2-2 「赤より熱き青」
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This story is a thing written by RYUU
Air・Fantagista
Chapter 2
『It runs on ground to go to the heaven』
The second story
'The blue is hotter than red '
◆
残骸に残った最後の灯火が消え。
焦げた鉄の匂いだけが置いてきぼりにされた。
人外の森の真っただ中へと不時着した飛翔艦。
赤い塗装は禿げ落ち、砲台は折れて朽ち。
見る影は全く無い。
『彼女』は、傍で気丈に振る舞う『のっぽの男二人』を見上げ、すぐに目を伏せた。
―――夕べは ひとり、またひとりと。
早まった仲間達が出て行った。
……死を覚悟して。
そして、その大半が死ぬだろう。
考えるだけで、恐怖に身が震えた。
「……絶対に…許さへん…。
…ルベランセ…」
少女は決意と共に、薄汚れた青い布を握り締めた。
◆
◆ ◆ ◆
エア・ファンタジスタ
Air・Fantagista
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第二章
天へ往くため地を駆けて
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第二話 『赤より熱き青』
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1
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乾いた屋根の隙間から射す、陽の光。
屋内の暗がりを照らし、己の視界を広げる。
藁で編んだ敷物の上で、大の字で寝そべっている自分に気付く戒。
まどろみの中、世羅が甘えた猫のように寄り添ってくるのが分かった。
床冷えしている朝は、人肌が心地良かった。
普段ならすぐに離れる彼も、半分覚醒していないために行動を起こせずにいる。
ところが彼女と反対側では。
頬に、ぞり、と荒いタワシのような感触。
「……?」
振り向くと、無精髭がさらに伸びたバーグがその顎をすり寄せていた。
「…………。」
何故か二人に挟まれた状態で寝ていた戒は、無言でバーグのみに対し、みぞおちに膝をめり込ませる。
「ふッ…!
……ぅぐ…。」
不意の激痛に襲われ、彼は一瞬表情を歪ませ、だんだんと薄目を開けた。
「……俺様のそばに…寝てんじゃねえ!
気持ち悪いんだよ!! ヒゲ!!」
「……あ…?」
頭から捲くし立てる戒に、まだ眠そうな顔で応えるバーグ。
「……不笑人の家が…あまりにも狭いから、仕方ねえだろ……。」
そして他人事のように呟き、半身を起こす。
「それに…小せえことを気にするな。
俺たちゃ死線をくぐり抜けてきた『戦友』じゃねえか。」
彼の冗談交じりの言葉。
目覚めと共に再び強く感じる、早朝の冷えた空気。
それが自然と、お互いの体温を求めさせたのだろうか。
照れくさく、そしてそんな弱さも認めたくない。
どこか混乱した自分の気持ちがうっとうしく感じる。
そんな中、バーグは手元の余った毛布を、世羅が丸出しにしている腹に被せた。
それはまるで娘に対するような仕草だった。
戒は、まだ若干疲労感の残る身体に力を込め、肩膝を立てる。
それに合わせてバーグも体を起こし、胡坐をかいて、彼と向かい合った。
「ところで……」
半開きの目。
だらしない寝覚めの表情のまま、バーグは言う。
「おまえ、この森を…凶獣の森を本気で抜けるつもりか?」
「何だと?」
その質問に、眉をひそめる戒。
「ヒゲ、まさか一晩くらいで俺様が臆したとでも思ってんじゃねえだろうな?」
「……それ以前の話だ。
はっきり言って、ここからは喧嘩が強いくらいじゃどうにもならん。
それこそ本当の修羅場を経験した奴じゃねえと厳しい…。
俺はな…それを言いたいんだ。」
「………。」
戒は黙り、少しの間考え込んだ。
だが、すぐにバーグを凝視する。
「馬鹿言え。
何のために、てめえとザナナがいるんだ。」
「俺と…あの不笑人…?」
「そんな風にヤバくならねえように、おまえらがちゃんと『道』をつくるんだろうが。
……俺様のために頑張りやがれ。」
戒は自分を親指で自信満々に差して、バーグの肩を真正面から叩いた。
「おまえ……本当に身勝手なガキだな!!」
複雑な表情で顔を上気させ、バーグは鼻をこする。
「……人間ってのは限界あるんだ。
ましてや、こんな危険な森でガキ二人なんて守りきる保証はねえ…」
そしてそのままの笑みで、戒の襟元をつかみ、引き寄せる彼。
「…だから、『世羅』はお前が絶対に守りきれ。
命に代えても、だ。」
「…………。」
その言葉に、戒は黙ったまままばたきを連発する。
「…聞いてるのか?
約束しろよ、クソガキ。」
「う……うっせえ!!
…なんで俺様が……命までかけて そんな約束しなきゃならねえんだよ!?」
強い力によって動かせないでいる戒の頭。
目だけを動かし、自然と目下で無防備に寝ている世羅の顔を見る。
「…女の子を守るのは、男の務めだ。」
バーグは真顔で言った。
「…お前の言うとおり、『道』なら俺が作ってやる。
だから、世羅を守ることがお前の役目だ。
もしも…それを出来なかったら……」
そして、襟をつかんだ手を緩ませ。
「許さねえからな。」
そして軽く突き飛ばす。
交錯する二人の瞳。
やがて機を見て、バーグは素早く立ち上がってから伸びをした。
そんな中、屋内に入ってくる豹頭の男。
「ゆっくり休めたか、フ族。」
そのザナナの両手には一杯の武器が抱えられていた。
「……寝ている間、料理にされなかったようでな、安心したぜ。」
バーグはそっぽを向いて答える。
だが、さして気に留めることもなくザナナは近寄り、抱えていた武器を乱雑に床へと放った。
金属の落下音が、横になっている世羅に刺激を与え、気取らせる。
「……ん…?
……あ……おはよ…」
まだ眠い目をこすりながら起きる彼女。
先のバーグの言葉を思い出すのを避けるため。
声を真っ先にかけられた戒は、世羅の顔から目を逸らした。
「よく寝れたか、世羅?」
そんな彼の代わりにバーグが問う。
世羅は頷き、身体にかけられた布を両肩に被せ直して身を縮こませた。
「……森を出る準備だ。
好きなもの、選べ。」
ザナナが簡潔に言う。
あまりに唐突なことに初めは誰も動かなかったが、やがてバーグが手頃な、刀身が剥き出しの剣を
拾い上げて刃を眺める。
「へえ、なかなかの業物じゃねえか。」
すぐに持てるだけの武器を小脇に抱え、満足そうな笑みを浮かべるバーグ。
そんな彼の様子を尻目に、戒も適当な槍を一本だけ持った。
「……何に使うんだ、そんなもん。」
そして、バーグが肩に絡めた鎖の束を見ながら、呆れて呟いた。
「まあ……備えあれば憂い無しってな。」
バーグが笑う。
炎団の飛翔艦で目にした、彼の戦いぶりはかなり荒っぽい。
武器なんてものは消耗品とばかりに、乱暴に扱い、壊れたそばから捨てていく。
それが彼の戦法なのだろう。
戒はそれ以上何も言わなかった。
「………。」
傍らで細身の槍をじっと眺め、手に取る世羅。
「……おい、別にお前は…無理すること…」
そんな彼女に言葉をかけようとするが、先のバーグの言葉を妙に気にしてしまう戒。
さらに、その様子を世羅は不思議そうな顔で見詰め返したので、彼は口ごもったまま背を向いた。
「……まあいい。
すぐに出発するぞ。」
「…朝……ごはんは?」
世羅が間の抜けた声で戒に訊く。
「出るッ出るッ!!」
だが、短い言葉と共に家屋を飛び出す戒。
「おいおい、何もそこまで急がなくても…」
「そうだよ……」
そんな彼に対し、バーグと世羅はあからさまに不満の色を浮かべた。
「のんびりしていられるか…。
ルベランセだってな……来るか来ねえか分からん奴をいつまでも待っててくれるはずがねえ。
今は一分一秒を争う時だ。」
「まあ……一理あるな。」
神妙な顔つきで呟かれたバーグの言葉に、世羅が瞳を潤ませる。
「そうだ。
さっさと森を抜け、美味いメシでもフィンデルにおごってもらうぞ。」
戒は一人、皆に先んじて外に飛び出し、真に受ける日差しに思わず目を細めた。
昨日までの澱んだ空が、嘘のように晴れ渡っていた。
本当にそれまで気付かなかったが、生い茂った植物は緑が濃く、空へとまっすぐ伸びた木々は明るい。
風が心地よい空気を運ぶ中、ザナナが続いて外へ出た。
「ところで…どうしたんだ、この武器。
明らかに人間が作った物のようだが…」
その後から、バーグが続く。
「この森に血まみれで落ちてた、フ族の武器だ。」
「ぶっ!!」
ザナナの言葉に、派手につまづくバーグ。
戒が顔をしかめて、手にした槍を思わず手から離した。
「こういうの、森に迷い込んだフ族の死体と一緒に、よく落ちてる。」
「……。」
「礼ならいらない。
大丈夫、ザナナ達は『肉』の方を大切にいただいたから…」
「あーーー!!
聞きたくねえっ!!」
わめき散らしながら、バーグは地を駆け回った。
「やっぱり、お前とは仲良く出来そうにねえ!!」
その大声でも、訳が解らず押し黙って立ったままのザナナ。
世羅は、おかしくて腹を抱えて笑った。
目を閉じる戒。
肩に張った力が少し抜けていった。
◆ ◆
「晴れてきましたねぇ…お嬢……」
大きな岩に座ったまま、二人の男が呟いた。
「天気なんて…どうでもええ。」
少女は頭を垂らしたまま応える。
「そんなことより早く、この森を抜ける方法考え出さんかい!
この役立たずども!!」
そして高い声で吠えた。
「…あからさまに『役立たず』だって……」
「…ひっでえなぁ…」
呑気に、二人の男は苦笑しながら言葉を交わす。
「こ、こ、こんなところでぇ……あたしが死ぬはずないんや…。
あたしを誰やと思うとんねん!」
「そ……それは…」
二人の男は互いを見詰め、うんざりした表情で視線を落とす。
「…泣く子もさらに泣きじゃくる!」
そして一人が渋々立ち上がって、大声で空の向こうを指差し。
「大陸に名だたるジルルメッシュ一家の末娘!」
それに習い、もう片方の男が叫んだ。
「そう、シャロン=ジルルメッシュ様とは、あたしのことや!!」
腰に両手をあて、堂々たる高笑い。
「しかも、稀代の美少女!
間違いなく、歴史に名を残す器量!!
こんなチンケな森で野垂れ死になんて……そんなもったいないマネ、神様がするはずないわ!!」
さらに続ける笑い声。
だが、それは数度 森にこだましただけで、むなしく静寂の中に飲み込まれていった。
「せめて……せめて…」
「…この『決め台詞』、生きている間に一度でも使いたかったなァ……」
そこで二人の男が涙と共に抱き合い、慰め合う。
「ふ、不吉なこと言うんやない!
こ、これから何度も使うことになるで!!」
「お嬢……」
二人は見上げた。
そこで、不意に耳にする樹木のざわめき。
「―――うわぁ!!」
それに驚いた二人の男は飛び上がるが早いか、その音の方向と逆に大急ぎで退散する。
「……ま、ま…!
ままま…待たんかい!!」
少女も反応するものの、あまりに突然なことに腰を抜かし、地を這いながら二人の後を追う。
「あたしを置いてくなんて……なんて子分やーッ!!」
「い、いででっ!!」
足元の石を前方を走る二人の頭へ投げつけながら、彼女は森のさらなる深みへと入っていった。
◆ ◆
「はっはっはぁ!!」
バーグが心底楽しそうに、剣を振るい、巨大な虫達を斬り倒していく。
そんな気迫あふれる彼の後ろを、残りの三人はゆっくりと歩いて続いた。
「森では、森の規則ある。」
ザナナが低く呻く。
「『源法術』は一切使えねえってことだ、わかるな? 世羅。」
気休め程度に持った薄汚い槍の先端を、同じく軽い細槍を持つ世羅に向ける戒。
「…こういう危険な所は、ああいう単純で馬鹿な奴に任せておけばいい。
そう。 戦いしか能がねえんだから、そういう役目で当然だな。」
バーグの方を見ながら、彼は断言した。
「……戒。
族長のことだが……」
そののち、ザナナが立ち止まって唐突に言う。
「…隠していれば、良かったか?
知らない方が、幸せだったか?」
「……いや…」
空いた手を修道着のポケットに突っ込み、少し考えてから答える戒。
「命を救うってのは…難しいことだ。
それくらい知ってる。」
彼は昨晩 取り乱した自分を隠し、強がって見せた。
「…そうだな。
命を奪うことの方が、守ることより、何倍も容易い。」
ザナナが遠くを眺めた。
「…今向かっている所。
『ある日』、村の子供が迷いこんだ。
勇敢な族長、皆が止めるのを振り切って、助けに行った。」
視界から高くそびえる木々に妨げられながらも、わずかに覗く青い空。
何筋もの細い雲が流れる。
「そして族長、『何か』にやられ、重い怪我を負った。
だが子供は逃げ、生き延びた。
それは、族長が囮になったおかげ。」
「……良かったのかな? それで…」
世羅が訊いた。
「……いいわけねえだろ。」
戒が拳を握りしめた。
「…さて、どうだろうか。」
ザナナが歩調を速める。
「族長は最期、とても満足そうな顔……してたぞ。」
彼はそう言い残すと歩調を速め、前を進むバーグを追い抜いて森の奥を先行した。
「……お、なんだぁ?
あいつ…人が気分良く快進撃を続けているってのに、追い抜きやがって…」
「単細胞には、わかんねえ話だよ。」
不満顔の彼に、後ろから言い放つ戒。
「……誰が…単細胞だってぇ?」
そんな戒の首に太い腕を巻きつけ、上機嫌のバーグが笑う。
「しかし、やっぱりよー、予備の武器があると安心だな。」
刃こぼれした剣を簡単に地に放り捨て、新しい剣を抜くバーグ。
先日よりも遥かに動きが軽い。
続けて、彼は慣れない手つきで槍を両手に持って歩く世羅を見る。
「世羅、お前は無理して戦わなくてもいいんだぞ。
この森では術は…」
「うるせえな、バカ。
何度も繰り返すんじゃねえよ。」
バーグが言いかけると、戒が彼の大きな背を肘で小突いた。
「…うん、わかってる。
でも……足手まといには、なりたくないから…」
そう言うと、世羅は口を結んでバーグを見上げた。
「…感心だな!
