04:逃避行
「はい、熱いよ」
「…ありがとうございます」
ラングレヌス邸を脱出した二人は、遠く離れた森の中に身を潜めていた。
ヴァージルはこの脱出劇を予期していたようで、野営に必要な物資をここに隠していたのだ。おかげで手際よく焚火をして、暖を取っている。みことは差し出されたカップを手に取り、丸太に座っていた。
「さて、どこから話そうかな…」
もう一つのカップを手に、彼が対面の丸太に座った。それきり二人の間には、しばらくの沈黙が漂う。
いろんな事が起き過ぎたのだ。みことがこの世界に来てたった半日の間に。召喚されて、歓待されたと思ったら殺されかけて、逃げてきて…
ヴァージルはどこから説明したらいいのか途方に暮れていたし、みこともみことでどこから手を付けていいかわからなかった。彼は額に手を当て思考をめぐらし、みことも天を仰いで考えている。
とはいえ、このまま黙っていたもらちが明かない。そのうちみことが、先ほどから疑問に思っていたことを口に出した。
「…ヴァージルさんは風のガーディアン、なんですよね」
「ああ、話が早いね。今からちょうど一か月前に啓示を受けた。光の聖女を…君を助け、導くようにと」
そう言って、来ていた服の襟元を軽く開き、彼は自分の左胸に刻まれた聖印を見せた。服が引っかかって四分の一ほどしか見えなかったが、先ほど浮かび上がったように見えた風の紋章と同じ形だとわかる。
ヴァージルの言うことに嘘がないことの証左だ。彼は本当にガーディアンで、本当にみことを助けるためにあのメッセージカードをくれたのだ。
みことは理性的には理解しつつ、だけどまだ納得できないことがいくつかあった。
「私、どうしてソフィアちゃんに殺されそうになったんですか?聖女って、エクセルシアを救う存在のはずですよね?なのになんで…」
「…それは、誰から聞いたんだ?巫女姫がそう言ってたのか?」
「うっ」とみことが言いよどむ。これを説明するには、『グランドエクセルシア』のゲーム内容の話をしなくてはいけないのだが、果たしてそんな荒唐無稽な話を受け入れてもらえるものかどうか…
とはいえ、彼も“転生者”であり、どうも日本出身であることは間違いないらしい。であれば納得はしてもらえなくとも、一応の理解はしてもらえるだろう。してもらえるだろうか?いや、してもらえるに違いない。
しばしの葛藤ののち、
「いえ、実は…」
意を決して、みことは“乙女ゲーム『グランドエクセルシア』”の概要を話し始めた。
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「はぁ、なるほどね。乙女ゲームの世界…そんなことってあるんだ」
「…まぁ、転生者のあなたが言える立場じゃないですけどね」
「おっと、やり返された」
軽口にハハッと笑ってヴァージルは飲み物を一口飲む。どうやらこの話を信じてくれるようで、ひとまずみことは安心した。
「これで前提条件は揃ったな」と、彼は話を続けた。会話の糸口が見つかったので、幾分話しやすくなったのだ。しかし急に真剣な顔つきになって、みことは一抹の不安を覚えた。
「…すでに気付いていると思うけど、君の知っているエクセルシアと今のエクセルシアには、大きな乖離がある。
まず“朝日かな”という少女について。彼女は確かに光の聖女として、エクセルシアへ召喚された。四人のガーディアン…風のハーヴィー・ミルワード、火のシリル・グッドウィン、水のユーイン・ショート、土のブラッドフォート・ラッカム、そして闇の巫女姫ソフィア・ロザリー・ラングレヌスとともに、アールヴ族の侵攻からエクセルシアを守るはずだった」
「…はずだった?」
「残念ながら朝日かな以下四人は、すでに故人だ。ソフィアの手にかかって、全員殺された」
「は?」と、みことの口から言葉が零れた。朝日かなを…ソフィアが殺した?
