表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/16

椿。

 ちりり、と鈴虫の音色が聞こえ始めた夜。


 そろそろ夏なのかな、そう感慨に耽って、感じた。


 あれ、虫の鳴き声を意識した事、久々のような気がする。


 あのどうしようもない後輩にほだされて、私も軽い人間になったのかもしれない。

 いや、普通を感じてきたというべきか。


 軽い人間だなんて、何様だって話だし。きっと彼とのふれあいが、音を感じる事を思い出させてくれているのだろう。


 知識を思い出せるよう、予習復習していた数学の勉強から手を休め、腕を大きく伸ばして屈伸した。

 自室のデスクチェアに背中をもたれ、流し目に夜空のキレイな窓を見やった。


 そういえば、あの子、元気かな。

 私が助けて、傷つけた一人の女の子が朧げに思い浮かんだ。


 元気で強引そうな笑顔が印象的なつばきちゃん。


 つばきちゃんは、まだ生きられているのかな……。





 


「ねえ君、ひいちゃんっていうの?」


 未来観測の呪いを背負いだして数年、人よりも色んな人生を体験してしまった私はクラスから浮いていた。


「……うん。私はひいらぎだけど、何?」


 子供にしては、流暢な喋り方。冷めた目をたずさえた私は、その鋭い目を彼女に向ける


「そんな顔してたら友達できないよ。あたしが友達になってあげよっか?」


 私と同じクラスの子。同い年の子だから小学二年生だ。


 私が言えたことではないが、上から目線の失礼な女の子だと思う。


 なんかムカつく。


「ほら、一緒にあそぼ! あっちに鉄棒あるしさ!」


 私の手を引っ張って、駆け出す女の子。

 あははと笑って走るその後ろ姿は、どこかたくましさを感じるけれど。


 なぜか、儚さのような、湿った雨の匂いに似た香りを彼女から感じた。


「ねー、楽しいねー」

「うん、そうだね。私は楽しくないけど」


 ほがらかに笑う彼女をけなすように、一蹴する私はいつも通り、表情が抜けていた。


 にこにこしながら砂遊びする彼女を、ぶっきらぼうにただ見つめる。


 こんなののどこが面白いんだ。

 まだスマートフォンを弄っていた方が面白いのではないか?

