笑って欲しいとは確かに言ったが、敵対者に嘲笑しろとは言ってません。
我が国有数の大貴族、オルブライト公爵家は後継者を出生順ではなく総合的な素質から判断するのが慣わしとなっている。
そんな公爵家の第二子、ウォルター様は七歳で同い年の私、アシュリー・ネヴィルと婚約を交わした。
初めて出会った彼は愛想笑いすらしない子供だった。
世の中を諦めたような虚な目で、感情のない顔で指示された場所に佇むだけ。
その様子はとても七歳の子供らしからぬものだった。
彼の生い立ちや境遇について、私は両親から聞いていた。
ウォルター様は公爵の妾の子で、第一子ダレル様や彼の母であり正妻である女性からつらく当たられていたとか。
この時期はウォルター様のお母様が亡くなられてすぐの事だった。
また後から聞いた話によると、正妻の指示で彼のお母様の所持品は何一つ残されないまま燃やされてしまい、形見一つ手元に残す事を許されなかったらしく、そのような辛い境遇に立たされていた事で自棄になっていたそう。
そんな中での初対面でも、その後何度か顔を合わせても彼はにこりとも笑わない。
私を愛してくれていた両親はそんなウォルター様を見て私に同情してくれたし、未来で社交界に出ていかねばならぬ立場であるならば愛想笑いくらいはと指摘もしようとしてくれたが、私はそれを止めた。
ある日の事。
私の家で行われたお茶会で、お茶やお菓子に一切手をつけないまま俯く彼を見て私は席を立った。
「こっちにいらして」
彼へ手を伸ばせばびくりと肩が動く。
袖の中から覗く肌に痣があったから、きっと彼は優しく触れられる経験がなさすぎたのだろうとすぐに悟った。
それから私は彼の手を取り、庭園を抜け、敷地の隅にある大樹の前に彼を連れてきた。
「今日はここでお休みしましょう」
目を瞬かせるウォルター様を半ば無理やり、大樹の下の芝生に寝かせる。
彼の天使のように愛らしい顔を覗き込んで私は笑う。
「お疲れなのでしょう? そういう時はゆっくり休むに限りますわ」
私の言葉の意図がよくわからないという顔をする彼に、私は自身の目の下を指してみせた。
「眠れていない証拠がありますわ」
ウォルター様は目を見開いたのに、自分の目の下にできた隈をゆっくりなぞった。
私はそんな彼の体を優しく叩いて眠りを促してみる。
嫌がればやめようと思ったが、彼は拒絶を見せなかったのでそれを続ける。
やがてうつらうつらとしてきた彼はゆっくりと口を開く。
「……どうして」
「はい?」
「…………どうして、優しくするんですか」
「婚約者ですもの」
私は答える。
「これからずっと一緒に生きていくんですよ。であるならば私も……そしてウォルター様も、お互いに笑い合えるような関係を私は築きたいのです。それに……」
私はウォルター様の顔を再び覗き込んでみる。
艶やかな黒髪に金色の大きな瞳。
長い睫毛や白い肌、通った鼻筋……そのどれもが美しい。
彼が見せる微笑みはきっと目を奪われる程美しいものだろうと私は思った。
「ウォルター様はきっと笑顔がとても似合うお方ですから、是非とも笑っていて欲しいのです」
「……笑顔」
「あ! 勿論、無理に笑って欲しいという事ではないのですよ!」
難しそうな顔をした彼が変に気負ってしまわないよう私は慌てて否定する。
「先程も申し上げた通り、心から笑っていただかなければ意味がありませんもの。ですからどうか、ウォルター様のお心の傷が癒えたその時は……」
私は疲れ切っている顔を優しく撫でる。
「――笑ってください」
金色の瞳が大きく揺れる。
迷子のように彷徨う視線は何と反応すれば良いのからず困っているようにも、涙が溢れてしまいそうな感情から必死に目を逸らそうとしているようにも見えた。
その後、私達は夕方まで大樹の下で昼寝をした。
私の意識が浮上したのは、私の頬を撫でる手の感触を感じたから。
ゆっくりと瞼を上げる。
天使のような顔がすぐ傍にあった。
目が合う。
ウォルター様は瞬きを数度繰り返した後――頬を緩めて柔く笑んだ。
その微笑みがあまりに美しくて、甘くて、私はその瞬間に――
――恋に落ちたのだった。
全く。恋とは、何て単純な感情なのだろうか。
***
それから。
ウォルター様は公爵家の人間として相応しくあれるよう、誰よりも勉学に励んできた。
私もそんな彼を支えられる者となるべく同じように教養を積む。
学園では私達は良きライバルだった。
常に試験の首位争いをして、勝敗で一喜一憂しては相手を称賛する。
