2-3 「火種」
◆
This story is a thing written by RYUU
Air・Fantagista
Chapter 2
『It runs on ground to go to the heaven』
The third story
' The small charcoal '
◆
◆
◆ ◆
「行ってしまうのね、リ・オンさん…。
寂しくなるわ。」
朝靄の中。
彼女が言う。
「…傷は、もう大分良くなった。
私がここに居る理由は…もう無い。」
飛翔艦から伸びた長い橋を降り、少し冷える波止場に立ったままリ・オンは言った。
「ただ、この恩は忘れない。
いずれ…」
「よせよ。」
湿っぽくなるのを恐れたのか。
眼前の男は照れくさそうに、太く短く言った。
「それより聞いてくれ。
こいつの名前……決めたんだぜ、リ・オン。」
そして、太い指先で胸に抱いた赤ん坊の髪を撫でる彼。
「…聞こうか。」
リ・オンが義足に体重をかけた。
「……『世羅』だ。
世羅=ディーベンゼルク……いい名前だろ?」
男はいつものように、大きな笑顔と共に言う。
「…憶えておく。」
リ・オンは瞼を閉じて、軽く呟いた。
「そして約束しよう。
将来、私がその子に会うことがあったなら、必ず…」
言葉が終わる前に。
笑い、手を振る夫婦。
遠ざかっていく景色の中。
その時、自分は決意を持って大地を踏み出したのを、彼は再び思い出していた―――
◆ ◆ ◆
耳の後ろから吹く、冷たい風。
「―――!?」
気配に気付き、世羅が振り返る。
少し小高い丘から、ただ押し黙って世羅を見詰める瞳。
リ・オンの上着の長い裾がたなびいていた。
◆
◆ ◆ ◆
エア・ファンタジスタ
Air・Fantagista
・
第二章
天へ往くため地を駆けて
・
第三話 『火種』
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1
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◆
◆
「まさか、サイア商会の豪邸で休めるとはな……」
小綺麗な椅子に軽く腰掛けたバーグが足を伸ばしながら、天井に吊るされた豪華な細工の
シャンデリアを真っ直ぐ眺める。
「…知ってんのか?」
戒が訊いた。
「ああ、有名な武器商だ。
傭兵時代に……何度か武器を買ったことがある。
安くはないが、そのぶん質は確かだったが…」
バーグは呟いて返し、手前にあるカラメル色の鶏の姿焼きを何気なくフォークで突き刺す。
パリ、と乾いた音と共に破れた肉の表面からは、香ばしい匂いが立ち昇った。
その湯気を見上げながら、手を止める彼。
彼等が部屋に入った時には既に、テーブルにはそんな豪勢な料理が並べられていた。
加えて室内や廊下、至る所に置かれている美麗な芸術品の数々は、そこがまぎれもなく絵に描いたような
富豪の邸宅であることを証明していた。
敷き詰められた柔らかな絨毯も、長旅で疲れきった足首を優しく癒す。
…だが、皆がそんな待遇を不自然に思う。
それは当然のことであった。
「そ…それでですねえ…」
「中王都市まで連れてってくれる話…どうなりますかねえ…」
その中で、極めて低姿勢で尋ねる続けるイールとムール。
ゴーグルをつけているので相変わらず無表情な顔つきだったが、彼等の不安は伝わるものがあった。
「…まあ、大丈夫だろ。
話は俺からつけてやるさ。」
「おまえ、そんなに偉いのかよ。」
戒の横槍にバーグは首を横に振り、すぐに肩をすくめた。
「偉くねえけどよ、土下座してでも頼むしかねえだろ。
約束だしな…。」
さらに彼は言いながら、壁に寄りかかるザナナの方を見る。
「…お前はどうすんだ?
森へは帰らねえのか。」
「………ザナナ、悩んでいる。」
黒い豹の頭が少し揺れた。
「一体何を悩んでるってんだ?
…ていうか、不笑人でも悩むことがあるのかねぇ。」
苦笑しながら頭を掻くバーグ。
そこでドアノブが回る金音。
皆が注目する中、客間の扉が開かれた。
「…ふぅ…ええ湯やったわ…」
タオルを片手に髪の毛を拭きながら、入って来るシャロン。
世羅もその後から続く。
彼女達からは湯気が上気しており、石鹸の香りが瞬く間に室内を占拠した。
「あ…すごい…!」
テーブルに置かれた豪華な料理の数々に、すぐに目を輝かせる世羅。
真っ先に誘われるようにしてテーブルにかじりつく。
「まだ手ェ出すなよ。
卑しいと思われるからな。」
椅子に座る戒が、腕を組んだまま不機嫌そうに言った。
世羅は椅子につけた尻を浮かしたり沈めたり、そわそわしながら指をくわえ、それに従う。
「―――構いませんよ。
どうぞ、召し上がって下さい。」
灰色の髪、大きく黒目がちな瞳が印象的な身なりの良い青年。
そしてその背後には、表情の無いメイド。
そんな二人が、開け放たれたままになっている扉の奥、廊下側から姿を現していた。
「あんたがこの家の亭主……じゃなさそうだな。」
全員が彼らに対して少し身構える中、青年に言葉をかけるバーグ。
「父が直々に挨拶出来ない無礼をお許し下さい。
ただ今、壊された結界を修理する手配をしておりますゆえ……。」
毅然とした態度。
だが全員に対しての言葉のはずなのに、彼の目は世羅のみを捉えていた。
「私はジン=サイアと申します。
遠慮はいりません、どうぞ楽にして下さい。」
さらに彼は世羅に近寄ると、彼女の小さな手をとり、深い礼をする。
その様子に、全員は互いの顔を見合わせた。
「……食べていいの?」
「どうぞ。
毒など入っていませんよ。」
たずねる世羅に再び返される、柔らかいジンの言葉。
彼はさらに、握った彼女の手にもう一方の手の平を被せた。
そして世羅は無言で、戒の顔色をうかがう。
「……いいんじゃねえか?」
戒は面白くなさそうに、口を歪ませて言った。
途端に食器を手に取り、世羅は乱暴な食事を開始する。
だが、目の前のジンはその様子を見て、顔をしかめるどころか、微笑みさえ浮かべていた。
(………なんなんだ?)
戒は目の前に突然あらわれるなり、世羅へのあからさまな好意を示す彼の心理が読めないでいた。
「な、なんなんだ!?」
そこへザナナの上ずった声。
見ると、壁際に追い込まれたザナナが先のメイドに着物を脱がされ、上半身を触られていた。
「ふ…ぐうううっぅぅぅぅ……!」
唸りながら、さらに高い声を出す彼。
「エンゼルエンデルハイムは優秀な魔導人形。
これより、皆様には彼女に診察を受けていただきます。」
物腰を崩さない態度で、ジンが言った。
「この方は内臓を痛めております。
後で薬を処方いたしましょう。」
そうこうしているうち、魔導人形が言う。
ザナナは彼女の手を振りほどくと、無言で自分の腹部をさすってから急いで着物を纏い直した。
「……たいへん! 戒、治してあげて!!」
食べながら叫び、食器をテーブルに乱雑に置く世羅。
「あ、ああ……。」
戒が苦笑を浮かべながら答え、立ち上がる。
だが対照的にザナナは一歩退いて、それを制した。
「平気だ。
ザナナ、そんなに弱くない。」
「…無理するんじゃねえよ。」
ポケットに片手を突っ込み、視線を伏せてピアスをいじる戒。
「無理してるのは、戒、おまえだ。」
豹の皮の奥の目が、そんな彼を射抜く。
「誰だって、痛いのは嫌だろう。
身体は自然に治る、心配いらない。」
そう言うと彼は腕を組み、黙って壁に背をもたれかかる。
「…他のフ族にも、言っておいた方がいい。
おまえの能力は、そんなに軽々しく使えるものではないと…」
「わかったわかった。」
あたかも世羅を責めるかのようなザナナの口調に、戒が素早く答えた。
「ところで…俺も脇腹をかなり痛めたんだがよ…」
上着を半分まくり、肌をさすりながら魔導人形に近付くバーグ。
「…せや!
あたしも森中駆け回ったもんやから、体中を枝とか葉で擦ってもうて…」
興味半分でやって来るシャロン。
イールとムールも彼女の背後で愛想笑いを浮かべる。
「……貴方は大丈夫でしょう。」
ところが、バーグに向かって即答する魔導人形。
「それと……貴方と貴方と…貴女も。」
そして冷めた目線で、シャロンら三人を眺める。
「なんで、そう言い切れるんだよ。」
バーグは不満そうに口を尖らせた。
「見た目が平気です。」
魔導人形と同様、冷めた目つきで歩み寄って答えるジン。
「なんでやねん!!」
思わず駆け込み、シャロンは彼の胸元を手の甲で突っ込みをいれた。
「……さて…」
だが、ジンは無反応。
残った戒とその横の世羅へ目を向ける。
それになぞられて迫る無機質な魔導人形の視線に、戒が思わず一歩退いた。
「貴方は…」
均整の取られた妖美な人形の顔。
それは戒の顔に寄り、体温の無い指先が彼の頬の傷に触れた。
「……触るな。」
顔を振り、彼女の手を払う彼。
「これは昔の…」
「いえ。」
魔導人形は無表情で自分の額を指す。
それに倣うように、戒も自分の同じ箇所に触れる。
今は血は止まっていたが、そこには確かに先の戦闘で負った切り傷があった。
「貴方は、適当な塗り薬で充分でしょう。」
ジンが言った。
横切る際に二人の視線が重なる。
しかし、ジンはすぐに戒の視線から目を外して、その後ろの世羅に合わせた。
「…そして、貴女は……」
ジンの代わりに言い、食事に夢中の世羅を見下ろす魔導人形。
「どうぞ。別室へお越し下さい。」
彼女の手を取り、引く。
「………?」
ちょうど肉団子を口に頬張っている途中。
そんな世羅が大きくまばたきした。
「おい、何を勝手に決めて…」
すぐに魔導人形へ詰め寄る戒。
だが、その間へ身体ごと割って入るジン。
「…彼女は『男』ですか?」
そして、彼は言った。
「……あ?」
見当違いの言葉に、戒が目を剥いて凄む。
「どういう意味で言ってんだ、この野郎…!」
「『女性』ならば、皆さんが居るこの部屋で軽々しく診察出来ないでしょう?」
戒の静かな恫喝にも全く動じずに、ジンは襟を直しながら答えた。
「あいつは、どこも悪くねえぞ?
食欲も旺盛だし…」
バーグが言う。
「あれだけの戦闘の後です。
言い切れますか?」
自分達とは明らかに違ったその対応に、言葉をかけたバーグ、さらにシャロン達も唖然となった。
「……さあ、どうぞ…別室を用意してあります。」
魔導人形は早くも廊下への扉を開き、世羅を促している。
「……戒…」
半ば強引に手を引かれ、不安げな瞳で世羅は戒に訴えた。
「…待て……!!」
ジンらを止めようと、必死な顔で戒が前へ出る。
だが、その瞬間―――
「料理…」
世羅の口をつく、意外な言葉。
「ボクの分も…残しておいてね…」
その泣きそうな声に呆れ果て、途端に脱力する戒。
そうこうしているうち、魔導人形は室内にジンを残したまま世羅を連れて行く。
ドアはきつく閉められ、戒は立ち尽くしたままで暫くその扉を眺めていた。
「なんやねんな、この差は……!」
そんな彼の横顔を見ながら、腹いせに手元の料理をがっつくシャロン。
「あきらかにリアクションが違いますねぇ…」
「それより……こりゃ、うんまい。」
イールとムールも手羽先を手に取り、かじりつきながら言った。
「…ところで…戒ってお医者さんかいな?」
「……なんだと?」
シャロンの言葉に、戒は我に返って肩眉を上げる。
「怪我を治すとか、さっき言うてたやん。」
「ああ、それか…」
面倒臭そうに生返事しながら、彼は何気なく手前のパンを手に取った。
「こいつ、『天命人』なんだ。」
「…余計なことを言うんじゃ……ねえ!」
横から口を出すバーグの肩口に、戒はフォークを突き刺す。
「へえ……そうなんや。」
だがシャロンは平凡に答え、イールとムールも何事も無かったようにもぐもぐと口を動かしている。
「ありゃ。
あんま、驚かないんだな。」
残念そうに呟くバーグ。
「天命人って、みんなけったいな能力があるんやろ?
あたしの身内にもおってな。」
「……じゃあな、これを聞いたら驚くだろうなぁ…」
彼は今度は、笑いを含む自信満々の表情をした。
「アホ言うたらあかんで、おっちゃん。
あたしらがそうそう驚くことなんてあるかいな。」
答えるシャロン。
脇のイールとムールも大きく頷く。
バーグは大きく息を吸って、口を開いた。
「こいつは、修道士だ。
しかもレティーンの神学校、首席卒業…」
「えッ…えええぇえぇぇええええっ!?」
今度はすぐに天井に届かんばかりに飛びあがり、口にした料理を吐き出しながら叫ぶ三人。
「み、見えませんねえ!!」
「全然!!」
大口を開けて、戒を指差すイールとムール。
シャロンは爆笑し、声にならないで身体をくの字に曲げて悶絶している。
「だから、余計なことは言うなって言ったろうよ…」
「きひひ……。」
戒が不機嫌な表情で頬杖をつくのを見て、バーグは意地の悪い笑みを浮かべた。
息も絶え絶えに、腹を押さえて、シャロンが戒の顔を見る。
「…何て恐ろしいギャグや……。
ああ…おっかしいで…。
…どっちかっていうと…あたしらと『同業者』系の顔やのになァ!」
まだ所々に笑いを洩らしながら、ようやく言う彼女。
「……パン屋か?」
戒は半開きの口で答え、何気なくパンを手にとって眺めた。
「……あ、イヤ、職人系の顔ってことで…!!」
「お兄さん、渋い!!」
すぐにシャロンの口を押さえ込み、必死に誤魔化すイールとムール。
「……?」
彼らの、不自然な動きと汗。
それを怪訝な表情でうかがう戒。
「そ、そうや、これも前から訊こうと思っとったんやけど…」
たまらず話題をすりかえるシャロン。
「戒は、あの世羅とどういう関係やねん?」
「!」
不意を突かれた質問に、彼は思わず口に含んだ水を噴き出す。
「ただの仲良しや……ないと思うてん。」
女の目つきで、シャロンは戒を見た。
「…ただ行き先が同じだけだ。」
重い口で答える彼。
「……あいつ…一見 能天気そうに見えるけど、何か重いもん背負ってるんちゃうか?」
「何で、そんなことわかるんだ!」
大声で戸惑う戒。
「さっき風呂場でちょろっと見たんやけどな…世羅のやつ…身体に何か真っ黒なアザがあったんや。」
「あれ……火傷とかの跡じゃねえのか?
