ファンヘーメル「大事な寄付金ですよ、そんな贅沢は出来ません!」ストラウク「アラならば安く買えます、子供達に栄養を取らせるべきです!」
不精ひげは本当は不精ひげじゃなかった! という、割とどうでもいい情報で盛り上がるフォルコン号の面々。
そして船に帰って来るなり昼寝をしてしまったマリーが起きて来ましたが……何だか様子が変です。
波止場に降りたマリーは不精ひげの無い不精ひげニックを連れ、アレクが呼んだ馭者付きの二輪馬車に乗り込み、その馭者に尋ねる。
「君、この辺りで街に住む身寄りの無い子供達の面倒を見ているのは誰ですか」
「へぇ、地域の教会が中心になって、飯を食わせたりしているようですが」
「そこへ向かって下さい」
ウインダムの町は平坦で新しい街らしく道幅も広く、馬車は快調に走って行く。
「もう少し行き足を落として下さい、人をはねたら困ります」
時々そう馭者に指示するマリーに、ニックは訝しんで尋ねる。
「一体何を始める気なんだ? 急に教会に行くだなんて」
「スヴァーヌの兄弟を拾ったのはついこの前ですよ。彼等はお腹が空いて、私達の船に食料を求めて忍び込んで来たんです、船乗り鼠のように。彼等はそのおかげで国に帰れましたが、それでいいという事は無いでしょう!」
馬車の案内で、浮浪児達にいくらか援助をしているという改革派の教会に着いたマリーは牧師に面会を求め、数週間前に港で出会ったスヴァーヌ人兄弟について話した。
「私は彼等を助け、彼等は私を多いに助けてくれました! しかし、いつもそのような事が起きるとは限らない。親に頼れない子供達には神の加護と人の糧が必要なのではないでしょうか!」
「おっしゃる通りです、マリー・パスファインダーさん、救貧活動に御協力を御願い出来るのでしょうか」
「勿論です! 私、マリー・パスファインダーは今日その為に参りました! パスファインダー商会はウインダムの子供達の為に、金貨500枚の寄付をさせていただきます!」
これにはたまらず、ニックも冷や汗を堪えながらマリーの袖を引く。
「船長、それは良い行いかもしれないがそんな大声で話さなくても……」
「例え誰かに偽善と後ろ指を差されようと、別の誰かが一人でも私と同じように行動してくれるならそれで良いではありませんか。それに、マリー・パスファインダーは極光鱒の取引で大きな成功を収めたのですから! その利益をこの街に少しでも還元するというのは、人の道に適った考えではないでしょうか!」
多額の寄付の後は買い物である。出掛ける時に1000枚近い金貨を持たされていたニックは最初から嫌な予感を抱えていたのだが、ここでもマリーはそれは気持ちよく金を使って行く。
「この二角帽は今の私にぴったりだと思いませんか? ああ、そうですよニック先生、貴方も今日は帽子を被るべきですよ」
「待て、待て船長、俺はこんなの持ってても仕方ないから! 要らないから!」
「貴方がぼんやりしていると私までぼんやりして見えるんですよ! 船長命令です、この帽子を被りなさい。御主人! 立派な紳士に相応しい外套も見繕ろって下さい!」
とうとう貴族の執事長のような恰好にされたニックを連れて、マリーはさらに買い物を続ける。
「このサテン生地も素晴らしいですね! アイリさんの為に買って行きましょう。こちらは何でしょう、初めて見ますよ、レイヴンの毛織物ですか? ツイード? アレクやロイ爺にも似合いそうですね、こちらもいただきますよ!」
「待てって、あいつらも急にこんないい物貰っても困るから……」
「私は困りません! マリー・パスファインダーは商売に成功したのですから! 共に汗をかきこの成功を勝ち取った同志達とそれを分かち合って何がいけないのですか!」
何がいけないかと言えば、恥ずかしいのがいけないとニックは思った。マリーはただ景気よく金をばら撒くだけでなく、何かにつけて自分の名前を大声で繰り返す。今も……マリーは自分の名前が聞こえたかというように、キョロキョロと往来を見渡している。一体それを誰に聞かせたいというのだろうか。
