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ノルデン「商人? 聞いていないぞ私は。今夜は極光鱒パーティなのだ、居ないと言っておいて、うん」

恵まれない人々に多額の寄付金を贈り、景気よく買い物をして、旦那衆が集まるクラブに乗り込む、()()()()()マリー……いや、元々こういう所もあったかしら?


三人称ステージが続きます。

「私が存じ上げているのはニーナ・ラグランジュさんというアイビス人のお嬢さんです。舞台芸術に詳しく、アイビス王都に居られた頃には宮廷に召し出された事もあったとか。その後御主人と共に招かれてウインダムに移ったのですが、一年前にその御主人を亡くされて」



   ◇◇◇



 未亡人となったニーナ・ラグランジュはノルデン男爵の庇護を受け、その屋敷に滞留を続けているという。マリーは早速ニックを連れ店を出て、待たせておいた貸し切りの馬車に乗りノルデン男爵の屋敷へと向かう。


「船長、そのラグランジュさんというのは一体」


 しばらく黙っていたニックは意を決してそう切り出した瞬間、小瓶を取り出したマリーにその中身を数滴、頭と言わず肩と言わず振り掛けられる。


「うわ何するんだいきなり、な、なんだよこれ」

「さっき買った香水です、ジャスミンの香りですよ、爽やかで良いでしょう」


 マリーは自分にもそれを振り掛ける。しかし。


「船長、これ明らかに掛け過ぎだろ……俺、そんなに臭かったか?」

「申し訳ない、そんな事は無かったし確かに掛け過ぎみたいです……これ、他の香水を掛けたら臭いが中和されますかね? ラベンダーもありますけど」

「絶対にそうはならないからやめてくれ……」


 馬車は日の落ちたウインダムの街を行く。


 道幅が広く平坦なこの街は馬車にとっても走りやすい街だったが、それ以上に、非常に水路が発達した街でもあった。

 運河沿いの道には方々にランタンが掛けてあり、大きな街角には篝火かがりびが焚いてある。また、運河を行くボートは皆大きめのランプや提灯を掛けている。空にはまだ入り日の残照が残り、辺りはまだ十分明るい。


 ニックは再びマリーの様子を横目で見る。船長は何を考えているのだろうか。そしてニーナ・ラグランジュという名前。心当たりのあるような、無いような。

 そしてニックはもう一度それを聞いてみようと思い、マリーの方に向き直ったが。


「マリーパスファインダーはロングストーンでパスファインダー商会の商会長フォルコン号船長マジュド国イマード首長騎士マリーパスファインダーパルキア海軍退役中将ラズピエール白金魔法商会会長マリー……」


 自分の名前や肩書き、人伝に類する事を小声で呪文のようにブツブツつぶやきながら、焦点の合ってない目でじっと馬車をく馬の尻を見つめ、そしてどうやら馬車酔いを起こし青白い顔でそれをこらえている、マリーのただならぬ様子を見て、余計な事を言わない事に決め、腕組みをして前を向き、目をつぶる。



 しかし、結局の所マリーはノルデン男爵には会えなかった。

 立派な身なりを整えて来たマリー達に対し男爵の執事達はきちんと応対してくれたのだが、当のノルデン男爵は現在王宮へ出仕していて不在、ニーナ・ラグランジュも外出中だと言うのだ。


「申し訳ありません、お約束もせずに失礼致しました」


「主人には良く伝えておきます、どうか、またいらして下さい」


 落胆したのか、緊張の糸が切れ気が抜けたのか。執事達に礼を言って屋敷を辞したマリーは、肩を落として言った。


「ちょっと物事を急ぎ過ぎたかもしれません。もう暗くなって来ますし、今日の所は帰るとしましょう」


 それでこの屋敷は結局何だったのか。ニックはその事を聞いてみたかったが、彼の小さな船長はだいぶ疲れているようだったので、聞く事が出来なかった。



   ◇◇◇



 帰り道。

 ぼんやりとしていたマリーは、馬車が昼間訪れた教会の前を再び通ろうとしている事に気づき、慌てて馭者に声を掛ける。


「ああ待って下さい! その道は避けて……」


 しかし馬車は既に角を曲がってその道に入ってしまっていた。まあ、道幅も広いので回れ右をしようと思えば出来ない事は無いのだが。


「すみません商会長さん、今戻らせます」

「いや結構です、そのままゆっくり進んで下さい」


 マリーは馭者の手間になる事を気の毒に思い、馬車にそのまま進んでもらう。


 辺りはだいぶ暗くなっていたが、教会の周りには人だかりが出来ていた。子供が多いようだが大人の姿もある。しかし集まっている者の多くに共通しているのは、身なりがあまり良くないという事だった。