俺も突っ込んで聞くのは、ちょっと悪い気がしてよ。」
バーグも加わる。
勿論、彼は戒の顔を見て言っていた。
「何で、揃って俺様に聞くんだ!?」
「だってお前ら、何度も裸の付き合いしてるくらいじゃねえか。」
「だから、余計なこと言うんじゃねえよ!!」
戒が顔を真っ赤にして、バーグの首を両手で掴んで左右に揺らす。
「……恋人同士なんや。」
妙に冷めた目つきで、その二人の会話を見詰めるシャロン。
「勝手に勘違いしてろ!!」
戒が大声で叫んだ。
先の戦闘とはうって変わった、その和やかな光景。
少し身を引いて、バーグは目を細めた。
「まあ…いいや。
俺も、ひとっ風呂浴びてくらあ。」
彼はのそりと立ち上がり。
「…俺は他にも用事があるから、もう戻ってこねえからよ。
後はよろしくやってくれ。」
わずかに顔をしかめながら、誰の返事も待たずに部屋を出る。
「……神学校を首席卒業…。
クレインの至宝『聖十字』を持つ修道士ですか。」
「うっ!!?」
そこで突然低い声をかけられ、戒は思わずたじろいだ。
いつの間にか脇に座り、紅茶をすすっているジンが居る。
「…なるほど。」
戒の頭から全身を、彼の視線がなぞる。
(……こいつ…まだいたのか……)
どこか気に食わない青年のそんな態度に、途端に不機嫌になる戒。
目つきをさらに悪くする、そんな彼の様子にジンは鼻で笑い、紅茶をまた一口すすった。
「…さらに天命人ですか……。
見えませんね。」
連なる言葉に、戒は思わず拳を握り締める。
「あっ……あいつ……!」
その様子を少し遠くで眺めていたシャロンが歯軋りする。
「お嬢?」
「…どうしたんで?」
「あいつ……あたしらがやったネタを再びかぶせおった……!
高度なテクニックや……出来る!!」
だが、またも彼女の言葉を無視したまま、その青年は戒に視線を降ろしたまま立ち上がり
部屋を後にした。
「なんだ、あいつ……!
態度のでけえ野郎だ!!」
「塩まいとけ、イール!ムール!!」
叫ぶ戒とシャロン。
「いいのかな……別にうちらの家じゃないのに…」
不安げな表情で、二人はテーブル上の食塩を手に取った。
そんな彼等と共有する雰囲気に一種の馬鹿馬鹿しさを覚えると、安心したのか。
戒は途端に、疲労による睡魔に襲われる。
「…まあいい。
俺様は少し寝る。
……絶対に起こすなよ。」
続けて彼は眉間を押さえながら椅子から立ち上がり、だらしなく壁際で横になった。
弾力豊かな絨毯は、高級ベッド並みの寝心地に思えた。
「そんなら、あたしも寝させてもらうかな…」
紛れて戒の横に並んで横になるシャロン。
彼は勿論、即 彼女に蹴りを入れて突き放したのだった。
◆ ◆
「……場違いですよぅ…」
ルベランセから、サイア邸の一室に呼び出されたミーサ。
ひどく落ち着かない様子で、彼女はうつむいて呟いた。
「え?」
それまでソファに腰を深く沈め、くつろいでいたフィンデルが思わず姿勢を正す。
「…どうして、私なんですか?
こういう綺麗な場所なら、士官の人の仕事だと思うんですが…」
「あ…そういうことね……。
でも、技術面から具体的な意見が聞けるのは、うちではミーサだけだし…」
フィンデルが答える。
「……他にも、何か理由が?」
ミーサが不安げな表情で尋ねても、前にした彼女はただ、にやにやするばかりであった。
そんな中、不意に部屋のドアが乱暴に開けられる。
姿を見せたのは、体格の良い男。
「……おう、副艦長。」
男はフィンデルを目に認めると、ぶっきらぼうに挨拶をする。
短く刈り上げた髪に、精悍な顔つき。
太くて座った首が、固くて強い意志を思わせた。
「……誰ですか?」
小声でフィンデルに囁くミーサ。
―――男は、中王都市軍の軍服を着ていたのだ。
「ミーサも来てるのか。
なんか……もう長い間会ってなかったように懐かしく感じるな。」
「……も…しかして……!!」
男が首からかけた細い鎖。
憶えのある『それ』を見た瞬間、立ち上がるミーサ。
「バーグ!?」
駆け寄り、人差し指を突き刺す勢いで出す。
それに合わせて思わずのけぞる彼。
「……何だよ、気付かなかったのか?」
「だって…だって……」
「さっき風呂場で髭を剃ったが……それくらいで、印象が変わったかなぁ?」
顎をさすりながら、彼はおどけて見せる。
「無事だったのを知ってて……一言も言わないなんて…ずるいです……副長。」
ミーサが涙を目に溜めて、フィンデルに訴えた。
「ごめんなさい。 驚かせようと思って。
……度が過ぎたかしら?」
微笑みながら、彼女が言う。
その言葉に一転、笑顔になるミーサ。
「ま、再会の挨拶は置いておいてな。
……軍人らしく、まずは報告でもさせてもらおうか。」
バーグはミーサの肩を軽く叩き、かしこまって一歩前に出る。
「バーグ=ハウド二等兵、ただ今 帰還いたしました。」
そして敬礼もせず、言い放つ彼。
「…はい。」
フィンデルは両手を重ねて自分の腿に当て、聞く姿勢を改めてとる。
「まず、炎団の撃破に協力してくれた子供達は無事です。
さらに森の中で民間人3名を保護。
こちらの被害は、戦闘騎2機と……」
バーグが真っ直ぐな瞳で、中空を見詰める。
「リジャン=デベント曹長が戦死いたしました。」
「……!!」
フィンデルが息を詰まらせる。
彼の姿が見えなかったことからある程度は予測していたが、彼の報告を聞くまでは故意に
考えぬようにしていた。
同じく、ミーサも悲しみに視線を落とす。
「以上、簡単でありますが―――報告終わります。」
そして、バーグは口を閉めて胸を張った。
「ご苦労さまでした……どうぞ楽にしてください。
あと…もっと自然な言葉で構いませんよ?」
「……ああ。
助かるぜ、ガラじゃねえしな。」
促され、苦笑しながらソファに腰を降ろすバーグ。
「疲れているでしょうけど……二、三質問させてもらっても宜しいかしら?」
「いいさ、なんなりと。」
一息ついてから、彼は胸ポケットから煙草を取り出した。
「…何故、空にいた貴方達が森から戻ってきたのですか。」
「そうだなぁ…まあ色々あってな…」
バーグが耳の裏を掻く。
「信じるかい?
俺達があの炎団の艦を撃破したことを…」
そして片手でライターの火を点け、くわえた煙草に近付けた。
「それは無茶な作戦だったんだぜ…。
特攻に近い形で乗り込み、俺達は奴等の飛翔艦を制圧した……。
それまでは…良かったんだよな…」
目を閉じ、一言一言をゆっくりと放つ。
「俺達はそのまま、制圧した飛翔艦でこのゴーベまで来るはずだった。
だが……」
ぼんやりとした火が、くわえた煙草の先をじりじりと焦がす。
「突然現れた『一機』の戦闘騎によって、全て堕とされちまった……。
残っていた炎団の戦闘騎も…。
飛翔艦も、俺達も……リジャンも、みんな根こそぎだ。」
「たったの……一機…?」
それまで黙って聞いていたミーサが声を上げた。
「それも…あんた達…もちろん俺も知っている機体だ。」
「?」
不思議そうな顔をするフィンデル。
「銀色の戦闘騎を憶えているだろう?
俺はもう絶対に忘れない。」
バーグは歯を強く噛み合わせて力んだ。
「……そんな…!」
今度は察した彼女が、そのまま言葉を詰まらせる。
「…操縦している奴の姿は誰も見ていないがな。」
「……そう…」
「おいおい。」
安堵の色を浮かべるフィンデルを見て、バーグは空いているグラスに煙草を押し付けた。
「あの日、ウチの格納庫に来たやつに間違いないんだぞ。
かなり特徴がある機体だ……見間違えるなんてありえねえ。」
そして強い語気で続ける。
「あんたが、あの聖騎士に対して特別な感情を持っていても…ひいき目は無しだぜ。」
彼の手にする、曲がって短くなった煙草の燃えカスの先がフィンデルに向いた。
「そんな…私は別に…」
「まあ、証拠や確証があるわけじゃない。
断定出来ないといえば出来ねえ話だ。
…こっちの調査は、あんたに任せるよ。 ……真偽の判断もな。」
バーグの指がグラスの表面をなぞった。
「だがこの先、万が一『あいつ』に会うようなことがあったら、俺は必ずこのことを問い詰めるつもりだ。
……少し乱暴な方法になってもな。」
グラスを爪で弾く。
乾いた、冷たい金属の音が響いて消えた。
「でも……聖騎士が…何故?」
暫くしてから、ミーサが呟く。
「俺が知るもんか。 大方、騎士団と軍が仲が悪いことが関係してるんだろうよ。」
「冗談じゃない…賊と結託して同国の人間を売るなんて……ありえないわ。」
フィンデルが強い口調でバーグに言った。
「難しい予測は国に帰ってからにしようぜ。
ちなみに……そっから先は、あんたが見てのとおり。
……墜落した森から奇跡の生還ってやつだ。」
バーグが話を閉める。
その年相応の大人びた雰囲気に、二人は目を見張った。
「少し…変わりましたか?
バーグさん。」
思わず口にするフィンデル。
「人がそんなにすぐに変われるもんかよ。」
バーグは目線を合わせずに、横を向いたまま答えた。
「ただ……あの森で、友と約束をしてきた。
今、俺には生きる目的が明確にある。」
目を半分閉じかける彼。
フィンデルとミーサは、語る彼の横顔に見入っていた。
「……それだけだ。」
室内に立ち込める、湿っぽい空気に気付いたバーグが照れくさそうに笑った。
「あと…俺のことは呼び捨てでいい。
上官なんだから、これからはもっと部下を気楽に使いな、副長さんよ。」
彼からの優しい言葉に、フィンデルは微笑んで頷く。
「……そうだ。
あとよ、中王都市まで連れって欲しいって奴等がいるんだけどよ…何とかならねえかな?」
「考える時間をもらえるかしら?
今はちょっと…用事があって…」
「ああ、構わねえよ。
じゃあとにかく伝える事は伝えたんでな、俺はこれで…」
そそくさと椅子から腰を上げるバーグ。
「……あ…」
つられて、ミーサが彼に手をさし伸ばした。
「待って。」
そこですかさず、フィンデルが引き止める。
「これから、私はリ・オン氏に呼ばれています。
その間、二人でお話でもしていたらどうかしら?」
「俺とミーサが?」
「な、なに言ってるんですか、副長!」
ミーサが耳まで真っ赤にして叫ぶ。
「彼女、慣れない場所で妙に緊張してるから、話し相手になってて頂戴。」
「……ああ。
別にいいけどよ。」
何気なく答えたバーグ。
微笑みながら部屋を後にするフィンデルの好意に感謝しながら、その脇でミーサはうつむいた。
そして、座る位置を少し彼に近づける。
長く鈍かった夜の時間が、そこからは早く流れていくように感じられた。
◆ ◆ ◆
「…今日は…語らい合いましょうか。
落ち着いて…ゆっくりと…」
少年の声が響く。
全身が浮いたような感覚の中で、戒は自分の即頭部に手を添えた。
(何が……ゆっくり…だ。
また……現れやがって…!)
いつもの悪い夢。
起きれば、どうせ全てを忘れているに決まっている。
戒は薄い意識の中で、頬の傷を手の平でなぞった。
「…大事な傷……なのですね。」
少年の影が揺れ、その彼の様子を見ながら言う。
(……絆だ。)
消えそうな声で囁く戒。
《貴様は生涯、傷を負う必要など無いはずだ…。
代わりに誰かに傷を負わせ、それを貴様が癒してやれば済むこと。》
異質な声が突然鳴り響く。
(俺は……あいつが一瞬でも傷付くのが嫌だった。
そのことを話したら…あいつは余計に泣いたっけか……)
その声に対して、戒の口は馬鹿のように正直に動いていた。
《それは…世羅のことではなく……》
「貴方の大切な人なのですね……」
脇から再び、少年の声。
(ああ……)
「どんな……誰よりも?」
(ああ……そうだ。)
歪む視界。
己の存在する空間。
そんな中で、戒は必死に言葉を搾り出していた。
《自分が犠牲になることで、誰かを救う…。
その行動は理解しがたいが、貴様は己の道を正しいと信じて疑わない。
だが、それはいずれ……》
「…残念です。
貴方ならもしかして…と思ったのに。」
重なる二つの声。
(勝手に……残念がるんじゃねえ…。
俺は最初から……そんなつもりは…)
《世羅の『さだめ』は…》
《…これからもっと険しいものとなるぞ…》
《…誰が守るというのだ?》
戒の言葉を遮り、次々と被せられる無数の言葉。
「……う…るさい…どうせ…これは夢なんだろ…」
対して、彼は重い口を動かす。
ふっ、と視界が白く染まった。
何も見えなくなった中でも、口を動かし続ける彼。
「…ゆ……め……?」
突如、鋭敏になる意識。
戒は今度は、口をついて出た自分の声をしっかりと耳で感じ取って目を覚ました。
◆ ◆ ◆
粘ついた絨毯から頬を離す。
目に飛び込むのは、自分に胸に寄り添い小さくなって寝ている、いつの間にか帰って来た世羅。
戒は暗がりの中、立ち上がる。
大分、時間が経っているのだろう。
明かりの消された室内。
手で壁を確かめながら、扉へと向かう。
暗い闇に目が慣れれば。
シャロン達三人は床に大の字に。
バーグの姿は無い。
壁際で胡坐をかいて寝ているのはザナナであることが判った。
静かにドアを開けて、廊下に出る。
眼前に飾られた絵画。
目の覚める、芸術の数々。
それを皮切りに、記憶は確かになっていった。
「てめえは……一体…何者なんだ…」
何も無いところで、独り壁にもたれかかる戒。
目を閉じて、闇の中で呟く。
自分の意思とは無関係に、前へ疾走していく感覚。
それは、いつも思考を追い抜いて焦燥だけを残す。
「何故…俺様に命令する!!」
目を開け。
苛立ちと共に壁に叩きつける拳。
その自分の指には、何かに反応するかのように 天命の輪が静かに浮かんでいた。
◆
「―――失礼します。」
数度のノックの後、室内に入るフィンデル。
そこには既にジンの姿。
さらにその奥では、机を挟んでリ・オンが座っている。
「結界の方は…」
「心配ない、処理はもう終えている。」
尋ねるフィンデルに、淡々とした返事。
「それよりも副艦長殿。
貴方の言う『世羅=ディーベンゼルク』……確かに、あの森から出てきた者達の中にいたようだな。」
リ・オンはジンを横目で見ながら言った。
「…これは運命だろうか。」
彼は小さく呟く。
「…おっしゃっている意味が良くわかりませんが。」
フィンデルの声がわずかに震えた。
「私は『ディーベンゼルク』と名の付く人間は、もう既に大陸中をくまなく探している。
…それこそ莫大な金をかけてな。
だが、私の知っている子と名前や年齢が一致した事例は今回が初めてだ。
これを……他にどう説明すれば良いのだ?」
「肝心の…性別が一致していませんが…」
彼女の言葉にも、リ・オンはまるで表情を変えなかった。
「父上は、記憶違いをしておられたのでは?」
そこでジンが口を挟む。
「そうであると願いたいが……私はそんなに間抜けではない。」
先と矛盾するリ・オンの言葉に、二人は困惑した。
そんな中で開かれる扉。
魔導人形が静かに姿を現す。
「どうだった、エンゼルエンデルハイム。」
「…はい。」
主人からの問いかけに、一呼吸おいて彼女は答えた。
「検査の結果、『世羅=ディーベンゼルク』は99パーセントの確率で女性であると思われます。」
「!?」
その抑揚の無い人形の言葉に、フィンデルが血相を変えて立ち上がる。
「一体…何をしたのですか?」
「私は、まず彼女が性別を偽っているのではないかと疑った。
だから、調べた。 何か『まずい』かね?」
「……それは…!
