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3-4 「ムーベルマ会戦・前編」



This story is a thing written by RYUU


Air・Fantagista


Chapter 3

『Wivern in central kingdom city』


The forth story

'Battle of Mubelma・First part'






◆ ◆ ◆



「―――フィンデル殿!

 こちらです!!」


 焦げ付いた残骸の上で、一人の兵士が叫ぶ。



「……かろうじて、あの者のみが生きているようです。

 他に、敵の生存者は見当たりません。」


「わかりました。」


 周囲に立ち込める、蒸発した人間の脂で、駆けつけた彼女は胃の底からむせる思いがした。

 こうやって導かれる最中も、まるで現実の心地が無い。



「………ュ…ガ…」


 そしてその者は、大勢の仲間の死骸と鉄屑の中に埋まるようにしていた。

 彼女には、もっと近寄るよう、瞳が訴えている。



「…危険かと。」

「わかっています。」


 フィンデルは、脇の兵士の制止を流しつつ、歩を進めた。

 察した周りの兵士達は、辺りに散らばっている手足を無造作に放り投げて、そこまで道を作る。



「……サ…」


「…何ですか?」


 相手の震える口元に、顔を寄せる彼女。



「……サ…サーデュス……ルア…アフハ…」


 瀕死の口から語られたそれは、互いに通じ合える言葉では無かった。


 意味を問う前に。

 自分の腰元に伸ばされ、さばかれた手に気付く。



「―――!!」


 拳銃を奪われたと気付いた瞬間。

 飛び退くフィンデル。



 銃声が、遠くで屍肉をついばんでいた凶鳥達を一斉に退散させた。





◆ ◆ ◆



エア・ファンタジスタ

Air・Fantagista




第三章

中王都市の飛竜



第四話 『ムーベルマ会戦・前編』



◆ ◆ ◆



◆ ◆




「―――大丈夫かい?」


 目を覚ますと、眼前には爽やかな笑顔の優男がいた。



「…随分と、うなされていたようだけど。」


「……大丈夫…。

 ただの夢…」


 髪をかきあげながら、フィンデルはベッドから半身を起こす。



「…え?

 ロディ!?」


 そして一度は彼から逸らした目線を、物凄い勢いで戻す彼女。



「な…なんで、私の部屋に貴方が!?」


「いや、何度もノックしたのに返事が無かったから、心配で……さ。」


 そう言って、彼は背後のモンスロンに同意を求めた。



「……どうかされたのですか、モンスロン卿?」


「あぁ、いえ。

 暇でしてね……また、本を貸してもらおうかと。

 昨日お貸りしたモノはもう読んでしまいましたので……。

 ありがとうございました。 なかなか面白かったですよ。」


 微笑みながら、3冊の本を差し出す彼。



「…お早いですね。」


「部屋に閉じこもりですと、何もすることが無くて。」


「……しかし、読書家なんだねぇ。

 フィンデルちゃんは。」


 不意に本棚に近寄るロディ。



「あ!」


 それを止めようと慌てて跳ね起きた彼女が、ベッドから転落する。



「…軍事関係以外にも、恋愛小説とかもある。

 こういうのどうですか、モンスロン殿。」


 からかうように勝手に何冊か取り出して、ロディが訊いた。



「いやいや、もうこの歳では流石に。」


 さらに笑って返すモンスロン。



「…やめて下さい!

 女性の部屋を勝手に漁って!!」


 真っ赤になってうつむきながら、フィンデルは言った。



「…それはそうと……軍事関係の本は、ここにあるだけが全てで?」


「……実家には、売るくらいありますけど…。」


 彼女は乱れた髪を直しながら、モンスロンに返す。



「艦長は、兵法がお好きですか?」


「……好きも嫌いも…無いと思いますが。」


「なるほど、その通りですな。」


 顔を背ける彼女に、自分の頭を軽く叩いて笑う彼。



「では…また適当に貸していただいても宜しいでしょうか。」


 そして、既に何冊かを手に携えていた。



「はい…構いません……」


 用を済ませて立ち去ろうとする二人に、そこで何かを思い出したように向き直る彼女。



「あ…ところで、ロディさん…。」


「ん、何だい?」


 廊下に一歩出た直後。

 珍しく呼び止められ、彼は嬉々として振り向いた。



「宜しければ……暇な時にでも、当艦の操縦士を鍛えてもらえないでしょうか?」


「いいよ、フィンデルちゃんの頼みなら。」


 ロディは深く考えずに、あっさりと答える。


 だが、その返事に血相を変えて現れたのは、部屋の外で張っていたガッチャだった。



「な、なりませんぞ、ロディ殿。」


「ん?」


「何か様子がおかしいので、心配でつけてみれば……!

 貴方はもう、我が国の人間なのだす。

 いくら中王都市には恩があるとはいえ、謹んでもらわなくては!!」


「まあまあ、堅いこと言わないで。

 いいじゃない、少しくらい…」


「なりません!!」


 懐から取り出した一枚の書類を、全員の前に見せる彼。



「これを御覧下さい!」


「これを……って、貴国と僕との契約書じゃないか。」


「記された条項が見えるだすか?

 『いかなる場合も、他国の人間に情報を流すべからず』。

 それは『あらゆる戦闘行為』や『戦闘騎の使用も含む』とここに……」


 書類に記された幾重にも連なる事項を、ガッチャが続けていくうち。

 フィンデルは半眼になり、ロディに呆れたような視線を送る。



「ありゃ〜。

 全然、読まずにサインしちゃったよ。」


 その書類の端を両手で握りながら、当の本人は素で笑って言った。



「どうしよう。

 これじゃあ、モンスロン殿を護衛する役目さえ難しいかも。」


「まあ、いいんじゃないですか。

 これを機に、私のことなぞお気になさらず、ロディ殿は艦内でご自由になされば。」


 全く気にする素振りも見せずに、答えるモンスロン。



「…じゃあ、そうさせてもらおうかな。」


 そして露骨に笑みを浮かべながら、それを真に受けるロディ。



「……いい加減ですね。」


 これで彼などは、この艦に対しては百害あるのみで、まるで役に立たない。

 そんな風に失望しつつ、フィンデルはドアノブに触れた。



「でもさ、ガッチャ殿。

 『他国の女性と恋に落ちてはならぬ』という条項は無いでしょ?」


「は?

 …はあ、左様だすが。」


「いやいや、良かった。

 ……良かったねぇ、フィンデルちゃん。」


 呼びかける彼。



「さぞかし、奥さんも子供も不自由してることでしょうね。

 こんなに不貞な性格ですと。」


 だが彼女は低い声で返し、それとほぼ同時に部屋の扉が閉められる。



「……奥さん?

 ロディ殿、『あのこと』は彼女には話しておらんのだすか?」


「…まあね。

 特に言う必要も無いかと思ってさ。」


 彼はあっけらかんと言い放ち、そこで伸びをした。





「……卵って、意外と汚れ落ちが悪いのよね…。

 水を沢山使わないと、落とせない感じ…」


 シュナは呟きつつ、フライパンから皿に料理を盛る。



「…でも『焼く』のなら、まだこびりつきが少ないかな。」


 そして、使った器具を眺めながら、メモを取る彼女。



「…んじゃ、はい。

 あ〜んして。」


「あ〜〜〜〜ん…」


 笑顔で大口を開ける、傍らの世羅。

 シュナは無造作に、そこへ皿上の玉子焼きを流し込んでいく。



「…おいひい……」


 口内に広がる甘みに、幸せそうに頬を押さえ、呟く世羅。



「じゃ、次、いくわよ……」


「何、やってる。」


 そんな二人の様子を見かねて、戒が思わず背後から声を荒げた。



「おまえ……こいつの腹をゴミ箱か何かとカン違いしてるんじゃねえのか!?」


 怒りの形相で、世羅の両脇を持って彼女から離す彼。



「だって捨てたら、もったいないでしょ。

 どうせなら、食べてくれる人にあげた方がいいじゃない。」


 同じように彼女の脇をとって、奪い返すシュナ。



「…やめろって言ってんだろ。

 食料と水が貴重だってこと、まだ解ってねえのか。」


「だからこそ、空で有効な料理の研究が必要なんだってば。

 それに、いいの。

 すぐに補給を入れるから、それまで沢山使っていいって、もう艦長から許可を得てるんだから。」


 そんな口の減らない彼女の様子に、戒は閉口した。



「何でも、あと一日半くらいで駐留地点に着くらしいわよ。

 だから少しくらい無茶しても大丈夫。」


「…駐留地点ってどこだよ。」


「ティドンとか言ったかしら…。

 中王都市の中でも北側の街ね。」


「嘘つけ。

 一番南から、そんな短時間で着くものか。」


「嘘じゃないわよ。

 領内では哨戒動作を省くから、全速を出せるって、リードさんから聞いたもの。」


 厨房の中へ戻りながら、彼女は声を荒げた。



(……すっかり、その気でいやがる。)


 早くも乗組員から専門知識を吸収している、彼女の順応性に恐れを抱く戒。



「行こ。

 格納庫のバーグさん達に夜食届けてあげましょ。」


 そして手を引いて、世羅を連れて行く彼女。



「……ったく、好き勝手やりやがって…!」


 戒は苦々しく見送りながら、椅子に座ってテーブルの上に足を投げ出す。



「…ああ……。」


 そこで遠くから彼等の様子を眺めていたロディが、何やら呟きながら、入れ替わりで近付いて来る。



「……たまらないねぇ、彼女。

 あのわがままな肢体にしゃぶりつけたら、どんなに幸せなことだろう…」


 元々垂れ気味の目尻を一層に下げながら、両手で自分の胸のあたりに大きく球を描きつつ、彼は戒の脇に座った。



「…何の用だ、バカ野郎。」


「急に、えらい暇になっちゃってさ。

 息抜きにカードでもどうだい?」


 そして、テーブルの上に札の束を投げ出す。



「賭けごとには、興味ねえな。」


「いや、単なるババ抜きさ。」


「………二人でか?」


 戒はしかめ面で返した。



◆ ◆



「……まるで、鏡を見ているようだ。

 天命人エア・ファンタジスタというのは、まことに恐ろしいものだな…。」


 男は冗談めいた言葉と共に、四肢で唯一残された右手からペンを置いた。



 自分と同じ顔の人間に、目の前で監視されるという異様な光景の中。


 したためた一枚の紙切れを、伝書鳩の足の小さな鉄管に詰め、鉄格子の隙間から外へ目掛けて飛ばす。



 そこで牢内へと侵入する、黒い皮袋を被った屈強な男が二名。

 彼等は、血で錆び付いた牛刀をその手に携えている。


 男はようやく、この苦痛からの解放を予期し、涙さえ浮かべて喜んだ。



「上手く化けたではないか。

 ヂチャード。」


 男達の後ろに控える黒騎士が、声をかける。



「……何とかな。

 だが、声質や仕草までは無理だ。」


 身体を支える松葉杖を脇に挟み、片足を引きずりながら答える彼。



「…こんな俺が、タンダニアに潜入しても役に立つとは思えねえ。

 連中をおびき出すエサならば、さっき送った文書だけで充分だぜ。」


「そうだな。」


 黒騎士は当然とばかりに、素早い相槌を打つ。



「だが、用心とは重ねて功を奏するものだ。」


 牛刀の一撃の音。

 そこで背中で聞こえた低い呻き声に、ヂチャードは顔半分を歪めた。



「…貴様はこれから、陸路を進んでタンダニアに入国しろ。

 その足を癒しつつ、な。」


「…………。」


 二人は共に牢を離れ、冷たい岩の回廊を進む。



 その終着、エンジンの大振動で空気を震わせながら、目の前に鎮座する一隻の飛翔艦。

 ヂチャードは暫くの間、何気なくそれを眺めていた。



「私もこれより任務だが、心配は無用だ。

 命令は追って知らせる。」


「別に疑ってはいねえさ。」


 肩をすくめる彼。



「……ところで、源炉精製所の件は…」


「そのように機能を失っていたことは、大体予想していた。

 …それとも、あの貴様の報告以外にも何かあるのか?」


「お前ほどの奴の耳に、入っていないわけが無いと思うがな。」


「…所長のマーミリオンの殺害。

 そして、教会の件か。

 だが、私は貴様個人のやり方を詮索する気などは無い。」


 黒い仮面が、顎を上げて続ける。



「それだけの権限を与え……任せたつもりだ。」


「なら、これから先も、お前がよこしたあの蛮族達は自由に使っていいんだな?

