを抑えつつ、シュナは口ごもる。


 料理人にとって、こんな話は千載一遇の機会と言ってもいい。

 何しろ、世界的に有名な街に、自分だけの店舗が構えられるのだ。


 そして何よりも、心から信頼出来る人間と手が組めるというのは大きい。



「…そ、その話…」


 口先に、自然と緊張が走る。

 だが、彼女は寸でのところで思い留まった。



「…フィンデルさん……おかしいですよ。

 急に…どうして、そんな風に…」


「…?」


(割り切れる……はず…ない…か。)


 フィンデルが見せる、乾いた笑顔の前で、言葉を飲み込むシュナ。



「とりあえず……その件は、ゆっくり考えさせて下さい。」


「そうね。

 でも、立地がいいから、先に誰かに買われないかしら。

 ちょっと心配。」


 彼女は名残惜しそうに。

 そして、その物件を舐めるようにして眺めながら、再び前を歩く。



 それから、大通りの脇道の一つに入り、その先を進むと細い坂があった。

 きつい傾斜を仰げば、その坂をなぞるようにして建築された住宅群が姿を見せる。



 シュナは少し緊張しながら、フィンデルの後に続くのであった。



◆ ◆



 一方、その二人と自ら進んで軍に残ることにしたミーサを除く他の面々も、特に軍隊に拘束されることも無く、

身柄を解放されていた。



 彼等はとりあえず、疲労した身体を休めるため、付近の宿屋で部屋を二つ、半日ほど借りることにした。


 乗ってきたタンダニアの飛翔艦では各個室に別れてしまい、何も話し合うことすら出来ずに、それぞれは

狭い部屋で鬱々と過ごしていたのだ。



 今では。

 それと対称的に、よく陽に干されているベッドのシーツの匂いが心地良い。



「もっと…行動が制限されるかと思ったんだがな。

 やっぱり、あそこの軍隊はどうかしてるぜ。」


「バカ言え。

 表向きに発表するどうかは知らんが……あのムーベルマに派遣された部隊は、『演習中の事故で全滅』と

いうことにするらしいぞ。」


 一息ついた後。

 早速、こぼし始める戒に、バーグが説明する。



「さらに、俺達を送り届けたのも、非公式らしい。

 タンダニアの連中が、そう取り計らってくれたそうだ。」


「……あいつらが?」


 戒は思い返した。


 数日前には、かの国の古い宮殿で、王とその重鎮達に謁見したことまでは憶えている。

 だがその後は、自分のことだけで手一杯の状態に陥り、完全に考えの外であった。


 ただ、自分たちが帰還する際、彼等は姿を見せなかったので、さほど気に留められていないのだろうと思い込んでいた。



「もし生きている人間がいるってことが、騎士団側に知られてみろ。

 きっと俺達も……これもんだぜ。」


 首元に自分の人指し指をあてがい、横に引くバーグ。

 脇でそれを眺めていたパンリが、唾を飲み込んで固まった。



「…そして軍としても、今後も個人をいちいち監視するとなれば、面倒だろ?

 幸い、生き残ったお前らは民間人だからな。

 いっそのこと完全に放流しちまった方が、利口ってやつさ。」


「つまり、俺様達は初めから、ルベランセに乗っていなかったことにしろ。

 そういうわけか?」


「そういうわけだ。」


 バーグが皮肉のように言い、紙幣の入った袋を取り出して顔をあおぐ。



「だからこそ、こんなにも口止め料をくれたんだろう。

 後は、上層部の問題……組織同士の争いさ。

 もう俺達には、どうにもならん。」


「だけど、てめえは正規の軍人だろ。

 むざむざ辞める必要は…」


「艦長…いや、フィンデルと同じように、いい機会だと思ってよ。

 俺はやっぱり、剣でも握っているのが性に合っているらしい。

 リジャンの奴にも……そう、さんざん言ってきたがな。」


「………。」


「しかし……お前にしちゃあ、いい判断だったよ。」


 バーグは悟ったような表情に変えて、ソファに半身を委ねた。



「何がだ?」


 訊き返す戒。



「シュナを、彼女に付き添わせたことだ。

 こういう時でも、女同士だったら少しは気が紛れるかもしれねえ。」


「人に取り入るのが上手いからな、あいつは。

 ……気が強すぎるのが少し不安だが…」


 戒は、この部屋まで代わりに持ち運んだ、彼女の大弓と荷物を眺めた。


 大学を目指して、やってきたこの地。

 彼女やパンリと出会い、ルベランセに戻ったのが、ついこの間の出来事なのに。


 そこで過ごした日々は、いやに遠く思えた。



「世羅には…あのあと、全部話したのか?」


 壁越しの部屋で寝ているであろう世羅を思いつつ、バーグが訊ねる。



「あいつも子供じゃねえんだ……いちいち言わなくても分かるだろ。」


「…そうだな。

 だが、せめて…俺がルベランセに残ってりゃ、少しは…」


 バーグが拳を手の平で打ち鳴らしながら、言葉を洩らす。


 それまで、部屋の隅で気配を潜めていた、ザナナの周囲の空気が震えた。



「…自惚うぬぼれてんじゃねえよ。

 てめえなんかが居ようが居まいが、きっと結果は同じだったぜ。」


 だが、戒は低い調子で言い放った。



「冷静に思い出してみろ。

 あのルベランセの異常なブッ壊れ方…普通の人間の仕業か?

 だから、無駄に気にやむな。

 俺様達は、命が助かっただけでも運がいいんだ……ザナナ、てめえもだぞ。」


 黙したまま虚空を凝視している豹頭にも声を向ける彼。


 それと同時。

 扉が勢い良く開く音と廊下を走る凄まじい音が、世羅がいるはずの隣の部屋から響いてきた。



「―――戒、大変だよ!!」


 飛び込んでくるのも、やはり彼女自身だった。



「…何だよ。

 大変なのは、わかってるっての…」


 呆れたように、戒は呟く。



「違うよ!

 これ、これ!!」


 それに対し、刀を差し出して大袈裟に喚く彼女。



「…どうして、まだ『そいつ』がここにあるんだ?

 依頼は終わったはずじゃ…」


「ああ、それか。

 そーいや、もう一回届けてくれるよう、ギルドから言われたそうだ。

 ……そろそろ、約束の日だっけか?」


 一人で納得しつつ、バーグが呟いた。


 そのあたりの事情を知らされていなかった戒は、世羅が刀と一緒に手にした添え付けの書類を取り、そこに目を通す。



「…丁度、このへんのギルドが受け取り場所になってやがる。

 しかたねえ、行くか…」


「うん、行こう!!」


 彼女は既にバッグを背負い、外出を催促する恰好になっていた。



「やれやれ……全然、こたえてねえんだな世羅は。

 休んでなくて、平気か?」


 バーグは、苦笑混じりに言う。



「だって、くよくよしてても、仕方ないもん!!

 ねぇ?」


 明るく答え、今度はザナナの裾を強引に取って部屋を出ようとする彼女。



「ヒゲ、お前はここで待機だ。

 案外早く、シュナの奴がやって来るかもしれねえからな。」


「あ、ああ……。」


 去り際の戒の命令に、バーグは頷く。



「……まいったな。」


 そして、世羅に半ば強引に連れ出されていく二人の姿が消えた後、頭を掻く彼。



「…どうしたんですか?」


 同じく、それらを呆然と眺めていたパンリは不思議そうに訊いた。



「さっきからの、戒の言葉だよ。

 いつも憎まれ口を叩いている野郎が、気を遣ってやがる。

 ……ってことは、『そういう事態』なんだろうな。

 それを再認識してよ、おじちゃん、ブルーだぜぃ…。」


 冗談めいた深い溜め息と共に、バーグは天井を眺めた。



「……パンリ、これからお前さんはどうする?」


「ど、どうしたらいいでしょう…」


 失意の中、訊き返すパンリ。



「…この件からは、なるべく遠ざかった方がいいと思うぜ。」


 だが期待しているような、慰めの言葉は返らなかった。



「いや、何も面倒だから邪険にするわけじゃねえ。

 ただ、荷が勝ちすぎてる……。

 今すぐに結論を出す必要はねえけどよ…それは念頭に置いておいてくれや。」


「はい…。」


 彼の気遣いに対し、パンリも無理矢理に笑って応える。


 しかし、とぼとぼと遠ざかっていく小さな背を、バーグは脇目で眺めていた。

 喪失感が胸にあるのは、同じ思いだろう。



(…偉そうだったかな。

 俺でさえ……似たようなもんなのによ…。)


 ルベランセの惨状を思い出しつつ、瞳を閉じる。

 イメージの中で得体の知れない相手と戦えば、戒の言っていることは本当だった。


 あの場に自分が居たとしても、そこで仲間を守れた保証など無い。



(過ぎ去ったことは、どうにもならないとしても…。

 …今、あの子達に俺が出来ることは……無いのか…?)


 彼は首に巻いた細い鎖を取り出しては、同じ問いを何日も、心の中でずっと繰り返していた。



◆ ◆



 玄関先に荷物を降ろし、フィンデルは懐かしむようにして、家の中を見回していた。



 自分が任務中でも定期的に掃除をしてもらっているせいか、埃や塵一つ落ちていない。

 余計な物も無く、快適そうな住まいだった。


 廊下からは、幾つもの個室とリビング、二階へと長細い階段が伸びていて。

 一人で暮らすには、少し大きめな印象を受ける。



「…ここ、実家なんだけど、両親は別の所で暮らしているの。

 都会暮らしから離れたくなったんだって。」


 フィンデルは訊かれる前に、自分から語りだした。



「なんとなく、わかるような気がします。

 あの雰囲気、早くも気が滅入りそうですよ、私も。」


 シュナがそう返し、玄関扉を閉めようとした矢先。


 その隙間からするりと、小さな猫が侵入する。



「…?」


 はっとして、二人は同時に振り返った。



「―――梅さんじゃない!」


 笑顔で駆け寄り、その脇を抱えて持ち上げるシュナ。



《 なぁー 》


 梅は丸っこい顔を向けて、軽く鳴いた。



「軍の敷地からついてきたの?

 艦長のこと、よほど気に入ってるのね…」


 そのまま抱え、シュナはフィンデルへ体を向ける。



「よして!」


「?」


 だが、彼女の突然の叫びに、思わず止まる足。



「……私は…もう艦長じゃない…。

 それも…近寄らせないで…」


「…すみません……。」


 気持ちが少し過敏になっている程度だろうと、彼女は思った。



「…でも、何も知らない動物に当たるのは、よして下さい。

 当たるなら…私に。

 そのために、ここに居るんですから。」


「……いいえ。

 謝るのは、自分の方だわ。

 …どうかしてるのね。」


 ばつが悪そうに、フィンデルは顔を逸らしながら早口で言う。



「…そうだ!

 ここでお店を経営するのもいいですけど……気分転換に、ロディさんの国に行きませんか?」


「……慰めてもらえって?

 せっかく、あの人も新しい道を歩きだしたのに……その足枷になってどうしろというの。」


「向こうがどう思うかなんて、行ってみなければ分からないじゃないですか。

 押しかけちゃえば、こっちのものというか…」


「私は……貴女みたいには、生きられないわ。」


 体を返し、出入り口へと戻る彼女。



「…何処へ行くんですか…!?」


「わかったの。

 他人と一緒に居ると、嫌な思いをさせるだけだってことが。」


 震えた唇で作る笑顔に、シュナは胸が痛んだ。


 そこへ、抱いた梅のぬくもりが敏感に伝わり、そのまま一歩も動くことは叶わなかった。



◆ ◆ ◆



 宮殿からの送りの馬車から、駆け下りる三人。



 時刻は、陽が昇る前である。


 だが、ルベランセの格納庫は、辺りの全てを明るく染めるほど、業火に包まれていた。

 随所に展開している作業員達が、他の部分に火が回らないよう、ハンマーでそれらを必死に壊している光景。



「―――待て、ここは立ち入り禁止区域だ。

 関係者以外は…」


 発見するなり、彼らは険しい顔つきで呼び止める。



「関係者だ!」


 それを一喝して退け、戒は世羅の手を強く引いて進んだ。



「……!!

 戒くん…!」


 やがて、行く手にある簡易の休憩所で座り込んでいたパンリが、立ち上がる。

 普段以上に青白い顔をして、彼の膝はずっと震えていた。



「…わ、私達が帰ってきたら…こんなことに…。

 こんなことに…なるなんて……!!」


 説明を求めることなど、出来る状態ではなかった。



「…ひどいもんだ。」



「ああ。

 …他国の艦だっけか…?

 もうダメだろうな…」


 そこで作業の人垣から、聞こえてくる会話。

 戒は世羅から離れ、パンリの肩を強く掴んだ。



「……他の連中は?」


「シュナさんとミーサさんは…向こうで休んでます…」


「わかった。

 お前も…世羅をつれて、そっちで休め。」


 戒はそう言い残し、今度は全力で駆けた。



 ルベランセの脇腹に、臨時で設けられたタラップ。

 そこから艦内に踏み込むと、廊下は至る所に赤い染みが広がっていた。


 焦げた匂いが充満している方向へ進み、上から格納庫を見下ろすと、戦闘騎の残骸が手付かずのまま放置されている。


 愛機だったものの大半は溶けており、もう見る影も無かった。

 戒は諦めて、逆側へ走る。



 暗がりの細い廊下を、作業をしている人員。

 彼等は、傭兵の遺骸を手押し車に積んでいる最中だった。


 途中、やはり注意を促す者が沢山いたが、それらを強引に押しのけ、一直線にブリッジへと突入する。



 半壊した扉をくぐると、彼は直後に何か柔らかい物を踏んだ。

 手で触れてみると、指先から甘ったるいバニラエッセンスの香りがした。


 やがて目が闇に慣れるにつれ、床にケーキの箱が叩き付けられていることが判る。

 その無造作に転がる苺の先には、ザナナが居た。



「……無事だったか。」


 安堵して近寄るが、戒は思わず動きを止める。

 見た目こそ普段と変わらない背中だったが、力を込めて握られた槍先は異様なまでに震えていた。



「!!」


 そこで、急に脇から沸いた気配。

 暗闇の中、煙草の火に照らされた白い眼が、妙に映えている。


 憤怒を押し殺した、バーグの顔だった。



「…ヒゲ、てめえも無事か。

 …悪運の強い野郎だぜ。」


 戒はそれを確認してから、表情だけをほころばせた。



「…これは…騎士団の連中の…仕業なのか?」


「まだ決まったわけじゃねえ。

 だが、大いに関係しているだろうな。

 さっき、早馬が知らせに来たんだ。

 …モンスロンのおっさんも殺されたって…な。」


 そこまで言い終えると、バーグは煙草を一気に吸い込み、大きく煙を吐き出した。



「……冗談、だろ…?」


「冗談言えるほど、気なんて回らねえよ。

 しかし相手は、どんな奴にしろ、あのアイザックの連中を軽々と越えて、ここに達したようだ…。

 かなり、殺しに手馴れた集団ってことは間違いないだろう…」


「……ミラは…!?