…少し、やり方が卑怯ではありませんか。」
「ならばその前に本人へ事情を説明するべきだったと言うかね?
なに、調べたのは心の通わない人形……人権は守っているつもりだが。」
「私は、そういうことを言っているわけでは……!」
「貴女の言いたいこともわかる。
だが、私はこの件に関して誰にも譲るつもりはない。
それだけ……本気なのだよ。」
真摯なリ・オンの瞳に、フィンデルはその場を退いた。
「何か、他に気付いた点は?」
彼は続けて、魔導人形に訊く。
「彼女の身体には痣のような…黒い紋様が体中に広がっています。」
「それは火傷の跡ではないのか?」
ジンがすかさず言った。
「いいえ、『それ』は肌から盛り上がっていません。
さらに刺青のように彫られているわけでもなく、ただ肌に同化しているようです。
これに該当するような物は、私の記録に存在しません。」
「これ以上の調査には…もっと時間がかかるということだな。」
リ・オンは短く呟くと、椅子を回転させて背を向けた。
「……話を変えようか。
色々あって、うやむやになってしまった貴艦への援助の件についてだが…」
急な話のすり替えに、困惑の表情を浮かべつつも聞き入るフィンデル。
「色々と考えた結果、やはり貴艦を援助することは出来ない。」
彼は淡々と続けた。
「商人が特定の軍隊に無償で品物を与えることは危険なのだ。
それが兵器に関するものであるならば、なおさらな。」
「そうですか…」
フィンデルの頭は自然に下へと傾いていた。
「私は別に、君達や中王都市に恨みがあるわけではない。
その点は理解して欲しい。」
抑揚の無い言葉と視線を彼女へとかけるリ・オン。
「…しかし、中王都市といえば……ジン。
…確か運ばなければならぬ品があったな。」
またも、急に話を変えるリ・オン。
「はい。ごくわずかですが。」
申し合わせていたかのように、即答するジン。
フィンデルが眉を上げる。
「あれは、お前が責任を持って運べ。
出来るな?」
「はい。」
ジンは一歩前へ出て返事をする。
そしてリ・オンはすぐに二人へと向き直り、難しい表情を作った。
「だが、運ぶ品物はごく少量……。
いちいち我が商団の飛翔艦を動かすのでは、あまりにも経費がかかり過ぎる。
実にもったいないことだ。」
彼は、独り言のように呟いた。
「…どこか、代わりに輸送してくれる艦はないだろうか。」
「……!!」
そこで、フィンデルが全てを理解する。
「現在、ゴーベに駐留中の飛翔艦ルベランセが…適任かと。」
ジンが言った。
「ふむ…」
わざとらしく、顎をさすりながら頷くリ・オン。
「……この輸送代金として、貴艦の修理と補給を行うという話はどうかね?
今なら護衛として、息子も付ける。」
そして、フィンデルへと視線を投げかける。
「…願っても……ありません。」
彼女は深々と頭を下げ、震える声で感謝を示した。
「父上。 それならば、戦闘騎の試用もいくつかやってもらいましょう。
軍隊ならば、優秀な戦闘騎乗りも豊富でしょうから。」
「ならば機体の選定もお前に任せる。
明日、手を貸して差し上げろ。」
「はい。」
頭を下げたまま、二人の声を聞くフィンデル。
「…源炉を修理する専門家も、用意できるな?」
「はい。」
「ありがとう……ございます!!」
思わず彼女は声を上げた。
「礼には及ばない。
これは正当な取引なのだからな。
ただ、この話の条件として一つだけ頼みを聞いてもらいたい。」
「…何でしょうか?」
頭を上げると、リ・オンは口元に何ともいえないような微笑を浮かべていた。
「中王都市への帰還中は、ルベランセの全指揮を貴女にとってもらいたいのだ。」
「!?」
目を見開くフィンデル。
「表面的にはこのような形にしたが……心情的には貴女個人に貸すつもりだ。
他の者には、任せたくない。」
「…わかりました。」
迷ったのを悟られないため、フィンデルは素早く答える。
「では……宜しく頼む。」
短い言葉で話を切るリ・オン。
何かに感づいたフィンデルは、もう一度深い礼をして二人から離れた。
ドアを開く魔導人形に促され、退室する。
「世羅=ディーベンゼルク……直接、お会いにならないのですか?」
そのドアが閉められるなり、ジンが言った。
「……長旅で疲れているだろう。
むやみに動揺させてどうするというのだ。」
「しかし!
誰よりもお会いになりたいでしょうに……!」
「…残念だが、髪の色も瞳の色もまるで違う。
産まれるところをこの目で見た……あの子供とはな。」
「……!!」
驚き、狼狽するジン。
「ただ、面影はある。」
彼の様子を眺めつつ、リ・オンは短く付け加えた。
「私はこれほどまでに、真偽を詳しく調べようとすることを恐く思ったことはない。
長年待っていたというのに、実におかしなことだ。
さらに弱々しくも、『何かの可能性』にしがみ付きたいと心底願っている。
その『何か』が何なのかは…全くわからんがな。」
手を組み合わせ、額へと運ぶリ・オン。
彼は少し憔悴しているようにも見えた。
「……ジン。」
「はい。」
「…素性はともかく、あれはなかなか愛らしい娘だ。
……貴様は男に生まれて良かったのかもしれん。」
「私も同じことを思っておりました。」
父の冗談に、ジンは笑みをこぼした。
「……最後に…私が言わんとしていること、わかるな?」
「…貴方の息子ですからね。」
かつて、彼にこうまでも頼まれたことが無かったジンは胸に手を当て、改めて決意を口にした。
「空において、私が守りきれないものはありません。
それがたとえ、神が邪魔をしようとも―――」
◆
柱にめり込むブーツの踵。
「……くそ!!」
その後、壁に憤怒と拳を叩き付ける。
肩で息をしながら、戒はそんな愚行を何度も何度も続けていた。
「…戒くん……!?」
彼の様子をうっかり後ろから目撃してしまった、フィンデルが怯えながら声をかける。
「あ? こんな夜中に何やってんだ、おまえ…」
気付き、逆に質問を投げかける戒。
「え? ちょっと…明日のことで考え事を。」
フィンデルは面食らいながらも答えた。
「…戒くんは?」
小さな声で切り出す彼女。
「…別に何でもねえよ。
文句あるか。」
戒が苛々しながら、腫れた両拳を左右に大きく振る。
「……何か、出発に問題でもあるのか?」
「ちょっとね……。
援助を受けられる話になったのは良いんだけど…。
やっぱり人員が不足してて……それをどうするかで頭が一杯なの。」
彼女がリジャンのことを言っているのは明白だった。
「ふん…。」
変わらず、仏頂面の戒。
「それならば……俺様と交渉する気は無いか?」
だが、その彼からの思いもよらない言葉に、フィンデルが驚いた表情を素早く向ける。
「悪い話じゃ…ねえはずだぜ。」
何故そんなことを考えたのか、自分が何を言っているのか。
戒は半分理解をせずに言葉を続けていた。
◆ ◆
2
◆ ◆
南向きに作られた、角ばった無機質な建物で。
日差しを和らげるために植えられた庭内の木々を眺めながら、早朝からマクスは遠くの山脈を見詰めていた。
正面からは、石畳の廊下を渡って来るヂチャード。
「いや〜参ったぜ……」
彼はマクスを認めるなり、寝癖のついた頭を掻きながら言った。
「せっかく故郷に帰ってきたのに、まさか訓練場の宿舎で一夜を過ごすハメになるとはな……」
「騎士たるもの…贅沢を言うな。」
マクスが半分呆れながら、静かに笑う。
「幾多もの人間の汗が染み込んだ堅いベッド…。
これなら、ロンセ・カロウドのソファの方がまだマシだぜ…」
「仕方あるまい。」
腰をさすってぼやくヂチャードに対し、変わらず素っ気無い態度を返す彼。
「…ったく、何でそんなに聞き分けがいいんだか…」
彼は諦め、陽の眩しさを見上げて顔をしかめた。
青い空と澄んだ空気。
その日は、遠くにそびえる山肌の様子も細かく認めることが出来る。
「心配すんな。 奴等がゴーベを越えてくることは無い。
あれだけ戦力を削ったんだ。
それにとどめは……お前が刺したんだろ?」
その方向を凝視したままのマクスに、ヂチャードは軽く声をかけた。
「…ああ、そうだな。」
「外見と同じで、いちいち堅っ苦しく考えすぎなんだよ、おまえは。
気を休めるためにも……もっと…ほれ、目の保養をしたほうがいいぞ。」
そして彼の肩の甲冑を強く叩き、ゆっくりと歩み出す。
「見ろよ。 こんなにしみったれた訓練所でも、一つだけ『ついてる』ことがある。
今日は『緑華』の皆さまが駐留してるってことだ。」
やがてヂチャードは目の色を変え、庭先へ向かって半身を乗り出した。
高い掛け声と共に、練習用の剣を突き出す集団。
つらい訓練中にも関わらず、華やかな印象を受けるのは、女性のみで構成される緑華ならではだった。
そんな空間には浮いた存在であるところの二人の男が廊下に現れると、庭内はにわかに色めきだつ。
「?」
何かの異変に気付いたマクスが周囲を見回す。
その視線の先を追う、若い女性騎士達の瞳。
そして皆、それぞれ手にした武器をすぐに降ろし、顔を赤く染めて互いに小声で何かを囁き合い始める。
「……一体、どうしたというのだ。」
「おまえ、本気で言ってる?
……オルゼリア家の坊ちゃんが来てるから妙な期待をしてるんだよ。」
からかうように、ヂチャードは言った。
「…冗談はよせ。」
「冗談なもんか。
もっと自覚を持てよ……しかもそんな銀ピカのなりしてるもんだから目立って目立って…」
言葉を続けようとする彼。
「―――各人、集中しないか!!」
だがそこで庭内をつんざく、高い声。
その声が響いた瞬間、先ほどまでの空気が一変し、張り詰める。
高い木々で日陰になっている庭を、対角から近付いてくる人影。
それは朱色のソバージュをなびかせる、軽い鎧に身を固めた若い女性。
「…シザー教官…」
変わらぬ彼女の尖った目つきと雰囲気に、ヂチャードは即座に姿勢を直して、その名を自然と口にしていた。
「……失礼だぞ、ヂチャード。
緑華の小団長殿に向かって。」
マクスは微笑みながら彼女に正対し、深々と礼をする。
「構わん。 …久し振りだな、変わりは無いか?
マクスにヂチャード。」
懐かしそうに交互に二人を見詰める、彼女のきつい視線が少し緩んだ。
「最近、重要な任務があったそうだな。
ご苦労だった。」
そして労いの言葉がかけられると、二人の男の肩からも力が抜けていく。
「きょ、今日はどういう風の吹き回しですか?
緑華は前線で戦ってるイメージが強いんですが。」
「お前へのサービスでない事は確かだ。」
シザーの素っ気無い答えに、頭を掻いて照れるヂチャード。
「詰まるところ……私の退役が決まってな。
もう警備くらいの仕事しか回ってこないのだ。」
「…退役?」
マクスが口を半開きにして呟く。
「結婚を機に、夫となる者から騎士団を辞めるよう言われたのだ。」
「結婚!? 夫!?」
ヂチャードの声が上ずる。
「なんだ?
その意外そうな顔は。」
「…『訓練場の凶獣』とまで呼ばれてた鬼教官が……そりゃ驚きますって。」
笑顔を無理矢理作る彼。
「おめでとうございます。
しかし……」
今度は、マクスが感慨深い面持ちで言った。
「―――常勝不敗。
艦隊戦においての最高の名将がいなくなる……これは中王騎士団にとって甚大なる損害。
非常に残念でなりません。」
「常勝不敗…か。
だがな、相手は訓練もされていない反乱勢力。
騎士団の精鋭と艦隊があれば、今の世で功績を挙げる事など……さして難しいことではない。」
「…ご謙遜を。」
「謙遜ではない。
本来ならば『圧倒的な戦力の差を覆して生道を照らしてみせる』、そんな指揮官が賞賛されるべきだ。」
語る彼女の遠い目線を、二人は追う。
「そのような指揮官をご存知で?」
「……古い友人だ。
だが、今は戦闘の指揮など執っていないだろうな。」
「どういうことです?」
「彼女は争いが嫌いなのだよ。」
シザーは微笑んで言うと、二人の前を行った。
◆
「ところで……俺達は、何をすればいいんでしょうね?
ここで泊まるように言われた以外は、何も聞かされていないんですが。」
「その件に関しては、大団長からの命を仰せつかっている。
お前達に指示を与えるように、と。」
「小団長自ら?」
ヂチャードの素っ頓狂な声が、遠くの若い騎士達の号令に混ざる。
「……かなりの大事ですか?」
そして訝しげな表情を浮かべるマクス。
「…まあ、そう堅くなるな。
ちょっと…見てもらいたい者がいるだけだ。」
やがて三人が行き着いた先は、庭内の隅の角。
そこで独り静かに剣の素振りをしている人間が居た。
練習用の鉄仮面と全身を包んだ鎖帷子。
背の高さが非常に目立つが、全身の柔らかなフォルムから、やはりその人物も女性とわかる。
彼女は仮面の奥から三人の姿を目に留めると、その手を止めた。
「こいつは腕が立ちすぎて、稽古の相手が居ないのだ。
可哀相だろう?」
「……そうですね。」
気の無い答えを返すマクス。
「まさか用事って……。
たかだか一兵卒の稽古相手になれって言うんじゃないでしょうねえ?」
ヂチャードは早口で言葉を放った後、肩をすくめた。
その様子を黙って見詰めている鉄仮面の騎士。
「試してみるのが早い。」
「面白いじゃないですか。」
シザーの挑発的な言葉に、ヂチャードが不遜な顔で一歩前へ出る。
「教官、憶えているでしょう?
剣術の試験はいつもマクスがトップで、俺が二位……」
壁に掛けられている、刃の部分が太い鉄の針金で出来た練習用の細剣を取るヂチャード。
「相手が女性でも、いっさい手加減しませんよ?」
「………」
同じく練習用の刃が削られている大剣を降ろしたまま、何も答えない眼前の騎士。
当然のことながら、その鉄仮面からは表情は伺えない。
「…良かったな、お優しい先輩がいらっしゃって。」
シザーの言葉に、その騎士は無言で頷き、ようやく手首を返して剣を構える。
「……何者ですか?」
その流れる動作を見た瞬間、マクスが小声で訊ねた。
「見ていれば…わかる。」
静かに答える恩師。
やがて、お互いの剣が合わさり、音が鳴る。
すぐさま半身に構えるヂチャード。
上段に移行する仮面の騎士の大剣。
それは彼女の長身を、さらに大きく見せた。
「……!!」
ヂチャードの気が整わないうちの、素早い踏み込み。
「…ッ!?」
おおよそ大剣の間合いではない至近距離に突然迫られ、戸惑う彼。
(……なんだと!?)