 …俺の私兵として。」


 ヂチャードは息を飲みつつ、訊いた。



「奴等は忠誠を誓わなかったか?」


 一方のディボレアルは、彼を残して飛翔艦へと進んでいく。



「いや…」


「ならば……そういうことだ。」


 短く切った言葉と共に、艦内へ続く足場タラップが鳴った。



◆ ◆



「順調っすね。」

「ああ……そうだな。」


 タモンの言葉に、リードが眠そうな顔で答える。


 横へと顔を向けると、ザナナは相変わらずブリッジの景色が気に入っているようで、窓にへばりつくようにして

そこに居た。


 本人は容貌に似合わず至って無害なので安心なのだが、そんな彼の肩に四六時中乗っかかっているメイの

神経には疑うものがある。



「…トラさん、トラさん。」


 無邪気に笑いながら、ザナナの頭の獣皮を叩き、その口の中にさえ無造作に手を突っ込む彼女。



「……豹なのだが…」


 そして呟き返される彼の言葉には、傍で見ている方が恐々とした。



 中王都市への帰還の際、彼に救われたことで妙になついたのだろうか。

 リードは、以前の件を思い起こしながら、顔を正面に向け直す。



「……タモンも、少し寝てきたらどうだ?」


「いいんすか?」


「ああ、休めよ。」


 航行中に操舵手が抜けるのは危険ではあるが、既に針路も定まっている領内では大丈夫だろう。



「それじゃ、遠慮なく。」


 そのことはタモン自身も承知しているので、彼は舵を固定してから、おとなしくそれに従った。


 だがブリッジを出る直前、浮かない顔のままのリードを目に留める。



「…どうかしたっすか?」


「いや、フィンデルが心配でな。」


「え?」


「正式に艦長に就任してから、何か具合が悪そうだ。

 ……元気が無いんだよな。

 普段から明るい方じゃないけれど……最近は余計にさ…」


 リードは振り向かずに答え、ガラスに映り込んだ空の艦長席を眺めていた。





「―――はい、どうぞ。

 夜食です。」


「お、すまねえ…」


 バーグは戦闘騎の下から這い出し、上から伸ばされたサンドイッチとシュナを同時に見上げた。


 汗と油に塗れた頬を、腕で拭う彼。

 明らかに苦戦しているのが判る。



「いつも自分で整備するんですか?」


「…普段はもっと任せるんだがな。

 なんだか機嫌が直らねえんだよ、あいつ。」


 同じく、戦闘騎を作業するミーサへと、視線を泳がせる彼。


 そんな二人が一緒にいる様子に気付いた彼女は、突如として工具を大きく鳴り響かせる。

 その音に、バーグは大きな体を反射的に縮ませた。



「………機嫌…ねぇ。」


「きっと、俺達が勝手に休暇をとったことが、相当、気に入らねえんだよ。」


 彼女を観察しているシュナに、小声で囁く彼。



「でもなあ……あんなに作業帽を目深に被っちまって……。

 まるで、昔に戻っちまったみたいだ。」


「昔?」


「いや、なに。

 一応、女の子だからよ。

 帽子取った方が可愛いぜ、って言ってやったことがあったんだよ。

 それからは、ずっと外してたんだがなぁ。」


 素の表情でサンドイッチを一切れ摘み、それを口に放りつつ続ける。



「……俺、もう上がるわ。

 ロディの奴にゲームに誘われててよ。

 …残りは、あいつにやってくれ。」


 そして彼は強張った体を伸ばしながら、ついには階段を登って去ってしまった。



 シュナと共に格納庫に来た世羅は、先ほどから棚の上で寝ている一匹の猫に気をとられているようだった。



 その隙を見計らい。

 何かを思いついたように、彼女はそろりとミーサに近付いた。



「ねえ、もしかして…これに戒が乗ってんの?」


「………。」


 一瞬の無言の後。



「……そうよ。

 あの野郎、プライドが高くてうるさいから、居ない時こっそり整備してやってんの。」


 ミーサはぶっきらぼうに返した。



「あ、それ解るわ。」


 苦笑するシュナ。



「…で、どうなの?

 実際のところ。

 ………あいつ、役に立ってる?」


「…乗り始めて日が浅いわりには、よくやってる方だと思うけど。

 でも、何であんたが気にするの?」


 そんなミーサの問いには答えず、シュナはただ笑みを浮かべるばかりだった。



「ところでねえ、あなた。

 もしかして、バーグさんに惚れてたりする?」


「はぁ?」


 いったん、呆れたような顔で返すミーサ。



「なに言ってるの?

 何で、あんな……」


 そして何食わぬ顔をして、床の工具箱からネジを取ろうとする。



「何で…あんな男に……いたっ!」


 だが、その脇に入れてある釘に思い切り指を刺す彼女。



「わかりやすいわね〜。」


 シュナは思わず、口元を押さえて笑いをこらえた。



「……で、いつ頃から?

 他に知ってる人はいないの?」


 そして好奇の言葉と共に、隣に屈む彼女。



「か、関係無いでしょ、あんたには……!」


「何よぉ、せっかく相談に乗ってあげようとしてるのに。」


 顔を背けるミーサに、さらに回り込む。



「でも、それってヤバくない?

 バーグさん、私達くらいの年齢の娘がいるでしょ?」


「…う……よく知ってるわね……。」


「だって家でご馳走になった時、実際に会ったんだもの。」


 その言葉に、ミーサは悔しそうな顔を隠さなかった。



「確か、まだ17歳って言ってたかしら。

 騎士団に入っているんだけどね…結構しっかりしてるのよ、これが。」


 シュナは続けた。



「バーグさんはバーグさんで、話すのはあの子のことばっかり。

 あれは相当、親ばかね。」


「……わかってるつもりよ。

 …娘より若い女が、そういう対象じゃないって。」


 目を逸らしながら、ミーサは呟く。



「うわ、ミーサって可愛い。」


 そんな彼女の頬を指で突くシュナ。



「からかわないでよ!」


 大袈裟に飛び退いて、返す。



「…あ、あんただって……!

 本当は、あの戒が目当てでこの艦に乗ったんでしょ!?」


「へえ、そういう風に見える?」


 シュナは意地悪っぽく笑みを浮かべて言った。



「…一般人が軍艦に乗りたいだなんて、普通じゃないもの。」


「ふふっ。

 まだまだ、お子ちゃまね。」


「…な、何よ!!」


「悪いけど、私、『中古』には興味無いの。」


「……!

 中古って…ひどいこと言うのね…。」


 呆れて、言葉を止めるミーサ。



「あ、別に他の女性の使い古しが悪いってワケじゃないのよ。

 単に、これは個人的な趣味だと思って。」


 シュナは手首を返し、それを胸元に触れて気取ってみせた。



「まあ確かに、昔はあいつに対してそういう感情の時期もあったわ。

 だから、あなたの言っていることも、あながち外れてないかもね。」


 そして、薄く瞼を閉じる。



「でも、今は好きとかいう感情とは程遠いの。

 今はただ……友人として、あいつの助けになりたい。

 あいつがやりたいこと……少しは理解してるはずだから。」


「……。」


「あとは自分の修行ってとこかな。

 違う環境で腕を磨くとなると、色々と刺激があるし。」


 心の内を惜しげも無く話す彼女の姿に、ミーサは警戒を少しずつ解いていった。



「……まあ、せいぜい頑張りなさいよ。」


「あなたには借りがあるからね、色々と協力してあげる。

 だから、もっと素直になったらどう?」


 真一文字に口を閉じた彼女の帽子を、笑顔で取るシュナ。



「…よ…余計なこと…しないでよ…!

 好意だけ……受け取っておくから…。」


 ミーサは取られた帽子をそのままに、作業へと戻る。



「バーグさんみたいにね、父性に溢れて頼れる男もいいけれど……もっと汚れの無い、誰の手にも

触れられてないような男が好みなのよ、私は。

 でも、純粋だけど根はしっかりしてる、そんな奴。

 ……どこかにいないかしら?」


 その作業の様子を脇で眺めながら、シュナが語りかける。



「…パンリとかどう?

 素直で優しいじゃない。」


「冗談!

 背も低いし、ひ弱だし。

 大体、簡単に他人に土下座するような奴、全然好みじゃないわ!!」


 少しむきになりながら、シュナは腕組みしてそっぽを向いた。



「助けてもらっておいて、ひどいわね〜。」


 ミーサが笑う。

 そして、それにつられてシュナも吹き出した。





「―――っくっしゅ!!」


 クシャミの後、鼻をすするパンリ。



「風邪か?」


 先ほど、右の席に座ったばかりのバーグが言った。



「いえ…大丈夫です……。」


 答え、彼の手札から一枚抜き取る彼。



「…ったく、お前みたいなお人好しは風邪でも引いて、いっそのこと、くたばっちまえ。」


「………すみません。」


 戒の暴言ときつい目線に、目線を伏せるパンリ。

 勿論、テーブルの下では軽く蹴りが入っている。



「…早くも飛翔艦の中が女臭くなってきて、かなわねえ。」


「何言ってんの。

 華やかでいいじゃない。」


 その戒の手札から、一枚取るのはロディ。



「ひどいものなんだよ?

 通常の軍隊は。

 それに比べたら、ここは極楽…」


「あんた、軍隊に居た事があるのか?」


 バーグがロディの構える札から一枚取りつつ訊いた。



「…まあね。」


「そうか。

 俺も傭兵として戦争に参加してたからな、何となく解るぜぇ。」


 しみじみと呟く彼。



「戦場で、女ってのは本当に貴重なんだぞ。

 俺が美人妻をモノにした時は、みんな悔しがっていたもんだ。」


「大した女でもねえのに、周りが酷いから良く見えるだけだろ…。」


 少し自慢の入った口調に、正面の戒は露骨に嫌悪の表情を浮かべた。


 その間に、パンリがバーグの札を取り。



「あ、いち抜けです…。」


 揃った組を捨てる。



「……何だよ、ババ残すんじゃねえよ。」


 彼の残った一枚を取り、戒は睨みつける。



「いいよねぇ、戦場に吹き荒れる恋の嵐、か。

 素敵だなぁ。」


 おどけながら、ロディは再び戒の札を取った。



「…おっと、僕も上がりだ。」


 そして彼は揃った組を捨て、残った一枚をバーグへと差し出す。


 あとは、二人の応酬を残すのみだった。



「……ババか。」


 取った札を睨みつつ、バーグは煙草に火を点けて構える。


 そんな対面の手札へ、腕を伸ばして一枚引く戒。



「…またババかよ!

 ババばっかりよこすんじゃねえ!!」


「ババ、ババ、うるせえな!

 そういうゲームだろうよ!!」


 互いに大量に札を構えたまま、熱を上げる二人。



(……この二人は分かりやすいんだよねぇ…)


 笑顔を含ませた表情で、ロディは不意に立ち上がった。



「……さて、まだ終わりそうもないし……今のうちにトイレでも行っておこうかな…」


 そして、眼下のパンリに視線を投げかける。



「どう?

 君も一緒に。」


「……?」


 問いかけるように彼が見上げたロディの顔は、不気味に鼻と耳が小刻みに動いていた。







◆ ◆



◆ ◆



「……シャワー室も改装してくれたんですね。」


 ドアを開き、真新しいタイルと水道管を一望して、ミーサが満面の笑顔で言う。



「ええ。

 今までひどい有様だったから、修理のついでに。

 簡易だけど、この脱衣所も設置してもらったの。」


 フィンデルが軍服の上着のボタンを外しながら返した。



「補給するから、お湯、たくさん使っても平気なんですよね?」


 そして、脇のシュナの確認に彼女は頷く。



「……にしても…」


 ミーサは汚れたツナギを手首まで脱ぎかけたまま、シュナの肢体をまじまじと見詰める。



「ああ…私、巨族の血が入っているの。

 余計なところが大きかったり、人より髪も大目でしょ?」


 その視線に構うこと無く、頭のカチューシャを外して首を振る彼女。

 続けざまに片足を上げて、勢い良くショーツを脱ぐ。



「なるほど、いいとこ取りなわけね。」


 自分の身体と見比べつつ、恨めしそうに近付くミーサ。



「おっきいから、てっきり垂れてるかと思ったんだけど…。

 しっかり先っちょが上向いてるし。」


「あ!

 そんな強く握っちゃだめだって…」


「ものすごく柔らかいです、艦長。」


 そして、笑顔で敬礼をする彼女に、フィンデルはつられて笑った。



「こうやって一緒にシャワー浴びようって提案も、要するに自慢したいわけ?」


「何言ってんの。

 お互い気を許しあうならば、まずは裸の付き合いって相場が決まっているんだから。」


 両手を腰に当て、仁王立ちするシュナ。



「ほんっと、うらやましいわ…。

 最近の若い子って発育が良くて…」


「ええ、どうせ、その中でも私は育ってない方ですよ…」


「……あ、そういう意味じゃないのよ。」


 ふくれるミーサに苦笑して近寄るフィンデル。



「あのね。

 胸なんて大きくても、何の役にも立たないのよ。

 変な男どもに言い寄られたり、肩がこるだけで。」


 シュナがしみじみと呟いた。



「…そういうのを嬉しい悩みっていうのよ。」


「そう?」


 彼女はミーサに返しながら、フィンデルに目を留める。



「でも、艦長だって…実は、プロポーションがいいってこと、気付いているんですよ、私。」


「え!?

 な、何言ってるの…?」


 咄嗟に、自分のバスタオルを押さえつけて誤魔化す彼女。



「脱がしちゃえ!」

「了解!!」


「ちょ、ちょっとちょっと!!」


 協力して飛びかかる二人。



「待って待って……!

 ホントに20代も半ば過ぎるとね、肌が荒れたり、二の腕のたるみとか…」


 彼女らの魔の手をかわし、フィンデルは室内の隅の方で小さくなって苦笑する。



「そんなことないですって〜。」


「まあまあ、今日は許してあげましょうか。」


 笑うミーサ。

 そして、口惜しそうにシャワー室に向かうシュナ。



(…このノリに……ついていけそうにないわ……)


 それらを眺めながら、フィンデルは肩を落とした。





「…いやいやいやいや…。

 …黄色い声が何ともそそるね。」


 針金をドアノブの鍵穴に刺し込みながら、扉にぴたりと付けた耳をそばだてるロディ。



「あの、一体何をしていらっしゃるのでしょうか…」


 そんな傍らで行われている行為を、理解出来ずに訊ねるパンリ。



「安心するんだ。

 この艦に来てからというもの、予行演習シミュレーションは、もう何度も行っていて完璧さ。

 ……ここの…バネを………よっと。」


 小さな金属音と共に、開く錠。



「いや、そういう意味ではなくて…。

 ここは、他の人に入られたくないから……鍵がかかっていると思うんですけど…」


「君も、なかなかお堅い男だねぇ。」


「せ、性格の問題でしょうか…」


 会話も途中に、扉は開かれる。


 そして室内にある、もう一つの扉。

 その奥からは豪雨のように、勢いある水の音が鳴り響いていた。



「……えっ?」


 一方のパンリは、足元に畳まれている女性物の衣類に唖然とする。



「…ろ、ロディさん、これは一体…」


 そして全身をガチガチに緊張させながら、共に口を開く彼。



「決まってるじゃないか。

 こっそり…」


「ま、まずいですよ…!」


 その言葉で、怪しく体を屈ませながら、さらなる扉へと突き進んでいたロディが止まる。



「君は、女の子の裸に興味無いの?」


「は、はだか!?

 きょ、興味どころか……婚姻した者同士じゃないのに、肌を晒すなんて考えられない!!」


「垂耳は古いねえ……。」


 フードの両脇を掴み、深く引っぱって顔を隠すパンリの姿に呆れながら、彼は呟いた。



「人は、進歩と探求のために、どんな苦労も犠牲も顧みてはいけない。

 一番初めに、空を飛ぼうと考えた者は、何と勇気のあったことだろうか。

 …そう思わないか?」


 そして近寄り、身長の低いパンリに目線を合わせながら諭す。



「初めは誰もが無理と思っただろう。

 でも、現在は当然のように人が鳥のように大空を飛べるんだ。

 君は今、女性の裸を見るなんてとんでもないと思っているだろう?

