3-5 「ムーベルマ会戦・後編」
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This story is a thing written by RYUU
Air・Fantagista
Chapter 3
『Wivern in central kingdom city』
The fifth story
'Battle of Mubelma・latter part'
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アルドの叛乱の終結後。
各国は飛翔艦という新たな兵器による絶大なる効果を目の当たりにし、軍隊の再編成を余儀なくされた。
その時より中王騎士団においては、赤華と蒼華が完全に空戦主体へと移行。
地上における戦力は黄華に集約させ、残る緑華と白華の戦力も徐々に空へと対応してきている。
確実に空を征するために、彼等は積極的に大陸各地の紛争地域で、研鑽を積んできた。
まさしく中王都市の威光。
その一翼を担う赤華艦隊15隻。
今は漆黒を纏いて、荒野の空域に展開し。
機をうかがうように、同国の艦隊20余隻と遠い距離を経て見えていた―――
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エア・ファンタジスタ
Air・Fantagista
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第三章
中王都市の飛竜
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第五話 『ムーベルマ会戦・後編』
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1
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「……戦況は?
…何が何だか……わからないぞ!」
手にした念通管を握り締め、リードが叫ぶ。
しかし、それを接続していた他艦の念通士からは、初めの一声以外の応答は無く。
それから先は、ただ雑音と怒号のみが遠くから聞こえていた。
「……くそっ!」
管を乱暴に叩き付け、唇を噛んで前を向く彼。
『何か』によって艦隊の一部が混乱に陥り、それが今では全体へと波及している。
とにかく今は、目視できる範囲で状況を判断するしか無い。
「フィンデル!
…ここは、戦闘騎を展開して様子を……」
「緊急戦闘配備。
戦闘騎部隊は、すみやかに出撃せよ。」
彼女は自分が想像している以上の冷静さで、既に格納庫へ命令を下していた。
「ルベランセ自身の動きは、なるべく周辺の流れに任せて。
とりあえず、今は。」
「りょ、了解…」
タモンが強張った表情で返した。
艦隊の最後尾のルベランセは、いくぶん身動きが取れる状態ではある。
しかし陣の中ほどにいる艦は何も出来ずに、視線の先で炎上し、傾いては堕ちていった。
その光景に、誰もが気が気ではない。
「………黒いのが、お空を飛んでるの…」
そんな中、メイが念通球を握りながら呟いた。
脇のザナナとリードが、その言葉になぞられて窓の外を見詰める。
堕ちていく飛翔艦の周りを、縦横無尽に蝿のような粒が飛び回っていた。
◆
「恐れていたことが現実かよ……。」
バーグがボヤきながら上着のファスナーを上げて、格納庫へ辿り着く。
「相手はまた炎団……ってことはないわよね?」
「わからねえな。
とりあえず、命令どおりに出撃だ。」
心配そうなミーサに笑って返し、彼は履いているブーツをきつく締めた。
「戒は?」
「…まだだ。
……でも、また文句言うんだろうな…あいつ。」
その顔を苦笑に変えて何気なく見上げると、螺旋階段をゆっくりと降って来る戒の姿。
彼は既に操縦服を着用しており、その精悍な顔つきにバーグは驚く。
「……着たのか。」
「ああ。」
問いに答えた戒は、淡々と近付いた。
そして、二人が見慣れない操縦服を着て並んだ時、ミーサは言い知れぬ不安を感じるのであった。
「待って!」
続いて、小走りで駆けてくる世羅が上階から跳び、軽やかに下に降り立つ。
「………。」
それを一目見てから、無言のまま自分の戦闘騎へと向かう戒。
世羅も、それをずっと追った。
バーグとミーサは離れて、彼等に好奇の眼差しを送っている。
「……何やってんだ、早く乗れよ。」
戒はその注目を煙たがるような素振りで、後部座席を顎で示した。
「うん!」
元気良く答え、すぐに彼の背から戦闘騎に飛び乗る世羅。
「ちょっと……その恰好じゃ寒いわよ!」
その様子に、ミーサが笑みをこぼしながら忠告する。
「俺様の服がある、羽織っておけばいい。」
彼の言うとおり、乗り込んだ席には既に修道着が用意されている。
それが一層嬉しく思えた。
「……おまえ、世羅を乗せるからにゃ、絶対に堕とされるなよな。」
「てめえの心配をしてろ、ヒゲ。」
無愛想に返し、戒は操縦桿の遊びを確かめた。
そして両肩を固定するベルトを締め、まっすぐと格納庫の扉を見詰めている。
「…まったく子供ってのは、成長が早いもんだ。
……年を取るわけだぜ。」
バーグは呟き、自機に乗り込む。
そして、戦闘騎と床を繋ぐ下部ストッパーを外すため、脇に掛けられた鉄棒を振るった。
重い扉を、ミーサが全身の体重をかけて両手で開く。
「それじゃあ、行くか?」
バーグのその問いかけを。
戒は、長いまばたきをする間に答えた。
◆
カリカリ、と乾いた物音に気付き、モンスロンは扉を開けた。
艦内の皆に梅と呼ばれている猫が、前足の爪を立てて自室の扉を掻いているのだった。
「……どうかしたのかね?」
深い睡眠にぼやけている頭を覚ますように、彼は呟き。
そしてふと、抱き上げようと伸ばした手を、彼女はするりと体をかわして廊下を進んでいく。
「……?」
廊下に一歩踏み出す彼。
外の空気に漂う、煙の焦げ付いた匂い。
張り付くように窓に密着し、遠い距離を飛行している機影達を目撃する。
(…シュゲルツにアーリマ……?
まさか……!!)
―――赤華が来た。
塗装こそ黒一色に変えられているものの、自分の所属した部隊で採用されている戦闘騎を見紛うはずもない。
猫はさらに廊下を前に進み、何度も振り向いて、彼を導いていた。
◆
(なんだこれは…?)
威勢に乗って、ルベランセから飛び出したバーグ。
だが、そこで目にした光景は、上下左右にびっしりと詰めて展開された味方の艦隊。
今まで飛んできた空とは違う。
それはまるで立体的な迷宮を思わせた。
「…どうやって…戦えばいいんだ…!?」
その迷宮に、敵機は深く潜りこんでおり、取り分けて統率されることも無く飛び回っている。
戒はそれを呆然と眺めながら、頭上から突進してくる黒い戦闘騎とすれ違った。
次の瞬間。
のしかかる重量と共に、目の前に現れる人影。
「……なに!?」
先のすれ違いで戦闘騎前部に跳び乗ったと思われる相手は、足の長い指で機体の外表に張り付いており、
既に手にした槍を振りかぶっている。
半裸に、顔に塗りたくられた化粧。
明確な敵意を持った眼差し。
見たことも無いような敵が、突如目の前に現れ。
弾を撃ち込まれるならまだしも、空で白兵戦を仕掛けられるという非常識に。
―――自分の手はまだ、操縦桿を離すことが出来ないでいる。
「…《源・衝》!!」
すかさず、後部座席の世羅が放った光弾。
吹き飛ぶ相手。
「………!!」
戒は暴風ゴーグルを一旦外して首にかけ、身を乗り出して、落下していく相手の姿を確認した。
「…む…無茶が過ぎるぞ…こいつら…!!」
バーグの叫びに周囲を見渡せば、蛮族達はいたるところで跳んでいる。
目測を誤り、そのまま地面へ向かって真っ逆さまに落ちていく者さえもあった。
これは、正気の沙汰ではない。
「っ!!」
そこでさらに、両肩を後ろから掴まえられ、戒は驚く。
だが、それはすぐに世羅の手だということに気付き、安堵した。
「…お…驚かせるな!」
「大丈夫だよ。
ボクが守るから…」
「……!!」
彼女の健気な言葉と吐息を受けて、大きく首を左右に振る戒。
深呼吸をして気持ちを切り替え、そして前方を飛ぶ敵機に向けて、改めて照準を合わせる。
「……くっ!」
だが同時にその背後にある飛翔艦が目に留まり、機銃のスイッチを押し込むことが出来ない。
そこで、別角度からの射撃によって、落ちる敵機。
戒と世羅はその方向へと顔を向けた。
「素人が!!
戦闘騎の機銃が当たった程度で、飛翔艦が堕ちるかよ!!」
目の前で紫のメタリックカラーが流れ、眩しく光る。
「どちらにせよ、敵だろうが味方だろうが、弾に当たって死ぬ奴はマヌケってことなんだぜ!」
その機体から顔を出したのは、中王都市の駐屯地で出会った生意気な少年。
「落ち着いて、よく見ろ!
奴等、操縦の方はお粗末だ!!
今は奇襲の混乱に乗じて攻勢だが……訓練を積んだ軍隊が息を整えだしたら、じきに通用しなくなる!!」
喋りながら、すぐ目下の相手の右翼から左翼にかけて、機銃で打ち抜く。
その時の乾いた炸裂音が、心地良く彼の脳内に響いた。
「……くくっ…。
いいぜいいぜ……!!」
そして、恍惚の顔を浮かべる彼。
「…コルツ、出すぎだよ!!
僕たちの任務は、ルベランセを守ること…」
後方からその脇へと並び付くのは、マルリッパ。
彼の体格に相応しい、大型の戦闘騎に乗って現れる。
「ルベランセ……?
護衛は四機もいりゃあ十分だろ!!
せっかく獲物が目の前にあるんだ、ここで狩らなきゃ損だぜ!!」
異様に神経を昂らせているコルツは、前へ前へと加速をつけて飛んでいった。
「いつも……勝手なんだから…さ!」
マルリッパも速度を増しながら、操縦桿の脇のレバーを引く。
すると敵機の固まったところを目がけてポッドが射出され、その集団内で中の弾頭が炸裂した。
「……うお!
あんな兵装…見たことねえぜ…!!」
連続して起こる爆風を横目に、バーグが呟く。
「あいつら…そこそこ腕はあるみてえだな……。」
周囲の敵が一掃されたことで、戒も落ち着きを取り戻していた。
背後を振り返れば、少年の言うとおり、四機の戦闘騎がしっかりとルベランセの周りを旋回している。
「…俺達も遊撃だな。
何かを守るとか、そんな技術もねえし……」
バーグが機体を傾けて行く。
奇をてらった白兵戦を除けば、炎団と比べて組みやすい相手ではあった。
激戦を抜けて経験を積んだ自分達ならば、戦える。
その時までは、二人はそう信じて疑わなかった。
◆
黒い戦闘騎が至近距離を通過する。
その度に、心芯が凍りつくくらいに寒気を覚えた。
リードは額の汗を拭い、再び交信を試みるため手元の念通球を配置替えする。
「……ワンちゃん…。
わんわん…。」
「メイ、ふざけている場合か。」
脇の彼女の呟きに、リードが念通管の接続部を操作しながら軽く注意した。
「…ううん、ワンちゃんなの!
ほら、そこ、飛んでるの!!」
そして、嬉々として示す指が上がる―――
同時。
厚いブリッジの窓が突き破られ、転がってくる。
犬の顔をした者が二名。
「………こぉ!」
危険を逸早く察知したザナナが瞬時に飛び込み、突然の事態に硬直しているリードに向けて槍を突く。
「!!」
驚く彼の顔面すれすれで、白き槍は幾つにも分かれ、背後の敵のみを貫き。
「……豹族、邪魔、するか…!」
鉈を両手に構えた残りの一名が、かろうじて判別できる言葉でたどたどしく呟き、突進する。
だが、それに合わせて床と平行に跳び、蹴りをカウンターで浴びせるザナナ。
「ごおっ!!」
さらに、咆哮と共に投げ出す槍。
その一撃が壁際で背をもたれた相手への止めとなった。
「………。」
ザナナは平静な足取りで槍を回収し、貫いた相手を外に放る。
そして今度は、破られた窓に向かって構えた。
脇で舵を握りながら、タモンはその姿に安心を覚える。
一方、フィンデルはそんな突然の来襲にもまるで無頓着で、前のめりで静かに集中していた。
その瞳は戦況の隅々まで食い入るように動かしている。
「…おい…フィンデル…」
腰砕けになっていた体を立ち上がらせながら、不安な声を洩らすリード。
彼女はその雑音を制するように、手の平を彼に向けてかざした。
(……読めない…!
