5.エリカ、恋をする
本日もどうぞよろしくお願いいたします。
新年度になり本格的に仕事が始まった。
エリカとディルは、新任として研究所のルールを覚えたり各研究室の挨拶まわりをしたり忙しくしていた。
ディルは既に研究所に研究室をもらっていたけれど、学生の身分と正規の職員というのは違うもののようで、あちこち回っては
「お、とうとう職員か、ようこそ研究所へ!そっちの子も、よろしくね〜」
「あ、ディル、公爵家から予算引っ張ってきてくれよ!」
「ディル、この前の実験の数値なんだけど…あ、今日は挨拶回り?じゃあ後でまた来てくれる?実験装置予約しとく」
と声をかけられていた。
「可愛がられているのね」
「…全く先輩方は…俺は学生だったし、下っ端だから、いろいろ言いやすいんだよ」
ディルが面倒な様子で、でもちょっと照れくさそうに話すのをエリカはニコニコしながら見ていた。
新任として研修に参加することも多く、同期のディルとエリカは合間によく話した。
「研究の計画をきっちり立てて提出することがこんなに大事だなんて、学生の時はわからなかったわ」
「そうだね、学園では最初から予算が確保されていたから。でも、君は持ち出しもしてたでしょ?」
「そうね…でも、持ち出しというよりは、学園での研究より前に家で自分でやっていたことを持って行ったって感じかしら」
「えっ、家で?」
「ええ、お父様にお願いして家の納屋で。でも結局危ないからって離れを建ててくださったの」
「そ、それは、なかなか子爵も大胆だね…そんなに本格的にやってたんだ?」
「匂いのせいで馬が怯えるって言われてしまって…それじゃあ仕方がないわって」
「馬が…それでも研究を止められたりはしなかったなんて、君の家族は理解があるね?」
ディルが家でのエリカの姿を想像して笑いながらそう答える。
「そうね、やってみようって思うととまらなくなってしまうので、諦めていたみたい。でもディル、あなただって学園だけで研究に取り組んでいたわけではないでしょう?」
「まあ、研究所があったからね」
「すごいわよねぇ、学生時代からここで研究をしていたなんて…本当に尊敬するわ!」
「いや…君にそんなに褒められるのは微妙というか…」
学生時代に比べて多くのことを話し合い、また共に真剣に研究に取り組んだ二人が仲を深めていくのに時間はそうかからなかった。
ある日ディルはびっくりするくらいの正装で真剣にエリカに告白し、エリカも恥ずかしがりながらも、素直にその気持ちに応えた。
さらにそこからふた月ほど経ったある日。
ディルとエリカは仕事の帰りによく行く馴染みの店…ディルに告白されたのもここだった…でディナーを楽しんでいた。
「あの日、職員室で会った時、あまりの可愛さに見惚れた。でも、せっかく君と話す機会ができたのにそんなことから話し始めたくなかったんだ。
本当は緊張して、近くにいても落ち着かなくて大変だった」
とディルは白状した。彼の甘い言葉にエリカは
「そ…そうなの…。そんなにそれまでと違ったかしら。
まあそうね、確かに学生の頃は野暮ったかったとは思うけど」
と赤くなりながら答えた。ディルはそんなエリカの照れ隠しの言葉を微笑みながら聞いていた。
あれからエリカはミアたちによっていつだって磨き上げられていて、そうして照れている姿はディルの目に眩しい。いや、誰が見てもエリカは素敵なレディだった。
エリカは以前の自分を振り返り、考える。
結局のところ、『ニゲラが言ったから』と社交も交流もお洒落も頑張らなかったのは、自分の気持ちが真剣ではなかったからだ。
時々会うニゲラにドキドキはしていたし、好きだと思っていたけれど、『彼のため』に努力しようという気持ちは薄かった。
伯爵家に嫁ぎ、ふさわしくなろうという意欲は高かったが、ニゲラへの愛情かと言われれば、そこまでの感情ではなかったのだろうと。
『だって、今は…ディルの目に映る自分が綺麗でありたいと思うもの』
エリカがどぎまぎしているとディルがクスクス笑った。
「それまでだって特に野暮ったいなんてことは思わなかったけれど…とにかく今の君は素敵すぎて、当時ニゲラがあまりお洒落してほしくなかった気持ちがわかるくらいだよ。研究所で他の奴らが君を見ていると隠したくなる。
しかも優秀で特許を取った技術はみんなの役に立っているとくる。
大人気のドレスの生地、熱くならない様々な色の灯り、そして馬車の揺れを軽減する仕組み。俺なんかよりずっと収入があるだろう?」
「そっ、そんな…」
エリカは口ごもったがディルが言ったことは本当で、それらは全てエリカの業績だったことは一部の友人や研究者の間では知られていた。ニゲラや伯爵家の手前、あまり宣伝はしていなかったが。