勉強も茶会も外出も、どこへいく時も一緒。
周囲からは仲睦まじいパートナーとして噂されるようになっていた。
そして気が付けば、社交界におけるウォルター様の評価は大きく跳ね上がっていて、オルブライト公爵家の跡継ぎは彼こそが相応しいと誰もが囁くようになった。
そして、学園の卒業から一ヶ月が経った頃。
オルブライト公爵邸で大きなパーティーが催される。
オルブライト公爵はこのパーティーを開くにあたって、これは次期当主を発表する場であると公言していた。
ウォルター様の努力が実るかどうかが決まるこの日。
正直、私もウォルター様も大した心配はしていなかった。
何故ならウォルター様のお兄様であるダレル様は公爵家の血筋であるという事に胡座を掻き、またウォルター様が学園に入るまでの間、彼の事を見下し続けていたから。
お二人の歳の差は二つ。
ウォルター様が学園で非常に優秀な成績を出していることに気づき、焦りを覚えた頃にはダレル様は卒業間際。
巻き返す機会を失っていたのだ。
彼の婚約者であったバーサ辺境伯令嬢は私達と同い年なので、ダレル様卒業後も私達の足を引っ張ろうと裏で画策していたようだが、それへの対策は既に手を打っている。抜け目はない。
さて、そんなこんなで迎えたパーティーで。
本題に入るべく、公爵が賑やかな会場の中央へ向かおうとしたその時の事だった。
「――アシュリー・ネヴィル侯爵令嬢!」
ダレル様はバーサ様を引き連れて私とウォルター様の前に立った。
「貴様には学園在学中、ウォルターの指示でオレの顔に泥を塗るべく暗躍し、バーサを手酷く虐めた嫌疑が掛けられている!」
私もウォルター様も動じはしない。
ただ冷たい目でダレル様を見据えるだけだ。
ダレル様は必死だった事だろう。
日頃の行いだけの評価で跡継ぎが決まるならば、既に彼に勝ち目はほとんどない。
彼が勝つには、ウォルター様の品格や人格に致命的な欠点を見出すか――婚約者である私に同様の方法を取る二択程度しかない。
そして彼が選んだのは後者だった。
バーサ様を利用するならば、異性よりも同性の私を標的にする方が自然に罪を被せられると思ったのだろう。
「あ、アシュリー様が、わたくしを湖に突き落として笑いものにしたり、階段から落とそうとしたり……っ、わたくし、わたくし……っ、本当に怖くて……っ」
「ああ、バーサ、なんで可哀想な……。……っ、こちらには証言者もいる! 貴様らが否定するならば、今日訪れているその者に今すぐ真実を話させたっていいんだぞ。……父上! このような悪女――そして彼女を使って卑劣な行為に出たウォルターに正当な裁きを!」
オルブライト公爵は静かにダレル様の訴えに耳を傾けていた。
それから静かに私達を見る。
厳格そうな顔付きと鋭い視線は大貴族の当主に相応しい威圧感を纏っていた。
「申開きはあるか、ウォルター、ネヴィル侯爵令嬢」
「「はい」」
そんな公爵の圧に屈せず、私達は短く答える。
そして私は指を鳴らした。
これは独自で事前に用意していたものを控えていた使用人に持って来させる為の合図だ。
しかし不思議な事に、その音は二重に聞こえた。
私は驚いて視線だけをウォルター様へ向ける。
ウォルター様もまた同じように私を見ていた。
私達は視線の外へ手を伸ばす。
駆けつけた使用人達がアタッシュケースをそれぞれの主人へ握らせる。
それを自分の体の前まで持ってきた頃には、私達は相手が何を考えているのかを悟り、見つめ合ったまま――思わず吹き出してしまう。
そして私達はアタッシュケースのロックを外し、その中身を正面にぶちまける。
無数の紙が床に広がる。
「「報告書です」」
「兄上とバーサ嬢が」
「私を陥れる為に暗躍していた全てを記した」
全くと、笑わずにはいられない。
ダレル様やバーサ嬢が私を使ってウォルター様の評価を下げようとしていた事を察した時から、私は我が家の優秀な人材を借りて、二人の悪事を明かす為の証拠を集めてきた。
ウォルター様のお手を煩わせる程のものではないと考えていたからこそ、彼に報告する事でもないと思っていた。
けれどどうやら……それは彼とて同じだったようだ。
私達は互いを気遣った結果、全く同じ行動をとってしまっていたらしい。
私達はそっくりな不敵な笑みを貼り付けて、書類に記されていた内容の要約を話す。
それを聞いたダレル様とバーサ嬢は顔を真っ赤にして肩を震わせるが、反論も弁明もなかった。