他人まかせの、どっかの誰かさんとは大違いだ!!」
戒の方をわざとらしく眺め、バーグは再び前を行く。
その先の深い森は、一寸先も見えず。
振り返れば、昨晩身を休めた村ですらもう目視することは出来なかった。
◆ ◆
「リ・オン様。」
「……なんだ、エンゼルエンデルハイム。」
机に置かれた、分解されてある金の置き時計。
リ・オンは作業を中断し、片目にはめた整備用の拡大レンズを外して魔導人形の声へ顔を向ける。
「お客様が面会を求めております。」
「今、忙しい。 あとにしろ…」
リ・オンの簡潔な言葉に、いつもの礼を返さない魔導人形。
「申し訳ありません。
……面識の記録がございましたので、既に通してしまいました…」
その言葉を合図に、彼女の脇から歩いて姿を見せたのはフィンデルだった。
一瞬にして目を剥く、リ・オン。
「………これはこれは…」
だが、彼はすぐに冷めた表情を取り戻して言い放った。
「…懲りずに またご来訪とは恐れ入るな……副艦長殿。
しかし残念かな、私はしつこい女が嫌いなのだ。」
時計が直っていれば、正午の報せを鳴らしていただろう。
暖かい草原の陽気が、開かれた窓の外から廊下へ流れた。
室内に入り、そのまま主人であるリ・オンの傍らに移動する魔導人形。
その間というもの、フィンデルはずっと彼の針のような視線を無言で見詰め返している。
彼女を勝手に邸内へ通したことに、文句の一つを言いかけたリ・オンだったが、人形独特の
無表情な顔つきにやる気を削がれてしまった。
彼は仕方なく視線を、再びフィンデルへと泳がせて気を取り直す。
「……それとも…昨日の言葉を真に受けて……抱かれに来たのかな?」
フィンデルは軍服ではなく、私服で軽装だった。
その全身を嘗め回すように見た後、挑発する彼。
しかし、今度の彼女は指先一つ動かさなかった。
「…………。」
そんな様子に何か感づいたのか、リ・オンも首を据えて構えた。
「……失礼。
私がお呼びしたのですよ、父上。」
彼女の脇から不意に現れるジン。
彼もまたいつものツナギ姿ではなく、彼女と同じく軽装で現れる。
「…ジン…貴様……?
…勝手な真似は許さんぞ。」
「貴方はいつも独りでしょう。
たまには大勢で食事というのも良いのではないですか。」
対峙したまま、ふてぶてしく答える息子にリ・オンが唇を震わせた。
「…くだらん。
エンゼルエンデルハイム、お客には早速お帰り願え。
……ジン、お前も消えろ。
ここは貴様の自宅ではないのだ、勝手は許さん。」
「よろしいのですか?」
だが傍らの魔導人形は、無表情で またも意外な返事を返した。
その様子に思わず眉をひそめるリ・オン。
「本日の昼食は、すでに多めに作ってしまいました。
…食材の量とリ・オン様お一人の消費を比べますと、経済的損失は免れません。」
「………?」
淡々と答える人形の言葉が、彼の目つきを変える。
そして微笑を浮かべつつ、その目線を受け流すジン。
「おまえたち……一体、何を企んでいる?」
目の前には変わらず、何にも動じず毅然と黙したままのフィンデルが居た。
◆ ◆
「陽が傾いてきたなぁ……。」
ただ呆然と、男二人が口を揃えて言った。
「お前ら、天気のことしか頭に無いんかい!!
まったく…芸の無い!!」
少女が怒鳴る。
わずかに進み、休憩をしてまた少し進む。
何か生き物に遭遇しそうになれば、一目散に逃げ出す。
その繰り返しだった。
方角もわからず、ただ迷っているのみ。
いい加減に、体力も気力も失せる。
「……芸が無いですって……?」
「確かに…この森じゃオレらは無力ですがねぇ…」
不敵な笑みを浮かべながら、少女に近付く二人。
「お嬢…まだオレ達には夢と希望があるぜ!!」
「そうだ………夢と希望だ!!」
「……アホや。」
しゃがみこみ、力無く答える少女。
そこで目の前の焚き火が消えかける。
「あ……あかん…!!」
火打石を取り出し、必死に格闘。
だが、男二人はそんな彼女に目もくれずに陶酔している。
「源法術さえ使えりゃ、こんな森なんて…楽勝やのに…!!」
「もう変えられないことにグチグチ言うのは止めましょうぜ、お嬢。」
「とにかく、今は救援を待つことです。」
二人が大きな口で笑った。
「オレらに出来ることは、それまで生き残ることですよ。
……言ったでしょう?」
「オレ達三人、この旗の下で でっかくなるって!!」
そう言って、地面に置いた青い薄布を拾ってかざす。
彼女はそんなカラ元気の彼等を眺め、より一層に顔をしかめた。
「ほらほら、お嬢! 元気だして!!」
笑顔のまま、ふところからパンを取り出す二人。
「おまえら…いつの間に…」
少女が呟く。
「…何かあった時のために、食堂から かすめとっておきました!」
彼等はおどけながら、敬礼して笑う。
「…用意がいいで…まったく…」
それを手に取り、千切って口に運ぶ少女。
「……せやな…。
こんなとこで…終わるわけにはいかへん…。
あたしは……」
だがそこで、藪の中から、急な足音と草のざわめき。
「お嬢!! 何か……何か来た!!」
「ひいっ!!」
二人は、前で決意を語る少女を放って一目散に飛び出し、そばの茂みにもぐりこむ。
「お前らぁ、何度同じパターンをさらすつもりや!!
子分は…親分を……守らんかいぃぃぃ……!!」
手にしたパンを投げ出して後を追う。
彼女は茂みに向かって勢い良く跳んだ。
◆
「……おい…。」
足を止め、呆然とするバーグ。
誰も居ないはずの森林に、明らかに目立った焚き火の跡。
その次に目に付く、落ちている鮮やかな青い薄布。
「この辺に住んでいるのは、猪族だけじゃねえのか?」
「……そのはずだ。」
ザナナは低い声を洩らした後、槍の先端で布の下を覗く。
その拍子に、森の奥がざわめいた。
すぐさま反応し、その方向を睨む彼。
奥の茂みが静かに揺れていた。
「……俺達以外に…誰か居るのか……近くに…?」
「ちょうどいい、休む。」
一人考えるバーグをよそに、ザナナは近くの平たい岩に腰を落ち着けた。
「おい…そんな時間は……」
戒が駆け寄る。
「無理しすぎるのは、良くない。
死にたくなければ、ザナナの言うとおりにした方がいい。」
「……チッ…仕方ねえな…。」
本当は足も棒なので、すぐさま地に座る戒。
背骨から腰にかけて襲う痺れ。
彼は竹細工で出来た水筒を取り出し、疲れを癒すために村の井戸から汲んだ水を喉に流し込む。
「おい……見えるぞ。」
「…何が?」
遠くを眺めるバーグの肩越しに、興味で覗く世羅。
「……山だ!!」
直後の彼女の大声。
驚いた戒は、思わず口に含んだ水を噴き出す。
「…山だと……?」
すぐに立ち上がり、岩肌をさらした山脈が遥か向こうに確認できた。
それは遠かったが。
目標を目の当たりにすると、やはり奮い立たせられる。
「ルベランセ……いるよね?」
「……信じて…進むしかねえな。」
世羅の言葉に、バーグが笑って返した。
◆
「いま……あいつ、何て言うた?」
突然現れた四人の様子を、茂みの中から覗きながら少女が呟く。
「……?」
いまいち要領を得ない様子で、二人の男が彼女に寄った。
「『ルベランセ』…言うたろ。 確かに。」
「……え?」
「まさか……」
直後、素っ頓狂な声を上げ。
「飛翔艦ルベランセ!?」
二人はお互いを指さした。
「アホ! 声がでかいわ!!」
下から、二人の口を塞ぐ少女。
「これは……とんでもないチャンスが転がってきたで…!」
「お嬢?」
「神様はやっぱり、あたしらを見捨ててなかった…!!」
声を小さく抑え、口から洩らす歓喜の叫び。
彼女は続けて四人の動向に食い入った。
◆
「今、なんか聞こえなかったか?」
顔を上げるバーグ。
「獣が奇声でもあげてるんだろ……」
疲労が拭えない表情で、戒があしらう。
そこで彼は、自分の座る地面に転がっている物体に気付いた。
「……なんだ?
これ…は…」
それは乾ききったパンだった。
よく見ると、そんな不味そうなパンが焚き火の跡の周りを幾つか散乱している。
バーグはその中の一つを拾い上げた。
「……なんで、そんなのがここに落ちてるんだ?」
「俺が知るかって。」
戒の言葉に、大した興味もないような素振りを見せるバーグ。
「おい…!
なんか妙だぞ…全員…これには手ェつけるな…!」
それで余計に、戒が振り返って警告する。
だが目の前には、既に何かを頬張っている世羅の姿があった。
「世羅!!」
「ん〜〜〜!!」
満足げな表情で駆け回る世羅、戒がそれを即座に追いかける。
落ちていた残りのパンは蹴り飛ばされ、彼の足が青い布を踏みつけ回った。
バーグが声を上げて笑う。
だが、そこへ飛び込んでくる一筋の人影。
「―――何しとんねん!!
おまえッ!!」
甲高い声。
その直後、飛び蹴りを後頭部に受け、戒が地を転げる。
「あ、あたしらの大切な―――!!」
青布を拾い上げ、そんな無様な恰好の彼の上から捲くし立てる少女。
身体にフィットした、丈の短い青のエナメル製ワンピース。
所々を黒いラバーバンドで締めている。
明るい茶色のシャギーの髪の上には、大きなゴーグルが乗って。
それが日差しでまぶしく照り返った。
「……ぐ……?
だッ、誰だ……!?」
苦悶の表情で目を開ける戒。
その際に、不可抗力で彼女の短いスカートの中身が覗いた。
「こ…こいつ……!?
この…すけべ!!」
「…ぶッ!?」
さらに戒の顔面を踏みつける彼女。
呆気にとられたまま、その光景を口を開けて傍観するバーグと世羅。
「……動くな。」
そんな混乱の最中、一人冷静に背後に忍び寄ったザナナが槍刃を彼女の喉元に突きつける。
(…し…しもた!!)
そこで自分の犯した重大なミスにようやく気付く少女。
「いや〜〜〜、どもども…」
その直後、茂みの中から出てくる声。
申し訳なさそうに森の奥から登場する二人の男。
鳥のくちばしのように 大きくて尖った鼻。
灰色の肌。
細身で背は高く、地を擦るくらいに腕が長い。
彼等は、少女と同じ大きなゴーグルを目にかけ、頭のバンダナをはじめ全身をつやのある
真っ青なツナギで決めていた。
「あ、イヤ、うちのお嬢がえらい迷惑かけたみたいで……」
ぺこぺこと頭を下げながら、ザナナ、世羅、バーグの順に回り。
最後に地面にめり込んだ戒の前でしゃがみこんで手を合わせる。
「…それじゃ、失礼いたします。」
少女を小脇に抱え、二人の男はそそくさと場を離れようとした。
だが簡単には退散は許されず、直後に恐ろしい殺気が背筋を襲う。
「……そう急ぐな…。
…まあ…ゆっくりしていけよ…」
こめかみを震わせながら、半笑い。
頭から大量の土をかぶりながらも復活した戒が、背後で二人の首の根を掴んでいた。
◆ ◆
2
◆ ◆
「…なんやねん! この扱い!!」
地べたに並んで正座させられ、見下ろされる三人組。
その中の少女が、大声でわめいた。
「まるで尋問やないか!」
「不満なら、拷問に変えてやろうか!」
牙を剥いて戒が応戦する。
「おぉ!
上等や! やってもらおうやないか!!」
「お嬢! ここは抑えて!!」
青ざめ、少女を慌ててなだめる両脇の二人。
(エラそうに……これだから男は好かねん…!)
やがて少女は口を尖らせ、断りも無しに足を崩す。
「お嬢だって?
ずいぶん身分が高そうな呼び名だな。」
バーグが肩眉を上げる。
「あ……イヤ…その……」
そんな彼の疑惑の目に対し、背筋を伸ばす少女の脇の二人。
「…現に格が違うねん!
あたしの名は…大陸に名だたるジルルメ……むぐぅ!!」
「少し黙ってて下さい! お嬢!!」
彼等は少女の口を慌てて塞ぐ。
「…なんか怪しいな…妙な方言を喋るし…」
腕を組みながら、ついに少女の顔を丹念に覗き込むバーグ。
「怪しいと思うなら、すみずみまで検査すればええやん!!
ほら!!」
胸元の黒いバンドを外し、開け放つ少女。
彼女は外見に幼さが残るものの、彼女は豊かな身体つきをしていた。
「ついでに手篭めにしたらええ!
あたし、ごっつ可愛いしな!
しかも丁度、ここは人の目の届かない凶獣の森やしな!!
いかがわしいことをするには、うってつけやで、オッサン!!」
「……あのなあ…」
目の前で言葉を速射する少女に、バーグは閉口した。
「年頃の女の子が……むやみに肌をさらすな。
おまえさん、名前は…?」
明らかに哀れみを浮かべた彼を頭上にして―――
「シャロンや……。」
うなだれて悲しむフリをしながら、少女は横目で両脇の二人に微笑んだ。
「…そっちの二人は?」
そんな三人を、戒がしかめっ面で見下したまま聞く。
「オ、オレはイール…」
「オレはムールって言うんで。」
同じ顔が揃って言った。
「双子か?」
戒が素朴な疑問を口にした。
「…こいつらも蛮族だろ。
海の近くで似たような奴等を見たことがある……くわしい名前は忘れたがな。」
ザナナを一度見てから、バーグが口を挟む。
「よくご存知で、旦那。」
そんな彼に対し、へこへこと小刻みに頭を動かす二人。
「他の種族が、こいつらの個体を識別するのは困難だ。
みんな似たような顔してやがるからな。」
「種族なんて、どうでもいい。」
戒が頭を振るう。
「…問題は、こんな場所で何をしてやがるってことだ。」
「ここは猪族の領域。
他の者達がいるのは、おかしい。」
ザナナが付け加えた。
「…え…っと…それは…その…せやから…」
シャロンは適当に言葉を引き伸ばしながら、足元のパンを目に入れる。
「配達……」
「あ?」
小さく呟いた彼女に、それを聞き取るため戒が近寄る。
「パンの配達……。」
「パンぅ?」
彼の声は思わず上ずった。
(…ナイスだ、お嬢!!)
