5話-怠惰のヴィラン-
視界が開けてきた。飛び込んでくるのは緑につぐ緑だ。
種のるつぼと言われるだけあって何の生物の鳴き声かも足音かもわからない音が響く。
緑をすり潰した匂いが濃く、むせ返りそうになりながらも歩いた。
どれだけ探ってみても、あいつらや他のヒーローの気配はしなかった。
そのまま足を進め、水場にまで辿り着くと先刻感じた気配に遭遇する。
ヴィランだ。自然区としてこの島に手を加えることや長期滞在することは許されない。必然犯罪者たちが身を潜めるのに適していると勘違いして侵入してくる例が立たないそうだ。
しかしその末路は。
「ぎゃあぁぁぁぁ――」
ヴィランが水柱を立てたと思ったその矢先、背中から浮いてきた。
そして間もなく大型の魚が二匹水面に跳ね上がり、着水すると同時にヴィランの肉を削いていく。
三回も繰り返されればそのヴィランはもう跡形もない。
ヒーローから逃れるようにしてここにやって来る程度のヴィランに、ここでの生活は過酷だろう。
水鏡に合流すれば水に困ることはなくなるし、マサトに合流すれば火が起こせる。
華に合流すれば安全な寝床を確保できるし、白藤に合流出来れば食事に困らない。
各々が考えるのはそんなところだろう。
一週間と言われているが、正直島から脱出して学園まで泳いで行けば今日中には帰れるはずだ。あいつらだって一週間はかからないだろう。
帰ってもいいが、Mr.ジャスティスの思惑が何なのか、それだけが問題だ。
「うおぉぉぉぉ! 大地見つけたぁぁ!」
木の蔓を何かの遊具みたいに使って移動しているサル、もといマサトだった。
どうやら好調らしく、気配を掴み損ねたようだ。
「早いね。Mr.が何を期待しているのかわからないしまだ合流しない方がいいんじゃないかな?」
「ん? そうなのか?」
「たぶんね。Mr.は俺たちの生存能力を試したいのかもしれない」
「マジか。よし、俺は誰とも会わなかったし見なかった」
それだけ言い残すと、来た時と同じようにしてマサトが退場していく。
「ひぃーゃっほう!」
活き活きとしていて楽しそうだ。
帰るか残るか答えの出ない問題を悩んでいても仕方がなかった。
水際まで寄ると、水中から殺気が漂って来る。気づかない振りをして指を入れればすぐにでも先ほどヴィランを襲った魚が姿を現すだろう。
案の定指を入れた瞬間それは飛び出して来た。飛び出しはしてきたが所詮は魚だ。
頭を落としてしまえば後は攻撃の術を失くし、ただの食糧と化す。
生で食べるとあまり美味しくない種だ。凝着すればすぐにでも火は起こせるが、他の皆に見つかると面倒になる。
火で炙り始めると、周囲の野生生物の気配が濃くなってきた。
どうやら俺の行動は軽率だったらしい。一つ勉強になった。
「大地、この辺りの奴らは火を恐れないみたいだぞ」
「皆案外近くに飛ばされたのかな?」
マサトから間髪空けずに水鏡だ。
「どうだろうな。俺たちに取ってはこの島は別に広くも何ともないからな」
端から端まで走って十数分。そう思えば確かに狭い。
「そう言えば雄叫びを上げているバカとは合流しなかったのか?」
「なんだ、水鏡も会ってたんだ。そっちはどうして合流しなかったの?」
「あいつは俺を水筒か何かだと錯覚しているみたいだったからな、野生に帰れと言ったらその気になったみたいだ。あいつがヒーローになった暁には間違いなくレンジャーになるだろうな」
どうやら合流こそすれ、すぐに別れたということのようだ。
「同感。それにしても水筒扱いされたならお返しにライター扱いしてやれば良かったじゃないか」
「集めた食糧焦がされたよ」
肩を竦めた水鏡の顔には笑みが浮かんでいる。
「それは災難だったね。こっちの番か、俺はこれがMr.からの試験だったらまずいなと思ってさ」
「なるほど。生存能力辺りか。だけどそれは違うと思うぞ大地。Mr.から見て俺たちは種のるつぼに飲み込まれるほど脆弱な存在に映っていると思うか?」
ない。やはりこの程度の言い訳で引き下がるのはマサトくらいだったようだ。
「じゃあなんなんだろうな?」
俺の問いに答えたのは、しわがれた声だった。
「――お前たちを守ろうとしたんだろうさ」
ヴィランだ。だけど、ただのヴィランじゃない。これまで見たどのヴィランよりも格が上だろう。
額から一本の短い角が生えている。その角からヴィランの力が溢れていた。
「お互い間者を行き来させていたとはのう。くく、だが我らの勝ちだ」
「何者だ」
水鏡の声に緊張が混じる。
「怠惰のヴィラン。貴様らがヴィランと呼ぶ者共の七柱よ」