 ここの守りを仕切っていたあいつは、何処だ?」


 戒は思い出し、バーグに詰め寄った。



「まだ、死体が発見されてねえ。

 だがおそらく…あいつらと同じように…」


 あごの動きで示しながら、彼は答えた。

 その背後の先、毛布をかけられて床に横たわる、三つの人影がある。



「―――!!」


 先程から、視界には入っていた。

 認めたくなかった。


 だがやはり、あれはブリッジの連中なのだ。

 その事実を彼から突き付けられた戒は、息を呑んだ。



「…ところで、艦長も無事なんだろうな。」


 バーグは抑揚の無い声で問う。



「とにかく彼女だけは、どこかで留めておいてくれ。

 これは見せられ…」


 止まる言葉。



 そのフィンデルが、既に戒の背後に達していた。



◆ ◆ ◆



「―――以上、報告を終わります。」


 眼前の円卓に並ぶ重鎮達を前に、言葉を締めくくり。

 一旦、席につくギルチ。



 軍隊の上層部と称される連中。

 どれも将軍階級の老人達は、渋い表情を浮かべたまま、終始無言であった。



 そんな中、ギルチはフィンデルからの報告を包み隠さずに、詳細を報告した。

 場違いな感想だが、何か喉につかえていた物が取れ、どこか妙に晴れ晴れとした心地さえする。



「そのモンスロンという男の亡命……確かに許可をしたが…」


「だから、この話は危険だと言ったであろう。」


「また、政府に追加予算を申請せねばな……頭が痛いのう。」


 誰かが呟くと、それに連鎖するように、次々と言葉が噴出した。



「それで、ギルチ准将。

 報告の最後の部分だが……我々、中王都市軍の艦隊を襲撃したのは『騎士団』の仕業が濃厚だというが…それは真実なのかね?」


 だが、議場の中心に座る老人―――総司令:バスーティ大将の言葉に、静まる空気。



「確たる証拠は無く、様々な状況による予測に過ぎません。」


 そんな具合で、臆面も無く答えるギルチに、場はすぐさま騒然に立ち戻る。



「それが事実だとしたら、由々しき問題だぞ。」


 再び、誰かが言った。



「この作戦の、元々の立案者は誰だ?

 騎士団の連中をいたずらに刺激して……何の得があったというのだ?」


 言う通り、一連の作戦が非常にリスクの高い賭けであることは重々承知していた。


 ゆえに、ギルチに羞恥は一切無く、この屈辱を作業的に耐えるだけであった。

 もはや頭を垂らして、罵詈雑言を浴び続けるしかないだろう。



「―――此度こたびの失敗の責任は、現地の指揮に当たっていた、ネウ提督にあり。」


(!?)


 だが、不意に耳に飛び込んできた一言に、彼は頭頂を素早く上げた。



「作戦自体は、実に良く練られていた。

 それこそ完璧を絵に描いたような作戦といえる……それが失敗となると、現地の指揮能力を疑わざるを得ない。

 たとえ10万の軍を率いたとしても、それを統べるのが赤子の大将ならば、大敗するのは必至。

 違いますかな?」


 注目が集まり、ここぞとばかりに立ち上がって小演説を始めたのは、副指令官のグッソである。



 ギルチは、はじめ、その光景に目を疑った。

 元はといえば、グッソが命じた作戦であったが、それは公式の仕事ではない。


 失敗したならば、トカゲの尻尾を切ればいいだけの話である。

 彼があえて己の立場を危うくする発言など、無用のはずだった。


 それが、一介の若い将軍にすぎない自分を、身を挺してかばうような行動をとっている。



 しかし、その裏に内包されている意味には明らかで、ギルチはすぐさま勘付くことが出来た。


 グッソは、以前から総司令の座を欲している。

 これを見返りに、本格的に協力せよと暗に語りかけているのだ。



 以前から特別に目をかけられていたことが、こういった狙いの伏線ならば、実に巧妙で狡猾な軌道修正である。



 ギルチは奥歯を鳴らした。

 自分の才覚をそれだけ買われていたという事実は喜ばしいが、こんな形で弱みを握られることなど望んではいない。



 だが彼としても、功績を長年に渡って積み上げて、ようやく得たこの立場を、安いプライドなどで失うわけにはいかなかった。



「…中将の…仰せの通りです…。

 失敗の原因があるとすれば…ネウ提督の采配に他なりません。」


 自分には軍隊と国家の正常化という、確固たる大志がある。

 それらが、ギルチの口を自然と動かしていた。



「艦隊の指揮者選任は、貴様であろう!

 自身に責任は無いと申すか!!」


 配られた書類を手の甲で叩きながら、正面の将校が怒号を飛ばす。



「彼をこの本部に呼んだのは、我々ですぞ!!

 そのような辞令さえ無ければ、ギルチ殿本人が指揮を執っていたに違いない。

 …これは彼にとっても、正に苦渋の選択だった、違いますかな!!」


 代わりに反論したのは、やはりグッソだった。

 その剣幕で、相手は途端に萎縮する。



「グッソ殿……いやに、ギルチ殿をかばいますな。」


 かけられる、総司令の言葉。



「いかにも。

 彼の才覚は、私が認めるところですからな。」


 途端に、場は静まり返った。


 ギルチは、グッソの軍隊中枢における権力の大きさを、改めて知った。

 それ以降、流れに抗うような空気は全く生まれなかったのである。



「このような事態になることは、私ですら予想しえなかったことです。

 ならば、神にも知り得ないことでしょうとも。」


「…だが、誰かが責任はとらねばなりませんぞ。

 今回の作戦で殉職した名家の人間も多い。

 何かしら示さねば、彼等の遺族は納得しませんからな。」


 神経質そうに肩を揺らしながら、別の将校が呟く。

 それをあしらうように、両の手の平を下げて、グッソは口を開いた。



「このたび刻む戦没碑の名簿に、ネウ提督の名を除外。

 並びに、彼の殉死による階級の特進無効を提案する。」


「……ふむ。

 それが妥当か。」


 総司令の一言に、一同が頷いた。



「それでは、これにて今回の会議は閉会…」


「待たれよ。」


 その言葉を遮るグッソ。



「まだ何かあるのかね?」


「お分かりになりませぬか、総司令。」


 彼は、全員を睨み付けて言った。



「一連の顛末てんまつから見て取れる、用意周到な騎士団の備えを。

 これは、此度の亡命の話の有無に関わらず、牙を剥く準備があったということ。

 それに対抗するため、我が方でも軍団・軍備の再編成を提言いたします。」


「……確かに…!」


 彼の熱気にほだされて、議場では気運が高まっていた。


 戦意旺盛な騎士団に対抗するには、高齢の総司令では、甚だ役者不足である。


 そんな中で、グッソからは頼りになる指導者のイメージを感じさせるものがあった。

 この会議でギルチを糾弾する印象は薄れ、それだけが極まる結果となったのは、果たして幸か不幸か。



 ―――結局、この日の会議では、騎士団への主な対応策はまとまらなかったものの。

 近いうちに、彼を中心とした組織が出来上がるに違いない。


 そんな近い将来を思わせるには、充分な会合となってしまった。



 議場の末。

 独りで席に残るギルチは、虎穴に進んで雌伏する策を練り上げていた。



 この先の自分の働きは、友の汚名と引き換えにする価値があったものにしなければならない。


 それは彼にとって、己の大志以上の絶対の課題となった。



◆ ◆



 彼女は、ただ歩いていた。

 目的も、何も無い。


 街を歩く人は誰も、自分のことを知らない。

 また、知ろうとも思わない。


 それが、驚くくらいに気休めになった。



 陽が真上に達した頃。


 彼女は、妙な不安に襲われた。

 精神的ではない、肉体的な不安である。


 強い視線、そして何者かが、自分の後を追ってきている気配。


 それは直感だった。


 だが、事実だとしたら、大胆な行動である。

 この街中の人目も憚ることもなく、この高陽も厭わないというのか。



 用心のため、身を隠すようにして、小道に入る。



 だが運悪く、その物陰で待ち構えていた人影がそこで飛び出して、彼女の背中に張り付いた。


 続けざまに肩口に突きつけられる、堅くて細い円筒状の物体。



「…フィンデル大尉……ですね?」


 同時に、くぐもった声が耳元に囁かれる。



「今では、ただの民間人です。」


 逃げることを諦め、淡々と答える彼女。



「はは。

 こいつは…お早い。

 もう、退役なされたので?」


 男は嘲るように笑い、背中越しに続けた。


 そこで不意に、突きつけられた得物が放される。

 フィンデルが慌てて振り向くと、それは単なる万年筆であることがわかった。


 対面した中年の彼は、それを器用に回転させて胸ポケットに仕舞うと、目深に被っていた平たい帽子を

片手で上げて、会釈をする。



「なぁに、私は怪しい者じゃありやせんぜ。

 仲間には『遠目のオーロン』と呼ばれている、しがない『アイアン・ウォー誌』という新聞の事件記者です。

 少し過激にプロパガンダや民族運動などを、主に扱っているけども……まあ、見識者には、全く相手にされん三流新聞ですがね。」


「…記者の方が……何の用ですか。」


「すっとぼけなさんな。

 …飛翔艦ルベランセの艦長殿。」


「……なぜそれを…」


「けっこう以前から、目を付けているんですよ。

 あの日和見ひよりみな軍隊に在りながら、南の方で派手にドンパチして来たあたりからですかねぇ。」


 そこで彼女は、口をつぐんだ。



「そして、今回の件も含めて…。

 民間の者にも、もっと知る権利があるんじゃないかと思いまして。」


 そんな彼女の反応を、鋭い目つきで観察しつつ、彼は続ける。



「一体、東では何が行われたんです?

 表向きは演習だったらしいが―――ただの一隻だって、戻った様子が無いじゃありませんか。

 他国の物らしき飛翔艦に乗って、帰還した貴女方を除いて。」


「……。」


「やれやれ…私は既に、中王騎士団の不穏な動きも嗅ぎ付けているんですよ。

 長年の軍隊との確執と合わせて考えれば、おのずと一つの可能性が見出されると…」


「その件について嗅ぎ回るのは、おやめなさい。

 貴方も命が惜しいでしょう。」


「いいえ!

 やめるわけにはいきませんねえ。

 これも野次馬記者の性でして。」


 彼は手に取った万年筆のフタを噛みながら、興奮した口調で言った。



「貴女にだって、義務があるはずなんですよ。

 この国に迫る脅威というものを、国民に知らせる義務が、ね。」


「当事者でない人間に、何が解るというんですか…!」


「理解など出来ませんよ!

 そりゃあ。」


 細々と喋る彼女を威圧するように、オーロンは声を張り上げた。



「だけど…それを僅かでも理解したいから、記事というものがあるんです。

 どうしても、お気持ちは変わりませんか。」


「……もう何も考えたくない。

 もう、その件には触れたくないんです。」


「ふむ…逃げるおつもりで。」


「腰抜けは所詮、ただの腰抜けです。

 あの時、自分は変わることが出来たのだと思いましたが……人間、そう上手くはいきませんよ。」


「?」


 事情を何も知らない彼は、眉をひそめた。

 悟ったようであり、諦めたようでもある複雑な面持ちで、彼女は脇を過ぎていく。



「……おっとと、待った…!」


「何ですか。」


「連絡先です。

 私は、ここの酒場で情報屋もやってるんですよ…」


 オーロンは作り笑いを浮かべながら、一枚のコースターを差し出す。



「必要ありません。」


「まあまあ、そんなこと言わずに。

 身の安全は、情報から。

 これは貴女のためにもなりますよって…」


 それを無理矢理、彼女のポケットに捻じ込む彼。

 半ば振り切るように、フィンデルは駆け足で路地を抜けようとする。



 ほんの一瞬であった。

 正面の大通りを横切る、とてつもない速度の馬―――大きな個室付きの馬車。


 その開かれた扉から飛び出した太い腕が、彼女の身体をさらっていく。



「……!」


 オーロンはすぐに後を追い、路上に出て周囲をうかがった。



 だが、逆側から走りこんでくる、別の馬車。

 咄嗟に飛び退いた彼は、尻餅をついたまま視界に落ち込んだ自分の帽子で額の汗を拭う。



 心臓の鼓動を落ち着けると、自分の聴覚は間もなく周囲の普段の喧騒を感じていた。



 まるで、彼女は別の世界へ忽然と吸い込まれ。

 自分だけ置いてけぼりにされたかのよう。



 他の人々は、何にも気付くことなく、生活を続けている。



 一連の事件を象徴しているような今の体験に、彼は余計に苛立っていた。





◆ ◆



◆ ◆



◆ ◆ ◆



「…見事に……こっぴどくやられたもんだよなァ…」


 隅に積まれた荷箱の上に胡坐あぐらをかき、頬杖をついたまま。

 戒は他人事のように呟いた。



 視線の先のルベランセでは、昨夜に引き続き、大量の人間が群がっている。


 中でも、格納庫の被害は壊滅的だった。

 彼等はフィンデルの了承を得た上で、倒壊の恐れがある箇所の撤去作業に取り掛かっているらしい。



 反面、艦のブリッジや居住区画における物的損害は、ごく微量だった。


 だが通路の一部は酷く痛んでいて、まるで巨大な獣がそこで大きな牙を研ぎ、暴れ回ったような

『破壊の痕跡』としかたとえようのないものが、壁や床に幾つも残っていた。


 そして機関部においては、『源炉』が根こそぎ持ち去られていることが、後になって判明したのである。



 ルベランセは、もう飛べない―――



 そんな噂話が、遠くの作業員達から聴こえた。



 昨晩の豪雨とはうって変わり、莫迦ばかみたいに晴れ渡った日中では、それらの様相があまりにも明らかになりすぎて。

 眺めていると、自分が陵辱を受けたかのような、惨めな気分さえなった。



 そしてやはり。

 そのような光景を進んで眺めている物好きな乗組員など、世羅と自分くらいだった。



 誰しも目を背けたい光景なのだ。


 …なのに、その様子をじっと凝視している世羅の様は。

 まるで、その澄んだ大きな瞳で、景色や思い出、全てを焼き付けるかのようだった。



 戒は傷心のままにルベランセから目を逸らし、そんな横顔を見詰めていた。



◆ ◆ ◆



 ギルドで依頼品の受け渡し手続きをする最中、戒はずっと考え込んでいた。



(……あれは絶対に、物盗りの手口じゃねえ…)


 ―――いま卓上に置かれた、レバーナ自治港から因縁のある刀も、全くの手付かずである。



(取られたものといえば……源炉…飛翔艦の部品か……。

 これらに執着してるとなると…これまでどおり、炎団か騎士団の仕業って考えるのが妥当だが…)


 虚ろな表情のまま、目を薄く閉じる彼。



「はい、おまたせ。

 ……悪いけど、この品物。

 ちょっと問題があって、受け取れないんだよねぇ。」


 そこで丁度、奥の部屋から戻ったギルドの主人が、とぼけた口調で言ってきた。



「…何だと?

