猫「まったく。拙者が居ないと何も出来ぬのか」
16歳になったら船を降り、ヴィタリスで正式なお針子として暮らす。
そんなマリーの人生計画は思わぬ所から崩れ去りました。
新年の祝いに沸いていた町の人々も、鐘が鳴り終わり最後の花火が消えると、皆それぞれの寝床へと帰って行く。
私はようやく、その引き波に紛れトライダーを置き去りにしたまま路地裏に潜り込む事に成功した。
あとはフォルコン号を探すだけだ。御願いだからレブナンに居て……やっぱりエテルナに居るとかいうのはやめて……私もう歩けない……
私が路地裏の壁にもたれ、溜息をついたその時。
「アーオゥ」
ひゃっ!? びっくりした……だけどこの声はぶち君だ! 私は壁から離れ辺りを見回す、やっぱりぶち君だ、路地裏の張り出し屋根の上にぶち君が!
「ありがとうぶち君、迎えに来てくれたのね!」
私はよろよろと屋根の上に這い上がり、そのままぶち君の方に這って行く……しかし私が抱きつこうとしているのを察したぶち君は、十分な距離を取りつつ私を港の方へと誘導して行く。
◇◇◇
フォルコン号は居た……! 市場やリトルマリー号のドックからはだいぶ離れた、港の賑わいとは無縁な隅の方の錨地に、目立たないように佇んでいた。
しかし。フォルコン号が30m程沖合いに投錨し、桟橋にはボートのみをつけているのは解るのだが……何故かその前に、風紀兵団が二人立っている。
「ああっ、団長! 良かった、ここでお会い出来て」
「随分探したのです、最後はラッセン艦長に尋ねたら、マリーさんの行方は解らないけれどマリーさんが船長をしているフォルコン号ならここに停泊していると教えていただいて」
思えば私は、風紀兵団には宿の事も船の事も伝えていなかった。
あと、この風紀兵団が今まで見たどの風紀兵団か解らない……
「申し訳ありませんね……だけど私今日は走り回ってもうヘトヘトで」
彼らの話を聞こうかとも思ったけど、もういいや。さっさとボートに乗って陸を離れてしまおう。そうすればこの港での出来事は終わりだ、後の事は知りません。私、船乗りですから。アハハッ。
「船に帰って寝ますから御用はまた明日以降にでも」
風紀兵団もトライダーもこれ以上面倒見られませんよ。勝手にして下さい。
「お待ち下さい、これだけはお聞き下さい団長、昼間陛下を救出された時に、あの、何かトラブルはありませんでしたか? 誰かから誤解を受けるような何か、その」
は?
「ごめんなさい、良く聞こえませんでした、私本当に疲れてるんです」
「ああ、それはその勿論そうなのだと思います、団長は二回も先陣を切ってリトルマリー号に突入されましたから」
「それで、あの海賊や工作員共と戦って陛下を救出される上で、その……何か、間違って陛下の御体に手が当たってしまったとか、そういう、救出作戦上やむを得ない事故などはありませんでしたか?」
……
係留されていたフォルコン号のボートの上で、小さな人影がむくりと体を起こした……あっ、カイヴァーンですよ! なんて事だ、カイヴァーンがこんな所で寝袋にくるまって寝てますよ! そんな、そこまでしなくていいのに!
「姉ちゃんやっと見つかったのか……ぶち猫が見つけてくれたの? いつもありがとうな……よしよし」
私の横に居たぶち君はスタスタと歩いて行きヒョイっと飛んでボートに乗り込むと、カイヴァーンの膝に乗り、額をカイヴァーンの掌にこすりつける……何ですか、カイヴァーンにはそんなに愛想よくする癖に何で私には抱っこもさせてくれないの。
「あの、あれは陛下ではなく陛下の料理人、そういう話になっているという事は解っております」
「しかし……自分は団長の指示で枢機卿への連絡に行った四人の一人なのですが、陛下が救出された後、枢機卿の周りで妙な情報が錯綜していまして……その……団長が陛下、いえ陛下の料理人に平手打ちをなさり、けつアゴ、へんてこモミアゲ、毛虫まゆげと奏上されたと……」
……
私は夜空を見上げた。今日はとても空が澄んでいる……もう月も沈んだので、満天の星が望める。
昔の人はこれら星々は我々の為に空にある灯りのような物だと信じていた。しかしファウストら地動説の学者が言うには、我々の住む世界もまた、この無数にある星々の一つに過ぎないらしい。
何と壮大な話なのだろう。夜空の星々、この光一つ一つに、見た事のない広い世界があると言うのか。それに比べたら私の戸惑いや驚愕など、何とちっぽけな物なのだろうか。
……
ぎゃあああぁああああ!?