向こうの意図が……)
そして残った方の手で自分の頭を掴み、震わせる。
(これが作戦といえるの?
各機の統率は、ほとんど見られない…)
ザナナに葬られた不笑人の死体に目をやる。
(でもこの艦隊に対して、最大の効果が出ていることは疑いようの無い事実……。
…この、でたらめな戦闘の背後にあるものは何?)
床に広がった血液に、高鳴る心音。
(…見当たらなくても考えて……相手の策を。
そして、早くこちらも…それに対抗する何か策を…立てないと……!!)
縦横無尽だが、広がらない戦域。
自軍のだらしのない陣立ては、既にところにより偏狭して、崩壊しかけている。
(…わからない……!
読めない…敵の策が……全く…)
死を恐れずに怒涛の如くせめて来る相手に、己の思考は何も色を発さなかった。
(一見……無為無策のように見えて……)
床の血が自分の足元まで流れ、靴に付着する。
彼女はそれを見て、ふと動きを止めた。
(……無策…?
まさか……!!)
自分は、大きな思い違いをしていた。
(…何故……今まで気付かなかったの…!?)
そして気付いた時、一気に絶望の淵へと追われる。
(…はじめから、相手に作戦なんて無い……!
相手が望んでいるのは、ただの……総力戦……。
このまま…ここで戦えば……道が残らないということに……!)
薄れる意識の底で、彼女はリードの呼び声を聞いた。
「フィンデル!!」
「…リード。
…この後…すぐ第二波が来る…。
そして、第三波は…」
「第三波は飛翔艦本隊。」
かすれた視界の中、ブリッジの扉を開いてモンスロンが姿を現していた。
艦内を駆けてきたのか、肩で息をしているのが分かる。
そこで、梅が彼の足首をすり抜けて去った。
「…飛翔艦の……本隊だって?」
「ええ。
展開している戦闘騎の数から察するに、およそ15隻程度。
…これは騎士団の赤華と一致しております。」
「騎士団……だと!?」
モンスロンの返答に叫ぶリード。
フィンデルが大きく口を押さえ、咳き込んだ。
「あ、相手は蛮族だぞ…」
「蛮族を部隊に組み込んだ事情は分かりませんが、その予測し難い戦力を利用して、戦局を動かしている
者がいます……。」
「……そんな…!」
「恐らく、第二波ではもっと確実にこちらの飛翔艦の数を減らしてくるでしょう。
そして数的に不利のまま、敵の第三波……艦隊戦に移行すれば、勝ち目は無い…!」
歩み寄るモンスロン。
それと同時に、彼等の目の前でフィンデルが艦長席から崩れ落ちた。
◆ ◆
「策が無いとは良く言ったものだ……。」
念通士達の戦果報告に口角を歪ませ、ファグベールが言った。
「蛮族のあり余る白兵戦能力を、よもやこのような形で利用するとはな。
たとえどんな軍略家でも、もともと無い作戦を覆すことは出来まい。
…ディボレアル殿、拙者は感服しましたぞ。」
「……この『無策』は兵法に通じる者ほど、大きく穴に落ちることだろう。
こちらも戦果を予想できぬことが、玉に傷ではあるが。」
黒騎士は、肘掛けを指で叩く。
「第二陣、出撃用意。」
そして、間髪入れずに呟く。
その剣に埋め込まれた念通球が思念を増幅させ、命令を全艦に伝えた。
(……各艦に配置した艦長は全て念通士。
無策を支えるのは、戦局を直接動かす自分というわけか。
…確かに、これならば指揮上の不利は無くなる。)
ファグベールは、小刻みに震える彼の様子を横から見詰めていた。
その黒い手甲の隙間からは、汗が滴っている。
(ただし、指揮元の負担も数倍。
こやつも…外には見せぬが、これだけの覚悟で臨んでおるということか。)
彼は両肩を上げ、鼻から大きく息を吐いた。
「暫し休まれよ、ディボレアル殿。」
「………まだ始まったばかりではないか。」
黒騎士は低く、くぐもった声で返した。
「第二陣が出れば、後は総力戦に移行するのみであろう。」
「………。」
「何も部屋へ戻れというわけではない。
しばらく気を抜いていただきたい、と言っているのだ。」
ファグベールは続けた。
何のための副将かと、その目は訴えている。
その堅い意志に観念したディボレアルは厚いネッカチーフを直し、剣を傍らに置いて席に背を深くもたれた。
「…準備の出来ている部隊から出撃。
あと、こちらからの命令を待つばかりでなく、随時各艦から報告を入れさせろ。
それを旗艦の判断材料とする。」
そして、付近の念通士に指示を出すファグベールの声を聞き、安心したように徒手を組む彼。
そこへ一人の諜報員が音も無く近付き、耳打ちをした。
「……ルベランセ…?」
その内容を聞いた後、ディボレアルは呟き、仮面をつまんで直す。
「いかがされた?」
「…完全源炉は惜しいが……ここで加減は出来まい。」
「?」
独り言を続ける彼に、ファグベールは眉間にしわを寄せた。
「縁……だな。
よもやモンスロンも…あの艦に……。
…ありえるか。
……ならば、なおさら、おもしろい。」
黒騎士は依然として呟き。
その仮面の下で笑っていた。
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2
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「―――待った。
発進口はすぐに開けられるようにして待機だ。」
大慌てで錠を扉にかけようとするパンリを、ロディが制した。
その隙間から洩れる、風切り音が鳴り響く。
ミーサは弾薬と燃料を棚に置く手を止めて、息を飲み込んだ。
「外によく注意を払って、もしも戦闘騎が帰って来たら開けてやって。
……ミーサとシュナは、機関室の守りを。」
「…はい。」
手にした大弓を肩にかけ、シュナが汗を拭いながら姿勢を正して返事をする。
「ろ、ロディ殿!
あれほど、戦闘行為は禁止だと……!!」
あまりの事態に部屋に居ることも出来ず、格納庫までついてきたガッチャが派手に喚いた。
「呑気だねぇ、こんな状況でも契約の話なんて。
…それに、指示してるだけなんだから、契約違反じゃないでしょうに。」
シュナの矢に撃ち抜かれた数々の蛮族達の死体を見下ろしながら、肩をすくめるロディ。
外に吹く風の質が変わったことに、ここでは彼だけが気付いていた。
◆
軍艦隊もようやく態勢を立て直し、相手の戦闘騎と互角になった頃。
第二波とおぼしき、敵の援軍が到着した。
今度の操縦士達は棘のついた重厚な鎧を着ており、今までの者よりさらに狂信じみた瞳が印象的だった。
そして密集した戦場にも関わらず、一切速度を落とそうとしない様子は、他とは明らかに毛色が違う。
バーグは、妙な懐かしい空気を肌に感じた。
―――ある思想に基づいて一丸となり、全く死を恐れない。
アルドの叛乱後期に、敵から感じていた匂いと同様だった。
「…!!」
突如として耳をつんざく爆発音に、操縦桿を思わず離しそうになる。
わずかな記憶にふけている間。
相手は凄まじい速度で通り過ぎ、付近の飛翔艦と激突したのである。
轟音が鳴り響き、それまで大きく動いて展開していた戦場の時が止まる。
「おおっ!?」
その爆風の閃光と衝撃に煽られる戒。
「爆発が普通じゃない!!」
遠くでマルリッパが叫んだ。
「…気をつけろ!
第二波の奴等……ご大層にも機体に爆薬を積んでやがる!!」
呼応して、接近するコルツ。
「…やばいぞ……!
特攻をしかけて来るつもりか……あいつら全部!?」
「撃ち落とせ!!
全部当てられたら……艦隊が全滅する!!」
そのバーグの言葉を聞いた後、迫る機影を数え、戒が反転。
「……わかってんだよ!
素人が指図するんじゃねえ!!」
それまで攻撃のみに興じていたコルツも並ぶ。
「……まったく…喧嘩してる場合じゃないのに。」
そんな彼の様子に、肩をすくめるマルリッパ。
だが、その視線の先に入ったものは、予想だにしない光景だった。
隊列をはぐれてしまったのだろう。
そこには、自分達が乗ってきた艦が孤立しており。
やはり炎とともに傾いていた。
「……コルツ…あれ!!」
「畜生!!」
コルツもそれに気付き、機上で悪態をつく。
「輸送艦を堕とされるなんてよ!
何やってたんだ、俺の部下は!!」
「…きっと、ルベランセを守るので精一杯なんだよ!!」
マルリッパは口を引き締めて、周囲を遠く見渡した。
「…戦況が……良くない…。」
撃墜が間に合わずに、抜かれていく防衛線。
次々と戦闘機達に特攻され、大半が堕ちかけている艦隊。
一時は盛り返しの兆候を見せていた軍隊全体の動きも、士気の低下から当初の状況に戻されている。
「これは……もう…ダメだと思う…」
「―――勝手にあきらめてんじゃねえ、ブタ!!」
冷静に分析するマルリッパに、脇から戒が叫んだ。
「でも、とりあえず退路を確保しないと……。」
その剣幕に大柄な身体を反らせながら、彼は答える。
「言えてるぜ。
…ここは一旦、退くべきだ。」
戦場というものを良く知るバーグが促した。
「ただ退くだけってのは性に合わねえ。
一匹でも多く殺してくる。
…素人達の指揮は、てめえに任せた!!」
自然と集合する中。
ただ一人だけ向きを変えたコルツは、それだけをマルリッパに言い残して加速した。
「必ず合流してよ!!」
送られる言葉に、片手を軽く上げる彼。
まるで散歩でも行くような雰囲気に、思わず溜め息が洩れた。
「…それじゃあ…ルベランセに………!!」
守るべき艦の位置を確認し、三機が順番に反転した。
◆ ◆ ◆
灰色の硝煙に満たされた空の中。
小破した両脇の艦隊の飛行速度は低下。
自艦も同様である。
背後から不意討ちを与えた謎の飛翔艦達が、背を向けて離れていく。
「―――これより『追撃』します。
後退する艦は、たとえ味方であっても撃ち堕とすと伝えなさい。」
見逃してもらえたことに安堵する味方の気配に、逸早く気付いた彼女は口を開いていた。
士官学校生徒の、まるで歴戦の将のような厳しい命令に、ブリッジの全員が目を見張る。
それも各国の混成艦隊においては、余りに乱暴な発言であった。
「…当艦は旗艦に指定されているが、そこまでの権限は無い!!」
彼女に対して、念通士が叫んだ。
「私は今、全権と指揮を委譲されています。」
しかし、重症の艦長を足元に。
その上の席で頬杖をつき、不敵な笑みさえ浮かべる彼女。
「今、この空域の全てのものが、我々が手負いであることを信じて疑わない。
だからこそ、少々無理をすることが意外性を生み、作戦の成功に繋がる。
……この機会を逃してはなりません。」
その不退転の表情はさながら、敵と錯覚するようだった。
「―――全艦に通達。
一斉射撃用意。」
頭の中で、素早く駒が動く。
同時に、命令を飛ばす腕が振られた。
喜悦の高潮を、彼女は全身で感じていた。
◆ ◆ ◆
「―――フィンデル!
フィンデル!!」
床に崩れ落ちた彼女を支えながら、その名を連呼するリード。
何故か、彼女の口元には不釣合いな笑みが浮かんでいた。
だがそれと裏腹に、覆った目元からは涙が落ちている。
「……おい、フィンデル!
…しっかりするんだ…!!」
「失礼…!」
モンスロンは混乱しているリードを押しのけると、彼女の襟元を緩め、顔を横に向かせて気道を確保した。
その胸は激しく隆起し、動悸が伝わってくる。
意を決し、手にしたハンカチで彼女の口を塞ぐモンスロン。
「なっ、何して……!