 ……同じさ。

 それくらい常識を覆す……君もそんな勇気の一歩を踏み出すんだ。」


「……ええ、えとえと……そ、それは…そうですが…」


 無駄に壮大なテーマに飲み込まれ、一歩退く彼。



「…ゆ…勇気と関係が…あるというのなら……同意します…」


「よし。

 よくぞ決意した、相棒。」


 ロディは歯を剥いて、その肩を軽く叩いた。



(…相棒……)


 これほど嫌な響きのある言葉とは思いもよらなかったパンリが、前を進む彼の背中に仕方なく続く。



「…きっと、驚くよ。

 男と女じゃ、身体の仕組みが全然、違うんだ。」


「…そ、そうなんですか。」


 緊張から喉を鳴らす少年の初々しい反応に、満足げな表情を浮かべるロディ。



「……あの…ところで、何故…私を誘ったんです?」


 その問いに対し、彼は黙ったまま笑みをこぼした。



(だってさ、万が一捕まった時、共犯がいれば心強いじゃない。)


 そしてポケットから、別の針金を取り出し、最後の砦へと差し込むのであった。





「……ところで、世羅は仲間はずれ?」


「ううん…一応、誘ったんだけど。

 後で一人で入るからいいんだって。」


 首から下を隔てている薄壁越しのミーサの問いに、シュナが答える。



「…へえ。

 なんか見られたくないものでもあるのかしら?」


「あの手袋の下とか?」


 二人は何気なく、フィンデルを見た。



「あ、あれね……。

 前の旅で、私も少しだけ見たんだけど…」


 湯気の中で、視線を泳がせる彼女。



「左腕に真っ黒な……刺青っていうのかしら。

 …そういうのが施されてて。

 悪いから、詳しくは聞いてないけれど。」


「そういや、私も見憶えがあったわ。

 腕だけじゃなくて、確か全身にも広がってだような…」


 ミーサも言う。



「ふ〜ん……。

 ああ見えて、あの子も何かワケありってわけなのかしらね。」


 髪の雫を振りながら、シュナが呟いた。





「!」


 扉に張り付いていたロディが、そこで少し驚いたように退いた。



「どうされたんですか?」


「いや……。

 …今の僕の顔…変かい?」


 自分を凝視しているパンリに、目を細めて笑いながら問う彼。



「…ええ。 真っ青ですけど…」


「ひょっとしたら、風邪かもしれないな。

 ……僕は、もう戻るとするよ。」


「え?」


「…悪いけど、空を飛ぶのは、今日は君だけにしておいてくれ。」


 立ち上がり、パンリに針金を託すロディ。

 そして彼は部屋を出るまでずっと、気分が悪そうに目元を押さえていた。



(……こんなもの渡されても……困るのですが…)


 パンリは受け取った細い針金を見詰めたまま考える。

 一人にされた空間から、妙な罪悪感が滲み出てくるようであった。



(……やっぱり……私も戻ろう。)


 素早く廊下へ走り、外からドアを閉める彼。



「…………。」


 だがそこで、何度かノブを回転させて、あることに気付く。



(…ここ……閉めないと……まずいんじゃ……!!?)



◆ ◆



「聖騎士殿、こちらです!!」


 洞穴にいち早く乗り込み、その中から太い両手を振って大声で呼ぶ若い男。


 彼―――マクスの兄の友人であるヒュベリは、このゴルゴートの地まで、半ば強引に案内役としてついてきた。



「冷えるな……平気か、クゥ。」


「はい。」


 マクスに答えて進み、洞穴内部の広大さを見回しながら返す彼女。



「騎士団がこのような場所を基地に…?」


「ここを訪れるのは、私も初めてだ。

 あるということ自体、知らされていなかったのだが。」


「秘密裏……ですか?」


「元々、一介の騎士へ報告の義務など無いがな。」


 妙に納得したような顔つきで続けるマクス。


 最近は特に、団内の不明瞭な部分を間に当たりにしているのだ。

 自分の感情が平坦になるのも無理はない、と内心笑う。



「……あれっ?」


 その時、前方で、廊下を先陣切って抜けたヒュベリが間抜けな声を上げる。



「我々の軍備が……全て無くなっている!」


 奥でさらに上へと高く広がっている敷地は、完全にもぬけの殻であった。



「何処かへ移されたというのか。」


 虚ろな表情を浮かべる彼の横に、立ち並ぶマクス。

 クゥは彼等の後ろで、そこに大きく広がった遠くの夜空を見上げていた。



「…いや、でも…。

 移動するといっても……あれだけの規模を誰が…」


 人の気配をまるで感じない敷地内を、隈なく見回すヒュベリ。

 だが、マクスはその中で、一つのうごめく人影に気付く。



 覚えのある歩。

 そして仕草。


 彼には、奥の闇から近付いて来るその者が、ヂチャードであることが瞬時に判った。



「任務か?

 その顔は。」


「……まあな。」


 見慣れないが、少しありふれた中年男性の顔をしている彼は、足を止めずにすれ違う。



「…どうした?」


 その態度。

 そして彼の握る松葉杖と、引きずる片足に目を留めて、マクスはさらに訊ねた。



「何がだ。」


 無表情で返したヂチャードは瞳を全く微動だにさせずに、先程三人がやってきた道へと向かう。



「……一体、どうした?」


 マクスは、振り向いて一歩寄る。



「おい、ヂチャード!」


「……マクス。」


 背後からの大声に、立ち止まる彼。



「…踏みとどまれよ。

 平民の後を追うなんざ、聖騎士の名が廃る。」


 かすかに首を振り向かせ、微笑みを浮かべる友の姿。

 マクスは急に目の前に広がった違和感に驚き、全身の動きを止めた。



「…そのまま奥へ進め。

 お前の戦闘騎とミシュレイが、首を長くして待ってるぜ。」


 ヂチャードは、再び歩を進めながら、軽く思い出したように言った。



「俺は、今から別の任務に行ってくる。

 ……それと、そこのお前、今は関係者以外は立ち入り禁止だ。

 帰りな。」


 そして最後に、ヒュベリを一瞥した。



「……なんですか、あれは…。

 失礼な奴だ。」


 当の本人は、険しい顔つきで呟く。



「…いや、ここまで案内ご苦労だった。

 君は街で一息いれてくれ。

 後は…」


「聖騎士殿、そりゃないですよぉ!

 ここまで来て!!」


 だがマクスからも意外な一言を浴びせられ、わめく彼。



「……我々以外の者が、ここの状況を知ると立場が危うくなる…そう忠告しているのですか。

 ヂチャードさんは…」


「おそらくな。」


 クゥの言葉に、マクスは表情を変えずに答えた。



(……それだけではないような気がする…。

 今のあの人は……何か変だ……)


 僅かな視線さえ合わせてもらえなかった彼女。

 先程のヂチャードからは数日前に会った時と比べて、明らかに違う印象を受けた。



 付き合いが短い自分にさえも判る、言い知れぬ奇妙な緊迫感。

 そんな彼に一度詰め寄ったマクスは、今も平静さを装ってはいるが、自分と同じものを感じているに相違なかった。



◆ ◆



 カードの束を手にして、いまだに睨み合っている戒とバーグ。

 そして、そのワンゲームが終わるのを、身を縮こませてひたすら待っているパンリ。



「あんた達、ちょっといい?」


 そんな食堂のテーブルへ、芳しい香りと湯気を立たせた女性陣がシュナを筆頭に訪れる。



「……犯人は誰?」


「あぁ!?」


 彼女の一言に、戒がそれを横目で睨みつけた。



「シャワー室がおかしかったの。

 私達が使っている時は確かに鍵をかけたはずなのに、出る時には何故か開いてたのよ。

 それに良く調べたら、鍵穴に何か引っ掻いたような跡が。」


「…………!」


 さらなるフィンデルの真面目な言葉に、パンリは生きた心地がしない。



「つまり、どういうことだ。」


「のぞき……誰かしたでしょ?」


 戒に答えるミーサ。

 途端にバーグが、思い切り吹き出す。



「…冗談よしてくれよ。」


 そして鼻をすする彼。



「悪かったわね、魅力が無くて!!」


 即、その頬にミーサの鉄拳が入る。



「……そういや…そんなことを一番やらかしそうな奴をさっきから、ずっと見ねえな。

 なあ、パンリ。」


 鼻血が飛散して使用不能になったカードを置いて、戒が静かに言った。



「…ど、どうした!?

 顔が紫色だぞ、おまえ。」


 さらに自分の出血も顧みず、心配そうに顔を覗きにくるバーグ。



「ななな……何でもありません…。

 そっ、それよりも一体、どこへ行ったんでしょうね、ロディさんね…」


 大きく深呼吸して、汗を拭いながら、パンリは答えた。



「確かに、あの人なら……ありえるわ。」


 顔をしかめるミーサ。



「…ともかく、二人はもう寝てちょうだい。

 犯人にはきつく言っておくから、後は私に任せて。」


 フィンデルの溜め息混じりの言葉に、彼女達は頷いて従った。



「大変だなぁ、艦長も。」


 二人を見送りながら、バーグが笑う。



「…まあ……そうね。」


 適当に相槌を打つ彼女。

 その目の前で、戒がおもむろに立ち上がった。



「あの野郎を……探しに行くのか?」


「ええ、そうだけど…。

 ……手伝ってくれるのかしら?」


 苦笑して訊ねる彼女に対し、彼は険しい表情を変えなかった。



「ああ。

 ちょっと、引っかかってるからな。」


 一連の動向を心配そうに眺めているパンリの背後を通り、この席を抜ける。



「……そもそも、あのロディって野郎は本当に信用できるのか?」


 早足で食堂から遠ざかり、廊下に顔を出す。

 戒は他の人間に聞こえない距離を確認してから、すぐに訊いた。



「え?」


 フィンデルはしっかりと聞こえていながら、聞き返す。



「随分とスパイのことで神経を尖らせているくせに、新参者ばかり乗せやがって。

 …今、艦長室を使っているあの変なオヤジもそうだ。」


「……あの人は……特別なのよ。

 ちょっとね…」


 鋭い質問をはぐらかし、彼の前を行く彼女。



「…そのことについては、いずれ話すわ。」


「お前の飛翔艦だからな。

 何をしようが、別にいいけどよ。」


 戒はそんな彼女の背中に漠然と語りかけた。



「ごめんなさいね。

 色々と問題抱えちゃってて、皆のことまで気が回らなくて…」


「だったら、抱えねえように改善しろよ。

 人をもっと使えばいいんだ。」


 フィンデルの予想外に力の無い謝罪に、気まずくなった戒が歩を早めてさらに前を行った。



「…戒くん……ここ。」


 足を止め、一室の前で呟く彼女。

 戒は慌てて戻る。



「大体な…こんな小せえことまで自分でやるから疲れるんだよ。

 てっぺんは、てっぺんらしく、どっしりと構えてろ。」


 ロディ個人に与えられた部屋。

 手を伸ばすフィンデルの手を制し、戒はノックもせずにいきなりドアノブを捻って押し込んだ。



 呆気なく扉は開く。



「…いねえな。」


 そのまま無人の室内に入り、少し見回して再び廊下へ出る彼。


 二人は自然と、同時に早足になった。





 遮るものの無い上空で輝く星。

 そして眼下の雲海では、月に照らされたルベランセの陰影が追って来るようだった。



「素晴らしい景色だ。」


「…うん。」


 飛翔艦後部。

 見晴らしの良い甲板近くの廊下の大窓に、夜光を浴びるようにして世羅が居た。


 自分が近付くことにまるで気も留めずに答えた、そんな彼女のきらめく美しい肌と髪に、

声を掛けたロディは暫し見惚れる。



「遠くの国にね、相棒がいるんだ。

 君くらい小さくて若いけど、物凄くしっかりしてる。」


 彼は近付き、窓に肘を付けて寄りかかった。



「この間ねえ、彼と一緒にやっていた仕事でしくじっちゃってね。

 まだローンの残ってる戦闘騎を失ってしまったんだよ。

 それで、『たくさん稼いでくるまで戻って来るな』って追い出されちゃったんだ。」


 そして笑いながら言った。



「戦闘騎って高いの?」


「…僕のは特別製だからね。

 まあ、一般的にもかなりするけれど。」


「飛翔艦も……高い?」


「目が飛び出すよ。

 個人で買おうと思ったらね。」


 冗談混じりに返すロディ。

 だが、世羅は興味と真摯しんしの入り混じる瞳で自分を見詰めていた。



「……きみ、飛翔艦が欲しいの?」


「うん。 自分のが。」


「……はは。

 若いのに偉いね。」


 真面目な顔をして話す彼女に、彼は声を詰まらせて笑った。



「これまたどうして?」


「…飛翔艦乗りになりたいから。」


「……そう、それはシンプルだ。」


 浮かんでいるロディの笑みは、馬鹿にするような笑いでは無かった。



「……途方も無い額だよ。

 目一杯、稼がないと。

 それに…君のために働いてくれる仲間も必要だね。」


「……仲間。」


 彼女は小さく反復した。



「…ありがとう。

 たくさん教えてくれて。」


「いや、この程度だったらいつでも。」


 返すロディに、そこで目を伏せる世羅。



「もし……君が本当に飛翔艦を得たら、ぜひとも僕も乗せて欲しいな。」


「ほんと?

 乗ってくれる?」


 彼女は表情を一転させて、笑顔で訊く。



「勿論、条件次第だけどね。

 ……でも、君はどうして飛翔艦乗りになりたいんだい?」


「なりたいってことだけ、憶えてたから。」


 彼女の即答に、ロディは片眉を上げた。



「君のその記憶は……本当かい?」


 そして、背を向けて呟く。



「……記憶の無いフリだとしたら、なかなか面白い話だ。

 飛翔艦乗りになりたいだなんて。」


「?」


 聞き取れないほど小さい呟きに、世羅が首を傾げて見上げた。


 不意に彼が取り出すのは、腰に下げた気付け用のブランディ。



「一杯…どうだい?」


 瓶の蓋を取り、逆さにして、そこに注ぐ。



「お酒?」


「飲んだことないかな?」


「……うん。」


 答える彼女の前で、ぐい、と一気に飲み干す彼。



「…若い子には、苦すぎる。

 でもね、こうやって魔法の砂糖をふりかけると…」


 もう一度酒を注ぎ。

 さらに片方の手で取り出した粉末を、蓋の中に振り掛ける。


 ロディはそれを彼女の前に差し出した。



「………ん…」


 立ち込める甘い香り。

 それを嗅いですぐに脱力した世羅は昏倒し、勢い良くロディの腕に収まる。



「……おっととっ…!