「七柱? いつの間にヴィランは組織を立ち上げたんだ?」
時間稼ぎのつもりだろう。水鏡から見ればこいつは戦っちゃいけない相手だ。
「そう怯えるな。全てを教えてやる。冥土の土産に持って行け」
水鏡に肯いてやる。くれるというのなら情報を貰っておくに越したことはない。
「さて、何から話したものか。我は武人がゆえ、口は上手く動かぬ」
瞬間、ヴィランが角を引き抜いた。角が持ち手に細剣となり、それが振るわれる。
剣の腹を蹴り飛ばすと、ヴィランは口端を吊り上げて見せた。
「くく、やるじゃないか。なるほど、これが彼奴の秘蔵っ子共か。だが、随分と差がある」
歯軋りの音が俺の隣でした。
「冥土の土産をくれるんじゃなかったの?」
俺が防がなかったら水鏡は大怪我をしていただろう。
戦闘能力を奪ってから長々話つもりだったと言われればそこまでだけど。
「いや、すまない。どうも候補といえ、ヒーローを見ていて腹立たしくなるのは避けられないようだ。しかしこの分だと学園の方は既に火の海に沈んでおるかのう――くく。いや、貴様ら以外の三人も既に始末が済んでおるかもしれんなあ」
「学園にはMr.がいるけど?」
目の前のヴィランはかなり強い。七柱と言ったから最多でこいつ程度の力を持つ六人を相手にしているだろう。けど、それでもMr.ジャスティスが敗北を喫する姿は想像出来ない。
それに白藤、華、マサトだってこの短時間でやられる奴らじゃない。
「ジャスティスか……彼奴の時代は間もなく終わりを迎える。そして間もなくリ・ジャスティス様の時代が幕を開けるのだ」
「リ・ジャスティス?」
「そうだ。我らが首領にして最高のヒーローだ」
「ヒーローだと? 俺たちの中に裏切り者がいるとでもいうつもりか? ありえない」
認められるか。認めたくない。そんな水鏡の目だ。
俺としてはいてもおかしくはないだろうくらいの心境だ。それよりも今こいつの口から確実にヴィランが組織を立ち上げたことが語られた。最近多かったヴィランの組織だった行動は、そうではなく組織としての行動だったらしい。
しかし最高のヒーローの意味がわからない。そう呼ばれたヒーローは十年前に亡くなってしまった。
「レディ・ジャスティスは十年前に亡くなったよ」
「ほう、貴様若いのによく彼女の名を知っているな」
忘れる訳はない。彼女が、僕の認めた最後のヒーローなのだから。
「そうだ、かのBランクヒーローは死んだ――我だ。そうか、ならばこちらも終わらせよう」
話の途中で、ヴィランが人間であれば耳があるだろう場所に手を当て、それから殺気を強めた。
終わらせる。残念ながら土産話はここまでのようだ。
「すまないが、事情が変わった。土産なしで三途の川を渡って頂こう」
ヴィランの攻めの気配に水鏡を蹴り飛ばすと、縦横無尽にヴィランの剣が俺の前で振るわれた。
かなりの速度だ。白藤なら何とか防げるかもしれないが他の奴らは変身しないと辛いだろう。
「やるな、やりおる! だがこれでどうかのう、凝着!」
黒いゴム状の物に包まれ、あとには物々しいスーツ姿へと姿を変えたヴィランの角は側頭部から二本、額に一本の計三本にその数を増している。
側頭部の角を共に抜くと、やはり先ほどの角と同様に剣になっていた。
「倍だ。次は防げるかのう?」
「子供の理屈だ」
剣が増えれば手数が増える。持った武器の数だけ強くなれると。
「言うではないか!」
振るわれた両腕を掴み、押し合う。
「貴様、生身でこの力、恐ろしいな。貴様よりも強いヒーロー候補はどれだけいる?」
「一応、主席だけど」
「そうか、安心した。ならばこれで任務完了だ!」
額の角が、ゆっくりと伸びる。実際には一瞬だけど、俺の目にはゆっくりと映った。
侮って、油断した。でも、それでもこの角は避けられる。問題はこの角がどこまで届くのかだ。
射出なら射程距離は。伸びるだけでもその長さは。そもそも軌道は真っ直ぐか。
俺じゃない。俺以外の誰かに害が出る可能性が心配なんだ。もっと言うと、減点が怖い。
「ぐが!」
ヴィランの額の角が、根本から欠け、その伸長が止まった。
「ハッハー! さすがだ№1! こちらは誰も傷ついていないじゃないか!」
その声に遅れて、大震動。草が、土が舞い、それが晴れた時、その姿が現れる。
筋骨隆々のその肉体にぴったりと張り付いたコスチューム。救助者を保護するためにあらゆる防性能を組み込んだせいでバカみたいに重くなったマント。使い捨てと揶揄されるほど酷使されるブーツ。
それら全てが一番似合う男と言われている。それがMr.ジャスティスだ。