あんた! 殺す気か!?」
「……大丈夫。
ゆっくり…息をしなさい。」
仰天するリードをよそに、彼女に囁きかける彼。
「取り乱さないで。
…ただ過呼吸に陥っているだけのこと。
それより…念通士は戦況に集中を。」
「……!!」
その言葉に、ブリッジの全員が気を引き締められる。
(これは極度の緊張状態……加えて、ストレスも原因か…。
とにかく…この状態で指揮は到底…)
容態が安定してきたフィンデルをそのまま床に。
モンスロンが立ち上がって、リードに向き直る。
「副艦長は、どなたが?」
「……い、いませんが……一応…自分が…そのつもりで。
…しかし…戦術の知識は乏しく…」
リードは、情け無い声を出す自分が悔しく思えて仕方なかった。
気持ちだけでは補えない状況が、今、目の前にある。
「ならば、臨時として…私の指示に従ってもらえるでしょうか。」
「貴方の!?」
途端、リードの瞳に躊躇の色が覗いた。
「しかし…貴方は騎士団の人間…」
「信じてくれとは言えません。
だから少しでもおかしな真似をしたら、殺してくれて結構。
…どちらにせよ、何もしなければ、このまま死んでしまいますからね。」
「!!」
リードが止めることも促すことも出来ないうちに、艦長席へと着座するモンスロン。
中空と窓の外をわずかに眺め、その後に唇を開く。
「……艦の進路を、北から続く渓谷へ。」
「渓谷?」
その命令に、タモンが反復した。
「くれぐれも慎重に下降しつつ。
戦闘は一切考えずに、とにかく航行に集中せよ。」
とても慣れた口ぶりで、指揮する彼の姿。
それは普段の冴えない様子からは全く想像出来ない、安心と信頼を湧き上がらせる不思議な姿だった。
◆
「―――ルベランセ、突出しています!!」
軍隊側の陣内、中盤に位置した旗艦。
圧倒的不利の戦況に戸惑うブリッジの喧騒の中で、念通士が叫ぶ。
「…何だと!?」
全艦隊の提督であるネウが、窓外の様子を追った。
「ムーベルマ渓谷へ入るだと……?
どうして、こんな退路を…?」
見渡す限りの荒地を、北から伝う大きな河川。
崖の傾斜は厳しく、その水流は早い。
「…水……そうか…!」
既に当初の三分の一ほどになった艦隊を振り返る。
思えば、その中の殆どの将軍が自分よりも階級が高く、年齢も上であった。
そして、無駄に勲章を軍服にぶらさげて威張り散らすが、ろくに実戦の術を持っていない。
そんな彼等への侮蔑と同時に、どこかで諦めていた自分がいる。
統制すること自体を嫌い、怠っていた己も同類ではないかと、彼はここへきて自嘲した。
「……当艦はこれより、ルベランセのみの退路を確保する。
いいか、あれを絶対に堕とさせるな。」
艦長の言葉に、皆が頷いた。
◆
乱戦と化した戦場を、ぐんぐんと速度を上げて北へと抜けるルベランセ。
それに、つき従うように後ろについた旗艦を、モンスロンは確認する。
「提督殿……察してくれたか。」
それは、希望の光のように目に映った。
「流れる河川ぎりぎりを飛んでいきます。
高度をさらに下げてください。
ただし、角度を誤らないように。」
「あ、危ないっすよー!!」
自分に言い聞かせるように叫び、舵を回すタモン。
長年の浸食により、渓谷は階層を作っており。
さらに下を流れる河川に沿うようにして、蛇のように曲がりくねっている。
突き付けられた相当の無茶な難題に、舵を取るタモンの鍛えられた両腕は悲鳴を上げていた。
「―――あっ!!」
大きく傾斜した際に、横たわせているフィンデルの頭部が固い機器の角にぶつかった。
思わず声を上げたリードはすぐに駆け寄り、彼女を守るように抱きかかえる。
「……艦体を安定させなさい。
念通士は、バランスと源炉出力のサポートを。」
思わず仕事を放った彼にも、そして怪我を負った彼女にも、何の視線も投げかけない。
真っ直ぐと前に向けた瞳のままで、モンスロンがメイに指示を飛ばした。
(……生きる道を…)
彼はただ、目の前で流れ続ける景色のみを追うことに集中し。
わずかな一つさえ、見逃さまいとしていた。
◆
敗北感など感じている暇も無い。
目下を恐ろしい勢いで流れる川のように、戦局もまた動いている。
「様子がおかしい!
ルベランセから離れるな!!」
「わかっている、ヒゲ!!」
前を行く自艦を追い、バーグと戒の二機が飛び続ける。
周囲に気を払いつつ、後続するのはマルリッパ。
「おい! おまえらの艦!!
何で、こんな所を飛んでんだよ!?」
そこへ上空から彼等に追いつき、崖からはね返る激流の飛沫を浴びながら、コルツが叫んだ。
「俺様が知るか!!!」
半ば八つ当たりのように叫び返す戒。
上流に向かう緩い傾斜に従って、彼等の不安は除々に高まっていった。
◆
「……弾幕を絶やすな。
突っ込まれる前に撃ち落とせ。」
ネウの命令によって各砲座から放たれる小弾。
しかし、その爆炎の幕をかいくぐり、視界から消える戦闘騎が一機。
衝撃と共に、大きく傾く艦体。
だめ押しで、二機がさらに迫る。
全員が身を屈めた直後、爆炎がついにブリッジの扉を破壊した。
「提督……」
気温が一気に上昇した中、念通士が呟く。
さらに5機。
背後から迫っていた。
「……対地用ゾンド弾を全弾発射。
…未練の無いようにな。」
ネウは静かに瞳を閉じて、呟いた。
◆
背後でルベランセを守るように飛んで付いていた飛翔艦が、火を噴きながら大きく傾く。
突然に開いた、その艦体脇部からは、びっしりと敷き詰められた弾頭が見える。
機雷。
その判断を瞬時に出来たコルツとマルリッパが速度を上げる。
戒とバーグは、慌ててそれに倣った。
一斉に落とされた機雷が河川に沈む。
それは僅かな時の後に、高い水しぶきを上げて霧を作り、前方のルベランセを隠す。
そして機雷は同時に、両脇の崖に向けても射出され。
追ってきた戦闘騎の全ては、崩れた岩に巻き込まれた。
「………!」
それらと共に、ネウの艦は崖に触れ、完全にバランスを失い河川に飲み込まれて爆発した。
バーグは僅かに振り返ったまま、小さく敬礼をとる。
「…くそ!!」
操縦桿の脇を、拳で叩きつけるコルツ。
「………戒!!」
そこで、戒は髪を世羅に強く引かれて、前を向いた。
「……フィンデルの馬鹿野郎!!
何やってんだ!?」
そして彼の咆哮に、全員が前を向きなおす。
信じ難い光景。
進んでいる天然の回廊の行き着く先には、高い『滝』が待ち構えていた。
ここまでして切り拓いた退路にも関わらず、そこへ頭から突っ込んでしまっているルベランセの尻が見える。
そして、落下する凄まじい水流に負けて、吹き飛ぶ装甲。
突如として生まれた前後の残骸に、全員の思考と動きが止まった。
◆ ◆
3
◆ ◆
「大勢が決したか……」
ブリッジ正面の下方。
鉄屑の荒野を望み、ファグベールが呻いた。
「よもや、ここまで正規軍が弱体化しているとはな。
いや…こちらの兵士達が予想以上の働きをしてくれたこともあるが…」
飛翔艦本隊が交戦地に到達した時、その場に残されていたのは負傷した蛮族兵と彼等の戦闘騎のみだった。
中王都市軍は、その慌てふためく姿さえ残していない。
「被害は?」
「戦闘騎が24機です。」
問うディボレアルに、答える黒華の兵。
ブリッジ全体からは、既に小さな歓声が湧き上がっている。
その様子に、ファグベールは思わず眉をひそめた。
圧倒的な勝利は、心に間隙を作る。
「損害は決して小さくないが、対艦戦へ移行させるまでもなく相手は全滅。
上出来と言うべきなのだろうな。」
「そのことなのですが…」
冷静に努めようと自分にも言い聞かせようとするファグベールの言葉に、その場の念通士は反応した。
「わずかに一隻、撃墜の確認がとれていない艦が。」
「一隻?」
「諜報部によると、第三補給部隊所属『ルベランセ』に間違いないかと。」
「…ルベランセ……?」
老将の呟きに、ディボレアルの甲冑が鳴った。
「知っておられるのか?」
「……いや。
それよりも撤収の用意を。」
「その艦の確認と追討はいかがする。」
完璧な勝利に唯一浮かんだ汚点を、まるで気にもかけずに命を下す彼に対し、不満のように
口蓋を見せるファグベール。
「ただの一隻でさえ、モンスロンが生きている可能性は否定できん。
ここは追討隊の編成を。」
そして、頑として譲らない姿勢で上申した。
「いくらここが不毛の地とはいえ、この艦隊規模で留まることがいかに危険か、貴殿も解っておろう。
我々があくまでも第三の勢力という姿勢をとっているのは、一体何のためか。
それを思えば撤収は急を要する。」
「ただ見逃せと言われるのか。」
「……小団長殿がそこまで言うのならば、追討を一任しても良い。
現戦力の半分程度になるが…」
「充分。」
老将は短く切って答えた。
「…ならばこの時点より、総大将の全権をファグベールに移行する。
部隊選別の後、本体は中王都市へ帰還。
ただちに準備にとりかかれ。」
その返事を待っていたかのように、言葉を紡ぐディボレアル。
「―――これを、例の二人に。」
そして続けて、傍らに立つ諜報員に小さな紙切れを二枚渡す。
その紙に書かれた内容を確認し、怪訝そうな表情で周囲に聞こえないよう小声で聞き返す彼に、
黒い仮面が無言でわずかに頷いた。
◆ ◆
「お、お、お……おどろかせやがって!!」
戒をはじめ、操縦士達が揃って叫んだ。
冷気のこもる、暗がり。
岩壁を伝う雫。
先の怒声は、そこで幾度も反響した後に消えた。
「いや、申し訳ない。」
それらの感情を前にしてもなお、苦笑いと共に頭を掻くモンスロン。
思わず脱力してしまう、その憎めない表情の背後で、青いベールが轟音と飛沫を立てて下りている。
―――滝の裏側に大きく開いた洞穴。
その奥にルベランセは静かに留まっており、手前には戦闘騎が8機、乱雑に置かれていた。
「よく、こんな隠れ場を知っていたな……。」
回避が間に合わず、滝に突っ込んだ際に濡れた服を絞りながらバーグが訊いた。
「先日の会議で申し上げたとおり……このあたりは昔、知った場所なんですよ。
ここではキャンプなど張って、遊んだりしましてね。」
懐かしそうに、昔そのままにした焚き火の跡を足でいじるモンスロン。
「まあ……実際はこのように、戦闘で使える地形を探すことも兼ねていたんですが…。
まさか本当に使う羽目になるとは思いませんでした…」
そこで、ふと。
付近を通る轟音に、皆が腰を屈める。
滝越しに、大きな飛翔艦の影が横切った。
それに加え、戦闘騎も周辺を旋回しているようである。
「……しばらくは、この滝の裏で我慢するとしましょう。
時間が経てば、相手は捜索の範囲を広げざるをえない。
我々が何か出来るとするならば、それからです。」
モンスロンは小声のまま続けた。
「それにしても…まさか、艦長さんが不調とはな…」
「疲労です。
しばらくは安静かと。」
バーグに対し、彼は表情を変えずに極めて短く答えた。
「肝心なところで、使えねえ女だ……」
戒の物言いに、脇の世羅が無言で彼の袖を強く引く。
「本来なら先頭切って戦う軍人が、どいつもこいつも肝心なところで役に立たねえじゃねえか!
…俺様の言っていること、間違っているか!?」
「まあな、そりゃあ……そうだけどよ…。」
バーグも、今回は彼をなだめる側に回る。
「相手は単なる空賊じゃなかった。
あれは…どういう連中なんだろう?」
「……兵器を見る限り、中王騎士団。
それも赤華で間違いないでしょう。」
マルリッパの問いを、モンスロンは力無い笑みで返した。
にわかに、全員の動きが止まる。
「…何言ってんだ?
