3-1 「同級生」
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This story is a thing written by RYUU
Air・Fantagista
Chapter 3
『Wivern in central kingdom city』
The first story
'Glassmate'
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「―――おい! シュナっ!!」
厨房に響く、野太い叱咤の声。
いつものこと。
そう分かっていながら、その場のコック達は全員、作業の手を止めてその光景に目を向けた。
「なんだか、今日は客の入りが悪いみたいだなぁ!!」
声の主―――料理長のボングは、閑散とした店内を覗きながら。
そのようにわざと大声で喚き、厨房の隅にいる娘を睨みつける。
「……だから…何?」
カチューシャで締められた薄茶色の髪を掻き上げ。
床を磨いていたモップに体重を預けて、不遜な態度で言い返す彼女。
「…おいおい、鈍い奴だな。
もう掃除はいいから、客引きでもして来いってことだ。」
「嫌よ。 何で私がそんなこと…」
「けッ!!
おまえ、何のために、そのでけえ胸を二つもぶらさげてんだよ!!」
下品な言葉と共に、まな板に包丁を突き立てて指差す彼。
そこで流石に、周りの者達も気の毒そうにお互いの顔を見合わせる。
「…好きで、でかくなったんじゃないわよ!!」
売り言葉に買い言葉。
尻ポケットにねじ込んでいたコック帽を、床に叩きつける彼女。
「ほぉ……神学校って所は、よほど礼儀を教えないと見える。
いっちょ前に意見する前に、『どんな仕事でも喜んでやらせていただきます』って言え。
お前の出戻りをお許しになった、ご隠居とこの店に感謝する気持ちがあるんなら、な!!」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
自分を完全に見下している彼の視線と言動に対し、彼女は半ばヤケクソ気味に腰のエプロンと上の調理着を脱ぎ捨てて、
黒のタンクトップ姿になる。
そして途端に揺れ踊った豊満な胸に、目を奪われる若いコック達。
彼女はそれらを一通り睨み回してから、足踏みを強めて厨房を後にした。
「……ちょっと、シュナちゃんに厳しすぎませんか、料理長…。」
脇にいた一人がボングへと近付き、囁く。
他の者も皆、口に出さないまでも迫り寄って、同じ意を示していた。
「……いいんだよ。」
それらを遮るように答え、ジャガイモの皮むきを始める彼。
「それよりも、くだらんことを考える前に手を動かせ。
俺たちゃ、料理人なんだからよ!」
そしてごつい体格にも関わらず手先器用に、切った皮を山盛りにしていく。
嫌に淡々とした彼の態度を眺めるうちに、周囲に集まった者達も観念して、何事も無かったかのように
自分の持ち場へと戻っていった。
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エア・ファンタジスタ
Air・Fantagista
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第三章
中王都市の飛竜
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第一話 『同級生』
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「いらっしゃーい!
おにーさん、寄っていって!!」
顔を思い切り引きつらせながら、営業スマイルの彼女。
「ふむ……」
それに対するは。
偶然に店の前を通りがかった、髪をポマード油できっちりと七三分けにした身なりの良い青年。
エンジ色の礼服に、金と宝石の散りばめられた肩飾りと胸飾り。
絵に描いたような貴族風のいでたちをした彼は、真剣な顔で目の前の大きなバストをじっと見詰めだす。
(…この野郎……あからさまに見やがって…!!)
シュナは死角で拳を握り、こめかみと口角を痙攣させながらも、作り笑いを演じ続けた。
「高貴な私にとっては品位不足も甚だしい、みすぼらしく汚い店だ。
しかし、これも庶民に対する『助け』と思えば、特別に使ってやるのも悪くはないだろう……。」
男は彼女の胸から店の外観に目線を移し、気取って呟く。
そして続けざまに、後ろに連なる、ごろつきの集団に向かって号令をかけた。
だが聞こえていないのか、その集団は全く動く様子を見せない。
「……いいですよね、テツジさん?」
数秒後、その集団の中心ででたたずむ着物の男に、うかがう彼。
「…好きにしろ。」
その男の呟く一言で、集団は途端に色めきだつ。
「今度は上等のワインがあるといいわねぇ。
前の町の酒はドブみたいに臭くて、とても飲めたもンじゃなかったから。」
集団から頭を出し、先陣を切って店に入るのは、厚化粧と口紅をした気味の悪い長身の男。
あちこちが網目状になっている服が、その不気味さに拍車をかけている。
「おいら、今日は沢山食べるぞぉおおお!!」
次は、陽気な小人の禿げ男。
そんな二人に、先の着物の男を加え、三人組になった彼等が先んじて入店。
その後を追うようにして、ごろつきの集団はようやく中へと入っていく。
脇で完全に取り残された貴族風の男は、面白くなさそうに鼻息を荒げながら一番最後に入店した。
かくして、総勢で二十名は越えるだろうか。
彼等のおかげで、店内はひとまず満席近く埋まったようである。
役目を終えたシュナは足元の石ころを蹴り飛ばしながら、傍に置いてある酒樽に腰掛けて頬杖をついた。
「………むかつく。」
―――男達が乗ってきたのであろう。
夕日を背に。
店の前の川岸に堂々と陣取って停泊する『飛翔艦』が、何故か無性に腹立たしく思えてならなかった。
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一挙に客が押し寄せたため、その反動で途端に忙しくなる厨房。
それは、ボングが大慌てで皆に指示を出している最中であった。
「―――急な申し立てですみません。
今晩、まだ空いている部屋はあるでしょうか。」
「んん!?」
突然、裏口から声をかけてきた鎧姿の女性に、彼は目を丸くする。
「あまりにも急いだために、馬を走らせすぎてしまいました。
今日は……この町で宿をとろうと思いまして…」
彼女が困った視線で示す先の大木には、疲れ果てた馬が一頭、綱でくくられていた。
「…悪いが、ここ、料理店なんだけどな。」
それを呆気にとられたままの目で追いながら、ボングは声を洩らす。
「……え?
でも、確かこの店は…」
「―――おまえさん、名前は?」
そこで話に割って入るのは、裏口から庭を隔てて建てられた小屋から出て来た、小さな老人だった。
「ご、ご隠居……!」
予期せぬ人物の登場に、作業を全て放り投げて、思わず身を乗り出すボング。
「ボングよ。
まだ、お前が小さい頃じゃったから、憶えておらんのも無理はない。
実は昔、この店は料理を出すだけでなく宿も兼ねておった。」
「…はあ……。
え、そうなんですか?」
「おまえさん、名前は?」
話が見えていない表情で頭を掻くボングをよそに、老人は彼女に再び問いかける。
「…クゥ=ハウドと申します。」
正面から返される、真っ直ぐな言葉。
「……ボング。
早く、適当な部屋を用意せい。」
「もしかして、本当に泊めるおつもりですか、ご隠居ぉ。」
老人の指示に対し、ボングは信じられないといった様子で声を洩らす。
「ええから、言うとおりにしておくれ。」
「は、はい……。
おい、シュナっ!!」
向こうで、ようやく持ち場に戻ってくる彼女を確認し、早速呼びつける彼。
そして面倒臭そうに歩いて来る彼女は、すぐに事情を説明され、また雑用かとボヤきながら店の二階へ上っていく。
その姿を眺めつつ、老人はクゥに近付いた。
「バーグ殿は元気かの?」
「……父とは、最近会っておりません。」
急な質問にも動じず、冷淡な口調で即答する彼女。
「…あれからもう10年は経つのか…。
懐かしいのう。
あん時は、ほんに世話になったわ。」
「…水棲の凶獣が……こちらの川に迷い込んだ時…でしたか。
それとも……賊の討伐で…?」
「両方じゃ。
……あんたの親父さんは、ほんとうに強かった。
この町の漁師よりは勿論のこと、どの傭兵よりも…」
「失礼、馬を診て来ます。」
話も途中に、背を向けるクゥ。
「あの時の傭兵の子が……今は中王騎士団か…。
時の流れは早いものよのう…」
己の記憶と、大きく成長した彼女の背丈とを重ねながら、老人は自分の腰を叩いて深く息をつくのであった。
◆ ◆
夜へ向けて、辺りの景色はうっすらと暗みがかってくる。
夕焼けの朱をその身に移す、広い河川。
空気に漂う、道端屋台の焼き栗の香り。
漁師が網を畳みながら川から帰還する情景。
馬車の荷台の上から覗くその街並みは、いかにも都会的なディバイディオンよりも穏やかで落ち着いた、
田舎っぽい印象を受けた。
同じ国内で数刻南下しただけなのに、それぞれが全く違う顔を見せているのは、戒にとって興味深い。
そして一方のパンリは、脇を流れる大河が中王都市南部を横断するスレイード川だということを知っている。
あくまでも書物で得た小さな知識だったが、実際に旅先で巡ってみると一層に感慨があった。
「戒くん……あれ……!!」
パンリが指差した、その先にそびえる大きな影。
幅広い川岸に連なった漁船に混じって停泊している、それは一隻の飛翔艦だった。
「む。」
それを見て、複雑な表情で唸る戒。
「私……飛翔艦をこんな近くで初めてみました!
想像していたよりも、全然おっきいですね……」
「……ふん。
あんなもん、ルベランセに比べりゃ小物だ。」
「ルベ……何ですか?」
聞き返すパンリをよそに、戒は腕を組んだまま、ただ漠然とその飛翔艦を眺めていた。
自身の言葉どおり、その飛翔艦の大きさは、ついこの間まで乗っていたルベランセの半分程度である。
だが、底面から両脇にかけた装甲部の装飾は見事で、金の模様の縁取りなどは豪華の一言に尽きた。
そして戦艦というよりも帆船に似た外観で、平らな甲板がむき出しになっており、そこからマストの代わりに
伸びた、風を調節するプロペラ柱が無駄に多く設置されいているのが特徴的だった。
「…しかし、どこの成金野郎だ。
こんな悪趣味な飛翔艦に乗っている奴は…。」
理由は解らないが、癇に障るのだろう。
自然と毒づく。
一方のパンリは、そんな戒の表情を不思議そうに見上げていた。
彼に飛翔艦や戦闘騎に乗った経験があることなど、知る由も無いことである。
「………何、じろじろ見てやがる。」
「す、すみません…。」
そして互いに気を許せる仲になったなどと、パンリは一方的に思い込んでいたが、それが勘違いだとすぐに悟った。
ちょっと時間を置いただけで、戒は初めに出逢った頃の、まるでハリネズミみたいな『とっつきにくい人間』へと戻っている。
そこで、自分達が腰を沈めている藁ぶきの荷台が不意に止まった。
牽引役のロバが足を休め、それを御していた農夫が人懐っこい笑顔で振り向く。
「ここを曲がっちまうと、ウチの畑への一本道なんだぁよ。
あんたら、どうするね?」
「……ん…ああ、すまない。
じゃあ、ここで結構だ。」
そう訊かれる間際まで寝ていたウェンウェンが、だらしなく欠伸混じりに答えた。
それを合図にパンリが率先して馬を降り、錫杖をついておぼつかない足を地に降ろす彼を下から支える。
「…そんなんで、よく旅が出来るな。」
全く手を貸そうとせずに、上から言い放つ戒。
「私は普段、高い場所には慣れてなくてね。」
目元に巻いた布を直しながら、ウェンウェンは笑った。
「さぁて…お腹が空いたな。
どこかに食べる処はないか。」
そして続けられる彼の言葉に、空腹感を呼び覚まされて、自然と辺りを見回す二人。
川沿いに伸びている大通り一帯は、仕事帰りの漁師達で混雑をしている。
…が、偶然、それらの間を縫うようにして一つの店看板を目にすることが出来た。
「……『中河亭』ですって。
川の近くだからでしょうか?」
それを指しながら、ころころと笑うパンリ。
「何だっていい。 とっとと行くぞ。
こっちは昼間っから何も食ってねえんだ。」
戒は腹を擦りながら返し、人波を掻き分けて行く。
パンリはウェンウェンの手を引きながら、その後に続いた。
「―――さ、三名様で?」
入店と同時に、額に汗した若いコックが、三人を見回して声を掛けてくる。
「ああ。」
「えっと、じゃあ……奥のテーブルへお願いします。」
頷く戒に対し、彼は早口で告げた。
「繁盛してますね、このお店。
流行っているんでしょうか……」
その案内に従い、ウェンウェンを誘導していたパンリが、途中で声を失う。
店内は満席に近かったが、その大半は見てからにガラの悪い連中が陣取っていた。
その中で、俗的な店内の空気にそぐわない貴族風の男が一人、やたらと目につく。
先頭を歩く戒も、それを同じように注目していた。
「さて……適当に頼んでくれ。」
二人の危惧をよそに、錫杖と小さな荷物を小脇に置いてから、早速、席でくつろぎ始めるウェンウェン。
「言っておくがな、俺様の懐を当てにするなよ。」
戒は乱暴に椅子を引きながら、切り出した。
「何のことかな?」
「きっと…お金のことを言っているのでは…」
不思議そうに訊くウェンウェンに、小声で補足するパンリ。
「結構、細かいのだな。
戒は。」
「……占い師のように俗世を離れてる奴は、金銭面で信用が置けねえだけだ。」
瞼を半分閉じながら、戒は言った。
「おまえ、さっきの馬車のオヤジにだって、何も払ってなかったじゃねーか。」
「人の好意に対して、払えるのは敬意のみだよ。」
テーブル上のメニューを手探りで掴み、パンリに手渡すウェンウェン。
「もっと……人間同士は信頼し合っても良いのではないのかね?」
彼はさらに笑う。
「お前みたいな野郎が、今まで良く生きてこれたもんだな。
目が不自由なくせに。」
「不自由だからこそ、あのように助けてくれるものがいる。」
「いいや、てめえは、今までは運に恵まれていたにすぎねえ。
所詮この世に自分の味方は自分だけ。
人間ってのは、いざとなったら自分のことしか考えねえ生き物なんだからな。」
言いつつ、戒はパンリの手からメニューを横取りをした。
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「へえ、あなた、騎士団の人なんだ。」
「………はい。」
クゥは少ない荷物と大剣を、二階客間の床に置きながら答えた。
「そんな身分ある人に対して失礼だと思うけど、即席で我慢してくれる?
