【競演】君の手
【競演】に参加させて頂きました。
お題は「雪」です。
作風を変えてみました。
『お前の手って冷たいのな』
そう言って握ったあなたの手の温もりを覚えている。
あなたの手は熱くて、火傷してしまいそうだった。
ほんの少し触れただけなのに、あなたの熱はわたしの手に長くとどまって、ちょっとやそっとじゃ消えてくれない。
だからわたしは、雪の降る寒い日でもコートなんて着ない。
冷たい空気が、きっとあなたの温もりを忘れさせてくれるはずだから。
「寒くないの?」
歩道橋の上でぼんやりと佇むわたしを見て、男が駆け寄ってきた。
見覚えのある顔。
知ってる。
君は同じクラスのなんとか君。
ごめん。名前を覚えてない。
「寒いよ」
わたしはぶっきらぼうに呟いて、かじかんだ手をブレザーのポケットにしまった。
スカートから覗く素足はきっと真っ赤だろう。
「これ。使って」
そう言って、なんとか君は自分のマフラーをわたしの首にふんわりと巻き付ける。
じわりとしたあたたかさが、わたしの身体をほんの少し包み込む。
「必要ない」
君の優しさは有り難いけど、今のわたしにはいらないお世話。
どんなに寒くても、今は心も身体もそれが必要。
傷ついた心が痛まないように冷凍しておきたいの。
二度と誰かに寄りかからないように。
「ほっといてよ」
ぼそりと呟いてマフラーを突き返す。
わたしはくるりと踵を返して歩道橋を渡りきった。
雪が積もる階段を投げやりに下りていく。
それなのに、なんとか君はわたしのあとを付いてくる。
「何? 何か用?」
歩道橋を降りきったところで、わたしは振り向いた。
出来るだけ迷惑そうな顔で、嫌そうな声で。
なのに、君は言う。戸惑ったようにわたしを見つめて。
「泣いていたように、見えたから」
わたしは慌てて顔をぬぐった。
無意識のうちに泣いていたのだろうか?
けれどそれは、杞憂でしかなかった。
かさついた頬に冷たい手が触れて、わたしはびくりと肩を震わせる。
「泣いてなんか、ない」
強がるように言って、わたしは足早に立ち去る。
それでお終いだったはずなのに、君は黙ってわたしのあとを付いてくる。
わざわざ振り返って文句を言うのも癪だから、わたしは黙って歩き続けた。
ローファーで積もったばかりの雪を蹴散らして。足早に。
なのに、そんなわたしのあとを、君はずっと追いかけてくる。
「一体なんだって言うの?」
わたしは腹が立って振り向いた。
はずだった。
わたしは雪の降る中で動きを止めた。
なんとか君が腕を伸ばして、包む込むようにわたしの身体を抱きしめていたから。
唐突にやってきた人の温もりに、わたしは安堵した。
安堵? 違う。驚愕した。
なんでこんなことするの?
なんて思ってはみるけれど、頭のどこかでは分かっていたんだろう。
恐る恐る振り返って見た、君の目が全てを語っていた。
ずっと気付かないふりをしていたはずなのに、どんなにぞんざいな態度を取っても揺るぎなく真っ直ぐにただ一点だけを見つめていた君の目が、すぐ近くでわたしを見つめている。
君の純粋な視線がただれたわたしの心を見透かしているように。
そんな目でわたしを見ないで。
なんでこんな時に?