 ーーっと、そういえばこの時代にスマホは普及してなかったか。せめてガラケーだろうか。


 そんなものはどうでもいい。ただ、昼休みが早く終わらないだろうかと祈るばかりだ。


 これだけいい学習になったのは、誰ともつるまずに、校庭で人間観察するのはよくない事だということだ。


「むう、ひいちゃん、すごい怖い顔してるー。少しは笑おうよー、にこーって。ほらっ」


 砂を充分に払えていない茶色い手で、私の顔を触ってくる女の子。


 ぐにーっと、じゃりついた手で触られる私の顔は無理やり笑わされていて、はたからみたら滑稽なんだろうなと。


「分かったよ、分かったから。汚い手で触らないで」

「なにおー、ひいちゃんひどーい」


 私が彼女の手を掴み、そっと話そうとしたとき、頭上に重い衝撃が走った。


「いたっ」


 誰かに鈍器で殴られたのか。そう思うほどに鋭い痛みも頭から首に伝わって全身に広がる


 声にならないうめき声を上げる私に、彼女の手が私の肩を掴む。


 視界が不意に暗くなり、強烈な痛みの中でも、ある程度の情報で彼女に抱きしめられていることが分かった。


 そして。


 視てしまった。この女の子が近い将来、交通事故で死んでしまう所を。





「つばきちゃん、私に構わなくていいんだよ」

「何言ってるの! あたし達友だちでしょ、ひいちゃん!」


 女の子はつばきちゃんと言った。

 つばきちゃんは、未来を視て具合を悪くした私を保健室に連れていってくれて。


 放課後も保健室に残って、私の様子を見てくれた彼女は、遅れた自己紹介を照れくさげに披露して。


 はにかんだ彼女に、少しの死臭を感じながらも、私は仕方なく相手してあげた。


 くだらない話で笑うつばきちゃんに、私は淡々と言葉を返していたけれど。


 保険の先生が迎えに呼んだ母が来る頃には、夕日の保健室の中で私の口角は上がっていた。



 つばきちゃんが死ぬのは分かっている。

 でも、彼女は知る由もなく私を笑わしに来て。

 それは嬉しいけど、とても罪悪感のあることだった。


「つばきちゃん、だめ! このまま家で遊んでようよ!」

「もーう、ひいちゃんのきかずんぼう! 公園で遊ぶの! だってネコちゃんいるんだよ!」


 最近、公園に野良猫がいつくようになった。

 これがまた人懐っこくて、つばきちゃんはその猫のことを気に入っていて、遊びたくてしょうがないみたいで。


 でも、今日はだめなんだ。

 今日はつばきちゃんの命日。交通事故に遭ってしまう日だ。


「ひいちゃん、先に行ってるからね! 猫じゃらし忘れないでよ」


 ああ、だめだ。

 仲良くなれたのに。


 彼女ともっといたいのに。このままじゃ……。


 ばたばたと玄関にかけていって、家を飛び出す彼女。

 追いかけて、途中彼女の母が仕事部屋から顔をだす。


「あら? あの子ったら、また私になにも言わないで。ひいらぎちゃん、ごめんなさいね、あの子があわてんぼうで」


「い、いえ! こちらこそ申し訳ないです! じゃあ急いでるので」


 つばきちゃんのママに手を振って、私も乱暴に靴を履いて駆け出す。


 あの公園に向かうなら、道中にある番犬の家を遠回りして行くはずだ。


 つばきちゃんは、いつも番犬に吠えられるのが怖くて迂回しながら、公園に遊びに行く。


 なら、近道になる道を突っ切れば彼女に追いつくはずだ。


 次第に現実感を帯びていく感覚に私は鼓動も早くなる。


 全力で走っても、今のこの子どもの身体は疲れを知らないけれど。今は額ににじむ汗が全身から吹き出しきて、身体が得体のしれない熱感に襲われる。


「はあはあ」


 追いつけ、追いつけ。

 早く走って彼女を止めるんだ。


 なんでもいい、あの交差点で事故に合わなければ、なんでも。


 なんなら、軽い怪我をさせるくらいの足止めをしなければ。

 転ばせるでも、何でもいいから。


 住宅街の角を曲がり、懸命に走って交差点前の一直線に辿り着く。


 そして息を切らす頃には、彼女がとてとてと歩く姿が見えて。


 その横から、黒い影が迫っていた。猛スピードで突っ込んでくる暴走車だ。

 

「つばきちゃん!」

 

 私は叫び、彼女の背中に向かって飛び込んだ。

 彼女が驚いて振り返ろうとした瞬間、私は力任せに彼女を突き飛ばしていた。

 

「きゃっ!?」

 

 どさ、と派手な音ともに、彼女はコンクリートの地面に叩きつけられる。

 

 直後、私たちのすぐ横を、暴風のような風圧と共に車が通り過ぎていった。

 

 ――キキィィィッ!!

 遠くでタイヤが擦れる音が聞こえたが、車は止まらずに走り去ってしまった。

 

「ま、間に合った……」

 

 彼女の背中に埋もれながらホッと息をつく。

 つばきちゃんから体をずらし、足元の彼女を起こそうと彼女に触れると。

 

「い、いたい……」

 

「つばきちゃん?」

 

「なんで……?」

 

 涙目で私を見上げるつばきちゃんの額からは、べっとりと赤い血が流れ落ちていた。

 頬や顎も擦りむけ、子供の柔肌は見るも無残な状態になっている。

 

「なんで、こんなことするの……?」

 

 彼女には、見えていなかったのだ。

 死角から迫っていた車も、死ぬはずだった未来も。

 

 彼女の目には、私が突然襲いかかってきた「加害者」としてしか映っていない。

 

「ちが、違うの。助けようとして……」

 

「ひいちゃん、ひどいよぉ……痛いよぉ……」

 

 泣き叫ぶ彼女の声に、近所の大人たちが集まってくる。

 

 私は弁解することもできず、ただ血に濡れた自分の手を見つめていた。

 

 結果として、つばきちゃんの頭蓋骨にはヒビが入り、全治一ヶ月の大怪我を負わせてしまった。

 

 命は助かった。けれど、交通事故から救ったという事実は、誰にも知られることはない。

 

 当然、学校で遊ぶことはなくなってしまい、私たちは断絶した。

 

 つばきちゃんは私を見ると怯えるようになり、私は「危険な子」として後ろ指をさされた。

 そして何より鮮明に覚えているのは、母の背中だ。

 

「うちの娘が、本当に申し訳ございませんでした」

 

 相手の家の玄関先で、母は何度も何度も頭を下げていた。

 私はなにも悪くないのに。母もなにも悪くないのに。

 

 ただ、あの子の命を救っただけなのに。

 

 母の小さくなった背中を見ながら、幼い私は学んでしまったのだ。

 

 『運命を変えるには、代償が必要だ』

 

 誰かの命を理不尽な死から救い出すには、誰かが傷つき、誰かが不幸になり、そして誰かが「悪者」にならなければならない。

 

 あの時、私の社会的信用と母の尊厳、そしてつばきちゃんとの友情。それらを代償に捧げたから、あの子は生き延びたのだと。

 

 だから。

 

 大人ぶってる私は、今でも謝罪すらできない。

 これが正しいことだったのか、自分でも分からないまま、ただ胸の奥につかえた棘だけが疼いている。

 

 つばきちゃん、本当にごめんなさい。

 

 でも、君が生きていてくれるなら、私は嫌われ者でよかったんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