Snow-Blood (3)
お妃さまにもきっと葛藤はあったのです。
しかし、心優しいお妃さまの心は、壊れていったのでした。
" そこで、女王さまは、おしまいになにか一つの計略を考えだしました。そしてじぶんの顔を黒くぬって、年よりの小間物屋のような着物をきて、だれにも女王さまとは思えないようになってしまいました。"
グリム作(菊池寛訳)・「グリム 世界名作 白雪姫」光文社 ・2005年2月22日作成・<http://www.aozora.gr.jp/cards/001091/files/42308_17916.html>・2014年12月7日訪問
――7――
その日からお妃さまはお変わりになりました。
表面ではとてもとても美しい、お妃さまのままでしたが、夜、寝間着のままでベランダで編み物をするお妃さまをみた騎士は、震え上がったと言います。
「お妃さまは悪魔に取りつかれたのだろうか」
しかし、お妃さまは今でも変わらず、王様と白雪姫を愛していました。王様には夜風に当たるのは身体に良くないと心配されましたが、お妃さまはその雪のように白い頬にえくぼを作り、若い娘のように目を細めるだけでした。
ある日お妃さまは王様にこう言いました。
「白雪姫のために、あの森に行ってきます」と。
御者も連れず。騎士も連れず、お妃さまはただ行き先だけ告げると、城を後にしました。目的地は森や山をいくつも越えた、白雪姫が暮らす小さな山小屋でした。山を越えるのは、城を出ることがほとんどないお妃さまには骨が折れましたが、彼女は何も言わずに歩き続けました。
家の前につけば、彼女は自分がお妃さまとは分からぬように、老婆のような格好をしてその扉をたたきました。籠の中には白雪姫のために用意した編みひもがありました。
実はお妃さま、白雪姫への懺悔の為、編みひもをプレゼントしようとやってきただけでした。白雪姫がたとえ自分よりも美しいとはいっても、愛する娘です。彼女が元気な様子を一目見て、編みひもを渡して帰るつもりだったのです。しかし、扉を開いた白雪姫が、更に美しくなっていることに気づくと、彼女は心の中にはびこる嫉妬心を押さえられなくなったのでした。
「良い品物がありますが、いかがです?」
お妃さまが尋ねると、白雪姫は扉を更に開けて、何がありますの?と可愛らしい声で答えました。
あぁ、なんと美しい我が娘。宝石などで飾り立てなくてもその美しさは世界一。
お妃さまは心の底からそう思い、そしてわずらわしいと思いました。そもそも白雪姫は、城や城下には、死んだことになっているのです。今ここで彼女が死んでも、誰も気づかないでしょう。
「上等な品です。締め紐を仕入れましたので、ぜひお嬢さんに」
「あら、それはとても綺麗だわ」
白雪姫が品をとり、お金を払おうとすると、お妃はお代は要らないと笑いました。白雪姫はその後、お妃さまが変装している老婆にその締め紐を結んでもらうことにしました。後ろを向いたその雪のように色の白い、美しい首筋に、お妃さまはひとおもいに紐を結び付け、力強く締めました。
息ができずに倒れ込んだ白雪姫を見ると、お妃さまはぶるぶると震えました。しかし心の中の嫉妬心とやらは彼女にこう呟かせたのです。
「さぁこれで私が、世界一美しい女になったのです」と。
――8――
しかし城に帰って鏡に聞けば、再びこう答えるではありませんか。
「お妃さま、やはり貴女さまはお美しい。それでも世界一美しいのは白雪姫さまです」
お妃さまは震え上がりました。白雪姫は生きていたのです!