「どうして…」
「わからない。聖王都からは『聖女は“悪魔の手先”としてガーディアンたちを誘惑し、エクセルシアを陥れようとした。それを救いの天使である闇の巫女姫・ソフィアによって断罪され、処刑された』とだけ発表されたが…。実際に何があったのかまでは伝わっていない」
語りながら、ヴァージルは首を横に振る。様子から察するに、彼も、民たちも、この発表には納得がいっていないのだろう。何せ、聖女の召喚はエクセルシアの民にとって希望の光だ。ゲームの中でも、彼女が訪れる町や村はどこも彼女たち一行を歓迎していた。それが突然処刑されたとあっては、納得できないのも無理はない。みことだって同じ気持ちだ。
「でも、アールヴ族はどうしたんですか?彼らはこの土地を侵略するために、モンスターが発生しやすくなるよう大地の魔力を乱れさせたはずです。それを解決できるのは、“光の祝福”だけじゃ…」
「…ソフィアは聖女たちを処刑した後、たった一人でアールヴ族の拠点へ乗り込み、彼らを一掃したらしい。一族は全員皆殺しにしたと伝わっている。そして闇の力を使って、モンスターの発生を抑えているんだ。大地の魔力は乱れたままで根本的な解決には至っていないが、少なくとも町の治安は守られているよ」
「…」
“たった一人でアールヴ族の拠点へ乗り込んだ”…だって?そんなことが本当に起こり得るのだろうかと、みことはまた耳を疑う。
だってソフィアは貴族の娘で、基本的に外出は許可されない身の上のはずだ。ゲーム内でも、その境遇に不満を漏らすシナリオがあったくらいなのに。
「ただ、この状況をソフィアは自分の都合の良いように悪用してるんだ。彼女の“モンスター発生の抑制”は微調整の効くものらしくてね。もし気に入らない動きをする貴族がいれば、その貴族の納める土地の周辺だけモンスターが発生するように調整して、治安を悪化させる。逆に彼女の味方をすれば、その町にモンスターが出ることはなくなり、平和を約束される。…エクセルシアはいまや、闇の巫女姫のコントロール下にあるってわけ。みんな思うところはあるはずなんだが…有力者たちのほとんどは、彼女の味方だ」
「もしかして、歓迎パーティーに国王がいたのもそれが理由ですか?」
「ああ。あのパーティーは王や貴族だけでなく、町ぐるみで協力させている。加担させることで罪悪感を植え付けて、ますます逆らえないように外堀を埋めているんだ。彼女の影響の強い地域は、完全に彼女の言いなりだな。まぁそのおかげで俺も潜り込めたんだけどさ。以来八十年、光の神によって召喚された聖女をああやってパーティーでもてなし、油断したところを襲って“悪魔の手先”として殺す、というのをくり返している」
「は、八十年!? 」
みことは思わず立ち上がる。両手で持っていたカップの中身が大きく揺れて、ちゃぷっと音を鳴らした。
「ちょっと待ってください、だってどう見てもソフィアちゃんの年齢、二十歳代じゃ…」
「…君も知ってるんじゃないか?闇の力の性質を」
「あ…」
言われて気づく。そうだ、当然知っている。光の力の性質「均衡・前進」と対をなすその力。設定資料集で読んだ覚えがある、確か…
「混沌と、停滞」
「そう。その“停滞”の性質ゆえに彼女は若さを保ちながら、大地の魔力を押さえつけてモンスター発生を抑止できている。だがそれは同時に、今後永遠に大地の魔力の流れを正常に戻すことができない事をも意味している。今のエクセルシアには、先細りする未来しか残されていない」
一通り情報を話し終えたらしく、ヴァージルはしばらく口を閉ざした。
信じられなかった。
かなとソフィアは本来、お互いにお互いを尊敬しあい、良い関係を築く間柄だったはずだ。かなが男性キャラとの恋愛ルートを辿ってもソフィアはその恋路を応援してくれたし、友情エンドではお互いのコンプレックスを打ち明け合って、より強固な友情で結ばれるのに。
それがなぜソフィアは、突然“悪役令嬢”のようになってしまったのだろうか。
俯くみことの脳裏には、最悪のシナリオが思い浮かんでいた。