 言っておくが、どこも壊してねえぞ。」


 意識を現実に戻し、戒は強い口調で返す。



「いや、そうじゃなくて……。

 あんたら、約束よりも早く着いただろう?

 こいつは特別な品物でねぇ…改めて指定日に、依頼人に直接手渡して欲しいんだが。」


「やたらと面倒くせえな。

 …どういうことだ?」


「理由は不明だよ。」


「あ?」


 顔面を強張らせて、思わず詰め寄る戒。



「…もしかして、本当にヤバイ品物なんじゃねえだろうな?」


「詳しいことは分からない。

 でも、数ある輸送の仕事の中でも、ここまで用心してる依頼人も珍しいと思うよ。」


 それをなだめるように、相手は卓上に置かれた刀を指差す。



「…珍しいもクソもねえっての。

 これ、前回も入れ違いだったらしいぞ。」


「と、とりあえず、依頼主に連絡しておくよ。

 時間が合えば、すぐに取りに来ると思うから。」


「すぐっていつだ?」


「向こうの都合もあるから、正確には答えられないけど…」


「いっそのこと、この刀……ここに捨てていくか。」


「そ、それは困る…!」


 主人が顔を青くしたその時。

 戒の後方で、それまでおとなしく待っていた世羅が脇に並ぶ。



「じゃあ、ボク待つよ。」


「…いつになるか、わからねえんだぞ。」


 戒は前を向いたまま、呆れ声で言った。



「待つ。」


 だが、にっこりと笑顔で返す彼女。

 目を一瞬だけ、下に向ける戒。



「…おい、おっさん。

 ここで待ってりゃ確実なんだな?」


「ああ、それは勿論。」


 一転して、まとまりかける話に、主人は安堵を交えて答えた。



「わかったぜ。

 なら…俺様は暇つぶしに、しばらく辺りでも散歩でもして来るか…」


 言いながら、背後の壁際で待っているはずのザナナに視線を向ける戒。


 だが、その彼は、おもむろにギルドの扉を開けて、外へと出ようとしている最中であった。



「あの野郎、勝手に……!

 世羅、お前はここで待ってろ。」


 戒は彼女に刀を渡し、急いで後を追う。



「おい! どこへ行くつもりだ!?」


 そして、決して早足ではないが、既に目の前の大通りを横断しているザナナに向かい、彼は叫んだ。



「わからん。」


 その答えは、足も止めず、背に抱えた白い槍の僅かな振りと共に返される。



「だが、世羅の用件、済んだ。

 ザナナの用も、ここで終わりだ。」


 戒がようやく追いつくと、彼はさらに告げた。



「…まだ何にも終わってねえだろ。

 こんな所で、消えるつもりか。

 ………あのことは、気にするなって言ったろ。」


 彼の背中に向かい、戒は息を切らせながら言った。

 だがザナナは黙ったまま、歩調を早めていく。



「もしも、あの時とか。

 ああだったら……こうだったら…とか、過ぎたことを後悔してもどうにもならねえんだよ!」


 何処へ向かうということもなく。

 裸足の乾いた音が、良く整備された地面を鳴らして行った。



「それに…お前、ブリッジの連中と、そんなに親しかったわけじゃねえだろうが!」


 叱咤の声に、音は停止する。

 戒も動きを止め、眼前の着物の肩越しに振り向いた豹頭を睨み付けた。



「人は、いずれ死ぬもんだ。

 あの森で、俺様にそうやって偉そうに説教垂れたよな、てめえ。」


「……そうだったな。」


 獣皮の口から、低い声が漏れる。



「だろ?

 だったら…」


「あのとき、ルベランセに残っていたのが、もしも世羅だったら。」


 さらにこぼされる悲痛な声に、対する戒は言葉を失った。



「何が、笑顔を見たい、だ。

 こんなにも、ザナナは弱い。」


 そして、着物の左胸を掴みながら、天空を見上げる彼。



「フ族の社会で、ザナナの守る力など、無いに等しい。

 それが、よく分かった。」


「!」


 戒は気付いた。

 一瞬の油断が、全てをもぎ取っていく恐ろしさを、ザナナが知ったこと。



 そして、今までの自然の中での営み・死生観から、彼の環境は明らかに変わってしまった。

 それに引きずり込んでしまったのは、自分にも責任の一端がある。



「…だからって、世羅から逃げれば済むことか?

 お前が急にいなくなったのを知ったら……あいつは、きっと悲しむぞ。」


 それでも、ザナナの前に回りこみ、わざと意地の悪い言葉を投げかける彼。



 だが、何も返らない。



 錆び付いた鐘を叩いた音のように鈍重な。

 そんな、曇った眼差しだけが返されていた。



「…弱いだとか守る力が無いだとか……らしくねえことばかり抜かしやがって…。

 もう勝手にしやがれ。

 俺様は初めから、ついて来てくれなんて、一言も頼んでねえんだからな。」


「……そうさせてもらう。」


 大した応酬も無く、二人は交差する。


 だが、何歩か進んだ後、わずかに振り返る戒。

 しかし、そこにザナナの姿は無かった。



「くそっ!

 どいつもこいつも!!」


 直後に、足元の石を蹴飛ばして八つ当たりをする。



「!?」


 その膝頭をかすめて、疾走していく一台の馬車。

 驚きのあまり、戒は道の真ん中で尻餅をついてしまう。



「…あ……ぶねぇーな!!

 ……畜生!!」


 見知らぬ街。

 道。



(……潮時か…。

 もう、ここにいても…何もねえ…。)


 景色が巡り、回っていく。



(…人数なんて…少ねえ方が楽かもな…。

 今……世羅以外の奴と、一緒にいる理由なんて無えんじゃねえか…。)


 彼は改めて、街を見渡した。

 数多の人々は、殆どがそれぞれ別の方向に向かっている。



 他人をいたわるほどの余裕は、あまりに自分らしくない。

 それが、苛ついている原因なのだと、彼は気付かされたような気がした。



◆ ◆



 同刻。



 重厚な鉄扉を軋ませ。

 ユイウスは狭い部屋から解放された。



「久しぶりの…反省房の居心地はどうだった?」


 それを廊下で待っていたマピットは、明るい口調で声を掛ける。



「寝ていたから、わからんな。」


「まあ、半日くらいじゃ堪えないわよねぇ…」


 彼に寄り添い、右腕に巻かれた包帯をほどく彼女。



「もう……問題児なんだから。」


 そして軟膏を取り出すと、彼の青痣あざの出来た箇所に優しく塗りこんでいく。



「奴はどうしてる?」


「ギュスターヴのこと?」


「ああ。」


 自分の手の甲に残った歯型の跡を眺めたまま、彼は言った。



「拘束したまま、懲罰房に入れてるわ。

 あっちは無期限だけど。」


「………。」


「…なんかねぇ……」


 額を押さえて、苦い表情を作る彼女。



「もう精神が崩壊しかけてるの、上層部も承知だったみたい。

 あれじゃあ、もう任務に耐えられないってのを再認識したようね。

 部長も、いま対策を考えているわ。」


「処刑するのか。」


「最悪の場合……そうなるわね。

 あ、でも、ユーイはもう、その件には関わらないで。」


「何故だ?」


「そりゃそうでしょ、あんなことになって…。

 あの野蛮人、相当頭にきてるんじゃないの?

 何が起こるか分からないから、金輪際、あれとの接触は絶対禁止ね。」


 そう言って、マピットは指で彼の腰をこづいた。



「ところで、さっき首都のギルドから連絡があったの。

 ユーイの新しい装備が届いたらしいわよ。」


「……。」


「あまり嬉しそうじゃないわね。」


「今の刀より、良い物など無い。」


「ダメなのよ。

 久遠の人間は、ちゃんと組織が指定した物を持たないと。

 特に、上の人間がモグリの武器を使っているのは、示しにならないってこと。」


 表情を、より一層不満そうにする彼に、彼女は忠告した。



「とにかく、部長に挨拶してきて。

 ……恩情で早く出してもらった御礼を、しっかりね。

 私は地上で、一足先にギルドで用を済ましておくから。

 例のお店で落ち合いましょ。」


「ラソーネル?」


「そ。

 今回の任務の打ち上げをするから。」


「ハ・ラシンも呼んだのか?」


「呼ぶわけないでしょ。

 あんな奴。

 大体、またどっか行っちゃって、音信不通なの。」


「そうか…」


「あと、もう我慢できないだろうから……はい、お弁当。」


「!?」


 突如、彼女の両手から差し出されたバスケットに驚き、たじろぐ彼。



「どうかした?」


「…い、いや、何でもない。」


「そう?

 ……あと、ちゃんとお風呂も入って来てね。

 あそこは、上品な店なんだから。

 …他人の目もあるし……私の彼が不潔なんてイメージつけたくないもの……」


「………。」


 独りで自分の世界を作り、呟きながら去って行く彼女との距離を見計らい、ユイウスは受け取ったバスケットの蓋を、

そぅっと開いてみる。


 案の定。

 そこからは、強烈な臭気を放つ、焦げた謎の物体が顔をのぞかせていた。



 これは、たとえ100日間絶食した直後に出されても、食すことが出来ないだろう。

 そう断言できる代物であった。



◆ ◆



 深く続く、螺旋階段。

 その眼下では、今はもう使われていないはずの祭壇に火が灯され、数名の影が揺らめいていた。



「おや、珍しいねぇ。

 紅蓮ぐれんちゃんじゃないの。」


 そこを大股で降りながら、途中で気付いたハ・ラシンがおどける。



「…騒ぐな、鬱陶しい。」


 赤黒いラバースーツに全身を包んだ女性が、それに反応した。


 その顔に付けられた平たい仮面の奥から、低めの声が囁かれるたび。

 各関節部に備えられたシリンダーと管が、上下に動く。



「やれやれ……こうなると、どこの仮装集団だよって感じだよ。

 なぁ、ディボレアル。」


 自身で揶揄やゆした通り、今はハ・ラシンも顔を仮面で隠している。



「無駄口はよせ…。

 各々の用件だけ済ますぞ。

 まずは、前回の…」


 奥の闇から、腕を軽く組んだ黒い甲冑が動く。



「素材だ…素材が欲しい。

 私のさらなる『絶頂』の追求のためには、素材が足りぬ。」


 そんな流れを無視し、自分勝手に口火を切る紅蓮。



「……この間、大分よこしたはずだ。

 あの量で、まだ足りんのか。」


「今度は、『生きている素材』が欲しい。

 とびっきり、良質の素材が。

 …私を興奮させる程の素材は無いのか。」


 彼女は己の肢体を悩ましく捩じらせ、狂気を孕ませて語った。



「贅沢を言う…」


 そのディボレアルの言葉の直後。

 地面が、大きく破砕された。



「……私の可愛い傑作が、ゴーベ山脈で死んだ。

 死んだ。

 誰のせいか?」


 出来た穴から、腕を抜く紅蓮。

 その拳からは無数の金属と液体が飛び出ており、搭載されたシリンダーから緑色の煙が立ち上っていた。



「炎団では、以前の件で被った損害で、騎士団への不満を口にする者も少なくない。

 それなりの覚悟をしておくことだ。」


「おいおい、あれだけこき使っておいて、フォロー無しかよ。

 騎士団もお寒いねぇ。」


 軽口を挟むハ・ラシン。



「元々、成功報酬という約束だ。

 無能な者達にくれてやる褒美など無い。

 紅蓮…貴様個人には感謝しているがな。」


 己の腰に下げられた、念通球が埋め込まれた剣の柄に触れながら、彼は言った。



「……そんなもの、我が技術の、ほんの『さわり』に過ぎん。

 オモチャも同然…。

 精神体技術学とは、まさに芸術なのだ。

 永遠の命……それに直結する芸術……そして、それは母性にも似た…」


「ああ、それよりさぁ。」


 難解な話が長くなりそうなのを見込んで、ハ・ラシンは話題を変える。



「ディボレアル……骨が折れたんだぜ、今回は。

 タンダニアまで、わざわざ行って…」


「源炉、確かにいただいた。

 礼を言う。」


「…それだけ?」


 やはりねぎらいの欠片も無い、儀礼的で平淡な言葉に、閉口する彼。



「しかし何故、ルベランセを必要以上に破壊した?

 そんな必要は無かっただろう。」


「ああ、それか。

 ……不確定要素が混じったのさ。」


 その鋭い問いに、彼は言葉に笑いを混ぜて誤魔化した。



「久遠ほどの連中が、何に手こずったというのだ?」


「実は今回、『決闘者』の素質がある二人を引き合わせてみたんだ。

 前々から機会が欲しかったからね。」


「なるほど、それであの結果か。」


「そういうこと……」


 彼は顎を下げ、仮面を指で押さえた。



◆ ◆ ◆



 守備隊を殲滅の後、ルベランセのブリッジを蹂躙じゅうりん


 完全なる制圧につき、これ以上の滞在も、戦闘行為も無意味だった。



「……よ…弱い…。

 弱いな……」


 だが、横たわるルベランセの搭乗員の遺体を踏みつけ、ギュスターヴがわめく。



「やめなさい。

 もう任務は終わったのよ。

 さもないと……」


 彼の異常性に、敵意をむき出して、戦闘体制に入るマピット。



「…か、かわりに……お前が…くれるのか?」


 視界の隅に入る、その少女の殺気は、彼を心地良くさせた。



「……どうした、ピット。」


 そこで、ユイウスもブリッジに到達する。


 少々の苦戦があったのだろうか。

 露にした褐色の上半身に、すすを残した姿。


 彼はブリッジの惨状よりも、両者の鬼気迫る空気に、少し驚いたような表情をしていた。



「任務は……無事完了。

 でも、彼が撤退命令を聞かないの。

 危険だわ。」


「つ、次は…おまえ……たたかえ…。

 まだ…血が…足りない…」


「……貴様と戦う理由は無い。」


 彼の刃を向けての申し出に、あわれみを持った瞳で応えるユイウス。



「ブルゥ……ブルゥ…ヒィ……!!」


 直後、ギュスターヴは獣のように鼻を鳴らし、両手足で床を駆けて襲い掛かる。



 骨の激突する音。

 両者の左拳が、互いの間で炸裂していた。



 その衝撃の後。

 新たにかかとを踏み締める二人。


 そして再び、ほぼ同時。

 今度は水平に激突する。



 刃を噛み合わせ、力を込める。

 宙で拮抗する二つの身体。



 それが落ちる一瞬、ギュスターブが素早く身を丸めこみ、ユイウスの肩に蹴りを放つ。


 そして、離れざまに、あご

 最後に、鼻柱を爪先で跳ね上げる。



「………ッ…!?」


 顔を天井に反らしたまま、硬直するユイウス。



「ヒヒヒィ…!!」


 恍惚の表情で、ギュスターブはわらった。



(…ユーイが…押されてる……!?)