だって、わたしはまだ終止符を打ち切れていないのに。
君の体温は曖昧なわたしの心にじわりと染み込んでくる。
突き放して「近寄るな」と言いたい。
腕を回して「そばにいて」と言いたい。
わたしはなんて身勝手なんだろう。
渦巻く二つの想いを知って、わたしは自分に落胆する。
「結局、誰でも良いわけ」
自分へ向けたはずの嘲笑は、しかし、君に突き刺さっていた。
「誰でもいいわけないじゃないか!」
確かな言葉がわたしに降りかかる。
やめてよ。そんなことを言わないで。今まで耐えていたのに、涙が溢れてしまう。
「泣きたいなら、泣けばいいよ。じゃないと心が壊れてしまう」
そう言って君は、わたしの身体をいっそう強く抱きしめた。
痛いくらいに。
息が出来ないくらいに。
けれどその痛みが、わたしには心地よかった。
再びやってきた安堵が、わたしの心を突き動かす。
耐えていたはずの涙がいつのまにかあふれ出して、君のコートを濡らしていく。
なんて格好悪いんだろう。
そんなことを思ったところで、もう取り繕うことなんて出来ない。
わたしは止まりそうもない涙を気の済むまま流し続けた。
正直、心はまだじくじくと血を流して泣いている。失ったものの大きさは、わたしには測ることが出来ない。
その傷を埋めるように、君はわたしの心に雪を降らせる。
雪はやがて傷さえも凍てつかせて、わたしを真っ白に塗り替える。
誰かに染められる前のわたしに。
降り積もった雪の中で凍えるわたしを、君は優しく抱きしめて言うんだろう。
「ずっと、そばにいるよ」
それは魔法の言葉?
それとも甘い誘惑?
どちらでも構わない。
わたしは、君の手をきっと握り返してしまうだろう。
そしたら君は、わたしの隣でずっと笑っていてくれるだろうか? いつまでも変わらずに。
わたしが欲しいものはいつまでも変わらないもの。ただそれだけ。
それがどれだけ自分勝手かってことくらい分かってる。
ねえ、真っ白に降り積もった雪のキャンバスに、君はどんな色を塗ってくれるの?
優しく包み込む薄紅色?
それとも燃えるような赤?
どちらにしても、きっとその色は心地よいに違いない。
だって、わたしは誰にも隠し続けていた心をこんなにも君に暴かれているから。
誰でもいいわけじゃない。
たぶん、君じゃなくちゃいけないんだと思う。
わたしの心は突然現れた君に傾きかけている。まだ、血を流しているというのに。
ねえ、傷ついた心を君は受け取ってくれるの?
「それでもいいよ」と言って、わたしを安心させてくれるの?
君のそばで、この心を癒しても嫌な顔をしない?
君が現れたことは単なる偶然だろうか?
それとも、ずっと前から決まっていた運命?
もしも運命だというのなら、わたしは君に寄りかかってしまうかもしれない。
偶然だとしても、きっと君は凍えるわたしを抱きしめにやって来るんだろうね。
どちらにしても、結果は同じ。
現に今、君はここでこうしてわたしを抱きしめている。
だとしたらわたしは、君になんて言葉を送ったらいいの?
君が喜びそうな言葉を考えてみるけれど、残念ながらわたしには見当も付かない。
だって、わたしたちは出逢ったばかりだから。
ずっとすれ違っていたラインが、今ようやく交わろうとしている。
降り積もる雪は景色を真っ白に染めて、その中心で君の輪郭だけがはっきりと見える。
ひとしきり泣いたわたしは、素知らぬふりをして君の手をそっと握ってみた。
「え?」
頭上から戸惑ったような声が聞こえてきて、君の手が一瞬固まる。
けれどそれはすぐに溶けて、わたしの手を優しく包み込んだ。
少し汗ばむあたたかな手。
凍えるわたしを抱きしめてくれる手。
そっと盗み見ると、君はぎこちなく、けれど嬉しそうに笑っていた。
その笑顔を見ていると、なんだが嬉しくなってくる。
出来れば君には、ずっと笑っていて欲しい。
なんて、そんなのわたしの勝手な願い。
でも、確信めいた予感は既に生まれていた。
わたしはこの笑顔をずっと隣で眺めていくんだろう。
穏やかであたたかな君の隣で。
さようなら、あなた。
痛みを伴う恋は降り積もる雪の中に埋もれていく。
溶け出す頃には、きっとあなたは思い出になっているんだろう。
わたしは君のあたたかな手をきつく握りしめた。
凍えた手が、君の体温に少しずつ溶かされていく。
そしてわたしは、あたたかな君の手に寄り添う。
「ねえ、君の手って、あったかいね」
そっと、囁いた。