昔、何度か戦場で一緒になったことがあったが……あんな部隊じゃなかったぞ。」
腕組みをしたまま、顎を突き上げてコルツが言った。
「それどころか、連中……ほとんどが蛮族のようだったぜ。」
戒が続く。
「ここの地域から推測して……もしかしたら、あの兵達は聖都動乱の残党かもしれません。
歴史をさかのぼれば、アルドの叛乱の残党…となるのでしょうが。」
「騎士団とアルドの残党だって?
余計にありえねえ組み合わせだ。」
バーグが声を上げる。
「ええ、恐ろしい用兵です。
考案した者は、敗北と怨恨というのものを良く知った者に違いない…」
深い闇を瞳の中に浮かべながら、モンスロンは独りで思いに耽た。
だが、直後に我に返る。
「……と、まあ、小難しい話は後にしましょう。
操縦士の皆さんは、とにかく一息入れて下さい。」
そして気の抜けそうな笑顔の号令で、溜め息混じりにルベランセへと向かう面々。
その中で戒とバーグだけが最後に残り、モンスロンと共にゆっくりと歩き出す。
「しかしあんた、見事な機転だったぜ。
人は見かけによらないよな。」
内ポケットから煙草を取り出し、それを噛みながらバーグが言った。
「いえ……ただもう、助かりたい一心で。」
髪の毛を掴み、ぐしゃぐしゃにするモンスロン。
「正直言って、後悔はあります。
あの時は咄嗟に自艦だけが生きる道を選んでしまった。
後から思えば、もっと良い方法があったのではないか、と。」
「…難しいな。
艦長ってのは、いつもそんな葛藤をしてやがるのか?」
「…そうですね。」
バーグの問いかけに、彼は表情を曇らせた。
「考えれば考えるほど、わからない。
だから本当は、考えない方が良いのかもしれません。
過去に戻る手段など、一切無いのですから。」
そしてはっきりとは言わないが、その言葉からは犠牲にした艦への追悼と、不調のフィンデルへの心配が伝わる。
「…詰まるところ、利己主義ですよ。
飛翔艦を駆る者の思考なんて……ね。」
「利己……か。」
戒が呟き、背後にそびえる物言わぬルベランセを眺める。
「確かに、飛翔艦ってのは圧倒的な力だとは思うが……それはあくまでも戦争屋の思考だろ。」
そんな青年の若い口調に―――
「…そうだね。
君の言うとおり、戦争以外にだけ使える日が訪れれば良いね。」
モンスロンは穏やかな表情で微笑んだ。
◆ ◆
艦内に戻るとすぐ、モンスロンは用事があると告げて、各個室が並ぶ区画へと向かって行った。
二人はそのまま、慣れた通路を進む。
「何だ、この強烈な匂いは…」
食堂の前。
通りがかりに鼻を突く刺激に、戒が声を上げた。
「…食欲を誘うな。」
安堵のためか、急に空いてきた腹をさすりながら答えるバーグ。
「…ああ…二人とも!
よくご無事で!!」
二人の姿に気付き、前掛けを締めたパンリがすぐに駆け寄って来る。
「…シュナはどうした。」
空の厨房を見回し、戒が訊いた。
「食事の用意をした後、ここを私に任せてフィンデルさんの部屋へ…。
他の皆さんも無事です。」
「…そうか。」
深く息をつき、彼はパンリの肩を軽く叩く。
そしてまじまじと、その顔を見詰めた。
「…しかし、意外と普通だな。」
「何がです?」
「お前のことだから、もっと怯えて縮こまっていると思ったんだが…」
「……はは。」
パンリは乾いた声で笑った。
「麻痺…してるだけですよ……たぶん…。
あまりにも……今までの生活からかけ離れすぎて……」
「いやぁ、それでも立派だぜ。」
バーグは大きな手の平で彼の背中を強く叩き、食堂の中へと大股で進んで行く。
(大半が……まだそんな状態だろうな。
だが時間が経つにつれ、恐怖ってヤツは増してくるんだ。
長丁場になったら、きついぞ…)
彼は硬い表情のまま、既に中央付近のテーブルの席にいる世羅に目を合わせた。
「バーグ! 戒!!」
二人の姿を確認するなり、手を振って呼ぶ彼女。
そして招かれた彼等の前で、皿を掲げるようにして見せる。
そこに盛られているのは、スパイスの効いた強い香りの料理。
「カレーだよ!」
「………?」
二人にとって馴染みが無いその料理を、世羅はよく知っているようだった、
「…フン。
最後のカレーにならなきゃいいけどな。」
そんな彼女の笑顔に反するように無愛想に立ち上がり、食事を終えたコルツが食堂を去る。
「お前のところの、あのクソ生意気な野郎…。
何とかならねえのか。」
鯨の如く凄まじい勢いで料理を口にかき込んでいるマルリッパの背に向けて、戒が椅子を引きながら言い放つ。
「…ん、あれでも隊長だから、従うまでだよ。」
コップの水を飲み干し、一息ついてから、目元を緩めて答える彼。
「隊長が隊長なら…部下も部下だな。」
見れば、他のデスタロッサ隊の面々は、隅の暗がりで食事をとっていた。
その顔からは覇気が無い。
だが不気味な笑い声と共に、撃堕した戦闘騎の数の自慢話が聞こえてくる。
「…まあ、僕は部下というより、幼馴染かな。」
マルリッパは、そんな戒の目をさして気にすることも無く、平然として答えた。
「あいつの父さんは、大陸中を回って活動する政治家なんだ。
その3番目の奥さんの子供も……色々大変みたいで…」
「どちらにせよ、麻薬をやっているような奴は信用できねえな。」
そう呟いた、戒の顔を凝視する彼。
「どうしてそれを……あ、もしかして専門家…」
「専門家じゃねえ。」
いつものように誤解の目が、特に頬の傷の辺りに向けられるのを感じ、戒は彼の手首を思い切り
強く掴み上げる。
「でも戦闘の時は、あいつにとってはそれが麻薬みたいなものだから、信用してくれてもいいですよ。」
それでもマルリッパは笑顔を返し、戒を一層不満そうな表情に変えるのであった。
「…解らないでもねえさ。
戦いってのは、クセになる。」
スプーンを置いて、呟くバーグ。
「何はともあれ、食えるうちに食って……寝れる時に寝る…。
それが兵隊の役目だ。
麻薬をやってようが何してようが、あんたのところの隊長さんは良く解ってるみたいじゃねえか。」
そして背伸びをして立ち上がる。
「お前も、もっと食っとけよ。」
一向に減らない皿で心中を見透かされた戒は、そんな彼に背中を叩かれたのだった。
◆ ◆
「艦長……」
「ごめんなさいね…情け無い姿を見せちゃって。」
血のにじむ包帯を巻いた頭を枕に沈めたまま、フィンデルは声をかけたシュナに背を向ける。
「ごはん持ってきました。
おかゆですから、体調が悪くても平気ですよ。」
「いらないわ…食欲が無いの。」
「いいえ、無理にでも食べてもらいますからね。」
彼女は笑顔を見せ、手にした皿からスプーンでよそう。
「……!」
しかしフィンデルは、その粥の熱気と香りだけで口元を押さえ、うつむくのだった。
「大丈夫ですか!?」
「へ…平気……」
シュナは慌ててすぐに皿を置き、むせながら涙目で答える彼女の背をさする。
「…ごめんなさい。
せっかく作ってくれたのにね…」
「いいえ、すみません!
私こそ…無理に…」
いたたまれなくなって、シュナはそのまま後ずさる。
フィンデルの身体は想像よりもずっと冷たく、生気を失っていた。
◆
「……僕も出撃したかったんだけどね〜。
でもガッチャ殿が、戦闘騎の封を破ると面倒なことになるって。
まったく、そういう事態じゃないと思うんだけど。」
「いや、確かに手出しをしなければ、見逃がしてもらえる可能性も僅かにありましょう。」
「…やれやれ、ルベランセが堕とされたら同じなのになぁ。」
廊下の壁に背を付け、片足をぶらつかせながらロディが言う。
「とりあえず……フィンデル殿の容態については、なるべく他の方には知らせないように。
士気に関わりますゆえ。」
対するモンスロンは、神経をすり減らした表情を隠さないでいた。
「容態って……ただの疲労でしょう!?」
それまで黙って沈みこんでいたリードが声を上げる。
だがそれは予期せず廊下に響き渡ってしまい、彼は慌てて口をつぐんだ。
「肉体的に疲労しているだけならば、短時間で回復の見込みはあります。
だが彼女の場合、精神的な疲労が慢性化しているのです。
おそらくそれは……10年もの時間をかけて、彼女の身体を侵し続けてきたのでしょう。」
「あなたは騎士団にいたくせに、彼女の何を知っているって言うんですか!」
自分だって分からないのに、仲間のような顔をしている。
そんな悔しさを噛み締めながら、だがリードは訊かずにはいられなかった。
そこで部屋のドアが開かれ、シュナが出てくると三人の会話が一瞬止まる。
彼女越しに覗く室内のフィンデルは、再び眠りについていた。
やがて、モンスロンに投げかけられる周囲の視線。
「彼女は全く憶えていないようでしたが……私は過去に二度、彼女と会っているのです。」
彼は複雑な心境を、吐息に反映させながら口を開いた。
三人は一言も発さず、それに聞き入る。
艦内の静寂が増すようだった。
「私は生え抜きの騎士団の人間ですが、それでも彼女とは不思議と接点がありましてね。
……最初の出会いは仕官学校の試験当日。
当時、私は面接官として呼ばれていました。
彼女は試験において特に目立つものはありませんでしたが、面接時に暗記していた兵法を読んでくれたのです。
初めは変わり者だと思いましたが、良く聞いてみれば恐ろしいくらいに、その先人の教えを噛み砕いて吸収していた。」
彼女の輝いていた表情を、瞼の裏に浮かべる彼。
「ところで、中王都市の士官学校では入学後……。
すぐに研修として各地の飛翔艦に乗せてもらい、航行を見学する風習があります。」
その言葉に、経験のあるリードのみが頷いた。
「それは各国が合同で行う式典のようなもので、あの時は北西諸国が集まっていたと記憶しております。
そう、私が所属の『赤の隊』も数隻、他の生徒達を乗せてその任務に当たっておりました。
私と彼女の二度目の出会い……それは、ハンデン・ハンデオルム事変。
闇に葬られ、誰にも知られない闘争がそこにはあったのです―――」
◆ ◆ ◆
アルドの叛乱中期。
劣勢を盛り返した大陸十字軍が初めて陥落させた、叛乱軍の要所がハンデン・ハンデオルムであった。
蛮族は古に伝わる神殿を要塞とし、最期まで抵抗したと言われている―――
中王都市から北西に位置する、そんな土地は、かつて十字軍として手を組んだ周辺諸国の演習場となっていた。
再興の見込みが失われた地を奪還することに、意味こそは無い。
だが、見えないところで燻り続けていた叛乱の炎が十分な蓄えを迎えた時。
そこが目標になったのは、そんな過去の遺恨から当然のことでもあった。
後になってこそ、モンスロンは回想する。
いくら戦争の終結から久しいとはいえ、油断をもって背後から急襲されるなどあってはならぬこと。
だがそれは、現実のものとして行われてしまった。
そして。
あの時、それ以上に、味方の反撃は異様に上手くいきすぎたのを憶えている。
合同演習時はその都度、旗艦を選出する国を変えていたが、その日は良く知っている提督の番だった。
鎮圧部隊として、共によく戦場に出たことで手腕も良く知っている。
奇襲を受けた後、不利な態勢から見事に持ち直し、さらに迅速な指揮によって攻めに転じ、蛮族の飛翔艦を次々と
撃破した時も違和感は無かった。
ただ、その日。
ハンデン・ハンデオルムの地は、再び全てが焦土に覆われていた。
それを飛翔艦のブリッジから眺めた時、彼は妙な不安を感じたのだった。
◆
「…何と…!
提督殿は先の戦闘で重傷を!?」
「は!」
まだ熱の残る溶けた鉄屑の地を、急ぎ足で突っ切るモンスロンに並んで答える念通士。
「では、先程の指揮は一体誰が?」
「……中王都市の学生だと聞いております。」
「我が国のですか?