絶対何かおかしい気はしたんだよ、料理人アルセーヌの話をする時のユロー猊下は一度も私の目を見なかったし、アルセーヌに対する風紀兵団の態度もいちいちおかしかった、アルセーヌを迎えに来た馬車は異常に豪華で馬が八頭もついてたしだいたいいくら陛下の御気に入りだからって料理人が一人家出したくらいであれだけの軍隊と枢機卿が動く訳無いじゃん、偽マリー、ジゼルお姉さんの方だって料理人一人誘拐するのにあれだけの人数を使ってわざわざリトルマリー号ごと盗み出そうとするか!? 黒幕として逮捕されたマリオット卿だって料理人一人誘拐する為にあんな人生賭けた大博打打つか!?
だけどそんな……国王陛下ともあろう方が寝静まった夜の町を一人で歩いていると思うか!? 仮にも国王でしょう、アイビスの王様でしょう!?
そして……この国の、私の祖国の、北大陸随一の大国アイビスのたった一人の国王陛下が、私の父を法的に殺し、リトルマリー号を出港出来なくし、ロイ爺達が私に仕送り出来ないようにし、養育院と風紀兵団を組織し私を追い回し、陸上のカジノを取り潰し、海上のカジノは放置し、私をバニーガールにして船に追い込んだ、アイビス王国の国王陛下が! 私のリトルマリー号を勝手に借り上げ代わりにフォルコン号を押し付けて来たアイビス国王が……あの、出会ったばかりの綺麗なお姉さんに誑かされ、のぼせ上って夜中に鼻の下伸ばしてスキップしてるような、あんな人が、アンブロワーズ・アルセーヌ・ド・アイビス陛下ですってぇぇえぇぇえ!?
だけど全部。全部、辻褄が合う。アルセーヌおじさんが実はアイビス国王本人だったというのなら、辻褄が合う……
「あの……風紀兵団の皆さんって、国王陛下の直臣……なんですよね?」
「は……はい! おっしゃる通りです、それは我ら風紀兵団の一番の誇りです」
「我らは皆、この大兜を国王陛下から直接お渡しいただいているのです、陛下はその時に一人一人と言葉を交わして下さるのです」
もう疑いは無い。
あれは王宮料理人のアルセーヌおじさんではなく、アイビス国王アルセーヌ陛下だったのだ。枢機卿があれを料理人だと言ったのは、拠所ない事情による方便である。
一国の国王が、他所の大国から来たお妃様も居られる国王陛下が、怪しいお姉さんとデートしたくてお忍びでスキップしながら出歩いた揚句、危うく誘拐されそうになっただなど、とても世間には聞かせられないから……秘密にしなければならないから……
―― ドドドッ、ドドドッ、ドドドッ……
こんな夜中に、どこからか蹄の鳴る音がする……
「それでお二人は、何故ここに……?」
私は宙を見上げたまま尋ねた。
「仲間達も方々で団長を探しています……」
「枢機卿も御立腹なのですが……デュモン卿がカンカンなのです、恐れ多くも国王陛下に対して何たる侮辱と仰せられて」
ぎゃあああぁぁぁあああ!?
―― ドドドッ! ドドドッ! ドドドド!!
「居たぞ、あの女だ! 修道騎士団、行くぞ!」
ひっ……海辺の道を一隊の軍馬が松明を掲げて遠くからこちらに押し寄せて来る、あの怖い顔はデュモン卿!? その後ろにも7、8騎ばかりの騎馬隊が……
「カイヴァーン! ボート出して、早く!!」
「了解姉ちゃん」
カイヴァーンは何も聞かずに黙ってボート側の舫い綱を外して放棄し、オールを漕ぎ始める。
「団長……?」
「皆さんも野営地に帰って! さよなら!」
私はボートが岸から少し離れるのを待ってから駆け出し、ジャンプして、海面を飛び越しボートの縁にそっと着地する。船酔い知らずのズルが無ければこんな事は出来ない。
「団長!?」
「団長ー!!」
「縁があったらまた会いましょう! どうかお元気で!」
ボートに飛び乗り岸を離れた私は、二人の風紀兵団に手を振ってやる。
「マリー・パスファインダー! 戻れーッ! 引き返せーッ!」
デュモン卿が馬を急がせながらそう叫んでる……だけど、大逆罪だと解っていてボートを戻す人なんて居ない……どうしてこうなった……
酷い。
酷い……
私はボートの床に蹲る。私が何をしたって言うんですか? アルセーヌの頬を引っ叩いた? だって私あの時は自分は死ぬんだと思ってたし、アルセーヌは自分の事しか言ってないし、周りは敵だらけだったし……もう終わりかなって思ったから……
夜中に郊外で出会ったピンクのプールポワンを着たチャラチャラしたハッピーおじさん、実は国王陛下だった。今さら後悔してももう遅い……みんなに何と言って説明しよう……地獄のお父さん。マリーももうすぐそちらに参ります。