ちょっと待ってて、あと少しで出来るから。」
手際よくシーツを伸ばし、寝所を用意しながらシュナが笑う。
「色々とすみません。
それで、部屋代の支払いはどちらで……」
「さあね。
ご隠居に聞いてよ。」
彼女は首を傾げて、テーブル脇に座った老人に目を向ける。
「…今は、このとおり料理専門じゃて。
サービスも何も無い部屋で金を取るわけにはいかんよ。」
「しかし、そういうわけには…」
そんな彼の言葉に、クゥは困った顔をして迫った。
彼女はやたらと気真面目な人間なのだと、シュナは脇で作業を続けながら察する。
「気にせんでおくれ。
昔、お父上に世話になった御礼が出来ると思えば、安いものよ。」
だが次の瞬間、彼女は目を見張った。
彼の厚意の言葉に対し、その女性騎士は喜ぶかと思いきや、逆に表情を曇らせたのだ。
「アルドの叛乱が終結した直後は…各地からの流民で、それはそれは治安が荒れたもんじゃ。」
その態度に気付いているのか、そうでないのか、懐かしそうな表情で続ける老人。
クゥも自然と対面の席につく。
「…そんな情勢にもかかわらず、中王騎士団はあいも変わらず他国へ遠征。
軍隊は軍隊で、全くの役立たず。
当時、わしら庶民の暮らしを守ってくれたのは、傭兵達だけじゃった。」
彼はテーブルに置いたポットから紅茶を注いで、差し出した。
「なにぶん昔のことですから……私には、あまり憶えが…」
それを両手で受け取って、彼女は静かにカップに口をつける。
「バーグ殿とは、あまり話をせんのかね?」
「…はい。」
「そうか……。
まあ、後で料理でも食べに下りて来てくだされ。
弟子達に恵まれてのう、このとおりワシも隠居させられるくらいですからの。
味は保証いたしますて。」
言い残し、老人は腰を曲げたまま部屋を後にした。
「ご隠居の知り合いに、若い女の騎士なんてねー。」
その様子を見届けてから、シュナが思わず笑う。
「鎧、外したら?」
「……あ、はい。」
クゥは言われるままに、自身の肩と胸部を繋いだ金具に手をかける。
重そうな鎧が床に降ろされると、中はシェード生地の服で、すらりとした彼女の長身にぴたりと付いていた。
「ところで……何故、そんなにゆっくりと…」
一息ついたところで、シュナの動作を暗に指摘するクゥ。
彼女はシーツのシワ伸ばしだけを熱心に、しかものんびりと行っていた。
寝床の確保だけならば、既に完了しているのである。
「今、厨房に戻りたくないのよねー。
頭の固いバカのせいで、来る日も来る日も雑用ばかり。
いつまで経っても、包丁を握れないのよ。」
そんな彼女の言葉に対し、シュナは返した。
「こう見えても私、昔この店で天才って……」
「?」
だが、言葉も途中に話を切る彼女。
クゥは訝しそうに見詰め返す。
「何でもないわ。
行きずりの人間に話すことじゃ、ないものね。」
シュナは自嘲するような寂しい笑みを一瞬だけ顔に出して、そのまま、取りとめも無い作業を反復し続けた。
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「禁断の文明が誕生して十余年……」
終始、酒ジョッキの音が響き渡る―――そんな宴会場と化した店内に不釣合いな、演説。
「…ついに飛翔艦の時代が来たる……と。」
そして、その高らかな言葉を、一人の記者がペンで写していた。
「なるほど、なるほど。
ところで、ずばりお聞きしたいのですが……あなた方が、その時代に成そうとしている事とは何なのでしょう?
ラックホルツ伯。」
「一言で説明するならば、ロマンだ。」
質問に対し、親指を上げて、きらめく歯を爽やかにのぞかせる彼。
「……ぼ、凡人にも分かり易く、ご説明を…」
「ふむ……。
私など地位も名誉も充分であるにもかかわらず、あえて各地に危険と任務を求め、万民の助けになろうと、
大空を旅している。
これをロマンと言わずしてなんと言おうか。」
前髪を振り、それをすかさず大袈裟に直す仕草。
「……なるほど。
ロマンですな、確かに。」
馬鹿正直に繰り返し、記者は続けてペンを走らせる。
中王新聞社の片田舎の支部に左遷されて早5年。
そんな平穏な地において、突如とした飛翔艦の来訪は、退屈な日々の連続に眠っていた事件記者の嗅覚が
呼び覚まされる思いであった。
「―――そして私は、この我等の呼称を『ラックホルツ空挺騎士団』と名付けたのだ。」
「騎士団……ですか。
国に属していないのに?」
そんな彼は、疑わしい表情で、ごろつき共が囲む各テーブルを見渡す。
「愚・問・だ・な……君ィ。
空に国境が存在しないとはいえ、空を隔てるものがある。
それは飛翔艦だ。
ならば、それらを『国』と言っても過言ではなかろう。
…我々は、その内外の秩序を守るために、あえて騎士団と名乗るのだ。」
記者の視線など微塵も気にすること無く、当のラックホルツは口元のチョビ髭を直しながら続ける。
「空を制するものこそ、大陸を制する。
空から、手に入らないものなど無い。
この『正義』と共にあるラックホルツ空挺騎士団こそ、自由と平和を掴んで見せるぞ。」
自信満々に胸を張り、またも綺麗な歯並びを見せる彼。
離れて酒を飲んでいた着物の男がそれを聞き、静かに鼻で笑った。
「―――本当か!?」
だが、にわかに背後から上がる声。
笑顔のまま、ゆっくりと振り向くラックホルツ。
そこには妙に目つきの悪い修道服の男が立っていた。
「……それは、本当かって聞いてんだよ。
このポマード野郎!!」
前菜に出された野菜スティックを口から吐きながら迫る―――それは戒。
さらに、ラックホルツの頭部をわし掴み、髪をもみくちゃにする。
「ポ、ポマ……?」
狼狽しながらも、乱された髪を急いで直す彼。
あまりに突然の出来事に、記者もその脇で固まっていた。
「おまえ、さっき……『手に入らないものなど無い』とか言ってたな?」
「ああ…そうだ。
空において、地上の国境や法律など関係無い。
あるのはロマン、ただ一つだ。」
「…………!!」
その言葉に何かを気付されたように、ラックホルツから離れる戒。
「ロマンはともかく……飛翔艦の圧倒的な『力』だ。
…そうだ…な。
……ああ、そういうことだ。」
ぶつぶつと呟き。
さらに夢遊病の患者のように、浮いた足取りでゆっくりと席を去っていく。
「なんだあれは……ひどく失敬な輩だな。」
「この町の者じゃあ、なさそうですね。」
ラックホルツの嘆息を、その場でメモを取りながら返す記者。
「…取材を続けてもよろしいでしょうか。
先ほど川岸で、飛翔艦から荷物が沢山降ろされていたようですが、あれは一体…」
「―――そこの奴、そろそろ消えろ。
酒が不味くなる。」
見かねて、遠くから刺すような睨みをきかせる、着物の男。
「テツジの兄貴は、静かに飲みてえんだよっ!!」
顔を酒で赤くした周りの連中も、表情を凄ませて息巻く。
「こ、これは、すみません…!
…色々と質問にお答えいただき、有難うございました。
今日はこれで、失礼いたします…!!」
次第に増えて、波のように押し寄せる怒声に恐怖を覚え、早々に退散しようとする記者。
「…せいぜい、いい記事を書いてくれたまえ。
遠慮なく明日の一面記事を飾ることを許すぞ。」
ラックホルツは軽くウインクし、彼の去り際に声をかけた。
「…い、一応、努力します。
一面記事は保証いたしかねますが…。」
そして、そんな苦笑が返された。
◆ ◆
これ以上ベッドの手配だけで時間を潰すのは、流石に誤魔化しきれないと感じたシュナは、客間を出てから、
極力足取りを鈍くして厨房へと戻ろうとしていた。
木製の手すり越しに、階下の客席を何気なく眺める彼女。
先ほど招き入れた客以外は、ほとんどいない。
それもそのはずだった。
誰も彼も人相の悪い顔。
外見で人を判断するのは良くないが、それこそ過去に一回でも人殺しを経験していそうな相ばかりである。
今では大酒を飲んで出来上がっているせいか、余計にタチが悪いようであった。
「お……勇気ある奴らもいるじゃん…」
そのように混沌とした空気が充満した店内にも関わらず、離れた一角のテーブルにつく一般人らしき三人。
目を凝らすため、彼女は自然と身を乗り出した。
彼の姿をはっきりと認めたのは、その直後だった。
◆
「……戒くん、どうしたんですか。
急に席を離れて…」
「便所だよ。」
興奮冷めやらぬ様子でパンリに答え、再び席に深く座る戒。
「何だ。
料理、まだこねえのか。」
そして、早々に文句を言う。
「まだ、オーダーすら取りにきてくれませんよ…。
どうやら…彼等が原因のようで…」
先客達に視線を向けるパンリ。
戒は、その中に先ほどの記者の姿が既に無いことを目に留めた。
そして周りで男共がくゆらせている煙草の煙を何気なく追うと、不意に、上階から見下ろしている人間と目が合う。
その姿に、彼の背筋は凍りついた。
「―――アッ!!」
突然放たれた高い大声に、パンリとウェンウェンも頭上へと顎を傾ける。
「…あ…あんた………戒…!?」
「……!!」
目を見開いて、立ち上がる戒。
その驚いた彼の表情に、対するシュナは軽く目眩を感じた。
だが、それを打ち払うように勢い良く階段の手すりを滑り、目当てのテーブルまで走り込む。
「…ちょっと……表に出ろ……!
……戒=セバンシュルド!!」
そして愛らしい顔を恐ろしい形相に変え、戒の襟元を掴み、凄まじい力でそのまま持ち上げる彼女。
傍らのパンリはその剣幕に怯え、椅子から立ち上がることさえ出来なかった。
◆ ◆
2
◆ ◆
店の裏路地。
荒い砂利の地面に、勢い良く撒けられる生ゴミの入った樽。
「………ぐっ…!」
それらと共に思い切り叩きつけられた背中をさすりながら、戒は片膝を付いて態勢を戻そうとする。
「何で今、あんたがここにいるのよ!!
…大学の試験は!?」
そこで彼の首根を掴み、顔を引き寄せて迫るシュナ。
「………受けるのをやめてやった。
……あんなところ……クソくらえだ…」
顔を背けて小さく呟く彼。
その態度に、彼女は余計に激昂する。
「ま、待った!
暴力はいけません!!」
振り下ろされかけた彼女の手を止めるのは、ようやく二人に追いついたパンリの声だった。
「事情を知らない奴は、引っ込んでなさいよ!」
「事情は知りませんが、引っ込みません!
戒くんは……私の大事な友達なのですから!!」
「友達ぃ!?」
一歩も退かない、さらに意外な言葉に、シュナは動きを止めた。
「…それよりも……やめたとか、良く簡単に言えるわね!?
それじゃあ、あんた!
一体、何のために、私から首席の座を盗んだわけよ!?」
だがすぐに気を取り直し、戒に言葉をぶつける彼女。
「本当なら、今頃、私が大学に入って……。
こんな…肩身の狭い思いをする必要なんて……なかったんだから…!!」
「………!」
涙をにじませての彼女の訴えに、状況を察したパンリは胸がしめつけられる思いだった。
「…まさか…お前の故郷に辿り着いちまうとはな…。
ついてねえぜ……。」
一方の戒は、彼女との邂逅に、いまだ心あらずといった様子である。
「―――!!」
そんな呆けた横っ面に叩きつけられる平手。
「……この、馬鹿!!」
続けて何発も打たれ、みるみるうちに赤くなる戒の頬。
その間も、彼は反撃しようとせず黙している。
やがて不意な一撃で眼鏡が外れ、地に飛んだ。
「……あんたなんて!
他人の気も全然知らないで!!」
しかも、それを一気に踏みつける彼女。
その光景に、パンリは度肝を抜かれた。
「な、なんてことを……!
これは、あんまりですよ!!」
大声でわめきながら、折れ曲がったフレームと粉々になったガラスを掻き集める彼。
「あんまりなことなんて、何もないのよ!
こいつ、伊達メガネなんだし。」
「え?」
「昔、『その方が賢く見える』とか言われて…バカみたいに嬉しそうにして…言うとおりにしてんじゃないわよ!!」
「………。」
耳を塞ぎたくなるような罵声の連続。
そして何故ここまでされながら、戒ともあろうものが少しも反論しないのか、パンリにはそれが疑問でならなかった。
「……気が済んだか?
なら、俺様は戻るぜ。
腹……減ってんだ…。」
血の混じった唾を吐き、頬を拭って立ち上がる戒。
「そんな風に喋り方まで真似して……あんた、あいつの代わりにでもなったつもり!?」
シュナは彼の背に向かって吠えた。
「―――いつまでも……死んだ人間にとらわれて!!」
その言葉に一旦足を止めたが、彼は振り向かずに再び歩み始める。
それを、シュナはずっと睨みつけていた。
「あの…」
その傍らで、恐る恐る声をかけるパンリ。
「……何よ?」
「どうやら、私は…貴女に謝らなければいけないようです…。」
低い声で聞き返す彼女に、彼は声を詰まらせながら語り始めた。
◆ ◆
事情を聞いた後、彼女は幾分落ちついた様子に戻っていた。
「……お分かりいただけたでしょうか。
今回の件で、戒くんに落ち度はありません。
彼が大学に行けなくなった原因は全て、私にあるといっても…」
フードを取って、自分の垂れた耳を露にし、力説するパンリ。
「………う…」
それに対し、眉間にしわを寄せて考え込む彼女。
「あ、あらかた分かったわよ。
でも……それは『今』の問題でしょ。
私は別に、戒が大学に入れなかったことを怒ってるんじゃないの。
あいつが卒業の時、私を裏切ったことに怒ってるのよ!」
「本当に、そうなんですか!?」
パンリは汚れの無い瞳でシュナの目を見詰めた。
「どういう事情があったか知りませんが、確かに、戒くんは貴女から首席の座を強引に奪ったようです。
しかし、無事に大学に入れていれば、貴女は戒くんを許していた…。
先ほどの会話は、私には……そういう風に聞こえたのですが。」
さらに彼の真摯な言葉に、彼女は唇をきつく締めて、顔を上気させる。
「子供のくせに、小賢しいこと言って!