 マピットが、手の甲に付けた端末を紐解く。



「…手を出すな!!」


 だが、それを拒んだのは、ユイウス自身だった。


 言葉の最中も、眼前に飛び込んでくる腕刀。


 横に一回転し、空を薙ぐギュスターヴ。

 だが、瞬時に腰を落としたユイウスの刀の柄が、その腹にめり込んでいた。



「グゥ!?」


 激痛に驚き、床を跳ね退いて、廊下へと退避する彼。

 ユイウスも直ちに駆けて、それを追う。



 両者がその狭い空間を疾走する間も、互いの数撃は続いた。


 天井、壁、床。

 それらを全て利用し、身体を跳ねらせながら、斬合していく。



 そして、進む道々を削ぎ落とす。

 パイプが露出し、タイルが砕け、それが肌を擦っても、二人は動きを止めなかった。



 笑みを浮かべ合い、まるで戦闘に興じるようであった。

 疲れなど、微塵も無い。


 ルベランセでの戦いが準備運動だったかのように、二人は生き生きと、死合う。



 連撃に次ぐ連撃を制したのは、ギュスターヴであった。


 ユイウスの得物を横に弾くと、肘を弓なりに引き、腕刀の切っ先をその眉間へと一直線に飛ばす。

 だが、間一髪で顔を横にかわされ、それは壁に深く突き刺さった。



「……ゥ…ッ!?」


 その怯みの隙。


 ユイウスは、彼の頭を仮面ごと掴む。

 そしてそのまま体を入れ替え、相手の身体を壁際へと追い込んだ。



 途中、手に相手の歯が食い込むが、構わない。

 逆に離れないのが好都合とばかりに、さらに押していく。



 壁が、ひび割れたのが一瞬。

 すぐに全てが砕かれて、その先の廊下へと抜ける。


 同時に、ユイウスの脈動する胸筋には、緑光した鱗の紋様が浮かんでいた。



「…り、竜………!?」


 掴んだ手の奥から漏れる、呟き。



「…うぅ…ブルルルルアアアアアア!!」


 刹那の間に、それは悲鳴へと変わる。

 ユイウスは片手で彼を掴んだまま、引き摺って屠り、床にこすりつけて、さらにそこを深くえぐっていった。



 そして静寂が訪れてから、ようやく足を止め。

 動かなくなったギュスターヴを無造作に壁に放り投げると、とどめの右拳を握りこむ。



「よーし、そこまで。」


 その首元に、大鎌の刃が触れた。



「なーに、やってんの味方同士で。

 もし、私闘でそれ以上やるんだったら、ただじゃすまんよ。」


 両者の間に潜り込んだハ・ラシンは、片眉を上げながら伝えた。


 しかし、蒼瞳を爛々と輝かせ、笑みを浮かべているユイウスは、手を引かなかった。



 脇から飛び出す、金属の球体。

 そこから伸びた鎖が、ギュスターヴに絡みつき、瞬時に拘束する。



「もう気絶してるわ、ユーイ。」


 奥から追ってきたマピットが付け加えた。

 彼女の操作する言霊の、数ある能力の一つである。



 ユイウスはゆっくりと声のする方に向き直り、そこでようやく手を下ろす。

 そして、彼の胸から背に浮かんだ天命の輪も、同時に消え失せるのであった。



「まったく……どういうことだい?

 何となく、予想ついてたけど、それ以上じゃないか。」


 ハ・ラシンは惨状を見回し、苦笑して言う。



「とにかく帰還しよう。

 ギュスターヴはその恰好のまま連れて行く。

 喧嘩の処分は、その後かな……」


 ことのほか、嬉しそうに告げる撤収。


 普段から、似たような調子の彼である。

 その調子の微妙な変化に、マピットが気付くことはなかった。



◆ ◆ ◆



「―――それで、どうなのだ?」


「まだ判断が付かないね。

 二人とも、いまだ未覚醒の状態だと思うし。」


 紅蓮の問いに、ハ・ラシンは答えた。



「でもまあ、あそこには源炉以外に回収する物は何も無かったんだろ?

 別に気にすることは…」


「『七つの器』が、在ったかもしれん。」


「!?」


 独り言にも似たディボレアルの言葉に、二人は目の色を変える。



「なん…だって?

 それは…初耳………隠していたのか?」


 半笑いで、呟くハ・ラシン。



「話す暇が無かっただけのこと。」


「………ふざけてるのか…?」


 赤い手が伸び、ディボレアルの首元を掴む。



「殺すぞ。

 いくら同志でもな。」


 紅蓮の、怒りに塗れた赤手だった。



「もう一度訊く。

 本当に、その艦に……在ったのか?」


「……確証は無いがな。」


 彼は平然と答え、小さく頷く。



「やはり死ぬか、貴様。」


 構えた手首を返す彼女。



「…落ち着けよ。

 あそこで死ぬようなら、到底、その素質は無かったってことだろ。」


 ハ・ラシンは大鎌の先端を、小さく地面で鳴らした。



「確かにな。

 だが、初めに決めたはず。

 この『結束の八人』の間では、隠し事は無しだ、と。」


 紅蓮はその方向へ、わずかに仮面を傾けて言う。



「だからこそ、今こうして包み隠さずに話している。」


 その耳元に、囁かれるディボレアルの声。



「まあまあ、紅蓮ちゃん……どうせ殺すなら、オレっちにしない?

 君に殺されるなら、本望…」


「馬鹿め。

 貴様など、殺したいほど興味が無い。」


 ハ・ラシンに浴びせた言葉と共に、気も削がれた紅蓮は、そこでようやく両肩を下げる。



「その情報、『あの男』には教えたのか?」


「確証が取れてからだ。

 奴もまた、忙しかろう。」


 彼女から続けられる問いに、ディボレアルは答え、顎を引いた。



「『黒騎士』

 『時の亡者』

 『偽りの聖職』

 『収穫人』

 『決闘者』

 『技工医師』

 『蟲の王』

 『七つの器』。」


 やがて、紅蓮が両手で頭を抑え、苦しそうに呻く。



「集めろ……必ず…この地で…」


「案ずるな。

 『全員』は、黙っていても集まる。

 これまでのようにな。

 ……そういう運命に、なっているのだ。」


 その背に向かい、ディボレアルは応える。



「だが、どのように集まるかまでは、『あの預言』には無い。

 全くの努力無しというのも、都合が良すぎる話だろうよ。」


 幾分、気が落ち着いてから、彼女は呟いた。



「だからこそ、オレは引き続き『決闘者』候補を監視するよ。」


 ハ・ラシンが大鎌を構え、威勢を放つ。



「いいだろう。

 しかし、くれぐれも裏切るな、ディボレアル。

 さすれば……死、だ。」


「安心しろ。

 私とて、『尊い命』は欲しい。」


 そんな彼の言葉を聞き届け、紅蓮は階段に足をかけた。



「あれま、もうアジトに帰んのかい?

 ゆっくりしていけばいいのに。」


「暫くは滞在するさ。

 だが、ここには招かれざる客がいるようでな…。」


 わずかに天井を仰ぎ。

 首元の管から緑煙を吐き出しながら、彼女は言った。



「なんだって?」


 慌てて、それを探そうとするハ・ラシン。

 その肩を押さえつけて制するのはディボレアルだった。



「……わざと…か。

 それも良かろう。」


 紅蓮は笑い、闇に消えていく。



「…相変わらずだね、彼女。

 つーか、さっきから出てる、あの煙……有毒ガスじゃないよな?」


 ハ・ラシンが苦笑しながら、語りかけた。

 だが、それも僅かな一瞬で、すぐに唇を固く結ぶ。



「…ところでさ、さっきの『器』の話、マジかい?」


「言ったろう。

 確証は無いと。」


「……。」


「外見は子供の姿だったが…この私をもってしても、手出しは叶わなかった。

 我が思念体を通じ流れ込んでくる、あの異物感は尋常ではない。」


「……少し、調べる必要がありそうだな。」


「うむ。

 そう言うと思っていた。」


 ディボレアルはふところをまさぐり、書類を手渡した。



「何だい、これ?」


「当時のルベランセの搭乗者名簿だ。

 この後、艦を降りたと思われる人間を徹底的に洗え。」


「…ヤブヘビかよ。

 人使い荒すぎだぜ。」


 彼は辟易しながら、肩をすくめて示した。



「この件においては、騎士団の人間は使えん。

 貴様だけが頼りだ。」


「わかった、わかった。」


 彼は仮面の下から長い舌を出して笑う。



「…オレたち……友人だもんなぁ?」


 そして、釘を刺しているとも解釈できるような、不気味な言葉を残していった。



◆ ◆



「―――え?

 あの子が輸送の仕事を?」


 マピットは思わず、率直な感想を口から洩らしていた。

 ギルドの主人が指で示す待合席には、椅子で座ったままだらしなく昼寝をしている世羅の姿がある。



 半信半疑で近寄り、その身体を揺する彼女。



「ちょっと…あなた、起きてくれる?」


「う……ん!?」


 瞼を開くと、前には目の覚めるようなピンク色のドレスを着た少女が居た。

 世羅は思わず、抱えていた刀を落としそうになった。



「…こういう仕事では、初めてだわ……私くらいの年齢の娘を見たの。」


 興味深々の様子で、さらに顔を寄せてくる彼女。



「?」


 その視線を、世羅は見下ろした。

 人を見上げない形になったのは、およそ初めての経験である。


 そのくらい、相手も少女だった。



「私が依頼人よ。

 正確には、組織の代表としてだけど……品物を受け取るわ。」


「……あ、うん。」


 そこでようやく、世羅も状況を把握し、刀を取る。

 そして、相手に両手でしっかりと手渡した。



「ありがと。

 じゃあ、これ報酬なんだけど…」


 肩に提げたポシェットから封筒を取り出しかけて、そこで手を止めるマピット。


 嫌に作業的な会話と、間。

 何か面白くなかった。



 普段だったら、絶対にそんなことは思わない。



 自分は社会の闇に生きる者である。

 決して、陽の当たる場所で生きることは出来ない運命だと割り切っていた。


 そしてそう、ずっと理解してきたつもりでいた。



「…ねえ、あなた、甘いもの好き?」


 だが、そんな思考とは別の言葉が、口から勝手についていた。



「??」


 突然の申し出に、相手は無反応。



「こ、これから、甘いもの食べに行かない?

 仕事で面倒かけたお詫びに、おごってあげる。

 この近くに、行きつけの美味しいカフェがあるの。」


 照れからか、思わず早口になる。



「行く!!」


 今度は、二つ返事で彼女は答えてくれた。


 警戒されなかったと安心すると同時に。

 マピットには、その屈託の無い様子に、何か心がおどるものがあった。




◆ ◆



◆ ◆




 首都における、貴族邸宅が建ち並ぶ一等区画。


 その中の一角にあるデスタロッサ家では、主の久々の帰還に、異様な緊張感に包まれていた。



「―――それにしても、この参加人数の少なさはどうにかならんか。

 これでは、『大会』の形を成さんぞ。」


 書斎机の上に様々な書類を散らかしたまま、身なりの良い中年の男が呟く。



「も、申し訳ありません。

 チバスティン様。」


 その対面。

 腰を鋭角に曲げ、床に付いてしまいそうなほど深く頭を下げているのは、秘書役のウェイ=ルネント。


 中流階級の出身である彼女は、大学を卒業後、こうして中王都市政府の議員である彼の元で修行をしている。


 …とはいえ、彼の外交・巡遊に同行することは叶わず、留守と庶務を任されている程度。

 だが、その仕事ですら、彼の求める水準には達していないようだった。



「謝罪など要らん。

 君も本気で政治家を目指すつもりがあるならば、とにかく足を動かしたまえ。

 これなら、私自身が手配した方が、まだマシだったというもの…」


「と、とりあえず、このビラを大量に作成しましたので。

 現在、各方面にばら撒いております。

 ちまたは近日中に、この話題で持ちきりになるかと。」


「……仕事が遅い。」


 彼は言い放つ。



「どうせやるなら、最低でも半年前から根回ししたまえ。

 早急すぎる政策は、民を余計に混乱させることが多々ある。」


 その語りは、政治家らしく、理屈が鼻につくところがあった。



「とにかく……こうなってしまったら、人数の面でていを成していればいい。

 頼むぞ。」


「か、かしこまりました!!」


 そこでようやく頭を上げ、ずれ落ちていた眼鏡を直すウェイ。



「そのビラは、何枚かよこしたまえ。

 私の方でも色々と当たってみる。」


「あ、はい…」


 彼女は彼が指示するまま、机に近付いて、紙を一束置いた。



(何だよ……結局、使うんじゃん……!

 これからラストスパートかけようって時に、タイミング悪く帰ってきやがって……。

 小言だけは多いんだからよ…さっさと引退しろ…。)


 そして、心の中で恨み嘆きを繰り返す。



(大体、こんな子供だましの企画がウケるわけねえっつーの…)


 さらに手元に残った紙面を眺めながら、彼女は顔をしかめた。



「…そうだ、私は忙しくてな。

 一連の催しにも、初日と最終日に少し顔を出せる程度なのだ。

 全日程の現場進行は、君に任せる。」


「………は?」


 彼の突然の申し出に、彼女は思わず素に戻り、間抜けな言葉をひり出すことしかできなかった。



「この企画の趣旨を知る人間も少ない。

 まあ、これも政界修行の一環だ。

 人脈も広がるし、悪くはなかろう。」


「し、しかし、私は、こんな野良仕事は…」


「頼んだぞ。」


「りょ、了解しました……」


 一人で勝手に話を進めていく彼に対し、吐き出しそうになる唾をこらえて、今度こそ彼女は退室する。



 だが、その際に開けた扉の先に、廊下を歩く軍服姿の少年。

 再び苦手とする人物との出会いに、深く礼をして顔を逸らす彼女。



「お、お疲れ様です…。

 コルツ……お坊ちゃま…。」


 その震える声に、室内のチバスティンは視線を上げた。



「今日は、コルツも居たのか。

 ちょっとこっちへ来なさい。」


 調子を少し穏やかに戻して、息子へ呼びかける彼。

 コルツは渋々、共に居たマルリッパに背を押され入室する。



「ムーベルマでの事故の話は聞いた。

 …お前の部隊も、随分と被害があったそうだな。」


 彼は鞄から厚い書類を出し、それに目を移しながら言った。



「今回の件で、内務官僚はてんてこまいだ。

 逆に、こちらはやりやすいが…」


「………。」


 コルツは終始、何も反応しなかった。

 真実を話しても、どうにもならないことが分かりきっている。



「それで、お前の部隊のことだが…。

 もしも新しい人員や機体が必要なら、また私が口利きを…」


「いらねえよ。

 俺は軍隊の一員なんだ。

 そういったものは、自分で陳情する。」


 息子から返される一言に、父親は目を丸くした。



「そうか。

 色々あったのだな、お前も。」


「……!!

