24話-過去・3-
いつの間にか意識を失っていたみたいだ。
目は覚めても何がどうなって自分が生きているのかもわからない。
「雫?」
返事がない。真っ暗闇の中だったけれど、それでも雫を抱きしめていることはわかっている。
なのに、返事がない。
「雫!」
叫んだら、背中が痛んだ。でも痛いから何だって言うんだ。
「雫!」
光だ。光が差し込んできた。
「大地君、そこにいるの?」
「いる! 雫もここにいる! だけど返事をしないんだ!」
ひときわ背中を痛ませた。
「わかった。今助ける! 誰か手伝って――」
「行くな!」
レディ・ジャスティスの声に、誰かの声が重なった。
険しいその声は、聞いたやつの反論する気を奪う。それくらい強い声だ。
「今ヴィラン帝を逃したら何万もの犠牲が出る」
「子供が二人生き埋めになってるんですよ!? それにヴィランを殴り飛ばし続けてこのビルを倒壊させたのはあなたでしょう!」
「同じ問答をさせないでくれたまえ。ヴィラン帝を逃したらより多くの犠牲が出る」
「このっ、クソ爺--わかりました。皆さんは行ってください。ここは私が引き受けます」
誰かが食い下がろうとした気配が伝わってきた。だけど、結局その誰かは場を離れるように足音を立てる。
「君が治療をしないことで死ぬヒーローたちが出るだろう」
「死ぬ覚悟のないヒーロー何ていないでしょう」
「理想論だ。そして本当に死ぬ覚悟を持った勇敢かつ優秀なヒーローから犠牲は出る」
レディ・ジャスティスを残して、その場から人の気配がなくなった。
「ごめんね、今助けるから」
非戦闘員と言っていた。だからだろう、ヒーローが助けに来てくれたにしてはもの凄くゆっくりと光が強くなっていく。
「雫、すぐに親父のところに連れて行ってやるからな」
親父ならどんな怪我だって治してくれる。今雫がどんな怪我をしてるかわからないけど、関係ない。
そしてようやく俺たちは外に引っ張り出された。
「なんだよ、これ」
商店街は瓦礫の山になっていて、燃えている。
赤い光で空が覆われていて、まるで夕方みたいだった。
はっとなって雫を見ると、たくさん血が出ていた。
確かに雫を庇ったはずなのに、どうしてだか俺よりも雫の方が重傷だ。
「なん、で、だよ」
「大丈夫、大地君。雫ちゃんを貸して」
身体は動かなかった。だからレディ・ジャスティスが勝手に雫を俺から離す。
でも非難する気が起きない。
そのうちレディ・ジャスティスから暖かい光が零れ始める。
雫の血が止まり、そして少しだけ血色も良くなった。
「大丈夫だよ、私は回復役なの。ゲームとか、する?」
RPGでいうヒーラーだと、言いたいのだろう。
現実にこんな人がいるんだ。そう思うと嬉しさで泣けてきた。
「ありがとう」
「どういたしまし――」
レディ・ジャスティスが俺の背後へと視線を向け、固まる。
「うそ、でしょ」
「これはこれは、レディ・ジャスティス殿。お一人ですかな?」
ミイラ、即身仏。どっちがより相応しいだろうか。
そんな形をしているくせに、それはゆっくりと歩いている。
小さな骸骨で出来たネックレスが不気味にかたかた揺れている。
「Mr.は何してるのよ……」
「彼なら今頃Sランクヒーローたちを相手にしているでしょうねえ、ヴィランの芽を取り除く方法がないかと考えながら。ないんですよねえ残念ながら」
ミイラが小枝みたいな腕を上げ、つまようじのような指をレディ・ジャスティスに向けた。
「あなたの能力はとてもありがたい。さああなたにもヴィランの芽を植えてあげましょう。けひっ」
こんな嫌な笑い顔、見たことがなかった。
どんな奴だって笑えばいい顔になるものだと思っていた。
その笑顔には、嫌悪感しか覚えない。
「さようなら、レディ・ジャスティス」
「ヴィラン帝が出――」
レディ・ジャスティスが叫びだしたその瞬間。
ミイラの指先から何かの肉片のような、鋭い気持ちの悪い物がレディ・ジャスティスの胸元に刺さった。
それは意思を持っているようで、根っこみたいな尻尾を激しく揺らしながらレディ・ジャスティスに沈み込んでいく。
釣り上げられた魚みたいにのたうちまわるレディ・ジャスティスを見て、身体が冷えて行く。
親父の言葉が頭の中で再生された。
『激情にあってなお鈍らず? まあ出来ることをやれってこった』
落ち着け。芋ほりと一緒だ。
自然薯だって折らずに掘れた。
手を伸ばし、生暖かい根っこを掴んだ。それでもそれはレディ・ジャスティスに入り込もうとするのを止めなかった。
振動が伝わる。レディ・ジャスティスに深く入り込んでいるのが伝わった。
それでも出来る。確信を持った俺はそれを一気に引っこ抜き、地面に叩き落とし、踏みつぶす。
肉片は何度か痙攣し、そして土塊となった。
「けひっ、けひっ、けひひひ。初めてみたよ、そんな芸当」
鳥肌が収まらない。
レディ・ジャスティスは泡を吹いたまま横たわっている。
だけどその手から光が生まれていた。回復しているのだろう。
なら、その時間を稼ぐ。