それは興味深い…」
目先の喧騒が増す。
その人垣を急いで掻き分け、モンスロンは顔を覗かせた。
自国の仕官学校の制服を着た女性。
その前方で半身を起こした蛮族が、彼女の腰から拳銃を抜き取り、それを自分のこめかみに当てがうところであった。
「……サーデュス・ルア・アフハ…。」
そして彼が、独特の言葉で呟いたのを聞いた。
モンスロンは駆け寄る途中、妙な心地を与えてくる語感に思わず立ち止まる。
そこで銃声と共に放たれた弾は、無残にも言葉の主を貫き。
返り血を浴びて放心状態の彼女のみが、目の前に残されていた。
―――聖都に対する襲撃の予行であったとされる、ハンデン・ハンデオルムの部隊への襲撃。
北の蛮族達は、その全く予期せぬ完全な敗北と損害により、次の乱を起こすまで7年もの歳月を
費やすこととなる。
◆ ◆ ◆
「…すなわち、それが彼女にとっての人生の分岐点だったということですか。」
廊下の床にだらしなく座ったまま、ロディが呟いた。
「それでも私は当時のフィンデル殿の手腕から、卒業後には是非とも騎士団に欲しい人材と思っておりました。
……が、彼女はそれきり、頭角を現さずに埋もれてしまった。
再び会うまでは信じたくありませんでしたが、あの時、やはり心に深い傷を負っていたということでしょう。」
「つまり、艦長はそれを悔やんでいるということですか?」
シュナがさらに質問しようとした矢先。
「……そう。
きっと、おそらくは…」
彼は瞼を長く閉じる。
「罪悪。」
モンスロンが似たような話をしている時、周囲の人間は不可思議そうな顔をする。
やはり、この時も同じだった。
彼自身も、それは十分に承知している。
同じ境遇でなければ、到底理解には及べない。
多くの者の命を扱う人間の心には、並々ならぬ暗い深遠がある。
「……ですが、その罪悪にも思い込みの部分もあるのです。
しかし今、私が何を言っても、その傷を癒すことは出来ないでしょう。
あの様子ではね。」
やがて、彼の声は哀れむように細く変わった。
「…戦いの虚しさというものを、若くして彼女は知ってしまった。
勝利が、多数の命を下敷きにしていること。
仲間の歓声も、その裏には畏怖があることを。」
解りやすく発せられる彼の言葉に、リードは拳を握り締めて思わず目を伏せた。
その言葉どおり。
炎団との一連の戦いから、フィンデルに対しての言い知れぬ畏れは、ずっと消えることが無かった。
近くにいて、そんな感情を汲み取れないほど、彼女はきっと鈍くない。
やがて、おぼつかない足取りで廊下を進んでいく彼。
シュナも顔を伏せながら、その後に続いた。
「……モンスロン卿。
貴方は優れた軍略家のようですが、女の子のことはそうでもないみたいですねえ。」
一人残り、彼等を見送りながら明るい口調で言うロディ。
「…どういう意味ですか?」
「彼女とは、中王都市の夜宴で素敵な出逢いがありましてね。
貴方に勝るとも劣らない関係がある。
ま、そういうことです。」
目を丸くするモンスロンに対し、彼は肩をすくめて応えた。
◆ ◆
時間の境も分からない状況の中、一夜が過ぎ去った。
「…まだ、あっちこっちで偵察機が飛んでやがる。」
ザナナと共に見回りから戻ってきたバーグが、食堂に居る全員に聞こえるように言う。
「チッ!
ブッ殺してきてやる!!」
椅子を並べ、そこに寝そべっていたコルツが机を蹴って立ち上がり、息巻いた。
「やめてよ。
危険だし、僕達まで見付かったらどうするの。」
それを必死でなだめるマルリッパ。
「…しかし、味方の姿は全然ねえな。
このまま潜伏しても、救援は絶望的だぜ、たぶん。」
バーグの言葉は切実だった。
「…これが、裏切りに対する報復ってわけか。
騎士団ってのは、随分だな。」
戒がモンスロンを横目に言う。
「…いえ、これは中王都市軍そのものに対する宣戦布告と見てもいいでしょう。
我々のように生き残る者がいて、赤華の存在に気付く者がいてもおかしくはない。」
「つまり、てめえが亡命すること自体には責任はねえってことか?
違うだろ。
引き金にはなっているはずだ。」
「…面目ない。」
さらに極まる厳しい目線に、モンスロンは視線を下ろす。
「今さら、そんなこと言ったって仕方ないよ。
この人にも、それだけの犠牲を払っても亡命する理由があるから…」
「何だと……?」
彼を擁護するマルリッパに、迫る戒。
「くだらねえ議論より、この状況を何とかすることを考えろ。
過酷な戦線は嫌いじゃないが、ここは極端すぎる。」
コルツが深く椅子に腰掛け、今度は嫌に冷めた目つきで二人を眺めた。
「戦力的には、圧倒的に不利。
行くことも退くこともままならないこの状況……さて、どういたしましょうか。」
少しずつ湧き出してきた各々の不安を見計らい、大きな紙をテーブル上に広げるモンスロン。
それは空図ではなく、付近の地形が記されており。
それぞれの目には、周囲を網目のように流れている川が印象的に映った。
「まずはご覧下さい。
このムーベルマ渓谷は曲がりくねった深い谷間が特徴です。
長い月日をかけて水流が岩を削り、各地を段にして……最下層に流れる川は多岐に分かれている。」
その予め用意されていたような周到な言葉に、誰もが注目する。
「確かに戦力が明らかに不足しているとはいえ、地の利だけは、若干ですが我々にあります。
水に沿って移動すれば、向こうの念通士に探知される確率は非常に低い。」
そして、艦長室から拝借した箱を取り出すモンスロン。
「幾つにも分岐している河川は、想像以上に使えます。
これを飛翔艦が進める限界まで伝って脱出することが、おそらく今、一番現実的な作戦でしょう。」
彼はその箱の中から、ルベランセを表す小さな駒を手に取って現在地に置き、もう一方の手で
東側のタンダニア方面に大きな駒を置いた。
そこで遠くから眺めていただけのパンリが突然、思いついたように口を半分開ける。
「パンリ君といったね。
何か言いたいことがあるようだが…」
その表情をうかがうようにして、モンスロンが訊いた。
「い、いえあの……もしも私が相手だったら、もっと兵力を分散するんじゃないか…と。」
「こいつは素人なんだ。
話なんて聞いても無駄だぜ。」
口ごもる彼のフードを軽く小突きながら、戒が口を挟む。
だが、意外にもモンスロンは首を左右に振った。
「相手の気持ちになることこそ、兵法の基本。
彼の言っていることは、あながち外れておりません。
つまり……」
小さな駒をつまみ上げ、周囲に動かす彼。
「どこへ逃げるか分からないネズミを一匹を捕まえるのに、獅子を一匹だけ配置する者などいない。
こういう場合は……」
手前の食器棚の上で耳を掻いている梅を見上げながら、モンスロンは地図上の大駒を取り除いた後、
中駒を片手一杯に取り出して渓谷全体を囲むように配置する。
「『猫』をいくつか配置することで…確実性が上がります。
おそらくは現在は、これに近い状況になっていることでしょう。」
「…な、なるほど。」
パンリが呻いた。
「どうすんだよ。
既に周囲に飛翔艦を展開されているのなら、逃げ場は無えぜ。」
「……逃げ場が無いのなら…つくればよろしい。」
モンスロンのあっさりとした言葉に、戒は閉口する。
「そんな簡単に…」
「発想を変えてみましょうか。」
彼はそう笑い、今度は小さな駒を幾つか取り出した。
「相手はネズミが一匹だと信じ切っている、その『思い込み』を突くのです。
―――ネズミは増やせばいい。」
そして地図上の渓谷周りに、その手中の小駒を配置していく。
「意味がわからねえ。
ルベランセに代わるものなんて、ここにはねえぞ。」
バーグが呟いた。
「……実際に飛翔艦など無くても、良いのです。
皆さん、とりあえず、今だけ相手側に立って考えてみて下さい。
そう。
たった一隻のルベランセを血まなこになって捜索している、相手に。」
彼の呼びかけで、目を閉じる全員。
「…この厳戒態勢の中で、不意に戦闘騎を見つけたら、どう思いますか?」
「……それは哨戒機。
きっと、その近辺にはルベランセがいると……推測します。」
マルリッパが呟いた。
「そう。
それこそが、この作戦の要。」
皆が目を開ける。
モンスロンが小駒の一つを、渓谷の北へと動かす。
それにあわせて、その付近の中駒が引きつけられて固まっていく。
さらに南。 そして西。
「西の中王都市へ尻尾を巻いて逃げるか。
南の聖都へかくまってもらうか。
北の地へ身を隠すか。
……一体、ルベランセはどこに逃げるのか。
きっと相手は、どの可能性も捨てきれないはず。」
最後にルベランセを表していた駒が、はっきりとした音を立てて地図上に置かれた。
「だが、我々の本命はやはり東のタンダニア。
この地へ行き着く為に、西・南・北へ向けた戦闘騎を囮にして突破を図る作戦を……私は提案します。」
唯一の光明か、途方も無い愚策か。
その作戦の成否は、誰もすぐには判断出来なかった。
「この計画で『もの』をいうのは時間差。
まずは目的地から最も遠い、西の敵を。
その次は北と南を同時に引き付けてもらいます。
そして、全てを終えた後、本隊が東を一気に突き抜ける…」
「その作戦……乗ったぜ!!」
説明の途中、もはや何も考えず、勢いだけで応えるバーグ。
全員の士気がもちこたえている間に行動せねばならない。
偶然にも、それはモンスロンの心情をも汲んでいた。
「しかし、各方面の囮の選別は?
使える戦闘騎の数は限りがあります…」
「マルリッパ。
お前の機体は、火力と装甲はあるが機動性に難がある。
やはり、ルベランセの護衛が適任だ。」
それまで興味の無さそうにしていた、コルツが急に口を出す。
「北の敵は配置数が少ないだろうから、適当に誘ってやればいい。
南は……やばくなったら最悪、非戦闘区域の聖都に逃げ込めば済む。
これらの役目は、ルベランセ側の使えねえ二機だ。」
「…この野郎!