 そんな知ったふうなこと…あんたに言われる筋合い…」


 言いかけたまま、口を止め。

 コルツは、そこで体を反転させて勝手に退室する。



「…マルリッパ君。

 これからも、息子のことをよろしく頼むよ。」


 チバスティンは、それをとがめることもせず、残った彼へと声をかけた。



「……はい。」


 一礼して、すぐに踵を返すマルリッパ。



「ああ、待った。

 ちょっと、これを持っていってくれ。

 参加人数が、いちじるしく不足していてな。

 君の知り合いに手頃な人間がいたら、ぜひとも勧めて欲しいのだが。」


「?」


 差し出された紙切れを、言われるがまま受け取る。

 そして急いで廊下へ向かうと、コルツが先を歩いていた。



「……人の顔もロクに見ない奴の政治が、国を良く出来るなんて思えねえな。

 大体、報告に上がった文字や数字だけで、現場の実態がつかめるわけねえだろうがよ。」


 マルリッパが追いつくと、小馬鹿にした態度で肩をすくめる彼。



「親父さんだって、親父さんなりに一生懸命なんだよ。

 そこは、認めてあげなきゃ。」


「バカらしいぜ。

 これから先…この国が戦争になっても、どうせあいつら政治家は、自分が傷つかない場所で書類と格闘だ。」


「……。」


 あからさまにうかがえる親子の溝に、マルリッパは、もどかしい思いがした。



「それにしても……何だよな。」


 そんな中、少し歩を緩めてから、切り出すコルツ。



「あれだけ努力しても、報われねえこともあるんだよな…」


「…タンダニアでの件かい?」


「ああ……。」


「仕方ないさ。

 結果はどうあれ、僕らはやれるだけのことはやったじゃないか。」


 一応、事件の当事者であった二人には、モンスロンの暗殺のことが耳に入れられていた。

 これは軍隊の判断である。



「しかしよ…どうにも、やりきれねえというか…」


「もしかして、ルベランセの人達のことが心配?」


「…!

 違うって。

 だが、あいつら、落ち込んでいるんじゃねえかと思ってよ。」


「世間では、それを心配と言うんだけどねぇ…。」


「う、うるせえ。」


「…何か…元気の出ることでもあればいいけど…」


 二人は立ち止まり、廊下の窓から、若い緑葉が生い茂る庭園を眺めた。



「…ところで何だ、その紙は?」


 コルツはそこで、マルリッパの手に握られた書類に初めて目を付ける。



「さあ…親父さんの仕事関係みたいだけど…」


「……なに…『大会概要』?」


 ビラの表の説明文を、うさんくさそうに眺めるコルツ。

 そして、それを何気なく裏面に返す。



「…親父の野郎……さんざん偉ぶりやがって…。

 今、こんな下らねえ仕事を…してんのかよ…」


 興奮に肩を震わせるコルツ。

 マルリッパはそのまま、彼の両手に握られた紙面を読み取った。



「……!!

 でも…これは…もしかしたら……」


「いいかもな。」


 二人は同時に目を合わせ、頷き、駆け足になる。

 そして素早く外出の支度をして、飛び出していった。



◆ ◆



 カフェ・ド・ラソーネル。



 首都を突き抜ける大通りの小枝。

 15番路と銘打たれる道の先に、その小さな喫茶店はある。



 店内の照明は、いつも明る過ぎないように保たれており。

 どっしりと落ち着いた大人の空気を醸し出していた。


 夕方から夜にかけて、そこで甘いひとときを過ごす恋人達も少なくない、隠れた人気スポットでもある。



 玄関先では、コーヒー豆が詰められた樽が、挽く以前から香ばしい匂いで歓迎してくれる。

 そして鈍く鳴る、扉にかけられた鈴の音は、客の入店の合図だった。



「こんにちは。

 この時間、いいですか?」


 いかにも利発そうに挨拶をする、世羅を後ろに従えたマピット。

 すると、カウンター奥で黙々と皿を拭いている、妙に体格の良い壮年紳士が軽く会釈を返した。



 他に、店員も客も居ない。

 この店はまもなく、一旦休憩する時間帯である。


 それに構わず、マピットは慣れた足取りで、カウンター近くの窓際―――四人用の席へ向かい。

 そこへ世羅も招かれた。



「私は、マピ……じゃなくて、ピットね。」


 フリルの付いたスカートを巧みに畳みながら対面に座る彼女は、流石に本名を名乗るのはまずかろうと、

咄嗟に判断して言った。



「ボクは、世羅。」


「世羅……。

 ふふ、面白い名前。」


「…かな?」


 そう言って微笑みかけられると、マピットは彼女を誘ったことに、後悔の念を少しも抱かなかった。



「ねえねえ。

 世羅は、けっこう食べる方?」


「……うん。」


 その質問の真意が分からないため、世羅は遠慮がちに呟く。



「じゃあ、マスター。

 いつもの『ジャンボ・パフェ・ノワールスペシャル』、二人前ー。」


 カウンターへ向かい、マピットは大袈裟に手を振って注文した。



「食べ切れなかったら、残してもいいからね?」


「なに頼んだの?」


 世羅は不思議そうな表情で訊く。



「それは、きてからのお楽しみよ。

 …こういった店は初めて?」


「そうだね……こういった所で食事したことないや。」


「……世羅は、どこに住んでるの?」


「決まってないよ。

 …最近、住んでたところ…無くなっちゃったから。」


「……!」


 平然と答える世羅だったが、マピットは一方的に気まずさを感じた。



(ああ……それで合点がいったわ…。

 この歳で、こんな仕事するなんて……きっと、家庭が苦労してるのね。

 難民とか…そういう関係かしら…)


 そして、全くもって勘違いした思いで、彼女は相手を凝視していた。

 そんなことも露知らず、当の世羅は物珍しそうに窓外の街景色を眺めている。



 暫しの時間が流れた。

 沈黙を破るには都合の良い、大きなパフェグラスを持って、マスターがテーブルに近付く。



 マピットは、それらを受け取って、世羅と自分の前へと置いた。


 細長いグラスの頂点には、アイスクリームとウエハース。

 一層目はクリーム、二段目はフルーツ、三層目はコーンフレークが敷き詰められている。


 そして、『ノワール蜂』の巣からとれる甘いシロップを、この上からかけて食べるのが、このスイーツの流儀であった。



「これ、食べていいの?」


「召し上がれ。」


 一連のやり方を世羅のパフェに施してあげて、マピットは笑顔で言った。



「…ここ、いい場所でしょ。

 中王都市に住む気は無いの?」


「うん?」


 世羅は長いスプーンをグラスから抜いて、彼女の質問に顔を向ける。



「…?」


 そこでマピットは、半分になった世羅のパフェに気付いた。



「まだ、わかんない。」


「そ、そうなんだ。」


 水を飲んで口直しをしながら、生返事をするマピット。

 その間、何度もまばたきをする。



(あ…あれぇ?

 こんなに……少なかったかな…このパフェ…)


 そして、その隙にも、空になろうとしている世羅のグラスと、自分の残ったグラスとを比べてみる。


 マスターが運んだ二本は、確かに同じ量だった。

 自分が受け取ったのだから、間違いは無い。



(普段は、一時間くらいかけて食べるものなんだけどな…)


 マピットはパフェのクリームを穿ほじくり、下のフレークと混ぜながら、考えていた。


 だが、せっかくの機会である。

 くだらないことを思うのは、やめにした。



「ねえ…世羅。

 ……いま好きな人とか、いる?」


「…沢山いるよ?」


「あ。 今の無し!無し!!

 そういう軽いニュアンスじゃなくて…」


 慌てて手を目の前で振り、ピットは赤面する。



「?」


「鈍いわねー、恋人がいるかってこと。

 そういう気持ちは、女の子の必需品よ!」


「え……?

 よくわかんないよ…」


 気圧されたまま、難しい顔をする世羅。

 それを恥じらいと間違って捉えたマピットは、好奇をそそられる。



「私にはいるんだ、そういう彼。

 そろそろ、来る時間なんだけど…」


 彼女が自慢げにそう呟くと同時、店の扉が鈴の音と共に開かれる。


 黒いスーツを着た青年―――ユイウス=ノーツ。

 彼の青い瞳は、すぐに世羅に目をつけていた。



「どうしたの?

 ユーイ?」


「!」


 彼はマピットの呼びかけで、ようやく視線を彼女に移す。



「……お前の方こそ…どうした。

 その子は?」


 きっと、自分の他には誰もいないと思っていたのだろう。

 そこへ見知らぬ少女がいるのだ。


 彼の反応は、至極当然だと、マピットは思い直した。



「紹介するわ。

 この子、世羅っていうの。

 依頼で面倒かけちゃったから、そのお詫びを兼ねて…ね。」


「……そうか。」


 近寄る彼。

 だが、彼女達の席にはつかずに、そこに程近いカウンター席の端に座る。


 世羅は、その様子をずっと目で追っていた。



「ピットの友達?」


「いや、私の未来の旦那様…」

「同僚というか……仲間だ。」


 彼は、マピットの言葉に素早く重ねて言った。



「ユイウス=ノーツという。」


「な……!

 何でそうやって、簡単に!?

 私、こんなに気を遣ってるのに…」


 そして、無頓着な彼の名乗りに、立ち上がって顔を怒張させる彼女。



「名前など、どうでもいい。

 それより、マスター。

 いつものをくれ。」


「……いいのかい?」


 ふだん寡黙なマスターが、一言だけ呟いて訊いた。



「今日は腹具合がいい。

 記録を更新できそうな予感がする。」


 不敵に笑い、ユイウスは言い放つ。



「ちょ、ちょっとユーイ!

 今日は……それ、遠慮してよ…」


「最近、ロクな物を食べてなかったんだ。

 それに、遠征した後は、これと決めている。」


「ぶぅ〜〜〜〜〜。

 だから、お弁当渡したのに……この食いしん坊!!」


 手足をバタつかせながら、マピットは叫んだ。



(…あんなの食えるか……)


 先程、それだけは止めてくれと懇願する部長の机に、半ば強引に置いてきたバスケットを思い返しながら、彼は半眼になる。



「何?

 ボクも食べたいな…何か分からないけど…。」


「お嬢ちゃん…悪いが、遊びじゃねえんだ。」


 好奇心で近付く世羅に、マスターは首の蝶ネクタイを外しつつ、渋い声で呻いた。



「この裏メニューはよ……いわば、この店の命がけの所業なのさ…」


 そして、上着とワイシャツを脱ぎ捨て、筋肉隆々の上半身を見せ付ける。



「これを作った後は…匂いが店内にこびりついちまって、三日は営業できねえんだ。

 それくらいの覚悟、推して知ってくれってもんよ。

 ……だからこそ、俺が心底、『オトコ』と認めた人間にしか出さねえと決めてる。」


 白い口髭の下に薄笑い、そして、やけに遠くを見詰める目元。

 そんな達観した表情で、彼は恍惚と呟いた。



「そ、そうよ、止めた方がいいわ。

 あのメニューだけは、本当に…!!」


 マピットも必死になって止める。



「まぁ……いいだろう。

 実際にこれを見れば、きっと挑戦なんてしようとは、決して思わな…」


「マスター…どうでもいいから、早く作ってくれ。」


 うんざりした顔で、割って入るユイウス。



「おっといけねえ。

 腹ペコだったんだな。

 今すぐ、用意するぜ。」


 マスターはカウンターから、隠された鉄板を引き出し。



「むン!!

 《火・生》(ホヲラ・キー)!!」


 その真下に備え付けられている大窯に、無駄に暑苦しい源法術で火をくべる。


 そして火が安定する間、奥の保冷庫から携えて来たのは、大きな肉の塊だった。



「驚いたかい、お嬢ちゃん。

 これがウチの裏メニューのスペシャルステーキの材料だ。」


「………すごい。」


「おっと、ただのステーキと違うぜ。

 質も最上級だが、厚さが他の店とは比べもんにならねえんだ。」


 彼は肉切り包丁を取り出し、目の前で厚くさばいてみせた。



「どうさ。

 こんな、長靴の底のようなクソ厚いステーキ肉を……あんた、見たことあるかい?」


 世羅はぶんぶんと、首を左右に振る。

 それに気を良くしたマスターは、誇らしげに、油の敷いてある鉄板に肉を投げつけた。



「そして、この上に、搾りたてのニンニクをぶっかけて焼く。

 これが、漢のロマンってやつよォ!!」


 言うとおり、取り出したニンニクの束を素手で重ね、鉄板の上でごりごり潰す。

 それが生のまま落下していくと、独特の、むせ返るような香りが店内に立ち込めていった。



 一方。

 ここが喫茶とは全くそぐわない雰囲気に変貌してきたことに、立ちくらみを起こすマピット。



「ハッ!

 女子供には、一生かかってもわからねえだろうなぁ。

 肉汁と血がしたたる、こんなニンニクまみれのステーキをかぶりつく漢のロマンを…」


「ねえ、世羅……離れましょうよ…。

 油がはねるし、髪に臭いがついちゃう。

 それに、このハイテンション状態になったマスターは、超・危険なんだから…」


 カウンター席から、身を乗り出して調理を眺めている世羅の二の腕を、彼女は引いた。



「これ、食べたいよぉ…」


 だが、それに全く動じることなく、世羅は切なそうに呟いた。



「ふ。

 ただの興味でそんなこと言っちゃあ、ダメだぜ。」


 そんな彼女を無視し、マスターの手からユイウスに差し出されるステーキ。

 湯気がたちこめる鉄板皿には、例の肉が二枚ほど乗っかっている。



 ユイウスは手にしたナイフで、それをすぐさま何切れにも分ける。

 切れ目から涌き出た肉のスープが、さらに食欲を増すようだった。



「………。」


 その後、至福の時を満喫するユイウスだったが。

 食べる最中、ずっとそれを凝視している世羅の眼が気になって仕方なかった。


 何か、心地の悪いものがある。



「…しょうがねえ。

 常連の友達じゃあ、特別だぜ。

 一枚だけだ、無理はするなよ?」


「!!」


 見かねて料理を差し出したマスターの言葉に、世羅は跳んで喜んだ。



「いただきます!!」


 ユイウスとは違い、肉を大胆に半分に切る。

 そして、その一片をフォークで突き刺すと、まだ熱い肉塊を一杯に広げた口の中に放り込む彼女。



「!!」


 脇で食べていた、ユイウスの手が止まった。

 対照的に、もう一度手を動かした世羅の前の皿は、空になっている。



「……何だい、そりゃあ?」


 呆気に取られたまま、マスターは呟いた。



「すごーい、手品?

 手品……だよね?」


 マピットは笑顔を引きつらせて、世羅の全身を、特に腹の辺りを重点的にまさぐる。



「く、くすぐったいよ…」


 彼女は苦笑して言った。



「………タネや仕掛けは…?」


「……。」


 マスターの眼差しを、マピットは首を振って否定する。



「この子、食べちゃってる。」


「当たり前じゃないか。

 …これ、おかわり欲しいな。」


 世羅は反論と催促を同時にした。



「……何ですと?」


 肉焼きフォークを軽く握ったまま、マスターが呟く。



「こんな美味しい肉、はじめて。

 おっきいのがいいよね。」


「……。」


 彼女の率直な感想に、マスターは目に涙を浮かべて天井を見上げていた。



 そこで、玄関の鈴の音が鳴る。


 甘い香りを期待していた、年頃のカップル。

 だが、店内に充満した煙と香りに、あからさまに困惑の表情を浮かべる。



「あの…ここ…ラソーネルですよね?」


 女性が口を開くと同時。



「すっこんでろい、素人が!