さらに肩で身体を強く押され、後ろに飛ばされる。
途端に背中に壁を強く感じ、ヂチャードは表情を歪ませた。
感じる鉄のにおい。
喉仏に触れる、冷たい感触。
気が付くと自分は地べたに尻を付き。
大剣の先を向けられ、冷たい仮面に見下ろされていた。
「……試験で二位という話も、所詮は昔の話のようだな。」
廊下側から聞こえる、シザーの言葉。
「……はは。
ブランクがありましてね…」
ズボンの土を払いながら、ヂチャードは立ち上がる。
それに合わせて相手は再び間合いを広げ、大剣を降ろした。
「…悪いな、もう一本。
今度は……最初から本気だ。」
彼の言葉に頷く彼女。
再び互いの得物を合わさると、ヂチャードの表情が締まる。
「……フッ!!」
短い呼吸と共に、細剣を真っ直ぐに突き出すヂチャード。
指先の動きと微妙な力加減が、細い針金に振動を生み。
繰り出した剣先は揺れて、幾多もの突きと化す。
彼女はそれを低い姿勢でかわすと大剣を横に振りかぶる。
だが、その動きを予測していたヂチャードは反転。
相手の剣の振りと平行して横から攻める。
しなやかで軽い細剣は、素早く、彼女の胸元を捉えて振り抜かれた。
「……しまった!」
寸止めのつもりが、鈍い感触を手に感じたヂチャードが叫ぶ。
「ヂチャード!!」
マクスからも思わず飛ぶ怒号。
「……。」
無言で自分の胸元を押さえこむ彼女。
ムチの様に撓る細剣の攻撃は、鎖帷子の上からも衝撃を充分に与えていた。
「……あいつ…!」
「待て。これは実戦形式の訓練……気に病むことは無い。
それに……」
二人に駆け寄ろうとしたマクスを制するシザー。
「…これで、ようやく同点だ。
彼女は勝負に白黒つけたいようだが?」
さらに彼女は微笑を浮かべたまま、姿勢を取り直し始めた相手を見るように促す。
「…本気かよ?」
ヂチャードが自分の皮手袋を直し、構える。
こめかみから一筋の汗が流れた。
整然と直立しながらも、指先で鉄の仮面の『顎』の部分を浮かせる相手。
―――相当、息が上がっているのだろう。
だが、闘志はまるで折れていない。
牽制と威圧を兼ねた、己の構える大剣の切っ先をしっかりと自分の方へと向けている。
「……く!!」
試合の三本目を知らせる、再び視界から消え失せるかのような騎士の素早い動き。
ヂチャードの瞳が収縮する。
初撃と同じ展開。
突進する相手に合わせ、ヂチャードは一歩退くことを選ぶ。
ただし今度は詰められないよう、相手との間合いを剣で薙ぐのを忘れない。
「……!!」
相手はタイミング良くそれを大剣の腹で受け止め、上に跳ね上げる。
そしてお返しとばかりに、続けて繰り出す横の剣閃。
速度はあるものの、大きすぎる動作。
ヂチャードがそれをかわすことは訳が無かった。
案の定、相手は低い態勢で大剣を振り切ったまま硬直する。
それを逃さず、早い突きを入れるため地を蹴り、間合いを詰めた瞬間だった。
大剣を振り切ったままの態勢のはずの彼女。
だが、その身体の脇に重なって、急に飛び出した灰色の影。
細剣を握る腕を伸ばしたまま、ヂチャードの眼球が『それ』を追う。
灰色の影は人の腕の形をしていた。
さらに、大剣のフォルムをも描いていた。
まるきり。
寸分たがわず、先の『彼女の姿と攻撃』をなぞっていたのである。
そして、その影の動きが狙っているのは―――自分の身体。
その攻撃の軌道から逃れられないことに気付いたと同時に、得体の知れぬ一撃を腹部に
まともに受けて再び壁に吹き飛ばされるヂチャード。
今度は、背にした煉瓦が砕けるほどの衝撃だった。
「…が…ぁ……!」
そして体面も考えず、彼は庭先で転げ回る。
「…ヂチャード!?」
何が起こったか全く理解出来ずに、困惑しながら駆け寄るマクス。
「これまでだな。」
シザーが一度だけ、両手を打ち鳴らす。
それを合図に、ヂチャードの相手は大剣を地に突き刺した。
重い仮面に両手をかけ、すぐに脱ぐ。
窮屈な空間から解放される深緑の長髪。
少し憂いを帯びた瞳。
身長の高さが少し不釣合いな、幼さの残る顔つき。
―――それは紛れもなく女性だった。
「紹介しよう。
彼女は『クゥ=ハウド』。 実は彼女は…」
言いかけるシザー。
「…天命人ですね……?」
マクスの手を取り、立ち上がりながらヂチャードは苦笑を浮かべた。
そして、目の前の若い娘は、固い表情のまま二人に向かって会釈をした。
◆ ◆
現在、中王都市に在る戦闘組織の双璧。
国土防衛を主な任務とする、血を流さずとも将来が安定している中王都市軍。
大陸各地の要請により治安維持を目的とした武力を派遣する、常に危険を伴う中王騎士団。
その双方の性質と在り方は全く対象的であったが、その士官学校は共通であり、
軍に配属される者も騎士団に配属される者も、初めは同じ道を歩む。
その学び舎の中で、どちらの組織を志望し進むのか、学徒自身が自分で選択するのである。
―――そして騎士として生きることを選んだ者達は士官学校を卒業後、訓練場で鍛えられ、
各小団に配属される。
マクスもヂチャードも、そんな若き日の苦労を懐かしみながら、昔馴染みの二階テラスのテーブルを
恩師と共に囲んでいたのだった。
「…彼女は街の道場の出身でな。
その腕を見こんで、この訓練場へよく稽古に来てもらってたのだ。」
シザーが言った。
「数ヶ月前、たまたま彼女が騎士団の仕事に興味があると聞いてスカウトしたわけだが。」
「スカウトって…」
紅茶の入ったカップを軽く持ち、まだ痛む背をさすりながら半笑いのヂチャード。
傭兵制を容認している軍隊と違って、騎士団は士官学校出身者以外の入団を殆ど認めていない。
余程の実力が無ければ開かれない道だが、先の彼女の腕前を味わえば頷ける話だった。
「そんな中、タイミング悪く始まってしまったというわけだ。」
「何が、です?」
マクスが訊く。
「―――天命人狩りだ。」
彼女の言葉に、ぎょっとした二人が目を剥いた。
「ああ、言い方が悪かった。
天命人とおぼしき者が各部隊にいる場合は報告するように、との『上』からの命令があってな…。
各小団長達は皮肉を込めてそう呼んでいる。」
含みを持った表情をする彼女。
「非公式の部隊がやっていることは大体見当がつく。
汚い仕事が多いのだろう?」
図星に、二人は何も答えることが出来なかった。
「故に、この件に関しては私自身も迷っているし、本人の意向もまだ決まっていない。
だから、二人から彼女に色々と話してもらいたい…ということだ。」
「説得というわけですか?」
「このことを大団長は…」
ヂチャードとマクスが、揃って気の乗らない表情を浮かべる。
「私は中王騎士団の騎士だ。
もちろん、全てを正直に話している。
その上で大団長も承知なされた。
大団長も私と同じ意見……彼女に強制はしない、そう言っている。」
シザーは答えた。
直後に、唇の端に微妙な笑みを浮かべる。
「…まあ、表面上はな。」
加えて、眼光の鋭さが増した。
「しかし、彼女は本当に生真面目でな。
いずれ緑華の将来を背負ってもらってもおかしくない逸材だ。
正直、特殊部隊入りはもったいないと私は思っている。」
彼女が腰を上げ、視線が緑の垣根を越える。
眼下に見えるのは中王都市南部の素朴な街並みだった。
そこでは祭りの準備の音―――楽しげな音色が散らかっていた。
「…そして我々のもう一つの任務は、明日、中王南教会で行われる会議の護衛だ。
そろそろ頃合だ……出立しよう。」
「会議?
それに…今から出たんじゃ、昼頃に着いてしまいますよ。」
ヂチャードが言った。
「今、南部は祭りの最中だ。
向こうに着いたら、たまにはゆっくりと休日も良かろう。」
「それならば賛成ですよ。
いや話が分かるなあ。 シザー小団長は。」
「安心しろ。
教会の広庭を特別に借りて、お前には錆び付いた勘をしっかりと思い出させてやる。」
「ちょ……!」
ヂチャードは、彼女の言葉にたまらず紅茶を噴きこぼす。
「しかし…クゥの奴、まだ着替えているのか。
……遅いな。」
「私が様子を見てきます。」
気を遣い、立ち上がるマクス。
「お、おい、教官と二人きりにしないでくれ。」
「では私たちは外で待っているぞ。」
シザーはヂチャードの肩口を掴み、半ば強引に引き上げた。
そうこうしているうち、遠ざかる聖騎士の銀の背中。
「ふ…いつまでもふざけ合って…。
お前達を見ていると羨ましい。
常にお互い意識して張り合ってしまう女同士であれば、こうはいかんな。」
「男同士だって…いいことばかりじゃないですよ。
全てを解り合って一緒にいるわけじゃ…」
あさっての方向を向いて答えるヂチャード。
「喧嘩でもしたのか?」
「……してませんよ。」
彼はそのまま続けた。
「ただ、思うんですよ。
あいつは俺を心配するけど…俺はあいつを心配しちゃいけないのかって…」
いつになく真面目な表情をする彼の背に、歩み寄るシザー。
「たまに、遠く感じるんですよ。
あいつのことが…」
ヂチャードは手を握り締め、その力を込めた五指をじっと見詰めていた。
◆ ◆
誰も居ない一室。
練習後に皆が放り投げた、使用済みの汚れた布。
その上に、汗にまみれた鎖帷子を脱ぎ重ね、一息つく。
やがて彼女は下着をまくり上げ、自分の乳房に横に直線状に腫れ上がった箇所を室内の大鏡で確認した。
換気のために開け放たれた高い窓の奥では木立が揺れ。
湿った素肌に心地よい風が当たる。
そして、その風は別の音も運んだ。
背後で鳴る、甲冑の金属音。
それを耳で察知した瞬間、クゥは振り向き、その直後に無防備な自分の身体を隠した。
「……すまん。
あまりに遅かったものでな…」
その時、彼の背には眩しい陽の光が射していた。
端整な顔が横に振れると、その銀の髪が一本一本が煌く。
「…すみません…。
すぐに行きます。」
一瞬、クゥはその彼の容姿に見とれていたが、すぐに我に返り、急いで服を着直した。
支度もほどほどに、改めてマクスに近付く。
「傷は深くないか。」
「…かすり傷に過ぎません。」
彼の言葉に、クゥは同じ目線で淡々と答えた。
「すまん。 ヂチャードのことだが…」
「練習での事故です…。
私こそ本気を出してしまって…すみませんでした。
あの人の強い気迫を感じたから…」
「ああ見えて、あいつも『プロ』だからな。」
マクスは柔らかな笑みをこぼした。
「しかし、見事な腕だ。」
「女にしては、ですか?」
互いの言葉が、一瞬止まる。
マクスは踵を返し、今来た道を彼女と共に歩いた。
「……そういうことではない。」
さほど気にしない様子で、若干前を進む彼。
「…すみません。」
口ごたえをした自分を悔やんで、クゥは下を向いた。
「…確かに剣閃に関しては、男勝りの印象を受ける。
よほど剣の師が良かったのだろうな。」
彼は言った。
「いえ……剣は独自に学びました。」
「我流か。 だとしたら、素晴らしい才覚と思う。」
「……毎日稽古する父の真似をしているうち、覚えたのです。」
「父上の腕の良さが伺えるな。」
背後の彼女が歩を止める。
「直接、教えてもらったことなど、ただの一度もありません。
あの人は、私がいくら頼んでも……剣を持つことを絶対に認めてくれませんでした。」
「……それは、親心というものだ。」
「…私にはわかりません。」
前のマクスが振り向く。
優しげな笑みが、眩しく見えた。
「いずれわかる時が来る。」
◆ ◆
訓練所の門の前。
マクスに連れられた彼女のしなやかな容姿を見て、ヂチャードが口笛を鳴らす。
皆が集合したところで、シザーは既に待ち受けていた馬車に素早く乗り込み、残りの三人もすぐにそれに続いた。
「……先ほどは…」
車内で、クゥはばつが悪そうにヂチャードに向く。
「気にするなって。」
察した彼は、すぐに答えた。
「そうだ。
あれは、お前の鍛錬不足のせいだな。」
彼の横でシザーが笑い、正面に座るクゥとマクスに微笑みかける。
「……外は賑やかですねえ。」
誤魔化すように、話を逸らすヂチャード。
馬車が走り出すなり、太鼓や笛の音が耳に入ってきていた。
「ほら、出店が沢山ありますよ……。
ガキの頃、良く行ったっけ。」
馬車の窓から顔を出し、彼は続けた。
大通りの上部を横断する極彩色の旗。
食べ物が焼ける、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「これは、南部の古い風習のようだが…」
「収穫祭です。」
マクスに対し、クゥが静かに答えた。
「南部の人間は、普段陽気じゃありませんから……祭りはその分いつも派手に行うんです…」
ぼそぼそと呟く、地元の人間である彼女の言葉は説得力があった。
三人は一様に頷く。
やがて大通りを歩く人の多さに、馬車が速度を失った。
緩やかな振動に身体を揺らし、喧騒を下から受けながらその中を進んでいく。
「夜は特に激しそうだねぇ。」
嬉々としながらヂチャードは言う。
その目の先には、祭火用の木々が大きく積み重ねられていた。
だが、そんな彼の言葉を遮るように咳払いをするシザー。
「…今のうちに話しておこう。
明日、南教会で行われる会議は小規模ながら、王室と軍隊と中王騎士団の各首脳が集う重要なものだ。
先に話したように、その警備の任には主に緑華があたる。」
「私達はどうすれば?」
マクスの問い。
「お前達は、常に大団長に近い所を警備してもらう。」
「うげ。」
先とは一転、ヂチャードが心底嫌そうに顔を歪めた。
「……俺、あの人と一緒にいると息が詰まりそうになるんでスけどね…」
「それは私とて同じことだ。」
平然と答えるシザー。
「本格的な戦争を経験した人間は『空気』が違うからな…」
馬車を引く馬が、道に転がった大きなオレンジを蹄で弾いた。
「それと……何を考えているか…わからない。」
呟き、マクスに向かって静かに目配せする彼女。
「…何かが動き始めているようだ。
お前達がゆっくり出来る機会も……もう少ないかもしれんな。」
そうして、にぎやかな街並みを深く眺めるシザーの横顔。
残る三人は、それをただ漠然と無言で見詰めていた。
◆ ◆
3
◆ ◆
リ・オンの正式な援助も決まり、出立の準備が急がれる朝。
それは、長い間待ちぼうけを食らわされていたルベランセのブリッジの乗組員にとっては
格別に気合の入る朝だった。
「―――梅さんだ!」
ところが、突如としてブリッジの扉は開かれ。
入ってくるなり叫ぶ世羅の姿。
その大声に驚き、梅はおだやかな乳白色から真っ赤に毛の色を変化させ、高い棚の上へと待避する。
ストローの入ったジュースを持ったまま、その様子を呆然と追いかけるリードとメイ。
舵にもたれた姿勢で欠伸した口を大きく開けて、全ての動きを止めるタモン。
「なかなか綺麗なブリッジやん?
