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3-3 「黒色絵具」(上)


This story is a thing written by RYUU


Air・Fantagista


Chapter 3

『Wivern in central kingdom city』


The third story

'Black distemper '





◆ ◆ ◆



 その日の囚人護送列車内は、蒸し窯のようであった。



 突然の急停車の後、最後尾に厳重に閉められた扉が解放されると、夜の冷気が吸い込まれた。


 囚人達は身を縮ませながら、闖入する数名の気配と、周囲の警官隊の短い呻き声を聞いた。



「…貴様……名は何という?」


 事態を理解していない彼等が一様に怯える中、一人だけ余裕をもって胡坐あぐらをかいている男に問う声。



「運び屋のテツジといやあ、少しは名が通っているんだがな。」


 顎を上げて答える彼。

 頭に被せられた麻布の袋越しに、蠢く影がうっすらと見えた。



「…ほう?」


 興味があるような素振りで、影と声が近付く。



「だがな……今はヘマをやらかして、このザマよ。」


 その威圧感に対して、彼は笑った。



「しかし、あんたも大胆だねぇ。

 この護送列車に、捕まった仲間でもいたのかい?」


 そして、おびただしい血の匂いを鼻腔に感じつつ問い返す。



「いや……仕事を依頼するべき人間を探しに来たのだ。」


「随分、面白いこと言うじゃねえか。」


 淡々と述べる眼前の声に、思わず笑いを洩らすテツジ。



「犯罪者をスカウトするために囚人護送の警官隊を全滅させたって?

 イカれていやがる。」


「何と思われようと、それで結構だ。

 運び屋。」


「へ……。」


 テツジは後ろ手にかけられたかせを鳴らした。



「…貴様にさばいて貰いたい『品物』がある。

 この先のゴルゴート市で列車を止めさせる。

 そこにある源炉の施設を訪ねるがいい。」


「源炉だって……?

 そいつは専門外だが…」


「品は、それではない。

 ……行けばわかる。」


 簡潔な言葉の終わりと共に、軽くなる全身。

 両手足の枷が全て外れていた。



「あんた……何者だい?」


 残された漆黒の闇と、警官隊が沈む血溜まりの中で、テツジはただ一人で呟いていた。





◆ ◆ ◆



エア・ファンタジスタ

Air・Fantagista




第三章

中王都市の飛竜



第三話 『黒色絵具』



◆ ◆ ◆



◆ ◆




「―――あんたが、お祈りかよ?」


 ヂチャードは岩肌に背をもたれ、両腕を組んだまま言った。



 案内された山岳内の基地施設の中で、小さく拓かれた区画。


 本来の基地でいうところの、室内なのだろう。

 黒騎士はそこで抜き身の黒剣と共に、片膝を折り曲げて壁際にたたずんでいた。



「……半日の遅刻だ。」


 そして、おもむろに立ち上がる彼。



「あのなぁ、これでも急いだ方なんだぜ?

 それにマクスにはゆっくりさせて、俺だけ『早く来い』だなんて不公平だ。

 大体、一番南から一番北まで来いって注文自体、馬鹿げてる話だっての。」


「……。」


 黒騎士は愚痴をこぼす彼に黙ったまま歩み寄り、剣を腰に納めてから一枚の紙を手渡した。



「…何だよ、これ。」


「この山岳の麓下に位置する街の地図だ。

 そこにある源炉精製所に行ってもらいたい。」


「早速、任務かよ。」


 あからさまに不満を口にする彼。



「源炉の精製は、そこの工場に全てを委託しているのだが、最近になってその定期報告が途絶えた。

 貴様には視察と確認を…」


「どうして、黒華の俺なんだ?

 知られちゃまずい事でもあるのか?」



「何らかの理由で、源炉の精製が不能になった恐れがあるからだ。

 そして、各地でも少し前から同じ現象が起こっている。」


「…なるほどな。

 騎士団が秘密裏に、ルベランセみたいな小物を襲った理由が……解ったような気がするぜ。」


 真面目な顔を作り、対面するヂチャード。



「一体…いつからだ。

 そして何故、公表しない?

 それは『中王都市にとって重大な事態』じゃないのか?」


「だからこそ、それをより正確にするための調査だ。」


 黒騎士が短く返答する。

 ヂチャードは、上手くかわすものだとほぞを噛んだ。



「大体、分かった。

 だけどな……知ってて俺に頼むのか?」


「…何のことだ。」


 苦虫を噛み潰したような表情で地図をひらつかせる彼に対し、黒騎士が聞き返す。



「ここのゴルゴート4番街が俺の出身だって。」


「………偶然だろう。」


「故郷でこういうシケた仕事ってのは、かなり気分が乗らねえものだぜ。」


 肩をすくめ、やがて何かに気付いたように黒騎士の顔へと視線を流す。



「おまえ、出身はどこだよ?」


「……この騎士団で私にそれを訊ねてきたのは、貴様が初めてだよ。

 ヂチャード。」


 鼻で笑いながら、黒い兜は呻いた。



「…そうかい。

 あんた、不気味だからな。

 誰も友達になりたくないんだろう?」


「………フッ。

 ならばついてこい。

 不服ならば、別の仕事も用意してある。」


「……やれやれ。

 それは有難いが、ご用意の良いことで…。」


 彼は呆れたように呟き、前を行く黒騎士の後に続いた。



◆ ◆



「―――軽率なんだよ、フィンデルは。」


 拳銃を真正面に構えたまま、呟くリード。



「……分かってるわ。」


 フィンデルは、消沈した面持ちで答えた。



 朝、駐屯地の訓練場。

 数発の銃声が鳴り響いた後の静寂。



「……いいや。

 君は事の重大さを、全然わかってないな。」


「だから、何回も謝っているでしょ?」


 語尾を強め、フィンデルは顔を向けた。



「……保安念通士の俺に一言の相談も無く、兵士達に休暇を取らせるなんて非常識すぎる。」


 対するリードは、呆れたようにして返す。



「…それは……ルベランセの修繕がこんなに早く終わるなんて想定外だったから……」


「違う。」


 言葉を短く切る彼。



(……俺が相談すらされない程度の男だって、その認識が重大なんだよ。)


 そして顔を赤らめ、唇を強く噛んで言葉を飲み込んだ。



「バーグは現時点におけるルベランセの唯一の正当な操縦士だぞ。

 戦闘騎は、実際に乗る人間が調整作業に加わらなくっちゃ何も始まらないだろ。」


「だから、すぐに彼の家に馬を走らせて対応したじゃない。」


「対応すれば、それで済む問題か?

 軍規を正してくれないと、また…」


「スパイに侵入される。

 そう言いたいのね。」


 フィンデルは子供のように頬を膨らませて顔を背けた。



「………。」


 そんな様子を見て、リードは口を滑らせたことに後悔する。



「―――まあ、ガードが甘いのは女性だけでいいってことだよね。」


 突然、中央を割って響く男の声に、フィンデルとリードは目を剥いた。


 いつの間にか優男が二人の間で、的へと銃を向けて立っていたのだ。



「…ロディ……ッサさん!

