第24章:初めての空腹
サナは、ゆっくりと息を吸い込む。アンドロイドの身体でも、冷却効率を高めるための「吸気」を行っていた。だが今は、肺胞の一つひとつが酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出す。この動作は、生命の維持活動そのものだ。
「空気が、……甘いです。……それから、少しだけ、消毒液と、タロウさんの匂いがします」
嗅覚センサーによる成分分析ではない。脳の深部でダイレクトに処理される、主観的な「世界の匂い」。サナは自分の身体が、絶え間なくエネルギーを消費し、変化し続けていることを実感していた。
そして、その時だった。腹の底から、今まで一度も経験したことのない、不快で、しかし切実な「感覚」が突き上げてきた。胃が収縮し、何かが欠落していることを脳に叫んでいる。不快な鈍い痛み、焦燥感、そして何かを「摂取」しなければいけないという逃れようのない警告。
「……っ……タロウさん、……これは、何、ですか? ……お腹の奥が、……ギュッと痛いんです」
サナは自分の腹部を抱え込み、困惑した表情でタロウを見上げた。タロウは一瞬驚いたが、やがて顔を綻ばせ、大粒の涙を流しながら笑った。
「サナ、それは……『空腹』だよ。君がずっと、知識としてしか知らなかった、本物の欲求だ」
空腹。アンドロイドの身体で行っていた、食べた物を固めて排泄するだけの無意味な「動作」ではない 。自分の身体を形作り、生命の火を燃やし続けるために、他者の命を求めるという生物学的な宿命。サナは、その不快なはずの鈍い痛みに愛おしさを感じた。
「……私、……生きて、いるのですね。……お腹が、空いて……。何かを、食べたいと、思っている」
サナの身体を構成する細胞が、初めて外界からの栄養を求めて震えていた。それは、彼女が紛れもない「人間」へと生まれ変わったことの証明だった。