…艦体自体は山に半身突っ込んで、無様に傾いとるけどな。」
続いて、シャロンも中へ入って来る。
「お、お嬢…」
「あんまり…目立たない方が…」
さらにその後ろには、小さくなっているイールとムール。
一番高い椅子に座り、山積みの書類に頭を抱えているフィンデルは彼等の喧騒を見てみぬふりをしていた。
「…おい!
何なんだ、お前ら…は……!?」
彼女の代わりに言葉を切り出すリード。
そこで黒豹の顔が視界を横切る。
途端に彼は声を失った。
「これが……空を飛ぶのか?」
前面のガラスに両手を付いて、へばりつくザナナ。
「すごいでしょ?」
脇で世羅が笑う。
不遜な態度の不笑人。
そして無邪気な少女。
リードはその異様な光景に暫し唖然としていたが、軍の士官として、毅然な態度をもって注意しようとする。
だが、最後にブリッジに入って来た戒の姿に、それは断たれることなった。
(…う……あいつは……!!)
以前、彼が艦長のペッポを足蹴にしていた様子が脳裏に甦り、血の気が引く。
「…一体何を考えてるんだ、フィンデル!」
仕方なく、彼女へと向けられる怒りの矛先。
「……彼等も中王都市まで行きたいんですって。」
だが、彼女は書類に集中したまま平然と言い放った。
これにはリードも面食らう。
「ふざけてるのか!!?」
彼の大声に静まるブリッジ。
「俺達は一度、裏切られてるんだぞ!
それなのにまた…こんな……どこの馬の骨かわからん連中をルベランセに乗せるだって…!?」
「…あの……それどういうことなん?」
そこで気が付いたシャロンが、恐る恐る訊く。
「ブリッジの搭乗員の中にスパイがいたんだよ。
ヂチャードっていう、クズ野郎がな!」
リードは、傍のメイを横目で見ながら叫んだ。
「げ。」
その言葉と剣幕に、イールとムールがたじろぐ。
「…そのことでリードが疑心暗鬼になるのも解るわ。
でも、彼等は森で私達の仲間を助けてくれたのよ。」
フィンデルが冷静に言った。
「だから大丈夫だよっ!!」
さらに世羅がふくれっ面で、リードに詰め寄る。
「〜〜〜〜〜!!」
彼女達に押され、彼は思わず視線を逸らした。
つられて、シャロン達も視線を泳がせる。
「それに…聞けば、彼等は私達の戦いに巻き込まれたおかげで、中王都市に戻れないわけだし…」
表情を落としつつ、フィンデルは言った。
「そんなことで……!」
コップからストローを抜き、それで彼女を指すリード。
「いちいち、お前が罪悪を感じるなよな!!」
再び叫び、彼はそれきり口をつぐんでしまった。
「まあ……体面上、ただ連れて行くというわけにはいかないから…ルベランセの中で
仕事を何か手伝ってもらいたいんだけど…」
やがて、その場を取り繕うように言うフィンデル。
「仕事?」
シャロンが目を丸くする。
「なら、厨房にでもブチこんでおけ。」
戒が言った。
「………え?」
その言葉に青ざめる彼女。
「パン屋が働ける場所なんて、あそこしかねえ。」
彼は続ける。
「…三人が作ったパンはとても美味しいんだよ!」
フィンデルの座る肘掛けに寄る世羅。
続いて、イールとムールに向かって忙しく駆ける。
「また食べたいな! あのパン!!」
「いやあ……参ったな…」
「じゃあご挨拶代わりに、早速…腕にヨリをかけて…」
彼女の屈託の無い笑顔に見上げられ、両手を揉み合わせながら照れる二人。
しかし、そこでイールのすねに蹴り。
ムールの喉元に突きがタイミング良く突き刺さる。
「…アホか…!
…うちら……ほんまはパンなんて焼けへんやろが……!!」
うずくまる二人の首に強く腕を回しながら、至近距離でシャロンが小声で呟いた。
「そ…」
「そうでしたっ……!」
痛みで顔を歪めながら、そこでようやく気付く二人。
「…悪いけど…料理の方は間に合ってるの。」
そこでフィンデルは声をかけた。
「良かったら、艦内の清掃とか……あと洗濯物もお願いできるかしら?」
彼女は続ける。
「あ、あたしに家事をやらすって言うんかぁ!?」
その内容に、シャロンが喚いた。
「選択権は無えんだよ!
連れてってもらえるだけでもありがたく思いやがれ。
ほら! さっさと行け、きりきり働けよ!!」
首根っこを掴み、彼女等三人をブリッジから強引に押し出す戒。
(だから、何でこんなに偉そうなんすかねえ…)
その姿を遠くで見ながら、タモンの大きく開いた口がさらに下がった。
「ところで……そちらは…ザナナさん…でしたっけ……。
えっと…貴方は…」
フィンデルの恐縮した言葉に振り向く豹頭。
その異形に、思わず言葉が詰まる。
「ああ、中王都市に興味があるんだってよ。
『ついで』だからいいよな?
だけど、昨日の戦いで怪我してるから仕事はさせるんじゃねえぜ。」
すぐに戒が言った。
「…怪我?
戒くん、確か傷は治せるんじゃ…」
「簡単に言うな。」
今度は、ザナナがフィンデルに詰め寄る。
「…す…すみません…」
彼の凄味に、反射的に謝ってしまう彼女。
「…ま、そんなわけだ。
人畜無害、いざって時には役に立つ奴だからよ。 …頼むぜ。」
戒は言いたいことを言うだけ言って、背を向けた。
「ところで、…戒くん……昨日の約束だけど…」
「……これからその準備だ。」
声をかけるフィンデルに、短く返事をして彼はブリッジを後にした。
さらにザナナと世羅もそれに続く。
こうして、ブリッジに訪れた嵐は去っていった。
「『約束』って何だよ。」
圧倒されていた空気が若干残る中、白い目でリードが訊く。
「…こっちの話。」
だが、つれなく返すフィンデル。
「…しかし、本当に良いんですか?
艦長に許可は?」
今度はタモンが訊いた。
「……そのことについては、みんなに大事な話があるんだけど…。」
資料を畳み、足をきつく閉じて、神妙な面持ちで全員に向き直るフィンデル。
「実は……これから中王都市に到着するまで、私がこの艦の指揮をとることになって…」
「へ?」
彼女の言葉に三人全員が目を丸くする。
「あのね…これは私が望んだことじゃなくて、サイア商会の助力の条件が、そうだったわけで…」
「なるほどね、あのバカ艦長には力は貸せないってことか。
まあ、わかるぜ。」
リードが口を歪ませながら言った。
「そのこと、もう艦長には話したの?」
メイが訊く。
「朝一番に……話はつけたわ…」
自分の額を押さえながら、疲れた表情でフィンデルは答えた。
「そういえばさっき艦長室の前を通ったら、すすり泣きが聞こえたっすけど…」
タモンが苦笑する。
「あの野郎、ふてって部屋に閉じこもりってわけか。
まあ、これで中王都市までやりやすくなって良かった。
到着までよろしく頼むぜ『艦長』。」
茶化すようなリードの言葉に、フィンデルは冗談を返す余裕も無かった。
◆ ◆
―――草原の離れ。
数百の戦闘騎が整頓されて並んでいる、サイア商会の巨大な格納庫。
屋根の隙間から漏れた光が、まだ新品の機体達の表面を照らしていた。
「すっごーい!!」
ミーサが目を輝かせながら叫ぶ。
「どれでも好きなの選んでいいなんて、さすがサイア商会、太ッ腹よね!!」
はしゃぐ彼女をよそに、戒とバーグは乗り気でない表情。
そして鈍い足取りで中を行く。
「いまいち、どれもパッとしねえな。」
しかめっ面で、身近な機体の一つを眺める戒。
格納庫の一番手前に陣取る、その緑と茶色の迷彩柄の戦闘騎は、全体的に平たいフォルム。
ごつい装甲に覆われて、露出部の無いエンジン。
加えて、四枚の翼に挟まれた二門の機関銃がいかめしい。
「こ、これって…ベイン・ジュトロの後継機?
まだ、市場に出回ってないのに……。」
「……はい。 ここにある物は全て、製造元から優先されて頂いている物です。
各社から試用して欲しいと山のように来るのですが、時間があまり無くてこのとおりです。」
ミーサに答えながら、その機体に片手を触れるジン。
そして、彼はそのまま膨大な数の戦闘騎を見回した。
「戦闘騎の技術は日進月歩ですが……。
このベイン・ザートロは、今のところ最新鋭の機体ですよ。
火力も乗り心地も一番です。」
「―――まさしく、俺様にこそ相応しい機体だ。
かもし出される風格は、ただの機体ではないと初めから思っていたぜ…」
いつの間にか、腕組みをしながら既に操縦席を陣取っている戒。
目を閉じながら、独り、優越に浸る。
「…もう! …調子いいんだから!!」
ミーサが彼を見上げて叫んだ。
「…でも……あいつ、何で急に協力する気になったのかしら?
しかも経験の無い、戦闘騎にまで乗るなんて…おかしいわ。」
「……さあな。
フィンデルに頼まれたからじゃねえのか?」
彼女の呟きに、バーグは各機体をぼんやりと眺めながら答える。
「あいつ……そんな良い奴かしら?」
「……ああ…」
生返事をしながら、バーグは倉庫の奥を覗く。
(……何でも選んでいいったってよ…いまいち、俺には何を選んでいいのやら…)
試しに遠くまで足を伸ばすと、彼の目に一つの機体が目に留まった。
埃を沢山かぶっていて。
倉庫の隅にこじんまりと置かれている『それ』は、見る者に哀れな印象を与えていた。
「ミーサ、こいつは?」
「こんなの……知らないわ。」
バーグに駆け寄って、機体のすす汚れを指にとって答える彼女。
「計画が頓挫し、生産までいけなかった機体です。」
ジンが答える。
「丈夫なだけが取り得の機体…ですね。」
その機体の色は、上下を臙脂と黒ではっきりとツートンカラーに分けていた。
ジンは歩み寄り、その下部を指す。
「この腹の部分は、黒色イーゼル鋼……つまり、錬金術によって生成された特殊な金属で造られているのです。
その硬度は…」
下へ向かって鋭利な山になっている機体。
それを慎重に指でなぞりながら、彼は続けた。
「鉄の約5000倍。
並の銃弾などは通しません。」
唖然とする二人をよそに、彼は続けて布を手にする。
「付けられた機体の銘は……『イグノシアの大剣』。」
その指が素早く一気に機体の脇を拭うと、埃の下から現れる、筆記体で書かれたその名。
「まさしく、掘り出し物みたいじゃねえか!!」
歓喜の声を上げるバーグ。
だがそんな彼に対し、ジンは首を振った。
「これは装甲の堅さは無論のこと、確かに機動力も火力も悪い機体ではありません。
…ですが、手軽に修理が出来ない代物を貴方は使いたいと思いますか?。」
「……一流の剣士は、戦っている時に修理のことなんて考えねえよ。」
バーグが笑いながら返す。
「上手く扱えば、大剣のように相手を真っ二つに出来るんだろ?
俺にピッタリじゃねえか。」
「なに、バーグ!
あんた、そんなに適当に選んで!!」
冗談のような彼の態度に、烈火の如く怒るミーサ。
彼女の大声に縮こまりながら、バーグが振り向く。
「だって、面白そうじゃねえか…。
どの戦闘騎だって、俺にゃあ同じに見える。
そんな中、直感で気に入ったんだ。 勘弁してくれよ。」
情け無い声で彼は訴える。
ミーサも溜め息混じりに、苦笑を浮かべた。
(戦闘騎の腹が刃物のようになっている…。
これが造られた当時、普通の操縦士達には、そんな設計機構と用途は理解出来なかった。
だが…普通でなければ………どうでしょうか…。)
ジンは二人から少し離れた。
「―――そうそう上手くはいかないでしょう。
それなりの速度が出ても、戦闘騎が剣のように鋭利な刃物になるとは到底思えません。」
「それって、同意見。」
離れ際のジンの言葉に頷きながら、ミーサも言った。
「理屈じゃねえのさ。 まさしくこれは、剣を選ぶ時のような感覚だな。」
バーグが笑う。
「……わかりました。 早速、搬出させましょう。
あと、半日しか訓練時間はありませんから厳しくやらせていただきますよ。」
ジンは扉を目指して歩きながら、すれ違いざまに戒へ声をかけた。
「……ちっ、偉そうによ…」
舌打ち混じりに、機体上で呟く戒。
「……貴方の、戦闘騎の搭乗歴を聞いておきましょうか。」
ジンは後からついてくるバーグに言った。
「…一年も無い。」
「……わかりました。
新しい機体は勝手が違います。 まずはそれに慣れて下さい。
くわしい技術は、それから教えます。」
「…よし!」
彼の言葉に、バーグが両の手を叩き合わせて気合を入れる。
「戒さんは……」
振り向き、まだ機体に乗ったまま踏ん反り返っている戒を見上げるジン。
「まず飛び立つことだけを考えてください。」
「馬鹿にしてんのか、てめえ。」
淡々とした彼の言葉に、戒は思わず機体から飛び降りた。
「なに怒ってんだよ。
難しいんだぞ、普通に飛び立つのっても。
特に、浮くタイミングってヤツを会得するのにはよ……俺は一ヶ月くらいかかったんだ。
とても数時間で出来るもんじゃねえとは思うがな…。」
バーグが素の表情で言った。
「それでも、やってもらわなくては困ります。
ただでさえ、今のルベランセには戦力が無い。」
「…ふん。
いっちょまえに、味方ヅラしやがって。
あとで吠えヅラに変えてやるぜ…」
捨て台詞を残し、大股で前を行く戒。
「あいつこそ…少しは味方面するべきじゃないかしら…」
彼の背を見ながら、ミーサが一言呟いた。
◆ ◆
「納得……いかないんだよなぁ…」
憮然とした表情で、目のすわったリードが呟いた。
「そろそろ機嫌を直してもらえるかしら?
そりゃ、一言も相談しなかった私も悪いけど…。」
艦長席で報告書を書き続けるフィンデルがペンを止める。
「俺たちは無能か!? なあ?」
彼は椅子を半転させ、彼女に向いた。
「…何で、そういうことを言うの?」
「……何でって…。
ルベランセの戦力の殆どを部外者に頼りきって…これじゃあ誰が見ても…」
そんな言葉を吐くリードは、直後に冷たい視線を浴びた。
「善意でやってる彼等は、体面だとかプライドとか、そんな些細なこと微塵も考えて無いと思うわ。」
「む……。」
「特にジンさんなんて…本当に、何の得も無しに協力してくれているのよ。
年齢だって…私達よりずっと若くて……それなのに立派だって思わないの?」
「歳は関係無いだろ…」
返す言葉も無く、リードが下を向く。
「……って…あいつ、いくつ?」
「…多分、世羅ちゃんより遅く生まれてるから…」
フィンデルが考えながら黙りこむ。
やはり彼も無言となり、二人は考えるのをやめた。
「ひええ……大人びてますねえ…」
代わりに呟くタモン。
そんな中、窓外の空を流れる一筋の影。
「あら!」
思わず歓喜の声と共に立ち上がるフィンデル。
「やっぱりさすが!