 ……どうして、ここに…」


「つれないね。

 フィンデルちゃんてば、さっき約束したのに、いつまで経っても格納庫に現れてくれないんだもの。」


 怪しげな微笑を浮かべ、返す彼。

 リードは自然と耳を傾ける。



「あ……」


 何かを思い出したように、口元を押さえる彼女。



「いやいや、気にしないで。

 男にとっては、じらされる時間も楽しいひと時さ。

 それと……僕の名前は、ロディで結構。」


 彼は涼しい顔で付け加えた。



「約束って…なんですか?」


 リードは口を尖らせて訊く。


 彼のことについては、フィンデルから僅かに説明を聞いていた。

 だが、これも自分の知らない所で決められていたこともあり、どうも気に入らない。



「上司に頼まれて戦闘騎の買い入れをしててね。

 ルベランセに搬入したまではいいけれど、最後に責任者のサインを貰わないと終われない。」


「…わかりました。

 すぐに行きます。」


 先のリードの愚痴もあり、疲れきった表情でフィンデルは練習用の拳銃を台に置いた。



「そんなに慌てなくてもいいさ。

 もっと他愛の無い話を楽しもうよ。」


 彼は銃を構えたまま的に照準を合わせ、動きを静止する。



「たとえば、こんな昔話とか。

 …かつて銃によって、ガザンの一大国家を建造したウェズター公は死ぬ間際、こう言ったそうだ。

 『銃は神に見捨てられた…』ってね。」


「…何ですか、それ。」


 二人は同時に訊いた。



「二人とも既にご存知だろうけど、銃弾ってのは微妙な空気の流れで軌道が変わってしまう。

 至近距離じゃないと、そうそう標的に当たるものじゃない。

 だが昔はそんなことは無く、命中率も殺傷力も遥かに上だったらしいよ。」


 ロディはわずかに肩をずらして、姿勢を修正する。



「急に自然の摂理が変わる……そんなことがあるのですか?」


「さあねえ。

 なにぶん昔のことだからね、僕にはなんとも。

 …だけど、とにかく、過去に銃の時代は終わった。

 しかし飛翔艦と戦闘騎の登場によって、また世界のバランスが大きく変わり出している。」


 立て付けの悪い壁の隙間から、軍隊の敷地を見回す。



「自然と理然とは、常に回り続けているみたいじゃないか?

 何か……無限の輪のように。」


 そして含みのある表情で、彼は続けた。



「その英雄は、後世へとそのことを伝えようとしていたのかもしれないね。」


「ご高説、痛みいります。」


 その話が一段落したところで、リードがわざとらしく肩をすくめた。



「どちらにせよ、現状のルベランセは深刻な人手不足だ。

 フィンデルもこれからは副長じゃなくて艦長なんだから、一層に気を引き締めてもらわないとな。」


「………。」


 リードの言葉にフィンデルは視線を落とした。



「さっきから二人とも表情が暗いけど、何かあったのかい?」


 それを見かね、横目で訊ねるロディ。



「スパイに二度も侵入されているんですよ。」


「……ふぅん。

 でもそれは、保安を司る者の責任じゃないのかな?」


「……!」


 リードはロディの何気ない一言に驚く。



「何が何でも危険を察知して、阻止する。

 それが保安責任者の仕事さ。

 たとえ、上司がどうであれ、そこは譲っちゃいけないな。」


 ロディは軽い口調のまま続けた。

 リードは注視する。



「…ず、随分と知ったようなことを言うじゃないですか。」


「これでも、王室警護の任に当たっていたことがあってね。」


「……一体何者なんだよ、フィンデル。」


 わざと大声で訊くリード。



「さあ……良くは知らないわ。」


 そう呟くフィンデルに対し、ロディは人懐っこい笑顔を返す。



(―――だがこのとおり、こいつは女グセが異常に悪くてな…)


 彼女も複雑な表情で視線を返すが、そこに重なるギルチの言葉。



(こいつは、ガザンの第三王女をうっかり妊娠させた挙句、駆け落ち。

 そのくせ、今は独り身だ。)


 それらと共に、嫌悪感が全身に戻り始める。



 不意の6連射。

 全弾を発するロディ。


 両脇の二人は思わず、耳を押さえた。



「……いい銃だ。

 高価な火薬も弾も沢山ある。

 中王都市は物が豊かで、士官達は幸せだよ。」


 銃口から昇る硝煙を吹いて、その銃身を台に置いて向き直る彼。



「では、お先に。

 フィンデルちゃんは、お借りするよ。」


 そして間もなく彼女の肩を抱いて、強引に連れて行く。



「なんなんだよ、あのキザな男は…」


 独りボヤきながら、先の自分の射撃の確認のために的に近付くリード。


 ひどく散乱した銃痕の穴。

 己の射撃の腕に、肩を落とす。



 そこでふと目にした、脇のロディの的。

 銃痕は中心を穿っているものの、わずかにに一つ。



「あいつも言う割には……大したことないな……。」


 こみ上げる笑いを抑えながら、さらに歩み寄った彼は、次の瞬間に愕然とした。



「……うそだろ…!?」


 的を貫通したロディの銃弾は、その後ろの壁の同じ箇所に、六個とも埋まっていたのである。



◆ ◆



 岩畳に染みた、血の臭い。


 そのドス黒い染みに両膝を折って鎮座している人影があった。



「おい……騎士団において、拷問は御法度のはずだぜ。

 たとえどんな相手でもな……。」


 それを眼前に口元を押さえながら、呟くヂチャード。


 いくら裏の仕事をこなしているとはいえ、これほどの惨状には滅多にお目にかかれない。

 血管が収縮し、血の気が引いていくのが自分でも良く判る。



 視界の端に、切断された左手首と両足首をネズミがかじっているのが見えた。


 一方、座らされている男に目を向けると、その患部は縫合すらされず傷が膿み始めている。


 さらに荒糸で縫合された目元。

 この残虐性は中王都市のものではないだろう。



「騎士団の流儀など知らぬ者がやったことだ。」


 不気味なほど、平坦な口調で黒騎士は続けた。



「…赤華を脱走したレイキ=モンスロンは―――この者を介して、タンダニアと通じていた。」


「そうかい。

 それで、俺にどうしろというんだ?」


 この凄惨な状況から、ついに目を背け、早口で訊く彼。

 そして少しの後悔の念と共に、言葉を吐き出す。



「この者の姿に成りすませ。

 貴様とは丁度、背格好も同じほどだ。」


「おいおい……待てよ。」


 わずかに想定していた悪い冗談が現実に耳に聞こえ、思わず半笑いになりながらヂチャードは答えた。



「おまえ……なんか、俺の能力を勘違いしてるんじゃねえか?

 確かに俺は自分の顔つきを変化させることは出来るが、『特定の誰か』に『化ける』ことなんて出来ねえ。

 いくら天命人エア・ファンタジスタって言ってもな、俺の天命の輪は最下位の第六位なんだぜ?」


 おどけた素振りで、彼は続ける。



「これは潜入には便利な能力だが、本格的に誰かに成りすますなんて不可能…」


「―――勘違いをしているのは、貴様の方だ。」


 黒騎士は笑い返した。



「……なんだと?」


「自分を過小評価するのは、やめた方がいい。

 素質に関して言えば……こと中王都市のように、既に構築された社会を制するには、マクス=オルゼリアなどの

能力よりも、貴様の方が遥かに向いている。

 ―――貴様のようなものが道を創っていけるのだ。」


「はあ?」


 大口を開けたまま、自分に手をかざしている黒騎士に対峙するヂチャード。



(…おれが……マクスよりも…上…だと?

 急になにを……何を言っているんだ、こいつは?)