 寝ていると、ちっちゃくても流石に少し重いねぇ…」


 彼は呟きながら彼女の身を支え、慣れた手つきでその左腕の長い手袋をわずかにずらす。


 そしてそこに現れた、全ての色光を吸い込むような黒き紋様の姿に顔をしかめた。



◆ ◆



「……クレインに聖十字イーディス

 ガザンには黄金銃フレイトスあり。」


 銃身を構えたまま、彼は抑揚の無い声を発した。



「お前を滅する銃だ。

 今度こそ、これがお前の身体と魂を穿うがつ。

 観念して正体を現せ。」


 大窓の下壁に寄りかからせた、すこやかな寝顔の世羅へと顔を近付けるロディ。



(……どうした。

 反応……しないのか…?)


 自らの光る銃口を見詰め。



(…あれから10年だ……。

 これくらい成長してても…おかしくないはず……)


 緊張した手を彼女の額に乗せ、前髪を上げる。

 そこには、白い肌のみが覗いた。



「………やはり……人違い…か。

 もしや…と思ったんだがねぇ…」


 大きく息をつき、腕を下げて肩から全身の力を抜く彼。



「―――何が、『人違い』だと?」


 背後からの殺気。



「!!」


 それをさとり、振り向いたロディの頬に、背後から飛び込んだ戒の拳が一閃。

 同時に、フィンデルも駆けて出る。



「世羅ちゃん……!」


 彼女の半身を抱えて叫ぶ。

 だが返事は返らずに、力を失った細腕が垂れるのみであった。


 それを脇目に、壁際へと吹き飛んだロディに馬乗りになる戒。



「てめえ……!

 いま…何をしてた……!?」


 握った赤い十字架が伸び、首に突きつけられる。



「聖十字…!?

 これまた、奇遇だ…」


「答えろ!

 何をしてたんだよ!!」


 戒の怒りに反するように、ロディは笑った。



「……君こそ、教えてくれないか。

 彼女が何者なのか。」


「…何だと!?」


「今、確かめようとしたのだけれど……結局わからずじまいだ。」


 彼は残念そうに、顔を左右に振って言う。

 押さえつけた肩からは、抵抗は伺えない。



「…てめえ…何か知っているのか!?」


「……しらばっくれないでくれよ。

 あれは天命の輪じゃないか。」


「!!」


 戒は反射的に、フィンデルへ視線を移す。

 彼女はその言葉を前にしても、表情を変えずに努めていた。



「…何故……それを知っている…。」


 言葉を腹からひり出す彼。



「…今は亡きガザンの王家に伝わる天命の輪があった。」


 ロディが口を静かに開く。



「強大なる力と引き換えに。

 取り憑いた者と、その血族を未来永劫に呪い続ける天命第一位てんめいだいいちのくらい、その名を『異端王いたんのおう』。」


「………!」


 その言葉と同時に、急に身を離す戒。



「僕はそれを追い、討つために生きている。」


 一方のロディは襟元を直しながら、床に上半身をもたれた姿勢で廊下の天井を見詰めて呟いた。



「信じろと言うのですか。」


 フィンデルが猜疑さいぎの眼差しで言う。



「…はは、無理かな。」


 力無く笑うロディ。

 目の前の彼女は床に転がった黄金の銃を拾い上げ、その銃口を自分へと向けていた。



「ロディッサ=フアリーデン…。

 貴方を拘束します。」



◆ ◆



 国境付近で宿を取り、室内のベッドに仰向けに沈む。



「…足の傷が痛い。

 熱もあるようだ。」


 ヂチャードは開口一番、弱音を洩らした。



「だが、少し休憩したあと出立……だな。

 …大きめの馬車を手配してくれ。

 タンダニアまでは、寝て行きたい。」


「はい。」


 部屋の中までついてきた女は、外套の中から答える。

 そこで上方から微かな物音を聞く彼。



「あと、天井裏に潜んでいる奴に伝えておけ。

 四六時中、護衛されてちゃ、気が滅入るって。」


「…はい。」


 女は、その言葉にも頷いた。



「他の連中にも伝えろ。

 時が来たら集合をかける、それまで自由行動だ。」


「自由?」


 戸惑うように聞き返す彼女。



「お前らだって、たまには気を抜かなきゃ生きていけないだろ?」


「………いえ、そのようなことは。」


「休息しないのか?」


「…我々はそのようなことは、あまり考えませんが。」


「だったら、これからはそうしろよ。

 世の中にはもっと楽しいことがあるから、それを覚えてよ…。

 まあ…辛いことも……沢山あるけどな。」


 わずかな静寂が室内を支配した。



「心配するな。

 少しくらいズルしたって、給料が減ることはねえ。

 上の方には、きちんと俺に仕えているって報告するから。」


「貴方は……不思議な方ですね。」


「何がだ?

 普通だろ。」


 目を丸くするヂチャードに再度頷き、口笛を吹く彼女。

 瞬く間に、上方からの気配が消えた。



「お前も、どっかに行っていいぞ。」


「お傍に居なければ、いざという時にお役に立てません。」


「いいのか?

 男と密室に二人きりだぜ。」


 相手の手首を掴み、引き寄せる彼。



とぎをお望みですか?」


「……だとしたら、どうする?」


「訓練は受けておりませんが。」


 すぐさま外套を脱ぐ彼女。

 目の前に晒される、灰色の裸体。



「……冗談だ。

 悪かったな、からかって。」


 ヂチャードは途端に目を伏せ、脇の窓の外へと視線を移した。



「お気に召さないのは……種族の違いですか?」


「…そういうわけじゃねえ。

 冗談だって言ったろ。」


 下に見据えた夜の街並み。

 酔いどれの往来を眺める彼。



「私は今後、どのようなことがあっても、貴方にお仕えいたします。

 そう決めました。」


「……もっと適当に生きればいい。」


 自分の手を枕代わりに、さらに身を沈ませながら彼は答えた。



「そういや、まだ名前……聞いてなかったよな。」


「『根無しルラル』とお呼び下さい。

 ヂチャード様。」


 彼女は答え、彼の痛む足に優しく触れた。



◆ ◆



「………。」


 パンリは大口を開けたままの表情。

 バーグは渋い顔で、長くなった煙草の灰を床に落とす。


 就寝しようと部屋に向かっていた彼等は、廊下でロディが連行される光景を呆然と眺めていた。



「のぞき程度で……?」


「はは。」


 両手を自分の頭に付けて、彼は腫れた頬のまま照れ笑いを返す。



 神妙な面持ちでその後ろに付いているフィンデル。

 その後ろの戒は、寝息を立てている世羅を抱えていた。



「ヒゲ、ザナナを呼んで来い。」


「あ?

 ……ああ。」


 ただならぬ戒の言葉と気迫に、思わず従う彼。



「ルベランセには独房がありませんから……。」


 訪れたのは、再びロディの部屋だった。



「貴方は既に他国の人間のため……これは外交問題として処理します。

 私の一存で処罰は下しません。」


「…ガッチャ殿が悲しむかな。」


「全て、貴方の迂闊うかつな行動が招いた事ではありませんか。」


 相変わらず他人事のような態度に、フィンデルは静かに叱責した。



「いや…こいつが世羅を襲った理由は…おそらく…」


 そこで、後ろから投げかけた言葉を止める戒。



「…いや…何でもねえ。

 ……くそ、冷静になれ…。」


「……ふ。」


 独り言を呟き、悩む青年の姿に、ロディは微笑みかけた。



「君は、何か訊きたいことがあるようだね?」


「…ふざけるな。

 まだ殴り足りねえって、そう思ってるだけだ。」


 世羅を片腕に抱き替え、片方の拳を相手のあごに付ける。



「……彼女に謝っておいてくれないか。

 きっと何も憶えていないとは思うけどね。」


「………!!」


 戒はそばの壁を思い切り叩き、大股でその場を去って行った。



「貴方の処置は……目的地に着いた後で行います。

 それまでは…」


 彼を部屋に押し込んだ後、フィンデルは言う。



「…いいのかい?

 この両手を自由にして。」


「………。」


 フィンデルは彼の黄金の銃を手にしたまま、後ろへ顔を向ける。

 わずかに開いたドアの隙間から、黒い豹頭が覗いた。



「……なるほどね。」


 観念したように、彼は肩をすくめてベッドの上に座りこんだ。







◆ ◆



◆ ◆



「…やっぱり……北は寒いな…。」


 顔面に刺さるような風の冷たさに。

 両の肩を擦りながら、ブリッジの窓から顔を出すリード。



「じゃあ……留守を宜しく頼むわね。」


 フィンデルが、降り立った地から見上げて言った。



 中王都市の北の果て。

 ティドン駐屯地の土と寒風は、乾いた歓迎をしてくれた。


 南部と比べると風景の色合いも薄く、灰味がかった周囲の山岳風景と街並みは、静けさと落ち着いた

印象を与えている。



「フィンデルも…気をつけてな。」


 見送るリードに、小さく頷く彼女。



 ―――彼を含め。

 ルベランセの全ての乗組員には、ロディの件を一切知らせないでいた。


 そのことにより生じる混乱が、艦内でどのような波紋を広げるか想像もつかない。

 彼の雇い主であるガッチャにさえ知らせるかどうか、決めかねている。


 何故か解らないが、自分の中の勘がそう働いた。



「……こちらへ。」


 同じように駐留中の飛翔艦群を抜け、一際大きな建物の前で待ち構えていた衛兵が、礼をして導く。



「はい。」


 フィンデルは取ってつけたように敬礼を返し、その後ろに続いた。





「おーい、ちょっくら戦闘騎でも飛ばしに行こうや。

 この補給の間も時間が惜しいからな。」


 バーグの大声が、部屋の外から響く。



 室内のベッドで寝ていた世羅は、その声で目を覚まし、傍らに付き添う戒の姿を見留めた。



「…先に行ってろ、後で行く。」


 振り向かずに、後ろの扉に向かって答える彼。



「……おう。」


 そこに寄りかかっていたバーグは、小さく呟いた。


 深夜の騒動から、既に一日以上が経過している。

 艦内の目に付く所からロディの姿は消え、フィンデルも戒もどこかよそよそしい。


 気にはなるが。

 必要される時にいつでも働けるよう、自分は備えているだけだ。


 そう思いつつ、彼は部屋を後にした。



「……ボク、寝てたんだ…」


 世羅がベッドの上で転がり、体を変えながら言った。



「……世羅。」

「ん?」


 戒の言葉に、顔を向ける彼女。



「…あの廊下で……あいつは…お前に何をした?」


「ロディのこと?

 …飛翔艦のことについて教えてくれただけだよ。」


 それに合わせて、勢い良く上半身を起こす世羅。



「寝てろ。」


 彼はその両肩を押さえつけ、押し付けた。



「…!!」


「俺様の言うことがきけないのか。」


 その腕の力に驚く彼女の瞳。

 戒は顔を背けずにそれを見詰め、無言で制した。



◆ ◆



「…マルリッパ=エングスと申します。

 ルベランセ護衛のデスタロッサ隊、ただいま到着いたしました。

 隊長のコルツは体調がすぐれなくて。

 とりあえず…僕が挨拶に。」


 会議室に飛び込み、早口で挨拶をする太った男。



「わざわざすみません。」


 室内の末席で、頭を下げるフィンデル。



「ご苦労、まずは座ってくれたまえ。」


 議場の中心の男が立ち上がり、指示をする。



「あなたがルベランセの?

 ……『艦長さんは』優しそうな人で安心しました。」


「え?」


「いえいえ、こっちの話で。」


 フィンデルの横に、大きな尻をきつそうに椅子にねじ込む彼は、笑みを浮かべて言った。



「噂の、デスタロッサ卿のご子息の戦闘騎部隊か。」


 対面の男が口角を歪めて、言葉を発する。



「クモサ・クァターナ、リッツァー・ゲルガ。

 共に専用機。

 そして、その他の4機も性能が格段だと聞くが。」


「性能がいいのは、操縦士です。」


 マルリッパは自信の表情で返す。



「どちらにせよ、短い道中に出番は無かろう。

 せいぜい、艦内でゆっくりしているのだな。」


 その者の嫌味が一段落したところで、咳払いをする別の男。



「…とにかく、これで全艦揃ったことが確認できた。

 皆の者、どうか?

 中立地帯を抜ける寸前に全艦隊は帰還。

 その後、ルベランセのみは単独でタンダニアへ入国してもらう……それだけのことだ。

 こんな猿でもわかる簡単な作戦に、議論など必要無いと思わぬか。」


 その言葉に、拍手が沸き起こる室内。



「その通りだ、もう閉会で良かろう。」


 一人が席を立ち、それに続く者が後を絶たない。


 脇のフィンデルは終始、目を伏せており。

 このような雰囲気の場に遅刻したマルリッパは罪悪を感じた。



「…艤装ぎそうは済んだか?」


「艤装など真面目にしてどうするというのだ。

 面倒くさい。」


 見れば、誰もが見た目だけの勲章を胸からぶら下げており、緊張のかけらも無く談笑して去って行く。



「しかし、実に馬鹿げているな。

 よりにもよって、騎士団側の人間の亡命とは!」


「無礼も甚だしい。

 正規軍の艦隊を何とこころえているのか!!」


 わざと聞こえるように放たれる、廊下からの大声。



「初めから知らされておれば、こんな辺境まで来んかったわ!!」


「さっさと終わらせて、帰るぞ!