教え方がいいのかしら。……バーグの飛行があんなにも見違えるなんて。」
青空を真っ直ぐ加速する一機の戦闘騎。
それは、やがて遊覧するように余裕のある滑空に移行。
さらにターンをして見せて、とんぼ返りさえ行って見せる。
「いや……あれは…」
しかし、指で目を細めてそれを見上げるタモンの表情は冴えない。
「?」
「…どうやら…あの『戒』って子が乗っているように見えるんすけど。」
「え?」
フィンデルは思わず間抜けな声を上げた。
「じゃ…じゃあ、向こうでヘロヘロしてるのは…?」
震える指で遠くを指す彼女。
天空を優雅に飛行する機体の遥か下で、飛ぶのもやっとに見えるもう一機。
「あっちが…バーグ機っすね…。」
何故か申し訳ない気分になって、タモンは呟いた。
それはまるで初心者の飛行。
高度も出せず、小刻みに揺れて安定していない機体。
まともに飛べていないのは、誰が見ても明白だった。
思わず全員の肩が落ちる。
「…ますます肩身が狭いっすねぇ……うちの軍は…」
タモンは追い討つように言った。
◆ ◆
「…そう気を落とすな、ヒゲ。」
一旦の休憩時間。
汗を拭きながら、爽やかな表情でバーグの肩を叩く戒。
「俺様が天才なだけなのだ。」
「ヒゲって言うな!
もう剃ったんだからよ!!」
戒の嫌味に、ついに掴みかかるバーグ。
「あまり、調子に乗らないでもらいましょうか。」
まだエンジンの熱い二機の戦闘機を前で揉み合う二人に、ジンが歩み寄る。
「確かに初めてにしては見事ですが、それはあの機体のオートバランスが働いているに過ぎません。
まあ、それだけ高価なモノですから当然といえば当然です。」
「機体の性能だって言いてえのか?」
それまでご機嫌だった戒が睨みを利かせた。
「その通りです。
この程度で慢心されては困る。 次、射撃訓練に移りますよ。」
「…望むところだぜ。」
去りゆくジンに、意気揚々と続く戒。
「な、なあ…俺は…」
息を切らせながら、自分を指差すバーグ。
「貴方は まず普通に飛んで見せて下さい。」
ジンは振り向き、冷淡に言い放った。
◆ ◆
草原に置かれた、幾多もの物干し竿。
風と共になびく、それにかけられた真っ白なシーツ。
日差しを遮る雲も一片も無く、出立までには全部乾きそうな様子にシャロンは安心した。
(……ってアホか! 洗濯するためにルベランセに潜りこんだわけやないやろ!!)
だが直後に気付き、まだ中に少し洗濯物が残っている籠を勢い良く振り回す彼女。
再び鼓膜を貫く轟音。
見上げれば、また戦闘機が飛行している。
戒達の訓練は、朝早くからひっきりなしで。
その勢いには、シャロンも心底感嘆していた。
「……随分……おもしろいことやってるじゃない……シャロン?」
だが、そこで背後から嫌味を含む声。
「―――やかましいわ!
こないな仕事、あたしだって好きでやってるワケじゃ…」
叫びながら、反射的に振り向くシャロンが硬直する。
視界に入る、真っ赤なツナギ。
その腹や腿の部分には、特殊な黄色い炎の紋様。
首に風除けのゴーグルを下げた、そんな中背の女性がわずかな気配で立っていた。
「…オ……オヴェル……!?」
驚きのあまり収縮する喉。
シャロンの狼狽した表情をあざ笑うかのように見、眼前の女性は自分の長い髪を手ですいた。
「どしたの?
そんな間抜けな顔しちゃって……。」
自分の両手を背中で繋ぎ、肩を振りながら近寄る彼女。
「『同期』のよしみで迎えに来たのよ?」
そしてシャロンのすぐ横顔で微笑を浮かべる。
「あ……アホ抜かせぇ……。
11番艦の戦闘騎部隊の隊長のおまえが……わざわざ…」
「あ、バレちゃった?」
女は、すぐに舌を出して笑った。
「本当は偵察。
ウチの艦を二隻も堕とした敵さんだもの。
部下には任せられないわね。 自分でやった方が早いし、確実。」
立ち尽くすシャロンを横切り、腰に手を当てながら遠くにそびえるルベランセを見張る。
「でもまさか、あんたが潜入しているだなんて思わなかったけど……一番の驚きは、
サイア商会が手を貸したことよね。
これはちょっぴり厄介かしら。」
オヴェルは、空を飛ぶ戦闘騎を目で追いながら言った。
「あ、そうそう。
言い忘れてたけど……」
口の端を歪めたオヴェル。
シャロンはそんな彼女を黙って見詰めた。
「私、もう『戦闘騎部隊の隊長』じゃないのよ。
今は『11番艦の艦長を兼任中』、ヨロシク。」
「……なんやて?」
彼女の急な言葉に、目を白黒させて驚くシャロン。
「今の艦長が急に具合を悪くしちゃって、その代理。
でも今回の作戦を成功したら、この地位は間違いなく私のものとなるわね〜。」
言っていることとは対照的な、軽い口調。
彼女はシャロンの顔を舐めるくらいに近付き、不気味な円を描きつつ周りを回る。
「また差が付いちゃったわね。」
止まって、会心の笑み。
「うふふ。 すべては、紅蓮さまのおかげ。
紅蓮様にお仕えして、紅蓮さまの言うとおりにしていれば、炎団では何でも手に入るんだわ。」
当てつけるようなオヴェルの言葉の数々。
それに対し、シャロンはすがるような目をした。
「な…なあ……。
なんで、あたしは 紅蓮様に嫌われてるんやろか……」
「…………。」
そこでオヴェルは動きを止め、無言でシャロンの言葉を聞き入る。
「紅蓮様が、私のアニキに惚れてるんは知ってる。
あたし…別に止めへんで。
アニキも紅蓮様を好きになれば、むしろ祝福するし…。」
互いに、暫しの沈黙があった。
小さな一つの溜め息が、嫌に遠くから聞こえた。
「……ったくよ……わかんねえかな…。
…このバカはよ…」
やがて視線を逸らし、地に唾を吐いて呟くオヴェル。
洗濯籠が倒れ、洗ったばかりの大きな青い布が地に落ちた。
「…うぜえんだよ……!
紅蓮さまには……てめえの存在自体がよ!!」
掴み上げられるシャロンの胸倉。
「紅蓮さまの恋路を止めない? 邪魔しない?
二人が相思相愛になれば、むしろ祝福する?
……勘違いしてんじゃねえぞ!!」
そのまままの姿勢で恫喝。
「『妹』ってだけで、そういう風に余計なこと考えるから、ムカつくんじゃねえか!!」
オヴェルの雷撃のような言葉に、シャロンは身体を硬直させるばかりだった。
「いつまでも勘違いしやがってよ……!
『赤』を誇りとしている炎団の中で、紅蓮様がてめえらにそんな『青』い服を与えた意味…
てめえ、分かってねえだろ!?」
動けない彼女の頭から足の先まで、眺めまわすオヴェル。
「…紅蓮さまはな……『やめちまえ』って言ってるんだよ!!
消えろよ、バカ!!
俺はてめえが兄への憧れだけで空賊やってるってこと自体が、すげえ腹立つしよ……!!」
唾と共に罵声を浴びせ、オヴェルは地を何度も強く踏みつけて不快感を示す。
ようやく手が離れたかと思うと、シャロンは最後に突き飛ばされ、足をもつれさせて地に転んだ。
「…おまけにコロコロと配属変えられるから…ロクに手柄も挙げられねえで……。
…でも…そうやって…のうのうとして……。
俺だったら…とても恥ずかしくて居続けられねえ…」
小さく呟き続け、やがて平静を取り戻していくオヴェル。
さらに、頭が小刻みに震えたと思うと、彼女は一旦動きを止めた。
「…ま、いいや……。
今のシャロンの状況は、炎団にとって都合がいいし。」
顔を上げると、先ほどのように明るい表情を見せるオヴェル。
「共同戦線と行きましょ?
私達がルベランセを背後から襲い、その隙にシャロン達がブリッジを占拠する。
今回はこれがベストの方法、そうでしょ?」
「……なあ…あんな艦、無傷で手に入れてどないすんねん…」
地べたで萎縮しながら、シャロンは訊いた。
「そんなこと知〜らない。
…知る必要も無いし、団員は組織が決めたことに従うだけ。」
オヴェルは答える。
「ふふっ……ルベランセは…このオヴェル=ハイマンがいただいちゃう。
成功した暁には…もうちょっとマシな待遇にしてもらえるよう、私から紅蓮様に伝えてあげるわね。
…せいぜい頑張るのよ?」
勝ち誇った顔をして、彼女はつま先を反対側へ向けた。
彼女が視界から消えるまで、じっと地を握りしめるシャロン。
後には悔しさ以外、何も残っていなかった。
(…何で…何でこんな恥を偲んで炎団に居続けるかやて……?)
まだ震える手で、地に落とされた青い布を取るシャロン。
(…今、ここで止めたら……ただの負け犬やないか…!)
全身から砂を払い、それを握り締める。
(あたしの覚悟……そんなちっぽけなもんやないんや…!!)
彼女は唇を噛んで立ち上がり、白いシーツと一緒に青い布を竿にかけた。
布の向こうから差し込んだ陽の光が、涙で妙に眩しく見えた。
◆ ◆
「…そう…優しく握って下さい。」
「……こう?」
言われたとおり、操縦桿を持つ世羅。
ジンは彼女の傍らに近付き、肩を片手で抱いて、もう一方の手を彼女の手の甲に静かに被せた。
「…そう。
そして…機銃のスイッチに親指を添える感じで。」
教えながら、さらに互いを寄り添い合う二人。
「……何、イチャつき合って遊んでやがるんだ……あいつら?」
そんな二人を遠目に見ながら、前傾で座り込んでいる戒が呟いた。
続けられる訓練に、本人は汗だくで疲労を極めていたが、苛ついた口調は崩さない。
「世羅の遊び相手になってやってるだけだろ。
……嫉妬なんてみっともねえぞ。」
角度を調節するため、自分の機体の右翼を手で曲げながらバーグが言った。
「嫉妬? 俺様が?」
小馬鹿にしたように、肩をすくめる戒。
「どう見たら、そう解釈できるんだ。」
「どう見たって嫉妬でしょ?」
その機体の真下から、這い出すミーサ。
顔は油で、ところどころ黒ずんでいる。
「戒ってけっこう、わかりやすいのね。」
さらに彼女は笑った。
「…無駄口叩いてねえで、さっさと俺様の機体も整備しろ。」
「何よ、それが人に物を頼む態度なの!?」
「てめえは整備兵。 俺様は義勇兵だ。」
「…戦ってやるから偉いってこと?
別に私は頼んでないんだからね!!」
「てめえのところの副艦長が承認済みなんだよ。
雑兵はおとなしく上官の命に従ってろ!」
戒の暴言に、強く握られるミーサの大スパナ。
「こいつ……!」
「ミーサ。」
バーグが静かに口を開く。
「まあ、ここは一つ頼むわ。」
彼女の肩になだめかけられる、ぶ厚い手の平。
「……わかったわよ…」
「手ェ抜くなよ。」
余計な戒の一言に、ミーサがまたも睨んで返す。
「それより…戒、お前よ…」
そんな中、おもむろにバーグが煙草に火をつけながら言った。
気温も上がり始めた昼下がり。
最終的には、何とかバーグの飛行も『まし』になり、一通りの訓練は終了した。
だが、慣れない戒はまさしく疲労困憊の状態であった。
「昨日は忙しくて聞きそびれちまったが…。
そろそろ、説明してくれてもいいんじゃねえか?」
「何をだ?」
「皆をあれだけ危険に遭わせておいて、説明が無いってわけでもなかろうに。」
息を勢い良く吸う。
一気に灰になる煙草。
「てめえらが勝手に危険に飛びこんだんだろ。」
「みんなお前の力になりたいからこそ、やったことだぞ。
……まあ、お前がイヤだって言うんなら、無理には聞かねえけどよ。」
バーグの優しい言葉にも、戒は憎らしい態度を取り続けていた。
「お前が中王都市へ行く理由と、何か関係あるのか?」
彼は何も答えない。
下で聞こえる、整備の金音だけが耳に入った。
「…それに……中王都市に着いたら、世羅はどうすんだよ?」
「あ?」
暫くしてからの言葉に、戒が野太い声で返す。
「あいつと一緒に居てやれよ。」
「………バカか?
行き先が同じなだけで、俺様が何でそこまで面倒みなきゃならねえんだ…!」
思わず大きくなる声に、戒が周囲を見回す。
別の場所へと遊び場を変えたのだろうか。
既に、世羅の姿は無い。
それが分かると、途端に身振りを大きく。
戒は両の腕を大袈裟に開いた。
「……俺は、あいつの何だ? 他人だろ?
これから進む道だって、まるで違う。
あいつは飛翔艦乗りになりたい、俺様は……大学に行きたいんだ。」
「お前、勉学なんて向いてねえよ。
あいつの傍に居てやれ。」
「人の話聞けよ!」
戒が目を剥いて、バーグに掴み寄る。
だが、返ってくるのは、穏やかな視線だった。
「……お前…にぶいな。」
そして、バーグの呆れるような声。
機体の下で黙って二人の話を聞いていたミーサが手を止める。
「あの子はな…ああ見えても、行きずりで誰かと一緒にいるような子じゃない。
お前の本質を心の底から認めているからこそ…」
「うるせえ。」
戒が、バーグの口を強く手で掴む。
「…世羅のことはもう……フィンデルに任せたんだよ。」
静かな一言。
「………おい…!?
まさか……お前…!!」
バーグは、その言葉の意味を理解すると血相を変えた。
「もしかして……その『条件』で戦闘騎に乗るって『取引』したのか!?」
逆に、彼の修道着の襟をわしづかみにして詰め寄る。
「…悪いかよ……!
…飛翔艦乗りになりてえのなら、専門家に任せた方が早いに決まってる!!」
戒が窮屈な姿勢で呻いた。
「……てめえにしちゃ……上出来だぜ…全く。」
バーグが舌打ちをして、手を離す。
機体の下のミーサも笑みを浮かべて、作業を手早く仕上げた。
狭い視界の横で、戒のブーツが早歩きで動くのが見える。
「…まったくよ…ジンの野郎、俺様の機体にこんなにペイント弾撃ちやがって…」
ドライバーを片手に、自分の機体の背後に付着した蛍光色の粘液を削る戒。
「別に、あんたが貰った機体じゃないでしょ…。
借り物なんだから…文句言わない。」
ミーサは機体下から這い出し、汗を拭った。
「でも、バーグの方には…あんまり付いてないわね。」
「…そうか?」
彼女が何気なく発した言葉に、バーグが不思議そうな顔で自機の後ろを覗き込む。
「あいつ、ヒゲは眼中に無えんだろ。」
「いえ…ちゃんと平等に狙いましたよ。」
またも、いつの間にか近付いていたジン。
彼もまた、バーグの機体の背面を触れながら調べる。
「確かに…思ったより被弾していない……」
呟く、その目は、真剣そのものだった。
「何故、こうも避けることが出来るのです?