 そして視線を泳がせながら、そこに並べられた言葉の端々に思わず表情を歪める。



「勘違いは、さらにもう一つある。

 それは貴様自身が己の能力に、限界を勝手に定めていることだ。

 ひたむきに『それ』を信じることもせずに。」


「………。」


「確かに高位の天命の輪は、強力だと言えよう。

 だが『制御する』という面においては、低位のものほどいい。」


「おまえは……何故、そんなに天命の輪に詳しい?」


 ヂチャードは、胸に湧いた率直な疑問をはばからずに口にする。



「知識など、学べば手に入る。」


「……へっ。

 とにかく、勘弁だな。」


 真面目に答える気配の無い彼に、ヂチャードは肩の力を抜いてすくめた。



「そうか。

 ならば、まだ楽には出来んな。」


 眼下の、無残な男の姿を一瞥する黒騎士。

 だらしなく座りこんだ彼の封じられた口から、唾液と共に声ならぬ声が呻き洩れた。



「……今、この者の生命と右手は最期に一筆したためさせるためだけに残してある。

 それさえ終えられれば、一思いに葬ってやれるというのにな。」


「そんな風に同情を買おうったって無駄だぜ。

 俺はお人よしじゃない。

 見ず知らずの人間がどうなろうと……知ったこっちゃねえのさ。」


 鉄格子の扉を片手で開くヂチャード。



「こっちは止めだ。

 自分勝手で悪いが、さっき話していた任務へ行って来るとするぜ。」


 そして、彼はおどけながら言った。



「お前さんはせいぜい、その優秀な頭脳で別の方法でも考えてろ。

 やる気の無い『ヂチャード=エニーさん』の力を借りなくても済む、もっといい考えを、な。」


「ふ……。」


 一度だけ肩を震わせる黒い鎧。



(お前は必ず、ここへ戻って来る。

 そのさだめが……そうさせるのだ。

 『賢く宵闇を飛び回る』―――『千の顔を持つふくろう』よ。)



◆ ◆



 総勢7名もの人間を乗せて、夜通し地を駆けての帰還。


 いくら訓練を積んでいるとはいえ、無理が祟ったに違いない。

 その馬車馬は汗だくになって足元をふらつかせながら、ふらふらと歩いて帰っていった。



「やれやれ……いいかげん腰が痛いな…」


 それを見送りながら、バーグが腰を叩きながら伸びをする。


 数日ぶりの中王都市軍の駐屯地。

 一同は彼に続き、整備された道を一直線に歩く。



「これが……皆さんの乗る飛翔艦……」


 パンリは戒と世羅の視線の先を追い、そこに駐留している一隻の飛翔艦を見上げながら呟いた。



「大きいけど、思っていたよりも地味ねぇ…。」


 シュナが後ろから声をかける。



「……やばいな。

 ここにあれだけ駐留していた飛翔艦が半分もねえ……何よりも…」


 俄然、早足になるバーグ。



「ルベランセの修繕が終わってやがる。

 よほど急がせたに違いねえぞ。」


 そして彼は独り言のように呟いた。



 バーグを先頭に、慣れた様子で大きく開け放たれた格納庫に踏み込む戒と世羅とザナナ。

 シュナは、たちこめる冷気と油の匂いに、少し戸惑いながらそれに続いた。


 白い猫が不気味に積荷の上から、様子を覗いている。

 最後尾のパンリは、それに少し見とれながら歩む。



 そこでは、懐かしい鉄の作業音が響いていた。



「おいっす、ミーサ。」


「…………。」


 整備中の彼女は、バーグの呼びかけに振り向いたが、目深に帽子をかぶったまま冷淡な視線。


 さらにその後ろの戒や他の人間にも気付いた様子を見せるものの、次の瞬間には興味が無さそうな様子で

無言のまま作業へと戻っていく。



「…元々愛想の無い奴だったが、しばらく見ねえうちに磨きがかかってるな。」


「はは、忙しい中を黙って休暇に出ちまったからな。」


 戒の言葉を、苦笑混じりに返すバーグ。



「ちゃんと仲直りしておけよ。

 あれでも、俺様達の命を預かってるんだからな。」


「ああ…腹いせに戦闘騎のネジを外されでもしたら、たまんねえや…」


「それだけは絶対にしないわよ!!」


 そんな彼等の陰口に対し、きつい怒声を放つ彼女。

 二人は思わず、背を縮めた。



「……地獄耳め…大声出しやがって……ん?」


 戒が呟きながら進み、様相が随分と変わった倉庫内を見回す。


 ルベランセに納められている戦闘騎の数は、格段に増えていた。

 勿論バーグの機体もある。


 だが、肝心の自分の機体が無い。



「……おい…俺様の戦闘騎が見当たらねえが…」


「ああ、あれ……軍の方で徴収されたわよ。

 性能が良いからって、実戦部隊に配備されるとか…」


「何だと!?」


 何気なく答えるミーサに、血相を変えて詰め寄る戒。



「どこだ?

 どこのどいつの所だ?」


「もういないんじゃねえのか?

 駐屯地の部隊も結構、出撃したみたいだしな。」


 バーグは、興奮する彼をなだめるように呟いた。



「でも、その部隊……ルベランセの守備につくって言ってたから、まだ発着場にいるとは思うけど。」


「…取り返してくるぞ。」


「え!?

 そんな無茶なこと…」


 ミーサの静止の言葉も途中に、戒が搬入口へと振り向いた途端、搬入口から入ってくる女性と視線が合った。



「―――戒くん?」


 放たれる、フィンデルの驚きの高声。



「…どうしてここに!?」


「………う…」


 心の準備が出来ていなかったこと。

 そして足早に歩み寄ってくる彼女の予想以上の強い視線に、思わず後退する戒。


 そんな女性軍人の迫力に、パンリとシュナは咄嗟に彼の背に隠れた。



「……何でこんな時に『女の子』を新しく二人も連れて来るの!!」


「……へ?」


 強く床を踏みしめたまま、そんな二人に厳しい目を向けているフィンデルに、戒は拍子抜けした声を洩らした。



「あの……私は女の子じゃ…」


「おまえ、俺様が戻ってきたことに怒っているわけじゃないのか?」


 パンリが訂正する前に、戒は続けた。



「誰も怒ってません!

 理由は分からないけど、こっちは人員不足で願っても無いんだから!!」


 目を吊り上げたまま、フィンデルは感謝とも叱責ともつかない言葉を叫ぶ。



(……??)


 戒はわけも判らず、口を開けたり閉めたりしながら呆けていた。



「とにかく、二人をどこかに隠して頂戴……!」


 そんな中、フィンデルがシュナとパンリの手を素早く取る。



「良かったね、戒。」


 笑顔で戒を見上げる世羅。

 だがすかさず、フィンデルは続けて彼女の手も取るのであった。



「ほら!

 世羅ちゃんも…こっちに隠れ…」


「―――いやいやいやいやぁ……素敵だなぁ…」


 だが、そこで背後から響くロディの声。

 フィンデルは背筋の悪寒に身を硬直させ、事が既に遅いことに気付く。



「ここの軍隊、女性隊員が物足りなかった気がしたけど……ねえ?

 まだ、とびきりが、こんなにも残ってるじゃないか。」


 何の臆面もなく、緩みきった台詞を呟きながら近付いて来る優男を目の前に、戒が顔をしかめた。

 そして、さっきからのフィンデルの態度を理解する。



「よろしく、僕はロディッサ=フアリーデン。

 ロディと呼んでくれ。」


 持っていた大量の書類を放り投げ、早足で接近し、長年の友人を待ちわびたように両手を伸ばす彼。

 呼びかけられた彼女達は、反射的に手を伸ばして応える。



「―――素手で触ると妊娠するわよ。」


 だが、その直後にフィンデルが小さく呟いた。



「っ!!!」


 彼へと伸ばした手を咄嗟に上へかわす、蒼ざめたシュナ。

 一方の世羅は、両脇を戒に抱えられて身体ごと離されている。



「やだなあ、冗談だよ。

 …ねえ、フィンデルちゃん?

 ………ね?」


「……どうでしょうか。」


 ロディが苦笑しながら同意を求めた彼女は素っ気無く答え、全く目を合わせずに返した。



「…あ、あの……ところで、私は…男なんですけど。」


 彼の直視してくる熱い視線に耐え切れず、パンリが声を洩らす。



「あぁ……そうなんだ…これは失礼。」


 途端に残念そうに肩をすくめるロディ。

 そして素早く彼を横切り、改めてシュナに寄る。



「ところで―――君は紛れも無く女の子だよね?」


「あの……初対面でかなり失礼な目線なんですけど。」


 思わず一歩退いた彼女が、自分のバストに突き刺さる視線を気にしながら半眼で返した。



「いやいや、これほど立派なモノは凝視しないと逆に失礼にあたる。

 この魅力的なる肉体を創造せしめたる神様に感謝だね。」


 だが、顎を擦りながら真顔のままで返すロディ。

 さらに手を合わせて拝み始める彼の滑稽さに、シュナは呆れて物も言えない。



「そしてこちらは…」


 続いて彼は、世羅の身長まで屈んでその容姿を隅々まで見渡して微笑みながら言った。



「……いわばダイヤの原石。

 初めまして、美しいお嬢さん。」


「?」


 世羅は不思議そうな顔で、そして大きな瞳で彼を見詰め返す。



「世羅がダイヤで、私がおっぱいなの?

