紅を差したのは。(1)
フミカ・フジワラがギュスターヴ・ドラクロワの護衛に任命されたのは、ひとえに『悪鬼を斬る剣術』を扱えるからに他ならない。
(……悪鬼。ガリアンセーズ王国では、悪精霊と呼ぶのでしたな。)
ちん、と刀を鞘に納める。
いまも、シャノワール魔術学園の庭園に現れた悪精霊を、一刀で切り伏せたところだった。
この世界とは違う相、違う界から現れるそれらは、通常、物理的な手段で撃退することは不可能。
しかし、フミカは斬れる。
フリルで彩られた丈の長いスカートは、刀を振るには少々動きにくいが、仕方ない。
このメイド服が、今のフミカの正装なのだから。
……フミカの背後から、弱々しい声が上がる。
「……すまない、フミカ。また、守ってもらっちゃった」
フミカは振り返ると、申し訳なさそうに顔を伏せる線の細い金髪碧眼の王子に微笑みかけた。
「構いませんよ、若。これが拙者の仕事ですから」
フミカ・フジワラ。
つい先日までは、流しの浪人として世界中を徘徊する女剣士であったが、いまは違う。
ガリアンセーズ王国ドラクロワ王家の第三王子、ギュスターヴ・ドラクロワの護衛兼メイドである。
●
ガリアンセーズ王国の西部に、一本の巨大なトネリコの木がある。
宇宙に届きそうなほど高く、山のように太いトネリコの樹皮や盛り上がった根には、いくつもの建物が建設されている。
それは一千年の歴史を持つ、求道者のための学び舎の群れ。
魔術の始祖、『知恵』のゾーエ・ザーニが作り上げた、シャノワール魔術学園である。
その一角、立ち並ぶ学生寮の中でもっとも格式高い建造物が、ドラクロワ王家専用の屋敷だ。
通称『ドラクロワの王窟』と呼ばれるそこには、現在、ひとりの王子が住んでいる。
朝の光のような金髪と透き通った碧眼を持つ、線の細い少年。
少年は、ふかふかのベッドの上で寝返りを打ち、窓から差し込む光を避けるように、体を丸め込んだ。
「ん、んむぅ」
ギュスターヴ・ドラクロワは朝に弱かった。
精神的な不安によって寝つきが悪く、それゆえに夜更かしして書物を読んだり絵を描いたりしているためである。
(不健康ですな。)
と、フミカは嘆息しつつ、ベッドの上の少年をゆする。
「若。起きてくだされ。朝餉の時間でございますぞ」
「……にゅ」
かわいいな、と思う。
あどけない寝顔は、なるほど、神の使いかなにかと見まがうほどだ。
年齢としては、フミカより五つほど下で、
(弟がいれば、このような感じなのでしょうかな。)
そう思ったりもする。
ギュスターヴの事情を知るフミカとしては、ぐっすり眠ってもらいたいとも思うが、ギュスターヴは学生だ。
朝餉のあとには、講義がある。
屋敷のメイド長にも「天使の寝顔にほだされてはいけませんよ」と言われているから、ここは心を鬼にせねばなるまい。
むん、と唇を引き結び、もう一度ゆすって、今度は顔を近づけて声をかける。
「若。朝でございますぞ。起きねば、講義に遅れてしまいますぞ」
「……フミカ」
眼をしょぼしょぼさせながら、天使がもぞもぞ動いてフミカの顔を見上げた。
ぼんやりとした瞳でフミカをじっと見つめて、ふっと微笑む。
「……今日もきれいだね、フミカ。でも、そんな風に怒らないで。笑顔のほうが、もっときれい……」
「もったいなきお言葉です。ですがこのフミカ、そのような言葉では誤魔化されませんぞ」
「ぐぅ」
「若。若!」
仕方ない。
フミカはギュスターヴからシーツをはぎ取って、抱きしめていた枕もついでに強奪し、窓を全開にして外気を呼び込んだ。
初春の風は、少し冷たい。
さすがの寝坊助天使も顔をしかめた。
「う、ううう……。フミカ、だめ……?」
「駄目にございまする。ほら、がんばって起きてくださいませ」
「……うー。フミカが言うなら、がんばる」
ギュスターヴは呻きながら、重たそうに体を起こした。
一見、わがまま放題と思われがちな王子だが、意外と聞き分けは良い。
(……メイド長は「フミカさんが行くと素直に起きるので」と言ってくださいましたな。)
怖がられている……とは感じないので、それなりに懐かれているのだろう。
護衛兼メイドとして仕え始めてから一年弱ほど経ったが、ギュスターヴのほうもまた、フミカを姉のように思ってくれているのかもしれない。