その瞬間、歯を出して親指を立てるイールとムール。
「オレら、陽気なパン職人でーす!」
「はあ?」
呆気にとられる戒の前で、まずはイールが陽気な声を張り上げて立ち上がる。
「パンを輸送騎で空輸してたんですよ! オレら!!」
ムールが続いた。
「そしたら……墜落してもうたんや……。」
そして、シャロンが絶妙なタイミングで締める。
「……だから、怒ったのか?
さっき、こいつがパンを蹴飛ばしたから…」
バーグが戒の肩を数回叩きながら訊いた。
「そうや…。
パンは…あたしらの…命や…ねん…」
そう言いつつも、戒に踏まれて汚れた青い布を見詰めるシャロン。
「……最近のパン屋は、ずいぶんと遠い所まで営業してるんだな?」
「せや! 今は空の時代やねん!
だけど…」
彼女は目を伏せた。
「その空輸の途中で、急に飛翔艦同士がドンパチ始めおって!!」
「……!」
その言葉にバーグが顔を歪める。
「そんでもって、続けて戦闘騎やら、銃弾やらが乱れて…あたしらの輸送騎は半壊。
なんとかここまで飛んできたのはええんやけど、不時着するのがやっとやったわ…。」
「……そうだったのか…」
申し訳無さそうに頭を掻くバーグ。
「そりゃ、被害者に近いよなぁ…」
「……もしかして、おっさんら…その『どっちか』の関係者なんか?」
シャロンの目が光る。
「…ああ……ルベランセっていう飛翔艦の乗組員だ…。」
低く、声を絞り出すバーグ。
(……やっぱり…!)
その言葉に、少女は思わず笑みを洩らした。
「しかしな…俺達だって好きで戦ったわけじゃねえ。
『炎団』の側から一方的に襲ってきやがったんだ。
だから、これは正当防衛ってやつで…」
「…事情はわかっとるがな……別にあたしらの輸送騎を修理せえとか言わへん。」
明るく振る舞い、バーグの腰に手を回すシャロン。
「そのかわりと言っちゃあなんやけど…あたしらを森から抜けるまで護衛してくれへんか?」
「護衛?」
「…せや。
実はな……あたしら…」
イールとムールを一瞬見る彼女。
「全員、源法術士やねん。
この森じゃ……完全に無力なんや…。 」
そして、そう言って頭を垂らすシャロンに、世羅が笑顔で駆け寄った。
「へえ……偶然。 ボクもだよ。」
「誰も聞いてへんわ!
それに楽しそうに言うな!!」
無邪気な彼女の様子に、一転、シャロンが歯を剥く。
「そいつは災難だったな……。
いいだろう、ついてくるのは勝手だ。」
バーグは即答した。
「待った!」
そこで畳み掛けるシャロン。
「それともう一つ、お願いがあるんやけど…」
「何だ?」
「中王都市まで、おたくらの飛翔艦に乗せてって欲しいねん。」
「…まあ…それは俺が決められることじゃねえが…頼めば何とかなるかもな。
こいつらもそうだし…」
バーグは、戒と世羅を交互に見る。
「……おい。」
だがその視線を無視し、睨みを利かせて三人に近付く戒。
「お前ら、何でそんなことを言うんだ。」
「へ?」
「何故って……」
彼のきつい視線に怯えながら、シャロンの方を不安げに見るイールとムール。
(アホ……!
強気でないと…バレてまうがな…!)
少女が気合を込めて戒の顔を見上げる。
「あたしら、『中王都市のパン屋さん』なんやで?
店に帰るには、それしか手段が無いねん。」
「…そういうことじゃねえ。」
ところが、戒は逆に冷めた顔つきで迫った。
「なんで、『ルベランセ』の行き先が『中王都市』ってことを知ってやがるんだ?」
「―――え…!?」
言葉を失い、口を開け閉めするシャロン。
「…そういえば…!」
それまでは同情で心を許していたバーグも身構える。
そこで、イールとムールが気付いた。
「……ふ……ふく! 服!!」
指差したその先はバーグ。
「あ!
中王都市軍の軍服着てるやん、あんた!! それでや!!」
シャロンも必死に声を上げた。
「むぅ……。」
胸元を開け、少し着崩しているものの、紛れも無い軍服。
バーグが自分で襟をつまんで確認する。
「そういや、そうだな…。
疑って悪かった。」
そして、苦笑い。
つられて、引きつった笑いを浮かべるシャロン達。
「いややわあ。
人間、極限の状態に陥ると疑心暗鬼やからな。
…まあ、少しの無礼くらいは許したる。
ほな、はよ連れてってえな。」
立ち上がり、素早く戒の腕をとるシャロン。
「気安いんだよ、てめえ!
それが他人にモノを頼む態度か!!」
だが、その手に捻り上げて、頭突きを一撃決める戒。
「い、いだーーーー!!」
涙目で悶える彼女を尻目に、岩に座っていたザナナが無言で立ち上がった。
そして、森の奥へと何事も無かったように進み始める。
「……偉そうによく言うぜ…てめえも一人じゃ抜けられねえくせに。
ま、いいや。 そろそろ行くぞ、世羅。」
欠伸をして、ザナナに続くバーグ。
そして、世羅。
さらに、戒が一瞥くれて青い三人組から離れた。
「……お嬢! 大丈夫ですか!?」
うずくまるシャロンに、イールとムールが駆け寄る。
「……。」
真っ赤な顔のまま、うつむく少女。
「な……なんや……?」
頬の熱を確認する仕草。
「ど、どこか痛むんですか!?」
「お嬢!?」
「…なんや…?…この胸の高鳴り……」
呟き。
「え!?」
嫌な予感に表情を曇らせる二人。
「…あ、あの…凶悪なツラ……すぐに手をあげる容赦ない性格…。
誰かに似てると思わへんか?」
「……さ、さあ?」
シャロンは首をかしげる二人を通り越して、戒の背中を追った。
「……あたしの愛しい『兄貴』にそっくりやん…。
……めっちゃ素敵やで……。」
それも憂いだ表情。
「まさか…お嬢…あいつを好きに…」
「うそだーーーッ!!」
ただただ、呆然とするイール。
握りこぶしで絶叫するムールは誰も居ない方へ奇声を上げた。
◆ ◆
街の離れ。
馬車道から外れた、薄暗い森。
男は振り向いた遠くに、大きな屋敷を確認して狂気の笑みを浮かべる。
「お…おい……さすがに…これはマズイんじゃあ…」
そんな彼に小さく声をかける、別の男。
「うるさい!
あの……強欲商人が金さえ貸してくれりゃあな…」
彼は手にしたスコップが止めずに答えた。
「ウチの…工場は…潰れることなかったんだ……!
これから俺は……どうにも…ならねえ…」
掘り起こされ続ける黒い土。
「…だからって……街全体を巻き込むぞ……ここじゃあ…」
「…知ったことか!」
その抉り取った土の中から小さい金属を取り出し、得物を真っ直ぐ落として粉砕する男。
「…もう……どうにでも…なれ……ハハハハ…」
狂気は、彼の目の前を大きな花びらが一枚舞ったことさえも気付かせなかった。
「……次、行くぞ。
ここら全ての結界は…全部破壊してやる…」
ざわめく、木々の音。
返事の無い友の方を振り返る男。
蔓が素早く足に絡まり、地面に滑りこむ自分の体。
闇の中でその男が最期に見たもの。
それは逆さまに吊るされた友の影だった。
◆ ◆
長い昼食だった。
サイア商会の親子は、食事中も終始無言で、間に挟まれたフィンデルは非常に居心地の悪い時間が続いた。
「さて……食事も終わった。
もう帰れ。」
ナプキンで口を拭いながら、リ・オンが言う。
「……はっきりと申しておきましょう。
私は、貴方とゆっくり話がしたいがために、この食事の席を設けたのです。」
ジンが返す。
「話すことなど、何がある。」
「貴方は昔、その義足を変えない理由は『いましめ』であると私に言いました。
しかし、詳しい理由は教えてくれませんでした。
私も貴方の過去などには一切興味が無かった。
ですが…突然、今は知りたくなったのです……息子として。」
単刀直入の言葉だった。
「……突然だと?
…何を身勝手な。
しかも、今さら『息子』だと?」
「私は…今まで貴方のことを避け、理解しようなどと思わなかった。」
父へ向かって正面から対し、ジンは続けた。
「しかし初対面であるにも関わらず、貴方を理解しようと努めるフィンデルさんを見て、
私は自分を恥じたのです。」
「…行きずりの人間に感化されたとでも言うのか?」
首を左右に大きく振るリ・オン。
「どこまでも情けない男だ。
それに……」
そして、彼はフィンデルを見詰めた。
「副艦長殿、貴女も貴女だ!
人の息子をたらしこんで、助力を得ようなど!」
「……助力…ですか?」
しかし、さも意外そうな顔で答えるフィンデル。
そんな様子に、逆に辟易するのはリ・オンの方だった。
「あ……でも、そう捉えられてしまうのは…自然な流れなのかもしれませんね…。
どうにか援助していただきたいという気持ちが無いと言えば嘘になりますし…。
でも…ジンさんの言うとおり、私は一つの純粋な気持ちでここにいるつもりです。」
独り言のようになり、段々と小さくしぼむ声。
「……『機先は生道にあり』…」
そして、最後に呟いたフィンデルの一言。
かろうじて聞き取ったリ・オンが片眉を上げた。
「……『相手を知るには、戦力よりも心……根底にある生き方を知るべし』と?」
「…あ…すみません。
私の好きな書物の…一文です…。」
「……ふん。
まさか、このリ・オン=サイアを口説くのに『兵法八十一計』を持ち出す者がいるとはな……。」
「…口説くだなんて…そんな…そういうわけでは…」
相手の博学さに気付き、顔を真っ赤にしながらフィンデルが言う。
「それに…私は自分のためだけで、ここにいるわけではありません。」
気弱な瞳。
だが、しっかりと真実を映してリ・オンの目を見る彼女。
「仲間が…ここへ向かっています。」
「仲間?」
「私が遂行した作戦のために、囮として切り捨てた仲間です。」
フィンデルは目を閉じ、手を自分の心臓に当てた。
「私達が無事に生きているのは、そのおかげです。
彼等は危険を顧みず、戦ってくれました。」
改めて目を開けた瞳の奥から伝わる感情。
「彼等が生きているならば、この山を目指すでしょう。
私は、それを裏切るわけにはいかないのです。
ルベランセが完全に近い形で彼等を待たなければ、彼等は失望するはず。
お互いが完全な状態での再会だなんて…可能性は薄いかもしれません…。
でも…何か行動しなくては………いられない。」
彼女は大きく息を吸い込んだ。
「…私は…彼らに対し……『義理』を果たしたいのです。」
「!!」
リ・オンが口を結んだ。
「…これは……放ってはおけませんねえ…父上。」
ジンが歯を見せて笑った。
「……くそ……!」
拳をテーブルに叩きつけるリ・オン。
「すみません…。
リ・オンさん……。」
フィンデルが頭を下げて詫びる。
「……どちらの…アイデアだ…?」
彼は依然として、苦々しい表情で二人をにらみつけていた。
「…私は…本当に食事に誘っただけですよ。
だが思ったよりも、賢くて勇敢な女性だ。
私が下手に小細工するよりも、よりスマートに父上を言い負かせてくれると信じていましたよ。」
「黙れ、ジン。
人の揚げ足をとったつもりだろうが……援助などしないぞ。
他人の義理など……私には関係ない!」
そう言うリ・オンは、明らかに取り乱していた。
「……副艦長殿。
…そうまで言うのだから、その仲間とはよほど長いつきあいなのだろうな。」
手元の紅茶を勢いよくあおり、そして息を整えながら彼は訊いた。
「いえ…出会ってからたった数日、数ヶ月の関係にすぎません。」
目を伏せるフィンデル。
「ですが、お互いが分かり合えるのに、時間は重要ではありません!」
「……それは…」
自分と同じものを彼女の瞳の中に認め、リ・オンは視線も落とした。
「理解できる。」
浮いた腰が、椅子に落ち着く。
「……私がまだ…商人の駆け出しの頃だったか…」
そして切り出す彼に、フィンデルとジンは見入った。
「若い時…船で大陸中を貿易していた時だ。
周囲の同い年の人間よりも、圧倒的な稼ぎが自慢だったが…」
空になったティーカップ。
「まだまだ青かった年齢だ…。
そのことが驕りであり、隙だったのかもしれぬ。」
言葉を紡ぎだす彼。
その横で、魔導人形は紅茶を静かに注ぎ足す。
「『その日』は私にとって、初の大きな商談…。
それは、とある船団へ兵器と船を売る手配だったのだが…。
愚かな私は…交渉に呼び出されて、それに応じ…」
そのカップを受け取るリ・オン。
「……騙されて、殺されかけたのだ。」
◆ ◆ ◆
目が覚めると、違和感が体中を支配していた。
まず、左の足が普段よりも軽かった。
対照的に、頭は高熱で重い。
声を出して、助けを求めているはずの自分の口は ただ開閉を繰り返すのみ。
―――喉が乾燥して焼けているよいうだった。
「…おい……みず……だ…。
みずを…くれてやれ…」
闇の奥からの声。
上から乱暴に注がれた水が開いた口に溜まり、端からだらしなく首元に流れる。
その冷たさで、徐々に戻り来る感覚。
「……おう、気付いたか?