 このような任務!!」


 彼等は恐らく、この地に着くまで任務の内容を知らせていなかったのだろう。

 各々、不満を全く隠すことなくぶちまける様は、武人の姿とは程遠い。



 ―――確かにこの様子では、事前に知らせた場合、作戦の参加自体を拒否する者が出てきてもおかしくはない。

 そういった意味では、このギルチのやり方は誤っていなかった。


 フィンデルは自分にそう言い聞かせ、気持ちを落ち着かせる。



「大尉には不愉快な思いをさせてしまって、お詫びの言葉も無い。」


 そんな彼女へと近寄る、議場の中心に居た男。



「……いえ。

 ネウ提督も大変でしょう。」


「うむ。」


 彼女が既に事情を飲み込んでいることに気付き、口髭を伸ばして目元を緩める彼。


 この駐屯地の最高責任者である彼も、南からの貴族将校達を御しえていないのである。

 中王都市軍の腐敗の実態は、まさにこの姿にあるようだった。



「…だが我慢などいくらでも出来る。

 中王都市の平和のためだと思えば、な。

 早くギルチの代に替わり、ああいう連中が一掃されることを祈ろう。」


「ギルチ准将とは…お知り合いなのですか。」


「ああ。

 思想を共にしている。

 歳こそ大きく離れているが、尊敬しているよ。」


 そう言ってのける、初老の顔が輝くのがフィンデルにも解った。



「私は……自分があの年齢の時、あそこまで国のことを考えていなかったよ。」


 自嘲するように笑い、今度は年相応の思慮深い眼差しを送る彼。



「ギルチから作戦の概要は聞いているね?」


「はい。」


 そして軍帽をきっちりと被り直した彼に、彼女は姿勢を正して答えた。



「…では今から、それを詳しく説明しよう―――」



◆ ◆



「……というわけで…」


 卓上に地図を広げて、皆に示すフィンデル。



「…我々の艦隊は『演習』という名目で、聖都のあるクレイナ湖のすぐ北側に位置する、このスガト荒野を横断して

タンダニアを目指します。」


 そして言葉を重ねながら、図上に合わせた細い指を、各所へ滑らせる。



「ただし、ルベランセ以外は国境手前で反転、全艦帰還。

 当艦のみはそのまま進み……」


 その場の全員が、彼女の仕草に注視した。



「タンダニア領内へと進入します。」


 地図上のその国に、円が描かれる。



「……距離的にはどうなんだ?」


「二日から三日程度だ。」


 独り言のようなバーグの疑問に答えるリード。



「実はもう既に、スガト荒野に入っているからな。」


 そして彼は、窓の外の流れる雲の景色と、わずかな振動が伝わる床を踏み鳴らした。



「途中、ムーベルマ渓谷をまたぎますな。」


 地図を見詰めながら、モンスロンが呟く。



「…この辺りはお詳しいのですか?」


「ええ…昔、よく旅行をしたものです。

 カヌーでの河渡りとか……良い思い出ですよ。」


 彼は気恥ずかしそうに頭を掻いて答えた。



「ところで艦長殿。

 …陣形が……少し密集しすぎているようですが。」


 そして自分に目が向いたのを丁度いい機会とばかりに、外の様子を覗きながら彼女に訊く。



「…最右翼から最左翼まで目視できる範囲での飛行…。

 これだけ密集しては、もしも何かあった場合に対処が難しい。

 危険極まるかと。」


「すみません。

 騎士団と違って実戦とは程遠い人達です。

 先の会議でも、皆、作戦には耳を貸そうとも…」


「…するとこれは陣形ではなく、適当に進んでおいでで?」


「恥ずかしながら…。」


 フィンデルは視線を落とす。



「ただ、最後尾に当艦と旗艦を据えて、それを特別な戦闘騎部隊で護衛する配置にはなっています。」


「いえいえ、何も責めているわけではございません。」


 必死に弁明する彼女に、モンスロンは笑いかけた。



「それにしても、すごい献上品ですな。

 これもタンダニアに?」


 そして話題を変えるように、室内の隅に置かれた荷物を眺める。

 中身は金塊と宝石類ということを先程確認した。



「表向きの理由を親善訪問にしたとはいえ、ギルチ准将はこれを機にタンダニアと本格的に友好を深めようと

しているようです。」


「国王のタンダニス陛下は剛直な御方。

 かえって機嫌を損ねなければ良いのですが。」


 モンスロンは苦笑しながら言った。



「……はい。

 それと…あと……二人にもおみやげがあるの。」


 その後、機を見計らって、バーグと戒に向かって包みを差し出す彼女。



「戦闘騎用の操縦服よ。

 これなら防寒効果も十分だと思うわ。」


「こいつぁ、助かるぜ。」


 嬉々として受け取るのはバーグ。



「さっきの短い補給時間でも惜しんで、かなり訓練を頑張っているそうね。

 ミーサから聞いたわ。」


「まあな。

 こちとら半人前の操縦士だからよ。」


 早速、自分の体にツナギを合わせてみる彼。

 その一方で、戒は動きを止めたままだった。



「心配しないで、新品だから。」


「…ああ。」


 少し躊躇しながら、戒は彼女の手から受け取った。

 本格的に軍隊の象徴を手にするのに、今まで修道士であった彼に抵抗があるのは解らないでもなかった。



「しかしなぁ……なるほど、要人の亡命の手伝いか。

 どうりで大掛かりなわけだぜ。」


 腕を袖に通しながら、戒に同意を求めるようにバーグが言った。

 二人にしてみれば、ここで初めて明かされた事実である。



「そうね。

 これは、ここにいるメンバー……そして各艦の艦長しか知らないことになっているの。」


 リード、バーグ、戒、モンスロンと、順番に見回す彼女。

 一瞬、この場にはいないロディの顔も頭をかすめる。



「だがな……中王都市に入ったあの時…ブリッジは気付かなかったようだが―――妙な…影のような奴が出た。

 …相手にあんな奴が居たら、こっちの行動は筒抜けだろうぜ。」


「いや、異常はあった。

 念通士の精神が侵され、制御を狂わされて…」


 戒の言葉に、呼応したのはリードだった。



「…君が危惧しているのは……今回の作戦も、既に何者かに知られている可能性が高いということだろう?」


「そうだ。」


「でもね、中王都市軍の内部にスパイを直接送り込めるくらい、騎士団の諜報は優れてる。

 モンスロン卿がこちらの駐屯地に逃げ込んだこと。

 亡命先にタンダニアを選んでいることも、既に知られている可能性は高いと思うわ。」


「……それを承知で泳がせていると考えても、いいかもしれねえな。」


 話に割って入ったフィンデルの言葉に続くバーグ。



「でも、たとえ読まれていても大丈夫なように、ギルチは作戦をここまで大掛かりにしたのよ。

 ルベランセが一隻の時とは違う。

 ここまでの規模にすれば、おいそれと手は出せないでしょう?」


 彼女は、皆に納得させるように話した。



「しかし、念のため聞きたいんだが……騎士団に、そういう怪しげな術を使う人間はいるのか?」


「…騎士団は大きく分けて五つの小団…そして諜報部隊が存在しております。

 それぞれは独立して活動しており、自分が所属していた『赤華』以外のことは良く分かりません。」


「当てにならねえ、おっさんだな。」


 睨みつける戒。

 後ろで彼の肩を抑えるバーグも、顔つきは険しい。



「大体……こいつの亡命自体が嘘だったらどうする?」

「虎穴に入る…ってことだよな。」


「…戒くん!

 そして、バーグも。」


 そんな二人に対し、フィンデルは思わず声を上げた。



 特に彼等には、今作戦の詳細を話したのがつい数分前のことであり、少なからず動揺しているのが伺える。


 炎団との戦闘のこともあり、騎士団への不審が特に根強い二人からの反発は十分に予想されていたが、

作戦の性質上、直前での報告しか方法が無かったことも事実であった。



「…すみません。

 モンスロン卿。」


「いえ。

 そのようにお疑いになるのは、ごもっともでしょう。」


 彼女に対して軽く手を振る彼は、伝書鳩からの紙切れを取り出して見せる。



「……身の潔白になるか分かりませんが、『準備は全て整った』との、タンダニアの伝達役からの書状です。

 彼にしか持ち得ない印章も、確かに捺印されています。」


「これは、本物だと確認がとれてるわ。」


 フィンデルが皆を見回して付け加えた。



「それに…もしも私が中王騎士団の刺客として、皆さんを騙すとするならば……引き合いに出すのは

タンダニアのような大国ではなく、もっと遠い別の小国を選びますよ。

 騎士団に及ぶ影響を考えれば、非常に危険ですからね。」


 そんなモンスロンの言葉に何も返せず、戒とバーグは黙り込んだまま、腕を組んだ。



「ただ、艦長殿が言われたように…こちらの行動が読まれていると仮定した場合、相手の中央騎士団が

このような大艦隊に対する選択肢は、二つでしょうな。

 やはり完全に傍観するか……」


 彼は自分の四角く平たい鼻に触れながら、少しずつ、小さく言葉を洩らしていった。



「それとも、真正面から抗争に持ち込むか―――。」



◆ ◆



 中王都市とタンダニアの間に位置する、痩せた土が広がる地帯。


 棲息する生物も植物もごくわずかな、その荒野に設けられた帷幕いばく



「……そうだな。

 これは、こうだ。」


 その中で卓上の編成図を指しながら、傍の黒華の者達に命令を下すファグベール。


 そこで不意に開かれる内幕。



「…ディボレアル殿。」


 黒騎士の姿を見留め、低く呟く老将。



「先程、陣容を見せてもらった。

 現時点の兵力での最良、見事な編成だ。」


「……元々は自分の艦隊だ。

 見くびってもらっては困る。」


 そんな憮然としたファグベールの言葉に頷き、漆黒の甲冑は乾いた金属音と共に歩み寄る。



「上空においては、全艦隊は半月形に展開。

 初期配置高度は雲上。

 両翼を大きく広げつつ前進する。」


 そして彼は上座に入るなり、言葉を発した。

 時が来たことを実感し、全員が姿勢を改めて直立する。



「……この度の戦における、それぞれの役割を申し渡す。

 ディボレアル=マシーアンス、ならびに副将ファグベール=ホウマウ。

 旗艦『センデルホーン』に。」


「……!」


 自分の役職に驚き、振り向く老将。

 だが黒い仮面の横顔は、無感情に言葉を続けていった。



「準旗艦として、重巡洋艦『センデルアイン』。

 艦長はシア=レンティーナ。」


「は!」


 目の前の兵士の短い返事。



「次、第一軽巡洋艦『ルガーツ』、艦長…」


 次々と挙げられていく艦と人員の名前、そして返事。



(……!?)


 ファグベールは自身の登用以上に、各指揮官達の登用に理解出来ないでいた。

 彼等、黒華の者達は単独任務や裏方の任を主としており、将軍級の働きなど期待出来ようはずもない。



「……以上。

 総員、早急に配置に…」


「待たれよ、ディボレアル殿。」


 ファグベールが全員の動きを止める。



「無謀だ。

 黒華は実戦経験が薄く、そして圧倒的に人数が不足しておる。

 総動員してなお、艦隊をここまで運んでくるだけで精一杯だったのだ。

 実兵がおらねば、何も始まらん。」


「兵ならば…すでに集まっている。」


 手で指示を出し、衛兵に東の外幕を開けさせるディボレアル。


 そこに現れる、小高い丘上の軍勢。



「!!」


 ファグベールは身を乗り出し、目を剥いた。



「蛮族……!?

 馬鹿な……一体何処から…!!」


 半裸で屈強な男達を先頭に。

 全身にとげのある民族衣装の者達。

 さらに、犬の皮を被った不笑人の姿。


 そのほか、幾つもの様相で混成されている人群。



「これは一体……!?」


 目の前の事態に対し、全員に臨戦態勢をとらせようとするファグベール。



「早まるな、『味方』だ。」


 それを黒騎士が、片手を水平に広げて制した。



「…もしや、騎士団に蛮族を組み込もうというのか?

 それはどんな理由であれ、あのアルドの叛乱を収めた『歴史』に背いておるぞ!!」


 彼の経験と年季が焦りを消して、一旦は冷静にさせる。

 だが、それは余計に頭に血が昇るような推測をさせた。



「……これだけの数をどこから……かき集めた?」


「―――四年前の聖都動乱。」


 呻く老将に、ディボレアルは答える。



「…当時は、我が赤華も親王隊と共に守護の任に当たっていたが…」


如何いかにも。」


 哄笑の声で、黒い仮面が動いた。



「あの時、空から直接に聖都と法王を狙い、飛翔艦で奇襲をかけた賊徒達がどういった連中であったか?」


「……アルドの叛乱の残党、と聞いておる。」


「そう。

 そして彼等は…それらの子、および親族。

 動乱後に国境を越えさせ、今までこのスガトの地に大団長殿がかくまっておられた。」


「―――馬鹿な!

 詳しく説明してもらおう!!」


「その必要は無用だ。

 帰還してから、本人に直接聞くがいい。」


 激昂して詰め寄るファグベールを軽くいなして、彼は開いた外幕へと歩む。



「…よもや……ガイメイヤ大団長は、あの時から腹に一物据えておられたのではあるまいな?」


「否、慈悲のほか無い。

 この度の彼等の立兵は、その恩義に応えたまで。」


 苦しむような更なる呻きに、黒騎士は短く答えた。



「だが大団長自身は、これが今の中王都市の在り方に、最も怒りを表すことが出来る兵士達であるとお考えだ。」


「…その矛先がこれからの未来、騎士団に向けられる可能性は考えぬのか。」


 残党のさらに残党。

 その溜め込んだ屈辱と怒りは計り知れないものであろう。



「それさえも許容しようという、そのような御心は解せぬか。」


 だが、黒騎士の一言が老将を沈黙させる。



「……やはり、違うようだな。

 わしのような凡夫とは。」


 瞼の裏に映る大団長の決意に、今まで躊躇していた覚悟が自然と決まる。



 そして同時に理解した。

 これは、単なる亡命阻止の作戦ではない。

 騎士団は中王都市軍に対して、れっきとした戦いの火蓋を切ろうとしている。



「……しかしこれは…あの聖騎士の小僧は知らんのだろう。」


「………。」


「知らせぬ方が良かろうな。

 あの動乱の殊勲により聖騎士に任命されたというのに、肝心の騎士団がこれでは、大した道化だ。」


 いまだに身体が状況に追いつけず、不快な表情を露にしたままファグベールが言葉を洩らす。



「たとえ道化でも、余りある地位と名誉だと思うが?」


 目の前の黒い仮面は全くはばからず、冷淡に言い放った。



「…それよりも…。

 さあ、これより奴等に仕込むぞ。」


「……何を?」


 その後ろを、ファグベールは半歩遅れて追いかける。



「戦闘騎を初め、我等全ての兵器の使い方だ。」


 呆気に取られている老将を尻目に、黒騎士は息巻く軍勢へと向かっていった。



◆ ◆



 軟禁されてから時間の感覚が無い。

 どのくらい経ったのだろうか。


 扉が僅かに開く。

 その隙間から、眼光きつく睨む豹頭。


 さらに脇から、別の一人が入ってくるのが横目で見えた。



「……やあ。

 また、必ず来ると思っていたよ。」


 室内の天井を見詰め、呟くロディの前に。


 戒は緊張した面持ちで立っていた。



「…世羅ちゃんの様子はどう?