(嬉しいことにございますな。)
と、思いつつ、ギュスターヴの着替えを手伝う。
引きこもり気味なため、歳のわりに体がかなり細い。
「しっかり食べねばなりませんぞ、若」
「フミカ、いつもそれ言うよね」
呆れたように言われてしまう。
「食べねば筋肉もつきませんからな」
「……フミカは筋肉のあるひとが好きなの?」
「そうですなぁ。武士、勇士が好みなのは、否定しませんが。さ、制服の上着でございますぞ」
朝の準備を終えたギュスターヴを広間へ連れて行き、朝餉を取るのにあわせて、本日の予定を確認する。
日中、ギュスターヴに付き添うのはフミカの役割だ。
護衛としての仕事はもちろん、主を補佐するメイドとしての仕事もこなさねばならない。
「午前は魔術薬学、数学がございます。午後は講義がございませぬが、精霊研究会の教授と院生たちから『恩恵』の協力要請が来ております」
エッグスタンドに載せた茹で卵をスプーンですくって食べながら、ギュスターヴはいやそうに顔をしかめた。
「また協力かぁ。『恩恵』なんて、欲しくはなかったんだけど」
「若。そのような仰りようは」
「……ああ、すまない。『恩恵』を持つ者を否定するわけではないんだ。けれど……」
はあ、と少年は大層重たそうなため息を落とした。
「……せめて、デルフィーヌ姉さまのような『恩恵』であれば、まだ役立てようもあったのに。けど、いくら精霊が見えても、精霊魔法の才を持たない僕には無用の長物……いや、精霊眼を求めた悪精霊たちが襲ってくるぶん、たちが悪いよ」
ギュスターヴ・ドラクロワが先祖から隔世遺伝した『恩恵』である精霊眼は、精霊界を視覚的に認知することが可能な、強力な能力ではある。
だが、同時に得るはずの精霊魔法の才覚や、精霊と対話する能力が欠けていた。
それゆえに妖精眼を満足にコントロールできず、ときおり暴走して悪精霊を呼び寄せてしまうのだ。
暴走すると周りに迷惑をかけるからと、部屋にこもりがちで運動不足。
『恩恵』持ちではあるが、英雄種とは呼び難い。
精神の変質を招くほどの影響を受けていないあたり、『恩恵』の薄さは明白だ。
ギュスターヴ・ドラクロワにとって、『恩恵』とは厄介な体質でしかないのだ。
「拙者は、若は類まれなる才能をお持ちだと思いますが」
「……慰めはよしてよ」
「いえ。拙者のような悪鬼斬りは、精霊を第六感で捉えて斬っておりますが、若は精霊を目で捉えておられる。これを特別と呼ばずしてなんと呼びましょうか」
「でも、僕には剣の才能もないから」
つぶやくように言う。
一年弱、共に過ごしてきたフミカだが、たしかにギュスターヴには剣の才能もない。
というか、戦闘に関する才能が、まったくない。
(お優しすぎる弊害……いや。それこそが、若の良いところでございましょうな。)
優しすぎるギュスターヴは、だれかを傷つけるくらいなら、傷つけられるほうを選んでしまう。
これでは攻撃もなにもない。
そういう意味では、たしかに才能がない。
しかし。
「若は悪精霊を絵に描けるではありませんか。現に、精霊の研究者たちは大喜びされておられましょう」
「まあ、そうだけどさ。そうじゃなくて……」
少年の持つスプーンの先端が、茹で卵の白くて柔らかい肌を抉った。
「……やっぱり、剣や魔法の才能が欲しかったんだ。そうしたら、僕がフミカを守れたのに。守られるだけじゃなくて」
フミカは首をかしげた。
(拙者を……守る?)
「あの、若? 拙者は若を守るのが仕事にございます。若に守られるようでは、護衛失格になってしまいます」
「……護衛じゃなくて、およ………め、メイドとして、ずっと傍にいてくれないの?」
スプーンを咥えたままフミカの顔を見上げてくる。
なんとも答えに困ってしまう問いだ。
「そういうわけには、いかんでしょうな。拙者の契約は若が卒業なさるまでと決まっておりますゆえ。護衛としてもメイドとしても、高等部まで含めてあと五年ほどでございますが」
「五年。五年かぁ……」
ギュスターヴは唇を尖らせて、今度は黄身にスプーンを突き刺した。
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大変お待たせしました。
しばらくは一日一話を目標に更新していきます。