あんた、すっごいむかつくわ!!」
突然、パンリの耳を両手で掴む彼女。
思い切り引っ張られるのを覚悟して目をきつく閉じた彼だったが、すぐにその手が離されるのが分かった。
「……ちょっと…あれは、やりすぎだって言いたいんでしょ…」
シュナは、まだ痺れの残る自分の手を眺めている。
「最近……辛くてさ…。
鬱憤が…溜まってたのかも……」
そして、頭を押さえ、うつむいた。
「そ、それなら……一緒に謝りに行きませんか?
戒くんなら、きっと許してくれますよ。」
「それは嫌。
あいつに頭下げるなんて、絶ぇ対っ……い・や。
天地が引っくり返っても、ありえない。」
彼女に即答され、良い提案をしたと思い込んでいたパンリは目を丸くした。
「確かに、殴ったことについては非を認めるわよ。
でも、謝るのなら、不義理をしたあっちが先でしょ。
それがスジってもんでしょーよ!!」
「た、確かにそうですが……相手に謝らせる余裕を与えなかった方も悪いような……」
パンリは左右に視線を泳がせながら、息を飲んだ。
「それは、何!?
私のことを言っているつもり!?」
彼の肩を軽く突き飛ばし、シュナは一方的に言い残して踵を返す。
「ど、どこに行くんですか?」
「仕事に戻るのよ。
一応、私、ここの店員だし。」
「そ、それじゃ…戒くんに謝るのは……」
「だから、絶対、謝らないって言ってるでしょ!!!」
「ヒィッ!!」
一喝されて、腰を抜かすパンリ。
やがて彼女は、大股で店の裏口へと向かって消えていく。
仕方なく、彼も嘆息と共にフードを被り直し、店内へ戻ることにした。
最後にもう一度振り返ってみたが、彼女が気を変えて戻ってくるような気配は微塵も無かった。
◆ ◆
「おい!
あいつ、またどっかでサボってやがんな?」
戦場さながらの厨房で、握った包丁を宙で小刻みに動かしながらボングが叫ぶ。
周りのコック達がそれをなだめようとした矢先、裏口から顔を出す彼女の姿を見留めた。
「て、てめっ、シュナ!!
おまえ、このクソ忙しい中、また一体どこで油売ってやがっ…」
「6番テーブル!!」
稲妻のような彼の叱咤を真正面から返す、大声。
「な、なんだよ、急に?」
「6番テーブルの料理、私が作る!!」
その威勢に驚くボングをよそに、シュナは両手を水で濯いで準備を整えようとしている。
「な、なに勝手なこと抜かしてやがる……そんなこと許可してないぞ…」
「……やらせて! 今日だけでいいから!!」
だが、彼女の熱のこもった瞳に、彼はさらに気圧された。
「きょ、今日は忙しいからな……特別だぞ。
おい、誰か包丁かしてやれ。」
「はい!」
彼に命じられ、コックの一人が嬉しそうにシュナに包丁を手渡す。
調理場に鍋と共に吊るされた注文表。
彼女はそれを一通り見てから、片手に握った包丁を器用に回して目を閉じる。
そこから溢れ出る気迫に、全員が目を見張った。
「おい、レシピ……」
「いらない!!」
ボングの言葉を、途中で遮るシュナ。
彼は紙束を差し出した姿勢で凍りついた。
「い、いらねえだとぉ!?
なら、どうやって…」
「黙ってて!
気が散るんだってば!!」
彼女はすぐさま、氷で満たされたボウルに漬けてあった鮮魚をまな板に載せ、ためらい無くその腹に包丁を差し込み、引く。
加えてその刃を抜く時に、手首のスナップのみで内臓を取る、見事な手際。
それを連続で10匹以上も繰り返したのだから、その場の全員は手を止めて見とれてしまった。
「―――バカヤロウ!!
てめぇら、手ェ動かせ!!」
自分も同じ状態であったことを棚にあげ、怒鳴るボング。
それを皮切りに、静止していた厨房は再び時を刻み出す。
振り返って見れば、彼女はそうやって素材の下準備を整えた後、既に調味料を片手に味の仕込みを始めている。
決まった型に捉われず、それでいて早い。
本能を剥き出したような料理だった。
ボングは終始、彼女の技巧を複雑な表情で見守っていた。
さらに、そんな自分を厨房の奥で眺めている老人の姿に気付き、彼は赤面して自分の作業へ戻っていった。
◆ ◆
「『中王都市風・川魚の甘酢あえ』でございます。」
熱い湯気が高く立ち昇る大皿を、テーブルに載せるコック。
「わぁ!!
おいしそうですね!!」
テーブルから乗り出して、パンリが思わず叫ぶ。
片栗粉に包まれてカラっと上げられた小魚。
それに絡んだ、とろみのあるタレの甘酸っぱい香りが上気と共に広がる。
散々待たされて空腹も極まった戒が、無言のまま喉を鳴らした。
「続きまして、チーズチキングラタン。
こんがりと焼いた、薄めのパンと一緒にお召し上がり下さい。」
もう片方の手にした深皿をテーブルに沈め、うやうやしい礼をして去るコック。
三人は、すぐに彼の言うとおりにしてみると、香ばしいチーズの熱によって、乾いたパンの表面が
じゅ、と鳴った。
「……絶品…!」
早速食べてみたパンリが感想を洩らす。
「…おいしいねえ。」
美味しさのあまり、口元を震わせるウェンウェン。
戒は片肘をついて、黙々と食べ続けていた。
やがて各々の手は止まらなくなり、自然と無言になる。
そんな至福の時間の中。
パンリは、店の隅でぎこちなくモップがけをしているシュナの姿に気付いた。
覚られないようにそれを注目していると、彼女は作業をしながら、自分達のテーブルをしきりに気にかけている様子だった。
こちらの食事の様子を、脇目で盗み見ては満足げな顔をする。
そんな彼女の雰囲気に、パンリはどこか安心した。
「戒くん……もしかして、この料理…」
「…あん?」
口を開けたまま、パンリの言葉に耳を傾ける戒。
目配せして示す彼の視線の先では、シュナがモップがけに勤しんでいる。
「きっと……あの方が作られたのでは?」
「あいつが…?」
向けた視線と、彼女の瞳とが不意に交差する。
不自然に顔を逸らす両者。
「きっと、これは謝罪の意味で…」
「……フン。」
途端に意地を張って、戒はこれ見よがしにフォークを放って両腕と足を組んだ。
「だとしたら、もう食えねえな。」
「何ですって……!」
そんな態度と言動を聞きつけ、シュナは顔色を変えてあっさりと近寄って来る。
「出された料理は、ちゃんと残さず食べなさいよ!」
「誰が作ったのかは、あえて訊かねえ。
だが何でそんなことまで、店員ごときに指図されなきゃならねえんだ。」
そっぽを向いたまま呟く戒。
「……ちょっと会わないうちに、随分と好き嫌いが増えたみたいじゃない…!!」
「違うな。
さっき誰かに殴られたせいで口の中を切ったから、しみるだけだ。」
戒は、もっともらしい言い訳を述べて、意地悪く口を斜めに歪ませる。
そんな二人のやり取りの中に放置されているウェンウェンは、説明を求めるようにパンリに顔を向けた。
「二人は……同じ学校のお友達だそうで…」
「あんた! 冗談でも、そんなこと言わないでよね!!」
「…殺すぞ。」
直後、シュナと戒に同時に否定されて、椅子ごと突き飛ばされるパンリ。
「……って!
こっちが嫌がるのならまだしも、何であんたが嫌がるのよ!
嫌がられる筋合い、無いんだから!!」
「うるせえ、黙ってろ。」
互いに牙を剥いて、相手の肩口を掴む。
彼の握力に、彼女は思わず表情を歪めた。
「……あら?
さっきは手を出さなかったのに。
ようやく昔のあんたらしさが戻ってきたのかしらね?」
唇の片端を上げて、シュナはわずかに笑って言う。
それに気付かされるように、戒は手から力を抜いた。
「その口を、もう俺様の前で二度と開くな。
今度、あいつが死んでいるとか抜かしてみろ。
ただじゃ……」
「死んだも同じよ。」
忠告する前に返されて、閉口する戒。
「……あいつは…眠っている…だけだ……!!」
彼は怒りを抑えて、わずかな声を搾り出すので精一杯だった。
一方、パンリは二人の交わす会話に、重い空気を感じていた。
それはウェンウェンも同様で、聞きながら口を強く結んでいる。
「どっちにしろ……大学に入れなかったのなら、あれを治す手掛かりだって…もう見つからないでしょ!!」
強い口調で、素早く手の平を差し出す彼女。
「……だから、聖十字を返しなさいよ。
もうあんたに必要無いし……それは本来、私のものなんだから!!」
「…何言ってやがる?
これは俺様以外に使うことは…」
「使えなくても、構わないんだってば!
ただ、あんたが……それを持っていること自体、不愉快なのよ!!」
「………!!」
彼女の言葉に触発されたのか、戒は立ち上がり、自身のポケットに勢い良く手を突っ込む。
そして、テーブルに赤い十字架を叩きつけると、乱暴に店の外へ飛び出していった。
「…か、戒くん!」
立ち上がるパンリ。
だが次に見るのは、うな垂れたシュナの姿。
「……目を覚ますのは……あいつじゃなくて……あんたよ……戒。」
残された十字架を両手で拾い、握り締める彼女。
―――聖十字は持ち主を記憶し、別の人間に使うことは出来ない。
クレイン教の奇跡として、聞かされた通り。
震わせる手の中で、どんなに強く思おうと、それは何の反応も無かった。
やがて彼女も踵を返し、その場から立ち去ろうとする。
「おい!
そっちが終わったんなら、こっちにも酌しに来いよぉ!!」
そこで、その後ろで大声を上げて絡んでくるごろつき。
「うるさい!
私は酒場の女じゃない、料理人よ!!」
「いでで!!」
その男の足を思い切り踏みつけ、去って行く彼女。
「ちくしょ……何だってんだ、あの女……くそ……!」
男の酔いは一気に醒め、身体を折り曲げながら恨みがましく呻く。
そして丁度、その目線の高さに、ウェンウェンが置いている荷物が入った。
◆ ◆
「どうやら……因縁浅からぬ関係のようだったが…」
ウェンウェンは、果実酒を口に運びながら言った。
「はい、実は……」
乾いた唇をコップの水で湿らせから、説明しようとするパンリ。
その時だった。
「―――アッ!!」
先のシュナと同様、上から響く大声。
「ま、またですかぁ…!?」
不安な面持ちで、顔を上げるパンリ。
上階には、やはり自分達のテーブルを指差す女性がいたのだった。
「―――まさか…ウェンウェン殿……ではありませんか?」
だがそれは、部屋で少し休んだ後、老人に言われた通り部屋を出てきたクゥ。
言葉を洩らしながら、階段を下りて来る。
「……おやおや。
奇遇という名の町があるとしたら、まさしく『ここ』のことなのだろうな。」
グラスを持って、声の方へと掲げるウェンウェン。
パンリはすぐに立ち上がり、空いた一つの椅子を引く。
すぐに彼女は会釈して、その席についた。
背は高く、落ち着いた印象。
だが、その瞳がひどく興奮しているように見える。
「…輝きが増したな……クゥ。」
対照的に、そんな彼女に声をかけたウェンウェンの顔には、驚きの色が全く無い。
「…か、輝き……ですか?」
若干、照れながら身を縮こませる彼女。
「……お知り合いで?」
ウェンウェンの袈裟の裾をつまみ、パンリが小声で訊く。
彼は軽く頷いて示した。
「まさか、この地にいらっしゃるとは……。
私は常々、いつか貴方にお詫びをしたいと思っていたのです。
あの時、取り乱してしまったことを……」
「クゥは相変わらず、真面目だ。」
涼しい顔で答えるウェンウェン。
「…貴方が仰られていたこと……ようやく最近になって正面から向き合えるようになりました…」
「私は、きっかけを与えたにすぎない。
それはクゥ自身が元から持っていた強さなのだろう。」
会話を交わす二人。
その間、パンリはぼんやりと、彼等の顔を交互に見詰めていた。
「いえ……。
あの時、貴方によって自分の『さだめ』を知らされなければ、今頃、私は大変な思い違いを続けているところだったのです。」
「ふむ……。」
自分の顎先に触れながら笑うウェンウェン。
そこで、椅子が床を引きずる音が連続して響いた。
三人が顔を向けると、店内を占拠していた集団が一斉に店を出るところであり、それは閉店の時間が近付いている
ことを意味していた。
「…よろしければ明日、私の家へいらっしゃいませんか?
色々とおもてなしをしたいのですが。」
「……お言葉に甘えようか。」
「いいんですか、ウェンウェンさま。
そんなに簡単に決めてしまって。
どこか、目的地があって旅をしてるのでは…?」
自分の方を向き、能天気に笑う彼に対して、パンリが不安そうな声をあげる。
「平気だよ、パンリ。
……ということで、今日はそろそろ休もうか。
お勘定を……………おや?」
席の脇をまさぐるウェンウェンの手が泳ぐ。
そこには空気以外、何も無い。
慣れ親しんでいた杖と一切の荷物が消えていた。
◆ ◆
「……と言われましてもねぇ、困るんですよ、お客さん。」
閉店後。
詰め寄る二人を前にして、ボングが頭を掻きながら言った。
「でも、ウェンウェンさまの杖と荷物が!