引き揚げるのが遅くて悪かったな。
お前の左足、サメのエサになっちまったよ。」
歪む視界。
目の前の大きな隼の首。
それがそう喋ったような気がした。
「あなた!!」
「おっと、こいつは失礼。」
今度は大きくて高い声に目覚めさせられたおかげで、はっきりと見える、傍らの女に叱られて舌を出す男の姿。
羽織った豪華な毛皮のマント。
大きな隼の頭の剥製が右肩に縫ってあり、羽毛が背まで広がっている。
さらに腰から左足まで覆った、虎の皮の前垂れ。
野性味あふれる、表情豊かな顔。
リ・オンは、これほどまでに『かぶいた』外見の人間は今までの記憶に無かった。
「…サメ……エサ…?」
そんな男から一旦目を離し、虚空を見上げながら呟く自分。
「あ、気にしないで…今は何も考えずに安静に…」
慌てて、なだめる素振りを見せる女。
繋がり出す記憶の断片。
「―――!!」
全てを思い出したリ・オンがベッドから跳ね起きる。
「た、立ち上がっちゃダメ!!」
そこで若い女性は、身体を張ってリ・オンを止めた。
温かく、柔らかな感触に包まれると、彼は身体を硬直させた。
命の鼓動。
感じる、二つの生。
「……おいおい、お前も安静だろうがよぅ。」
押し潰すようにリ・オンの上に乗る女性に、なかば呆れながら男は言った。
「あ!ごめんなさい! 私ったらつい……」
目を白黒させているリ・オンに謝りながら離れる女性。
そこで、初めて彼は彼女が妊婦であることに気が付いた。
大きく膨れた腹。
先ほどの鼓動の元だろう。
頭を垂らし、片足をシーツの外に出す。
先の男の言葉の通り、そこに慣れ親しんだ自分の足首は無い。
代わりに、粗末な棒切れがズボンの裾から顔を覗かせている。
瞳を閉じるリ・オン。
気を落ち着かせようと努めた。
思い出せば怒りで身が滾ってしまうだろう。
「まだ痛む?」
女が尋ねる。
「いや……。
…処置をしてくれてから…どのくらい…経ったろうか…」
朦朧としたリ・オンの言葉。
女は男の顔を見た。
「海上で浮いてるのを発見してから……ざっと、丸二日は寝てたな。
ウチの艦にいる、最高のドクターに感謝しろよ。
もう痛くないだろう?」
リ・オンの足の棒切れを、腰の剣の柄で軽く叩く男。
「まあ……応急処置だがよ。」
「く………!!」
それを聞き、怒りの形相で再び動こうとするリ・オン。
相手を信じ込み、単独で相手の船に乗ったのが間違いだった。
身の安全を考えていなかった自分の甘さが憎らしい。
商談を引き伸ばされている間、周囲に待たせた自分の船団が乗っ取られるとは夢にも思わず。
敵の中心で孤立していることに気付くやいなや、夢中で海に逃げ込んだ。
その代償こそ、今の無様な自分の身体―――
「二日だと……!?
すぐに追わなければ……奴等……私を騙しやがって……殺してくれる!」
「だめよ! 今無理したら傷口が開くわ。
…あなた、とりあえず肩をかしてあげて。」
「なんで、俺が?」
女に急に話を振られ、狼狽する男。
「……いいから!
人に良いことしてあげれば、何か良いことあるかもしれないでしょ!!」
「……はいはいはい…っと!!」
言われたとおり、男はリ・オンと肩をつないでやった。
「ところで……ここは…今…どこの海域だ?」
窓際へと移動する間。
「海域だぁ?」
そんなリ・オンの問いに、男はとびきりの笑顔で返した。
「?」
その顔の意味が分からないまま、小窓に到達する二人。
そして、外を見た。
……しかし正確には見下ろした形になったこと。
それは今までの人生の中で、全く経験のない奇妙な感覚だった。
全身を突き抜ける衝撃。
突然の脱力……増えた彼の体重に、肩を貸した男も思わず態勢を崩す。
「おい!?
あ…っぶねえなぁ…。 急にどうしたんだ!?」
「無理もないわ、あなた…」
女は微笑んだ。
「…馬鹿な…私は夢を…見ているんだろうか……」
リ・オンが顔を己の手で覆ったまま呟く。
「空を……飛んでいる……」
彼方に望む地平線。
男が、自分を支えるために肩に余計に力を入れるのが分かる。
「はっは…ははぁ…」
リ・オンを再びベッドに降ろし、こみ上げる笑いを薄く開いた唇から笑いを洩らし始める彼。
急に背筋を伸ばし、かしこまった仕草をする。
「ようこそお客人!
大陸で一番最初の飛翔艦……アイデスペリ号へ!!」
男は大きく腕を広げ、手の平を返し、それを恭しく胸の前につけて笑った。
足に響くような大声だった。
◆ ◆
3
◆ ◆
「エンゼルエンデルハイム!!」
話の途中。
突然、リ・オンは声を荒げた。
「茶が切れたぞ…」
薄くて小さい、陶器のカップをつまんで軽く上げる彼。
「かしこまりました。」
魔導人形は丁寧にそれを受け取り、給仕台のポットから再び紅茶を注ぎ入れた。
「その話は…」
一段落した様子の彼に、ジンが切り出す。
「どれほど前になるのですか。」
その問いに、軽く瞼を閉じるリ・オン。
「…16年前だ。」
紅茶が目の前に置かれる。
リ・オンはそれをすかさず口へ運んだ。
「…本当に…飛翔艦の創成期ではないですか……!」
フィンデルが思わず声を洩らした。
「…大陸で初の飛翔艦に乗れたという、貴重なる体験だったな。」
リ・オンが肩をすくめる。
(…アイデスペリ……。
大陸史上初の飛翔艦……?)
フィンデルは士官学校時代の記憶を呼び戻す。
そんな名前は、歴史の教科書には載っていない。
「…嘘か真か…わからない。
そういう顔をしているな……副艦長殿。」
彼女を見透かしたようにリ・オンは言う。
その時には既に、彼は過去を語ることに対して苦しそうな素振りは見せていなかった。
◆ ◆ ◆
「二代目も産まれることだし……。
順風満帆ってやつかなァ!!!」
男は舵を握りながら、大声を張り上げて笑う。
その大声で、ブリッジ全体が揺れるような錯覚さえ覚えた。
ブリッジはいつも、その男の仲間達の笑顔が満ち溢れていた。
そんな光景をリ・オンは窓の脇に寄りかかりながら、険しい目つきで眺めていた。
「ごめんなさいね。」
女が近寄って、言った。
「これから、『宝の島』へ行くものだから……皆、興奮しちゃってて…」
「……ふん…」
冷めた目つきで、リ・オンは女を一瞥する。
それでもめげずに、彼女は彼におとぎ話のような言葉を続けるのを止めなかった。
そんな話しこむ二人を遠くから眺めていた男は、やがて舵から手を離し、仲間の一人に操縦を任せる。
「宝の島だと……?
馬鹿馬鹿しい。 子供の夢でもあるまいし…」
曇った瞳で言葉を放つリ・オン。
「それが夢でも無えんだな!」
男はいつの間にか、二人の傍へと近付いていた。
「これから行く島はな、盛り上がった海底山脈に囲まれた『海路からは入れない』、いわば本物の孤島だ。」
さらに彼は鼻息を大きく一つ吐く。
「それゆえ手付かず。
行けるのは、まさしく飛翔艦のみよ!」
大袈裟な身振りと表情。
いつもの大声。
「これからは、飛翔艦の時代になるぜぇ?
…宝探しだけじゃない。
戦争だって、冒険だって……商売にだって…何にだって使える。」
「…こんな文明……怪しいもんだ。」
得体の知れないものに恐れを抱いた、それは自然とリ・オンの口をついて出た本心の言葉だった。
「それに、イカれてる。
いつ堕ちるかわからん物に、妊娠している妻を乗せているなんてな。」
身重の彼女を見て、さらに呟く彼。
「堕ちるもんかよ、この飛翔艦が。」
自信に満ちた顔と挑戦的な態度を隠すことなく、その男は堂々と言い放った。
「いいから舵をとりなさい、あなた。
そろそろ目的の島……着陸は他の人にはまだ難しいわ。」
呆れ顔で女は言う。
「…む……。」
渋々リ・オンから離れ、彼女に従う男。
「自慢したいのよ、自分の飛翔艦を。
貴方はただの乗り物だと思うでしょうけど……彼は我が子みたいに愛しているから…」
その様子を温かい視線で追いながら、自分の腹をさすって女が笑う。
「あと……一つだけ言わせて。」
そして彼女の少し強くなった口調に、リ・オンは見入った。
「ここは貴方の言うような、危険な場所ではないわ。
……この飛翔艦は絶対堕ちないもの!」
男と同じような自信に満ち溢れ。
それは、とても眩しかった。
◆ ◆
「まったく……どうかしている!!」
「何が?」
ソファの上で読んでいる本を畳み、女が尋ねた。
「乗組員がほとんど出てしまってどうする!?
医師とあんた、そして足を悪くしている俺だけでは、こっちで何かがあった場合……対応できんぞ!!」
怒鳴り散らすリ・オン。
「誰も踏み込んでない土地よ。
皆、行きたいに違いないわ。」
「……それを差し引いても……見ず知らずの男に、妻を預けて行くか、普通…」
ぶつぶつと呟き続けるリ・オンの様子に、女が笑った。
「あら?
貴方は妊婦に手を出す、卑劣漢?」
「……私は違う!
だがな、それはたまたま、私が私であるからでな…」
「…私の夫は、人の善悪の区別くらいつくわ。」
素の表情の女から、呆れるような答えが返る。
リ・オンは溜め息をついて今まさに飛翔艦が浮かんでいる真下、高い岩礁に囲まれた小島を窓越しに見詰めた。
溜め息で、ガラスが白く曇る。
くだらない商談で騙され、くだらない連中に助けられて、生き延びている。
それは、今まで上手に立ち回ってきた自分の人生において初めての汚点であり、この上ない屈辱だった。
生きる気力など、もう有りはしないように思えた。
「ただ……予定の日がとっくに過ぎてるが気になるのよね…。」
「…なに?」
何気ない女の言葉に、鬱々とした気分から覚めるリ・オン。
「産まれないの。」
「……それは…どういうことだ?」
「予定から考えると いつ産まれてもおかしくないんだけど…。
まあ、早産よりは危険じゃないから安心よね。」
「……やはり、どうかしている!!」
能天気な様子で話す彼女と対照に、不安な表情を浮かべて叫ぶリ・オン。
「大丈夫よ……ドクターもいるんだから。」
「…私の足を治した医師か……確かに腕は悪くなさそうだが。」
「それに、これだけ遅いんだから、そうそう産まれるわけ…」
女は、そこで言葉を止めた。
「―――?」
リ・オンが目を剥いて、彼女の様子を探る。
「……えっと…」
女が自分の腹をさする。
「……おい、まさか。」
足首に付けられた棒切れを擦りながら、びっこを引いて近寄るリ・オン。
「冗談は…やめろ……やめてくれ。」
今、自分がすがるような情けない顔をしていることは、彼自身には判らなかった。
「ドクター…」
そんな彼の目を、汗の滲み出した顔で真っ直ぐ見つめる女。
「ドクター呼んで来てっ……!」
彼女の言葉に押し出されるようにしてブリッジを飛び出し、リ・オンは夢中で廊下を駆け抜けた。
◆
「こっちだ……!」
「…んああ? 何じゃって!?」
「だから……こっちだ!!」
「んあ?」
足と棒が繋がった部分が深く痛んだ。
廊下を踏み込むたびに、脳天へと鈍い衝撃が突き抜ける。
(…こんな…耳も遠いような老人が医師だと……?
本当に大丈夫か…!?)
失望の中、老人の細腕を引く。
「…いかんぞう…おぬしの足、完調にはまだまだじゃあ…」
そんな中、ようやくリ・オンが誰なのか判別できた老人が、見当違いの台詞を口にした。
「私のことなど良い!!」
強い言葉と共に、ブリッジの扉を両手で押し込んで勢いよく開くリ・オン。
目に飛び込む、ソファに身を沈め、小刻みに震えながら痛みをこらえている彼女の姿。
「……おや、始まったかの…」
だが老人は落ち着いた面持ちで腰に手を当てて、彼女にゆっくりと歩み寄る。
「何を呑気な!
落ち着いている場合では…」
「場合じゃ。」
老人は短く言葉を切ると、女の額の汗を拭った。
「まずは湯を沸かして持ってこんかい、若いの。」
「わ、私がか?」
リ・オンは自分自身を指差した。
「他に誰がいるんじゃあ?」
「…く……!」
言われたとおり、急いで再び廊下へと戻る彼。
―――勝手の知らぬ艦内を何度駆け巡ったことか。
ただただ、夢中だった。
傷が再び開いたのだろう。
足代わりの棒切れの根元には、血が滲んでいた。
だがいつの間にか。
彼はそのおかげで走り回れる、その棒切れに『何か』の感情を抱いていた。
何とか一通りの準備を整えてブリッジに戻り、後は医師に任せてリ・オンは席を外す。
赤の他人の出産に立ち会うわけにもいかず、廊下にへたり込む彼。
ただ待つ時間がやけに長く感じた。
「……おぅい…若いの…」
厚い扉の奥から、もう心底聞きたくないと願う老人の声が再び響く。
「…若いの!!」
返事を待たずして、その医師は声を大きく張り上げた。
「…なんだ!?
もう産まれたのか?」
重い体を引きずりながら、リ・オンはブリッジ内へ入る。
だが、そこで目に飛び込んでくるのは、血と羊水で濡れた床。
汗だくで作業を続行している医師が居た。
「なにやってる! まだ……終わってないではないか!」
慌てて後ろを向くリ・オン。
「貴様、医者なのだろう!?
どうにか…なんとかしろ!!」
そして、彼はそのままの姿勢で叫んだ。
先ほどまで、あんなに笑顔を振りまいていた彼女。
今は一瞬しか目にしていないが、息も絶え絶えだったのが判る。
ふと、心臓が高く鳴り響いた。
「…赤子が……大きすぎるんじゃい…。
このじじいの力だけじゃ無理じゃ。
…手伝え、若いの。」
「……おまえこそ無理を言うな!!」
リ・オンは思わず振り返り、身を強張らせた。
勿論、そんな経験など全く無い。
「なぁに…難しいことはないて。」
老人は彼女の服をまくり、大きく張った腹を見せた。
「上から下へ向かって、おなかを力強く押せ。」
「……し…しかし…!」
彼女の周りをゆっくりと回りながら、考えこむリ・オン。
「考える暇があるか、早くせいッ!!」
しかし、せかす老人の言葉で反射的に彼女の腹を両手で触れた。
張っている腹部は、つるりとした感触。
じっとりと汗で湿っている。
これが自分と同じ人間の身体であろうか。
不思議だった。
苦悶の表情で喘ぐ、彼女の顔を横にして思う。
やはり人というものは、こんな大きな物が体内にあっても平気なものではない。
たとえ我が子であっても異物には違いないのだ。
―――命とは人がどうにかできる代物なのか。
おそるおそる、力を込めて、押す。
彼女の汗で自分の手のひらは滑り、思うように力は入らなかった。
「…もっと、強くじゃ!!
なにをビビっておるか!!」
「……くっ!!」
これ以上力を加えたら、中の子供を潰してしまいそうで怖かった。
「人は……強いんじゃ……!