 納得いかないんだけど。」


「まあまあ、いいじゃないの。

 どちらも素敵なことには変わらないんだし。」


 シュナに突っこまれたことに、嬉しそうな苦笑を浮かべて弁明するロディ。



(…なるほどねぇ、副長殿がご機嫌ナナメなのは、こいつのせいか……。)


 バーグは渋い顔で腕を組みながら、彼の軽薄加減を見詰めていた。



「……アホか。

 行くぞ、世羅。

 奪われた俺様の戦闘騎を取り返すのを手伝え。」


 戒は、面白く無さそうに世羅の手を強く引いて行く。



「…………。」


 離れていく彼女の背と黒い手袋、揺れるリボン。

 それを、ロディは細めた目で追った。


 そんな自分の様子を注視しているバーグと、ふと目線が交わされる。



「よろしく。

 君がルベランセの専属の操縦士かい?」


「……ああ、バーグだ。」


 手を軽く上げるロディに、バーグは同様に返した。



「ん…不笑人わらわずびと……かな。

 君は。」


 その背後に立つザナナとも目を合わせる彼。



「………。」


 豹頭は厳しい目つきで、上から彼を凝視していた。



「……これは面白いメンバーだね、フィンデルちゃん。

 軍隊の中では気張らないといけないかなって心配してたんだけど、これなら僕も浮いてない。

 いやあ……安心したよ。」


「……そうですか。」


 肩を落とすフィンデル。

 そこへ、すかさずシュナが歩み寄った。



「すみません。

 早速ですが、お願いがあるんですけど。」


「……はい、何かしら?」


「ここの艦長さんに会わせていただけませんか。」



 彼女は一度床に置いた自分の荷物を抱え、情熱のまなざしを送っていた。






◆ ◆



◆ ◆



 バーグの危惧どおり、駐屯地は全体が閑散としていた。

 故に、戦闘騎や荷が集積している地点は遠目でも非常に目立つ。


 戒はそれらに向かって一直線に突き進んだ。



「……世羅。」


「ん?」


 途中、不意に声を掛けた彼に、大股で歩調を合わせている彼女が見上げる。



「お前はよ……今の自分のことをどう思ってる?」


「ボクのこと?」


 質問に不思議がって、世羅は聞き返した。

 対する戒は、仏頂面のまま小さく頷く。



「……とっても幸せ。

 たくさん仲間ができて、いつも誰かがそばに居てくれるんだもん。

 お師匠は、外の世界は恐い所だって言ってたけど……全然そうじゃない。」


「…外の世界?

 お前の師匠は何処に住んでんだ?」


 冗談交じりに訊く彼。

 頭の中では、あの夢のような光景を思い返している。



「えっと……」


 世羅は自分の下唇に指を当てながら、珍しく難しい表情をした。



「すごく高い山に囲まれているところ。」


 そして白い歯を見せて、大きく両手を開いて笑う。



「…本当はね、普通の人が行くのには大変な場所にあるんだけど……ある日、何故かボクが流れ着いてたんだって。

 全然おぼえてないけどね。」


「………随分、無責任じゃねえのか。

 そんなお前を一人で旅させるなんて。」


「ううん。

 お師匠は最後まで反対してたから。」


 世羅の言葉に、戒は口をつぐんだ。



「そこで修行してたみんなも、心配してくれたっけ…」


「どうして、そこまでして飛翔艦乗りになりたいんだよ。」


「…ボクが憶えていた、たった一つのことだから。」



 一言。


 あまりに単純で無垢な心からの一言に、戒は何とも言えない気分になった。



「もしも…何かを他にも思い出したら、真っ先に俺様に教えろよな。」


「戒に?」


 嬉しそうに見上げる彼女。



(ウェンウェンの奴は視力を……世羅は記憶を失ってる。

 あいつは……何を…)


 戒はその笑顔に重ねて、レティーンの神学校のことを再び考えていた。



(…まさか、このまま二度と目覚めることが無いっていうんじゃ…ねえよな……)



「…今日はどうしたの、戒?」


「ああ?」


 世羅の言葉で、現実へ引き戻され、大口を開けて返す戒。

 彼女は身体を左右に揺らしながら、さらに笑みを強めていた。



「何か、いつもと違うよ…」


「違わねえよ。

 俺様は俺様だ。」


 あえて否定するのも妙だなと思いつつ、戒は口走る。

 傍らで伸びをして、面前で整備中の機体にもたれかかる世羅。


 その髪と溶け込むような錯覚を覚える、濃い紫のメタリックカラーの戦闘騎だった。



「…今日はあったかいね。」


 そうやって目を閉じる彼女の肌は、そこから反射した陽の光を浴びて輝いている。



「!!」


 だがそこで、鈍い音と共に世羅の身体が飛んだ。



「―――俺の『クモサ・クァターナ』に触るな。」


 彼女の肩を突き飛ばした少年が、腕を伸ばしたまま上から睨みつけている。


 着用したツナギにかなりの余裕がある、線の細い身体。

 その目元は落ち窪み、異様な雰囲気を放っていた。



「……あ、ごめんごめん。」


 地に尻餅を付いたまま彼を見上げ、半笑いで返す世羅。



「今度からは、気をつけろ。

 クソガキめ。」


 そして彼は悪態をつき、手にした布巾で彼女が背中をもたれていた部分を神経質に拭き取り始める。


 途端、横に激しく揺れる戦闘騎。



「―――?」


 彼が視線を泳がせた先。


 両手を修道着のポケットに突っ込んだまま片足を上げ、土が付いたブーツを戦闘騎の腹に

めりこませている戒の姿。



「お…おまえ!!」


 一気に逆上した少年が詰め寄る。

 戒はそこを狙って、彼の襟元を絡めとってくびり上げた。



「あんまりナメた真似すると……殺すぞ。」


 こめかみを痙攣させながら、尋常ではない視線を降ろす戒。



「……ふざけんな。

 死ぬのは、てめえだ!」


 だがその少年は、まるで臆さずに腰から拳銃を抜くと、戒の脇腹に銃口を押し付ける。



「……撃ってみろ。

 だが俺様が死ぬ前に、てめえの首をへし折る。

 絶対、へし折るからよ。」


「戒!

 ボクは大丈夫だよぉ!!」


 世羅は何度も小さく飛び跳ねながら、それを必死で止めようとした。

 だが、両者は膠着したまま動かない。



「……あ〜。

 すんませ〜ん、こいつ、礼儀知らずで。

 また、何かやりましたかぁ?」


 そこへ、のっそりと近付いて来る、太った男。

 ポップコーンの入った大きな容器を手にし、その体に似合わず、口ぶりは軽い。



「向こうへ行っていろ、マルリッパ。

 俺の問題だ。」


 その声に、初めて気を逸らす少年。



「コルツぅ、喧嘩は良くないよ〜。

 ……ねえ?」


 太った男は世羅に近付き、その頭上に手の平を乗せて同意を求める。

 世羅は無言のまま、何度も大きく頷いた。



「……命拾いしたな。」

「それは、てめえだろ。」


 やる気を削がれ、同時に離れて唾を吐く二人。



「新しい機体の調整、完了したのか。」


 その中でコルツのみは向き直り、問いただした。



「うん。

 いい感じだよ。 僕のベイン=ザートロ。」


 そして返すマルリッパの目線の方角に、戒が顔を向ける。


 見慣れた機体が、弾薬と積荷の奥に覗いていた。



「あれは……俺様の……」


 呟き、機体へとにじり寄る戒。

 コルツは、怪訝そうな顔でそれを追う。



「……む!?