店内で盗まれたんですよ!?」
「ええ、確かにそうかもしれませんがね……。
ですが、ウチもそこまでは責任もてませんよ。」
パンリが感情的に主張するも、相手からは淡々とした言葉が返されるのみ。
「さっきまで店にいた連中、素行が悪そうでしたね。
……おそらく…犯人は奴等のうちの誰かでしょう。」
鎧姿になって、上階から降りてくるクゥ。
大きな剣が背負われている。
「ど、どうするんですか。」
静かではあるが、彼女の放つ厳しい雰囲気に恐々としながら、パンリが訊いた。
「聞こえてくる話の内容では、彼等は外にある飛翔艦の乗組員だとか…。
場所が分かっているのなら、取り返すまでです。」
平然とした言葉。
それに対してウェンウェンは無言のまま首をかしげて、彼女の方を向いた。
「何度も繰り返しますが……貴方には、大変な御恩があります。
このくらいはさせていただきたい。」
「…危険な真似は、して欲しくないな。
私はお金や荷物よりも、命の方が大事だと思うのだが。
ねぇ、パンリ。」
「……ど、同感です。」
ウェンウェンの問いかけに、パンリは大きく頷いた。
戒にしろ、先のシュナにしろ、どうしてこうも暴力的に物事を解決しようとするのか。
学問の中に身をを置いていたことで、そのような場面にほとんど出くわしたことが無いパンリには、もしかして
世の中の人間のほとんどが、そんな風に短絡的思考で動いているのではないか、そんな錯覚を覚えるほどだった。
「大丈夫です。
危険なことなど、ひとつもありません。」
そう自信をもって答え、そびえ立つ長身は一層に大きく見える。
「今宵、お二人は私の代わりに部屋でお休みになっていて下さい。
こちらの二階を借りていますので。」
「……やれやれ、だな。」
ウェンウェンは首を左右に振って諦める。
その様子を見届けてから、クゥはまるで小事を済ましに行くかの如く軽い足取りで店を出た。
「…ウェンウェンさま!
もっと真剣に止めてあげて下さい! 危険ですよ!!」
「いや……心配すべきは…」
目元の布に静かに触れるウェンウェン。
彼にしては珍しく、難しい表情で頭を垂らしていた。
◆ ◆
「お客様に…何かあったのか?」
一人、厨房でたたずむ老人が、戻って来たボングに声をかける。
「……いえ。
その件は、もう収まりました。」
神妙な面持ちでコック帽を取り、うかがう彼。
「それより、ご隠居。
…どうかしましたか。」
「……なぁに、おまえと少し話したいことがあってのう。」
珍しく視線を泳がせる彼。
その様子に、ボングも何となく察する。
「他の弟子達からも聞いておるのだが……あの子に対して、厳しすぎんか?
仮にも、この店で兄妹のように育った仲ではないか。」
「もう……四年前とは違うんですよ、ご隠居。」
彼は肩をすくめて返した。
「こちとら、急にあいつの代わりを押し付けられて、どれだけ苦労をしたと思ってるんですか。
それに…一人を特別扱いしては、他の人間に示しがつきません。」
「愛ゆえに、厳しく……か。」
「な、ななな、何言ってるんですか、ご隠居!!」
「違うんか?」
老体の言葉に負け、そばの椅子に座り込むボング。
手の中の帽子を、くしゃくしゃに丸めて口で噛む。
「あいつには才能がある。
だからこそ、そこに胡坐をかいているところがあると思うんです。
今、ここで甘やかせば、絶対にためになりません。」
「…一理あるのう。」
「正直言って、本気で勝負をしたら……足元にも及びませんよ。
だからこそ五年前…まだ子供だったあいつが料理長に就任した時も自分は納得しました。
それが年頃になったら、急に店を辞めて神学校に行くなんて突拍子もないこと言い出して……自分勝手も甚だしいです。」
限りなく静寂に近い空気の中、流しに溜まった水が音を立てた。
「流民だったガキの頃……シュナと一緒に、この店に拾ってもらって。
俺はご隠居のことを本当の父親だと思ってますし、一生かけても感謝しきれません。
その恩を返すってのは当然だし、そう考えて当然だと思うんですよ。」
「……わしゃ、別に気にせんがのう。」
老人は目を細めた。
「個人差はあるが……料理人には技術の訓練以外にも、世界各地での見聞が必要じゃ。
それを思えば、神都での苦労は決して無駄では無かったろうて。」
その言葉を、ボングは苦虫を噛み潰した表情で聞き入る。
「証拠に、今日のシュナの料理は独創性にあふれておった。
昔と比べ、ちいとばかし『精度』は落ちておるがの。」
「……やはり、しっかり見てらっしゃるんですね。」
「わしとて、おぬしらは実の子同然。
大事に思う気持ちはお前と同じじゃて。」
「俺は……」
厨房の窓の外を遠く見詰める彼。
店裏の空き地で、大弓を構えているシュナの後ろ姿が見える。
神学校で習得してきたという『それ』を、夜中、気晴らしに練習している姿が最近では目立っていた。
店で包丁が握れない悔しさは、料理人として痛いほど理解できる。
だからこそ、まずは包丁を使わせない罰を科したのだ。
嫉妬するような才。
目を閉じれば、先の彼女の調理風景が思い起こされる。
愛していればこそ、その嫉妬すら、どこか心地良いものだった。
◆ ◆
3
◆ ◆
◆ ◆ ◆
深夜。
学生寮の食堂。
彼は空腹を満たすため、いつものように厨房へ侵入する。
だがその日、そこでまず目撃したのは、床にうずくまっている女子生徒だった。
「……おい、誰だ?
俺より先に夜食を漁っている奴は…」
寝惚けた表情のまま、カウンター越しに自分勝手な言葉を投げかける彼。
だが、対する彼女は右手を押さえ、震えているばかりである。
薄い暗闇の中、やがて目が慣れて気付くのは、一面に広がった血の真紅。
その鮮やかな色に眠気を飛ばされて、彼の視界は途端に広がった。
無造作に放られた包丁。
血痕はまな板の上から飛散して、床の血の海と繋がっている。
「……これじゃあ……もう……」
そして、その光景を前に、彼女は呆然と呟いていた。
「……わたし……!
……一生…料理が…できな…い……!」
手に負った傷は深いものの、痛みは麻痺している。
だが、その代わりに。
良く研がれた刃で『やった』瞬間に、嫌な音を立てて断裂した、親指と人差し指の付け根の『腱』の感触。
それが何度も自分の中を巡っていた。
「…あ〜あ、こいつはひでえな…。
まあ、動くなよ…」
いつの間にか目の前に立っていたその男が、呆れた顔で呟く。
―――不意に掴まれる手首。
だが、あたたかな温もりの後に、それはすぐに突き返された。
「こんな夜更けに…何、バカやってんだ。
いいか、この床の血は自分で拭いておけよ。」
そうして、彼は何事も無かったかのように彼女を通り過ぎ、貯蔵庫の扉を無遠慮に足で開け、その中を物色し始める。
「……?」
彼女は涙を拭いて、彼に握られていた自分の手を見た。
真一文字に開いていた傷が、今では何故か、元通りになっている。
「ちっ……ロクなもん残ってねえな。
あの食堂のババア、まったく気がきかねえ…」
乾燥したパスタの束と一切れのハムを取り出しながら、再び貯蔵庫の扉を蹴り飛ばして閉める彼。
そこで初めて、互いの視線がぶつかった。
◆ ◆
「―――包丁の練習だぁ?」
笑いを必死にこらえながら、その男は言った。
「な、何がおかしいのよ…!」
顔を上気させてテーブルを叩く彼女。
「そういうことは、料理屋でやれ。
……違うか?」
また、身を捩らせて笑う彼。
「…ねえ、それよりさっき、私の身体に何したの?
あの傷が一瞬で治るなんて……非常識だわ…。」
「……。」
挽き肉を和えてある出来立てのパスタを口に運ぼうとした彼が、そのままの態勢で止まる。
「そのことは、もう忘れろ。」
「…む、無理だって!!」
顔を真っ赤にして、大声をあげる彼女。
その声は、無人の食堂全体によく響いた。
「他人の痛みを移すと……傷が治せる。
何故か、俺は昔からそういうことが出来るんだよ。」
冗談のようなことを真面目な顔で言う、そんな彼は左手でたどたどしく料理を食べている。
「……もしかして、あんた…。
え…?
それよりも、移すって……今…右手……!?」
「ああ、すげえ痛え…。
料理の練習するにもな、思い切り良すぎだぜ。」
「ご、ごめんなさい…!」
「…いいんだよ。
こういうのは、慣れてる。」
愛想笑いも浮かべず、彼は目の前の料理に没頭していた。
「……しかし…うまいな。」
「………へ?
今、なんて?」
下げていた頭を上げ直し、聞こえていながら、もう一度聞き返す彼女。
「うまいって言ったんだよ。
今度から食堂のババアの代わりに、おまえがメシを作ったらいい。」
「む…無理言わないでよ…!
…それより、美味しいって…ホント?」
「ま、腹が減っているせいも…あるかもな。」
自分に出された皿を全て平らげた後、おもむろに立ち上がる彼。
彼女が慌ててハンカチを取り出そうとすると、彼は自分の袖で乱暴に口元を拭った。
「…俺の能力のことは、誰にも言うなよ。
面倒だからな。」
「………うん。
……手のこと…本当にありがとう…。」
その感謝の言葉にも、彼は背を向いたままで肩をすくめる。
「…あとは、貧血に注意しろよ。
『あれ』じゃあ、失った血までは補えねえんだ。」
「だ、大丈夫…!
ちゃんと食べて治すから……!!
もりもり食べるから……食べるからっ、私……!!」
大急ぎで、自分用に作った豚肉のレバー入り野菜炒めをがっつく彼女。
そんな様子に、去りゆく彼は少し目を細めたように見えた。
「…あ………名前…聞くの……忘れた…。」
誰もいなくなった食堂で、しばらくしてから彼女は呟いた。
◆ ◆
当時、シュナは通常の学業活動の他に、『青年聖弓隊』に所属していた。
それは教会の有事に備えた学生ボランティア団体の一つであり、そこへ所属している者は自然と
学校からの評価も高くなる。
「黒い長髪で、背が高くて、表情は恐い印象があるけど…まあ……結構、男前だったかな……。」
隊の訓練場の更衣室で、彼女は数人の学友を前に、照れ笑いを浮かべながら語った。
「もろ、運命の出会いってやつ…感じちゃったんだわよ、これが。」
得意になって頭を掻く彼女の肩を、一人の生徒が背後から叩く。
「…もしかしてそれ……『戒=セバンシュルド』のことじゃない?」
「戒?
そういう名前なんだ、彼…」
「……悪いけど…その人にあんまり…近付かない方がいいよ。 シュナ。」
「え?」
聞き返す彼女に、その学友は首を振りながら続けた。
「聞いたことないの?
あの人、この学校の創立以来、最悪の不良って言われてるのよ。」
「授業にだって、滅多に顔を出さないって言うし。」
「普段の礼拝にさえ、一度も来たことが無いって。」
人づてに聞いたような風潮を次々と並べたてる友人達に対し、シュナの目は次第に反抗の色を帯びていく。
「……そんなの、ただの噂でしょ!
見た感じ、悪い奴じゃなかったし…」
認めたくない気持ちと共に、言葉を吐き出す。
「あのねえ、火のない所に煙は立たないの。
悪い奴じゃなかったら、『貧民街で小さなギャングの大将を気取ってる』とか……そんな噂、絶対出ないって。」
「ねえ……やめなよ、本当に…。
関わると…ロクなことにならない…そう思うよ。」
「…か、関わることなんてしないわよ。」
続けられる忠告に背を向け、彼女は早々に着替え終えると、急いで更衣室を後にした。
◆ ◆ ◆
緊張した弦を離し。
酒樽の上に置いた林檎を、放った矢が真っ直ぐに貫く。
シュナは残身の構えを解いた後。
白を基調に赤いラインの入った、制服のミニスカートを直した。
これは古臭くて野暮ったい修道着よりもずっとモダンで、学生達にも人気があったのを思い出す。
それでも、わずかなお洒落のために、訓練の厳しい青年聖弓隊にすすんで入ろうなどという変わり者は少なかったが。
(また……大きくなったな…)
皮製の胸当てに窮屈さを感じながら、再び大きく弓を構える彼女。
(むかつく。
こんなとこ、いくら成長したって…何の役に立たないし……!
いっそのこと…男に生まれてくれば良かった…!!)
的を逸れる、次の矢。
「……あ…。」
そこで肩の力を抜いて、大弓を降ろす彼女。
矢の軌道は、自身の心鏡であると教えられた。
まさにその通りである。
戒と再会してからというもの、振り切ったはずの過去をやたらと思い出している自分。
…四年前、周囲の反対を押し切って店を飛び出し、歴史ある神学校を選んで入学した。
しかし結果は、夢破れて出戻るという、ひどく恰好の悪い生活。
ようやく、それにも少しずつ慣れてきたというのに、また何処か遠くへ逃げてしまいたくなっている。
矢を拾うために歩を進めると、彼女は遠くの土手を駆ける少年の姿を認めた。
(…こんな夜更けに、何やってんだろ……あの子。)
心の中で呆れつつも、その方向へ足を傾ける。
自分の理解の及ばないところで、心に連想するのは彼の影。
再び、胸の中がざわついていた。
◆ ◆
大きなマストがぎしぎしと不気味な音を立てて、ひしめき連なる闇の中。
最初に見た記憶通り、大きな河川の縁では、一隻の飛翔艦が漁船と並んで停泊していた。
戒は周囲に誰もいないことを注意深く確認してから、そこへ向かって慎重な足どりで進む。
悠然というよりも優雅という言葉が良く似合う、艦の姿。
そして、その入り口へと向かって、足場として架けてある橋のすぐ脇には、艦内から降ろしたと思われる
荷が積んだままになっていた。
作業はそこで中断されているもようだが、見張りさえ配置されていない無防備さである。
―――酒のせいだろうか。
先ほどの店内の様子を思い起こせば、ありえない話ではない。
(………。)
ふと妙な予感を感じ、積荷箱に触れてみる戒。
そして、釘が打ち付けられた箱のフタを無理矢理こじ開け、彼は中身を確認した。
そこには葉巻の有名銘柄の箱がびっしりと詰められていたが、それを二つほど持ち上げると、その下には
粗末な紙に包装されただけの物体が詰め込まれている。
それらの一束を拾い上げて破ると、中から出てくるのは乾燥した葉。
すぐに噛んで味を確かめると、予感が的中したのを知る。
「……っ!」
だが、彼は同時に、喉元に触れる冷たい金属の感触に息を飲んだ。
「…ま、待て……俺様は別に…これを盗もうとしたわけじゃ…」
全身を緊張させたまま、声を洩らす戒。
喉に突き付けられた大剣の刃は、わずかに振り向くことも許されない程の殺気を帯びていた。
「貴様等が飲食した店で、客の荷物を盗んだ奴がいる。
知っていることを全て話せ。」
しかし、背後から囁かれるのは、意外な言葉。
「…なに?