 ……あのことは…」


 先に声を発したのは、ロディの方だった。



「話してねえよ。

 憶えてないなら…あえて話すことはねえ。」


 戒は答える。



「優しいんだね。」


「…面倒なだけだ。」


 吐き捨てるように答え、彼はにじり寄った。



「あんまり…痛いのは好きじゃないんだけどねぇ…」


 ロディはわずかに起きてベッドに腰かけ、片膝を抱くようにして笑った。



「…殴りに来たわけじゃねえ。」


「それじゃあ、何の用だい?」


 彼が分かっていながら訊き返していることに、戒は少し苛立ちを覚える。



「…お前の行為は…フィンデルには理解できねえだろうが……。

 以前、同じ行動を取った俺様にはわかる。」


「なるほどね。」


 ずっと考え、気持ちを整理したのだろう。

 ロディは、昨夜と見違える戒の冷静な表情をじっくりと観察した。



「あいつは……あの時、怯えていた。

 恐がっていた。」


 彼は顎を下げたまま、小さく呟く。



「あいつ自身は、本当に何も知らねえんだ。

 だから…」


「ああ、すまない。」


 戒の言葉の途中。

 真剣な面持ちで、ロディが素直に謝った。



「どうやら…僕達は追いかけているものに共通があるようだね。

 そして君は、境遇が似ている同士……意見や情報を交換したい、そんなところかな。」


「………。」


 戒はその言葉に全く動じず、ただ彼を見下ろしている。



「君になら、信じてもらえるかもしれない。

 ここから西方。

 今は亡き、ガザンと名の付いた小さな独立国家の……昔話を。」



 ノックしかけた手を寸前で止め、フィンデルは扉の前で聞き入っていた。



◆ ◆ ◆



「―――貴女は?」


 だらしなく、薄服の半分をはだけたまま。

 寝惚けた顔で寝室の扉を開き、彼は問う。



「……ねえ、誰よ…?」


 背後から全裸の女性が、ベッド上から起き抜けに呟いた。



「知らない人さ。」


 答える彼。



「ロディッサ=フアリーデン殿……ですな?」


 宵闇の残る早朝。

 その老婆は見るからに高貴な装いで、しかるべき身分であることが暗がりの中でも容易に判別できた。



「王宮銃士隊隊長にして、名だたる戦闘機の名手……『空駆ける天馬』。」


「ああ……その通りだけど。

 貴女は?」


「三ヶ月前、城で開催された夜宴を憶えておいでか。」


「……いちおう。」


 ちぐはぐした言葉を返す老婆に、ロディは眉をひそめる。



「一晩の過ちを犯されましたな。」


「過ち?」


 老婆の背後。

 薄暗い路地脇から現れる、口元をレースで覆った女性。


 そして身を包んだローブから僅かにのぞく『きめ』の細かい肌に、彼は思わず軽く口笛を鳴らす。



「無礼者。」


 だが目の前の老婆が、その襟元を掴み引き寄せて凄んだ。



「ガザン第三王女、キャエル様であらせられるぞ。」


「……あ…、あぁ。

 そういえば……遠くから何度か……ご尊顔、たてつかまった憶えが…」


 その名に驚き、たどたどしく呟く彼。



「…それで、一介の軍人の私めごときに、何の御用でしょう。

 ……キャエル姫。」


「愚か者め。

 何も憶えておらんと申すか。」


「はい?」


 目を伏せ、一言も言葉を発さない、王女。

 そして、老婆の叱責。


 その言葉どおり、全く憶えを持たないロディは、情けない返事を洩らすので精一杯だった。



「この間の夜宴の時、貴様が姫様に何をしたか。」


「憶えてないなぁ……僕としたことが、あのときは酔いつぶれてしまって……」


 答え、自然と言葉が止まる。



「もしかして……過ちというのは……?」


 そして指を王女に向ける彼。



「無礼だと言っておろうが!」


「いたた!!」


 その指を掴みあげ、無理な方向に捻じ曲げる老婆。



「すでに王女は、御腹に赤子をもうけられておる。

 無論、貴様の子。

 どう責任をとるつもりじゃ。」


「…あ、あのねえ……何かの間違いじゃございませんか。

 流石の僕も…王族に手を出すまで…」


「王女が貴様にたぶらかされた以外に、不貞をしたと疑うのか。」


「い、いや…そういうわけじゃ…」


 老婆の気迫に思わず圧される彼。



「聞くところによれば、貴様は無類の女好き。

 酔った勢いで相手も確かめず、手を付けたのであろう。」


「……う〜ん…。」


 ロディは自らの頭を押さえる。



「このことが国王に知れたら、二人共、ただではすまぬぞ。

 死刑は免れぬ。」


「………う…。

 ……死ぬのはやだなあ…。」


「そうであろう。

 ゆえに、わしは姫様の乳母として、最善の方法を持ってきた。」


「…ぜひとも聞かせてもらえませんかね?」


「駆け落ちせよ。

 それしか二人が助かる道は無い。」


 その突拍子の無い言葉に、ロディは一瞬にして生気と言葉を失った。

 対する老婆は、辺りを確認しながら、素早く彼から離れる。



「よいか、決行は三日後。

 その日の深夜、城街の南門を突破する手はずを整える。

 それまで早まるでないぞ。」


 そして王女の手を引いていく。

 彼女は静かにお辞儀をして、闇へと消えていった。



「……あらら…。

 僕の人生…どうなっちゃうのかねぇ…?」


 寝室の中からの厳しい視線を背中に浴びながら、ロディは独り呟いた。



◆ ◆



 齢18の時、王宮銃士隊内の騎馬猟兵大会にて最年少で勲章を授与。


 その二年後。

 彼の勤めるガザン王朝は、時代にのっとり、騎馬に代わる主戦力として戦闘騎技術を取り入れた。


 射撃の腕を買われた彼は、そこで試験的に組織された幾つかの部隊の中の一つを任されることとなる。



 やがて各戦地において自らが撃墜王として名を馳せた後、王室警護の一翼に昇格。

 それが王宮銃士隊の成り立ちであった。



 時代の流れに柔軟に対応出来た彼は、地位や名誉にも固執せず、国家への忠誠も特に強くない。

 ただ雲のように自由に生きる毎日。


 妻と娘を持つ男以外は誰もが、彼のそのような生き方を粋に感じ、気に入っていたという。



「―――ロディ隊長は、だまされています!!」


 二人きりの詰所で、少女が自分の両手を握り締めて叫んだ。



「いや、僕もね……こんなことになるなんて夢にも思わなかったよ。」


 やつれた顔で答える彼。



「その王女は自分の不貞で出来た子を……隊長の風評を利用したに違いありません!!」


 少女は叫んだ。



「だって……その…隊長は…」


 そして恥じらいながら口を開く。



「全く避妊しないっていう噂じゃないですか!!

 それって…」


「そう、それでも出来たことが一度も無い。

 だから、僕は子供を作れない体質だと思ってた。」


 彼女の手を軽くとっていなしながら、続ける彼。



「でも……そうじゃなかったのかなぁ…」


 そして椅子に体重を乗せて、首を傾げながら溜め息を吐く。



「…当夜もね……王女に会った記憶は無いんだ。

 でも泥酔してたから、100パーセント『そういうこと』が無かったって言い切れないんだよ、実は。」


「何を呑気なことを!

 どうするんですか、命じられるまま本当に駆け落ちを!?

 そんなのダメです!!」


 少女は食い下がる。



「でもねえ…もう日時まで決められちゃってるし…」


「隊長はその王女のこと……何も知らないのでしょう!?

 好きでないのでしょう?」


「……うん。

 でもね、彼女のお腹にいるのが誰の子であれ……」


 彼のたるんだ表情が、少し真顔になった。



「僕を頼って来てくれたことに変わりはないから、僕は行くことにするよ。」


「………!!」


 その無邪気な表情を前に、固まる彼女。



「本当……隊長はバカです…!」


「ごめんよ。

 こういう性分で。」


 最後に彼は、自分の襟元から隊章を取り、彼女の手に握らせた。



◆ ◆



 道中、馬車の中では、共に無言が続いていた。



「……えっと…キャエル姫。」


「もう……私は姫ではありません…。」


「あ……失礼。」


 少し哀しそうな表情で、遠ざかっていく王宮を眺める彼女に、ばつが悪そうに謝る彼。



「怒って…いらっしゃいますか?」


 彼女は虚ろな瞳で訊いた。



「僕が……怒って?」


「だって、憶えていらっしゃらないのでしょう?

 否定すれば宜しいのではなくて?」


「いやいや、男は責任は取らないとね。」


 明るく努める彼。



「それに…こんなに可愛い奥さんが急に出来て、嬉しいよ。」


「………!」


 その言葉が意外だと言わんばかり表情を、対面に座る彼女は見せた。



「えっと……いいんだよねぇ?

 子供が出来たから、夫婦になるってことで…」


 恐る恐る訊くロディ。



「……はい。」


 妙におどけた彼の仕草。

 彼女は可笑おかしそうに、初めて笑う。



 そして国境を一つ越えるごとに、彼女の笑顔は一つずつ増えていった。



◆ ◆



 やがてガザンから遠く離れた自治街に落ち着き。

 ロディはその自警団の銃砲訓練士として雇ってもらうことができた。



 今までとは全く異なる環境。

 妻をあまり心配させないよう、毎晩早めに帰る生活。


 世間一般で言うところの健康的な営みがごく自然に行えること、それはロディ自身でも驚きであった。



 ついこの間まで全く知らなかった女性を驚くほど愛することができ、やがて生まれてくる子供の誕生を、

楽しみで仕方がない毎日を送る自分がいる。


 これは不幸ではなく、幸せが転がりこんだのだと、彼は今まで祈ったことも無い神に感謝した。



 そして国家から逃亡して数ヶ月後のある日。

 彼は一つの噂を耳にした。



 ―――ガザン王朝。

 国王崩御の末、分裂。



 その国王には男児はおらず、第一王女、第二王女が共に後継を主張。

 互いの派閥は、それぞれを戦闘国家ガトランザとレンセン共和国の援助を受け、武力衝突。


 そして、膠着。


 完全に疲弊した国は、援助を受けていた両国に領土の半分づつを乗っ取られる形になり、ついにガザンはついえた。



 彼女の腹が見違えるほど膨らみ、大事をとって入院した季節。



 大衆酒場の窓から覗く夕暮れの雲を眺め。

 消えた故郷を思いながら、随分とあっけないものだと、彼は思った。



◆ ◆



「―――ロディ。

 お客さんが来ている。」


 それから数日後。

 彼は兵舎で帰り支度をしていた中で、同僚に呼びかけられた。



「若い娘だ。

 奥さんと産まれてくる子供を泣かすなよな。」


「?」


 疑問に思いつつも、訓練所の出入り口へと向かう。


 目の前に居たのは、自分の部隊にいた、あの少女だった。



「……君は…!

 ガザンがあんなことになって……心配してたよ。」


「……隊長…」


「!!」


 それまで、何でもないように立っていた彼女の身体が地に崩れる。

 咄嗟に支えると、その服の脇から大量の出血が溢れた。



「この傷は……!?

 今すぐ手当てを……。

 病院へ行こう…すぐ近くに…」


「…憶えていらっしゃいますか……?

 …城内に封じられた…地下の一室を……。」


「?」


 血の気の失せた唇を震わせる彼女の言葉に、彼は眉をひそめた。



「……ああ、憶えているけど。」


 一度だけ、部隊の数名を引き連れて訪れたことがあった王宮の東塔の地下。


 幽霊話の噂を聞きつけ、皆でからかい半分で訪れた場所。



 だがしかし、化物の呻き声が響く、地獄のような一室は確かに存在していた。


 堅牢で厚い樫の扉の隙間越しに見た、太い鎖に体中を縛られた男の姿である。



 そしてそこで背後から近付いてきた、食事を持った召使いの老人の気配に驚き、全員は逃げ出したのだ。

 後に王宮側からきついお叱りを受けたのだったが、あれは罪人を入れた牢だったのだろうと、皆で勝手に納得していた。



 目の前の彼女は。

 何故このような急時に、懐かしくも愚かしい昔の話を持ち出すのか。



「あれは……あれこそが世にいう天命人エア・ファンタジスタ…だったのです。

 中でも、あの天命の輪は…圧倒的な力と引き換えに理性を奪い……一族を根絶やしにするまで……

乗り移り続けるのだとか……。」


 か細い声が、彼の記憶を引き裂いていく。



「あの地下に…幽閉されていた者は……初代国王の息子……ミエマサット王子…。

 宮殿内に到達したガトランザ軍により、あれは鎖につながれたまま……首を刎ねられました……」


(ミエマサット王子……?)


 ロディは、彼女が怪我のために混乱をきたしているのかと疑った。


 その名はガザンの歴史に刻まれる、勇者の名。

 圧倒的な武力で兵を指揮し、勝利を導いたことにより、ガザンは200年に及ぶ独立を勝ち取ったとされている。



「ですが……その天命の輪は次に、投降中の王族の枢機卿に発現。

 暴走したそれを止めるために、大半の駐屯兵が犠牲となりました。」


 彼女の息が荒くなる。



「現在…その呪いの恐れから、ガザンの王族は全てが根絶やしにされようとしています……。

 今日明日にも…全て……処刑が完了……」


 そこでさらに大きく態勢を崩す。



「待て……君は…。

 …天命人? 天命の輪?