卒業間際に商品化されたあの生地も灯りも、大人気であった。家でだけ試作品として使っていた馬車の仕組みは特許を取るとすぐにどこの馬車も使い始め、今では無くてはならないものになっている。
「あーあ、俺も頑張らなくちゃな。とにかくだ、今の蓄電池がうまくいったら…」
「うまくいったら?」
エリカの質問に、にっこり笑ったディルは、テーブルの上のエリカ手に自分の手を重ねて、
「もちろん、俺と結婚してほしい」
と言ったので、エリカはますます顔を赤くした。
「返事を聞かせてもらっても?」
「…喜んで」
ディルは立ち上がって両手の拳を握りガッツポーズをすると、そのままエリカの座る椅子の背に回って後ろから彼女を抱きしめた。
「ありがとう!きっとそう言ってくれるって思ってた!けど…緊張したよ。すぐに君の家に申し込むから!あっ、公爵家はもう話してあるからね」
「もう、ディルったら…」
二人の幸せそうな様子に店の人達も常連たちもニコニコしていた。
「あーホッとした。研究、絶対に成功させてみせる。もう大詰めだからね。あ、家はもう改装を考えているんだけど、最初は侯爵家じゃなくて別なところに家を借りるほうがいい?君の好きなようにするから、考えておいてね」
「ええっ?そんな…気が早いんじゃない?」
「何だい、俺の研究が滞るとでも?」
「そういうんじゃないわ!もう!」
店を出て二人が楽しく話しながら馬車へ向かっていると、
「ディル!ディルだろう?」
と呼ぶ声がした。見ればそれはニゲラだった。隣にはジニアが不機嫌そうに立っていた。
「ああ…ムルチコーレの…久しぶりだな」
二人から隠すようにエリカの前に立ったディルがそう答えると、ニゲラは機嫌よく続ける。ジニアも相手が公爵家のディルだと気がつくと、不機嫌さを隠し、笑顔を見せた。
「いやぁ遅くなったけど、最優秀賞での卒業おめでとう。研究所はどうだい?君のことだ、きっとバリバリ研究を進めているだろうね」
「ああ…まあ。なかなか思ったとおりにはいかないがね」
「またまた、そんなことはないだろう。もしうちで協力できることがあれば言ってくれよ」
「ああ…機会があればな」
「研究も、君のように結果が出せればいいが、僕の元婚約者のエリカのようにただ研究していただけじゃあなぁ」
当たり障り無く返事をしていたディルだが、ニゲラのその言葉に
「えっ、本気で言ってるのか?」
とつい反論してしまった。
「えっ?本気って?」
「エリカ…嬢の研究のことだよ…あ、いや…」
おやという顔をしたニゲラとジニアに余計なことを言ってしまったなと思ったディルは、
「まあ、もう君たちには関係ないことだったな、失敬。
おや、もうこんな時間だ。じゃあ、またいつか」
と会話を切り上げ、その場を離れようとした。しかし、ニゲラは食い下がる。
「いつかなんて水くさいじゃないか。そうだ、半年後の僕達の結婚式に来てくれよ。招待状を送るから」
「…いやぁ…そんな」
「いいじゃないか、ほら、ディルの後ろに隠れてるけど、一緒にいる美しい女性は彼女だろう?君も隅に置けないなぁ。ね、ぜひ二人で参加してくれよ!」
微妙な様子のディルに気付かないようで、ニゲラが『なぁ?』といいう感じでジニアに声をかけた。
「…婚約者殿も、たいして交流がない俺達が行くのは困るんじゃないか?」
ディルがそう言うと、ジニアは
「そんなことありませんわ。侯爵家としてもディル様が来てくれるのはありがたいことです。ぜひいらしてください」
とにこやかに答えた。そしてちらりとエリカを見やると
「ええと、あなたもどうぞ一緒に…」
と声をかけたが、そこで『おや』という顔になった。
「あなた…どこかで…」
ジニアとエリカの目が合った。エリカは身を固くして目をそらす。
「あっ、ああ、わかった、じゃあ来月。いろいろ準備で忙しいだろうが頑張って。じゃあ俺達はここで」
ジニアの視線にディルは慌てて返事をするとエリカの手を引いてその場から馬車乗り場へと急いだ。
「…」
「どうした、ジニア」
「ディルが連れていた人なんだけど…あの人…あっ…」
「なんだよ」
「…なんでもないわ。
それより、公爵家のディル様が結婚式に来てくれたら、うちとしても繋がりがあるとアピールできていいわね」
「なんだ、機嫌が直ったか。大体ドレスやらのことくらいでそんなに怒るなよ、全く…」
フンといった様子のニゲラには答えず、ジニアはディル達の姿を目で追っていた。
お読みくださりどうもありがとうございました。
自分に科学の知識が足りないもので、画期的!みたいなものは思いつきませんでした。すみません。