これくらいでは壊れん!!」
リ・オンの中の恐れを見透かしたかのように叫ぶ老人。
「……くそ…!!」
その檄に対抗し、伸ばした腕に力が強く込もる。
「…か……神よ…!!」
「!」
彼の発する言葉に、女は薄く目を開けた。
「…そなたが死を欲するのなら……どうか望む者を先に…!!」
何もかも失い、いっそのこと死んでしまいたいのはリ・オンの方だった。
だが、それに反して生きるべき人間が命をこぼそうとしている、この世の不条理。
自然と涙があふれていた。
一段と込める力。
算段無しに一生懸命になったことは初めてだった。
何も考えずに、夢中で誰かを応援したのも初めてだった。
神への祈りも初めてだった。
うまく立ち回った人生など、生命の奔流の前では無力なのだろう。
押す。
命に価値をもたらすために生きる?
押す。
生きていることが既に尊いものだとしたら。
生き様など、なんとちっぽけでくだらないものなのだろうか―――
「………おお…!」
やがてシーツの奥で、医師の歓喜の言葉と共に手が動く。
今まで手にしていた抵抗が消え、リ・オンは床に崩れ落ちた。
意識の遠くで、誕生の息吹が聞こえる。
それはとてもうるさくて。
とても心地良い泣き声だった。
◆ ◆
「―――冗談だろう!?」
手にした財宝を廊下に投げ捨て、騒々しい足踏みでブリッジに突入する男。
「おい……ッ!!」
今まで身重だった姿に慣れていたせいか。
子供を抱く、今の彼女はひどくやつれた印象を受けた。
「マジかよ……。
よりによって……『ちょっくら』出かけている時に…」
拳で自分の側頭部を激しく殴りつける男。
「悪かったな…。
肝心な時にそばに…居てやれなくて。」
「ううん…いいの。」
肩にかけられた大きな手。
小さな命を食い入るように見詰める夫を見て、彼女はさらに幸せを噛みしめた。
「謝って済む問題か。 バカめ。」
そこで寝ていたソファの影から、ゆっくりと顔を出すリ・オン。
「……な…。
バカ……だとぉ!?」
「ああ、バカだ。
おかげで…私がどんな目に合ったと思っているのだ!!」
「……何のことだよ、おい!!」
二人がにらみ合う。
「…私とこの子の命の恩人に噛み付くの?
あなた。」
「…え?」
照れくさそうに下を向くリ・オンを、男が口を半開きにして見詰める。
「それはもう、難産だったわ。
ドクターったら、力が弱いから。」
「……手伝った…のか?
きさま…俺の妻の出産を……!!」
血が全面に回ったような赤い顔をした男に、肩を強く掴むまれるリ・オン。
「…勝手に悪いとは思っている。
だが、私とて必死だった!!」
「違う、そうじゃねえ!!」
リ・オンの肩に、彼の指はさらに強くめり込んだ。
「…ありがとうよ……!
そして…すまねえ…!!」
身体と共に視界が揺らされた。
自分と違って、己の感情を真っ直ぐに表現する。
やはり豪快な男だった。
「俺の恩人よ! 『義理』ができたな!!
こいつは絶対、返すぜ……いや、待てよ。
そうだ……先に聞かねえとな…。
お前、名前なんて言うんだよ!?」
考えてみれば、まだ自己紹介もしていない仲だった。
「…リ・オンだ。
リ・オン=サイア……という。」
女の抱いた赤子。
彼はそれを一瞬見て言った。
再び縫合してもらった足の傷が痛む。
しかし、その足の痛みこそ、自分が生きている証拠だった。
もしも死んでしまったら、決して味わえない痛み。
「ねえ……リ・オンさん…」
女が口を開く。
「まだ…生きることに……失望してる?」
自分を覗く彼女。
その胸であどけなく自分を見上げている赤子の瞳。
その子から生命力を受け取ったかのように、彼の目は生き返っていた。
◆ ◆
―――子供が生まれてから、数日経ったろうか。
空の生活にも慣れ、その中での人間にも慣れた頃。
「名前…まだ付けないのか?」
「そうね…名付け親になってくれない?
リ・オンさん。」
いつものようにリ・オンは窓際で。
女は子供の頭に薄っすらと生えた髪の毛を優しくすきながら。
「ふ……。
その役目まで奪ってしまったら、『あいつ』に殴られる。」
「……そうかもね。」
二人は言葉を交わした。
「ところで…。
また妻を放って、あいつはどこへ行ったのだ?
他の連中も、今日は朝から姿が全く見えないのだが…」
「さて? どこでしょう?」
含みのある表情で笑う女。
景色の真上から射す日差しが眩しかった。
海上に停泊し、エンジンを休ませていた飛翔艦全体が揺れる。
「ん?」
窓から外を覗くと、艦はいつの間にか船の一団に囲まれていた。
「…そんな…!
またしても皆が居ない時に!!」
途端に騒ぎだすリ・オン。
だが、うろたえる彼に、彼女は落ち着いて笑うばかりだった。
「せめて…君と子供だけでも逃げ…」
「貴方、本当に優しいのね。」
「……何を…言っている!?」
硬直する彼。
開くブリッジの扉。
そこには、大きな剣を片手に携えた男が立っていた。
「よお、リ・オン。 戻ってきたぜ。」
「…何を呑気な!!」
男の持つ大剣は、赤く濡れ、少し上気していた。
「今、私達は囲まれ……?」
表情を止めるリ・オン。
「…何に囲まれているって?」
再び確認する窓の外。
記憶にある船の姿。
男は初めて出会った時のように、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「…私の…船だ……」
リ・オンは呆然と呟いた。
人を驚かせるのが心底好きなのだろう。
何にも変え難いものを、『男』はまた大声で笑い飛ばした。
◆ ◆ ◆
「…一個船団から取り返してきた、というわけですか。
飛翔艦も使わずに。」
ジンが言った。
「私の船を傷付けたくなかった、という配慮なのだろうな。
飛翔艦は、船団の探索とその海域までの移動で使用していたようだが。」
リ・オンが薄目で口を開く。
「……まあ、ただ出産を手伝っただけにしては、高過ぎる見返りだったよ。」
「そんなこと…無いと思います。」
フィンデルが口を開く。
「当人にしてみれば…それでも安かったかもしれません。」
「……かもな。」
視線を落とすリ・オン。
「…とにかく私は奴の人格、そして飛翔艦というものにすっかりと魅入られた。」
彼は両手をテーブルに乗せた。
「私は彼等の飛翔艦を降りた後、経験を生かし、飛翔艦を商売へと結びつけた。
結果は御覧のとおりだ。」
フィンデルもすっかり理解していた。
彼の言う『義理』を果たすという信念は、まさしく彼の会話に出てきた『男』の生き方を
なぞっているのだ。
「今、その方達はどこに…?」
「気になるかね?」
「はい……。」
「…実はな、大陸をまたにかけて商売をするこの私が、いまだ『返していない』のだよ。
彼等への『義理』を。」
その言葉に、訊いたフィンデルの方が言葉を失った。
「二人が決して堕ちないと言い張った、あの飛翔艦…」
声を詰まらせるリ・オン。
「…8年前……アイデスペリは堕ちたのだ。」
◆ ◆
「…なあ、戒。
あんた背ぇ高いなぁ、いったい幾つあるん?」
必要以上に戒に寄り添いながら、シャロンが訊いた。
「あたしの兄貴もあんたくらいあるんやけど……やっぱ、背ぇ高い男はええなぁ。」
そんな彼女に、うんざりした表情で黙して歩き続ける戒。
「あと、体重は幾つくらいあるん?
ついでに、スリーサイズとか教えてほし…」
「おい。」
短く切って、立ち止まる戒。
それに順じて、止まるシャロン。
「ひとつ、俺様の一番大事なこと教えてやろうか?」
「え? ほんま?」
嬉々として戒の顔に近付く。
「俺様はな…馴れ馴れしく話しかけてくる奴が一番……嫌いなんだよ!!」
だが、返されるのは鬼のような形相―――
「今度くだらねえこと訊いてきたら……さっきの頭突きを100発喰らわせるぞ。
わかったな?」
苛々した口調で一通り言葉を放った後、シャロンを置いて前を行く戒。
置いていかれて茫然とする彼女に、背後でそれを眺めていたイールとムールが追いつく。
「あいつ……悪魔ですかい?」
そして、二人は同時に言った。
「アホ…。
きっと、ストイックなんや……。
ますます惚れるわ……」
だが変わらず、のぼせた表情で呟くシャロン。
懲りずに、先を進む四人へと近寄っていく。
「…ありゃ、もうダメだな…」
それを眺めながら、二人は力なく呟いた。
◆
「お前よ、もっとあの三人に優しくしてやれよ……」
追いついてきた戒に、バーグが言った。
「馬鹿言え。
どこの馬の骨かわからねえような連中、俺様は信じねえぞ。」
悪態をつきながら返す彼。
「確かに…完全に信用すること出来ねえけどよ……。
これは俺達にも少しは責任が…」
「ねえよ。」
バーグの言葉の途中、戒が言い切った。
「全面的に、炎団の奴等が悪い。」
「…んで、その炎団はどうなったん?」
いつの間にか近付いていたシャロンが戒の脇から顔を出す。
「……あいつらなら、みんなやられたぞ。」
むっつり答えない戒に代わって、バーグが答えた。
「みんな!?」
その言葉に対し、シャロンが素っ頓狂な声を上げる。
「10番艦……いや、あの悪名高い炎団が…!?」
「あなたたち…よほど腕が立つんですねえ!!」
両手を揉み合わせながら、彼女の後ろからイールとムールの二人も訊いた。
「いや…」
バーグが口ごもる。
「腕が良かったのは、俺達じゃねえよ…。」
そして唇を噛んだ。
「それにな……最終的に全部もっていきやがったのは…あの銀の騎士の野郎…」
長いまばたき。
「いや……わかんねえな…実際のところはよ!」
さらに、バーグは自分の髪の毛を乱暴に掴み、頭を掻いた。
「?」
「複雑だなぁ……。」
彼の様子も言っている意味が解らず、三人も首をかしげる。
「…まあ、ええわ。
ほんで、ルベランセは……無事なんか?」
「あ?
ああ……正直言って、それもわからん。」
バーグは我に返り、三人に向き直った。
「そういや…ヒゲ。
炎団の奴等、もう一隻いやがったよな……」
彼の一連の話を、脇で何気なく聞いていた戒が口にした。
(……!!)
身を強張らせるシャロン。
「お前らと違って、俺はずっと格納庫に居たから、そんなこと知らねえよ。」
バーグは、ザナナと並んで先を行く世羅の方を見る。
「炎団の別の一隻が、雲の中で待ち伏せしてやがったんだ。
ルベランセを挟み撃ちにしようって考えだったんだろうが……俺様たちによって
逆に返り討ちにあったわけよ。」
戒は軽やかな口調で、さも自分のことのように自慢した。
「しかし…『あの一撃』で炎団を倒し、そのまま逃げきれたか…。
それとも、態勢を整えた奴等に追いつかれてやられちまったか。」
独り言のように呟きながら続ける彼。
その横で、シャロンが手に力をこめて握り締める。
(『あの一撃』……あたしらは そのおかげで……)
そんな彼女の様子を、イールとムールは背後から複雑な表情で見詰めた。
「……な、なあ、ルベランセってのは、よっぽど優れた指揮官が乗ってるんやろなぁ…」
やがて、シャロンは訊いた。
(なんつったって…雲の中の敵まで予測して撃つなんて…常人やないで…)
先ほどまでは彼女に見向きもしなかった戒が、唇を歪ませて笑う。
「まあな。」
そして答えは、短く簡潔。
(絶〜〜対…そいつだけは殺したる……!!)
その反面、シャロンは闘志を込めて手の青い布を握り締めた。
「ただな……俺達もやられたからな。
…炎団に対しての同情は微塵も無えぜ。」
「へ?」
そのバーグの言葉に、イールとムールが声を揃える。
「ああ。
炎団の奴等は…もう絶対に、許さねえ。」
戒が続く。
「元はといえば…あいつらが襲撃さえしてこなければ…リジャンは死ななかったんだからな…」
それまで比較的穏やかだったバーグから初めて感じる殺気。
「俺様だって、こんな足止め喰らってねえぜ…」
そして、戒からの相変わらずの凄味。
三人組は改めて恐怖を覚えた。
「あ…あたしらは炎団ちゃうねんで!」
思わずシャロンが声を上げて腕を振る。
「何言ってんだ?」
そんな彼女の反応に、戒が訝しむ。
「奴等のカラーは『赤』なのさ。
素人は知らんかもしれんがな。」
バーグが付け加えた。
(…あかん……危うく墓穴を掘るところやった…)
愛想笑いを浮かべながら、汗を拭うシャロン。
「…せやな……。
炎団の色は……『赤』やねんな…」
「…お嬢……」
視線を落とし、歩みが遅くなる。
イールとムールもそれに合わせた。
他の四人は気にせず前を行く。
「…アホ、今こそチャンスや。
そんな矢先に落ち込んでどないすんねん!」
「え……いや、落ち込んでるのは、お嬢…」
二人が面食らいながら苦笑する。
「そもそも!
あたしらみたいにな、実力のある人間がいつまでも下働きなんて間違っとる!
手柄さえ立てれば、こっちのもんや。 誰も文句言わさへん……。
嫉妬や偏見なんて……もう…」
シャロンの決意の視線の先に。
ひらり、と一枚。
大きくて黄色の花びらが舞い降りる。
前を行く四人。
後ろをついて行く三人。
その全員が動きを止めた。
強い風が吹き、目を細める戒と世羅。
周りの木々が揺れ。
他に赤、緑、青など、極彩色の……数え切れないほどの大量の花びらが、乱雑に舞い散りながら
目の前の空間を覆っていった。
顔や肌にまとわり付く、『それ』からはわずかな湿り気を感じる。
そんな異様な森の変化に、全員は暫く言葉を失っていた。
陽が沈みかけ、殺風景な深森。
花びらの乱舞は、それにそぐわない幻想的な光景だった。
続けて気取る、急な静けさ。
いつの間にか、虫や凶獣の類は近くにいない。
周囲の木々達は、見たことも無いいびつな螺旋を幹に描いていた。
ザナナが白き槍を構え。
バーグが痛んだ剣を捨て、背の愛用の大剣を改めて抜く。
それを皮切りに全員は自然と寄り集まり、お互いを背にして周囲に全身の集中を向ける。
緊張をもって、一人一人が瞳を動かしているのが互いに伝わった。
「なに、なに?