……何のことだ?」
戒は前を向いたまま、本気で問う。
その返答に、刃は限界近くまで押し付けられた。
「とぼけるな。
貴様は、目の前にある飛翔艦の乗組員だろう。」
途端に怒気を孕みだす―――女性の声である。
「……誤解だ。
俺様はこの艦とは、何も関係ねえ。」
「では、何故、ここにいる?」
再び返される質問。
少しの静寂が流れた。
「…とりあえず、これを見てみろ。」
戒は先ほど積荷から入手した草を、握った手から落とす。
「麻薬の類いだ。」
「……麻薬?」
背後から殺気が外れて、ようやく振り向くことが出来た戒。
彼は、初めてそこで声の主の姿を確認した。
乾燥した草を拾い上げて、それをまじまじと見詰めている、鎧に身を包んだ長身の女性。
大剣の切っ先をこちらに向けたままの、その締まった顔立ちに思わず気圧される。
「俺様は『ただの通りすがり』で、偶然これを見つけただけだ。
だから、誤魔化さずに正直に教えてやった。
こんなゲスな仕事とは、一切関係無いぜ。」
眼前の彼女は、その説明にはあまり納得がいかない様子だったが、ようやく剣を下ろす。
「……ここから、すぐに去りなさい。
邪魔になる。」
そしてすぐに彼を横切り、川と飛翔艦の間にかけられた橋を渡り始める彼女。
「邪魔…だと……!?」
そんな彼女を一旦は追った戒だったが、浮かんだ一つの思惑によって足を止めた。
今は行動すべきではない。
先ほどの積荷箱の上に座り、頭を夜風に当てて自分を静める。
そんな夜の河川を充分に見回すことが出来る高い視線の中、戒はやがて土手から駆け降りてくる人影を見た。
「…戒くん!
どうしてここに?」
驚きの声を上げる、それはパンリ。
「……それは、こっちの台詞だ。」
戒は冷めた目で、静かに答える。
「そ、それよりも、ここへ鎧姿の女性が来ませんでしたか?」
「…そこの飛翔艦に入っていったぞ。」
「やっぱり!!」
すぐさま、飛翔艦に繋がる橋へと足を踏み出すパンリ。
だが、彼はたったの半歩で動きを止めた。
「……でもどうしよう…勝手に入るわけには…」
「別に、構わねえよ。
こういうのは、扉に鍵をかけない方が悪いと決まっている。」
おもむろに積荷箱から腰を上げ、戒はパンリの脇から平然と橋を渡る。
「だ、だめですよ!!
ウェンウェンさまは、杖と荷物は諦めなさいって…!」
「杖と荷物? 何だ?
知るか、そんなもの。」
彼は言葉を短く切って、薄っすらと笑みを作りながら徐々に飛翔艦へと向かっていった。
「丁度いい機会だ、お前にも一応断っておくぜ。
実は、あの女が中の連中を引き付けてくれている間に、俺様がこの飛翔艦をいただくことにした。」
「え―――」
後ろからついてくるパンリの、大きく開いた口を塞ぐ戒。
「名案……だろ?」
笑いを堪えきれずに、彼は肩を震わせた。
◆ ◆ ◆
神都の貧民街にたたずむ、とある廃墟。
『このアジトの周りを嗅ぎ回っていた、不審な女を捕まえた。』
その日の深夜。
戒は、敷かれた獣の皮に寝そべったままの姿勢で、そんな報告を受けた。
「…女?」
その場に突き飛ばされる若い娘を見て、誰かが呟いた。
「お、おい、聖弓隊の制服じゃねえか!!」
数秒後、さらにざわめく男達。
緊張が高まり、誰もが身構える。
「ほんと……だったんだ…ギャングやってたって……。」
彼女―――シュナは投げ出された床で両足をきつく閉じながら、涙目で呟いた。
「ギャングぅ?」
黙したままの戒の脇で、吹き出す数人の男。
「…おい女!
その逆だって。
俺たちゃ、ギャング潰しだぜ?」
「……え?
でも、噂じゃそういうことになって…」
呆然とした顔を上げる彼女。
「まあ、やりかたが少々、荒っぽいからな。」
「この前だって、俺らが行きつけの店を地上げに来たクソ野郎を半殺しにしてやったしな。」
刃物を研ぎながら、物騒な言葉を吐き合う別の男達。
その言葉に、皆が爆笑する。
「帰れ。」
それらの中心にいる戒は寝転んだまま、迷惑そうな顔で一言だけ呟き、顔を逸らした。
「俺に関わると、ロクなことにならねえ。」
「そうそう、言うとおりだ。
あんたとは住む世界が違うんだぜ、お嬢ちゃん。」
相槌を打つ、脇の男。
見れば、彼も修道着を着ていて、そういった連中も幾人ばかりか居る。
「この神都って呼ばれる場所にも、裏では暴力がはびこり、そのスジの秩序ってもんがある。
それを、俺たちが守ってやってるんだ。」
その戒の仲間と思われる学生は、胸を張って言った。
「喧嘩がめっぽう強いんでな。
こいつには、無理を言って参加してもらっている。
口と人相は悪いが、人間的には信用のおける、いい奴だ。」
別の男が言った。
「しかしモテモテだなぁ、戒。
この前も偉そうな口調の女教師が一人、同じように血相を変えて来たっけか。
確か、結界師だとか……あの後、彼女とはどうなったんだよ…」
「くだらねえ世間話はそのくらいにしておけ。」
戒は軽口を叩く友人を睨みつけ、上体を起こしてシュナに向き直った。
「いいか、もう俺に関わるんじゃねえぞ。
ここへは二度と来るな。」
「……で、でも…」
その時、シュナには伝えたいことや、訊きたいことが山程あった。
以前、怪我を治してくれたお礼。
どうして自分を避けようとするのか。
そして、戒の友人が口にした女性のこと……
だが、その後に続いた一言が、全てを封じてしまった。
「―――どこのどいつか、知らねえが。」
◆ ◆ ◆
「…待て。」
戒が体勢を屈めながら、横に並ぶパンリの腕を取って止める。
先の廊下に転がっている靴。
さらにその奥で、伏されている男達。
薄闇の中で、数えること五人。
「俺様の思ったとおり……あの女、相当腕が立つようだぜ。」
そろり、と気絶している男達の脇を用心して進む戒。
誤算があるとすれば、例の女騎士は予想よりもずっと大雑把だったことだろう。
後始末がこれでは、見回りの者が異変に気付くまで、あまり猶予は無さそうである。
「…ところで、戒くん……シュナさんのことなんですけど…。」
足元の凄惨な光景から気を紛らわすように、震えた声でパンリが訊いた。
「なんだよ。
こんな所で、そんな話をするんじゃねえよ。」
手を壁に触れて進みながら、戒が返す。
「…あいつとは、ただの同級生だ。」
「本当にそれだけですか?」
「いつの間にか、まとわりつくようになってよ。
まあとにかくおせっかいな奴だ。
…はっきり言って、迷惑なんだよ。」
「……迷惑…」
「ああ見えてもあいつ、学校では生徒会長をやったりしてよ。
…成績優秀で運動神経も抜群だった。
本来なら、首席は間違いなかっただろうな…」
「どうにか、仲直りしてもらえませんか。
……言葉にして謝らないのは卑怯ですし、私もすっきりしないというか…」
思わず言葉を洩らしたパンリは顔色を変えた。
目の前では、戒が拳を握りこんで震わせている。
「てめえ、ひょっとして、この俺様に説教を垂れているつもりか?」
「ご、ごめんなさい……!」
「ち……!」
彼は振りかぶった手を結局のところ下さず、面白くなさそうに足早に前を行く。
「…戒くん……そこまでして…君は一体何を……しようというんですか?」
少し距離をおいて、パンリは訊いた。
「……やかましい。
どうして、お前までそうやって俺様に付きまとうんだ。」
「友達だからです。」
これ以上の質問責めは勘弁と、戒は閉口した。
頭からフードを深く被って隠しているものの、相手の表情が至って真顔なのが判断できる。
「しかし……初めて入るのに、飛翔艦の構造が分かるんですか?」
「…大体な。」
別の質問をぶつけられたのを機に、それに短く答え、戒は歩を早めた。
やがて長い廊下が終わり、大きな吹き抜けに到達する二人。
階下を見ると、木板の床地が広がっていた。
「艦長室は、多分ここだ。」
吹き抜けを一周している四方の壁で最も目立つ、重厚な両開きの扉の前に立つ戒。
その脇には、観葉植物と無駄に格式高い彫像が飾ってある。
「バカが権力を持つと、自己顕示欲が強くて困るな。」
「…ここからどうするんですか。」
「ちょっとした『交渉』を行う。
手伝え。」
後ろ手で相方の細腕を握り、片側の扉に手をかける戒。
押すと簡単に開く。
続けて、もう片方の扉を押したパンリも同様だった。
「……戒くん…ところで、誰の手を握っているんですか?」
そして問いかけるパンリ。
見れば、彼は両手で扉を押していた。
「………?」
後ろで何かを握った自分の手を確認する戒。
「うお!」
「うわーーっ!!」
彼の急な大声に驚き、それよりさらなる大声で飛び上がる貴族風の男―――ラックホルツ。
「てめえ!
まだ寝てなかったのか!!」
「……トイレだ。」
戒の質問に律儀に答える彼。
そこで二人は互いに、同時に手を離す。
「ん、君は確か……料理屋で会ったな…」
そしてラックホルツは、すぐに落ち着きを取り戻して続けた。
「そうか。 あの時の私の演説に感動し、配下になりたくて、明日を待たずして思わず侵入してしまったのだな。
安心したまえ。
我がラックホルツ家の家訓にも『来る者は、いかなる者でも歓迎せよ』とある…」
話も途中、頭突きが一閃。
そのあまりにも鈍い音に、後ろでパンリが顔をしかめた。
「アホが。
寝言は寝てからほざきやがれ。」
額を押さえて床にしゃがみこみ、涙目で呻いている彼を見下ろしながら、戒は言い放つ。
「な、なんと、無礼な……」
「無礼で結構。
礼儀など、クソの役にも立たん。」
胸を大きく反らしながら言葉を吐く戒。
「では……君は一体、私に何の用なのだ。」
立ち上がり、負けじと尊大な態度で訊き返すラックホルツ。
「俺様が親切に教えてやろうと思ってな。
……お前は利用されていることを。」
「利用…だと?」
彼の表情が曇る。
「この飛翔艦が運んでいる積荷の中身、知っているのか?」
「下賎なことは、全て配下に任せてある。
自慢ではないが……私は生まれてこのかた、フォークとナイフ以上に重いものは持ったことが無い!」
再び、頭突きの音が響いた。
「本当に自慢にならないことを、威張って言うんじゃねえ。」
「…わ、わかったから、もう頭で殴るのはやめてくれないか……」
両足を痙攣させながら、再び額を押さえて呻く彼。
「お前が助かる道を、一つだけ教えてやるから、有難く思え。
……それは、この飛翔艦を俺様に預けることだ。
俺様ならば、あのごろつき共を一斉に統率してやることが出来る。」
「む、無茶苦茶なことを…」
後ろで、パンリが真っ当な言葉を呟いた。
「ふむ……だが、確かに君の言うことも道理だな。
最近の彼等の態度には、少々、手を焼いていたところだ。
こういうものは、専門家が統率するのが正しい。
私の腹心になることを許すぞ。」
「だから、寝言を言うな。
お前だけは、ここで艦を降りるんだ。」
「はい?」
戒の返答に、ラックホルツは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
「そ、そんな不条理がまかり通るのか、俗世間では!?
我がラックホルツ領ではありえんことだぞ!!」
「……まて。」
「うぐ!」
突如、ラックホルツの大声を殴って止める戒。
続けて、口を人差し指で押さえる仕草。
静けさの中。
周囲をうかがって唇を噛む。
気が付けば、妙な香水の匂いが漂っている。
「……やっぱり、俺様の読みは当たっていたな…。
頭を監視する配下なんて……いないぜ……!」
戒がラックホルツに耳打ちすると同時に、廊下の角から姿を見せる一人の男。
厚化粧の気味悪い長身。
腰にかけた鞭を手に取り、しならせて鳴らす。
「参ったわねぇ……こんなに早く計画が潰れるなんて。
早く、テツジのお兄様に報告しないと…」
彼の気味の悪い女言葉に、戒が顔を歪めた。
「あら、ところで貴方……好みの顔だわ。」
その表情に見入って、歩み寄る彼。
「ただ残念ねぇ……その頬の傷さえ無ければ、ねぇ。」
「……じゃあ、この傷に感謝するのは……これで二度目だぜ。
俺様も、オカマ野郎には興味はねえからな。」
唾を吐き、怒りを誘う戒。
「…なぶり殺してあげる。
その顔の傷、何倍にも増やしてね…!!」
相手は、握った鞭を静かな言葉と共に振り下ろす。
(……こんな奴、普段なら構わねえが……!