 こ…この……野郎―――」


 だが、戒はすぐに戦闘騎から離れ、帰って来るなりマルリッパに掴みかかった。



「操縦席に菓子のカスが散らばってるじゃねえか!!」


「え?

 だってこれ……僕が使っていいって言われたから…」


 目を大きく見開き、口の周りについたポップコーンの粒を舐め取る彼。



「ふざけんな!!」


「…さっきから、ふざけてんのはどっちだ。

 突然やってきて…一体、おまえ達は何者なんだ。

 正規軍ではないようだが…」


 今度はコルツが両者を引き離す。



「義勇兵だ。」


「……義勇兵だと?」


 彼は、小馬鹿にした表情で戒を睨んだ。



「…マルリッパ!

 そんな戦闘騎、返してやれ。

 四枚羽根でオートジャイロ付きだなんて、素人くさくて俺の部隊には相応しくない。」


「う〜ん……結構、気に入ってたんだけどなァ……。」


 彼は、本当に残念そうな顔で答える。



「つべこべ言わず、ヘタレの軍人どもは黙って俺様の言うことを聞きゃあいいんだよ。」


 一方、戒は尊大な態度を崩さない。



「おい、おまえ。

 俺の部隊を他の連中と一緒にするなよ。」


 聞き捨てならないとばかりに、深い灰色の腕章を撫でながら、コルツは返した。



「……デスタロッサ隊は、戦闘騎のエリート集団だ。

 しかも、隊長の俺は、天命人なんだぜ?」


「なんだと?」


「へへっ…」


 おもむろに袖をまくり、誇らしげに腕の紋様を見せる少年。

 だが、それは明らかに『ただの刺青』であることが、真の天命人たる戒には判る。



(こいつ……!?)


 さらにその上の腕から覗く、赤ずんだ幾つもの斑点を認める彼。


 それは昔、貧民街でよく目にした注射器の針の跡であった。

 自分が同情するような顔つきに変わっていくのを感じ、戒は顔を背けた。



「……行くぞ。

 あとでちゃんと、この機体はルベランセまで戻しておけよ、ブタ。」


 マルリッパからポップコーンを分けてもらっていた世羅の腰のベルトを掴んで持ち上げ、踵を返して

去り行く戒。



「ブタ……」


 彼は鼻を鳴らし、さらに苦笑しながら頷いた。



「くそ……あんな素人が幅をきかせるなんて、中王都市軍も堕ちるところまで堕ちたぜ。

 しかも、今度の任務は輸送艦の護衛とか言ってやがる。」


「まあ、うちらはうちらで頑張ればいいんじゃないかな。

 普段どおりに。」


「チッ……」


 舌打ちと共に、片手で頭を押さえる彼。



「大丈夫かい? コルツ。」


「うるせえ!

 薬が切れちまって…イライラしてるんだよ……。

 売人の野郎……トラブルで予定の仕入れが出来なかったとかほざきやがって…」


「……これを機に止めた方がいいと思う。

 もしも、デスタロッサ卿に知られたら……」


「クソ親父のことは言うんじゃねえ!!」


 コルツが声を昂らせる。



「……一度仕事に出たら何年も家に帰ってこねえような野郎に…、今さら口出しなんてさせるか。」


 息を荒げながら、彼は続けた。



「あぁ……頭いてえ……。

 こんな時に……戦場じゃなくて護衛だと?」


 軋む、熱をもったひたい



「…殺し合いしねえとよ……この疼き…止まらねえじゃねえかよ……」


 彼は呻いた後、自分の機体に生爪を立てた。





「……なんか色々あったけどよ…世羅も元気出たようだな。

 お前はどう思う?」


 機体の脇で屈み、大きなネジを手で転がしながらバーグが言った。



「…不思議だ。」


 白い槍を肩に乗せて、厚い鉄で出来た格納庫の壁に寄りかかったまま返すザナナ。



「笑うことにも、たくさん種類があるようだ。

 世羅の笑顔は……戒が帰って来る前と後では…どこか違うような気がする。」


「へえ……良く見てるじゃねえか。

 気が付けば、随分と言葉使いも上手くなっているしよ。」


 そこでバーグは煙草を胸ポケットから取り出すが、格納庫では厳禁であることに気付いて元に戻す。



「…詰まるところ、どうなんだ。

 戒も世羅も…成り行きでお前を連れ回しちまった形だが、このままルベランセと共に行くつもりはあるのか?

 俺としては……お前が艦内に居てくれりゃ、心強いが。」


「ザナナは無理矢理、連れ回されたとは思ってない。

 迷惑とも思ってない。

 それは、これから先もずっとだ。」


「………。」


 無造作に立ち上がり、無言でザナナの背中を強く叩くバーグ。



「……?

 何の意味がある?」


「意味なんてねえよ。」


 問う豹頭に、彼は笑いを噛みしめて背を向ける。

 そこで、搬入口から戻って来る世羅と戒、二人の姿を認めた。



「おい、世羅ぁ。

 ザナナの奴、もっとお前の笑顔が見たいって。

 これからも一緒だとよ。」


「!!」


 その言葉で駆け寄って、世羅は勢い良くザナナに抱きついた。



「………。」


 彼は目を丸くして、ずれた着物を直し。

 彼女を見下ろした後、すぐに顔を天井へと向ける。



「それはそうと……戒、戦闘騎は取り戻せたのか?」


「…何とかな。

 それより、他の連中はどうした?」


 バーグに答え、さらに問い返す戒。



「ミーサは機関部の最終調整だ。

 副長…いや、フィンデル艦長は客室にいるぜ。

 何やら、面接がどうだとか…」


「面接だと?」


「いや、驚いたぜ。

 艦長になってたとは。」


「役職なんざ、どうだっていい。

 それより…」


 独りで呟くバーグを横切り、嫌な予感と共に螺旋状の階段を見上げる。


 艦内の廊下へと続く扉の前には、そわそわしているパンリの姿。



「…あ、戒さん……大変なんです、シュナさんが!」


 戒の様子に気付いた彼は、いやに慌てた様子で言った。



「シュナの奴がどうした?」


「……ルベランセ専属のコックになるために……今、面接を…」


「何だとぉ!?」


 戒は一気に青ざめて、階段を駆け上る。



「待て、待て待て……。

 あんな女に居つかれたら、俺様の平穏な空の旅が脅かされるぞ……。」


「……でも、そんなに簡単に軍隊で採用されるでしょうか…」


「馬鹿! あいつの処世術を甘くみるな。

 お前も知っているだろ、あんな飲み食い処で沢山の客を相手にしていたんだ。

 ここの軍人をたぶらかすことなんて、造作もあるか。」


 そんな彼の言葉に、息を飲み込むパンリ。



「……あ、あの…それじゃ……戒くんはシュナさんがここで働くのは反対なのですか。」


「…お前には、これが歓迎しているように見えるのか!!」


 足を止め、睨み付ける戒。

 パンリは思わず萎縮する。



「そ、それじゃあ、例えば……。

 いや、あくまでも例えばの話なんですが―――私の方が…都合……いいですかね?」


「んん?」


 若干の静寂。



「お前……もしかして、ルベランセに乗りたいのか?」


「そ、空に……ちょっと興味があります……かな、なんて……」


 もじもじとして、今にも消え去りそうな声を出すパンリ。



「早く言え!

