Snow-Blood (2)
きっかけは、正直すぎる鏡の言葉だったのです。
"「鏡や、鏡、壁にかかっている鏡よ。
国じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」
すると、鏡は答えていいました。
「女王じょおうさま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。
けれども、白雪姫しらゆきひめは、千ばいもうつくしい。」
女王さまは、このことをおききになると、びっくりして、ねたましくなって、顔色を黄いろくしたり、青くしたりなさいました。"
グリム作(菊池寛訳)・「グリム 世界名作 白雪姫」光文社(青空文庫) ・2005年2月22日作成・<http://www.aozora.gr.jp/cards/001091/files/42308_17916.html>・2014年12月7日訪問
――4――
あの夜からというもの、お妃さまは王様の横で寝ることはなくなりました。すると王様はお妃さまが離れれば離れるほど白雪姫を可愛がるようになりました。王様はいつも白雪姫のその頬に手を添えてこう言います。
「白雪姫よ、お前は私の唯一なのだ」と。
白雪姫はその言葉の意味がよくわかりませんでしたが、遠くで冬支度のために縫物をするお妃さまには、針を指に突き刺すよりも酷く、鋭く言葉が心に突き刺さるのでした。
私も王様を愛しているというのに。
私もいつも、美しくあろうとしているのに。
どうして王様は私を見てくれないのですか。
お妃さまは毎晩、月に悪態をつきました。
私は白雪姫のように美しいとは言っていただけないのですか。
どうして私の娘は、私よりも美しいのでしょうか。
お妃さまの心は、少しずつ、雲に隠されてしまう月のように、曇っていってしまったのです。
白雪姫が生まれて7年目の冬が過ぎた春。8歳の誕生日を間近に控えた白雪姫を見るお妃さまの目は冷たく、それはまるで既にとけたはずの雪のごとき冷やかさをたたえていました。
お妃さまは相変わらず白雪姫を、そして王様を心の底から愛しています。でも、彼女の心は少しずつ、寂しいと悲鳴をあげるようになっていました。
鏡に自分の美貌を尋ねれば、白雪姫をほめたたえる。
王様に自分の美貌を、妃としての役目を聞けば、何も言わないか、あるいは白雪姫をまた褒める。
お妃さまはそれはそれは美しく、心優しい人でした。
愛を知り、深く深くその愛を民に与えていた、国の母のような存在でした。
しかしそれは、白雪姫がその美しさに磨きをかけるにつれ、崩れていくのです。
時が経ち、白雪姫は本当に美しい、心優しい娘になっていました。
そのころ民はお妃さまの目を見てこう言うようになりました。
「まるで人形のようだ」
「あぁ、お妃さまから心が抜けてしまったような、そんな瞳をしている」
民のいう言葉はまさにその通りでした。
朝一番に王様にキスをすることもなく、鏡に問いかけるお妃さまの声は次第に低くなり、唸るように聞こえます。毎朝髪を梳いてもらおうとやってくる白雪姫はある日、お妃さまが恐ろしい形相で彼女をにらんでいるのを見てしまいました。
「お母さま……一体、どうなさったのですか?」
「白雪姫」
「はい?」
「貴女は誰よりも美しい、私の愛する娘なのです」
その言葉は魔女のような危険な音を潜ませた、一言だったのです。お妃さまはこの日、決めていました。愛しているがゆえに、王様と白雪姫を心の底から愛しすぎたがために、お妃さまは決めたのです。
「美しい物語は、美しく終わらせなければならないのですよ」
――5――
お妃さまは王様が隣の国にいかなければならなくなったその日に、白雪姫を馬車に乗せ、暗いくらい森へと行くように、御者に言いました。そして御者は不思議に思いながらも馬車を進めました。もう馬がはいることはできない、深い森の中に着いた時、お妃さまは白雪姫に言いました。それはそれはとても、悲しそうで、でも美しい声で言いました。