 ……誰に、そのことを聞いたんだ?」


 ロディは意を決して訊いた。



「城の乳母の方に……。

 …必ず…隊長に伝えろと……。」


 彼女の口元に一筋の鮮血が流れる。



「……キャエル様を……今、撃たなければ……危ない…。

 …これを……」


 そして胸元から取り出される、彼女の血に濡れた黄金の銃。



「乳母様から……預かりました…。

 王家に伝わる…最後の手段……。

 …『あれ』を解き放ってはならぬ…と…………」


 そこで役目を終えたように、彼女は息絶えていた。





 駆ける。

 胸騒ぎがした。


 走る最中。

 だが。

 どこを探しても、その拳銃には弾を入れる箇所が無い。



 我に返れば、そこは既に病院の目の前だった。



(……撃つ?)


 この不可思議な構造をした銃で撃てばいいのか。

 まるで解せないまま、息絶えた彼女の言葉に背中を押されて、妻に会いに院内の廊下を進む。



「ロディさん!?」


 途中。

 馴染みの医師が顔中に汗を光らせて、彼の顔を見て驚いた。



「…先生、僕の奥さんは?」


「ちょ、ちょうど良かった…!

 今…呼びに行こうと…思っていたんだ…」


「……?」


 その鎮痛な面持ちと途切れがちな言葉に、ロディは瞬きを止めた。



「…落ち着いて聞いて欲しい…。

 実はつい先程、容態が急変して……」


 開く口元。

 彼はその目の前で放たれようとする言葉を止めたいと、心底から願った。



「手当ての準備で少し目を離した隙に……自ら命を……!!」



 だが、それは叶わず。

 視界に移る全てのものが暗転した。







◆ ◆



◆ ◆



 死者を送る、教会の鐘。

 ゆっくりと鳴らし続けられるそれは、寂しい音色だった。



「もうすぐ、埋葬作業が終了いたします。

 よろしいのですか、ロディッサ殿。」


 裏の緑丘に寝そべる彼に対し、背後から神父が静かに声をかける。



「夫として最期のお別れを…」


「ああ…いいんだ。」


 銃の感触を胸に抱いたまま、漠然と眼下の海と白雲を眺めている彼。



「もう……どうでも、ね。」


 前祝いを何度も開いてくれた同僚達。

 産まれて来る子供のために、おさがりの服をくれると笑った食堂のおかみ。


 そして、亡くしてからまだ時間の経っていない妻の顔が、順番に頭に浮かんだ。



(…あの王家の話と…関係あるのかい?

 …何か…君は自分の身体に異常を感じて……)


 手の甲を目元に乗せ、力を抜く。



 たった数ヶ月のうちに、故郷をはじめとして、あらゆるものが消え。

 まるで自分だけが現実から隔離され、別の時を生かされているような心地がした。



◆ ◆



 いつの間にか、辺りは夜になっていた。

 丘でそのまま眠りこけていたロディは、冷え切った全身を擦りながら立ち上がる。



 今夜、教会では定例のミサが行われているはずであった。


 それなのに、やけに静かで。

 普段のおごそかな礼拝の歌が無い。



 もう終わってしまったのだろうか。

 それでも帰る前に一言、神父に声を掛けていくのが礼儀に違いない。


 彼は何気なくそう思い、様子を確かめることも含めて教会に歩み寄った。



 小破している正面の扉。

 それを目に付けて、嫌な先触れと共に足が止まる。



 彼は扉の際に身を伏せ、その隙間から月光を利用して中を覗いた。


 質の悪い街道の水たまりのように、所々に血が溢れた絨毯。

 その血痕は、壁はおろか天井に至るまで広がっている。



 そして教会内に入り、目が慣れるにつれ、血液のみでない。

 人間の死体が縦横無尽にして転がっているのが分かった。


 砕け散っている肉片と礼拝の長椅子。

 そのおぞましい混成を調べていくうち、それらの断面が毛羽のように逆立っていることに気付く。



 ―――肉塊が、視界の端で蠢いた。


 そいつは、まだ人肉を喰らっていて。

 まだ、そこに居た。



 ロディは目の神経を集中させ、直後に後悔をした。



 それは、土くれが付着した赤子の姿。


 咄嗟に胸元に仕込んでいた黄金の銃を構える自分。



(…何を……?

 僕は……あれを撃とうとしているのか!?)


 意識の外にある動きだった。

 それはまるで、銃に動かされたような感覚。



 自分を抑えこみ、再び銃を胸にしまい直して逃げる。

 その音に反応するように、転がっていた死体の首が飛んだ。



 一度、二度。

 床を叩きつけるようにして恐ろしい地響きを鳴らしながら。


 赤子とは思えない歩数で追いつかれる。



 足首を捉われたと思うと、螺旋を描いて壁に激突する自分がいた。



(……凶獣…?

 …いや、違う……!!)


 血痰を吐き捨て、無理にでも立ち上がり。

 正面の赤子の額に、黒い文様が広がっているのを見た。


 だがそれは、すぐに闇の中に紛れ、自分の視界から消える。



 爆発するような動悸の中。


 息を荒げ、腰に下げていた扱い慣れている方の銃を構える。

 床を這う音に向かい、勘を頼りの発砲。



 散る火花。

 赤子の極小の右手が弾き飛ばし、その弾道を逸らしたのが、その一瞬に見えた。



「!?」


 そこからは、幾つ撃とうが、同じだった。



 やがて肩に乗り掛かられ、喉の脇元に取り付かれる。

 そこで満腹を示す、あい気を吐き出す赤子。



 血肉の匂いが鼻腔に入る。



 大空を駆け、幾多もの戦いを経験してきたロディッサ=フアリーデンが、恐怖から気を失うのはこれが初めてであった。



◆ ◆



 自分も、血溜まりの中に転がっていた。


 朝の陽の光に照らされた、神を模した像は破壊しつくされている。



 裂かれた首の出血は全身を濡らし、その他の全身も痛みがたまらない。


 その中で唯一、左胸のみが全くの無傷で済んでいた。


 何か執念のように小さな赤い手の平が、その服の周辺に幾つも付いていて、それでも手出しが出来なかったことが

見てとれた。



 まさぐると、滑り落ちる無傷の黄金銃。

 偶然に心臓を護ることが出来ていたのか。



 這うようにして立ち上がり。

 墓地へと向かう。



 そこには、想像していた通りの光景があった。



 妻の墓の土は盛り上がり、小さな穴が空いている。


 それは掘り起こしたのではない。

 中から何かが這い出したような跡。



 彼は怒りに任せ、手にした銃を地に向けて引き金を引いた。



 放たれた沢山の赤い粒子が、地を舐めるようにして飛んだ後に恐ろしい変化で曲がり。

 猛烈な速度で上昇して空へと消えていった。



 瞬間、彼は理解した。



 この銃は、人ではない『何か』を殺すために作られたのだ。



 そして、その『何か』は、先ほど目の前にあった。



「……ああ、そうか。

 そういうわけか。」



 彼は狂気的な微笑と共に、全てを受け容れた。



◆ ◆ ◆



 室内から響いた鈍い音に、それまで息を潜めて話を聞いていたフィンデルが飛び退いた。


 慌ててドアを開けると、そこには拳を振り切った戒の姿。



「…ひたってんじゃねぇぞ……この野郎…ッ!」


 彼の震える右腕を、フィンデルは思わず抱える。



「そんな物語を話せば……世羅を襲ったことを正当化できると思ってんじゃねえだろうな……!」


「…いいや。

 正当化も美化も…しようなんて思っていないさ。」


 殴られた頬を横に向けたまま呟くロディの瞳には、怒りも悲しみの色も無い。



「…自分のガキかもしれないものを殺そうとするくらいだものな!」


 戒はフィンデルの手を乱暴に振り払い、すぐに部屋を出た。



「……すみません。」


 流石に気の毒になり、彼女は咄嗟に手にしたハンカチでロディの切れた唇の血を拭う。

 まるで戒の保護者のような、そんな口調に、彼は微笑んだ。



「…いや。

 少々、手荒いけれど、どうやら彼はこれで許してくれたようだよ。」


 そして、痛む頬を擦りながら答える。



「きっと…似た境遇の者でしか、分かり合えないんだろうね。

 彼はまだ若いし……物事を受け止めるのに時間を掛けるタイプなんだよ、きっと。」


 不可解そうな表情の彼女に対し、彼は悟ったような眼差しで続けた。



「…それより……聞いてたんだ、今の話。」


「……え?」


 そこでようやく、室内に居る自分に気付くフィンデル。



「すみません…!

 盗み聞くつもりは…」


「……いや。

 むしろ聞いてくれていたおかげで、話が早いよ。」


 彼は手を差し出す。



「悪いけど……返してくれないかな。

 …僕にとって、大事な物なんだ。」


「………。」


 フィンデルは僅かに躊躇した後、その真摯な瞳に従うようにスカートのポケットから黄金銃を取り出す。


 そして銃身を持ち、持ち手側を彼に向けた。



「謝ります。

 この前は……奥さんと子供のこと…何も知らずに酷い中傷を。」


 そして深く頭を下げての謝罪に、首を左右に振る彼。



「…ありがとう。

 優しいね、君は。」


「!」


 指先の触れ合いに驚き、反射的に身を引く彼女。



「……傷が癒えた後、僕はガザンの地へと戻り、廃墟になった王宮を目の当たりにした。

 そして、そこに隠されていた文献を調べていくうち、色々と学んだよ。

 この黄金銃が無限の弾を放つ武器だということ、そして既に僕以外の誰にも扱えなくなっていたこと…」


 彼は慈しむように受け取った銃を撫でながら、呟いた。



「…まるで、聖十字のような……?」


「そう。

 しかし……機構こそ似ているけれど、クレインのは数が多過ぎる。

 『これ』とは違い、本物オリジナルではない気もするけれどね。」


 含みを持たせて笑いかけるロディ。



「…ガザンの伝承を裏付ける、恐ろしい天命の輪と力を与えた者…。

 そして、それに対する武具を過去にいた者がいるのは確かなんだ。

 …にもかかわらず、制限が設けられているのは何故か。

 これはあくまでも推測だけど、それらを与えた者は同一かもしれない。」


「……。」


「僕は、そんな何者かの作った運命に絡め取られた、悲劇的な男なのさ。

 どう? 惹かれない?」


「…………。」


 場を明るくしようとおどけて話す彼に、彼女は暫く無言であり続けた。



「貴方は……逃げたいと思ったことは無いのですか。」


「逃げる?」


「…せっかく命拾いしたのですから……放っておけばいいじゃないですか…。

 それに…自分の子供かもしれないものを撃つなんて…」


 彼は首を傾けながら、唐突に放たれる質問に口元を緩ませる。



「後悔して、苦しくなるのなら……逃げない方がいい。

 僕の場合…それが判っているから。」


 その言葉で、彼女の表情がより強張るのを感じた。



「…でも、逃げること自体は否定しないよ。

 そうしなければ自分が壊れてしまうのならば……逃げてもいいと思う。」


「そうですか…。」


 何故か申し訳なさそうに視線を落とし、彼から離れるフィンデル。



「でもね……こういう人生でも良いこともあったんだ。」


 彼女の背中を眺め。



「男は、少し影がある方がモテるから。」


 ロディは小さく呟いた。



◆ ◆



「―――コルツ。」


 密閉し、光を落とした格納庫内。

 マルリッパが戦闘騎の操縦席で寝そべっている少年に近付く。



「昨日の会議の報告なんだけど…」


「報告なんていらねえよ。」


「ルベランセの艦長に会ってきたよ。」


「……それが?」


 ぼんやりとした虚ろな目で、何も無い空間を眺めている彼。

 その足元に落ちている、注射器と空の薬瓶に目を止めるマルリッパ。



「薬は止めなって。」


「うるせえ…」


「やっぱり、昨日の街で買ったんだね?」


「お前には関係ねえだろ…。」


 頭を深くもたれながら文句を言う反面、彼は恍惚の表情を見せた。



「やめとけよ、マルリッパ。」


 見かねた隊員が、背後から声をかける。



「どんなに言ったって聞かないんだ。

 放っておけよ。」


 他の者も冷ややかに言い放ち、格納庫を後にする。



「…そうさ。

 ……どうしても止めさせたいって言うんならよ…」


 コルツが浮くような心地の中で呟いた。

 マルリッパは耳を傾ける。



「…ブッ殺してもいい敵を、たくさん呼んで来い。」


 しわがれた低い声が、操縦席の中で反響して聞こえた。



◆ ◆



「夢のような場所で、半ば強引に聞かされたから……その『存在』は少しだけ疑問だった。

 だが…あいつのおかげで、確信できたぜ。」


 戒は自分の手の平を見詰めながら呟いた。



「………その、天命第一位というのは、一体何なのだ。」


 食堂の片隅の席。

 聞き役に回っているザナナが訊ねる。


 戒はその視線をかわし。

 だが、口元を引き締めて言った。



「ある時は、力を与え…。

 そして人の記憶を奪ったり………自由を奪う…。

 関わった奴が、どんどん不幸になっていくのは確かだ。」


「それは、許せん。

 どこにいる、そいつは。」


 槍を構え、息を巻くザナナ。

 まるで内容を理解していない様子だが、それだからこそ戒は話していた。


 要するに、心中を誰かに話せれば気が済むこと。

 彼はその役には適任である。



 そんな中、厨房で作業をしていたシュナとパンリが、同時に視線を一点に投げかけた。

 それを追う戒。


 何事も無かったかのように、飄々として食堂を訪れるロディの姿がある。



「大丈夫だったんですか…?」


 真っ先に駆け寄って行ったのは、パンリだった。



「ああ、気にしないで。

 …もしかして、心配してくれてたのかい?」


「勿論ですよ!

 でも、私よりもガッチャって人の方が、ずっと探してましたけど…」


「はは。 あとで謝っておくね。

 ……それと『これ』は、君とは無関係だから安心していいよ。」


 青アザになっている頬を擦りながら囁き、彼は笑顔をつくる。



「…よ、良かったです…。

 私は、てっきり…」


「…で、どうだった?

 生まれて初めての女の子の裸は?」


「……見てませんよ。」


 ロディの小声での質問に、少年は恥ずかしそうに呟いた。



「何?