みんな……冗談…やめてぇな……」
シャロンが怯えた声で戒の服の裾を掴む。
進む方向の木々の奥。
多くの鮮やかな花を咲かせた、一本の大きな樹木があった。
その木の根には、鮮やかな苔が生え、無数の乾燥した細枝が縦横無尽に伸びている。
その面が自然とわずかに盛り上がると、それに注目した全員は違和を感じざるを得なかった。
直後、小刻みに揺れる大地。
風に乗り、恐ろしい速度で近寄って来る『森の一部分』は、決して錯覚ではない。
皆を見て、左右に散るよう指示するバーグ。
全員が一切を考えずに分かれて両脇の茂みへと飛んだ。
地面に深い彫りを残しながら、過ぎていく土と疾風。
「…ほんと…ここって面白い植物が多いよね!……前にボク達も飲み込まれちゃったし…!!」
傍の木にしがみつきながら、世羅が戒を見詰めて笑った。
「『蠢く森』だって……?
ハッ! 冗談キツいぜ……」
その脇で、バーグが鼓動を抑えながら呟く。
「あれは『突撃してくる森』じゃねーか、ザナナぁ!!」
戒が叫んだ。
しかし。
返事も、彼の姿も無い。
「……おい…不笑人はどうした!!」
バーグが叫びながら周囲を確認する。
反対側で隠れているのが見えるのは、青い三人組だけだった。
そして、夜空の下。
さらなる暗闇が覆う。
巨大な蔓と根がバーグの頭上を飛んだ。
自分達を足元から囲んでいる草枝。
さらに、世羅のしがみついている木さえも胎動を始めている。
わずかに浮き、めくれ上がる土。
バーグは一帯の植物の根の全てが、目前で動いている森の脇から伸びているのを見た。
そして、先ほど迫って来た『地』の中心部。
深く開いた穴の中から、赤みがかった光が、右から左に平行に動く。
(しまった…こいつは……!)
軟体状の物体が、その穴から飛び出し、天高く突き出して伸びる。
それは真ん中まで一気に裂け、口となり、歯を剥き出した。
その先に付いているのは、敵意にあふれる狂った丸い瞳。
(…森……なんかじゃ…ない…!!)
思った言葉を発するよりも早く、足元の細長い蔓に蛇のように素早く膝を絡め取られ、
バーグはそのまま近くの木々に背から叩きつけられた。
くぐもる視界の中でさらに気付く。
盛り上がった、苔の生えた茂みは甲羅。
そこから生えた鱗まみれの短足。
その蹄が、地と木々の根を抉りながら突き進んだのであろう。
そして最も大きな樹木は、その甲羅から螺旋を描くように生え。
これから訪れる凄惨な光景に似つかわしくない、美麗な花を散らし続けていた。
一帯の植物の根が繋がる巨体の脇。
さらに隠れていた平たい木が翼のように広がる。
その生物は自分をさらに大きく見せて森の侵入者を威嚇し―――
《…ハ……アゥゥ…ウウウウゥウ!!》
天空に向かって低く咆哮する。
だが、月光は獣を祝福せずに、一筋の人影を映し出した。
甲羅を目掛けて伸びた白い槍を突き刺し、高い木々の上から軽やかにその上に乗り移るザナナ。
その彼の背後を襲うため、脇の木々がすぐに伸びるが、彼は動じない。
「…族長は……勇敢であったな…」
ザナナはうち震える声で吠えた。
白き槍が弾ける。
分かれ、伸びる槍の先端。
舞い散る花びらを全て両断し。
さらに背に迫る木々を粉砕する。
ザナナは跳び、身を反転させながら器用な指さばきで槍を繰り、再び一つにまとめる。
そして遠心力を乗せ、振り降ろす最高の斬撃。
「――――ッ!?」
しかし、それが甲羅に命中した刹那、吹き飛ばされたのはザナナの方だった。
空に身を投げ出したままの無防備な彼に、すぐに細い木々が再び襲いかかり。
そしていくつもの枝に貫かれ、空中で弄ばれながら彼の身体はやがて闇へと消えていく。
「……!」
「…ザナナ…!!」
その光景に、茂みから飛び出す世羅と戒。
柔らかくて長い凶獣の大きな首が、それを待っていたかのように二人を見下ろしていた。
◆
「は……はあっ!!」
イールが両手をばたつかせながら息を荒げる。
「お……お嬢!!」
ムールが先行するシャロンに向かって叫んだ。
「逃げても…いいんで?」
「オレら、ルベランセに潜入するんじゃ…?
このままだと…」
二人が呻くと、小走りで引き返してくる彼女。
「アホッ!
死んだら、手柄も何もあるかいな!!」
さらに、二人の頬を叩く。
「それに、完全には逃げへん。
まず、あたしらが退路を確保して、その道を奴等に知らせたればええやろ。」
彼女の意外にも冷静な言葉に、二人は頷いた。
「しかし何や……あのけったいな凶獣は…。
あんなん、見たことないで…」
「お嬢……それなんですが…」
蛙のように大きい口を開くイール。
「ウチの田舎の、『珊瑚亀』ってのに似てるなァ……。」
「そう、それだ。」
彼の言葉に、ムールは賛同した。
「でも……海辺にしか生息してないし…珊瑚の代わりに植物が宿ってる…」
「…だから、亜種かも!!」
声を合わせて言う二人。
「おまえら、ほんまにアホか!
知ってるんなら、はよ言わんかい!!
なにか攻略法……あるんやろ!!」
早口で捲くし立てるシャロン。
「…そうですねェ……」
「…確か……」
のんびりと考えながら答える二人。
「オレらが子供の頃……あの凶獣が発生した時…」
「…確か、村人全員で逃げたよな。」
お互いを指差し、声を上げて笑う。
一方のシャロンは、聞いた直後に無言で踵を返し。
先ほど以上のスピードで前を急いだ。
「……まったく…とんだ災難やで…!!
……ん?」
走るうちに気付く、地面に掘られた小さな穴。
盛り上がった土。
その脇に無造作に放置されている、金属で出来た何かの残骸。
シャロンは何も考えずに、それを手に取った。
(……なんか…不気味やな…)
さらに付近には、血痕らしきものが飛んでいる。
「…あ!」
「……なあ、あれって……」
その間、シャロンを追い抜いた二人が前方で叫んだ。
彼等の手前に広がる、森を横切るように敷かれた小道。
そして、今度ははっきりと視界に映る高き山。
「…もうすぐで…森が……抜けられる!」
「早く行こう! お嬢!!」
喜び勇んで、飛び出す二人。
「せやな……あとは…ルベランセにも潜りこむだけや…」
後ろを振り返るシャロン。
だが手にした物体は、その時妙に冷たく感じられたのだった。
◆
「二人とも…何やってる!?」
バーグが痛む背をさすりながら、戒と世羅を怒鳴りつける。
彼が大剣を構えると、自分に敵意を向けていることを悟り、二人からは目を逸らして彼を見る凶獣。
瞳が合うと、全身の毛が逆立つ気がした。
「だって……ザナナが…!」
ザナナが消えた方を向き、訴える世羅。
慌てて追いかけようとする、そんな彼女を戒が捕まえる。
「落ち着け。
……あれを見ろ。」
凶獣の甲羅を指差す戒。
そこには、ザナナの白い槍が刺さったままになっていた。
その先端は幾つにも分かれて伸び、周囲の木々に結ばれている。
凶獣が前傾するとそれが上手い具合に絡みつき、動作を鈍らせた。
自分に寄生した、思い通りに出来る植物とそうでない植物―――。
その判別が出来ない幼稚な頭は、すぐに癇癪を起こす。
長い首で、鬱陶しそうに木をなぎ倒す、怒りの声で吠える凶獣。
もはや、人間の姿はその目には映っていない。
「…うお…っ……!!」
折れた大木が足元まで飛んできて、バーグが思わず退いた。
世羅の手を引いて、戒は一旦彼の所まで戻る。
「…いい時間稼ぎだ。
このまま逃げるって作戦だろ。 ザナナ。」
そして、森の茂みに向かって言った。
「……族長の仇、討てないの悔しいが…」
深い森の中を迂回していたのか、戒の言葉に応じながら、ザナナが痛む腕をさすりながら
茂みの中から現れる。
「ヤツは、自然と共に生きている。
倒すのは、むずかしい…」
「おーい、こっちや!!」
遠くから響くシャロンの声に、一同が顔を向けた。
「道を見つけたで!
森の終点まで、もうすぐや!!」
その言葉で、バーグは剣の柄を握る手を緩めた。
「助かった…あんな化けモンと争ったら、命がいくつあっても足りなかったからな!!」
そして安堵の表情で駆ける。
他の三人も続いた。
前を走るシャロンについていくと、地面に砂利が混じってきているのが分かる。
湿地が終焉を向かえ、乾燥した土の匂いがした。
「早く早く!」
「こっちですよー!!」
前方で両手を振って合図を送っているのっぽの二人に、皆が頷いた。
「………?」
だが、走る道の途中。
空いた幾つもの穴に戒が気付く。
何気なくシャロンを見ると、彼女は何かを手に持っていた。
途端に身体を襲う悪寒。
「……きゃっ!?」
急にシャロンの手を取り、立ち止まる戒。
そのおかげで、彼女の手はきつく伸ばされる。
「……何やってんだ、戒!!」
その様子に気付いたバーグが叫んだ。
「………。」
「き、急な…展開やで!
可愛い子に惚れるのもええが、こんなことは後にせえや!!」
眼前で、自分を睨みつけている戒に、シャロンは真っ赤になって言う。
だが、彼は自分の左頬の古傷に無言で指をあてがっていた。
どんなに痛みに慣れても。
慣れない痛みが一つだけあった。
自分の理性が飛びそうになるのを必死に押さえつけ、平静を保つ。
「そうだ、俺達が森を抜けた時点で『勝ち』なんだぜ。」
焦りの中、叫ぶバーグ。
世羅も心配そうに、その脇で見詰めている。
「……これでもか?」
だが、戒はシャロンの手から金属の残骸を奪い取って、静かに呟いた。
「?」
それを不思議そうな目で見るザナナ。
「……まさか…!?」
状況を理解したイールとムールが叫ぶ。
「そうだ……凶獣除けの…『結界』だ……!」
戒の一言で、一同が言葉を失う。
「…つまり……それって…どういうこっちゃ?」
「お嬢!
ここから先も安全ではねえってことです!」
早口で答えるイール。
「今…この場所には、いわば結界の穴があります。
結界の効果は…その大きさで大体……」
残骸を見つつ、ムールが言った。
「50M。」
戒が答え、残骸を握り潰す。
魔導技術で高濃度の源を注入されていた器は無残に飛び散った。
「…そんな穴が、外へ向かっていくつも開いている…。
そういうことか。」
森の外へ向かって同様に荒らされている地面を眺めながら、ザナナが言う。
「…何も難しいこと考えるこたぁねえだろ。
幸い、今は敵の動きは止まってるんだ。
一旦脱出してから街の自警団とかに協力を求め、あの凶獣を殲滅してもらう。
その後、結界師を呼んで穴を塞げばいい。
それだけだ。」
バーグは落ち着いて一言一句を正確に言った。
「……あ。 そうやな……はは。
びっくりしたで…まったく…」
自分の後頭部を軽く叩き、シャロンも高らかに笑った。
「ダメだ。
……あの凶獣は…ここでブッ倒す。」
だが対照的に、恐ろしい主張を口にする戒。
「何言うてんのや、戒!!」
たまらず詰め寄るシャロン。
「みな、死ぬで!!」
「…一緒に残れなんて、誰も言ってねえ。」
「〜〜〜〜ッ!!」
全く聞く耳を持たない彼に、シャロンは顔を強張らせて拳を握る。
「勝手にさらせ!!
あたしらは、逃げさせてもらうわ!!」
踵を返す、彼女。
イールとムールもそれに従った。
だが、それ以外の人間は動かなかった。
「お前らも……行け。」
戒は残った三人に向かって言った。
「……残るよ…ボク。」
だが、世羅が切り出す。
「……俺様一人で充分だ。」
ひたすら気丈に自分を見上げる彼女から、戒は目を逸らして言った。
「ロクに戦えもしねえガキが何言ってやがる。」
しかめっ面で、バーグが大剣の鍔で戒の背を叩く。
「うるせえ、一人で充分だって言ってるだろ!!」
「まあな……本当は俺も逃げたいところだ。」
大きな苦笑を浮かべながら、あさっての方向を眺めるバーグ。
彼は状況もわきまえず、胸ポケットから煙草を取り出し、素早く火をつけた。
「アレに気付かなきゃ…な。」
その目線の先に、大きな屋敷の屋根が見えた。
「もしも俺達がここから街へ逃げこんだら、いずれ追いかけてくる凶獣は…」
「途中にある、あの家を襲うよ。」
バーグと世羅の交互の言葉。
ザナナは黙って頷く。
「ほんとおまえ、犠牲にするってのが嫌いなんだな。
まあまあ、いいとこあるぜ。」
「そんなんじゃねえ……」
にやけながら言うバーグに対し、戒が震える指で再び頬の傷をなぞった。
拭えない記憶。
忘れてはいけない過去。
その感覚は、自分の旅の始まりとどこか似ていた。
「…今回は…他人がどうのとか、関係ねえ。
ただ…」
頬の傷が一層疼いた。
「これだけは許せねえだけだ…!!」
崩れ、見る影も無くなった結界をさらに握り締める。
「くわしくは今は聞かねえよ。」
そんな戒を一言で制し、バーグは彼に背を向けて大剣の柄を再び握る。
握力の戻りは充分だった。
「なあ、世羅?」
「うん。」
無邪気に笑う世羅。
バーグはそれを合図に、口にくわえた煙草を噛み千切って捨てる。
二人を同時に眺めながら、戒は複雑な表情を浮かべた。
そんな彼等に、ザナナがゆっくりと近付く。
「お前たち、街へ行って味方を呼べ。
…その間、ザナナが敵の相手する。」
急な言葉に、固まるバーグと世羅。
「……急に何言ってんだ、てめえ!!」
詰め寄る戒。
「森の出来事は、森で片付ける。
これは、きっと…ザナナの役目なのだろう。」
「馬鹿野郎!!
