初夜。決別。
「人間卒業おめでとう。あなたは立派な吸血鬼よ」
女は欲しいおもちゃが手に入ったときの様な顔で歓迎してくれた。今までの人生でそんなメルヘンチックな話と言うのとは、残念ながらあまり関わりを持っていなかったし、関わる気と言うのも無かったのだが、自分の腕が再生されていくのを見て自分の中に有ったなにかが滑り落ちていくような気がした。
滑り落ちて行く物が絶対俺にとって大切なものだというのは解った。得も言えぬ焦燥感。いや、滑り落ちた物の代わりに何か許容できない物に自分が入っていくのを認めてしまう様で。黙っていたらそれらを受け入れてしまう様な気がして、俺は何でもいいからこの状況を作り出した女を責め立てた。
「…人間卒業って、妙に芝居がかってますね。不安ですか?」
女は「へぇ、それで」と言うと、俺の腕の血を拭き終わったのか、手を離してゆっくりと新しい煙草を取り出してまた火をつけた。
「そのセリフは胡散臭いと言うか予め用意されていた気がします。吸血鬼だって言うだけで良いのに人間卒業なんて普通出てこない。俺にはもうあんたしか居ない様に思わせようとした。多分そんな所を感じます」
「私も同じ事を言われたから出ちゃったのよ」
女は腕を組み、少し恥ずかしそうに言いった。
「その言葉の前に予想が付くでしょうって言いましたね。それはその後の言葉を自分で辿り着いた事にして、その事実を受けてしまう様な状況に追い込もうとしてる。」
しかもそれは成功してる。事実、俺は零れ落ちていく何かを止められないでいる。女は頷きながら足を組み、ゆっくり煙草を吐き出す。
「あなたが言った事は、私が昔に言われて思った事だわ。へぇ案外冷静なのね。」
もう諦めがついてるのかしら、とも聞こえた。
「で、それが何で私が不安って事になるのかしら」
「不安じゃなかったら俺との会話の全てで先手を取る必要がないじゃないですか。」
「何の事かしら? 私は普通にしてただけよ。おかしい所なんてあった?」
そう言って足を組み替える。そして俺は全く意味のない話をしだした。
「初めに俺が起きたのを確認したら部屋を出たでましたよね。俺に考える時間を与える為と危害を加える気が無い事を刷り込む為に。後は、俺が質問に答えて欲しい時と大事な時に腕と足を組んだり煙草をワザとゆっくり吸った後には優しく話しかけてた。話し相手に入り込む時のヤクザが良くやる手法だ」
「よく見てるわね。でも行動が全部癖で話し方が優しいって事で片付かない?」
「それじゃあ煙草とナイフで腕を切る時の説明が付かないんです」
「なんでかしら。別に煙草は好きだし、ナイフは現状を解りやすく説明しただけじゃない?」
女は満足そうな顔で聞き返してきた。出来のいい子供の答えを聞くように。
「煙草が好きかどうかは知りませんけど、その本当にそのペースで吸っているなら俺が寝てる間も吸ってなきゃ可笑しいじゃないですか。この部屋が急に煙草臭くなったのってあなたが俺の前で煙草を吸い始めた時ですから。少なくとも俺が起きるまでは吸って無いです。だから煙草を吸うのはポーズだと思いました」
「そうね、じゃあナイフの方は?」
「初めから俺の腕を切るだけで済むのに、わざわざ自分の腕からやったじゃないですか。そうする事で俺に『俺に説明する為に腕を切ってくれた』って思わせた。それは、俺から信頼感を得る為ですよね。」
話の途中で女は組んでいた足をほどき、少しだけ前のめりになり、話の核心を待っていた。
「俺を飲むような空気を作ってたのも、今後俺を支配できるようにするための躾みたいな物ですよね。まだ解らない事が多すぎて言い切れない事がありますけど、俺との関係を良く作って行くための布石だと思います。」
女はおどけるように少し笑った。
「ちょっと己惚れてるのかな?そんな心理的に上にならなくても、肉体的に強いんだから力で言う事聞かせることが出来るわよ」
わざとらしく背もたれにかかり、困ったように首をかしげるようなポーズをとった。
「憶測ですけど、将来的にそれが出来なくなるんじゃないですか? もしくはそう言う事が出来なくなる可能性がある。それが不安だから俺と仲良くならざるを得ない。」
大事な所が憶測だけど此処が核心だとおもう。今はまだ俺なんか殺せるのに後々に力関係が変わってしまった時に恨まれないようにするために情を持たせる。じゃないと俺を安心させたりさせない。
そこまで聞いて、女は褒めるように喋りはじめた。
「うん。大概は当ってるわ。まあ穴だらけだったりするけど、貰えたヒントだけでそこまで解るなんてやっぱり優秀ね、あなた。」
穴だらけ。そう、結局の所、今何故俺を生かしてくれているのかは解らなかった。
女は見透かしたように続けた。
「言ってる間に自分の頭の中を整理できたでしょう。最後にはあなたが私と同類になる前提の話まででたし。まぁまだ信じ切れてはないでしょうけど。でも思ってたよりいい子だわ、あなた。意図に気付いてからそのレールに乗ったところとかも狡猾。勇気があるのは襲われた時に解ってたけど思ってたより優秀。強いて言えばもう少し頭が悪い方が良かったけど。
いいわ。キープ続行って事で。取りあえず今は死ぬ心配とかしないでいいわよ。」
始めは流れていく何かを守るためだったけど、もうそんな物は消えていて、ただ八つ当たりしてただけだった。けれど、敷かれたレールに気付いた。あまりにも明確なボディランゲージを見せつけられた。
それに気づいてからは、そのレールを間違いなく添わされるだけ。踏み外したら、一度殺されている分、現実的に殺されるかもしれないと恐怖した。圧倒的な敗北感。この女は俺をただ測りで測ってただけなのが悔しかった。
ただ、キープを告げられた俺は女に聞こえない様に少し溜息をついた。取りあえず今は殺される事がなくなった事に安堵した。これだけ色々やって直ぐに殺されると言う事は考えなくてもよさそうだった。
「ねえ君さ、始め本気でナマいってたでしょ」
そうですとは言えずに視線を逸らすことで答えた。
「あの路地で君を選んで殺さなかった事を盾出来るって踏んだから言えたと思うんだけど、それは流石に盾として弱いと思うよ」
思っている事は本当に大概見透かされていた。
ありがとうございました。
よろしければこれからもよろしくお願いします。