 今日は、店じまいでい!!」


 返される、突然の恫喝。

 哀れ、カップルは逃げるように去っていく。



「俺としたことが、すっかり忘れてたぜぇ……!

 ピットちゃん、閉店の札、玄関にかけといてくんな!!」


 マスターのエンジンは、さらにかかってきたようだった。



「ふぇ…なんで、私が……。

 ていうか、なんで、こんな展開なのよぉ…」


 泣く泣く、言うとおりにする彼女。



「嗚呼……10年前を思い出すぜ…。

 当時、マニアックすぎたオレの料理は、誰にも理解されず、店の経営は傾いた。

 そして泣く泣く、生活のために、こんな軟弱な商売を始めたんだっけなぁ…」


 完全に夢の世界に旅立ってしまっている表情で、マスターは独り言を呟きながら、肉を焼き続けている。



「だが、年月を経て、ここで女子供に理解されるとは思わなかったぜ。

 今日はとことん…………焼いちゃうよ!!」


 そして、不気味なスマイルと共に、手を返す勢いは増していく。



 一枚、一枚とそれまで順調にこなしていたユイウスも、それには手が鈍った。

 だが、脇の世羅は平然と食べ続けている。


 それも、楽しそうだった。



「ユ、ユーイが押されてる……!?」


 やがて事の重大さに気付いたマピットは、青ざめて呟く。



「マスター……もう一皿…。」


 悪夢を振り払うかように、ユイウスは休まずに注文した。



「いいのかい?

 あんた……相手のペースに調子を崩されていやしないか?」


「!!」


 マスターからもたらされた図星に、彼は目を見開く。



「…気遣いは、無用。

 勝負……!!」


 死体のような表情で呻くと、既に用意されていた肉が、容赦なく目の前に置かれる。


 彼の意識とは別に、胃が躊躇するのを感じた。


 そしてここまでくると、彼は自分の皿ではなく、世羅の皿をしきりに気にするようになっていた。


 現在、丁度同じ枚数なのである。



「な…なんで、張り合ってるの?

 相手、女の子なんだよ?」


 その様子を見かねて、小声で囁くピット。



「……だがらこそ、負けられん…。」


 口元を押さえつつ、彼は呻く。



「―――ごちそうさま。

 もう食べれないや。」


 だが、終戦は唐突に訪れた。

 満足と余裕の入り混じった顔で、ナイフとフォークを置く世羅。



 途端、ユイウスは強張っていた全身を緩める。



(……た、助かった…。)


 そんな彼の心の声を。

 傍らでマピットも聴こえた錯覚さえした。



「ボク、そろそろギルドに戻らなきゃ。

 二人が帰って来てるかも。」


「あ……仲間と一緒だったの?

 そうなんだ…。」


 世羅を見送るため、彼女も立ち上がる。



「ありがとう。

 今日は楽しかった。」


「…私もよ。」


「また、会いたいね。」


「この店、よく来るから。

 今度は落ち着いて…」


 世羅の背景では、マスターがカウンター越しに親指を立て、汗ばんだ顔を輝かせていた。



「今度こそ、落ち着いてお茶しましょ?」


 笑みを引きつらせ、マピットはそこを強調する。



「じゃあ…」


 世羅は別れ際、椅子でだらしなくのびているユイウスの方を見ていた。



 やがて扉が開けられ。

 鈴の音と共に、消えていく。



「…また、会いたい…か。

 でも、私が殺し屋みたいな仕事しているなんて、あの子が知ったら……軽蔑するだろうな…。」


「ピット……お前、本当は…」


 席に戻った直後のマピットの小さな呟きに、ユイウスは椅子に背をもたれたまま言った。



「ち、違うの!

 別に、仕事が嫌とかじゃなくて!!

 これは、仕事とは別……だから。」


 心配させまいと、必死に言い繕う彼女。



「…でも、ちょっと、はしゃぎすぎだよね。

 今まで一度だって無かったから…。

 同じ世代の子と、触れあうこと。

 他愛のないおしゃべりだって…全然…」


「すまんな。」


「ユーイが謝ることない!!」


 彼女は赤面しながら、叫んだ。



「私が…無理矢理…組織に押しかけたんだもん。

 ユーイは…悪くないよ…」


「……。」


「私、ユーイのために…生きてるんだもん。」


「…それは、つまらん生き方だぞ。」


 ユイウスは、表情を変えずに言った。



「…仕事に支障が無ければ、これからも、たまに会ったらいい。」


「いいの?」


 その言葉に、彼女は本当に真剣な顔で訊いた。



「いいさ…。」


 だが、彼はテーブルに置かれた空のパフェグラスを眺めている。



「俺にとっても、久しぶりに燃えられるライバルだからな…」


「…あのねぇ……。」


 それはマピットにとって安心と同時に、複雑な心地であった。



「そうだ、これ、依頼関係の書類なんだけど…」


「そろそろ帰ろう。

 満腹になったら、眠くなってきた。」


 帰り際。

 能天気な彼の呼びかけに、マピットは封筒を取りかけて、やめる。



「ま、いっか…」


 刀と一緒に、封を重ねる彼女。



 その中の書類にルベランセの名が記されていることを、この時の二人は知る由も無かった。



◆ ◆



 やがて、夕暮れが街を支配してくる。


 ザナナはとりあえず、森が見える地点までは進みたかった。


 だが土地勘の無い彼。


 行けども行けども、息のつまりそうな景色は変わらない。

 感覚だけを頼りに、自然と寂れた方へと足が向く。



 やがて行き着いた先は、貧民街のようだった。

 ボロを着た子供の一人が、寄ってくる。



「女神が〜〜裁きの手を下す〜

 愚かな人間と獣の〜〜土地〜〜」


 そして頼んでもいないのに、決して上手いとは言えない歌声を勝手に披露する彼。


 さらに路地の裏からは、別の娘が古ぼけた果物を差し出してくる。



 豹頭はずっと、それらを冷めた目で見下ろしていた。

 子供達は怯えながらも、果物を買ってもらおうと必死に腕を伸ばす仕草。



「……。」


 根負けしたザナナは、思い出し、自身の袖の中をまさぐる。

 そこには、まだ小銭が入っていた。


 バーグが以前、どこかで必要になるだろうと、持たせてくれた貨幣だった。



 その全てを握って取り出し、それを子供達に渡す。

 彼等は驚いたような表情で、差分を返そうとしたが、ザナナは受け取らなかった。



 そんな貧民街の路地を抜ければ、その先には一台の荷馬車が停まっていた。


 つぎはげだらけのテントが乗った馬車。

 その後ろには鉄環で繋いだ、車輪つきの大きな檻がある。


 結界と鋼鉄の棒で出来た柵であった。

 中を覗くと、小型の凶獣が生きたまま閉じ込められている。



「なんだい、あんた。

 人様の売り物をジロジロ見ちゃってさ!!」


 威声と共に、荷台の影から飛び出してくる大きな狐の顔。

 流暢りゅうちょうなフ族の言葉ぶりだが、彼も不笑人だった。



 一瞬。

 二つの獣の顔が、向かい合う形となる。


 だが、ザナナは特に言い返しもせず無言で顔を背け、そこから離れようとした。



「お、なんだ。

 アンタも不笑人かい……なら、ちょっと待ちなよ。」


 口調を一転、引き留める狐頭の彼。

 ゆっくりと、わずかに振り向く豹頭。



「オレは凶獣を専門に扱っている肉屋なんだ。

 そんでもって、名はンマーロ。

 よろしくな、兄弟。」


「……ザナナだ。」


 伸ばされた握手に応じないまま、彼は呟いた。



「…ザナナ?

 待ってくれよ、どっかで聞いたことある名だなぁ…」


 彼の白槍と着物をまじまじと見直す。



「あぁ!?

 もしかして、あんた、東方の黒豹族のザナナかい?」


「………。」


 そして彼が放つ嬌声にも、ザナナは無反応の態度を示した。



「あんた、こっちの世界じゃ結構な有名人なんだぜ。

 何でも……ゴーベ付近で、あの難攻不落だった『蠢く森』を突破したって言うじゃあねえか。」


「違う。」


 ザナナは、相手の高揚を遮る。



「あれは、ザナナ一人の、成功ではない。」


「へえ、良い仲間でもいたのかい?」


「………。」


 その時、ンマーロは相手の瞳に流れる、暗い影を見逃さなかった。



「いま身が空いているんなら、一緒に仕事をやらないか?

 実は、ものすごく大きな仕事が入っているんだよ。

 とてもじゃないが、手が足りない。

 あんたが加勢してくれるなら、百人力なんだがな。」


 そして、さかしそうな顔で、にじり寄る。



「……無理だ。」


「そんなことねえって。」


 笑い返し、馬車にかけられていたテントの外幕をめくるンマーロ。


 その中には、別の不笑人たちが座って待機していた。

 ザナナは驚き、それらを見回す。



「お前さんに何があったかなんて、あえて聞かねえさ。

 だがな、こっちの社会に出て、こっちの人間に触れて、疲れたり傷ついたりする同胞を目にするのは、珍しくないんだ。」


 彼の言葉どおり、不笑人たちは誰もが、生気の抜けた目を患っていた。



「オレたちの本性はよ、純粋な闘争の中にのみ、あるんじゃねえのかい?

 それを、フ族ってのは、妙なしがらみを背負わせて……面倒くさくしやがってよぉ。」


 薄目になりながら、ンマーロは続け。



「オレはな、それらを癒せれば…って、不笑人の仕事と保護を約束してんだ。

 ほれ、あんたも乗りなよ、兄弟。

 騙されたと思ってさ。」


 半ば強引に、ザナナの背中を押す彼。



 懐かしい匂いに吸い寄せられるように。

 その馬車に乗り込んでいく獣の顔をした彼を、付近の住民は誰も不思議に思わなかった。



◆ ◆



「今日は……どれだけ、俺様が待ちぼうけ食らったと思ってんだ。

 ギルドに居ろって言ったのに、勝手に出歩きやがって…。

 あいつ、一体どこに行ってたと思う?」


「わからねえな。」


 戒とバーグは、宿の窓際で座りながら話していた。

 そこから差し込む赤い夕陽は、外の街道や建物さえも自身の色に染めている。



「依頼人に、何かおごってもらったらしいぜ。

 こんなに腹を膨らませやがってよ。」


 大袈裟に、自分の腹上を半円描いてみせる戒。



「はは。

 世羅だって、ああ見えても年頃の女の子なんだぞ。

 自分で判断して、誰かと一緒にメシ食うだろうし、デートだってするだろ。」


 バーグはからかいながら、視線を流す。

 部屋の奥のベッドでは、世羅が頬を膨らませて、枕を抱いてそっぽを向いていた。



「…まあ、そんなことは重要じゃねえな。

 ……本当に『ザナナは、役立たずだから追い払った』って説明しちまったのか?」


 改めて訊いてくるバーグに、戒は無言のまま頷いて示した。



「…お前、損なことしてるよなぁ。」


 苦笑して、煙草を灰皿に押し込む彼。



「馬鹿野郎、本当のことが言えるか?

 あいつが自ら望んで、去ったことなんてよ。」


「だからって、お前一人だけ泥をかぶりすぎだぞ。

 世羅に嫌われたらどうするんだ。」


「別に…構わねえよ。

 一緒に居なきゃいけない理由なんて、無いんだからな。

 てめえらとも、そうだ。」


 戒は、やけにねた口調と態度で呟いた。



「お前……本当、どうかしてるぜ。

 会った当初は、目的のためなら手段を選ばない感じの小僧だったじゃねえか。

 まあ、あの頃から、根は良い奴って感じだったけどな……それが今は…」


 またからかうような笑みを浮かべ、バーグは言う。



「目的なんてどうでもいい……そんな感じに見えるぜ。」


「ふっきれてなんか、ねえよ!!」


 だが、戒は過剰に反応した。

 軽い気持ちで言ったバーグは、完全に呆気にとられている。



 そして、その大声に。

 同じ室内に居た世羅、そしてパンリも、驚きの眼差しで顔を向けていた。



「俺様には…やるべきことがあるんだ…。

 今は…少しだけ、暗礁に乗り上げているだけだ、諦めてなんかいねえ…。

 諦めてなんか……」


 それらから目を背け、言い訳のように戒は呟く。

 だが、それらの語句が、彼の本音を少なからず語っているようでもあった。



 頼みの綱だったルベランセと、そのコミュニティの崩壊。

 彼にしてみれば、大きな挫折に違いなかった。



「なあ、俺は別にな…お前に巻き込まれたなんて、思っちゃいねえぜ。

 むしろ、若いうちは、周りを巻き込むくらいで丁度いいんだ。

 ザナナだって、そこは同じだと思うがな。」


「………。」


「人生なんてな、うまくいくことの方が少ねえのさ。

 生き残った人間は、それを糧にしていくしか……」


 バーグの慰めも、今の戒には重い。



 そして、暗い空が景色の奥から見え始めた頃。

 不意に、部屋の扉がノックされる。



「…誰でしょう?」


 扉の傍にいたパンリが、不思議そうな顔で全員を見回す。



「シュナか…?」


 扉を開けるよう、顎で示す戒。



「…どうも…おじゃまします…。」


 それは意外な来客だった。


 棒キャンディーの詰まった大きな箱を抱えて現れたのは、マルリッパ。

 その背後で腕組みをして、居心地悪そうにしているのは、コルツである。



「どうしたんだよ、懐かしい顔じゃねえか。

 ここが、よく分かったな。」


 真っ先に立ち上がり、バーグは戦友の来訪に歓迎の狼煙を上げた。



「ええ、この辺の宿は限られてますから。」


 それでもマルリッパは、室内の空気の重さを肌で感じ、神妙な顔つきで答える。



「…大した用じゃねえんだが…。

 てめえらが、落ち込んでいると思ってな…」


 コルツは、あさっての方角を見ながら呟いた。



「それを分かってて、冷やかしに来たのか。」


 窓枠に肘をつき、自嘲めいた笑いと共に睨む戒。



「ああ、そうさ。

 ざまあねえなって…!」


「そうじゃないだろ、コルツ。

 ちゃんと用件を言わなきゃ…」


「だったら、お前から説明しろ。

 俺はこういうのは苦手なんだ。

 用件を終えたら、さっさと帰るからな!!」


「?」


 いまいち話の見えない二人のやりとりに、戒とバーグは眉をひそめた。

 マルリッパは急かされて、一枚の紙切れを差し出す。



「実は……コルツの親父さんは、政治家でして。

 中王都市の盛り上げを図るため、こういうイベントを企画したらしいんですよ。

 良かったら…皆さんで、参加してみたらどうだろうって…。

 気分転換にもなるんじゃないかな?」


「…イベントだと?