昨日から、黙って聞いてりゃいい気になりやがって!!」
たまらず、彼に掴みかかる戒。
「…でも、残った西は一番危険だよ。
もしかしたら中王都市側からも挟撃される恐れがあるし、東のタンダニアに一番遠くなる。
…一体、誰がやるんだい?」
「俺に決まってるだろ。」
不安そうなマルリッパの問いに、コルツはすぐに自身を指して言った。
その襟元をくびり上げていた戒が、思わず力を緩める。
「……なんだよお前ら、そのしけた顔は。
俺のクモサ・クァターナのスピードなら、何の問題も無い。
ついでに、相手の飛翔艦を何隻か堕としてきてやる。」
そして、彼は呆気にとられる全員を見回しながら、大言を吐いた。
「他のデスタロッサ隊の全機は、敵陣突破の際に使え。
…これでどうだよ、あんた?」
「現時点で最良の戦法になります。
ありがとう。」
モンスロンは厳しい顔で礼をした。
「コルツ…」
「マルリッパ。
俺がいなくても、しっかりと指揮をしろよ。」
「何言ってんだよ…いつも僕がやらされているじゃないか。」
「ふん。」
それだけを言い残すと、コルツは準備をするために率先して食堂を出る。
その余りの忙しさに。
危機という名の魔物が押し寄せていることを、全員が感じ取ることとなった。
◆ ◆
銀の戦闘騎の帰還を見届け、観察場の高台から降りてくる白衣の少年。
「乗り心地はいかがでしたか?」
「……素晴らしいな。
これ程の機体は、乗った経験が無い。」
マクスは手甲を興奮で震わせ。
兜を脱ぎ、上気した顔を覗かせる。
「ミシュレイ。
これの大抵の操縦と武装はおぼえた。
だが、これは何だ?」
そして座席の後ろの、兜に合わせた窪みに目を向けながら訊ねる彼。
「最高速を出す時は、必ずここに頭を固定して下さい。
延髄を痛めますので。」
対する少年は、笑いながら答える。
「そういう大事なことは、あらかじめ説明をしてもらいたいものだが…」
「危険ではないのですか。
この機体は。」
呆れるマクスの背に、心配そうな面持ちで声をかけるクゥ。
「……護衛役きどりですか?」
急に話に割り込んできた彼女に対し、ミシュレイは小馬鹿にしたように軽く睨みつけて言った。
「ミシュレイも、私を殺そうとしているわけではないのだろう?」
そこでマクスからの、二人をいさめる言葉。
「無論ですよ。」
眼鏡を直して答える彼。
「聖騎士さまの功績は、僕の功績。
ただ、そのための努力を惜しみたくないだけです。」
「その言葉。
まるで、脅迫だな。」
マクスは笑って返した。
「今回のセッティングで、この銀の戦闘騎もひとまずは完成。
ペルテシノ・スディオンという名を付けました。
意味は、『大天使の威光』です。」
「…過ぎる名だ。」
「釣り合うように頑張らせようと、あえて付けたんです。」
「………ふ。」
マクスは表情を苦笑に変えつつ機体から降り、慈しむようにその外曲面を撫でる。
彼も気に入ったようであり、その点でも設計者のミシュレイは満足している。
「ところで、あなたは戦闘騎に乗る気は無いんですか?」
「私が?」
続けざまに声をかけてくる少年の言葉に驚いて、クゥは聞き返した。
「まさか戦闘騎も乗らないで、聖騎士様のお供はないでしょう?」
「……でも…しかし…」
クゥは、不意に頭上の空から下降してくる一機の黒い輸送騎に言葉を止めた。
「!!」
着陸した機体から出てくる黒華の者達―――そして黒騎士の帰還に、誰もが動きを止める。
(ディボレアル=マシーアンス…。)
その仮面の奥底から感じる視線に、彼女は背筋を張って対抗した。
「……どこへ行っていた、軍師殿。」
「なに、小用だ。」
マクスに短く答え、歩み寄り、対峙する彼。
「貴殿に、おあつらえの任務が出来た。
今すぐに出発してもらおう。」
「……何処へ。」
「スガト荒野……ムーベルマ渓谷を西から東へ抜け、騎士国家タンダニアへ。」
「!?」
その発言に皆が一様に表情を強張らせる中、ディボレアルは脇の騎士から差し出された書簡を手に取って向けた。
「大団長殿より、タンダニス王への書状だ。」
「何ゆえ、私が?」
「かの王と貴殿の父・ジェダス卿は、アルドの叛乱時からの旧知と聞く。
使者として、これ以上の適任はなかろう。」
一応は誰が聞いても合点のいく説明である。
だが、マクスの心にはどこか引っかかりがあった。
「第一に優先するべき任務はあくまでも、この書状を届けること。
それ以外は…貴殿の判断に任せる。」
「承知した。」
言葉で従いつつも、彼は気迫の表情で踵を返す。
「機体の調整は。」
「ええ、さきほど。」
その背で、ディボレアルに即答するミシュレイ。
「クゥ。 君は……」
マクスが言いかけた、その時。
「クゥ=ハウドは、これから私と共に首都へ参じてもらおう。
大団長の護衛として。」
「………。」
突然かけられたディボレアルの言葉に押し黙るクゥ。
そんな彼女に対し、マクスは頷いて促した。
「…旅立つ前に、宿にいるヒュベリに声をかけ、陸路からタンダニアへ入るよう伝えて欲しい。」
だがすれ違いざまに、耳打ちをする彼。
黒騎士とミシュレイの様子をうかがいながら、クゥも返事の代わりに小さく頷いた。
そして二人は、それ以上に無駄なやり取りを全く見せずに、離れていく。
「……ディボレアルさん、帰還が早すぎませんか。
まさか…全滅したとか?」
ミシュレイは輸送騎と、そこに乗っていた兵の人数を眺めながら呟いた。
「いや、させたのは我々だ。
飛翔艦は、別地へと既に送っている。」
「用意周到ですね……。
しかし、無理がありませんか?
交戦をマクスに隠したまま……あの空域を突破させるなんて…」
「それしきのものか?
奴と、この戦闘騎の能力は。」
ディボレアルの言葉に、ミシュレイはムッとした顔を持ち上げる。
「説明しないことで、後ほど困らないのかって言っているんですよ。」
「それは運に任せよう。」
「……本当、心にも無いことばかり言いますよね、あなたは。」
心底嫌悪した様子で言い、少年はマクスの機体の最終整備へと向かった。
◆ ◆
「…各種の信号弾を持って行け。」
格納庫から持ってきた箱を前に、コルツによって戦闘騎の操縦士全員が並ばされていた。
「青の信号弾は作戦の開始。
今作戦では俺だけが使用する。」
彼の言葉に、マルリッパが頷く。
「そして作戦が順調な時は、この緑の弾を撃ち上げて知らせるんだ。」
「こっちの赤は?」
バーグが赤く染められた筒を片手に持ち、訊いた。
「援護が必要な時だ。
普通、これを見た仲間は、撃ち上げられた所へ必ず駆けつけるようにする。」
「そうか。
アルドの叛乱の時と変わってねえんだな……。」
彼は懐かしそうに笑う。
「だけど、今回の作戦では相応しくない。
これを使うくらいなら、くたばって死ね。
仲間を巻き込むくらいならよ。」
自分の部下を見回して言うコルツ。
極論だが、的を射てはいる。
この作戦は元々、小を捨てて大を生かす作戦なのだ。
「戦場には崖が多い。
命綱も持って行った方がいいだろうな。
機体の固定にも役に立つ。」
そしてコルツは、先端にフックが付いた、長めのロープを順に全員へと配る。
「?」
世羅に手渡した時に、違和を感じて止める彼。
「そういえば、お前の相方はどこへ行った?」
そして呆けたまま訊くが、彼女は笑顔のみを返すのだった。
◆
「……!!」
シュナは換えの包帯と水を持ってフィンデルの元に向かう途中で、戒とロディが神妙な顔つきで、
その部屋から出てくるところに出くわした。
「あ、何やってるのよ、あんたたち!」
目を吊り上げて、迫る彼女。
それに驚き、二人は反射的に背筋を伸ばす。
「…な、何でもねえよ。」
そして吐き捨てるようにして、廊下を去る戒。
「……あいつのことだから、どうせ小言とか文句を言いにきたんでしょ。
今が大事な時だって知っているのに、何で止めてくれないんですか。」
顔を引きつらせて笑うロディに、シュナは口を尖らせて、室内へ入る。
「………!!
あいつ…どうして!?」
だが、その直後。
持っていた物を何もかも捨てて、急いで廊下へ飛び出す彼女。
「いや…僕も驚いたよ。
あれこそ、まさしく、神様の賜物だよね。」
「そうじゃない!!」
感嘆するロディに対し、シュナは色々な感情が入り混じった表情で叫んだ。
「あの能力はタダじゃないのよ!
それなりに代償があって…」
「大丈夫さ。
彼にも僕と同じく、果たすべき目的がある。
……必ず戻ってくるよ。」
涙を浮かべる彼女を抱き寄せて、悟ったようにロディは伝えた。
◆
ルベランセの外では、機体の整備が佳境に入っていた。
それまで互いにあらゆる方向を向いていた全機が、今は一斉に滝の方を向いている。
「久しぶりだな。」
にかっと笑って、自分の機体の右翼を叩くバーグ。
エンジン部の調整を行っていたミーサが、気付いて顔を上げた。
「源炉の整備と…艦体の修繕を……ずっとしてたから。」
「一人だと大変か、やっぱり。」
「ううん。
パンリにも手伝ってもらってるし……」
「そうか。」
「…みんな堕とされたんだってね。」
「ん……ああ。
そうだな……。」
バーグは視線を泳がせ、横の戦闘騎に乗っている世羅に手を振った。
彼女は戒の乗るべき操縦席で、操縦桿を片手に遊びながら、手を振り返してくる。
つられて自然に笑顔へ変わる自分の顔だったが、それをミーサは作業を止めて見入っていた。
「おい、どうした?
なんか…らしくねえぞ。
俺達はいつでも、ピンチを乗り切ってきたじゃねえか。」
「だって……!!
全滅……みんな死んだって…!!
艦長も調子崩してて……」
そして急に取り乱した彼女の様子に、彼は時間が経つにつれ己の感情の起伏が無くなっていることに気付いた。
「別に、怖いことねえだろ?
肝っ玉のミーサさん。」
動揺を抑えながら、冗談を続ける。
「恐いよ……!
なんか…いやな予感がする…」
「見送る側ってのは……大体そんなもんだ。」
さらに、軽い言葉を被せる自分。
「お前はまだ若いんだから、絶対に死ぬなよ。」
「……歳のこと言うの、ずるいよ。
年齢を一気に増やすことなんて、絶対に出来ないんだから……!」
「はは。
なにムキになってんだ。」
バーグは笑ってあしらい、その場を離れると、ルベランセから降りてきた戒、そして
艦内の防衛を任せるザナナにも手を振った。
(…それなりに、今までの人生に満足しているってことかな。
こいつらのためなら…いつ死んでもいいって気がしやがる。)
共に死地に向かう連中は、自分の半分も生きていない。
きっと先に逝った友も、同じことを思うだろう。
皆に振りまいた自分の明るさの理由を知った時。
彼の心は、妙に晴れ晴れとしていた。
◆ ◆
4
◆ ◆
北の荒野には、黄土色の岩肌をした小丘が幾つも立ち並ぶ。
戒はそのうちの一つに戦闘騎を留めていた。
高所を吹き荒ぶ乾風は、遠方の匂いを孕んでいる。
そして、どこまで見渡しても変わり映えの無い景色。
遥か遠くまで往けば、自分達の全く知らない世界があるに違いない。
惜しむらくべきは、今はそんな感慨を実行に移す余地が無いことだった。
「…擦って歩くんじゃねえよ、一張羅だって言ってるだろ!!」
機体の前。
崖に足を投げ出しながら腰掛けて一息入れていた戒が、自分の修道着を羽織って歩き回る
世羅の様子を目の端に認めて叫ぶ。
「あは、ごめん。」
裾を捲くり上げ、おかしな態勢で近寄る彼女。
それと共に感じる、普段とは違う、別の匂い。
レティーンの修道着には、香の原料となる繊維を編みこんでいる。
穏やかな匂いを放つ繭である。
自分が着ていた時はまるで意識の外だったが、そこで戒は世羅を通して自分のことを知った。
人はこうして他人と知り合い、自分を知るのか、と。
いまさらながら。
死地を前にしてそれを思うのは、気持ちが昂っているせいであろう。
「戒も飛翔艦乗りになりたいんだよね?
じゃあ、しばらく一緒にいられるよね、ボク達…」
不意に物寂しげな表情になる、珍しく少し陰った瞳を見せる世羅。
それすらも、自分の緊張が伝わったのだと、戒は思った。
「…馬鹿か、お前は。
そんなもの、保証なんてねえよ。」
そして、本心をありのままに言う。
「人が一緒にいることなんて……な。」
「そんなことないよ!」
神経質な指使いでピアスをいじる彼に対し、世羅が声を張る。
「シュナが作ってくれた料理、よくお師匠も作ってくれたんだ。
そしたら、急に、お師匠がそばにいる感じがした。」
「……おい、それは…」
言いかける戒。
だが、それをよそに、彼女は言早に続けた。
「この前ね、ロディがね、飛翔艦のことについて教えてくれたんだ。
そしたら、その時はリジャンがそばにいたような気がしたよ。」
「………あのなあ。」
嘆息と共に、水の入った皮袋の先端をくわえて口に含んだ後、世羅に手渡す。
それを彼女は遠慮なく一気に飲み干した後、わけもわからずに笑顔を返した。
「いったい、どこにいるってんだよ?」
「ここだよ。」
無垢な表情のまま、両手を自分の胸の中心にあてがう彼女。
「哀れなこと言ってんじゃねえ。
……人がいるとしたら、それはこっちだ。」
戒は遠くを見つめたままで、彼女の頭を軽く叩く。
(そういや……あの夢を見なくなったな…)
そしてそのまま、景色を漠然と眺めながら思う。
世羅と共にあることを決めてから、以前のように不快感に苛まれることは無くなり、今では
むしろ気分が落ち着くようだった。
何も語りかけない、彼女の中に棲む天命の輪は自分を試すつもりだろうか。
その沈黙が、かえって不安にもさせる。
「……お前は…どうして俺様を選んだ?」
「?」
世羅は、前を向いたまま呟いた戒の様子を注視する。
遠くの空に作戦を告げる閃光弾が上がったのは、それと同時だった。
◆ ◆
「…どういうことだ……」
ブリッジの卓に広げた地図。
周辺にくまなく並べられた捜索済みの印を睨み付けながら、ファグベールは焦れた唸りを放つ。
「なぜ、いっこうに見付かる気配が無い?