そんな隙を私達は与えなかった。
「因みに、兄上が仰っていた証言者についてですが」
「こちらに関してもダレル様の指示で偽りの証言を用意していた事が明らかとなっています」
全てが明らかとなったパーティー会場には重々しい沈黙が訪れる。
参加者達は固唾を飲んで公爵の顔色を窺う。
公爵はダレル様とバーサ様を睨んでから私達を順に見て――
「己で立つ事すらままならなかった弱者がよもや、このように化けるとは」
――小さく笑みを浮かべた。
それから手が大きく打たれる。
「皆の者、此度のパーティーへの参加、感謝する。事前に報せた通り、この場を以て宣言させていただく。我がオルブライト公爵家、その未来を担う次期当主は――」
オルブライト公爵の手がウォルター様を示した。
「オルブライト公爵家次男、ウォルター・オルブライトとする!」
ワッと湧き立つ歓声、そして拍手。
会場は一瞬にして祝福のムードに包まれる。
その中で私達は微笑み合った。
しかし話はここでは終わらない。
「おい、我が家の面汚し共をさっさと摘み出せ」
公爵は厳しい言葉と共に騎士へ命じる。
すると騎士達はダレル様とバーサ様を素早く拘束した。
「な……っ、父上!!」
「ダレル、お前には失望した。……ゴルボーン辺境伯家の女にもだ」
騎士達によって引きずられていく二人を公爵は睨みつける。
「よってダレル、お前は勘当。今日を以て我が家を出ていく事を命ずる。二度とオルブライトを名乗る事も、我が家の敷地を跨ぐ事も許さん」
「そ、そんな……! あんまりです、父上!」
「そちらの娘には……フン、後日報せがいくだろう。何。辺境伯家だろうがオルブライトの権威の前には小虫同然。我が家の面汚しに加担した罪、その報復を受けるが良い」
「そ、それだけは……っ、どうかお許しください、オルブライト公爵……っ、公爵ぅぅうう!!」
二人の訴えは虚しく、公爵はそれ以上口を開かない。
そして騎士に捕まったダレル様とバーサ様がウォルター様の横をすり抜けたその時だ。
こちらを見るダレル様を見たウォルター様は――
――口角を釣り上げ、鼻で笑った。
嘲る笑いを叩きつける彼の顔には日頃の清楚さとは打って変わった邪悪さがあった。
(まさかこんな風に笑うようになるなんて)
こんな彼の顔を見るのは初めてだった。
(確かに笑って欲しいとは言ったわ。それに何の隔たりもなく笑えるようになってくれたのはとても嬉しい。けれど……)
私は幼少の頃、全く笑わなかった彼へ掛けた自分の言葉を思い出しながら思う。
(――そんな風に笑ってくれなんて、言ってないですよ。ウォルター様…………)
彼を怒らせる事がどれだけ恐ろしい事であるのか、私はこの日初めて悟る事となったのだった。
***
パーティーがお開きになり、私は家へ帰るべく馬車へ向かう私をウォルター様はエスコートしてくれる。
その道中。人気のない庭園前。
私達は周囲に誰もいない事を確認してからプッと吹き出した。
「何故同じことを考えているんですか」
「こちらのセリフだよ、全く。こんなに息ぴったりの事があるかい?」
声をあげて一頻り笑って、それからウォルター様は目尻に溜まった涙を指で掬い取った。
「でもありがとう。俺を思っての事だったんだろう?」
「いいえ、こちらこそ。……私の問題でしたから、私が解決するまでと思ったまだですよ」
「全く、君という人は」
ウォルター様が破顔する。
それから彼は私の体を抱き寄せ、耳元でそっと囁いた。
「とりあえず、君と俺程相性ぴったりな者はいないという事でいいね?」
「……当然」
「では、何が何でも手放すわけにはいかないな」
「幼少の頃から申しているではありませんか。これからずっと一緒に生きていく――私はあの時から変わらず、そのつもりでいます」
「……光栄な事だね」
そう言うと、ウォルター様が私の唇を奪う。
「愛しているよ、アシュリー」
「私の方こそ。ウォルター様」
先手を取られたとなれば、やり返さなければ。
それが婚約者であり良きライバルともなった私達の間にある暗黙のルールだ。
よって私は彼の背に手を回し、背伸びをして彼の唇を奪い返す。
そうして私達は長いキスに溺れながら、この先も続く幸福な未来に思いを馳せるのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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