水夫「たかが小僧一匹、何をもたついてるんだ!」水夫「じゃあお前がやってみせろよ! 奴を倒せ!」
リトルマリー号に単独で突入してしまったマリー。フレデリクじゃないのに大丈夫なの?
マリーの一人称に戻ります。
「あのガキを撃ってくれ! 早く!」
船首側の水夫が、さきほどの高速艇に向かってそう怒鳴っている。
当初の興奮も醒め、冷静になった私はリトルマリー号のマストにしがみついて泣いていた。怖い。何で私がこんな目に遭わなきゃならないんだ。
「また船首側へ行ったぞ! 気をつけろ!」
「銃でも弓でもいい、遠巻きに撃ち落とせ!」
これは私と父の船だ。だけど海軍さんと国王陛下が貸してって言うから、代わりにフォルコン号を貸してあげるって言うから、仕方なく貸したのだ。
だから海軍さんにはこの船を私に返すまで、きちんと管理する責任があるのではないか。それを何だ、泥棒に取られたから自力で取り返してくれと言うのか。
貸すんじゃなかった。こんな事なら貸すんじゃなかった。いくら頼まれても断れば良かった。
根元から切り落とされたバウスプリットの所には代わりにモップの柄のような物がくくりつけてあった。彼等はそこに支索を結ぼうとしたようだが、案の定すぐ根元から折れたらしくロープが引っ掛かったままブラブラと揺れている。もしかしてこの偽乗組員共、水夫ですらないのではないか。
―― ドォン!
波除板の影に隠れてマスケット銃を再装填しようとしていた水夫が、私の近接射撃から逃れる為銃を置いて逃げ出す。
そして一瞬でも甲板に姿を現すとすぐに銃やら弓やらの照準がこちらを向く! ぎゃあああ!?
「ぐあっ!? 今頭を踏まれた!」
「待て! 撃つな味方に当たる!」
「ええい、味方に当ててでも撃て!」
キャプスタンを、シュラウドを、敵の水夫の頭を飛んで高度を取り直す私、だめだ、全くキリがない……どこだよ!! アルセーヌは!!
アルセーヌも偽マリーも多分下層甲板のどこかに居るというのは解ってるんだけど、敵もそれを守ろうとしているのだろう、私は結局帆桁へ、マストへと追いやられてしまう。
リトルマリー号は桟橋にへばりついたままだ。私の後を追っていた三人の風紀兵団はまだ来ない……いや、桟橋に到達した所でガレー船からの攻撃を受けたようだ、馬を降りて……走ってこちらに向かって来るようだが、怪我は無いのか……
そして反対側の桟橋からは、四人の風紀兵団が騎馬のままやって来た! この船を操船してあちらの桟橋にぶつける方法は無いだろうか?
「団長ー! みんな、団長が一人で戦っているぞ!」
反対から来る四人が何事か叫びあってる……嫌な予感がする。だけど私には余所見をしている暇は無かった。
「撃てェ!!」
―― ダァン! ダン、ダァン!
撃゛ってぎだあ゛ああ!!
私は必死でマストに、ヤードに、飛び移りながら身を隠す! 私生きてるの!? ああ、まだ生きてる……アイリ様ごめんなさい、今度生き残ったら今度こそ金輪際危険な事は致しません!
「アルセーヌさん!! どこに居るんですか、返事をして下さい!!」
意を決して叫んだ私は、甲板の射手がちょうど私に向かって真っすぐ弓を構えたのを見た! ぎゃ
―― ブゥゥン!!
あああ!? 今耳の横を通った!? 避けなかったら当たってた!?