今はお荷物が多すぎる……!!)
戒は脇で唖然としているパンリを押し込みながら、耳の奥から響く別の音を聞く。
「―――!?」
突如、脇の壁を破壊して突き抜けてくる物体。
不意の衝突。
戒は理由も分からずに手すりごと吹き抜けまで飛ばされ、脇にいたラックホルツを巻き込みながら、階下に転落する。
「か、戒くん!?」
すぐさま下の様子を確認するパンリ。
「…くそっ………今度は何だ!?」
だが戒は平気な様子で、すぐさま立ち上がり、共に落下してきた太めの小人を視野に入れる。
スキンヘッドに、短足。
そんな彼は小さい身体で目一杯に肘を伸ばして前に両手を交差して構えた。
訓練された武術の動きである。
「……えへえ。
マジのあにき、こいつやったら、ごほうびくれる?」
子供じみた言動と共に、上階に顔を向ける小人。
「たっぷりあげるわ。
でもね、そいつは半殺しよ。
とどめは、後で私がいただくから。」
恍惚とした表情で、上階から見下ろす彼。
「さぁて……。
まずは、坊や……あなたの番よ。」
「!!」
そこでパンリは気付く。
完全に孤立した自分。
逃げる手段を考える前に、風を切って放たれる鞭が頭のフードを跳ね飛ばした。
「あら?
……珍しいわねぇ…。」
そこで露になるパンリの獣のような長い耳を眺め、マジは舌をなめずった。
「垂耳ちゃんってば、闇市場で高く売れるの。
でも、その前に……お兄さんが、たっぷり可愛がって…あ・げ・る。」
気味の悪いアクセントと共に告げられる、淫魔のような言葉。
「……!!」
背をむけて一目散に離れようとするパンリ。
だが、地を這う蛇のような鞭ですぐに足をすくわれてしまう。
転がるパンリの手の甲に、続けて浴びせられる一撃。
「え……!?
……いた…っ…!?」
「うふふ……。
みねうち…よ。」
軽くミミズ腫れになったパンリの白い肌を見て、快感に全身を震わせるマジ。
いったん鞭を丸めて畳み、それを噛んで笑みをこぼす。
一方のパンリは、『痛み』という害意を与えられることに対して慣れていないためか、ただ床にへたれ込み、
気を動転させていた。
外見的な容姿も相成って、それがマジの劣情をさらに煽る。
「…なんで……こんな………つあっ!?」
今度は頬に襲いかかる痛み。
ひどい屈辱と共に、周囲の景色は現実感を失っていく。
「……フフ…!」
笑みと共に鞭を後ろに振りかぶる。
だがその軌跡は、そこであらぬ方向へと持っていかれる。
「!?」
鞭を弾いたのは大剣。
パンリの背後の廊下から現れた、クゥであった。
彼女は握った大剣を真っ直ぐ、両手で水平に構え、油断なく相手をうかがっている。
「……あらら、今度は中王騎士団?
面白い日ねぇ…。」
マジは彼女の鎧をしばらく凝視してから呟いた。
「……窃盗に密輸……そして傷害か…。
…やはり、ロクな集団ではないようだな。」
「…良く知っているじゃない。
―――じゃあ、殺さなきゃね。」
瞬時に波打つ鞭打。
先のパンリの時とは違い、今度は巻かれている鉄の部分がしっかりと相手側を向いている。
クゥはそれを寸でかわすものの、さらに返して襲い掛かる二撃目に剣の柄を絡み取られた。
「……!!」
だが冷静に、すぐさま腕を縦に大きく振る彼女。
その剛力に、マジは身体を持っていかれる。
そして勢いで弾かれた鞭は、脇の壁際まで飛ばされてしまった。
「……大した馬鹿力じゃない。」
それと痺れる己の手を眺め、少し驚いたように呟く彼。
「―――立てますか?」
その隙を見て、クゥがパンリに手を差し出す。
「あう…ぅ……はい…」
泣き顔でその手をとり、痛む頬を押さえながら、のそりと立ち上がる彼。
「早く、ここから逃げてください。
とても危険です。」
「……でも…戒くんが…まだ下に…」
その言葉に、クゥは無言で顔を横に振った。
「……!!
…わかりました…すみません…」
彼女の頑なな態度に、パンリは自分が足手まといなことを悟り、踵を返す。
「運が悪いわね、あなた。
私、女には容赦しないのよ。」
マジはそんな二人の様子を余裕の表情で眺めながら、先ほど拾い上げた鞭を素早く振るう。
瞬間、足元の床板が弾け飛んだ。
「…それは……後腐れなくて、むしろ好都合だ。」
それに対し、クゥは指を鳴らして応えたのだった。
◆ ◆
「……この野郎……不意の一撃くれやがって…!!」
憤慨して、完全に立ち上がる戒。
転落時、咄嗟にラックホルツをクッションにしたおかげで、自身に大した怪我はない。
足元で気を失っている当の本人は、骨の何本かは折れているかもしれないが、そのことなど
戒にとっては何の足枷にもならなかった。
とりあえず、彼をその場に放置したまま、脇に見える廊下へと走りこむ。
それに合わせて小走りでついてくる小人。
「いちげきじゃすまないよぉ。
おいら、このひしょうかんの、けーごやくだからさぁ。」
(……『警護』だと?)
自分の腰程の身長。
そんな小人の頭の弱そうな言葉に対し、戒が眉をひそめて嫌悪を示す。
相手は体格の割に馬力がある。
それは、先ほど存分に思い知った。
用心のために走って距離を取れば、その小さな体は飛び、そこから縦の回転に移行。
直滑降で床板を粉砕し、そのまま追いかけて来る。
「く……!!」
駆けながら、それと衝突する寸前に脇の廊下へと転がり、退避する戒。
見たところ、相手に刃物を使う様子は無い。
だが、全身の肉が凶器のようである。
戒はその追撃を必死に振り切り、しばらく走るうち、気が付けば広い倉庫へと抜け出ていた。
積み重ねられた木箱。
並べられた樽。
食料があるのだろう。
そこの空気は、塩辛い匂いや甘い香りが入り混じっている。
「………。」
そこで観念した戒は、直立したまま向き直る。
肉弾から通常の身体へ戻り、またも小走りで追いついてくる小人。
「素手で喧嘩かよ…。
あいつに出会ったと思えば……やたらと、昔と似たようなことが起こりやがる…!!」
戒は無防備に突進し、素早い拳を、小人の顔面を軽く当てる。
「ふふ……きかないよぉ…」
平然と笑いながらそれを受け流す彼。
だが、戒の拳は完全には握りこまず、緩やかに開いていた。
「いひ!?」
その親指が、彼の右目の端に突き入る。
「調子乗ってんじゃねえぞ……小デブが……!」
非情にも、その目端の骨を握ったまま、横へ押し込む戒。
「いぃ!?
いたい!
いたいよぉ…!!」
喚きながら、小人は首をその方向へと抵抗せずに任せる。
戒は訴えを全く意に介さず、無表情でその横顔を壁際に押しつけた。
「雑魚が……引っ込んでろ!!」
そのままの態勢で、側頭部への頭突き。
衝撃の瞬間、逆方向へ同時に指を引き抜き、掴んでいた骨を砕く。
あまりの痛みに意識を失い、崩れ落ちる小人。
戒は続けざまに、彼の肝臓のあたりに膝を入れ、完全にとどめとした。
昔ならした喧嘩の手段だった。
さらに用心のため、その白目を剥いた顔面に向けて足を振り上げる戒。
「―――殺す気かよ?
最近のガキってのは恐ろしいな……加減ってものを知らねえ。」
その場に、入ってくる人影。
床に擦れる、着物の裾の音。
「外で飲み直して帰って来れば……まさか弟分がリンチ喰らっているとはな。」
「正当防衛だ。」
腕を組みながら呟く着物の男に、戒は平然と答えた。
「若気が有り余っているようで、羨ましいぜ。
見張り番の有様といい……やることが随分と過激じゃねえか。」
「……。」
勢いを止められた足は寝転んで気絶した小人の顔面に軽く乗り、そのまま踏みにじられる。
だが、男はその様子に眉一つ動かさない。
「じゃあ、てめえは加減してくれるのか?」
鼻を鳴らしながら、不敵に挑発する戒。
「しないさ。
俺は傭兵……ガキの喧嘩にゃ付き合う義理がねえ。」
青眼に構え、腕を下げる男。
その裾の奥から、小太刀が飛び出した。
◆ ◆
4
◆ ◆
◆ ◆ ◆
「―――どうして……あんたが…そんな怪我をしてるのよ…」
貧民街の小さくて汚い診療所。
扉を開けるなり、目に飛び込んだ光景に、シュナは呆然と呟いていた。
「……またおまえか…。」
ベッドに埋もれたまま、戒はまるで彼女を見ずに呻く。
口元を逃して顎部に巻かれている包帯で、喋るだけでも苦しそうだった。
卒業を間近に控えた頃。
神都の各地に現れた、凶獣除けの結界を破り続ける得体の知れない連中。
それらと戒のグループとの衝突は日々、激化していた。
そんな中、彼自身が重症を負ったという噂を聞きつけ、シュナは飛んできたのだった。
「………帰れ。」
低い声で、戒は再び呻いた。
「あの女の……せいね…。」
彼の身体に被せられたシーツを掴み、目を剥く彼女。
「おまえ……?」
「あんたの仲間に、何があったか聞いたの。
全部…知ってるんだから!!」
遠く離れて見守っていた戒の集団に、いつの日か、一人の女教師が加わっていた。
そばにいる。
自分が決して許されなかったその光景に、今度は、ただ落胆を覚えた。
それも、法王庁指定の強力な結界師だという。
二人が愛し合うことは元より、その事実がさらに彼女を嫉妬させた。
「あいつを……自分の代わりに怪我させれば良かったのよ…。
他人の傷なら簡単に治せるんでしょ!!
なんで、そうしなかったの!!」
理由は解っているのに、シュナは言葉を止められなかった。
今にして思えば。
いっそのこと、それを罵り返されることの方が、幾分ましだったろう。
だが無言で横たわる戒の表情は、『自分の愛した女性を一瞬でも傷付けたくなかった』と。
そんな風に物語っていた。
◆
その後。
生徒会主催による、賑やかな卒業前夜祭。
無数の負傷者と死者を出し、誰もが忘れたい。
忌まわしい事件の日が訪れる。
神学校と教会の一部が傭兵達と癒着し、長年に渡り、凶獣除けの結界の質を意識的に抑えていたという事実。
その日、それを知ったレティーン貧民街の有志と教団の暗部との衝突は、さらなる結界の歪みを生み。
押し寄せた凶獣によって、貧民街の殆どと校舎の一部が失われた。
だが、それが明るみに出ることは無く、時の司教達によって握りつぶされる。
そのことは、ごくわずかな人間しか知らない。
そして世間は、それを『レティーンの悲劇』と一種の自然災害のように騒ぎ立て、認知したようであった。
―――あの時も、やはり彼は病み上がりでありながら、彼女と共にいた。
涙を流して診療所を後にしたあの日。
仲間達が傷付き、愛する学校が破壊された日。
彼がその身を挺してまで守った女性が、永遠とも知らぬ謎の眠りについた日。
そんな奔流の中で迎えた卒業式。
―――今年の首席、該当者なし。
そんな神学校側の報は、大いに生徒達の間で物議を醸したが、そのことが彼の失踪と重なって、
彼女にはある程度の予想がついたのだった。
◆ ◆ ◆
「見つけたぞ―――侵入者……ぁ!?」
艦内廊下の一本道で弓を構え、飛び出した相手の足を瞬時に射抜くシュナ。
半分酔っぱらっている男達を撃退するのには、それだけで充分だった。
(……何やってんだか、私は。
また、こんな風にトラブルに巻き込まれちゃって…)
大半はまだ寝ているようで、敵の人数は極めて少ない。
そこでまた、廊下からの足音に、照準を合わせる彼女。
だが、矢を離す直前で、その指は止まった。
「あんたは……!!」
「あ……ああ…」
フードを乱しながら廊下の角から現れ、彼女にすがりつくのはパンリである。
まだ完全に把握していない飛翔艦内を闇雲に走り回った挙句、ようやく見知った顔に逢えた安堵から、
彼はその場に腰砕けになった。
「少し様子を見ようと思って来たら…一体何なの、この騒ぎは?
説明しなさい……よ、っと!!」
そこで逆方向から現れた、今度は間違いない敵の姿に、シュナは矢を放つ。
「…で、でも、シュナさんは、どうしてここに?」
「何でって……そりゃ……」
口を開けたまま、目線を上に逸らす彼女。
「…もしかして…私の後をついて来たんですか?」
「そ、そうよ。
弱そうなあんたが夜中に出歩いてるのを見て……心配になったの。
そしたら案の定、おかしなことに巻き込まれてるじゃない。」
「……巻き込まれ…。
そ、そうだ……戒くんが大変なんです…!」
「あいつがどうかしたの!?」
そこでシュナは、改めて彼に詰め寄った。
「彼も…心配……なんですよね?」
上目づかいで、パンリは恐る恐る訊く。
「……あのねぇ…。
何で、私があんな奴のこと…」
答えてから、目をきつく閉じる。
「あ〜〜〜〜もう、めんどくさい!
同級生の心配して……何が悪いっての!!」
だが、急に膝頭を大きく叩いて叫ぶ彼女。
その本音に、パンリが思わず笑顔をこぼした。
「昔から、いつも無茶ばかりして……!
ず〜と、昔から心配してんだから!!