森とか、役目とか…関係あるか!」
戒がザナナの着物の襟をつかんだ。
「ああ。
囮って作戦には賛成だが…」
バーグが視線を泳がせながら呟く。
「一人じゃ、作戦の立てようが無いぜ。
どうせやるなら、ここは俺と不笑人で食い止めるのが妥当だと思う。
戒と世羅だけ…」
「ヒゲ!
てめえも喋るな!!」
今度は、バーグの頬を掴み、引きちぎらんばかりに強く握る戒。
「これは、『俺様のわがまま』なんだ!!
誰も付き合うな!
……誰も触れるんじゃねえ!!」
他の者には理解できない戒の感情。
だが己の主張を全面に出す三人は、誰も引き下がる様子は無かった。
「……ねえ…」
そんな中。
世羅がうつむきながら呟く。
「ボクがルベランセから飛び出した時、戒は追ってきてくれたよね…。」
「…それとこれとは話は別だ!
理由なんて…もう忘れちまったしよ!!」
戒は言い放つ。
その言葉に、バーグが目を丸くした。
「…クソガキ、それは違うぜ……」
そして、顎の無精髭を撫でながら笑みをこぼす。
「『理由』なんて……いらねえんだよ!
『戦友』の間ではな!!」
世羅の頭を優しく撫でるバーグ。
「…自分は死にたくねえし誰にも死んで欲しくねえってのは、きっと虫のいい話だ。」
彼はせきを切って言葉を感情的に紡ぎ。
思い出すのは、逝った戦友の顔。
彼もこんな気持ちだったろうか。
「―――だから、もしも自分に何かがあった時、ここにいる誰かを恨みそうだと思う奴は今すぐ逃げろ!!」
手にした大剣の切っ先を森の奥に見える凶獣の顔に向けて、バーグは気炎を上げた。
世羅がザナナに近付き、見上げる。
彼女の美しいエメラルドグリーンの瞳に映る、黒い豹の顔が深く頷いた。
「……決まり!」
戒に言い、世羅が三人の前に出る。
やがて彼女は歩みを止め、一気に振り向いてとびきりの笑顔を見せた。
「…ボクたち仲間なんだから…。
笑って…自分の好きなこと……しようよ?」
森が静まりかえる。
「…てめえら……死んでも、本ッ当に俺様を恨むんじゃねえぞ!!」
戒が地面に向かって言葉を吐き捨てる。
影が近い。
彼は手にした細槍を素早く下段に構えた。
「笑って好きなこと……ね。
ゾクゾクすること言うじゃねえか…。」
自分もまだまだ若い。
バーグが歯を見せて、大剣を軽く肩に乗せて手を添える。
「…笑う…か。
…ザナナにも…いつかできるだろうか。」
態勢低く、四つ足で身構えるザナナ。
その姿はまさしく、森林に解き放たれた黒豹の如く。
先の近い距離とは異なり。
遠目でようやく見えてくる、はっきりとした凶獣の姿。
甲羅に植物がびっしりと寄生している、それはそれは巨大な亀。
食い込んだ槍が周囲の木々から外れたことにより、再び獲物へと狙いを定めたのか。
短い足で大地を踏みしめて近付きながら、じっと考え込むように四人を見据えた。
高々と伸びる軟体状の首。
そこから大きく縦に裂ける口。
冷気を帯びた空気に、煮えるはらわたから白い息が立ち昇る。
今宵、月を隠す雲は無い。
◆ ◆
4
◆ ◆
「…知っての通り、アイデスペリ号は決して有名な艦ではない。
だが、飛翔艦が墜落した情報というものは、その筋の者であればどんなに遠くにいようとも
すぐに耳に入るものだ。」
リ・オンが両の手を重ね、前傾する。
「…そして、その墜落場所は何の変哲も無い西の海域。
私はすぐにそこへ飛んで行き、引き揚げられた飛翔艦の中を丹念に確認した。」
彼の重々しい口調に、フィンデルとジンは思わず姿勢を直した。
「しかし…艦内は想像どおり酷い有様だった。
既に乗組員の死体は魚や凶獣の類に啄ばまれ、年齢や性の判別さえ出来なかったほどだ。」
思えば、随分と長い話だった。
窓外の陽は落ち、既に夕闇を通り越して夜の空が広がっている。
「…情けない話だ。
そんな絶望的な状況にも関わらず、私はまだ『可能性』を捨てきれないでいる。
その夫妻の死体をこの目で見たわけではないからと、彼等が生きていることをいつまでも
信じ続けているのだよ……。」
リ・オンは首をゆっくりと左右に振りながら、呟いた。
「私も、副艦長と同じく諦めるわけにはいかない。
そこで『彼等』に出会わなければ…、『義理』というものを教えてもらわなければ、
私の運命は大きく変わっていたのだから。」
彼の傍の魔導人形が、空になったティーカップを片付けた。
「そして、この足の棒切れは、過去の私の甘さをいましめるものであり……『義理』を受けた証拠でもある。
全てを返し終えるまで、決して交換しないつもりだ。」
リ・オンは話し終えると、かなり疲労した様子で肩を縮こませて小さく椅子を引く。
それまで若々しく見えた姿が、幾分歳をとって見えた。
「……なるほど…。
私は女として産まれた方が良かったと…貴方が良くそう言っていた意味も分かる気がしますよ。」
ジンは、自嘲気味に言った。
「あの時産まれた子は、『男』だった。
自分の娘を聡明に育て、その嫁にくれてやりたいという私の願望……それは決して否定しない。」
リ・オンは真剣な面持ちで語る。
その言葉に、ジンは視線を落とした。
何も答えない父親。
それ以上訊かない息子。
「ジンさん……。
生に絶望していた……しかし、新たな生によって学び、救われた人間が『それだけ』を
望むはずがないと思います。」
二人を前に、さしでがましさを感じながらもフィンデルが口を開く。
「ああ……。
そんな些細なこと……もう、とうの昔にあきらめている。
生まれ持ったものは、変えようが無い。」
彼女の言葉に後押しされたように、リ・オンが呟いた。
「むしろ大事なのは…生まれきたこと自体なのだ。」
その言葉は、リ・オンが身をもって知った言葉だとジンにも理解できた。
「…しかし、些細なこととはいえ、長年息子を傷つけていたとはな…。
悪い口を持つと損をする。」
肩をすくめ、洒落っ気を混じえておどけるリ・オン。
だが態度とは反面、目にははっきりと謝罪の色が浮かんでいた。
「私が一方的に反骨し……思い違いをしてきたのでしょうか…?」
ジンが思い詰めた顔でフィンデルを見る。
彼女は何も言わずに微笑んで返した。
「たとえそうだとしても…」
同時に、リ・オンにも視線を投げかける。
「…親子の間で、深いわだかまりになりますか?」
暫くの間、魔導人形が最後の食器を片付ける音だけが響いた。
やがて目の前には、真っ白なテーブルクロスのみが残った。
「……どうなのでしょう、父上?」
ジンも彼女の言葉になぞられ、愚直に訊く。
「…些細なことと言っただろう。
戦闘騎だけをいじっているから、心に大きなゆとりが持てんのだ。
もっと色々と学び……私を早々に隠居させてみろ。」
その目線を逸らし、苦々しい顔つきで答えるリ・オン。
ジンが深く頭を下げる。
フィンデルがテーブルクロスの下を、己の両手の平を強く掴んだ。
おそらくはこみ上げる感情をこらえているのだろう。
リ・オンも唇を噛みながら、大きく鼻息を吐く。
「父上、貴方の恩人……その方の名をお聞かせ下さい。
私も行く先々で、調べてみようかと思います。」
前のめりで、ジンが訊く。
「……あの豪快な男…。
父親の名は、洵爛=ディーベンゼルクという。」
彼に対し、素直に答えるリ・オン。
「…洵爛=……ディーベンゼルク…?」
そこで思わず身を乗り出し、フィンデルが繰り返す。
「…確か、瑠邑の生まれと聞いた。
だから、少々変わった姓名だ…」
リ・オンは最初は何気なく口にしたが。
「まさか……?」
その瞬間、直感で肩を震わせた。
「いえ……」
フィンデルは言葉少なに、冷めた紅茶を乾いた口先へと運ぶ。
「…偶然かもしれません……しかし…私はその姓に…確かに憶えがあります…」
「なんだと!」
テーブルを強く叩きつける音。
驚くジンとフィンデル。
リ・オンはそんな二人の様子を見てようやく平静を取り戻し、浮いた腰を再び落ち着けた。
「…とにかく、その話をくわしく…」
今度は、突如として轟音が天井を震わせる。
屋敷全体が揺れるほどの衝撃に、室内の全員が一斉に立ち上がり、窓の外を向いた。
◆ ◆
止まらない、短く太い足。
恐ろしいまでの巨体にも関わらず、速度の高い突進。
凶獣は本能的に、自分以外の生物全てに敵意をむき出して狙いをつけていた。
前方で高い木の枝を器用に飛び、ザナナが凶獣の気を空中に引き付けようとする。
いつか生まれる隙を信じ、藪の中を平行に疾走して、攻撃の機会を待つ戒と世羅とバーグ。
凶獣の殺気と圧力に押されながら、段々と目前に近付く森林の終点。
意を決して、挑発する距離を狭めるザナナ。
案の定、赤い目玉はすぐに彼を捉え、釘付けになる。
(…今だ……!!)
バーグは自分達三人に襲い掛かる枝を払うための大剣を納め、肩に巻いた太い鎖を両手に取った。
「…どれ、力比べといこうか!!」
彼は叫びながら藪を飛び出して、前へ前へと伸びる凶獣の前足へその鎖を三重に素早く絡ませる。
それにより一瞬、凶獣の動きが止まり、鎖を握る彼自身も硬直した。
「……こんな小さな『なり』で恐縮だけどなぁぁぁぁッ!!」
一気に屈み、肩を支点に絡めた鎖を引く。
悲鳴をあげる上腕。
鎖の間から飛ぶ血液。
噛み合わせた歯が、軋む。
象のように太い一本の短い足が地を滑り、凶獣の態勢が傾いた。
斜めになった甲羅が弧を描き、内側の並木を一斉になぎっていく。
枝が飛び散り、砂塵が舞う。
その絶好の機を逃さぬよう、地を滑る甲羅に飛び乗ったザナナが、その場に突き刺さったままの
自分の白い槍を抜いた。
凶獣の長い首にしっかりと狙いをつけ、力強く横に刃を払う。
しかし意外にも、少し歪んだだけで一瞬で形を復元しまう、その軟体状の皮と肉。
気が付けば、背に迫る木々。
ザナナは次の行動は考えてはいなかった。
一瞬の破裂音。
小石のように吹き飛び、高樹の太い幹に叩きつけられる人影。
バーグは下方で鎖を握りながら、それを見ていることしか出来なかった。
「……不笑人っ!!」
続けて彼自身へも目掛けて飛んでくる鋭い枝があった。
それらを避けながら叫ぶバーグ。
気を失ったのだろうか、ザナナは木の根元でうなだれたまま動かない。
そこで途端に眩む、一切の視界。
バーグ自身も、横一直線に飛ばされる。
その最中、かろうじて確認する自分を撥ねた巨木。
それは木々を抜け、自分の死角から打ち込まれていた。
軋む肋骨。
地に叩きつけられ、何べんも転がった。
「……ぐ…ぅ………くそ…。
…まずい……ぞ……」
全身の神経が吹き飛んだような痛みだった。
バーグが虚空を見詰める。
聞こえの悪くなった耳に、近付く凶獣の地響き。
「―――だめ!!」
今度は世羅が飛び出し、細腕で細い槍を凶獣の堅くて太い足に打ち付けているのが見える。
だが足元の些細な攻撃など全く意にも介さない様子で、森の終点で見え始めた山脈へと首を向ける凶獣。
自由自在に操る、触手のような木々で巨体を持ち上げてさらに角度を変え。
瞳は、さらにその中間にある屋敷の方を見る。
この時点で標的が変わったのが、皆にも判った。
「行かせ……ない!!
行かせない!!」
何度も何度も非力な槍を打ち付ける世羅。
蹄が土を抉り、全てが揺れる。
バーグは定まらない視界の中で、蠢く樹木の隙間に足を取られる世羅を見た。
あまりにも非力な抵抗。
その長すぎる時間の中で、見えるのは絶望だけに思えた。
◆
「…なんでやねん……なんであきらめへんのや…。」
森を抜けた地点。
その見張りの高台の中で隠れながらシャロンが呟いた。
汗が、額から目の脇を滴る。
「お嬢! 逃げるなら、早く逃げましょうよぉ……」
「ここだって安全じゃな…」
「やかましい! ルベランセの連中がくたばるところ見たいだけや!
あとちょっとだけ……待たんかい…!!」
そう言って四本の腕を振りほどく彼女。
凶獣と戒達の戦いの様子が遠くから観察できる、この場所に身を隠してから暫く経つ。
その間、気の休まることは勿論無い。
「他の奴なんて、どうでもええやん…。
ちっと逃げれば…自分は助かるんやろ…。
それをなんで…わざわざ…」
昨夜からつい先ほどまで味わっていた死への恐怖。
シャロンはその感覚に嗚咽しながらも、彼等の戦いから決して目を離そうとはしなかった。
◆ ◆
「エンゼルエンデルハイム。」
「はい、リ・オン様。」
リ・オンの呼びかけで廊下の柱を外し、その下の隠し部屋から巨大なガトリングガンを引き出す魔導人形。
銃身に付いた太い紐を引くと、けたたましい機関の音と共に銃身が回り、大股で床を踏んで足を張る。
モーターから噴き出す上気と風。
彼女のエプロンドレスがなびいた。
「いつでも出撃可能です。」
「―――よし。」
一連の準備を整え、玄関を出ようとするリ・オンと彼女。
「あ、あの…一体?」
全く状況の掴めないフィンデルが訊く。
「なに、大したことはない。
大方、近くの凶獣除けの結界でも壊されたのだろう。」
「……えぇっ?」
冷静に答えるリ・オンに、彼女は思わず間の抜けた声を上げた。
「いつものことです。」
武装した魔導人形も冷静に答える。
「父は、普段から恨みを買いすぎていますからね。」
ジンは肩をすくめた。
「…馬鹿を言うな。
いつも、おかど違いの感情で巻き込まれる私の身にもなってみろ…」
「リ・オン様、既に戦闘が……開始されております。」
喧騒の方角を見据え、魔導人形が呟いた。
◆ ◆
凶獣の瞳孔が開く。
まるで斧を振り上げるかのように。
甲羅の左右から翼のように広がる平たい樹木は、世羅へと目掛けて構えられる。
一方、針のように尖っている木々の奥に食い込んだ彼女の足。
自分の力では、もはや動けなかった。
さらにその脇の地面を疾走するのは、細い枝と蔓。
半弧を描きながら、追われるようにその前を走っているのは戒。
一見、彼が単に逃げているように見える光景も、走る延長線上にいる世羅を見れば合点がいった。
そして後を追う植物群も、二人を合流させまいとする意図の下、動いている。
それを理解しているバーグとザナナが、動かない身体を奮い立たせようとする。
自分達のとどめを刺すための植物すら、周囲には無い。
それが逆に悔しかった。
「…知ってるぜ……てめえらの怒る理由…」
戒がめまぐるしい風景と空気の抵抗の中で呟く。
「『外』へ出た瞬間…。
『俺達は、狭いところに閉じ込められていたんだな』って思うこと…。
だから…、腹いせに色々なところを襲うんだよなぁ!?」」
凶獣の蹄に負けないくらい、彼のブーツも勢い良く土を飛び散らせ、草むらを抉っていく。
「今回だって……誰が悪いか分かっているつもりだ……。
だがな―――」
タイミングを計り、世羅を目掛け片足で跳びあがる彼。
それを追う枝と蔓。
「俺様には『目的』がある!