 なめんなよ……。

 そんな子供だましで…気分転換なんてするはず…」


 それを受け取りながらも、戒は気の乗らない表情で紙面を眺めた。



「……がっ!

 おい……これって…!!」


 だが直後、驚きの声を上げて、椅子から転げ落ちる彼。


 宙に舞った紙切れをキャッチし、それを読むバーグ。

 さらにその背後から、世羅。



「…ほう。

 これは、すごいな……。」


「うん……。」


 にわかに興奮する彼等。


 そんな様子を見て、マルリッパは安堵し、脇へ顔を向けた。

 すると、誰もいない。



 だが、既にこの喧騒を後にした彼も、宿の外で笑顔のはずだろう。


 そんな事を思いつつ。

 マルリッパも静かに部屋を出て、扉を後ろ手で閉めた。






◆ ◆



◆ ◆



 幾多もの、王族の馬を引き。

 己は徒歩にて、武人が独り。


 衛兵の制止を振り切り、帷幕いばくへ到る。



 迎えるは、各国の将校たち。

 彼に向く、美麗な鎧。



 親兄弟も。

 恋人も。


 全て振り切り。


 対峙する。



 たった独りの大偉丈夫。


 眼の大きな大偉丈夫。





 後世にアルドの叛乱の『中期』と呼ばれる時代にさしかかった頃。



 当初に比べ、大陸十字軍の勢いは上向きつつあったが、戦線は各地で膠着していた。



 叛乱軍が縦割りで統率されているのに比べ、十字軍は混成部隊である。

 集まった将達は、それぞれ別の国から軍勢を率いており、皆を纏める盟主もこれといって存在しない。


 それ故、各将は損得勘定が見え隠れする戦闘を繰り返しては。

 万事、決め手に欠けていたため、戦場を長く支配することが出来なかった。



 さらに各地で断続的に発生する難民の問題も深刻であり。

 この時節も、大陸中西部におけるシェルツビック会戦の後、とある小国へと10万を越える難民が流れ込んだ。


 かの王は温情でこれを受け容れたが、いずれその領土も戦場に陥ると、難民達はたちまち暴徒へ変わったという。



 王宮・市民・農民へ対しての、略奪と陵辱。

 そして暴虐の限りが尽くされる―――



 男は、自身の鎧に巻きつけて守っていた赤子や子供を地に降ろしながら、そうして、まさに『地獄』を語るようだった。



 だが対面。

 それに聞き入る帷幕の将達は、迷惑そうな表情を隠そうとしない。


 目前の叛乱兵でさえ、手を焼いているのだ。

 これ以上、面倒を抱える余地などは微塵も無かった。



「それで…貴殿は、何をお望みかな?」


 やがて、一人の将が重い口を開く。


 男の身なりは、ひどく卑しい一般兵に見えた。

 適当な褒美さえくれてやれば、気が済むことだろう。



「……王族の安全を。」


 だが意外にも、彼は、崇高すうこうな言葉を呟いて返した。



「…それくらいなら…お安い御用だな。」


 気圧されて薄笑いを浮かながら、別の将が言う。


 そこで丁度良く。

 外の衛兵が入り口の垂幕を広げ、中を覗いた。



「おそらく、長旅で疲れているであろう。

 こちらへ案内しなさい。」


「それが…」


 口ごもる衛兵。



「馬上の人間は……すでに、しかばねとなっておりますが。」


「!!」


 諸将の驚愕にも、当の男は無表情で立ち尽くしていた。

 見れば、彼が地に降ろした赤子達も、既に息を引き取っている。


 瞬時に、帷幕には憎悪にも似た感情が渦巻いた。



「…貴様が、唯一の生き残りというわけか。

 余計な真似をしてくれたものだな……。

 暴徒どもめ、きっとここに押し寄せるぞ。」


 そして誰かが指摘した言葉に、立ち上がる数名。



「い、今すぐ、この陣を引き払え!

 撤退だ……いま正面の叛乱軍と挟撃されれば、無事では済まぬ!!」


 そう、慌てふためく彼等に。



「…敵は皆殺しに。」


 男は虚空を見詰めたまま、再び小さく呟いた。



「全て……殺して参りました。」


 視線が集まる中。


 呆けた声と共に触れる、彼の右腕。

 土と砂と血に塗れ、焦げ付いた二の腕の皮膚に、微かに光る紋様が見えた。


 事の真偽はともかく、そこから男がもたらし始めた妖気は、確実に各々の心地を悪くする。



「…対策は、明日に練ることとしよう。

 ……今宵の軍議は、これまで。」


 議長役の将の一言で、次々に男を横切り、その場を後にする彼等。


 その間。

 自軍の陣を引き払い、夜逃げの考えを巡らす者も少なくない。



 やがて夜の砂漠に囲まれた帷幕は、人気を失ったことで、より冷たい空間と化した。


 男は、直立した姿勢のまま動かなかった。


 ようやく湧いてくる、同胞を守りきれなかった無念。

 そして、己の所業への慟哭を胸に秘め、爪先に震えが訪れた頃―――



「おぬしも休むが良かろう。」


 肩にかけられる、温かい手。


 振り向けば、気さくさに溢れる笑顔があった。



「もう、何日も寝ておるまい。

 ……良ければ、私の陣に迎えたいが。」


 それは帷幕に残った若い将。



「しかしながら、自分は、たかが一兵卒…」


「だが、最高の騎士よ。」


 男の言葉を遮った彼は、地に放置されていた、赤子の亡骸を抱いて外へ向かう。


 自然と、男はその背中を追った。



 赤子達も、馬上で息絶えていた者達も、皆、王家を表す絹で包まれていた。


 それは、矢傷などを全身に受けた男の身体とは対称的に、外見が美しいまま。

 彼等の命は、戦場となった灼熱の自然に耐え切れなかっただけなのだ。



 将はただ独り、男の真意を解し、その日のうちに、彼等を安全な地で手厚く葬った。



 その行為に。

 この下賎の出身の男は、痛く感服したという。



◆ ◆ ◆



「―――それから、彼の元で叛乱軍の殲滅に当たり…。

 友と一緒に、功を立てたものよ。」



 フィンデルが目を覚ますと、夢の中で見ていた昔話が、頭上から続けられていた。



 まず判ることは、自分が柔らかい所で横たわっていること。


 頭を動かさずに、目のみで見回す。

 そこは小さな密閉された部屋のようだった。


 すぐ傍に、カーテンで覆われた窓らしき部分もある。



 遠くの位置に一人。

 対面には、座した二人が会話を続けており、自分の足元にも一人の気配を感じる。


 室内が暗いため、総じて、外見までは判断できない。



「……リエディン=フィラサンスカ四世…。

 聡明な御仁だったようですね…。」


 先の語りに応える、若い女性の声がした。



 フィンデルは、目覚めたことを、彼等に悟られないよう努めた。



 自分が路上でさらわれたのは、おぼろげながら憶えている。


 全身に感覚を広げてみると、手足は拘束されておらず自由のままになっていた。

 他の箇所も、特に暴行を加えられた様子は無い。


 ……そのことが余計に、相手の魂胆を読みづらくしている。



 下から見上げる室内の窓は、小さい。

 四人もの相手の隙をついて、そこから逃げることは、かなり難しい気がした。


 当面は、気を失っているフリを続けているのが得策だろう。



( ………?)


 そんな窓に注目していると、薄めのカーテンにも関わらず、中に漏れてくる光量が少ないことに気付いた。


 辺りはおそらく、夜になっている。

 これだけは、自分にとって有利か。



(!!)


 そこで足先から不意に、顔に近付いてくる刺激臭。


 アルコールだが、酒の類ではない。

 足元の男が全身に巻く、消毒液に漬けられた包帯が、その原因のようだった。


 彼は腰に剣をさげているものの、左腕を肩から失っており、さらに左足も満足に動かせない様子で迫ってくる。



 フィンデルは、その這うような不気味な動きと様相に、恐れを抱いた。


 目測が確かでない窓から逃げ出すかどうか。

 その『賭け』を考えた矢先。



「……お静かに。」


 包帯の奥からのぞく鋭い眼光で、彼女は先に動きを制された。



(……!?)


 さらに、見覚えのある白い小猿が、肩に登って来る。



(…これは……まさか…?)


 それを理解した時、彼女は思わず跳び起きてしまった。


 次の瞬間に目に映る、知った顔。



「お気付きになりましたか。」


「…アリアネ…さん?」


 うやうやしく会釈する少女に対し、呆然とその名を呟くフィンデル。

 続けざまに、大きな影が正面を向いた。



「しばらくぶりよの。」


「―――タ……タンダニス王!?」


 その金切り声に苦笑して、長い髭を撫でる。

 彼は、古き宮殿で謁見した時と同じ、白い薄衣トーガを纏っていた。



「…これは…どういうことです……!?」


「………。」


 フィンデルの問いには答えず、タンダニスは無言で窓へ目を向けた。


 その脇のアリアネからの指示で、前にいる男が鞭を鳴らす。


 すると、ゆっくりと動き出す室内。

 ここは馬車の中であった。



「昼間は手荒な真似をして、すまんかった。

 驚かせるつもりは無かったのじゃが…。

 ただ、いきなり姿を見せて、先程のように騒がれると厄介と思ってのう。」


「す、すみません。」


 彼の言葉に、フィンデルは赤面して口元を押さえた。



「……だいぶ疲労されているようじゃな。

 だが無理もない。」


 馬車の車輪が、石畳に音をたてる。

 彼は、揺れ動くカーテンの先端をつまみ、そこから外の景色を眺めていた。



「中王都市の街並み……か。

 こうしてゆっくりと見物するのは、初めてになる。」


 その言葉で、フィンデルは実感する。



 当然ながら、眠っている間にタンダニアへ連れ出されたわけではない。

 身体に感じる振動からして、夢でもない。



 この中王都市の首都で。

 一国の王とその親衛隊長が、自分と同じ車内にいるのである。



「あの長い戦争の後、いつか挨拶に来ようと思っているうちにな…。

 結局、それを果たせぬまま、かの王は崩御なされてしまったよ。」


「………先代の…?」


 フィンデルは無意識に訊いていた。



「うむ。

 その後も、この国には全く目もかけてやれんで。

 …いまだ、あの時の御恩を返すことも出来ずにおる。」


 独り言のような、寂しい、感傷の呟きだった。


 彼女は、それに余計な口を出してしまったことに恥じた。



「…今回の件も……まことに申し訳なかった。」


「!?」


 だが突然、話の流れは、思わぬ方向へ進む。

 タンダニスが目の前で、深々と頭を下げたのである。



「あの事件の後、わしは、おいそれと国を離れるわけにもいかず。

 アリアネも、事後処理に追われてな。

 しかし……おぬし等を送り帰した後、いてもたってもいられなくてのう。

 こうして、すぐに追ってきたというわけじゃ。」


「あ…あの……」


 国王の頭頂が目前では、どんな頭脳も回転しようがない。

 何も意味しない言葉が、ただ彼女の口から突いて出るばかりだった。



「この度の顛末てんまつは、全て、わしの不手際。

 どうしても一言、フィンデル殿に謝罪を申したくてな。」


「そんな…それだけのために……!?

 とにかく、頭をお上げください!!」


「いや、あの時。

 モンスロン卿を…すぐに我が国に招いていれば、そして厳重な保護をしておれば……そう悔やんでやまぬ。」


「―――それを申されるならば!!

 現場を任された自分に責任がございます。

 陛下ではなく、この私の判断こそ罰せられるべき!」


 そこで堪らず、一緒になって頭を下げるアリアネ。



「や、止めてください!

 二人とも!!」


 押し寄せる彼等を、もう視界に入れないよう、フィンデルは瞼をきつく閉じながら叫んでいた。



「…国を任される人間が、一時の感情で…そういうことをなさるのは……。

 間違っているかと…存じます。」


 そして、呟かれる彼女の正論に。

 二人は共に顔を上げた。



「それに、何より…」


 大声を出したせいで、吹っ切れたのか。

 フィンデルも少し落ち着きを取り戻し、背を深く車内の椅子にもたれつつ口を開いた。



「私は、お二人にかばっていただく価値があるほど、出来た人間ではありません。

 ……ルベランセの艦長にさせられたのは、半ば強制的でした。

 タンダニアへの任務も、そうやって望まないまま、渋々承知したのです。」


 彼女の告白に、車内は静まり返る。



「かけがえの無い仲間を失ったのは、そんな私の優柔不断さと油断が招いたこと。

 そして、モンスロン卿の成そうとしていたことも、何一つ手伝えないまま……無駄に死なせてしまった…。

 私に、彼ほどの愛国心があれば…結末は違ったのかもしれませんが……」


「……無駄…か。」


 タンダニスが呟いた。



「…だが、それは違うんじゃ。」


 その言葉に、顔を向ける彼女。



「違うんじゃよ、フィンデル殿。

 立派な行いだったのだ。

 おぬしらの行動はな。」


 小さく畳まれていた紙を、彼は目の前で取り出した。



「モンスロン卿のえりの中に、隠されてあった文書じゃ。」


「あの方の……!?」


「これは、服の縫い目に沿って丁寧に施されておっての、見ただけですぐには判らん。

 おそらく、こういう事態になるのを見越して…であろう。」


「…!!」


 フィンデルは震える指先でそれを受け取り、すぐに文面を読み進めた。



「そこに全て、詳細に記されておるよ。

 騎士団の内情と野心……そして、この国に迫っておる危機がの。」


「………無駄では……なかった……?」


 一通り読み終えた後、書を胸に抱きしめる。



「…そう。

 それも、わしがここに来た、もう一つの理由じゃ。」


 彼は一呼吸、間を置いて言った。



「そこに記されている事がまことかどうか。

 …中王騎士団の長、ガイメイヤに直接問いただそうと思ってな。」


「へ、陛下!?」


 そこで、目の色を変えて叫ぶアリアネ。



「…そのような話、私は聞いておりません!

 ならば、国家間の厳粛なる手続きを踏んで、お望みいただかねば…」


「旧友に会うのに、理由がいるのか?」


 彼は厳しい目つきで、彼女を圧倒する。

 その空気に、車を引く馬も一瞬、焦るほどであった。



「…こういうわけじゃ。

 フィンデル殿…分かるかね?