短時間でこれほどまでに遠くへ行けるものか…?」
ルベランセの本格的な捜索に費やした時間は丸一日。
初手で飛翔艦と哨戒機を各方面に飛ばし、遠方への離脱を警戒させたが、今のところ成果は皆無であった。
「…それとも、このムーベルマに飛翔艦を隠せる場所があるというのか。
ならばこれからは、谷間や岩場などの物陰を重点的に…」
言いかけた直後。
周囲で声が上がると共に、西の空に突然現れた閃光へと注目が集まった。
「……確認を急がせろ。」
ファグベールは瞳だけを動かして、その光を追いながら命を下す。
「西で戦闘騎……。
あ、いや……同時に北でも敵機を発見との報告!」
早速、一人の念通士が叫ぶ。
途端に浮き足立つブリッジ。
「…本艦も移動いたしますか?」
「いいや。
双方にそれぞれ、ルガーツ艦を送ってやれ。
それで対応させろ。」
傍らで進言した念通士に、冷静に返すファグベール。
「まだ南からの報告はありませんが…こちらは如何いたしますか。」
「……これ以上、戦力を分散させるわけにはいかん。
そこは、配置してある艦に任せる。」
既に、この空域に残るのは自艦を合わせて二隻のみである。
「奴等、一体、何のつもりでしょう?」
「陽動のための……囮…か。」
配下の疑問に対し、ファグベールは顎を擦りながら呟いた。
「この空域から脱出するだけならば、どの方角もありえる。
捨て置くことは出来ん…」
突然に動き出した戦場に流されぬよう最大限に気を払ってはいるものの、何かの思惑に操られている自分がいる。
「……しかし…なんだ、この違和感…。
この、ファグベールの性格を知り尽くした作戦は……」
ぼやけていた標的の存在を確信し。
拳を握り、急に立ち上がる彼。
「本陣はここで固定。
周辺に潜んでいると思われる敵艦の捕捉に、全力をあげて備えよ。」
老将は低い声で命ずる。
(……この作戦の立案者は貴様だな…。
やはり生き残り、『そこ』にいるのだな……。
モンスロンよ……!)
赤華の軍師たる彼を直接の艦長に任命したことはないが、彼が乗り込む艦が悪い戦績を残したことは無かった。
どんな若手の艦長でも、知恵の浅い艦長でも、常にその傍らで辣腕を静かに振るう男。
決して目立つことは無い。
しかし、善く人の支えになる人間だというのを知っていた。
だからこそ信頼し、赤華における勘定から軍備にいたるまで、団体の生命線ともいえる財務の長も任せていた。
それゆえ、彼によって大団長からの信頼と面子を潰されたのは、ファグベールには強い屈辱であった。
(…必ず首を取るぞ。
我が汚名は、もはや貴様の血でしか拭えぬのだ。)
死を覚悟して、跪いた日の誓いを思い返す。
腹に据えた煮えたぎる思いが、老将にわずかに残っていた情を振り払った瞬間でもあった。
◆ ◆
(ファグベール殿……。
あれだけの赤華艦隊を指揮するには、小団長たる貴方抜きには考えられない。
おそらく、前線へ出ているのでしょう。)
自らを守る滝の洞穴を抜けた直後。
晴れ渡った昼空の下で、モンスロンは複雑な心境にいた。
赤華の軍師を長年務めたとはいえ、ファグベール本人には直属したことは無い。
(貴方と正面をきって戦うことになろうとは思いませんでした。
個人的な思いで背信したのであれば、私はとっくに諦めたかもしれません。
しかし、中王都市が…そしてその民が戦火を免れるために、まだここで死ぬわけにはいかないのです。)
お互いがただ同じ組織にいて、ただ任務を遂行していた。
人づての評判や戦場記録の上でしか、お互いを知り得ない関係。
だが軍人ならば、それだけで人となりというものが良くわかる。
(貴方は剛毅で実直。
そして、何よりも忠誠を重んじる騎士の鑑だ。
大団長の変心にも、ただ応じるのみでありましょう。)
瞼を開き、暗闇を抜ける。
「―――微速前進。」
小さく抑えた声だが、モンスロンはブリッジの皆に聞こえるようはっきりと言った。
「タンダニアまでは、かなり距離がありますが…」
対して、声を震わせるリード。
「時が来るまでは、潜みながら進みます。
デスタロッサ隊の行動に合わせて……離脱の隙を逃さないように。
―――源炉の様子は?」
「大丈夫、安定してるの。」
軽く答えるメイ。
「最後には全速を出さねばなりません。
操舵手。
その時まで緊張せず、余力を残しておきなさい。」
「は、はい!!」
さらに気を配るモンスロンに、タモンが答えた。
「万一、先の戦闘のように白兵戦に持ち込まれた場合は、貴方だけが頼り。
お願いします。」
「……頼りにしろ。」
続けられる彼の言葉に、ザナナは腕を組んだまま低い声で答えた。
この局面での沈着ぶり。
表情は相変わらず何を考えているのか分からないが、モンスロンの言葉は確実に皆を安心させている。
これが『指揮』という力だとするならば。
悲しいかな、一朝一夕で身につくものではないだろう。
リードはそれを脇目に、己の不足さを切に感じていた。
◆ ◆
戦闘騎から大きく半身を乗り出して、空から大地を調べる。
「………ぅむ。」
その無理な体勢のままで唸る、バーグの真下の飛翔艦は全く微動だにしない。
飛翔艦が戦闘騎を感知できる範囲など、彼が詳しく知る由も無かったが、これだけの接近にまるで
無反応なのは不自然であった。
(……なめられてんのか…?
いや、まさか…そういうわけじゃねえよな…)
旋回する範囲を狭めながら、一気に下降する彼。
もはや戦闘騎の飛行音は聞こえ、目視さえ可能な距離のはずである。
さらにブリッジ付近を横切るという、普段なら自殺に等しい挑発行為も、相手はまるで意に介さない。
(……トラブルか?
いや…人の気配が無い……!?)
思った直後の目端の気配に、反射的に顔を向ける。
敵艦の窓の奥で、何かが蠢いたような気がした。
(!!)
次は、離れた窓際に人影。
だがやはり、すぐに視界から外れてしまう。
(―――!?)
今度は外の高い岩場に視線を感じた。
バーグが振り向くと確かに一瞬見える、頭に青い羽根飾りを付けた長身痩躯。
「…………?」
だが、それをはっきりと『人』と認識する前に、それは再び姿を消し。
以降は、全くの静寂。
動かない飛翔艦と荒野が広がるのみであった。
バーグは深く瞼を閉じて姿勢を直し、騎士団が蛮族と結託したことを思い返す。
もしかしたら、内部で衝突があったのかもしれない。
(…よりによって、俺が一番ついているなんてよ…!!)
全く浮上する様子の無い飛翔艦を一瞥し、見切りをつける彼。
(どうする?
他の地点も気になるが……とりあえず、ルベランセまで戻るか…?)
そして、忙しく自問を繰り返しながら機首を返す。
気配を感じた地点に点々と続いた小さな血痕に、彼は最後まで気付くことはなかった。
◆ ◆
「―――撃ち堕とせっ!!」
怒号。
そして弾幕を縫って、一陣を突き抜ける派手な紫の機体。
その機上で、背後へ向き直るコルツ。
今度の相手は混成部隊。
敵部隊を指揮しているものは、言葉の調子からして、おそらく中王騎士団の人間であった。
この追討隊は、先に行われた戦闘から指揮系統が変えられている。
若干の不測を感じつつ、速度を上げて雲を切り抜けていく。
その速さに追いつけず、距離が開き始めた敵機達を確認してから、小さく旋回したのち下方正面へ回りこむ彼。
「…ザコが。」
十分な射程と間合いに引き付け、相手の死角から機銃のスイッチを押し込む。
銃器独特の振動の感触が左腕から肩に伝わり、快感が頭を支配する。
その手首から覗く、刺青。
幼い頃、母に無理矢理に入れられた墨だった。
―――特別であれ。
子が天命人ならば、仕事にばかりかまけている夫も、それを産んだ私に見向きもするのだろうと。
そうやって、他の妻に負けないよう、出し抜こうとしたのだろう。
母は狂人だった。
自分の他に父には子供が居ないことを知ったのは、そんな彼女が自殺を遂げてからであった。
それからというもの。
ただ日々を過ごすだけで、左手が疼き、頭を痛みが襲う。
その度に麻薬で散らさねばならないが、興味本位で軍隊に入った時、それが人を殺した時だけ、
同様に静まることが分かった。
デスタロッサの姓のおかげで、軍内部では自由に振舞うことが出来た。
部隊を組織し、他国へ支援を行う遊撃軍の許可を得ることなど容易かった。
―――このように、戦闘時には、いつも過去に陶酔する。
気付けば、相手は鉄屑になっていた。
今日も全く同じだった。
速射された弾に撃ち抜かれ、虫のように敵が落ちていく。
今日も楽しい。
快楽だ。
あらゆるものが一段落した後。
相手の飛翔艦との距離を測った。
こんな気分の時は、いっそのこと大魚を狙いたくなる。
操縦桿を軽く傾けて、優雅に旋回する彼。
部隊を一掃した今、余裕を持って、これからの行動を練ることが出来る。
その時、見えない圧力が彼の下腹を襲った。
『それ』は、僅か下方の雲中から、何の前触れもなく目の前に現れた。
音を全く発さない銀の戦闘騎。
その操縦士はフルフェイスの銀兜を装着しており、彼もまた突然の出会いに、自分を凝視していた。
だが兜の隙間から覗くその瞳は、魂を穿つような恐ろしい気を放っている。
飲み込まれたコルツは、先制の銃撃も出来ずに自機の下をくぐられた。
(……何だ……?
…敵…?