本当は、心優しいお妃さまの心は喜びにうち震えていました、我が娘を手に掛けることにならなかったのですから。でも今のお妃さまは、既に嫉妬心に支配されていました、鏡に自分は2番目だと言われたことで、彼女は怒り狂っていたのです。
お妃さまは妬ましいという感情のままに動きました。ふたたび白雪姫が亡くなった森に行くと1人城を出た彼女は、毒の付いた櫛で、再び白雪姫に襲いかかりました。毒で気を失った白雪姫が崩れ落ちたのを見て、お妃さまは歯を見せて笑いました。
既に彼女の心優しいお妃さまは、嫉妬に狂ったお妃さまに負けてしまったのです。
「我が娘、白雪姫。いくらあなたでももうかなわないでしょう」
お妃さまの狂ったような笑いが、山に響いたのでした。
それでも白雪姫は生きていました。
「鏡や鏡、世界で一番美しいのは、今は、私よね?」
「いいえお妃さま。貴女さまは世界で2番目に美しい。1番美しいのは貴女さまの娘、白雪姫さまにございます」
「白雪姫……まだしぶとく生きているのね。もう、何があっても殺してやる」
夜、お妃さまは鏡の前で、それはそれは大きな声で強く宣言したのです。嫉妬心に支配された彼女は気づきませんでした。そんな寝室の前に王様がいて、そんな彼女の話を聞いていたことなど。
――9――
お妃さまは笑わなくなりました。そして王様とも目を合わせなくなりました。王様もお妃さまを見る時は、怪しむようになりました。お妃さまは気づいていませんが、王様はお妃さまがいつ森に行くと言いださないか、と待っていました。
お妃さまはある日、何も言うことなく城から出ていきます。獣が息を潜める森を抜け、川を渡り、底なし沼に落ちぬように歩き、そしていくつも山を越えました。手にしたかごにはいっぱいのリンゴが入っています。
既に白雪姫は、2度も死にかけています。同じ小屋に住む7人からはきつく窓も扉も開けてはいけないと言われていましたが、お妃さまは白雪姫の母親です。彼女はリンゴが大好きなのを知っていたからこそ、彼女の前にリンゴを持って現れたのでした。とても赤くておいしそうなリンゴをお妃さまが食べてみせると、白雪姫は耐えられずに窓を開けました。
「あぁよかった。このりんごは今捨てようと思っていたのですよ」
お妃さまは嘘をつきました。
「でも私、誰からどんなものももらっちゃいけないと言われているの」
「ならこうしましょう。私がこのリンゴの半分を食べるから、貴女はこちらの綺麗な方を食べなさい。それなら問題ないでしょう?」
お妃さまはそういうと、リンゴを一口かじりました。それを見た白雪姫も彼女にならい齧ります。すると白雪姫はお妃さまのその毒りんごにあてられてしまったようで、あっという間に息絶えてしまいました。お妃さまはその姿をただ見つめていましたが、その顔には恐ろしい魔女のような笑みが浮かんでいます。
「今度こそ、私の美しい娘はおしまい。あの7人にだって助けることはできないでしょう!」
お妃さまはこうして、あの日森の中で終わらせることのできなかった白雪姫の命を、自らの手で摘み取ったのでした。彼女の中にはもう罪悪感などありません。ただ鏡の前で唱えれば、正直者はこう答えます。
「お妃さま、貴女さまは今、この世のものの中で一番美しいのでございます」
お妃さまは満足でした。その瞳は再び愛の色を取り戻し、王様への日課のキスも忘れることはありません。一度は人形のように空っぽだったお妃さまが再び明るい笑顔を取り戻したことを、民はとても都合よく解釈していました。
「お妃さまは白雪姫さまが亡くなってからずっと悲しみで心を失っておられた」
「やっとお妃さまはお心を取り戻しになられた」
お妃さまが心を取り戻したのは本当でした。でもそれは、醜い嫉妬心を隠した、それはそれはもう醜い、魔女のような心でした。それでもまだ王様を深く愛していたお妃さまは、王様の為に日々その美貌を保ち続けようとしたのでした。
次で完結です。第十話は長めになっています。
後書きでこの物語の全貌といいますでしょうか、白雪姫の解説を簡単にさせていただくつもりです。