 おぬしらが、どれだけの事を成したのか。」


 自身を指で差し、大きく笑う王。


 かなり道を外したやり方だが、確かにこれは、国を動かしたことに等しい。

 フィンデルは、それを素直に嬉しく受け止めていた。



「おそらく、モンスロン卿は初めから『覚悟』を決めていたのだよ。

 だから自分を責めることはしないでおくれ。

 おぬしの仲間もきっと……」


「…いえ。」


 だが、その慰めの言葉には、甘えかける自分を戒めるように、フィンデルは首を振った。



「いくら大事のためとはいえ……犠牲は極力減らすのが務め。

 私が至らなかったことに、変わりはありません…」


「至らなかったのは、艦長、貴女ではない。」


 突然、それまで黙していた包帯の男が呟く。



「…陛下。

 そろそろ、こちらで降ろしていただけますか。」


「君は…まだ安静でないと…」


 そのアリアネの言葉に、首を左右に振る男。



「俺は……もう長く無い。

 どうせ限られた時間ならば…有効に使いたいのです。」


 そして、彼は左腹部をさすりながら、さらに言った。



「貴方は一体……?」


「彼は……ルベランセの護衛についていた、ミラ殿―――」


 フィンデルの疑問に呼応するように、タンダニスが口を開いた。



「…ご無事で…!?」


「敵に半身を持っていかれ……無事と呼べるかどうか。」


 包帯の中から、返ってくる皮肉。



「しかし襲撃の後、タンダニアの救護班に命を助けられたのは事実です。

 …このような身体になってしまったゆえ、どうか世羅達には内緒にしていただきたい。」


 馬車が止まり、彼が扉を開くと、外の冷気が車内に勢い良く吸い込まれた。



「もう、俺は彼女を飛翔艦乗りにすることは出来ないでしょう。

 ならば、せめてその障害になりえる要素を…できるだけ排除しておきたいのです。」


 指の皮が溶けて癒着した右手を広げるミラ。


 フィンデルは理解する。

 あの眼光の正体は、狂気にも似た、復讐の炎。



「貴方は……まさか、彼女のことを…!?」


「……。」


「止めるのは、野暮じゃな。」


 タンダニスの呟きに、黙ったまま首肯しゅこうするミラ。



「このご恩、忘れません。

 それと艦長、貴女のお仲間の無念。

 必ず、このミラ=ホロの『贖罪しょくざい』として晴らさせていただく。」


 そして、おぼつかない足取りで、彼は夜の街に消えて行く。



「常軌を逸している……。

 あんな身体になってまで……!」


 彼が言い残した言葉に、彼女は身震いした。



「やはり、私が歩んできた道は、このような悲劇しか生まなかった…?

 ただ流されて……あの時、士官学校さえやめていれば、こんな運命には…」


「……フィンデル殿。

 貴女も、ご自宅まで送りましょう。」


 いたたまれずに声をかけるアリアネに応え、フィンデルは朦朧とする意識の中、御者に行き先の指示をした。



「わしは……何も顧みず戦場を駆けてきた。

 戦いが終結しても、建国のために、それはずっとな…。」


 しばらく馬車が進んだ後。

 それまで、何かの考えにふけていたタンダニスが、不意に呟いた。



「我が右腕に宿る厄災を…人は『至高の槍』と、もてはやしたが…。

 後ろを振り返れば、そこはいつも血に塗れた荒野じゃった。」


 普段から傍にいるアリアネも、その言葉に聞き入った。

 それほど、彼は珍しいニュアンスで語り続けている。



「敵味方を問わず、幾万の魂が、わしの足に絡みつき、ひきずろうとする錯覚。

 あの感じは、わししか解らぬと思っていたが…」


「陛下には…戦う力があります…。

 ……非力な自分とは…重ねられるべくもありません…。」


 フィンデルがそう返すと。



「戦う力だけを振るっていたならば、わしは単なる馬鹿力としてこの世を生きたであろうな。」


 彼は、さらに即答した。



「じゃが、わしは幸い…『前』を向いた時にいる、民や仲間の思いこそが大事なことを知った。

 それらに必要とされ、それらを守れる力ならば……どんなにおぞましい力であっても良い。

 そう結論づけておる。」


「…かもしれません。」


 馬が停止すると、フィンデルはすぐに車を降りた。

 送るべく、タンダニスも続く。



「必要とされれば、ですね。

 でも、私は…だめです。

 死んだ仲間も生きている仲間も……。

 私のこんな姿に…もう呆れてますよ、きっと誰もが。」


「……それは…」


 タンダニスは何かを言いかけて止めた。

 そして彼女越しに、正面の坂を凝視する。



 自宅の玄関前の小さな階段で、シュナが座っていた。

 大きな荷物を横に置き、その上では梅が丸まって寝ている。


 フィンデルはそれに気が付くと、早足で近付いて行った。





「シュナ……」


 ばつが悪そうに声を掛けるフィンデル。



「さっき、戒達が来たんです。」


 彼女は待っていたかのように、すぐに立ち上がって言った。



「…皆が?」


 意外そうに訊くフィンデルに対し、シュナは頭を深く下げる。

 それが先程の光景を思い出させ、彼女は思わずたじろいだ。



「すみません。

 あの料理店の話……お断りさせてもらいます。」


「え?

 あ、あれね……。

 いいのよ、私もどうかしてたわ……。

 こんな時期にね、あんな話…。」


 いかにも拍子抜けしたようなフィンデルの言葉尻に、シュナの方が内心驚いていた。

 少し会わないうちに、彼女は普段の冷静さを取り戻している。



「私、やることが出来たんです。」


 それを思ったシュナは、もう遠慮することはなかった。

 続けて、一枚のビラを差し出す。



「……中王都市で…?」


 フィンデルはそれを読み、紙面そのままを口にしていた。



 第一回 『中王都市 大競技会』開催

 飛翔艦時代の到来へ向けて、有志を募集

 来たれ、腕に自信のある者―――


 年齢・種族・性別・経験不問

 三人一組にて、競技に参加されたし


 種目は、ケンリントンの村から首都へ到る競争形式

 詳細説明は、同村の選手会場にて



 優勝の組には、イマツェグ社の新造飛翔艦を進呈

 第二位と第三位には、ムーゼングレタ社の中型飛翔艦

 そのほか、上位入賞者には副賞多数

 参加のみでも特典有



 主催:大陸ギルド、中王都市政府

 協賛:バラーク商会、ムーゼングレタ社、イマツェグ社 他



 その紙には。

 いまいち要領の得ない説明で、充分に推敲されないまま書かれたような文が羅列されていた。



「…それ、三日後に行われるそうです。

 これから、私達……スタート地点の村に向かいます。」


「貴女も、参加…するの?」


「どんなメンバーで出るとか、詳しいことは決めてないです。

 自分達の中で厳選した一組で行くかもしれないし、二組で出場するかもしれない…」


「…そう。

 …なかなか、良い話だものね。」


 彼女は、まるで他人事のように苦笑する。


 だが、それをあらかじめ予想していたのか、シュナは表情一つ変えずに、車輪の付いた荷物に手を掛けた。



「戒は、自分のため。

 世羅のために……飛翔艦を必ず手に入れるって言ってました。」


 瞬く間に横切る彼女。


 その彼女が作る風に紛れ、建物の隙間から吹く夜風も、辺りに荒んだ。



「―――あと、フィンデルさんのために。」


 少し進んでから、シュナは立ち止まって言った。



「……どうして……?」


 風にあおられた、自分の長い髪を押さえながら、訊き返す彼女。



「わかりません。

 でも、みんな、妙に納得しています。

 それはきっと……」


 景色が乱れて、揺れた。



「もう一度、ルベランセのような飛翔艦に乗りたい。

 そう願っているから。」


「!!」


 フィンデルが思わず振り返ると、シュナも顔を向けていた。



「フィンデルさんさえ良ければ、応援に来て下さい。

 じゃ……私、そろそろ行きます。」


 全て言い終えると、彼女は再び背を向けて。

 大弓をかつぎ、梅が上に乗ったままの荷物を押しながら坂を下っていく。



 恨みも、憐れみも、何も無い。

 爽やかで純粋な彼女の笑顔に。


 何もフィンデルは、自分の考えを動かされたわけではなかった。



 ただ、身体の奥底にある何かが、ここ数分のうちにかけられた言葉と混じり合い、天秤にかけられたようにはかなく揺れていた。



 路地で佇みながら、それを眺めていたタンダニスは、シュナとすれ違ってから馬車へと舞い戻る。



「フィンデル殿は……もうよろしいのですか?」


 アリアネは心配そうな表情で訊いた。



「無能の烙印とは、自分で押すものではない。

 ……わしは、そう信じておる。」


 長い顎鬚に触れながら呟く彼。



「昔のわしが、それで救われたように。

 いま、あの子にも…そんな仲間達がおる。

 これ以上、何をすることがあろうか。」


 そして、まとわりつく風を振り払い、薄衣を畳んで扉を閉める。



「…ガイメイヤの前に、もう一人の我が親友に会いたくなった。

 どれ……ここからは、忙しくなりそうじゃな。」


 口元に笑みを携えて、行き先を示唆した後。



 王を乗せた馬車は、夜の街に消えていった。



◆ ◆



「いやはや……。

 凄いねえ、流石は兄弟!」


 狐頭のンマーロは、すこぶる上機嫌で馬車を降りるなり、付近でたむろう使い走りの少年を口笛で呼んだ。



「生け捕りってのは、なまじ殺すより難しいんだぜ?

 なのに、こんなにスムーズにいくなんて思わなかったっての。

 酒は飲むかい?

 いま買ってこさせるけどさぁ…」


 駄賃の小銭を子供に渡しながら、嬉々とした早口で呼びかけ続ける彼。



「……。」


 しかし、ザナナは全く反応せずに、近くの塀の上に腰掛けながら、無言で自身の手の平を見詰めていた。


 右肩に掛けた槍を転がし、檻に詰まった小型の凶獣を脇目にする。



 闘争は、ある程度の充実感を与えてくれる。

 昔は、確かにそのはずだった。


 だが今では、どこか虚しいだけである。

 見上げた月に問うようにして、彼は、その虚しさが何処からくるのか考えていた。



 砂利を踏む音に、耳をそばだてる。



 貧民街の方向。

 そこへ視線を移すと、遠くで、多くの子供達が自分を指差している。



 さらにその奥で、戒が立っていた。

 横に侍るのは、世羅。



「……見付けたぜ。」


「おおっと、フ族の兄ちゃん。

 何か用かい?」


 近付いてくる戒の姿に、何かを感じ取ったンマーロが立ちはだかる。



 それを一瞥し、テントの中に消えるザナナ。

 世羅が追おうとしたが、戒はそれをひとまず制した。



「…ここらへんじゃ、不笑人の有名な溜まり場らしいな。

 探すのは、大して手間じゃなかったぜ。」


「そうか。

 あんたら、ザナナの連れかい。」


 大体を理解した表情で、今度はンマーロから歩み寄る。



「…あいつを連れ戻すって言うんなら、やめときな。

 不笑人ってのは、純粋な奴等なのさ。

 そして…お前たちが思っている以上に、繊細なんだ。」


「………。」


「もう解放してやれよ。

 …あいつらはな、心が傷つくことに慣れていない。

 なのに、このフ族の社会は、色々な物を背負わせやがる。

 住む世界が違うんだよ、お前らとはな。」


 ンマーロが言い放つ、心からの同情の言葉に、偽りは無さそうだった。

 だからこそ、戒は全く言い返すことが出来なかった。



「こんな言い方もなんだが…不笑人の『世渡り』はオレの方が慣れっこなんだ。

 …悪いようにはしねえさ。」


 そうして、彼は締めくくる。


 戒は聞きながら、馬車のテントの隙間から覗く、うな垂れた豹頭を見るうち。



「……信じていいのか。」


 それだけを言うだけで、精一杯だった。



「ああ、任せておきな。

 でも別れの挨拶は無しだ。

 もう会わないでやってくれるのが、一番…」


「やだ。」


 世羅が短く切って言った。


 そして、素早くンマーロの脇をすり抜け。

 駆けながら身を小さくし、テントの幕の隙間をくぐり抜ける。



「……!?」


 その様子にザナナは驚いて、立ち上がった。



「ボクは、ザナナと旅がしたい。

 こんなところ早く出よう。

 辛いこともあるけど……楽しいことも、きっと沢山あるよ!!」


「………。」


 下から叫ばれる言葉に。

 豹頭は、涌き上がる言葉を飲んで、直立したまま黙って横を向いていた。



「…また、ザナナに助けて欲しいことが出来たんだよ…!

 今まで、じゅうぶん助けてくれたのに…また、助けて欲しいんだ!!」


「世羅……?」


「全部終わったら…最後に、ボク、いっぱいお返しするから!!

 それまで、一緒にいてよ!!」


 考えもなしに、言いたいことを言っている。

 彼女は、内から涌いた言葉を、何も包み隠すようなことはしない。



「…そんなことは…いい。

 ザナナはもう…」


 諦めて欲しい。

 そう願い、彼は再び着座しようとした。


 だが、そのスペースを遮るように、他の不笑人が陣取る。

周りの不笑人達も、腕を組んだまま、無言で彼の帰還を遮った。


 今まで死んでいたように何事にも無頓着だった彼等の変貌に、外で目を剥くンマーロ。



(…ザナナの居場所…ここではないと言うのか……!?)


 見回す豹頭の瞳に、彼等は応えるようだった。



「…誰も役立たずなんて、思ってないから!!

 戒は……そう言ったらしいけど、ボクは…大好きだよ…!!」


「!」


 抱きついた世羅を着物に埋ませたまま、今度は外へ目を向けるザナナ。

 戒は、その視線から顔を逸らす。



「……戒。

 どうやら、迷惑を、かけたようだ。」


「黙ってろ。

 らしくねえぜ。」


 その返答に頷き、ザナナは颯爽と馬車を降りる。

 世羅は涙を見られないように、その着物に抱きついたままでいた。



「…行くぞ!!

 …まったく…どいつもこいつも、何も考え無しに行動しやがって…」


 それを分かっている戒は、不満そうに背を向けて、二人に促す。



「考えてたら、明日になっちゃうよ!!」


 世羅は顔を振ると、ザナナの手を握り。

 もう片方の手で、後ろから戒の手を繋いだ。



「やれやれ。

 なんて、わがままなお嬢ちゃんだよ……。」


 それらを眺めながら、ンマーロは呆れ果てていた。



「フ族ってのはよ…相手に、もっと気を遣うもんだろ…?」


 少々、恨みがましく。

 だが、清々とした声だった。



「あーんな、相手のことなんて全く気遣わないほど、大きな思いをぶつけられちゃあ…。

 心に響いちまうってーの……」


 堪らずに鼻をすすっていると、そこで酒を買いに走らせた子供が戻ってくる。



「兄弟…悪かったな、俺の思い違いだったよ。

 あんた、フ族のように、ちゃんとした『目的』を見つけてたんだな。

 ただ、それを少し忘れてただけなんだ。」


 その酒瓶を手に取り、傾ける彼。



(……すまん。)


 遠くで、ザナナが横顔を向ける。



「いいんだ……ああ、いいのさ。

 だけどなぁ…」


 ンマーロは、夜道を共に帰る、そんな仲むつまじい三人の後ろ姿を視界に据えて。



「……へへ。

 まさか、別れ酒になっちまうとはなぁ。」



 彼は、大きな月の下で、酒を一気にあおっていった。



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第四章

第一話 『一つの邂逅』


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