03:再会
「やあ、遅かったね。もう来ないかと思ったよ」
大きな月を背景にして、金髪の男は穏やかな口調で言った。
メッセージカードが示した通り、みことは夜中の大広間の先にあるテラスを訪れた。
いろいろ聞きたいことがあった。「殺される」とはどういうことか、どうして日本語が書けるのか、なぜ助けてくれようとするのか、あなたは誰なのか…――私はこれから、どうしたらいいのか。
もしかしたら何かの罠かも…と思わないでもなかったが、何もわからない現状よりはいいだろうと、みことは根拠もなく期待していた。
テラスの手前にある大広間を突っ切って歩く。
パーティーが終わり、片付けの済んだ大広間はやけに広く感じた。夜の静寂はかえって耳にうるさい。月明かりが差し込み、室内を青く染め上げる。明かりのついていたときとはまるで雰囲気が違っていた。
ここにつくまでには想定より時間がかかった。みことは方向音痴な自分を呪いながら、迷いに迷って何とかここまでたどり着いた。男の口ぶりからして、約束の時間は過ぎているのだろう。
大広間の向こうのテラスに、男が一人待っている。二十代半ばの青年。テラスの手すりに腰を掛け、行儀悪く足を組んで座っていた。
花束を押し付けてきた男だと思われる。今は前髪の間から顔が見えていて、青の瞳がみことを捉えていた。花束を渡してきたときのようなテンションとは違い、落ち着きのある年相応の声色だ。
みことは男に近づいて行き、テラスに出たあたりで立ち止まった。
「えっと、…こんばんは」
「はい、こんばんは」
間の抜けた挨拶に、男がクスクス笑う。「なんか変だったかな」とみことは思いつつも、話をつづけた。
「カード、ありがとうございました。あの…あなたは誰なんですか。どうして日本語が書けるの?」
「俺はヴァージル。なぜ日本語が書けるのかっていうと…そうだな。転生者って言ったら通じる?」
「て、転生…?」
「そう、日本で生きた記憶を持って生まれてきたんだ。こっちにきてから日本語を書いたのはこれが初めてだったけど、意外と書けるもんだね」
穏やかな表情でなんでもない風に言っているが、大事件である。
転生者って…?こちとら転移してきたばかりだというのに、この世界には転生者までいるのか。
「そんなことってあるんですか」
「君だって召喚されてここに来ている。人の事言えた立場じゃないよ」
「それは、まぁ…そうなんですけど」
ぐぅの音もでない、とはこのことか。まぁ、彼の言っていることは納得できる。転生者であれば日本語が書けることもあるだろう。しかし、聞きたいのはそれだけではない。
「…えっと、ヴァージルさん。いくつか教えてほしいんですけど…どうして私を助けてくれようとするんですか?それに、殺されるってどういう」
聞きたいことが山盛りで、みことは次から次に言葉を紡ごうとしていた。何せ、やっと手がかりにありつけそうなのだ。これまでの違和感に答えを見つけたくて、彼女も彼女で必死だった。
だがヴァージルは急に手のひらをパッと彼女に向けて出して、それを制止する。
「ごめん。ちょっと待って」
「?」
待て、のポーズだ。その動きが俊敏で、妙に緊張感を感じた。彼はそのままの恰好で目を閉じ、何か集中しているらしい。「何をしているんだろう」とその様子を見ていると、数秒後にパチッと彼の目が開く。先ほどまでの穏やかな目つきではない、鋭く、真剣さのある目つきだった。
「君、しくったね」
「え?」
「こっちへ、早く!」
そう言いながらヴァージルは手すりを降り、みことの手を引っ張った。みことはつんのめり、バランスを崩しながら数歩前に出て、彼の背中側に回る。突然の乱暴な扱いに文句の一つでも言ってやろうかと後ろを振り返ると、ヴァージルは彼女が入ってきたドアの方を見つめていた。何かを警戒している様子である。
こつん…こつん…
少しして、彼の見ている方向から硬い足音が聞こえてくる。音の間隔はゆっくりで、やけに恐怖をかきたてる。音はだんだん近づいてきていて、やがて足音の主が大広間に姿を現した。
