そうだ、天国行こう
おばあちゃんは旅行が大好きだった。
今は、どこにも行けず病院のベッドで横たわっている。
もう退院することはないと、お父さんが言っていた。
おばあちゃんは家にいた時みたいにいっぱいはしゃべれない。
だけど、時々ぽつりぽつりと私の顔を見てなにか話してくれる。
おばあちゃんの声はすごく聞き取りにくい。
それでも、私はおばあちゃんがなにを言おうとしているのか必死で聞く。
よくわからないけれど、それでも私は頷く。
私もおばあちゃんに話しかける。
私がよく聞き取れないのと同じで、おばあちゃんにもよく聞こえていないかもしれない。
だけど、おばあちゃんも私の言葉に首をゆっくり動かして頷いてくれる。
「ねえ、おばあちゃん」
私はいつものように話しかけた。
「おばあちゃんはいつも旅行に行ってたでしょ? これから行ってみたいところとかある?」
おばあちゃんは大好きな旅行の話をよくしてくれた。
どこどこに行ってすごいものを見たとか、その土地の美味しいものを食べたとか。
私はそんなおばあちゃんの話を聞くのが好きだった。
おばあちゃんも旅行の話をしてくれるときは、いつも楽しそうだった。
だから、もしかしたら、旅行の話をすれば元気になってくれるんじゃないかと思った。
新しく行きたいところの話でもすれば、退院する元気もわいてくるんじゃないかと思った。
おばあちゃんの口がもごもごと動く。
「なに?」
私はおばあちゃんの口元に耳を近づける。
「……そうだ、天国、行こう」
途切れ途切れだったけど、私にははっきり聞こえた。
なんだか、笑ってるみたいな声だった。
おばあちゃんが大好きだって言ってた、CMのフレーズ。
もちろん行き先は天国じゃないけど。
シャレにならないよ、おばあちゃん。
◇ ◇ ◇
おばあちゃんのお葬式の日。
棺におばあちゃんがいつも履いていたお気に入りの靴を入れようとしたら、周りで見ていたスタッフの人に止められてしまった。
靴は一緒に燃やしちゃいけないから、入れられないんだって。
天国でもいっぱい歩けるようにって。
いい考えだと思ったのに。
「ごめんね、おばあちゃん」
そっと話しかけると、おばあちゃんは今にも目を開いて私に答えてくれる気がした。
『向こうで買うからいいよ』
なんて、笑いながら。
もう動かないなんて嘘みたい。
歩くことが大好きで、一人で旅行に出掛けてしまうようなしっかり者のおばあちゃんのことだ。
お父さんとお母さんはいつも心配だと言っていたけど、私はそんなおばあちゃんが大好きだった。いいなって思ってた。
私がこんなことをしなくても、きっと向こうでも自分でなんとかするに違いない。
天国でも靴は売ってるのかな。
きっと、大丈夫。
だから、
「いってらっしゃい」
最後に棺が閉まるとき、私はおばあちゃんに手を振った。
いつもおばあちゃんが旅行に出掛けるときみたいに。
あとからあとから涙がにじんでくるけど、そんなのは見ないふりで、いつもみたいに。
おばあちゃんが、笑って「いってきます」って言えるように。