…無視…しやがって……)
首を反対側へ向け、一気に離れていくその機体後部から放たれている青白い炎を目で追う。
全く動けなかった恐怖を息と共に吐き捨て、コルツはペダルを踏み込んだ。
東。
その銀の戦闘騎が向かう先も、非常に嫌な方角だった。
◆ ◆
マルリッパが片手を上げて、背後に並列して飛んでいる4機に呼びかける。
(大胆な作戦だなぁ…)
冷や汗が頬を伝った。
下方、水面ぎりぎりを飛行するルベランセ。
そして今、自分達の眼前の崖と河川は、二股に分かれている。
ここから、ルベランセは北へ。
自分の部隊は東へ。
―――実際のモンスロンの作戦は、コルツの意図とは少し異なっていた。
途中までは合同で進んでいたが、ルベランセの守りを担うべきデスタロッサ隊の5機ですら、
最後の陽動として使う。
これで相手の裏をかけなかった場合、肝心のルベランセを守るものは何も無い。
まさに捨て身の作戦である。
このような策を思い切るモンスロンの豪胆ぶりには感嘆したが、それ以上に彼の執着と覚悟を感じるのだ。
危うく、そして恐ろしいまでの―――
そう思っているうちに、ルベランセはさらに細く狭い、崖の奥へと消えていく。
それを気が済むまで見送ってから、マルリッパは先頭を切って東へと飛び出して行った。
◆
「本艦西方、約1800Mの地点…!」
「来たか!」
待ちかねた一報と思い、歓喜にも似た声を上げるファグベール。
「いえ……戦闘騎が現れました。」
「…また陽動だと!!」
一転、風を切った拳が唸りを上げて、卓に打ち下ろされる。
先の戦闘騎の出現から暫く経ったが、依然としてルベランセ捕捉の報告は無い。
「…しかし……今回は5機ほど一度に…」
老将の怒迫に押され、萎縮気味に続ける念通士。
「5機…?」
その言葉に、ファグベールは途端に興奮を静める。
「……なるほど。
最後の力を振り絞り、一気に突破するつもりか…。
ならば、こちらの実数を削ぐための、他の地点への陽動もうなずける。」
ファグベールは腰に下げた剣の柄を握り締めた。
「前軍に呼びかけろ。
おそらくは、それが本命。
……まずは戦闘騎を展開。
しかるのち、本艦も移動して殲滅に加わる。」
己の発する言葉により、さらに加速する戦場。
熱に絆された老将の視線は、まだ見ぬ相手の命の一点を睨みつけていた。
◆ ◆
遠目の低空に飛翔艦が一隻。
だが想像以上に大きく、異様に見える、その威圧感に指先が震えた。
(適当に誘え―――)
先のコルツの言葉が響き、その言葉が戒の戦闘騎を動かしている。
後方、合計6機からの爆裂音と共に、銃弾が通り過ぎた。
「くっ…!!」
汗で滑り、戒の手から操縦桿が踊った。
「わっ!!」
急にあらぬ方向へと泳いだ機体に、驚きの声を上げる世羅。
「掴まってろ!!」
ペダルを踏み、加速を上げて無理矢理に上昇。
やがて機体の機構により、自然にバランスが立ち直る。
だが、相手は指揮された動きで、数機がしっかりと回り込んでいた。
彼らは既に、蛮勇のままに戦っていた部隊ではない。
先の一戦、さらにルベランセを捜索するという細かな神経を使う操縦を経て、彼等は恐ろしい速さで成長を遂げ。
前よりも遥かに洗練された動きで、自分を包囲し始めていた。
急に響き渡る、エンジン音よりも大きくなった自分の内なる鼓動。
排気の煙も熱い。
戦闘騎を手足のように思い通り動かせない、自分への焦燥。
「!!」
上空から現れた二機。
それに気を取られている隙に、別の二機に左右に回り込まれ、挟まれる。
さらに後方から、迫る別機。
戒の額の痛みが、大きな唸りとなった。
◆ ◆
初めは自分の目を疑った。
荒地を半分ほど抜けた空域での戦闘。
それも、見慣れた部隊。
マクスは内心で驚きながらも、冷静に状況を分析しながら飛行していた。
(色こそ違うが、あの機体…そして、飛翔艦……。
赤華の徴収は、このためか。)
オルゼリア家における、ヒュベリの言葉を思い出した。
(ともすれば、相手は……)
十中八九、中王都市軍で間違いない。
だが、今は考えている暇などは無かった。
「…!!」
すぐ背後まで迫っている戦闘騎に気付く。
先程遭遇した派手な紫の機体は、驚くほど速度を増していた。
振り切れるとばかり思っていたマクスは、若干面食らう。
(この機体もまた……疾い!!)
相手を褒めた矢先に、ミシュレイの怒り顔を不意に思い出し、口元に笑みを浮かべる彼。
二機は、空気の抵抗全てを貫くようにして、新たな戦場に到達した。
「…コルツ!?」
その二機の登場に、初めに驚いたのはマルリッパだった。
(このまま…振り切るのは……危険か……!!)
一様には敵味方が入り乱れているが、乱戦ではない空域。
マクスの瞳には、戦場を支配している5機が一瞬にして見分けられて映る。
「?」
高速で追いかけるコルツの目の前で、小刻みに揺れる銀の戦闘騎。
それは突如として鋭い回転に変わり、仲間の隊列へと銃弾を撃ち込んだ。
一瞬の出来事。
離れで指揮していたマルリッパ以外の、仲間の四機に小さな火花が散った。
(―――!?)
そして中破の後、爆発。
それらはおそらく、先端に爆薬の詰まった甲瘤弾であろう。
今までの全てを否定するかのように、眼前で散る自分の部隊。
その残骸のつぶてを喰らい、コルツの機体が揺らぐ。
(この攻撃さえも…狙ってやったというのか!?)
速度を上げて追っていたため、あらゆる物が強烈な凶器へと変わって襲い掛かる。
顔を守るため上げていたコルツの左手に、飛んできたプロペラが直撃した。
「!!」
続けて、エンジン部へ。
機体の急落と共に、視界から遠のいていく銀の戦闘騎。
機体の差ではない、恐ろしく厚い技術の壁がある。
完敗に、コルツが赤黒く膨れ上がった手首で自機の表面を叩きつけた。
(―――コルツが死んでしまう!)
その惨劇に、暫し呆気に取られていたマルリッパが操縦桿脇のレバーを引いた。
機体が沈み始めたコルツへ止めを刺すため、旋回しかけた銀の戦闘騎へと、弾頭が射ち込まれる。
それは至近距離で爆発するが、マクスは寸でのところで見切って離れ、そのまま深追いはせずに
北東へと針路を修正して空域を離脱していく。
難を逃れたコルツの機体は、高度を著しく下げながらも、しばらくは飛べる様であった。
おそらく、彼の腕ならば不時着できる。
これを好機と見たのか。
敵飛翔艦からは、さらに戦闘騎が4機ほど出撃した。
ルベランセに物資が無かったため、自機に搭載された特殊弾は残り少ない。
「……痩せちゃいそうだよ…」
マルリッパはそんな自分の状況を嘆き、呟いた。
◆ ◆
戦場を抜け、マクスは一旦速度を落として一息つく。
搭載された火気の仕上がりも上々で、この戦闘騎の優秀さを改めて感じることとなった。
そして事情の掴めない戦場に、長居は無用。
あとは命令どおり、このままタンダニアに抜けるのみである。
無論、この説明は後にディボレアルに問い正さなければならない。
…とはいえ、一筋縄ではいかない相手である。
おそらくは、一寸も本心を洩らさずに自分を言いくるめようとするだろう。
腹の探り合いや心理戦など、マクスには苦手な部分であった。
そんな気の重さを手に込めて、操縦桿を傾ける。
人間達のおかげで殺伐としているとはいえ、周囲の自然はやはり美しかった。
川は思ったよりも澄み、自機の左右を流れていく岩山の景色も趣がある。
彼は、わずかに緑が茂った崖下を何気なく見詰めた。
―――眼下の狭い隙間に潜む、飛翔艦。
崖にぴたりと付くように息を潜め。
じっと耐える、緊張した息遣いが聞こえてくるようであった。
(ルベランセ…!?)
その運命の感触に。
過ぎた中空で、マクスが思考を停止する。
(……これを…私が見付けてしまうとはな…!!)
呪いの言葉を浮かべながら、胸の前で十字を切るマクス。
自分に狙われる相手の不憫さは、やはり同情すべきものがある。
できれば、任務優先を理由にして見逃してやりたい。
だが、そうすれば同胞は窮地に陥るのだ。
細い渓谷の網目をくぐり、再びルベランセへと向かう時間。
それは彼にとって、とてつもなく長い旅路のように思えた。
◆ ◆
崖の窪みにひとまず停泊し、十二分に機をうかがう。
「フィンデルの様子を…見てきても良いでしょうか…」
何とも言えない緊張感の中を数分過ごした後、リードが意を決して訊いた。
「……気になりますか?」
モンスロンは着座したまま答え、そのまま同様の心境と思われるタモンとメイの視線を受けた。
「ここから先は、きっと余裕が無くなります……。
せめて、一回…」
「…そうですね、実は私も気になっていました。
今のうちに。」
穏やかな笑みを持って頷き、皆に返す。
「あ、ありがとうございます!」
「いえ…」
だがそこでモンスロンは、リードが話している途中、彼の手元の念通球が念通板から離れているのを見た。
「……リードさん…!!」
「え!?」
急に自分の背後へと向けている、モンスロンの驚愕の表情に、リードは驚く。
わずかに減少する、陽の光。
揺らぐ陰影。
リードは振り向いた先に出現した戦闘騎に向かって、漠然と口を動かす。
ブリッジ真正面の空中に静止している妙は、通常の戦闘騎ではない。
だが、それは少し記憶にある。
そして、バーグの報告にもあった戦闘騎。
それらの印象が錯綜し、入り混じって完全に消えた。
◆
◆ ◆
◆
長馬と呼ばれている、通常の馬よりも二倍の足の長さを持つ動物に揺られ、三名が到着する。
川岸には同じく長馬が二頭繋がれており、既に合流すべき仲間が到着していることは明らかだった。
「…遅えぞ。」
川辺に張られた小型のテントの中から、一人の男が這い出して呟く。
「あんな変人と組まされて、しかも二人きりだ。
勘弁してくれよなァ。
美人の女ならともかくよ。」
下品な笑みを浮かべ、胸毛を弄り回しながら、男は続けた。
「ギュスターヴは、もう来ているのか?
ババルザン。」
それに対し、赤いサングラスをかけた男は下馬するなり訊いた。
「おい、音速の!!」
対する彼が付近の高台へ呼びかけると、膝を曲げて遠くの空を見つめている長身の男が立ち上がる。
目元を隠すのは、鼻部が鋭角に伸びた赤茶けた仮面。
その仮面頂部に刺された孔雀の羽が背中まで伸びている。
右肘から下は、緩やかな曲線を描いた刃物が足元まで伸びている『腕刀』。
薄い上着はボロボロに擦り切れていて、肩口から開いており。
ズボンも膝丈までしかなく、靴すらも履いていない。
そして彼は、馬上に乗ったままの二名に向けて視線を下ろし、何かをぶつぶつと呟いていた。
「本当に、この作戦に使うのか?
…あいつは、本当に頭がおかしいんだぜ。
戦う以外はまるっきりだ。
ついさっきも、どこかで遊んできたらしい。」
「遊んできた…?」
呆れ声と不満を同時に並べるババルザンの言葉に、サングラスを指先で上げる男。
「冗談はよしてくれよ。
これから、一戦あるかもって時に。」
「……冗談なもんかよ。
さっき昼寝から目が覚めたら、あれだ。」
首の骨を鳴らしながら崖を降りてくるギュスターブを指差す彼。
絞られる肉の音。
その左手には、多数の『耳』が握られていた。
「……と…とっ……取てきた……」
いまだに血が滴っているそれを噛み切り、口に含む彼。
「他人の趣味には、とやかく言わないけど…これはちょっとな…。」
男は呆れ顔と共に、馬上の二人を伺う。
案の定、ロリータ服の彼女は相当に引いている様子だった。
「…だが…この荒野で、どこにあれだけの人間が…」
そうして呟く途中、頭上に黒い伝書鳩が到達する。
「……まさかな。」
彼は手馴れた手つきでそれを招き寄せると、その足に付けられた管の中から文書を取り出した。
「……おいおい……マジかよ〜。
あいつ、依頼主の艦、やっちまったんじゃねえの〜。」
「依頼主?」
どうしようもない苦笑と共に肩を落とす彼に、ババルザンが文書を覗くようにして訊いた。
「いや、何でもない…。
隊員達の不始末を片付けるのも、オレっちの仕事よ。
……とりあえず出発しよう。」
「出発だって?
ここで様子見じゃねえのか?」
ババルザンの何気ない言葉に、男の顔は渋く変わった。
「状況ってのは、絶えずに動いてるんだ。
このまま、タンダニアに急行するぞ。」
後ろの二人に合図し、馬に乗り込んで早々に進み始める彼。
要するに、テントの片付けは手伝ってもらえないのだろう。
ババルザンは眉をしかめながら、川に唾を吐き捨てた。
脇では、ぽかんと口を開けたまま、天空を見つめているギュスターヴ。
「し…『紫電』に良く似ている……。」
そして長い手を伸ばし、風に乗って飛んできた紫色に光った金属の欠片を取る。
「おい行くぞ、手伝えよ。」
呆れ顔で、馬に荷物を載せ始めるババルザン。
それを聞いたギュスターヴは、左手にこびり付いている血痕を長い舌で絡めて舐めた。
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第三章
第五話 『ムーベルマ会戦・後編』
了
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