 ……早く言えっ!!」


 彼のフードをわし掴みにして、戒は廊下を引きずって行った。





「…つまり、料理の腕に自信あり、と。」

「さらに艦内の防衛にも役立つって?」


 卓を挟み、フィンデルとリードが続けざまに声を上げた。



「はい。

 教会の聖弓隊に属してましたから。」


 水色を基調にしたギンガムチェックの柄のスカート、そして襟。

 非常に若く、瑞々しい、対面に座る彼女―――シュナはわざわざ着替えて面接を受けている。



「それって…やっぱり、弓が得意ってこと?」


「大陸全体で見ればそうでもないでしょうが、隊の中では一番の腕でした。

 おまけに神学校では生徒会長もやってましたし、人格にも自信があるつもりです。」


 大弓を片手に握ったまま、大きな胸を張るシュナ。

 言葉とは裏腹に、眩いばかりの自慢と自信が全身から滲み出ている。



「と、ところで聖弓隊の制服の丈って、そんなに短いの?」


 フィンデルが何気なく訊いた。



「え? そんなに短いですかぁ?」


 元気良く答え、急に片足を振り上げて大袈裟に弓を構えるシュナ。



「わ!?」


 短めのスカートが目の前でひるがえり、リードは思わず顔を下に向ける。



「あ……見えちゃいました?」


 笑って、スカートを抑える彼女。



「み、み、み、見てない、見てない!!」


 前を向き、慌てて否定するリード。

 だが、シュナはその眼前でさらにスカートを全開に捲くり上げる。



「ふふっ……残念ー、下はスパッツです。」


 舌を出して笑う彼女。



「あ…ぅ…!!」


 咳き込みながら、リードが呻く。



「…で、どうするの?

 保安の責任者さん。 この子を採用するわけ?」


 その横で、明らかに冷たい視線を突き刺すフィンデル。



「いいわよね、若いし。

 そのうえ美人で、制服も可愛いし。」


 トゲのある口調で彼女は続けた。



「か、勘違いするなよ、誰がこんな子供に……。」


 リードは口を動かしながらも、その目線は確実にシュナの肢体へと注がれている。



「…でも……見たところ怪しい人間じゃないと思う。

 それに、食事が良いと乗組員の士気も大いに盛り上がりそうじゃないか…!!」


 両の目を強くつぶって、彼は最後に叫んだ。



「それじゃあ、決まりですね?」


 満足そうな表情で微笑み、立ち上がるシュナ。



「―――待て。

 俺様に断りも無しに、何を勝手な密談をしているんだ、お前らは。」


 そこでノックも無しに扉を開き、部屋に乱入するのは戒だった。



「ルベランセ搭乗志願者は、一人だけではないというのに。」


「はあ?

 私以外、誰がいるっていうのよ?」


「ところが、いるんだよ。」


 シュナと真正面から対峙する彼。

 その背中から恐る恐る顔を出すのは、パンリだった。



「誰だ、君は。」


 途端に警戒する視線を投げかけるリード。



「…わ…わたっ……パンリとっ…言いまぅ…」


「おどおどするんじゃねえ!」


 戒が勢い良く、彼の後頭部を叩いて押す。



 バランスを崩して、前につんのめるパンリ。 

 そのせいでフードが外れ、毛の生えた長い耳が露になる。



「……蛮族…!」


 それを見た途端、リードが低く声を発した。



「…垂耳というらしいが、文化はそれほど俺様達と変わらん。

 そこの性悪女よりも、こいつの方が馬鹿正直だから信用がおけると思うぞ。」


「お、お願いします…」


 戒の紹介に預かり、深々と頭を下げるパンリ。



「……今は、特別な任務の途中でな…別種族の者はちょっと…」


 動揺を抑え、リードはやんわりと言った。



「…正直に言いますけど、私も巨族の血が入ってます。

 種族が信用に関わるんですか?」


 シュナが頭のカチューシャに触れながらこぼす。

 対する彼は、顔を難しい表情に変えた。



「…普段ならともかく……今回の作戦は、なるべく中王都市の人間のみで構成したい…。

 だからこそ、この艦で働く蛮族も全て転属させたんだ。

 スパイ防止ということを視野に入れた時のリスクを計算するとそうなる…」


「計算だぁ?

 それじゃあ、ザナナの奴も乗せられねえって言うのかよ。」


 戒が凄んだ。



「ゴーベ越えの一件で、彼には信用がある。

 だが、彼等にはまだ…」


 それに答えた後、二人を見るリード。



「もちろん、何かを企んでいるようには見えないけど……。

 そうやって、過去に二度も騙されているからな…」


「…ところで貴方は、何が出来るのかしら?」


「え?」


 そのような問答の中でのフィンデルの発言に、パンリが反応する。



「…あの……実は私、これといって何も…」


「こいつも料理が作れる。

 家庭的な味だが、まあまあいけるぞ。」


 まごつく彼の前に出て、すかさず戒が言った。



「料理…!?」

「―――ですってぇ?」


 パンリ自身の驚く声に混じり、シュナの馬鹿にしたような声が響く。



「……わかったよ。

 そうなると…どんなに妥協しても、どちらか一名だ。

 この飛翔艦に料理人は二人も必要ない。」


 肩を落としつつ、脇へ目配せするリード。



「…問題は…どちらを取るか、よね。」


 その先のフィンデルが、暗い面持ちで返した。



◆ ◆



 オルゼリア領は広大である。



 敷地の殆どを占める、切り拓かれていない森林。

 その豊かな緑の中心部に、目的の屋敷は在った。


 先日、軍隊による夜宴が開かれた宮殿よりも遥かに小さい建物である。



 そこで待つ銀鎧の姿を認め、手綱を引いて馬を止める彼女。



「……急な呼び出しですまない。

 長旅で疲れているというのに。」


 マクスは近付き、綺麗な装飾の入った円盤状の容器を開ける。

 そして、そこから角砂糖を摘み出し、クゥの馬に食べさせてあげた。



「…いえ、平気です。」


 久方ぶりの彼との対面に、彼女は緊張した面持ちで下馬をする。



「お預かりしましょう。」


 すると、屋敷に面している馬車小屋から、粗末な服装の男が出てきて声を掛けた。

 それに従うようマクスが示すので、手綱を渡す彼女。



 名家と称される割に、盛大な門が出迎えるわけでもなく、質素とも思える住まいだった。


 古めかしい音を立てて玄関扉が開くと、目の前に広がる、薄い絨毯が敷かれた廊下。

 想像以上に使用人も少なく、稀に見かけても、年配の者のみが雇われているらしい。



 二人が無言のまま辿り着くのは、とある一室。

 クゥは、ここが目的の場所だということを察した。



「マクス様、帯剣はあまりにも失礼では……」


 そのまま入ろうとする彼の様子に、彼女が声を上げる。


 貴族の礼儀対策として、既に荷物は馬と共にした。

 さらに服装は散々悩んだ挙句、鎧姿はあまりに失礼と思い、皮のパンツとブラウスという軽装を選んだのだ。



「私には、『これ』でなくてはならない理由がある。」


「?」


 彼女の視線をかわしながら、そう言って彼は扉を叩いた。





 アルドの叛乱時には、今の大団長ザイク=ガイメイヤと共に大陸十字軍の遠征に初回より参加し、勇名を馳せ。

 以来、10年前まで白華の小団長に在任。


 さらに、その以前から由緒ある家柄として領地を守り続け、民心を治めてきた人物。



 ジェダス=オルゼリアは、上半身のみをベッドから起こして書にふけていたようだった。



「…おお……マクスか。

 良く来たのう。」


 開いた扉を横目で確認し、手にしたペンを一段落させて呟く彼。

 いかめしい顔つきを隠していた老眼鏡を置いてから、改めて向き直る。



「ん?」


 そして、銀の大鎧の傍らに侍るクゥの姿を目に留めて、彼は思わず身を乗り出した。



「急ぎで参りましたゆえ……これといった祝いの物が用意できず、申し訳ございません。

 せめて挨拶だけでもと思い…」


「よ……よいよい!!」


 丁寧に頭を下げるマクスに対し、歓喜の声を上げる彼。



「オルゼリア家いちの堅物が……こんなにも若い女子を連れてくるとは……!