「私の愛する娘、白雪姫」
「はい、お母さま」
「私の為に、あの茂みに生えている花を摘んできてくれないかしら。貴女のお父様はもうお城に戻ってきているから、お土産にしたいと思うのよ」
「はい! お母さま」
白雪姫が馬車を飛び出し花の咲いた茂みに向かうのを見て、お妃さんは御者に命じます。
「行きなさい」
「でも」
「早く!」
白雪姫がそれに気が付き大声をあげているのが聞こえましたが、お妃さまはその馬車の窓から覗くこともなく、目を閉じ、城に着くまでじっとしていたのでした。
「白雪姫が森の中で死んだ?」
「さようでございます……王様」
その日の食卓は、いつもなら白雪姫、王様、そしてお妃さまの3人で取るはずのものでしたが、そこに白雪姫はいません。お妃さまは悲しげにハンカチに付いた赤い血を見せ、白雪姫の物だと言いました。王様は悲しみと驚きで真っ青な顔になり、そんな彼を支えたのはお妃さまでした。
「王様、私たちの愛する娘は、私などという母を庇って森の中で……」
お妃さまの心は悲しみでいっぱいでした、本当に白雪姫がいないことを悲しんでいたのです。あの深い森に置きざりにした白雪姫、暗くなってから自分のやってしまったことに深く深く後悔しているのです。御者に再び森に戻るように言いましたが、彼は夜の森は危険だと、お妃さまを行かせようとはしなかったのでした。
深いあの森の夜は、獣が多く出ると王様も知っています。そしてお妃さまもそれを知っているからこそ、美しい白雪姫は死んだと思いました。あの森の中、一晩もあれば獣は彼女を捕まえて八つ裂きにしてしまうでしょうから!
――6――
白雪姫がいなくなった夜、お妃さまは王様の横で眠りました。
鏡に尋ねることはありません。
お妃さまも深い深い悲しみで、胸が張り裂けそうだったからです。
「我が妃よ」
「なんでしょうか、王様」
「そなたはやはり美しい」
白雪姫を失った悲しみの中、お妃さまは倒れそうになる王様を強く支えたのです。そのお妃さまの美貌を久しぶりに見た王様は、改めてお妃さまの美しさに気づかれたのでした。
「王様、私は白雪姫も、王様の事も心の底から愛しております」
「私も愛しているよ」
眠りについた王様にキスをしたお妃さまは、後悔と悲しみの中、眠りにつきました。
しかしお妃さまの夢の中では、悪魔のような恐ろしい形相をしたお妃さま自身が、高笑いをしていたのです。朝早くに目を覚ました彼女は、自分の顔がそんなに恐ろしいものになってしまったのかと心配し、王様へのキスも忘れ、鏡の前に立ちました。
「鏡や鏡。世界で一番美しいのは、この私よね?」
すると鏡は、不安そうなお妃さまの表情を映し、答えます。
「お妃さま、貴女さまはお美しい、でも一番美しい、心も美しいのは……」
魔法の鏡は森の中、楽しそうに微笑む白雪姫の姿を映し出しました。
「森の奥で暮らす白雪姫さま、ただ一人です」
正直に答えた鏡は、お妃さまがよろめき倒れるのを支えることはできません。金色の髪が床一面に広がった時、王様は目をお覚ましになり、そんなお妃さまに駆け寄りました。
「妃!」
「大丈夫です、王様」
お妃さまの瞳は、まさに民の言うような、心が抜けてしまったように空っぽでした。
青い瞳は、王様すらも見ず、小さい声で呟きました。
「忌まわしい……」
「どうかしたか、妃」
「なんでもございませんわ、王様。失礼いたしました」
立ちあがりさっとドレスのすそを翻したお妃さまは、誰もが悲鳴をあげてしまうほど、それはそれは恐ろしい顔をしていました。そのお顔はまるで、お妃さま自身が夢の中で見た、顔と瓜二つだったのです。
後もう一話、いえ、二話で完結します。
最終話は少し長く、あとがきには自分なりの解釈などを載せたいと思っておりますのでお付き合いいただければ幸いです。
たまご(Someone's egg)