「ソフィアちゃん?なんで… 」
ソフィアはみことの声を無視し、なおもゆっくりとテラスの方へ近づく。右手には毒々しい色をした鈍器のようなものを持っている。モーニングスターのついたメイスだ。顔には怪しげな微笑みを携え、好戦的な態度のように見える。
意味が分からない。なぜ彼女が武器を持って、自分たちに向かってきているのだろう。まさか“殺される”とは、“ソフィアに殺される”ということだったのだろうか。
「ガーディアンが忍び込んでいるかと思えば、聖女を手引きをしていたとは。大胆なことですね」
「ガーディアンって……ッ!?」
聞き返そうとしたみことは、次の瞬間また胸の熱さに気づいた。それと同時に、目の前にいるヴァージルの胸のあたりが光っているように見えた。風を象った紋章が服の上に浮き上がっている。
(これ、聖印…!?じゃあこの人まさか…)
聖印とは、神の啓示を受けガーディアンになった男たちに現れる紋章である。ガーディアンである証だ。聖女と巫女姫は、聖印を感知する能力を持っていた。聖印を持つものが近くにいれば胸が熱くなり、意識してそれを持つ者の胸を見れば光って見え、紋章が服の上へ浮き上がって見える。
この設定は確かにゲーム通りだ。しかしまたしても、ゲームとは大きく違う点にみことは気づいた。
彼女の知っているガーディアンの中に、目の前の男は存在しない。金色の髪を持つショートヘアの男なんて、『グランドエクセルシア』には登場しなかったのだ。
みことの混乱は最高潮に達していた。
そんな彼女をよそに、ソフィアとヴァージルは話を続ける。
「みすみす聖女を殺させるわけにはいかないからね」
「あら、その女は聖女の姿をした悪魔の手先ですわ。人に仇なす忌むべき存在。王からのお触れを、ご存じないわけではないでしょう?」
「それは君が言わせているだけだろう、恐怖で人々を支配して。少なくとも俺にそんな啓示は下ってない」
「…聖女に加担したガーディアンは処罰されると、知ってのことですね?」
「やれるものなら」
お互いに一歩も引かない。ヴァージルはテラスから、ソフィアは大広間の中から、互いに睨み合っている。どちらも相手の隙を窺っていた。
「ソフィアちゃん、これはどういう…」
思わず口をついて出た言葉は、震えていた。みことは自分の声を聴いて驚く。緊張と恐怖とで、思うように体がコントロールできていないことを自覚させられた。
その声に、彼女はニタっと笑った。
「聖女様、こちらへ。あなたの死こそがこの世界を平和に導くのです。どうぞ、その尊い御身を生贄になさって」
ソフィアは広間の中から左手を差し伸べ、招き入れようとする。美しい所作と対照的なその言葉に、みことは顔を青白くさせるばかりだ。
左手を差し伸べたその瞬間。彼女が鈍器を後ろ手にしたタイミングを、ヴァージルは見逃さなかった。
「逃げるよ、捕まって!」
「えっ!?わ、きゃあ!!」
一瞬のうちにヴァージルはみこととソフィアの間に風で障壁を作り、目くらましをした。ソフィアが思わず差し出した左手を自分の顔の前に置き、風からわが身を守る。やり過ごした後、彼女が視線を元に戻すと、すでに二人の姿はない。
「どこへ行った」と視線を左右に揺らすが、どこにも見当たらない。ふと上空に目をやると、小さな影が飛んでいる。一つだと思ったその影は、よく目を凝らすと二人の人間のようだった。風の魔法で飛んで行ってしまったらしい。
「ごめんなさい、逃げられてしまいましたわ」
ソフィアは逃げる二人を見上げながら、虚空に向かって話しかける。その声を合図に、彼女の背後からもう一つの影が現れた。側付きの女性である。彼女はそっと近づいて行き、ソフィアを後ろから優しく抱きしめる。
「気にしなくていいよ。どうせ今のままじゃ何もできない一般人と変わらない。追っ手を差し向けよう?」
「ええ…」
抱きしめる手にそっと手を重ね、ソフィアは側付きにしなだれかかった。