お互いに退けない……そんな『さだめ』を呪いやがれ!!」
草と土の上を勢い良く滑り込んでいく身体。
伸ばす手。
伸ばされる手。
(……守れ…)
戒の頭の中で声が響いた。
朝に聞いた、バーグの声の記憶ではない。
わからない何か。
その行動に合わせて迫り来る木々を無意識のうちに、手刀で弾く戒。
世羅の手をとり、その細い腰を絡め取り、彼女の身体を木々の間からもぎ取る。
頭上から打ち降ろされる樹木。
懐から取り出す赤い十字架。
「―――『聖十字』!!」
地を踏み、駆けた自分の全身にブレーキをかけて、今までの速度を相殺。
続けて態勢を正面に構え、防御の態勢をとる。
戒の手にした十字架から瞬時に伸びる、菱形の赤い膜。
堅い木と手の間に、火花が散り。
神の名の下、あらゆる種類の『瞬間の力』は無効化する。
しかし、続的にのしかかる、許容を遥かに超えた圧力。
戒は世羅を片手で抱えたまま、限界まで耐えたのち潔く聖十字を解除した。
瞬時に地面を蹴り、彼女を内側にしたまま転がる彼。
力の受け側を失った木々は地面を直撃し、その場を斜めに裂いた。
風圧と衝撃で二人が宙を舞う。
地に叩きつけられる寸前、片手を付いて何とか着地する戒。
「……戒!」
死線から救われ、喜びの表情を浮かべた世羅。
しかし次の瞬間に一転、表情を曇らせる。
流れる鮮血。
先の衝撃で額を割った戒が片目を強く閉じ、狭まる視界に抗っていた。
「……何も言うんじゃねえ。
かすり傷……なんだからよ…。」
世羅を包みこむように強く胸に抱いたまま、膝を立てて、小さな肩をつかむ彼。
「俺様は……いい…。
それより…今まで、散々楽させてやったんだ…」
耳元で囁く。
「…思いっきりブチかませ……『ここ』なら…できる…」
笑みと共に落ちる膝。
「…だから…負けたら…承知しねえぞ………世羅…」
そこはもう森ではなかった。
森林は既に抜けて、足元には人の手が施された短い芝と砂利道が広がっている。
吹き荒ぶ冷たい空気。
視界に広がる、大きくそびえたった山。
―――もう後は無い。
肩を抱いた、その手に触れる彼女の髪。
いつもの匂いを感じたまま、戒は意識を失った。
「…うん。
…ありがとう……戒。」
戒の頭をゆっくり地に降ろし、その彼の前で、二本の足で決して退けない道を踏み。
両手を握り締め、堂々と眼前の凶獣を睨み上げる。
リボンが、上昇する風でなびいた。
息を大きく吸い込む。
予感。
前触れで。
肌がざわついた。
◆
(…何やて……!?)
シャロンが思わず、身を乗り出す。
「お嬢…あれっ…?」
「妙だ……」
イールとムールが自分の手を含めながら、周囲を見回して呟く。
「まさか……あの子……が吸い込んで…!?」
やがて二人の目線は、光を放つ少女で留まった。
そして再び森の中にいるように、『力』が薄まった感覚に陥る。
「あんな……!
あんなガキが…ひとりで……」
両肩を抑え、身を強張らせるシャロン。
「……こんなにも……こんなにも源を集められるもんなんか…!?」
流れる汗は、いつしか熱くなっていた。
◆
両手をやや下で広げ、目を閉じる。
「《源・(フェルー)》……」
神語と共に、周囲に集まる粒子。
それはやがて世羅の身体よりも大きな光球となり、闇夜の地を照らした。
甲羅から真上に伸びた、尖った木々。
全ての先端が世羅を向く。
ザナナは木々の破片の中から、バーグが地に寝そべりながら。
その木がゆっくりと少女に伸びていく光景を眺めていた。
風を切る音。
巻き上がる煙で視界は覆われ。
飛んでくる砂利を噛んだ。
そんな、幾度となく襲い掛かる絶望の中で見る―――
凶獣の首元近く。
木々をかわして夜空で止まるの世羅の姿。
「―――《衝》ッ!!」
右手が振り投げられ、放たれる大きな光球。
それは凶獣の頭部に炸裂し、その巨体は地から離れて浮かぶ。
《 ……ッォォォオォオォォッ…!!》
つんざく叫び声と共に 伸びる首。
「……まだ―――!!」
浮いた凶獣へ向けて、中空でさらに構える世羅。
「《源・衝》!!」
光の小弾を散発。
順にへこんでいく凶獣の腹部。
その間、軽い身のこなしで着地する世羅。
休まない。
すぐさま凶獣の下方へと潜り、左手をぶん回しながら中心へと走っていく。
追いかける、地を這う植物。
世羅はそれを縫うように避け、凶獣の真下で両手を広げる。
充分に攻撃を引き付けてから跳び、そのままの姿勢でまたも中空を浮く彼女。
標的を外し、地にめり込んだ細い植物群。
そこに青白い光が集まる。
「《氷・生》!!」
凍る地。
植物が砕け、代わりに飛び出す幾多もの氷柱。
それは瞬く間に凶獣を囲み、足を封じた。
そして世羅は伸びた一本の氷に乗り、加速をつけて首の根元に辿り着く。
「―――《源・衝》!!」
合わせた両手から、再び凶獣の首へと放たれる光球。
今度は加速を加えた、至近距離での着弾。
凶獣の体は地に張り付いたまま固定され、軟体状の首は上へと伸びることしか出来ない。
世羅が宙で反転し、今度は遠心力をつける。
「《源・衝》!!」
放たれる光弾によって。
首が月へと向かって伸び続ける。
張力の限界は訪れようとしていた。
裸足の足音。
疾風の如く。
満身創痍のはずのザナナが、乾いた甲羅の苔の上を駆け。
その頂点で両足で踏ん張り、溜めをつくる。
「……くらえ…」
そして、頭上の高い木の枝への跳躍。
逆さまになったまま狙いを定め、その反動を利用して、完全に伸びきった首に向けて斬り込む、全力の槍閃。
頭に被る皮―――黒豹の口元から、吐き出す気迫と共に吹き出す血の飛沫。
その瞬間、彼の瞳が下で寝そべるバーグを一度見た。
(…そうか……!!)
咄嗟の理解。
生きるには『今』、身を起こすしかないことを悟る。
限界など顧みず、地面から跳ね起きるバーグ。
動きを止めている凶獣の足を蹴って、さらなる高みへ。
伸びた首をなぞり。
ザナナと真逆の、上への斬撃。
二人の攻撃点がぶつかり合い、凶獣の柔らかい首が一瞬へこむ。
「…いい加減……ッ…くたばりやがれッ……!!」
重なる怒号と共に大剣を左手に預け、残った右手の爪で、伸びて張り切った凶獣の首を掻っ切るバーグ。
その組織は、伸び続けた頭部と固定された体部に張力に耐え切れず。
軟かい皮は端から破れ肉は網状に広がり。
弾け―――自ら切れ、長い首はぶんぶんと身を振りながら夜空を舞った。
「……いよっぉ……しゃあああっ!!」
攻撃後、態勢もままならないまま落ちるバーグ。
その中で目を閉じたまま、全身を広げて拳を握る。
飛び散る、握った汗。
地面に落ちる時に訪れるだろう、背の衝撃ももはやどうでもいい。
だが地に着く寸前で、何かに支えられる自分の身。
表情の無い、黒豹の顔が傍に居た。
支えているのは、紛れも無く彼の腕だった。
「……けっ…。
自分だって…血ィ吐くくらいヤバイくせによ……」
若干力が戻り、ふらつきながらも自らの足で立つバーグ。
その言葉で、自分の状態に初めて気が付いたザナナは、血にまみれた口元を初めて拭う。
そして二人は無言でお互いの得物を合わせ、音を鳴らした。
◆
その向こうでは、世羅が倒れている戒の傍に駆け寄っていた。
予想では、改めて静寂が訪れるはずだった。
だが耳に入ってくるのは、何かが砕ける音。
「……!?」
バーグが狼狽する。
首を失った凶獣の身体は、鼓動と共に動いていた。
頭部を失ったまま傷口から血液を振り撒きながら、足を膨脹させて氷を砕く。
「…これでも止められねえのか…!?
なんて…生命力だ……畜生!!」
足の代わりに、凶獣を動かしているのは、地を這った植物だった。
「おいおい…支配のすげ替えってわけか…?
冗談……!」
言いかけたところで、足元をすくわれるバーグ。
ところ構わず、根が地面を抉り始めていた。
世羅は、戒の介抱に手間取っている。
ザナナも足がかなり鈍い。
そんな逆境の中、凶獣の前に立ちふさがる三人の影。
「……お…おまえら!?」
バーグが驚きの声を上げると同時に、シャロンが両手を広げて、下へ突き出した。
その手に目掛け、ジャンプするイールとムール。
「《源・衝》!!」
光る彼女の手。
軽い衝撃で大きく弾みをつけ、飛び上がって凶獣の反対側へ着地する二人。
「お嬢ぉぉぉおおおお!!
どこッ! どこっ!???」
散開した状態から、慌てた声で叫ぶイール。
「…あと三歩………後ろや!
ムール! もちっと右に寄らんかい!!」
必死に叫ぶシャロン。
頷き、即座に命令に従う二人。
「……!?」
その光景を、意識を取り戻した戒が世羅の膝の上で呆然と眺める。
「我は陽に仕えしもの。
ラシメールの理と名のもとに、熱き糸を紡ぐべし…」
「其れはもっとも熱く…」
「其れより熱きものは無し…」
三人。
全く同時の詠唱。
「《炎・光》!!」
そして全く同じタイミングで放たれる、赤き光の一線。
それは三人が立った、正三角の真ん中に位置した凶獣を照らし。
その焦点の赤い炎は、青い炎と変わる。
眩い閃光。
視界が白く覆われたかと思うと、次の瞬間には甲羅を残して、吹き上がる蒸気。
全ての植物と肉は、灰となって散った。
「……消えちゃった…。」
その場にへたりこむ世羅。
「蒸発……させたのか…?」
バーグがゆっくりと剣を降ろした。
ザナナは無言で槍を自分の肩に倒す。
「あっはっはは……はぁはぁ……。
どやっ?
あたしは無敵や!!!」
息を切らせながら叫ぶシャロン。
駆け寄ってくる二人を迎える。
「……お嬢…。 無理はこれっきりで勘弁だぁ……。」
「こんな……危険な…こと…」
「やかましわ! ……ボケェ!!
ここで目立たな!!」
わあ、とシャロンは一度声を上げてから向こうの四人に悟られぬよう、声を抑えてゆっくりと呟く。
「…言うたやろ。
夢と希望はこの旗の下に…」
そして彼女が青い布を取り出すと、二人は嬉しそうに笑顔を見せた。
「そしていつか……『青』が赤よりも熱いということを証明したるってな……」
少し雄弁なのは、利害を計算していたと自分自身に言い聞かせるためだったのかもしれない。
「だから別に……他人のためやのうて……。
これは、あたしらのためため…」
だが屋敷の方向から近付いてくる人影に気付くと、彼女はそれ以上何も語らなかった。
◆ ◆
問題の地点に近付くにつれ、状況の輪郭が見えてくる。
大地は滅茶苦茶に裂け、無残な状態。
不安で仕方の無いフィンデルが、リ・オン達に先んじて現場に駆けつける。
「―――?」
まず目に付いたのは、三人組。
奇抜な青い服装に暫し気をとられ、相手ともただただ、彼女と目線を交わすことしか出来なかった。
そして鼻腔に感じるのは、焼けた、胸の悪くなるような匂い。
凶獣の図体から噴き出ているドス黒い煙が、夜の空に紛れていく。
それを目で追いながら、ふと彼女は前を向いた。
視界の奥で少女と会う。
―――再び会う。
「……フィンデル…?」
その少女は呟いた。
「……世羅…ちゃん?」
気が付くと、飛んで抱きついてくる少女をフィンデルは胸で包んでいた。
やがて感覚に追いついてくる、温かい思い。
抱きしめた腕に力がこもる。
「頑張ったのね……みんな…」
世羅のすすだらけの顔を指で拭ってやり、遠くを見詰める。
破れた着物を纏い直す豹頭の男。
疲れ果て、地に寝そべるバーグ。
それらを目にして、彼女は思わず頬を緩めた。
「……戒くん…。」
片腕を、彼のために開けるフィンデル。
「……よせ…」
ゆっくりと歩み寄ってきた彼は、照れくさそうに苦笑して通り過ぎる。
「…彼等が……彼女の言っていた仲間ですか……。
この森を…徒歩で抜けてくるとは……。」
フィンデルの後方から、無残に破壊された森の様子を眺めるジン。
「……父上?」
しかし傍らのリ・オンの視線は、フィンデルの抱いた少女に注がれていた。
開いた目に、煙が染みた。
「…世羅……世羅だと?」
手袋が強く鳴る。
過去などを語ったからだろうか。
どこかデジャヴにも似た、邂逅。
遠く過ぎ去ったはずの時間を、リ・オン=サイアは強く思い返していた。
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第二章
第二話 『赤より熱き青』
了
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