 マリーは今度は帽子で顔を隠し、静かに通り過ぎようとしたのだが、


「貴女は……皆さん! あの方が教会に多額の寄付をして下さったマリー・パスファインダーさんです!」


 すぐに牧師の一人に見つかり、そう指差されてしまった。


「ああいえ、お構いなく! どうかお構いなく」


 慌ててその場を取り繕おうとしたマリーは、身寄りが少ない、あまり恵まれていないらしい子供達が自分の事を見ている事に気づいた。

 彼等は少しずつ馬車の方に寄って来る。馭者はそれをとがめ、腕を振って追い払おうとする。


「道を塞ぐんじゃない、どけ、どけ!」

「待って! 一旦止めて下さい」


 マリーは慌ててそれを止め、ステッキを持ったまま一旦馬車から飛び降りる。ニックも同様に反対側へと降りる。馭者は馬を止め、馬車のブレーキを引く。


 マリーの周りに、何人かの子供達が駆け寄って来る。


「貴女がマリーさん? 牧師さんが言ってたわ、たくさんお金をくれた人だって」

「どうしてお金をくれたの? ぼくのしんせきなの?」

「お姉さんは僕のお母さんがどこに行ったか知ってるの?」


「あ、あの……それはその……」


 たちまち浴びせられる子供達からの質問に、マリーは()()()()()()になる。ニックは急いでやって来て、マリーと子供達の間に入る。


「皆、マリー船長は魚がたくさん獲れたから、お腹が空いた人達に食べてもらいたいと思ったんだ。それだけなんだ、皆もう魚は食べたかい?」

「……マリー船長って、漁師なの?」

「あ、ああそう、漁師なんだ」


 教会横の広場で行われていたのは炊き出しだった。

 石煉瓦を組んで作ったストーブの上には大きな鍋が並べられ、中で野菜が煮えている。牛乳もたっぷり使っているようだ。この辺りは乳牛の飼育が盛んな地方ではあるが、それにしてもこれはちょっとした贅沢である。


「極光鱒のシチューなのよ! 今日は牧師さんが奮発して下さったの!」

「僕達も作るのを手伝ったんだ! お姉さんも食べていけばいいよ!」


 ストーブの薪炭はふんだんに焚かれていて、子供達だけではなく……この辺りの、おそらくあまり暮らし向きの良くない大人達も一緒になって火に当たり、木の椀に汲んだシチューをすすっている。暖かい炎に照らされ、子供達の笑顔も輝く。


 マリーとニックは顔を見合わせる。まさかまだ極光鱒が追い掛けて来るとは。そういう顔で。二人は苦笑いをして軽くうなずき合う。


「では一口だけ、ご馳走になりましょう」

「いいのか? 俺も食べても」



 牛乳をたっぷり使ったシチューに入っているのはたくさんの野菜と、極光鱒のアラだった。脂の多い身は栄養不足の子供達にはちょうどいいのかもしれない。

 そして体は間違いなく温まる。フルベンゲン程ではないが冬のウインダムは寒い。厳冬期には、水路が凍ってしまう事もあるという。


「マリー・パスファインダー様からいただきました寄付金は、皆さんが無事にこの冬を越せるように、少しずつ大切に使わせていただきます!」


 牧師はマリーの近くで、集まった人々に演説するかのように声を張り、周りじゅうに聞こえるようにそう言った。辺りからはまばらな拍手と、マリーを称え神に祈る声が唱和しょうわされる。


「あ、あまり大声で言わないで下さい……」

「自業自得だぞ、船長……」


 マリーとニックは揃ってうつむく。


 空はもうすっかり暗くなっていたが、辺りにはこの食事会の為に集まった人々が篝火かがりびを焚いていた。だから周囲は、腹の膨れた子供達が走り回れるくらいには明るかった。


 火に当たる大人達は言う。


「本当に有難いです、マリー・パスファインダーさん。貴女のおかげでたくさんの子供達が笑顔を見せてくれた」

「ここは他のどんな場所と比べても恵まれているほうなんですけどね。町は豊かだし住民は寛大ですわ」

「それでも……年の終わりに家族も家も無い子供達が、こんなに居るんです……アイビスでは国王が全ての孤児達を保護して下さるそうですな」


 それを聞いたマリーは、ますます()()()()()()()という顔をして、口籠くちごもって答える。


「それはその……私はただ、良い商売をさせて下さったこの町に、少しでも恩返しが出来たらと思いまして……」

「素晴らしいわ! 本当に貴女のような人が増えれば良いのに! マリー・パスファインダー先生」

「何と謙虚なのだ、善い行いをしたら堂々と誇れば良いのですぞ、マリー・パスファインダー先生」

「あ、あの、私の名前はいいんですもう、どうか、忘れて下さい」


 あまり顔を上げず、体を小さくしてシチューを食べていたニックは、マリー船長の横顔をのぞき込み、小声でたずねる。


「船長は今日、自分の名前を売ろうと思って躍起やっきになってたんじゃないのか? あれはもういいのか」

「勘弁して下さいニック先生まで。見たら解るでしょう、もう」

「……なあ船長。あの屋敷は一体」


 肩を落とすマリーに、ニックがそう続けようとした、その時。


「こら! 何やってるんだお前!!」


 水路の脇に停めた馬車の方から、声変わりしていない男の子の甲高い怒声が響く。

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本作はシリーズ五作目になります。
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マリー・パスファインダーの冒険と航海シリーズ
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