操縦は恐ろしく下手なのに。」
彼のはっきりとした言葉に、バーグが思わず顔をしかめる。
「わかんねえよ。」
そして少し考えた後、言った。
「なんとなく、相手が撃ってくるタイミングがわかる。
それだけだと思う。」
「『なんとなく』?
直感で操縦している、と?」
ジンの問いに頷くバーグ。
「それならば何故、同様の感覚で私に撃ってこないのです?
機体の操縦だって、もっと上手く出来るでしょう?」
「無理だって!!
武器は機関銃だぞ? 剣とは違うんだ。
空と陸の差だってあるし…」
その言葉に対し、ジンが眼光を強めた。
「空も陸も同じですよ。」
そして彼に近寄り、下から睨みつける。
「それに銃と剣にだって、根本的な違いなどありません。
……そんな先入観が、貴方の操縦を小さくしてるとは思いませんか?」
語気を強めて、彼は去っていった。
「あいつ、何言ってんだ?
空と陸…銃と剣なんて、根本から違うじゃねえかよ。」
暫くしてから、バーグが口を尖らせる。
「意地悪言って、混乱させようという魂胆だぜ。」
ジンの背を眺めながら地面に唾を吐く戒。
だが直後、彼は深刻に考え込むバーグに気付いた。
「…む……。
確か…リジャンにも昔、同じようなことを言われたような気がするんだが…」
「よせ。
単細胞が考え出したら、ハマるぞ。」
戒はそんな彼を尻目に、戦闘騎と草原の作業場から離れようとする。
「ちょっと…そろそろ出発よ!?」
その彼の様子に思わず声をかけるミーサ。
「すぐに戻る。
整備やら搬入やら……後はやっておけ。」
戒は言い残すと、森の方へと歩いて行った。
◆ ◆
「わーーーーっ!!」
奇声にも似た、世羅の大声が草原に響く。
「さーー! これから大カーブだ!!」
「しっかり掴まってて下さいよぉ!!」
イールとムールが押している木の台車には、水を入れるためのタルが乗っており、その中に世羅が半身を沈めて
草原を駆け抜けている。
下り坂で驚くべきスピードをつけ、速度を保ったまま、サイア邸の庭先に突入。
急なカーブも力任せに角度をつけて、水を汲むための井戸へ向けて一直線に台車が駆けていく。
「さて、ここからは…」
「進むのみ……!?」
大きな井戸が見えた矢先。
台車を押す二人が庭の人影を認めた瞬間、車輪が急停止する。
身なりの良い優男が、自分達のふざけ合う姿を冷たい目つきで眺めているのであった。
「あ……」
「これは……えっと…」
ばつが悪そうに、彼の視線を気にしながら、台車からゆっくりと手を離すイールとムール。
すぐに世羅を脇に抱えて降ろし、台車だけ押して、いそいそと目的の井戸へと向かう。
「……?
また、遊ぼうね!!」
全く事態を飲み込めない様子で、笑顔と共に彼等に手を振る世羅。
遠くで、二本の手が振られるのが見えた。
「……世羅…=ディーベンゼルク……」
意図せず、唐突に目の前に現れた世羅。
リ・オンは、彼女を見下ろしながら思わず口を動かしていた。
「?」
彼の顔を凝視する大きなエメラルドグリーンの綺麗な瞳。
特に似てもいないのに、知っている夫婦の顔が重なる。
彼は目を軽く閉じ。
義足に体重を乗せて彼女に近付き、その頭を優しく撫ぜようとした。
だが寸前でその動きは止まり。
「…本当に…良い名だ。
一度聞いたら……一生忘れない。」
彼女に聞こえないように呟き、リ・オンはその場を離れ去った。
◆ ◆
「………頼む。」
木々の隙間を縫うようにひっそりと現れた人影に、昨夜倒した凶獣の残骸ともいえる木片を渡すザナナ。
彼はその影が消えるまで見送り、白い槍を肩にかけた。
「…いいのか?」
後ろから、近付く戒。
「族長の仇を討てたこと、今の猪族の者に伝えてもらう。
ザナナは、森に戻る気は無い。」
「……変な野郎だ。」
振り向かず答えるザナナ。
落ちる木の葉が、ゆっくりと舞っていった。
「あとよ……何かとつけて、俺様をかばうような真似はよせよ。」
やがて、機を見て言葉を発する戒。
「かばってなどいない。
ただ、皆、戒が傷を治すことを『当然』だと思っている。
それが許せないだけだ。」
「許せないってなぁ…」
呆れる戒に、向き直る豹頭。
「ザナナの『同族を守ること』は当然だ。
だが、戒は違う。
そこまでの覚悟、無いだろう。」
「…………。」
「戒の覚悟は、どこか違う場所にある。
そのために中王都市というところまで行くのだろう?」
「……ああ。」
鼻から大きく息を吐くと、戒はうつむいた。
「だけどよ…世羅には…言っても理解できねえことだ。」
「ザナナは、別に世羅のことが嫌いで言っているわけではない。」
「そんなことくらい、わかってる。」
「ザナナは むしろ……」
含みを持ったまま、ザナナは言葉を止めた。
暫くしてから、再び口を開く。
「あの世羅のように笑いたいと思った。」
「あん?」
急な言葉に、戒が不完全に答える。
「笑うと、フ族はすがすがしいのだろう?」
「まあ……普通は、な。」
彼の言葉の意味も分からずに、戒は答えた。
「…ザナナは笑うことが出来ない。
だが、世羅が笑うと、ザナナの気も晴れる。
…そんな気がしたのだ。」
豹頭が語る真意に、戒はずっと見入っていた。
「お前がついて来る理由は…『世羅』かよ?
……全く、どいつもこいつも……。」
冗談交じりに笑い飛ばす彼。
「それに…興味があるのだ。
空にもな。」
「いいのか?」
「いいのだ。
元々…ザナナに安住の地は無い。」
二人は並んだまま、陽の光が弱まり始めた空を見上げた。
◆ ◆
太い掛け声と共に、数十人の男達が一斉に鋼鉄で結わいた極太のロープを引く。
そのロープは、ルベランセの屋根に何本もくくりつけてあり、それが強い力で引かれる度、
山にもたれたその艦体を垂直に戻していった。
その動きを艦内の廊下に居ながら感じていたフィンデル。
それまで傾斜のあった足元が平行に近付いていくのがわかる。
「…どう? 憶えきれる?」
「脳みそが『うにうに』してますよ…」
動力室に入り、フィンデルは後ろから声をかける。
振り向きもしないで、ぶ厚いマニュアルを片手にしたミーサが呟いた。
「源炉の修理は…」
「完璧に終わってますよ。
さすがはサイア商会の技師、すぐに直してくれました…」
「それは……損傷自体が軽かった、ということかしら?」
多くの管に巻かれた、物言わぬ金属の大きな塊に、ゆっくりと歩み寄るフィンデル。
「技師の話では、源炉内第二層のディンコマース弁が操作されて、出力を抑え込まれていた
みたいなんです…。
これじゃあ、吸源管と排出管が生きてても思ったように動きませんよね…。」
「そうね……。
でも…えっと……つまりどういうことかしら?」
フィンデルは苦笑いを浮かべて訊いた。
「『簡単』な工作をされたって感じですね。
やっぱり、敵はルベランセを壊すのが目的じゃなかったみたいです。」
ミーサはそれだけ言うと源炉に向き直り、床に腰を下ろして早速作業を始める。
フィンデルはその答えについて少し考えた後、彼女の肩に優しく触れた。
「ごめんなさいね、搬入した戦闘騎の整備も残ってるのに…」
「いえ。 ……でも、これって一度起動すれば操作する必要ありませんよ?
技師がいる中王都市に戻れば、彼等に任せられるし、安全…」
源炉を見ながら、マニュアルを手の甲で叩くミーサ。
「だめよ、この源炉を思い通りに操作できること。
それが今回の作戦の最大の『要』になるわ。」
「うわっ……壮大……」
彼女の強い口調に、冗談交じりに返すミーサ。
「お願い、ミーサ。
一日だけ、源炉のエキスパートになって頂戴。」
しかし、フィンデルの横顔は真剣そのものだった。
「何か…あっさりと凄い無茶言ってますよ。副長。」
ミーサの言葉に、彼女は自分の全身が強張っていることに気が付いた。
「……ごめんね。
でも、無茶は承知の上なの…」
「大丈夫。 副長の思いと同じくらい……今は私もこの艦を守る気があるつもりです。」
ミーサは微笑んで答えた。
「……バーグが帰ってきたから?」
「…ち、ちがいます!」
フィンデルの言葉に、瞬時に真っ赤になって否定する彼女。
「バーグだけじゃなくて…。
…他にも…一生懸命な奴とかいるし…」
マニュアルと源炉本体を素早く見比べ、照れ隠しに作業を始める。
「…そうね……。
やらなくちゃ……ね。」
その真剣な彼女の横顔を眺めながら、フィンデルは最後の挨拶をするために動力室を後にした。
◆ ◆
「なあ…どうするよ…。」
「え?」
イールの呟きに、反応するムール。
「いざ潜入してみたものの…どうすりゃ、これを制圧できんだ?」
「うむぅ……」
モップでルベランセの廊下の床をしごきながら、彼は呻いた。
「それにさ…なんか…やる気そがれちったなぁ…」
「イール!!」
ムールが立ち上がる。
「……すまん。」
思わず口をついてしまった自分の言葉に謝罪するイール。
「お、オレもわかるよ…。
ここの人達、悪い奴じゃねえし…。」
先の世羅の笑顔を思い返す。
「でも…お嬢への想いは、それとは『別』のはずだぜ。」
「…ああ、そうだな……悪かったよ。」
いつしか、二人は無言になり。
「ああ…」
同時に溜め息。
「賊に向いてないのかな…オレ達。」
そして同時に呟く。
その時、突き当たりに青い服の端が見えた。
姿を見せる、神妙な面持ちのシャロン。
今の話を聞かれてはいないかと、二人は背筋を緊張させて彼女に体を向けた。
「……お嬢…。」
「…これから段取りを話すで……。」
彼等の呼びかけに、彼女は虚空を見詰めたまま答えた。
「段取り?」
「この艦を制圧する段取りや。」
早口で返される言葉。
「…11番艦がもうすぐそこまで来とる。」
「え!?」
イールとムールは同時に飛び上がった。
「ルベランセが奴等の攻撃に気をとられている間に、あたしらが内から制圧する。
そんな『予定』で話は進んどる。」
「もうそんな手はずを…」
「……流石はお嬢!」
二人が両手を叩いて示す賞賛に、シャロンは顔を紅潮させて歯軋りした。
だが、余計な事は言うまいと自分の両頬を叩いて気合を入れる。
「覚悟……出来てるんやろな!」
「……はい!」
「もちろんで!!」
笑顔をつくり、二人が威勢良く叫んだ。
(上手くいけば……これが第一歩となるはずや。
失敗は許されへん…)
彼女の目に、余計なものが目に入ることは無かった。
少しの迷いも無く、迷路のような艦内の廊下を突き進む。
「……炎団『青組』……いくで!!」
三人の踵が、廊下に鋭く鳴り響いた。
◆ ◆
一番星が輝く、薄夜空の下。
「…で、どうですか?
即席の戦闘騎部隊の方は…」
ルベランセから伸びた階段を降りながら、フィンデルは下で待ち構えていたジンに訊いた。
「戒さんは初心者ながら、なかなか器用に扱っています。
無論、まだまだ実戦レベルではありませんが……。」
「バーグの方は?」
「…正直……なんと言いますか…。
彼を作戦に参加させること自体、無謀ですね。」
口調も重い。
「彼の腕で今の機体を扱うことは難しいでしょう。
おそらく、彼は不器用では無いのでしょうけれど、年齢のせいか頭が固い。」
額に指をトン、と乗せて笑うジン。
「……わかりました。
そろそろ出発の時刻です…宜しくお願いします。 ジンさん。」
「ええ、やるしかないでしょう。
……行きましょうか。」
首の後ろまでしっかりとガードの付いた、クリーム色のツナギの前を閉めるジン。
彼はそのジッパーを勢いよく上げた。
同時に、源炉の唸り声に大地が揺れる。
砂と土は噴き上がり、粉々に砕けて舞った。
強引な離陸のため、見送る者も居ない草原。
二人は飛翔艦へと上る階段の途中で、その暴風の中を臆せずに近付いてくる人影を認めて足を止めた。
それはリ・オン。
「―――父上、何か言っておくことは?」
「無い。」
ジンの言葉に、彼は即座に答える。
魔導人形も、いつも通り無言で主人の後ろに付いていた。
「……では、行きましょうか。」
「リ・オンさん…この度の御好意をルベランセ全乗組員に代わって、心から感謝いたします。」
ジンに促され、頭を下げて階段を上るフィンデル。
リ・オンの目に映る二人の姿が遠ざかる。
「…言うことが無いのなら……来る必要は無いのに…。
本当に、父上は素直でない。」
横のジンの呟きを聞いたフィンデルが、最後に振り向く。
飛び立とうとしている艦をただ凝視しているリ・オンの姿。
フィンデルはその彼の想いに、今度は敬礼で応えた。
◆ ◆
4
◆ ◆
歯止めを知らない、祭りの賑わい。
闇夜を揺らして照らす強い炎の光は、庭内の壁ごしにも見えるほどだった。
対照的に、中王南教会の敷地内は寒々しいまでに広く。
会議の場となる本聖堂は騒々しい周囲とは無縁で、その中心で静かにたたずんでいた。
周辺警護の任を担う緑華が本格的に配備されるのは明日の昼間。
それまで敷地内には教会関係者以外はおらず、その夜は閑散としていた。
「おい、マクス…!!
ようやく…しごきが終わったぞ……!!」
「……私に言われても困るな。」
大声を張り上げ、庭先まで疲れた体を引きずってやって来るヂチャードに、マクスは傍らのクゥに
笑いかけながら素っ気無く返した。
「しかしなあ…。
あとは目一杯遊んで来てもいいだなんて……シザー教官らしくないなあ…。」
青い顔で本聖堂を振り返り。
「……これは何かの罠だな。」
一人納得するヂチャード。
「…考えすぎじゃないでしょうか……。」
クゥが、ぼそりと呟いた。
その言葉に、向き直るヂチャード。
彼女は、思わず目を伏せる。
「私も考えすぎだと思う。
恐らく小団長は……本気で、遊んで来いと言っているのだろう。」
マクスが微笑んだ。
「……へえ…。
その真意を汲み取ると……ゾッとするね。」
ヂチャードも肩をすくめて笑った。
「まあ、遊べと言われたら、俺は遊ぶけど。
お前らはどうする?」
「……明日は警護だ。
それに差し障るような行動は控えるべきだと思うが…」
「おいおい…」
マクスの普段通りの生真面目な言葉に、彼は即座に溜め息をつく。
「…だが……限度を越えなければ、別に良かろう。」
歌と音楽を奏でながら、松明を片手に並んで横切っていく門外の住民達の姿。
それを眺めた後、マクスは穏やかな表情で言った。
だが、彼はすぐさま視線を遥か遠く。
闇夜の先にそびえる、高い山脈へと向ける。
彼が今までに、その動作を無意識に何度も行っていることをヂチャードもクゥも察していた。
◆ ◆
「あら?どうしたの?」
ブリッジへと続く細長い廊下。
フィンデルが、その床で小さくなって作業をしているイールとムールに声をかけた。
「え?」
「あ!」
それに対し、大声を上げたと思えば、すぐに立ち上がり姿勢を正す二人。
「?」
彼等の様子に、小首をかしげる彼女。
「…イヤ……床のタイルがちょっと壊れてましたんで…」
「…ちょいと修理しておきました…。」
ぼそぼそ、声を出す二人。
「そう?