泣きたい、もう蹲って泣きたい……
そうだ、土下座をしよう、甲板に降りて土下座をするんだ、父譲りの土下座だ、私も何度もしたし、父も15年のリトルマリー号の船長生活の中でたぶん何度も土下座をしたのだろう、このリトルマリー号の甲板で。チビで痩せた小娘の一人くらい、土下座すれば命まで取るという事はあるまい。
私は刹那の間にそんな事を考えつつ、射手に向かって銃剣を構え落下していた。
「うわああ!?」
10mくらいの高さから落ちて来た私から射手は飛び退いて避けるが、私のマスケット銃の台尻からは逃げ切れなかった。
―― ゴッ……!
弓矢を持ったその水夫は私の打撃を受け、よろけて、波除板に頭から激突する。私はすぐに周囲を確認する。今私を撃てる水夫は居ない。今こそ下層甲板に飛び込む好機だ。
そう考えて身を翻した私の視線に、一瞬、とんでもないものが映った。
「なっ……!?」
反対側の桟橋から来た四人の風紀兵団が馬から降りていて、桟橋の先端に立っているのだ。そして……
―― ドボーン! ドボボドボーン!
「やめ、やめてッ……!」
間に合わなかった!? 風紀兵団が……四人の風紀兵団が、鎧も大兜もつけたままで、桟橋から海に飛び込んだのだ! そんなの泳げる訳ないしここは航路だよ、水深も深いに決まってる、そんな……
……
私が来た方の桟橋の三人の風紀兵団はガレー船に足止めされていて、味方は当分来そうもない。
一方、高速艇はもうすぐリトルマリー号に接舷し十数名の敵の増援を連れて来る。
もう無理だ。もう自分だけでも逃げなきゃ……この船と敵がこの後どうするのかは知らないが、敵からしたら私に情けをかける理由は無い。
逃げよう。
ごめんねリトルマリー、守ってあげられなくて。
……
私は下層甲板に飛び降りる。今私を撃てる敵は居なかった。本当は正面からの接近戦の方が私を効率良くぶち転がせると思うのだが、それを挑んで来る敵は居なかった。
「アルセーヌ! 返事をして!」
私は叫ぶ。先程までの喧噪が嘘のように、船内は静まり返っていた。敵は私の声に耳を澄ませ、前後左右の物陰から私を狙っているのだろう。
「何で黙ってるんですか! 銃を突きつけられて喋れないんですか!? アルセーヌを離せ誘拐犯! もう観念しろ!」
私は自分の台詞に自分で呆れる。こんなの一人で敵の真ん中に落ちてしまった間抜けな銃士の負け惜しみの台詞だよなあ。
「ああ、あのね、君」
その時。アルセーヌは、私が想像していた船尾側の船長室の方向からではなく、船首側、船員室や会食室がある方の廊下から……肩をすぼめて、現れた。
アルセーヌは元気そうだった。表情は冴えないが顔も体もどこにも怪我は無いように見える。銃や刃物を突き付けられている様子も無い。
「その……君、やっぱり風紀兵団だったんだね……なんで違うなんて言ったの?」
リトルマリー号の下層、船体中央にある貨物甲板は、船幅一杯の幅と前後10mの奥行のある空間だ。我々が乗る時はここに樽荷などの重量物を積む。
しかし今この空間は、全体が国王陛下の為の居間として改装されていた。床には絨毯が敷かれグラスト港の事故の時に海に捨てていた豪華なテーブルや寝椅子も新調されていて、マストの根元付近には暖炉のマントルピースまである。
「アルセーヌさん……貴方他に言う事は無いんですか!」
あー。私またぶち切れてる……嫌だなあ、こういうの。
だけど私も憔悴しているのだ。
怖い顔のデュモン卿に言われた事は、まだ私の頭の頭の中をぐるぐる回っている。何故撃たなかったと。
撃てば敵を倒し、状況を味方の有利に変え、場合によっては戦いを終わらせる事だって出来るのに。
私が撃たないせいで戦いが長引き犠牲者が増えたらどうするのか。
そんな事に悩みながら、私は恐怖に震え涙を流し死にもの狂いで逃げ回ってここまで来た。
リトルマリー号と、このおじさんの為に。