 それが何よりも祝いじゃ!!」


「……あ、いえ…あの……」


 興奮してまくしたてる彼の言葉に、クゥが口ごもる。



「何を仰っているのですか、父上。」


「……?」


 淡々としたマクスの反応。

 その様子をさすがに不思議に思い、彼はゆっくりと腰を落ち着けた。



「彼女は、これから任務を共にする、私の新しい『仲間』です。

 父上にもぜひとも紹介を、そう思いまして。」


「仲間…?

 ……何じゃ、つまらんのう。」


 ジェダスは呟いた後、窓の外の景色を遠い目で眺めてから、急に二人の方へ向き直った。



「わしは長男には地位を、次男には名誉を、三男には財産を遺してやれる。

 だがマクス、お前には何も遺してやれん。

 そればかりが心残りと思っておった。

 せめて女房くらい、何とかしてやりたいのじゃがどうか。

 ん?」


 その早口と視線に、彼女は顔を上気させて、遂には完全にうつむいた。



「あまりからかわれますな、父上。」


 それを見かねて、呟くマクス。



「…ホントに堅い奴じゃな。

 まったく聖騎士の鎧が良く似合っておるわ。」


 一方、年甲斐も無く口を尖らせるジェダスの姿に、思わずクゥは笑いを洩らした。

 それを見て、彼も会心の笑みを返す。



 ―――この名家の当主は何とも気さくであり、ごく自然な形で胸襟を開け広げていた。


 初めての出合いであるというのに、どこか心を許してしまう。

 無い者には絶対に得られない、ある種の人望というものをクゥは肌で感じた。



「ところで不自由は無いか。

 聞くところによれば、大団長の独断で白華を離れさせられたそうではないか。」


「……はい。

 ですがそれは…」


「何か文句があれば、ガイメイヤの奴には、わしからきつく言っておいてやるぞ。」


 息子に対する目も威風があり、大らかだった。



「よいか、お前は聖騎士なんじゃ。

 正直な話、有事の時には騎士団の体面なぞどうでも良い。

 常に己の正義と信念を貫くことを忘れるのではないぞ。」


「肝に銘じます。」


 一礼をして、踵を返すマクス。



「…何じゃ、ゆっくりしていかんのか?」


「申し訳ありません。

 任務が差し迫っておりますゆえ。」


「長男のユビタスは、相も変わらず白華の任務。

 他国へと養子にもらわれた次男は易々と来れんときとる。

 寂しい限りじゃ。」


 あえて、クゥに説明するように訴える老人。



「ここには、いつもルータス兄様がいるではありませんか。」


「あれは本の虫じゃて。

 …やれやれ。

 この身体が、いっそのこと危篤にでもなれば、もっと心配されるじゃろうか。」


「冗談が言えるうちは、まだまだ壮健でしょう。

 では。」


 マクスは首を軽く傾げ、扉へと向かう。

 後へ続くクゥには、それを見送るジェダスの安らかな顔が印象的だった。





「すまないな。

 たかだか、このようなことのために呼び出してしまって。」


 廊下を歩みながら、マクスが言った。



「……いえ、私もお暇を頂きましたので…」


 クゥは、そこまで口にしたところで思わず言葉を止める。


 ここへ来たのは、何も休暇の見返りのつもりでは無い。

 だが自分の口を出たのは、皮肉とも捉えかねられない語句。



「しかし…すみません……。

 結局、母の墓へ行くことは出来ませんでした。」


「?」


 話題を逸らすために発した彼女の言葉に、マクスは片眉を上げた。



「父に構っていたら、忘れてしまって……。

 せっかくお暇をいただけたのに…申し訳なく思っております…。」


「口では何と言っても、君もまた父上を好いていると見える。」


 微笑みかける彼。



「わかりません…それだけは。」


 それに対して呟く、クゥの横顔。


 父親の話に及ぶと、彼女はひどく哀しい目をする。

 マクスは、それを随分と前から気付いていた。



「……すみません。

 この感情は、きっと良家の生まれの方にはわからないと思います。」


 彼女は続ける。



 無論、貴族にも沢山の苦労があるに違いない。

 だが、それは優雅な生活や奔放な生き方と代替することが出来る。


 平民からすれば、肉親との確執は人生や性格を変える問題なのだ。


 いわば人生の選択肢の差が、余裕に繋がる。

 先のマクスとジェダスが互いに交わす空気を見ていれば、クゥにはそれが良く解った。



「……ふ…」


 そんな彼女の目の前で、マクスは微笑みを増す。



「…何ですか?」


 現在、正確には部下と上司の関係では無いが、身分の違いと格の差は歴然。

 だが面と向かって笑われる道理は、流石に無い。


 彼女は彼の態度が理解できぬまま、強い口調で聞き返した。



「学生の頃、ヂチャードにも同じようなことを言われた経験がある。」


 和やかな口調で述べた後、一瞬、間を持つ彼。



「クゥ。

 私は…オルゼリア家に生まれた者ではない。」


「……?」


 クゥは無意識に、廊下の壁をなぞる銀の指先を追う。



「完全な養子……それも叛乱軍の国の子だ。」


「!?」


 彼は冗談を言ったのであろうか。

 彼女はあまりに唐突にかけられた言葉に戸惑った。



「私は戦火の中で拾われ、父上の慈悲で生き延びた身なのだ。」


「それは…」


「騎士団の中では、ヂチャード以外は知らん。」


 暫し、お互いに言葉を止める。



「…何故……そんな大事なことを私に話すのですか。」


「それも、ヂチャードが同じ事を言ったな。」


 静かに目を閉じる彼。



「単純に…信頼を得たいからかもしれん。」


「私の……ですか?」


「そうだ。

 可笑おかしいか?」


「信じられません…。

 それに解らない……聖騎士様がそんな…」


 クゥは、表情を何も作れないまま呟いた。



「その聖騎士が、この重苦しい鎧を窮屈に感じると言ったら…もっと可笑しいだろう?」


 甲冑に包まれた自分の右手を上げて言う彼。

 流した目線は、窓の外のただっ広い草原へと放たれていた。



「……はい。」


 その脇で、彼女は正直に返す。



「私は、およそ父上が言うような正義も信念も持ち合わせていないと自分で思う。

 ……今となっては、そう言っていられないのだが。」


 彼は冗談と共に、再び廊下を進んだ。


 そして、突き当たりに扉。

 開けば、そこは馬小屋へと繋がっていた。


 マクスは白い駿馬に近寄り、手甲を外した後、素手でその顔を撫ぜる。



「はじめ……私が何故、帯剣したのか不思議だったろう?」


 その彼の言葉に、クゥは頷いた。



「父は足を病んでから、最初の誕生日に、その私の出生の秘密を語ってくれたのだ。」


 彼は続けながら、腰にかけた銀の柄を握り締める。



「以来、こうして年に一度、『斬る機会』を与えてもらっている。

 変わった人だろう?」


「あの方を仇として、復讐の念を抱いたことは…全く無いのですか?」


「真実を聞いた瞬間は……何とも言えない心地がした。

 初めは知りたくなかったという気持ちだ。

 だがやがて、真実を教えて下さった父上に感謝できた。」


 問う彼女に、マクスは毅然とした視線で返す。



「当時の情勢で、しかも名門の者が急に赤子を連れ帰って来る…。

 その覚悟がどれほどのものか、想像には難くない。」


 そして、口にほのかな笑みを浮かべた。



「現に、父上は私を連れてきた直後、妻に離縁を突きつけられたそうだ。」


 続けざまに、心底おかしそうに聖騎士は笑う。



「ひょっとしたら彼は、私の親兄弟を殺したのかもしれない。

 だが、この心の何処を探しても、あの人を殺すという考えは微塵も見付からぬ。

 …血の繋がりが無くとも、父というものは私にとっては、それくらい掛け替えの無いものなのだ。

 だから、本物の親子というのは、さぞかし絆が深いのだろうと単純に思う。

 ……間違っているのなら、言って欲しい。」