この艦、結構古いから…。
―――ありがとう。」
微笑みながら彼女は礼を言った。
そんな言葉に対し、二人は下を向く。
「あの…副艦長さんは……どこへ…?」
「これから会議だ。
航行中は、あまりチョロチョロするなよ。」
険しい目つきで睨む、後ろから彼女について歩くリード。
「ハイ…」
「すんませんです…」
廊下の端に寄り、イールとムールは列になった二人を通す。
遠ざかる軍靴の音。
「ここの廊下……思ったとおり、すれ違うだけで精一杯だな……。
最悪、オレ達の死地は……ここだ。」
二人が見えなくなったところで、イールが呟く。
「…ああ…」
ムールは無感情にそう答えるので精一杯だった。
◆ ◆
人気の無い食堂。
テーブルを中心に集め、後は寄せて片付けた。
明日には中王都市か、それともあの世に着くのであろうか。
どちらにせよ、もう暫くは使わない食堂。
その中で、戒とバーグ、ジンはそれぞれ考えを巡らし、表情を強張らせていた。
フィンデルとリードがそこへ入って来る。
「みんな、わざわざ集まってくれてありがとう。
早速だけど今回の作戦の内容を聞いてもらえるかしら。」
足早に着席し、すぐに全員に声をかける彼女。
「その前に副長さんよ、この飛翔艦の飛び方について一つ気付いたことがあるんだが…」
食堂奥の小窓、若干傾斜した外の景色を眺めながら、バーグが言った。
「何でゴーベを斜めに、少しずつ上がってるんだ?」
「これじゃあ、時間がかかるだけだろ?」
そこで戒も加わる。
「やれやれ…素人め…」
呆れた様子で呟き、首を振るリード。
さらに手首を垂直にして、彼等に向ける。
「そのまま直線的に頂上を目指したら、飛翔艦の傾きはどうなる!?
乗っている人間が、みんな後ろに落っこっちゃうだろ!!」
「…それに、迅速な方向転換ができないので、あまりにも危険なのです。」
リードの強い口調の後、付け加えるジン。
「そんなこと、俺様達が知ってるわけねえだろうが。」
悪態を返す戒。
「まあまあ、それは置いておいて…」
場をなだめ、改めてフィンデルが姿勢を正す。
「…ルベランセが最初の炎団の攻撃を退けてから早三日。
敵勢力は、既にこちらに追いついて来ていてもおかしくないわ。」
静まる空気の中、誰かの喉が鳴った。
皆の緊張が高まっているのが良くわかる。
「それでも攻勢をかけてこないのは、どこかで機会をうかがっているということ。
今まで中立地帯で停留していた私達を狙うには、ゴーベを越えるこの時をおいて他には無いと思うの。」
その空気を感じつつも、フィンデルは言葉早く続ける。
「おそらくは敵も必死…そして、最後のチャンスに全てを賭けてくることは必定。
そして、追討して来るのは間違いなく『高速飛翔艦』―――」
「高速?」
バーグが聞いた。
「彼等は後発でも、ルベランセに余裕で追いつかなければいけない。
そのために、火力よりも機動力を重視してくると思うわ。」
「それに、山岳付近では大規模な空中戦は展開出来ない。
戦闘騎による襲撃も、少数精鋭で来るに違いない。」
リードが付け加える。
「おいおい…ちょっと待ってくれ。」
戒が焦った表情で言葉を発する。
「あんたら、まるであっちの動きを読んでいるみたいだがよ、それを完全に信じて行動するつもりか?
昨日から思っていたんだが、来るかどうかも分からない敵に、ちょっと慎重過ぎるぜ…」
彼の言葉に、リードは不安げな表情でフィンデルを一目見た。
「備えあれば、憂い無しということでしょう。
皆さんの意見は色々あるかもしれませんが…私の経験から言っても、この程度の危険予測は欠かせません。」
だが、そこで口を挟んだのはジンだった。
「ですが裏を返すなら、ここまでは空に携わっていれば誰でも推測できる範囲。
たとえ、その通りの展開になったとしましょう…」
テーブルに手を付いて椅子から立ち上がり、フィンデルのみを見詰める彼。
「問題は、このルベランセの戦力で、万全な襲撃をかけてくる敵に打ち勝つ算段があるかどうかです。」
そして口から発せられる毅然とした言葉。
「無論…何かの『策』があるのでしょうね?」
「……はい。」
フィンデルは、彼の質問に即答した。
「ならば、詳しい説明は不要です。
私は何をしたら良いですか? それだけを教えてもらいたい。」
口元に笑みを浮かべるジン。
「やがて訪れるであろう、敵の先発隊に対抗してもらいます。
貴方達 三人の役目は、ルベランセに敵戦闘騎を一機たりとて近付けないこと。
……出来ますか。」
戒とバーグ、最後にジンを見回し、フィンデルは言った。
彼女の瞳には一片の遠慮も無い。
「やりましょう。」
ジンが席を離れる。
「それが出来るならば……後は、私が何とかします。」
彼が食堂を出る直前に、フィンデルはもう一声かけた。
「『何とか』ってよ……」
不安な表情のまま言葉を洩らす戒。
「ちなみに、『お国違い』のお前に言っておくがな…」
リードが彼に向かって言う。
「これから向かっている中王都市の南部においては、ゴーベ山脈自体が国境みたいなもの…。
超えてしまえば、軍隊の駐留所とは目と鼻の先だ。」
「つまり、逃げ切れば俺達の勝ち…ってことだな。」
バーグが腕組みをして、腹の底から低い声を出す。
「……そうね。」
沈みがちな視線を、水平に保ちながら答えるフィンデル。
「各自、なるべく今のうちに休んで頂戴。
山脈の頂上付近が、交戦ポイントになる確率が高いと思うわ。」
彼女の言葉を皮切りに、全員の椅子が鳴った。
◆
彼女以外、誰も居なくなった食堂。
その背後へ、すぐに戻ってきた戒が近付いた。
「何かしら? 戒くん。」
うなじをかきあげ、彼の目的が解っていながら彼女は言う。
「…本当に……襲撃は…」
そこまで言うと、戒は一瞬言葉を詰まらせた。
「いや、その…なんていうか、確率で言うとだな…どれくらいで奴等が襲ってくるのか…聞いておきたいだけだ。
参考までに…」
「……恐い?」
フィンデルの問いに、頭を思い切り振り上げる彼。
「…恐いわけねえだろ!!」
「……無理しないで。」
過剰に反応した彼の手を握る彼女。
「まっとうな軍人でさえ、何年も…何度も何度も訓練しても、いざ実戦では恐くて恐くて仕方なくて…
それでも『何も出来ない』のが『普通』よ。
実際……戦いというのは、それだけ危険で…」
「そんなことは、わかってんだよ……!」
真顔で諭すフィンデルに、戒が答える。
「…なまじ、出来る人間は辛いわ。
皆に期待されるし、それに応える義務がある……。」
彼女が哀れむような目をしているのは、見なくても分かった。
「本人は…そんなに強くないのにね。」
声がかすれているのは、飛翔艦の振動のせいだけではないだろう。
それは、自分の境遇を重ね合わせている言葉のようにも聞こえた。
「戒くん……。
貴方は本当に戦う必要は無いのよ…軍人じゃないのだから…。」
「…ヒゲに任せた方が、逆に危険なんだよ!
まだ…自分で戦った方が生き残る可能性があるぜ。」
戒の強がりに、フィンデルは頬を緩めた。
「言っとくけど、冗談じゃねえからな。
見ただろう?
あいつの操縦は本当にひでえんだ…」
うんざりとした顔で続ける彼。
「……それに…もうリジャンもいねえしよ…」
そして、彼女から目を逸らす。
「…ありがとう。」
ただ一言。
それが、フィンデルから発せられる。
「…これで、『地の利』と『人の利』が揃った……。
あとは…」
廊下の小窓の外をうかがう彼女。
強張ったその肩を、戒が軽く叩いた。
「…能書きはいい。
それより、俺様がここまで危険をさらしてやるんだ。
生きて帰って……絶対に『約束』を守れよ。」
背を向けて、前髪を片手で上げる仕草。
天を仰いだ姿勢で動きを止め、彼はそのまま歩いていく。
それを見送った後、フィンデルは腰を椅子から離す。
そして食堂には、今度こそ誰も居なくなった。
◆
会議を終え、自分の部屋に戻ったバーグは考えていた。
(俺は……本当に出撃するべきなのか?)
気を静めるため、剣を抜いて素振りをすること数分。
(戦闘騎の操縦に関しては、ジンの方が数枚も上手…。
ましてや、初心者の戒にさえ…)
汗が飛び、それによって握った柄がぬめると、彼はすぐに剣を置いた。
(くそ…俺はまた、足手まといに違いねえ……)
居ても立ってもいられず、暗い廊下へと飛び出す。
思い出す銀の戦闘騎。
あの時、自分は手も足も全く出せずに堕とされた。
そして、ジンが言うように、『戦う環境の違い』を理由にして無意識に逃げているのだろう。
剣と違って、戦闘騎において敗北しても、悔しい感情の鈍さが一番腹立たしい。
自然と辿り着く、螺旋状の階段。
眼下の格納庫の暗がりの中。
ランタンの作るまばゆい光の中に見えるのは、作業を続けているミーサの姿だった。
自分が出撃をためらっている事実を、彼女に相談するべきだろうか。
階段を一歩一歩降りる度、胸の動悸は高鳴る。
見ると、今まさに彼女が扱っているのは自分の機体だった。
硬くて慣れない物質の為か、その部位に触れ続けていた彼女の軍手には血が滲んでいる。
それは、出立からずっと作業を続けている証拠に違いなかった。
「…おい。」
声をかけると、ミーサはすぐにその両手を背に隠して立ち上がる。
「な、何?
急に…びっくりした…」
眠そうな表情で笑ってみせる彼女。
大きな身体で、ゆっくりとバーグが寄る。
「…おい、殴れ。」
「は?」
彼の突然の言葉に、呆気にとられるミーサ。
「俺を殴れ!」
「な、何? 急に…」
「い・い・か・ら!
殴ってくれ、早く!!」
自分の頬を叩きながら両目を強く閉じ、首を前に突き出すバーグ。
眠気覚ましなのだろうか。
ミーサは、仕方なしに手元の大スパナを握った。
「……いぃ!?」
そして尻に訪れた衝撃に、閉じた瞼の裏に星が飛ぶ。
「……いで…ぇ…つーの!!
…くっ……だれが…『スパナ』でやれって言ったよ!?」
「え!?
…だって…殴れって!」
「…普通、『平手で頬』とかだろ!!」
「何よ!
私にとってはこれが『普通』よ!!」
「く……くぅ……!!」
四つんばいになって、床にへたるバーグ。
流石に、ミーサも腰をさすってやる。
「わ…悪かったわね…。」
「…………。」
その姿勢のまま暫く黙っていたバーグ。
「………いや、俺の方こそ…すまなかった。
ミーサ。」
真顔で呟く彼。
彼女は、再び目を見開いて驚いた。
「整備…俺にも手伝わせてくれよ。」
「やだよ…バーグ、不器用だもん…」
ミーサが冗談交じりに笑って答える。
ランタンの火が、二人の影を揺らした。
◆
「ええか? 抜かるんやないで。」
用心のため、声を小さく絞ったシャロンの号令。
「相手は炎団の飛翔艦を二隻も退けた、有能な『指揮官』なんや…。
こっちが三人だからって、油断するんやないで。」
「はい!」
荒縄を両手に構え、震えるイールとムール。
「しかし、出来る人間は余裕やな。
ブリッジにも出んと、自室でゆっくりしとるとは…」
静かにドアノブを後ろ手で掴み、身構えるシャロン。
突入のタイミングを計る二人。
だがそこが『艦長室』であるということ。
それがルベランセにおいては何を意味するかを、部外者である彼等は当然 知る由もなかった……
◆ ◆
暗い空間。
音が完全に止み、準備が完了する。
扉を開放するため、錠が外され。
吹き込む、月明かりと冷たい風。
「ああ〜、愛しい紅蓮様。」
鼻歌交じりに、きつく締められる右の赤い皮手袋。
「この戦い…貴女に捧げます。」
続いて、左手。
「私の人生における悦びは、貴女をいつかセルゲドニの首領にあげること。
戦果の御報告、待っていて下さいね。」
胸の黄色い炎の紋章をなぞり、防風ゴーグルを装着する。
彼女の独り言は、そこで終わった。
「…んじゃあ、行くわよ。」
操縦席後部、左右の砲台に座る手下が、せかすように身体を揺らすのが判ったので呟くオヴェル。
「全機、出撃。」
彼女が片手を高々と上げて合図を出すと、格納庫の厚い扉は全開し、冷えた溶岩のような岩肌の
ゴーベ山脈が姿を現す。
横に広がった、巨大な赤い翼を先頭に、戦闘騎達は夜空に一斉に飛び出して。
そして山の傾斜をなぞりながら、風に乗って舞い上がっていった。
◆ ◆
「―――どう?
みんな、適度に休めてる?」
フィンデルが、艦長席で仮眠から目を覚ますなり言った。
その言葉に、リードとタモンが緊張の面持ちで振り向く。
室内の角で、胡坐をかいて陣取るザナナの片目が開いた。
「あと……どのくらいで山頂かしら?」
ブリッジ無いの嫌な空気の濃度は増す一方であることを察したフィンデルは、皆の気分を変えるために訊く。
「…一時間ほどで……辿り着くんじゃないっすかねぇ?」
答え、リードの方を見るタモン。
だが彼は何も反応せず、念通球を手の平でただ転がし続けていた。
「中王都市に住んでいる皆は、ゴーベのてっぺんって…普段注目しているかしら?」
「…てっぺん…っすか?」
「そう。」
何気ない彼女からの会話に、タモンが付き合う。
「…あんまり……記憶に無いっす…」
「私もね、そんなに記憶は定かじゃないんだけど…あそこは、いつも…」
「……来た…」
そんな会話に混じり、リードが小さく呟く。
「…来たぞ……。」
もう一度。
自分に言い聞かせるように呟く。
「フィンデル……距離にして500M後方…!
この大きさは…戦闘騎のサイズ……数は…約10機……!!」
リードは念通球に奔る緊張を確かめながら同時に、横でうたたねしているメイの小さい体を揺する。
「総員…」
待ちかねていたかのように、脇に用意していた声通管を静かに手にするフィンデル。
一呼吸置き、覚悟を決めること一瞬。
奥で座す、ザナナのもう片方の目が静かに開く。
「空中戦用意―――」
感情を押し殺した、冷たい声が艦内にこだました。
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第二章
第三話 『火種』
了
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