私の場合は、あんたと違って三年越しの筋金入りなのよ!!」
赤面して横を向きながら、彼女は壁に向かって言葉を続ける。
「でも、どんなに心配したって、何も言ってくれないのよ、あいつ。
……卒業の時だって、何の説明もなく一人で背負いこんで、勝手に消えちゃって…。」
「…それは…」
憂いを帯びるシュナの指先を、小さな手が取った。
「私は大学の件で聞いてしまったんです。
彼の天命の輪には、特別な迷信があって……それで他人を不幸にするかもしれない、と。」
「……あいつの…能力……そうなんだ…。」
その言葉に、パンリが頷いて応えた。
「彼には、他人との触れ合いを避けることが、自然と身についてしまっているのかもしれません。
だからこそ、何も言われなくても、友達が支えてあげなきゃ…。
いや……支えたいと思わせてくれるんです、戒くんは。」
「あんたねぇ…。
それ程の価値があいつにあると、本気で思ってるの?
まだ知り合って間もないくせに…」
彼女は呆れ顔で言った。
「知らない過去があっても、構いません。
彼のおかげで、私は救われた……それだけが真実ですから。」
「……そう。」
屈託無く、彼のことを語るパンリを前にして、シュナは呟いた後で立ち止まった。
「薄々気付いてたけれど……何となく、わかっちゃったわ。
私と、あんた達との違い。」
「え?」
「……私って、バカだ。」
一人で納得したように呟いた彼女は、再び押し寄せる足音を前に、また静かに弓を引いた。
◆ ◆
「どう?
この鞭に打たれると、皮が破れ、肉がはじけて、傷は骨まで達するの。」
鞭に編み込まれた鉄に巻き込まれ、抉られる壁。
「やがて、そんな患部は腐り初めて、虫がわく。
……楽しいじゃない? 美しいものが崩れていくのって!!」
引き出される床板。
数分もの間。
マジの繰り出す攻撃によって、クゥは後退を強いられていた。
「あらあら、近寄れないからって、ヤケは良くないわよ?」
「はッ!!」
その嬌声を気にせず、明らかに間合いの外から、懸命に剣を振り続けるクゥ。
マジは一切油断することなく鞭を器用に自分の周りに打ち続け、ゆっくりと近付いてくる。
後ずさりを続けるクゥの踵と背に、壁が当たった。
そこは艦内の袋小路。
「追い詰めちゃったわね…。
これで、仕舞いよ。」
最後とばかりに、鞭を大きく振りかぶる彼。
その時、対面のクゥはおぞましく笑う。
「―――追い詰められたのは貴様だ。
ここには既に、私だけの間合いが作られている…」
「………何ですって…?」
マジは腕を後方に伸ばしたまま、小さく呟いた。
「…来い。
『二匹目のシャーリ』。」
大剣を鞘に収めるクゥ。
刹那、剣の形をした無数の影が周囲の空間に浮かび、先の彼女の剣閃を全て再現してマジに襲い掛かる。
「イッ……!?」
声を潰し、身を縮めたが。
彼は無残に切り刻まれ、廊下一面に血煙が舞った。
鞭が生き物のような動きで手を離れて壁に飛び、黒ずんだ染みを作って床に落ちる。
「肉親との別離をさだめに……私が生まれ持った力だ……。」
飛び続ける血の玉を背にしながら、彼女は自分の両肩の寒気を抱きながら呟いた。
◆ ◆
「……すごい…!!」
パンリが壁際で身を守りながら呟く。
目の前には、大弓を力強く引き、さらに器用に二本同時に矢を放つシュナの姿。
異変に気付き、押し寄せてくる男達の手足に、それがことごとく命中するのであった。
「巨族って知ってる?
私の身体には、その巨族の祖母の血が入ってるんだって。
……クォーターなのよ。」
シュナは攻撃の手を休めずに言った。
巨族とは、生来の怪力で広く知られる蛮族の一種。
パンリには、その力強さも頷ける。
だが、彼等の皮と骨の強度は狂獣さえ凌駕したため、多様な物品の素材になることから乱獲された。
そんな迫害の歴史を、同時に彼は思い出した。
「幼い頃、私達は北の果てから流れてきた…。
いつも貧しくて、何も食べるものが無かった。
そんな時、聖都の大聖堂で定例の施しがあったの。」
彼女は顔を振って汗を散らすと、すぐにヘアバンドを直し、前を突き進む。
「でも、大人になってから、それが教会のアピールだったってことを知ったわ。
それがただの一時しのぎで、貧困層への根本的な解決にはならないってことも良く解ってる。」
押し寄せる男達も一段落したようだった。
「だけど……飢えは実際に人の心を荒ませるわ。
一歩間違えてたら、私は強盗や殺人に手を染めてたかもしれない。
それが、たった少しの料理で人は救われる。
だから……それって素晴らしいって、そのとき思った。」
大弓を肩にかけ、小走りになる彼女。
「そして、私の夢になったの。
クレイン聖堂お抱えの料理人になることが。」
だがそこで、全く背後を追って来ないパンリに足を止めて、振り向くシュナ。
「……感動…しました…。」
彼はローブで涙を拭きながら、むせていた。
「ちょっと……やめてよ。
何、マジになってんのよ!!」
それを笑いとばす彼女。
「…それは、もう終わりなんだってば。
教会との繋がりも切れちゃったし。」
そして、肩をすくめて彼の頭に触れる。
「でも、あんたみたいに、未練を完全に捨て切れてないのよね。
…羨ましいな、男同士って。
そうやって…ちょっとの時間で分かり合えるんだから…」
「シュナさんは…違うんですか?」
「……私は、一人の同級生の気持ちも察してやれなかった。
過去の過ちも、理由は知ってるのに、許してやることも出来ずにいる。
そんな、心の狭い奴なのよ…」
彼女はパンリと同じ目線まで屈んだ。
「首席を逃したことを割り切れなくて。
もちろん、それから神都で一から頑張ろうとしたけれど孤独に負けて。」
顔を寄せて言葉を洩らす。
「恥をかいてまで店に戻った……その挙句に、まだ後悔してる。」
パンリは聞きながらうつむき、彼女の両膝が力無く廊下に付くのを見た。
「道は……自分でしか切り拓けないの、知ってるよ!
でも、私ったら……振り返ってばかり…ちっとも前に進めないの!!
何か、靄のような物がつかえてて……!」
胸元から取り出す、赤い十字架。
死ぬほど欲しかった証は、今その手に取っても虚しいだけ。
心の挟間を埋めることが出来ず、余計に戸惑う自分がいる。
「…間に合う……かな?
今さら…前へ行くの……。
…走れば……ねえ…追いつける?」
涙と問いが、廊下に落ちる。
自分は、優等生で生活しなくてはならなかったから。
ずっと後悔していた。
それで別の女性に先を越されたことに?
違う。
本当は、彼の力になれればそれだけで良かったのだ。
だが、感情と夢を、天秤にかけて。
後者を選択したら、全てを失った。
その判断を下した自分を、ずっと罵っていた。
しかし、同じような挫折を味わっても。
戒とパンリは、今もずっと前を向いている。
再び、嫉妬のような、重苦しい苛つきが自分の中を駆け巡っていた。
それは学生時代にずっと煩っていた感覚だということを、彼女は唐突に思い出した。
「シュナさん。」
唐突に彼女の手を握る、小さな手。
床に付いた彼女の足は、不思議な力に引き上げられるかのようだった。
◆ ◆
乾いた音までもが聞こえそうな、暴力的な空気の緊張が辺りを支配していく。
「傭兵の本質は殺し合いだ……それを思い知らせてやろう。」
手に固く握られた、短めの刀。
小太刀。
男がその抜き身を傍の柱に素早く擦ると、軽く火花が散った。
「これは無銘だが、いい刀だ。」
「!?」
会話の途中の、突然の一閃。
戒は反射的に半身の体勢をとり、初撃を『かわせた』ことに、心から感謝する。
その背後では、堅い木箱がまるで包丁で切られたチーズのように見事な断面を作り、中身の果物を露にしていた。
さらに驚くことに、鮮やかな切り口はその果物にまで到達しており、表面に果汁を滴らせている。
「どうだ、抜群の切れ味だろう?」
刃物に反射する相手の顔は、先ほどの飄々(ひょうひょう)としたものから、明らかに変化していた。
常人のフリをしていたが、それは血に飢えた獣なのだと戒は察知する。
「……傭兵だなんて偉そうに名乗るんじゃねえ。
密輸人風情が。」
間合いを取りつつ、声を放つ戒。
それは相手の気をそらすため、そして己の呼吸を整えるためであった。
「フ……賢く生きているんだよ。
戦うだけが能の傭兵稼業じゃあ、儲けなんてたかが知れている。
良く稼いで、良い得物を持ち、それでいて楽しく酒が飲めさえすれば、俺は何だっていい。」
余裕があるのか、ことのほか乗ってくる相手。
「……時代は良くなった。
飛翔艦なら、昔とは段違いで手間が省ける。」
「それで、あの貴族を利用したってワケか。」
「あいつは馬鹿だ。
この飛翔艦も宝の持ち腐れだからな、俺達が有意義に使ってやっている。
それのどこが悪い?」
「バカ言え。
…てめえらにも大した宝の持ち腐れなんだよ。」
やがて両者は、天井近くまで積み上げられた荷物を間に挟む。
「くっくっく……!
口の減らねえ……っ!!」
心底おかしそうに笑ってから、再び手元を一閃する男。
また、反射的に身を屈める戒。
すぐ頭上の積荷を貫通しながら、刃がかすめていく。
(どうする……!?)
刀の切れ味は本物。
それを前に、半端な障害物で身を守る行為など、全くの無意味である。
「フン。
大口を叩いた挙句……逃げ腰なのは、どうかと思うぞ。」
さらに、彼の動きは今まで相手にしてきた賊と比べて、遥かに洗練されていた。
だが、そのはずなのに、自分にはまだ幾分の余裕があった。
考えを巡らせる間も、心が恐怖に支配されることはない。
自分より何倍も大きな凶獣との死闘。
死線を越えた、空中戦。
それらの経験で、自分の中の恐れへの許容が大きくなっているがわかる。
そして何よりも、相手より遥かに強かった剣士を知っている。
「そら!!」
正面から、気声と共に樽を薙ぐ相手。
その裂け目から、中に詰まっている油が噴き出した。
「……あんまり汚すんじゃねえ!
これから、俺様の飛翔艦になる予定なんだからよ!!」
「はっはっは! 本当に口の減らねえ野郎だ!!
そして、何て自分勝手なんだ!! 気に入ったぜ!!」
まんざらでもない表情で、刀を振りかぶる男。
「禁制密輸人の傭兵―――『テツジ』といやあ、裏では結構有名なんだぜ?
てめえも、その弟分にしてやる。
だから、そろそろ降参しろ。」
そこで、空いた片手で戒を呼び寄せる仕草。
「………やなこった…!」
戒は返答の代わりに、傍の樽を蹴り飛ばす。
その樽の中身の油はまだ半分ほど入っており、テツジはそれを着物の裾に被ることになった。
だが彼は気にせずに踏み込み、刀を斜めに下ろす袈裟斬りを放つ。
身体を捻り、またも寸前でかわす戒。
「…偉そうに…傭兵だなんて……名乗るんじゃねえ!!」
狙いが外れ、床に突き刺さった刃。
その腹をめがけて、思い切り蹴りを放つ。
真鍮入りのブーツの一撃だった。
「しま……ッ!」
金属同士の衝突は火花を呼び、床に飛散した油に引火する。
そして、炎は瞬く間にテツジの着物へと辿り着いた。
「う……ぁ!?
た、助けてくれ……!!!」
素早く床を転がり回る彼。
だがその程度では、身を包んだ炎の勢いはとどまらない。
「…『ヒゲ』ほどじゃあ…ねえんだよ………てめえはな。」
視界の脇を赤く染めながら、戒は背を向ける。
直後、自然と『彼の事』を口にしたことを照れ、自分の頬を叩いた。
(………しかし…これじゃあ、この飛翔艦…ダメになっちまったな……)
床に燃え移った炎が広がるにつれ、嘆息と共に肩を落とす戒。
背に腹は変えられなかったとはいえ、これだけは惜しい気がした。
だが、欲をかいて炎に囲まれる前に脱出の目途をつけなくてはならない。
すぐにでも―――
「≪氷・生≫。」
背後の声。
静かに振り向き、戒は目を向ける。
そこには、先程と違い、直立して余裕の構えを見せているテツジ。
着物の膝元の裾までは、薄っすらと白い霜が降りていた。
「…『助けてくれ』…だってよ。
冗談が過ぎた演出だったか?」
彼の唇が、自嘲にゆがむ。
「………!!」
状況を理解した戒が、目を大きく見開いた。
「ちょっとした先入観だな。
剣技と源法術の両立もありえる。」
「てめえ……!」
「痛いだろう?
勝利を確信した後の絶望ってやつは。」
彼の言うとおり、戒の足は床に吸い付いたように動かなかった。
「だが、一番痛いのは、この俺だ。
これで積荷も飛翔艦も失うんだ。
…しかし…まあ……いいか。」
命のやり取りを弄ぶ瞳が、狂心を増して泳ぐ。
「素質はあるが……残念だな。
今回の損失は…お前の首で、落とし前つけさせてもらうぞ…。」
業火を背に、刀が振り上げられる。
「――――戒!」
頭上から聞こえる、声。
壁の上方に備えられた、空調用の小さな隙間。
そこから、足を大きく広げて踏ん張り、弓を引いて構えているシュナの姿。
「あんた、まだ旅の途中でしょ!
こんなところで負けたら、承知しないから!!」
「……シュナ…?」
呟く戒の手の平に、全く逸れることなく収まる若干の痛み。
それは、聖十字だった。
「…フフ……ッ!