「…血が繋がっているからこそ…かえって、わだかまりがある場合もあると思います。」


 クゥは淡々と返した。



「私の父は、女には夢よりも義務を押し付けます。

 そういった愛情を、私は好きになれません。」


「夢?」


「女でありながらも、父のように強くありたい……そう願うことは悪いことでしょうか。」


 そんなクゥの声を聞きつけ、彼女の馬が向こうの柵から顔を出す。

 マクスはその様子を見て、目を細めた。



「クゥの気持ちと、その父親の気持ち。

 私はどちらも理解できる。

 それを量り、一方を選ぶ事はとても困難だ。」


「でも、無理にでも選ばなければ人は生きてはいけません。

 貴方も聖騎士という道を選ばれたのだから、お解りになると思います。」


「血の繋がりが無い方が視野が広がり、よりお互いをいたわれることもあるというわけか。

 ……君と話していると、ためになる。」


 その言葉に、クゥは下を向いた。

 彼を見ていると、自分がとても小さい人間で、情けなく、恥ずかしく思えてくる。



「…いいえ、私の心は醜いのです。

 一つもためになることなどありません、聖騎士様。」


 瞳を一点に固めて、小屋の中の虚空を見詰める彼女。



「私は母を病で亡くした時、家庭を顧みなかった父を罵りました。

 ですが、その後……分かったのです。

 本当は天命人であった私の所為せいだということが。」


 その言葉の端々から伝わる苦痛に、マクスが振り向く。



「だから私は……自分が天命人だということを父に話していません。

 恐いのです。

 母の死に目に会えなかったことを今度は私が罵られる番だ、そう思うと。」


 乾いた瞳が、そこで潤っていくのが伝わった。



「でも、いつか近いうちに……このことを正直に明かして謝ろうと思っていました。

 ですが…この間、連れて来た客人に対し、まるで家族のように振る舞う父を前にして…。

 私は…激しく嫉妬し、その場から逃げることで精一杯になりました―――」


 ブラウスのボタンを上から外し、襟からはだけ、右肩を露にするクゥ。

 肩からわきの下を通り、縦に一周して光る輪。


 彼女が怯えているのを察し、マクスは近寄った。



「自分がもがけばもがくほど、この天命の輪の『さだめ』のとおり、肉親とはどんどん離れていく。

 貴方は……天命人として…さだめを背負い…恐ろしいと思ったことはありませんか?」


 声を振り絞る彼女。



「私は…聖騎士に選ばれた時、さだめ以上のものを背負った。

 さだめを恐れたくないのなら、それさえ忘れてしまえるような大事なものを作ればいい。」


 マクスは言葉を強く発した後、優しく彼女の肌に触れた。



「……また、私は簡単に言っているだろうか。」


 彼の呟き。

 続く、たとえようの無い間。



「いえ……」



 彼女が何かを口にする寸前で、不意に扉が開かれる。



「―――帰ってきたんだって?

 マクス……!」


 突然現れる笑顔の男性。

 だが、彼の目に飛び込んでくるのは、上着をはだけたクゥの姿。



「す、すまん!!」


 叫び、すぐに退散する彼。



「あ、あの方は……」


「…兄上だ。」


 慌てる彼女を制し、マクスが軽く笑う。



「いや……まさか堅物のお前が…馬小屋でそんなことしてるなんて……」


 扉越しに呟き、二人の様子をじっくりと確認しながら、うかがう彼。


 細身で眼鏡顔。

 いかにも書生といった、袖や襟にひらの付いた薄服。


 そして片手には、学者を絵に描いたように厚い本を抱えている。



 マクスは困ったような顔つきで、だが特に弁明もせずに、彼の袖を扉越しから引いた。



「紹介いたします、兄上。

 私の新しい仲間のクゥ=ハウド殿です。」


「…あ、ああ。

 このオルゼリア家の三男、ルータスだ。

 いつも弟が世話になっている。」


「いえ。

 こちらこそ……。」


 クゥはしっかりと上着を直した後、一礼をした。



「何の御用でしょう、兄上。」


「…ん?

 だが、お楽しみ中の弟の邪魔をするわけには…」


 からかい半分のルータスの口調に対し、マクスは軽く咳払い。

 彼はそれに思わず身を縮ませる。



「そうだな……いいか。

 おい! ちょっと来てくれないか。」


 呼びかけると、廊下の一室から飛び出して来る男の姿。



「聖騎士殿!!」


 若く猛々しい、短髪の健康そうな青年がマクスを目にするなり猛烈な勢いで近付いてくる。

 身に纏った鎧には赤のライン。



「自分は、赤華所属のヒュベリと申します!」


「私の友人だ。

 お前が帰還していることを教えたら、ぜひ会いたいと騒いでな。」


 ルータスは付け加えた。



「ご存知ありませぬか!

 この度、急に我が軍が撤退させられた理由を!」


 それを皮切りに、赤華の彼は早口で捲くし立てる。



「我々はこの度、急に遠征の任を解かれ……どの団員も戸惑っております!

 飛翔艦全隻、およびその武装、戦闘騎。

 全てを北のゴルゴートへ撤退ですよ!!」


「……ゴルゴート?」


 聞き返す素振りを見せるマクス。

 そこは、次の任務先と聞いていた。



「はい!

 理由も告げられず、全員が長期の休暇を申し付けられました。

 しかも誰も知らぬ基地施設にです!!

 これでは納得がいきません……。」


 ヒュベリはうつむき、震える拳を握りこむ。



「大団長の命で、ごく少数の武装を貸し出すことは良くあることですが…。

 こんな大規模で無遠慮なやり方は前例が無い!」


「……私は何も存じません。

 すみません、お力になれず。」


 聖騎士は低い声で返し、会釈のように小さく頭を下げた。



「あ!

 いえ……自分も少し感情的になりすぎております。

 聖騎士殿が知る由も無い……それは分かっているのですが…どうにも納得が…。」


 そのような態度が、幾分彼の興奮を和らげたのか、ヒュベリは鼻から大きく息を吐いて言葉尻を小さくして呟いた。



 そして無言のうち、クゥと目線と合わせるマクス。

 胸に浮かんだのは、自分に先駆けて旅立った、一人の親友に対する危惧だった。



◆ ◆



 日中だというのに、ほの暗い。

 老人の如く痩せ細った四肢のような枯れ木の枝が、空に向かって伸びる沼地の森。



 鳥の羽音かと思って耳を澄ますと、強弱のついた口笛のような音が反響していた。


 思わず見上げる先に、枝に止まった一匹のふくろうと目が合う。



「……おまえか?」


 その梟は、呟くヂチャードに向けて、首を傾げて見詰めていた。



「鳴き声が……違うよなぁ。

 梟は『ホー、ホー』だ……。」


 小さく呟いて笑い、再び灰色の地面を一歩踏み出す彼。



 そこで背後から、かすかに動物の吐息を感じた。


 ヂチャードは完全には振り返らず、そばの大木に寄りかかり、背後をうかがう。



 遠くの木々越しに見える、頭から外套を被った不気味な集団。

 急に自分の姿を見失ったことで、彼等は少し動揺しているように見えた。



(……真っ昼間から、賊かよ。

 …ここの治安の悪さも極まったな……。)


 屈み、枯葉と雑草を掻き分けて、道無き道を進むヂチャード。


 元々、市の中心部から離れた4番街だったが、その距離はさらに遠く感じた。



 数十分もの間、その体勢のままで森を抜け、粗末な教会をようやく目に留める。


 息をつき、差し足を緩める彼。


 相変わらず敷地はそれなりにあるものの、そこは自分が世話になっていた頃よりもさらに痛んで見えた。



 そばの畑で野菜を掘り出す作業をしている子供達。

 その中の一人が自分を発見すると、場がにわかに色めきだつ。



 ヂチャードは服の汚れを叩き、笑みを浮かべて軽く手を上げた。



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