「なんだよ、現界人の子供でも出来ることがヴィランには出来ないのかよ?」
「けひひ、耳が痛いねえ。将来有望な現界人もいたものだね、君もヴィランにしてあげよう」
指先からまた肉片が生まれた。
何度でも出せるみたいだ。卑怯者。
レディ・ジャスティスにも避けられなかったそれだ、俺には到底避けられないだろう。
目を逸らしたつもりはなかった。だけど気付いた時にはそれが簡単に俺の胸を貫く。
それと同時、自分の何かががりがり書き換えられていくような嫌な感じと、それに伴う痛みが生まれる。
「が、ああ、があががが」
叫ばずにはいられない。余りの痛みにどうにかなってしまいそうだった。
「けひひ、痛いでしょう、辛いでしょう、みっともないですねえ」
悔しい。あんなのの思うがまま、みっともなく叫ばされて。雫だって近くにいるのに。
そうだ、それに手だって放してしまった。本当に俺はダメな奴だ。
「大ちゃん、は、カッコいいもん。大人になったら、世界一カッコよくもなる。みっともなくなんか、ない! 神衣憑依」
身体が暖かいものに包まれた感じがして、痛みが一瞬にしてなくなった。
だけど身体は満足に動いてくれない。
「けひっ、けひっ、けひひひ。今日はなんという日だろう! 君か、君が!」
四苦八苦しながら首から上だけは動かせた。
すごく綺麗で、すごく可愛い。たぶん、世界一似合ってる。
雫はヒーローみたいな恰好になっていた。ただその雫が膝を着く。
「だめ、雫ちゃん。あなたはまだ血が足りてない。無理しないでお願い、Mr.ジャスティスを呼んで」
掠れるような声でレディ・ジャスティスが懇願している。
「ごめんなさい、小春さん。おじさんから、誰にも見られるなって言われてるの」
顔は青白くて、嫌な汗をかいてる。
でもその目と服はキラキラと光ってて。
「空間を、なんだろうねえ。そうか、空間と空間の繋がりを断っているのかな? けひっ、なるほどねえ。少年からヴィランの芽を取り出したのは――うん、すごい、すごいねえ。これがこの世界に伝わるヒーローの力か。欲しい」
ミイラの洞のようになった目に、さらに深く闇が浮かんだ。
ミイラの五本指全てから肉片が生まれる。
身体が怠い。だけど雫にあんな痛みは与えたくない。
雫の服が強く輝きを放ったが、何かが起こる前に倒れた。
「雫ちゃん」
レディ・ジャスティスが弱々しく呟く。
風景が一気に流れた。雫の姿がどんどん近くなってくる。
雫を抱き起すと強く手を握られた。
雫の服が元の服に戻る。変身みたいなのをし続ける体力がなくなったのかもしれない。
「けひひ。何故立てるんですかねえ。君も面白い。現界人のヒーロー共々ヴィランにしてあげましょう」
黙ってろ。今、雫が何か言ってるんだ。
「ごめんね、私、まだこの力上手く使えないの」
「嘘吐け、お前が助けてくれたんだろ、さっきの」
「必死、だったからね。まぐれだよ」
「知らねえのか、本番で上手く出来ることってのは実力何だぜ」
雫の呼吸がおかしい。汗のかき方も異常だ。
早く親父のところに連れて行かないと。
「大ちゃん、私ね、おじさんカッコいいと思ってる」
「ああ知ってるよ。でもお前は親父とは結婚出来ないからな。俺とするんだよ」
「私と結婚したいならおじさんよりもカッコいいって思わせてくれてからかなあ」
よし、待ってろ。今すぐ達成してやるから。そう唇を歪めてやった。
「Mr.ジャス――」
肉片が全部俺に刺さった。
気が狂いそうなほど痛い。だけど、俺は笑ってやった。
「Mr.ジャスティスぅぅ! ここだぁぁぁ!」
重そうな何かが飛来して、周囲の瓦礫を吹っ飛ばす。
「やあ、ヴィラン帝。こんなところにいたのか」
「ジャス、ティス……」
ミイラが一歩身を引いた瞬間、Mr.ジャスティスが迫り、そのまま戦闘が開始された。
二人は見る間に姿が見えなくなるほど遠ざかる。
「だから、大ちゃんとは結婚出来ないかなあ」
「雫?」
その目からは光が見えなかった。そして身体からは七色の光が生まれている。
「大ちゃんはきっと、私よりも、ずっとずっと素敵な……ごふっ」
「なんだよ、これ、どういうことだよ」
肉片の痛みが全くなくなってる。
そのかわりに雫の容体がさらに悪化してた。
血を吐き出し、瞬きも忘れたようにこちらを見ている。
「だから私のことは忘れて。楽しく、生きて」
雫の身体から生まれている七色の光がじわじわと俺の身体を包む。
七色の光が全部俺に飲み込まれた。
「雫!」
「大地君、雫ちゃんをこっちに」
レディ・ジャスティスも劣らず酷い顔色をしている。
だけど気遣う余裕は俺にはなかった。
「お願い、雫を、助けて」
雫を抱き上げ、レディ・ジャスティスのところまで運ぶ。
妙に重い。だけど不安になるような軽さもあった。
怖い。
レディ・ジャスティスの顔付きが厳しい。
レディ・ジャスティスの手から生まれる光は強く輝いているのに、雫の顔色に変化は起こらなかった。
この瞬間、雫を守れなかった俺は、僕となった。