そんな飾りで、一体何のマネだ!」
テツジの刃が、背後に迫る。
体を返し、握り締めた手を、その斬撃に合わせる戒。
「―――神よ!!」
シュナは初めて目撃する。
神を最も信じない男が、その名を口にして起こす奇跡。
「……ッ!?」
十字架の中心から菱形に広がる、赤き膜。
それとの衝突の瞬間、中心からガラスのように砕け散り始める刀身。
加えて、テツジに伝わる両手の痺れ。
それは頭頂まで到達し、全身の細胞を硬直させる。
「……はっ!?」
続けざま、眼下に会心の笑みを浮かべて拳を握り締めている戒の姿を見た時、テツジは自分の口から
嫌にとぼけた声が洩れるのが分かった。
顎を突き上げる衝撃。
眼球が引っくり返るほどの一撃は、浮き上がる身体と共に彼から意識を完全に奪っていった。
「やったわ!!」
脇のパンリと手を合わせ、シュナは今まで見せたことの無いような笑顔で喜ぶ。
「……もうじき……炎がまわる。
とっとと、ずらかるぜ。」
一方の戒は礼すら言わず、ぶっきらぼうに頭上の二人に向かって声をかけた。
「……うん。」
嫌に素直な同意の言葉が自然と洩れる。
あの痺れたような感覚は、身体のどこを探しても、もう見付からなかった。
◆ ◆
飛翔艦が三分の一ほど炎上したところで、なだれ込む現地の警官隊。
そしてごろつき共は、禁制品の密輸に加え、治安を乱した罪により、一斉に検挙であった。
「これは、とんでもないことになったな……。」
悪夢のような光景を遠くから眺めながら、顔中を煤で黒くしたラックホルツが呆然と呟く。
(…こいつのこと、完っ全に忘れてたぜ……。)
いつの間にか、ちゃっかりと脱出を完了させていた彼を、背後からうかがう戒。
「…ぷっ……あんた、髪が……変よ…。」
「?」
シュナが吹き出しつつ指差した、自分の頭部をさするラックホルツ。
「おほぉ!?
私の高貴なヘアースタイルが何故!?」
彼の髪は、やたらとボリュームのある、ちりちり頭になっていた。
(きっと……髪を固めていた油に引火したんだ…)
その隣で気の毒そうに、パンリが眺めている。
「それにしても、私たち、まだまだガキね。
こんな無茶して。」
「ああ……。
燃えちまったな……全て。」
「……そうね…。」
シュナと戒が、遠い目で言葉を交わした。
「―――勝手に話をまとないでくれないか!
あれは、私の飛翔艦なのだが!!」
そこでタイミング良く、水没する飛翔艦。
それを背景に、ラックホルツが必死に訴える姿が実に間抜けである。
「一から出直しだな、アフロ。」
その彼の肩に、爽やかな笑みと共に手を乗せる戒。
「あんなごろつき共に頼り切って旅をした、おまえが悪い。」
「そうね、自業自得ね。」
「な、なんと無情な……」
戒とシュナに挟まれ、そのうえ一方的に言い攻められて、ラックホルツはその場にへたりこんだ。
「だが、こんなことで挫ける私ではないッ!
故郷へと帰還すれば、土地と財産は余るほどあるッ!!」
「そ、それなら、安心ですね。」
まるで他人ごとのように、パンリは気楽に声をかけた。
「…………。」
握りこぶしの体勢のまま、数秒。
「誰か、帰りの交通費をかしてくれないだろうか?
財布を飛翔艦に忘れてしまって…」
直後、ラックホルツは全員に土下座した。
「だから、その他人任せをやめなさいよ!
雑用だったら、ウチの店、常時募集してるから紹介してあげるから。」
その側頭部に膝を入れるシュナ。
「私に労働しろというのか!?
ナイフとフォーク以上、重い物を持ったことの無い、この私に!?」
「だから、威張って言うんじゃねえ!」
尻に向かって、今度は戒が蹴りで喝を入れる。
ラックホルツは無様に土手を転がり、偶然そこに出っ張っていた石に頭を打ち付けて失神した。
そんな光景にパンリは苦笑を浮かべながら、爆笑している二人に近付く。
「……だから、ついてくるなって言ったんだ、バカ野郎。」
彼の腫れあがった頬に気付くと、戒が呆れたように言った。
「…すみません……。
でもあの後に、運良く、クゥさんに助けていただいて…」
視線を泳がせるパンリ。
遠くで、警官隊の一人に事情を説明している鎧姿の彼女。
パンリの視線に気付くと、ほどほどに話を切り上げて歩み寄って来る。
「行きましょう。
皆さんの事情聴取は、何とか勘弁してもらえました。」
これも中王騎士団の威光と信頼だろうか。
クゥはいともたやすく、現場からの解放を警官隊から得られたようだった。
さらに彼女は、取り戻したウェンウェンの錫杖をしっかりと手に携えている。
「…おまえ、あいつと何の関係があるんだ?」
「昔、お世話になったことがあるのです。」
「…たったそれだけのために、乗り込んだのか?」
「……そうですが何か?」
クゥは返しながら、背負った大剣の鞘を締め直す。
その仕草といい豪気さといい、戒には記憶の端に引っ掛かるものがあった。
「…まあいいか……パンリ、そろそろ出発するぞ。」
「今からですか?」
「あいつらの気が変わらねえうちに町を出るんだよ。
面倒に巻き込まれるのは御免だ。」
まだ夜も明けぬ時間。
だが、松明を片手に慌しく動いている警官隊達に目配せする戒。
「賛成です。
私も……できるだけ早く、用を済ませて騎士団に戻らなければならなりません。
そのためにも、今から出立した方が都合がいい。
申し訳ありませんが、ウェンウェンさんを私の馬に乗せて連れて来てもらえませんか?」
「は、……はい。」
パンリは彼女に錫杖と荷物を手渡され、言われるまま店へ向かって駆け出す。
「……貴方も…ついでにもてなしますから、安心して下さい。」
横の戒の目線に気付き、付け加える彼女。
「……ついで、ねぇ。」
クゥの正直すぎる言動に、彼は口元を歪めて笑った。
「ここから、そう遠くありません。
わずかに南下して、フスの町の郊外にある……」
「………おい!」
そこで、横で聞き耳を立てているシュナに気付く戒。
「おまえ、いつまでそこにいるんだ。
さっさと店に戻れよ。」
気付いた戒が不満そうに息を吐いた。
「い、言われなくても、今から帰るところよ!
その前に! ん!!」
手を突き出すシュナ。
「何の真似だ?」
戒が訊いた。
「返しなさい、聖十字。」
「……え。」
「『え』じゃない! 当たり前でしょ!!
さっきは、ちょっとかしただけなんだから!!」
「…くそったれ……」
悪態をつきながら、聖十字を取り出し、乱暴に投げつける戒。
彼女はそれを受け止めた後、両目を閉じてそれを力強く握り締め、静かな足取りでその場を後にした。
「…変わった別れの挨拶……ですね…?」
そんな二人の様子を交互に見て、クゥは不思議そうに呟くのだった。
◆ ◆
昨晩の外界の喧騒を露とも知らぬ、中河亭の早朝。
鼻歌混じりに、小さな布巻きを片手に廊下を歩いていく料理長ボング。
(あいつが昨日作った料理……悔しいが、ありゃあ良く出来てた…。
そろそろ包丁を握らせてやってもいい時期だろう…)
老人の言葉に負けたのか、それとも「きっかけ」を待っていたのか。
自分の気持ちは良く分からない。
(これまで、俺の『いびり』によく堪えたしな。
ま、あいつも…それなりに覚悟して戻ってきたってことだ…)
シュナの部屋の前で、ノックしようとする手が止まった。
早朝にもかかわらず、異様な物音がする。
「……おい、シュナ…!?」
わずかにドアを開いて中を覗くと、彼女は荷作りの最中。
それも、自身は完全な下着姿である。
「……す、すまん……!
いや、そうじゃなくて!!
何やってんだ、おまえ…!」
「…今まで世話になったわね、ボング。」
扉の裏に退避した彼に、まるで気にせず着替えを終えたシュナが声を掛ける。
「出て行ってやるのよ、こんな店。
いつまでたっても厨房に立てないし。」
「……どこへ行こうってんだよ?」
途端に心配そうな顔で詰め寄り、彼女の両肩を掴む彼。
「あんたに関係ないでしょ!!」
「…あぁ……確かにな。」
突き飛ばされたボングは半笑いで、自分の胸元を掻いた。
「言っておくがな、おまえ。
昨日の料理、最悪だったぜ。
やっぱり、長年のブランクが大きいことが良くわかった。」
「……何よ。
これから去るって人間に、まだ説教?」
「もう絶対、ここには帰って来るなよ。
親方も俺も、そんなに優しくないんだからな。」
「こっちから願い下げだっての!」
「へっ! こいつは今までの給金だ。
達者で暮らしな!!」
ボングはそう言って、尻ポケットから財布を取り出す。
「あと……それで足りねえ分は、現物支給で我慢しやがれ!!」
そして、共に、布で巻いた小物も一緒にベッドに投げ捨てる彼。
部屋の床は大きく踏みつけられ、扉は強く閉められた。
(フン、だ。
私は何とか、自分の道を見つけてやるんだから……。
とりあえず今は……あいつに会う理由も作ったしね。)
シュナは笑顔で、赤い十字架を胸の間に忍ばせた。
「ん?」
そして何気なく、彼が投げた財布の中身を確認する。
(……何これ?
めちゃくちゃ入ってる…)
続けざまに、布巻きを拾い上げる彼女。
(げ、現物支給って……!?)
包まれていたのは、ぴかぴかに磨かれた一本の包丁だった。
「……!!」
跳んで、扉のドアノブを握る。
だが、先程の彼の心中を思えば、それを捻ることは出来なかった。
「……ばか…!!」
そして彼女は、扉の板に頬を擦りながら、その場にへたりこんだ。
◆ ◆
「…………。
よく我慢したのう。」
厨房のカーテンをわずかに開き、離れていくシュナの姿を窓越しに見詰めながら呟く老人。
「だって……ご隠居ぉ……言ったじゃないっすかぁ……!
あいつぁ、世界を旅して、もっと見聞を広げた方がいいって……!!」
流し台に両手を突いたまま、鼻声でボングは呻いた。
「俺ぁ、そばにいて欲しかったけどよぉ……!
今、これがいい機会だと思ったんですぁ……!!」
拳を握り締め床を叩き、大粒の涙を流しながら彼は胸の内を吐く。
「あれは賢い子じゃ。
今頃、おまえの思いは、きっと伝わっとるよ。」
丸まった大きな背中に手を乗せて、老人は言った。
「…さて、今日の仕込みを始めるか。
ウチは料理店じゃからのう?」
「………はい…。」
涙を拭い、必死に笑って見せる。
再会の期待を胸に。
彼は以前と同じ、退屈な日常の訪れを歓迎した。
◆
◆ ◆
◆
中王都市の地下深く、人知れず建造された地下迷路。
任務を与える部屋。
任務を終えた者達が会話を交わす廊下。
食料と武器を調達する倉庫。
宿舎や訓練場。
それらの施設が大陸各地に存在するなど、地上に暮らす殆どの民は知る由も無い。
さらに驚くべきことに、その文化には数百年の歴史の重みがあった。
そこへ舞い込んだ、一つの事件。
その日の執務室は、深夜からずっと閉め切られ、立ち入り禁止となっている。
「…大変なことだぞ……」
口にくわえたパイプを手に取ったまま、後退した髪の毛を弄りながら呟く背広の男。
「…この文書に記されていることが事実だとすれば……近いうちに中王都市は真っ二つになる。」
彼は自分の吐き出した煙で満ちた、低い天井を見上げた。
「……まずい…非常にまずいな…」
そして、ポケットから取り出した一粒の錠剤を、デスクに置かれた緑茶で喉に流し込む。
「心配にゃあ及ばんでしょう。
この報告が上がってから、もう随分経つ。
先日から行われている『絶対審判』は、今にも判決を下しますって。」
部屋の隅で、冗談めいた軽口と共に笑う、黄色と黒の縞スーツの男。
さらに彼は、同柄のバンダナと赤みの深いサングラス装着している。
「……確かに、早急に『久遠』全体の意思を決めてしまえば……被害は最小に抑えられよう。」
目を見開き、そんな彼と対面する男。
「しかし解せんぞ……。
これほどの機密が流出するなど…あまりにも不自然だ。
騎士団か軍隊…どちらかが意図的に情報を漏洩したとしか思えん。
まるで……我々に介入しろと言っているかのようだ…」
「踊らされてるって?」
バンダナの男が肩にかけている、大きな鎌の刃が開いた。
「まあ、真偽がどうあれ…動かないわけにもいかんでしょう。」
「…わかっているが、しかし……!
他国からの脅威ならまだしも、まさか同士討ちとは!
これでは我々は…一体何のために……裏で手を汚し続けてきたというのだ!!」
「お怒りはごもっともさん。
でも、来たるべき事態に備え、役者は揃えないとね。
…それも天命人級を。」
「……天命人か…」
苦虫を噛み潰したような表情で、目の前に飛散した書類を掴む彼。
「今すぐに動ける者は……執行官:『音速のギュスターヴ』、それと……おまえだ。」
「オレっち、本職は実動隊じゃないんですがねぇ。」
肩をすくめる男の軽口に対し、胃痛は増してくるばかりだった。
「いちおう、確認しておきますぜ、ノディア支部長。
この国の未曾有の危機だ。
絶対審判では、必ず、二つの勢力のうちのどちらか片方を潰すという採決が取られるでしょう。
そん時は絶対に躊躇しないでもらいたい。
火事場においては、火元を一気に潰さないと手遅れになるって…」
「私が何年、この仕事をやっていると思っているんだ!!」
彼は、とうとうパイプを叩きつけた。
だが、その恫喝に臆することなく近寄るバンダナの男。
赤いサングラスを外さないまま、目元に寄る。
「……躊躇するなって言ったろ?
その時が来れば、こたびの執行部隊には遠慮せず、中王都市の『特級執行長』の名を加えておいて下さいよ。」
「まがりなりにも…国の軍事組織を…大罪人扱いするというのか……。」
「オレらの尺で測れば、大陸の平和を乱すものこそが最も罪が重い。
それには充分に値してるんじゃないんですかねぇ?」
一転、歯を剥き出して笑う彼。
願わくば…何かの間違いであって欲しい。
―――そう願いつつ。
「至急、ノーツの寝ぼすけを呼び戻せ。」
部長は執務室の扉を開け、外の秘書に重々しく告げた。
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第三章
第一話 『同級生』
了
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