 何の話よ?」


 そこへ厳しい目つきで、迫るシュナ。



「い、いえ……何でも…」


「ちょっと、パンリ!」


 そこへ、通りがけのミーサが廊下から大声で呼ぶ。



「格納庫に来て。

 今から、ちょっと整備を教えるから。」


「…あ…はい……。」


「大変ね。

 雑用係も……」


「全部、てめえのせいだろうが。」


 駆けていくパンリを他人事のように遠い目で見送るシュナに、近寄った戒が毒づく。



「いつまでも、細かいことを…小さい男ね。

 しかも、のぞきくらいで暴力を振るうなんて、最低。」


 彼とロディを交互に見ながら、彼女は言った。



「そうそう。

 見られても減るもんじゃないしね。」


「調子に乗らない。」


 軽口を叩くロディの傷を、持っていた菜箸さいばしで突くシュナ。



「いたたぅ!!」


 そして、もんどりうって床に転ぶ彼を笑い、彼女は再び厨房の奥へと向かって行った。



「……凝りねえ野郎だな。

 女よりも、もっと他にやることがあるんだろうが。」


「…確かに、ね。」


 呆れたように呟く戒に対し、ロディは答えた。



「…もう、あれから10年だよ。

 いつかいつか、決着をつけようともがいているうちに。」


「その思いは……変わらずにいられるものなのか?」


「そんなにカッコいいもんじゃない。

 このことに関してだけは、僕の中の時計の針が止まっている……それだけさ。」


 その真剣さをかわすように、ロディは言った。



 戒は手を伸ばし、彼の襟元を掴んで床から引き上げ、顔を近付けて歯を食いしばる。



「その部分だけ……尊敬してやる。」


 そして乱暴に手を離す。


 その彼の様子に、ロディは声に出さずに笑った。



◆ ◆



「……圧倒的に時間が足りぬわ。

 長年やっているが、このような強行錬兵は経験が無い。」


 あからさまな不満を声に洩らしつつ、ファグベールが自分に用意された席へと腰を下ろす。



「戦闘騎には、わずかに乗りこなせる者が出た程度。

 たとえ相手が何であれ…これでは苦戦は必至。」


 そして、艦長席に座るディボレアルに視線を送る。



「さぞかし素晴らしい、策があるのでしょうな。

 軍師殿。」


「……策などは無い。」


 くぐもった声で返す彼に、疲れた鼻息を一気に吐き出す老将。



「せめてこれが自分の軍備でなければ、もっと気楽なものなのだが…」


「斥候機から報告。

 前方距離3万Mの空域において、敵艦隊第一陣発見。」


 彼のぼやきの最中、傍らの念通士が報告を上げた。

 ファグベールは、息を止めて窓の外を見る。



「……陽の沈む前か。

 せっかくの黒い塗装だが、今の兵士達の技量では夜襲はかえって不利。

 機はここか。」


 老将が返した視線の先。

 剣を片手に立ち上がり、即座に念通管を取るディボレアル。



《 ―――全艦、全機、全兵士に告ぐ。 》



 空域に響き、放たれる、凛とした声。



(…この男の念通術……尋常ではない…!)


 ファグベールは驚嘆して全身を強張らせた。



《 諸兄らには、苦渋の数年間だったろう。

同じ大陸に産まれ、生きる者が、何故このように虐げられるのか。


だが、破れし者らに選択する権利など無い。

勝者に従い、次代を生きる……それが摂理であることも事実。


しかし、それが正しいとされるのは、より良き時代を作る気概が国家に認められる時のみ。

親兄弟の流した血、築いた屍を無駄にしてはならぬ。


諸兄の叛乱を阻止し続けたこの国は近い将来、中枢の腐敗によって揺らぐであろう。

その原因は、現中王都市の王室政府の執政……そして軍隊の専横にある。


あの時、幼くして戦に出れなかった無念。

残ることを選択させられた無念。


それら、諸兄らの人生の全てを騎士団の翼に乗せ、存分に挑むがいい――― 》



 ディボレアルの言葉の全てを待たずして。


 咆哮。

 泣き声。

 叫びにも似た声が、空域に響き渡る。



 どの艦からも立ち昇るその気炎に、ファグベールも黒華の者達も一様に驚いていた。



 どれだけの者が大陸の公用語を理解しているのかは解らない。

 だが、ディボレアルの伝える言葉に、彼等が応えたのは疑いようが無かった。



《 ―――以上。

諸兄らの新たな主となる中王騎士団・大団長ザイク=ガイメイヤの宣言をもって、開戦とする。 》


 終えてすぐに、席につく黒騎士。



「……大した男だ。

 全て、貴様が作った言葉であろう。」


「この戦いの後も考えれば、これが望ましい。」


 皮肉めいたファグベールに答えた後、ディボレアルは再び、念通管を口元に寄せた。



《 上げるべき首級は、売国を企み、国家の混乱を誘うレイキ=モンスロン。

……および、そのはかりごとに組する中王都市軍艦隊全隻… 》



 今度は宣言では無く、各艦へと向けた伝達であった。



《 これより、歴史に残らぬ戦を始める。

中王騎士団『黒華』全軍―――出撃。 》



 固唾を飲んで見守る中。

 飛ぶだけでやっとであった蛮族の操縦する戦闘騎達が、何の迷いも無く雲を切り裂いて飛んでいく。



「……ふるえるな、これは。」


 生まれて初めて体験する、先の読めない戦場を前に。

 老将は笑って呟いた。



◆ ◆ ◆



 漂う硝煙。


 滴る脳漿。


(…逃げるだと……?)



 目を開くと。

 自分を見下ろした男が、砕かれた側頭部に拳銃を当てたまま見詰めている。



(……そんなことが許されると思っているのか?

 …いまさら…。)



 顎の外れた口元が動いた。



(…お前があの時に背負った罪…。

 …それは…ずっと背負っていくべき大罪……)



 聞いていた彼女は堪らずに、自分の耳を引きちぎった。



◆ ◆ ◆



 胸につかえた息苦しさで目を覚ますフィンデル。



「…………?」


 気付けば、艦長席に座る自分を注視しているブリッジの面々。



「…ごめんなさい。

 ちょっと居眠りをしてたみたい…」


 照れ隠しに笑う彼女だったが、皆はつられて笑顔にはならなかった。



「メチャクチャ、うなされてたっすよ。」


「ほんとに?」


 フィンデルは、冗談交じりにタモンに聞き返す。



「なあ、本当に平気か?

 お前が居眠りなんて…」


 リードが近付いた。



「平気よ……もうちょっとの辛抱だもの。

 それより、周辺の様子は?」


 だが、気丈なフィンデルの命令に、渋々と定位置へと戻る彼。



「索敵は、艦隊前方の偵察に任せている。

 これだけ周囲が味方だらけじゃ、こっちからは探れないよ。」


「…そうよね。」


 襟元を緩める彼女。



 軍服の下が妙な汗で濡れていた。


 艦内外の全ての『引っ掛かり』は解消されたはずなのに、不安が拭えない。

 ついに、彼女は寝室で一睡もとれない状態になっていた。



 窓から見える軍艦隊。

 脆弱ぜいじゃくな陣が展開するこの空域に、少なくとも地と人の利は無い。



 彼女はそこで、常に頭の中で絶望的な戦場を展開させている自分に気付いた。





「こちらは…」


「あ、だめよ、触ったら。」


 戦闘騎の機銃に触れようとしたパンリに、ミーサが声をかけた。



シールが貼ってあるでしょ?

 これを破ると、重大な条規違反なの。」


「…弾薬も燃料も空にして、全てに封をする……なるほど、徹底してますね。」


 見れば操縦桿にさえも封がしてあり、使用できないようになっていた。



「この機体達は既に中王都市の物じゃないから、ヘタに使うと問題になっちゃうのよ。

 ブブド公国に着くまでは、絶対にこの状態ね。」


 そう言って、先程パンリが燃料を詰め替えた小さな缶を二つ、両手で持ち上げる彼女。



「どちらにせよ…操縦系統の調整が全然出来てないから、このまま出撃しても戦力にならないけど。」


「…調整ですか……。

 それは私には、まだ出来そうにないですね…」


 ミーサに倣い、パンリもふらつきながら缶を運ぶのを手伝う。



「でも、なかなか憶えが早いわ。

 これで私が格納庫に居ない時でも、弾薬と燃料の補給くらいは出来そうね。」


「ありがとうございます。」


「…だけど、ちょっとくらいは戦闘騎を乗りこなしてもらいたいわ。」


「わ、私がですか?」


「操縦士がいない時でも、戦闘機を移動させなきゃいけない時もあるでしょ。」


「…そ、それは確かに。

 では…また今度の機会に教えて下さい。」


 パンリがお辞儀をすると、弾薬を積んだ箱の脇で寝ていた梅が、不意に目を覚ました。



 尻尾を上げて、耳を小刻みに動かしながら天井を眺め、鼻をひくつかせ、階段を段々と跳ね上がり。

 そして颯爽と廊下へ向かい、小走りに去っていく。



 急な彼女のその様子に、それを眺めていたミーサとパンリは顔を見合わせた。



◆ ◆



 中王都市軍艦隊、最前部。


 雲のわずかに下の位置。

 そして、遠くの渓谷の絶景を眺めながら、ブリッジで杯を交わす士官達。



 鮮やかな色の果実酒が入ったグラスを傾けて、重ねる。



「……平気ですかな?

 雲上の哨戒機から、定期報告が遅れているようですが。」


「この陽気だ。

 居眠りでもしているのかもしれんな。」


 艦長の冗談に、一同が笑った。



 丁度、雲の上から下降し、飛翔艦と並んで飛行する渡り鳥の一団。

 その風流さに紛れて、一際大きな影が横切った。



「…あれは、どこの艦の機体だ。

 勝手に演習か?」


「……フン、随分と熱の入っている部隊もいるものだ。」


 脇の念通士の呟きを、小馬鹿にしたように笑う士官。



 空気の切れる音。

 そして、一瞬の閃光。



 すぐ横でその表面を炎上させる、味方の飛翔艦の姿。



「―――!?」


 目を剥くブリッジ内の全員。

 誰もが、不慮の事故を想定して疑わない。



「……おい…事故…か!?」


 今度は別方向より、二機の黒い戦闘騎が、ブリッジ脇を通り抜けた。



 途端。

 犬の顔面をした数名が厚い窓を突き破り。



 次の瞬間には、彼等の両手にあったなたが念通士達の喉に突き立っていた。



 密集の陣形の中で。

 揺らいだ一隻が、列をなぎ倒した。




◆ ◆




 ゴルゴート市の小劇場。

 北部においての数少ない娯楽施設であり、さらに人気劇団の公演日ということもあり、席は満席である。



 目下の喧騒をよそに。

 三階席の一区画を貸し切りにして、その二人は居た。



「…おひさしぶりっ、ユーイ。」


 そんな中、椅子に深く腰掛けて半分寝むりこけていた青年に、急に後ろから冗談交じりに声をかける男。



「何であんたが来るのよ、赤メガネ。」


 二人きりの時間を邪魔されたことに、あからさまに不快な表情を浮かべ。

 少女はオペラグラスを外して、口を尖らせる。


 言葉どおりの赤いサングラス、黄色と黒の縞スーツ姿という、少し個性的な風貌の彼は、片手で頭のバンダナを直す。



「おチビちゃん。

 あいかわらず、お人形みたいな恰好だなぁ。」


 小馬鹿にしたように、上から見下ろす彼。

 対する本日の彼女は、いつもの黒系統でない、派手な赤系統のロリータファッション服であった。



「……彼を『ユーイ』って呼ばないでって何度も言ってるでしょ。

 その名で呼んでいいのは、私だけ。」


「別に…いいじゃんねえ?

 ユーイ。」


 青年の頬に気安く頬を重ねて、訊ねる彼。



「げー、気持ち悪い!

 男同士で!!」


「……はいはい。

 で、待機の時間は終わり。」


 男はすかさず、向けられたオペラグラスを笑顔で取り上げる。



「…まさか、双方が臨戦態勢に?」


 手を中空に投げ出したまま、少女は声を洩らした。



「すっとぼけちゃダメだよ〜。

 両軍の艦隊が駐屯地から出発したの、遠くから見てたでしょ?」


「……まあ、そうだけど…」


 認めてしまえば、それは休暇の終わりを意味している。

 だらしなく再び眠りに入ろうとしている、青年の顔を彼女は横目で見た。



「移動するの、明日でもいいでしょ?」


「だ〜め。

 もう始まってしまうよ。」


 人差し指を立て、男は言った。



「…審議会の大勢が、決した。」


 そして口調を一転。

 彼は神妙な口調で呟いた。



「全会一致で、中王騎士団に味方することになったよ。」


「…あまりにも早計で極論ね。」


 完全に厳格な監査官の言葉に戻っている彼に向かい、彼女も真面目に返す。



「どちらかの政権が中王都市にとって良い未来か考えれば、その結論に達するということさ。」


「詭弁はいらないわ。

 どうせ、騎士団のガイメイヤから根回しされていたんでしょう?」


 その図星に、何も包み隠さない笑みを浮かべる彼。



「これを中途半端に止めれば、事態は混迷を極める。

 腐った部分を切り捨てなければ、死んでしまうんだよ国も。」


「流す血の量が少ない方を選ぶのね。

 流さない方法を探すのではなくて。」


「そう。

 それが『久遠』の仕事であり…」


「役目なのだろう?」


 寝言のように低く呟き、半身を起こす青年。

 褐色の肌が劇場の闇に紛れ、唯一、金髪と蒼い瞳が輝いている。



「そういうこと。

 さ、移動してもらおうか。

 今回は国外の仕事だから、オレっちが道案内させてもらうよん。

 それから、現地で他の執行部隊と合流してもらうから。」


「私達、二人きりじゃ…ダメなの?」


「相手は巨大なんだって。

 危ないっしょ?」


「……せっかく…ユーイと…二人きりで…」


 恨みがましく、背後で怨霊のように呟く彼女。



「何言ってんの。

 相変わらず何も進展が無いくせに。

 …まずは、彼を寝かせないくらいの色気を身につけたら?

 あと、身長も胸も足りないし。

 それから…その服! センスのカケラも無い……」



 三階席から人が蹴り落とされたのは、その由緒ある劇場では、初めてのことであった。



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第三章

第四話 『ムーベルマ会戦・前編』


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