銀の握りのついたステッキ、象牙象嵌細工を施された短銃、ミンク皮のキャップ、金縁のモノクル……おおよそどれも彼女には不要の物と思われる華美な装飾品にも手を出すマリー。こうなると次第に、商人の方から彼女に近づいて来るようになる。
「宝飾品は如何ですか? 当店は北大陸で一番、最高品質の真珠を取り揃えておりますよ」
「東洋の絹織物にご興味はありませんか? しっとりとした輝きはプラチナに勝るとも劣りません」
「待て待て船長、一度ここを離れよう、船長も周りも、ますますおかしくなって来たから!」
「ニック先生がそうおっしゃるなら仕方ありません。ああご主人、この町の紳士の皆様が集まる場所をどちらか御紹介願えませんでしょうか、私はアイビスから来た若輩者、この町は不案内なのです」
◇◇◇
装飾品店の主人が紹介してくれたのは王侯貴族や高名な学者が集まるような本物のサロンではなく、単に金と力がある人間が集まって楽しんだり情報交換をしたりするような、町の旦那衆が集まる社交場の店だった。
「いいのか船長、ワイン一瓶で金貨5枚取るような店だぞ、これ」
「ニック君。ぼんやりしてる暇はありませんよ」
この店には誰かの紹介が無ければ入れないのだが、装飾品店の主人は上客であるマリーをここまで案内して来てくれた。
そして本人にそのつもりが無くとも、マリーの風貌は十分人目を惹くものであった。目鼻の整った小柄な少女が、貴公子が着るようなジュストコールをきちんと着こなし、身なりの良い壮士を連れて、誰彼なく挨拶して回っているのだ。
「これは美しいお嬢さん……素敵なお召し物ですが、貴女は役者か何かですか?」
「ははは、役者ではありません、パスファインダー商会の商会長のマリーと申します、ロングストーンを拠点に大小20隻ばかりの船で貿易と海運を営んでおります」
息をするように商会の実情を盛るマリー。その口は笑っているが目は笑っていない。旦那衆が次第に彼女の周りに集まって来る。単にマリーを面白い見物だと思って声を掛けて来る者も多かったが、中には多少事情を知っている者も居た。
「もしや貴女が先日、中央市場に大型で新鮮な極光鱒を大量に持ち込んだという、パスファインダー水産の……?」
「確かに水産で大きな取引は致しましたが我が社は専門の水産会社ではありません、ははは。そうそう、手空きの輸送船があるなら今はスヴァーヌ北部がお勧めですよ、空前絶後の大漁でフルベンゲンなどでは商品は大量にあり、物資と人手は足りてません、今ならコルドンまで往復するだけでもかなりの利益が出ると思いますよ! ご興味があれば、何なりとお聞き下さい」
「なんと……そんな儲け話を他社に教えてしまって良いのですか」
「私は十分利益を上げさせていただきました。ははは、南に戻る用事もありますしこの商機はお譲り致しましょう、マリー・パスファインダーと皆様の友好の証に」
やがて店内に設けられた小さな舞台に、胸元の露わな衣装を着た歌い手の女性と、管楽器を抱えた奏者の男が現れる。舞台袖にはクラヴサンと呼ばれる鍵盤楽器もあり、その前にも男が座っている。
ニックは途中からマリーの心配ばかりするのをやめ、店の隅の方で高価な熟成ワインと特産のチーズを楽しんでいた。あいにく今日の肴は極光鱒のスモークだったので、それは断る事にしたが。
そこに歌手を見に行った旦那衆と別れたマリーが、ハンカチ片手に疲れた顔をして戻って来る。
「船長? 疲れた顔だな……何か無理してるんじゃないのか」
ニックはただ、そんなマリーを見て思った事を何気なく口にしたのだが。
「疲れ!? 疲れてなんかいませんよ! 私は元気です、どこも痛くないし泣いてもいない!」
「シーッ、静かに、皆歌を聞いてるだろ」
たちまち声を荒らげるマリーに、ニックは慌てて自制を促す。客の多くは今度は舞台で歌い始めた美女の方に夢中の様子だった。
「私はパスファインダー商会の商会長でフォルコン号の船長なんです! 地元の紳士の皆さんとの交流はとても大切なんですよ!」
「解った、解ったから」
ニックは小さな船長から目を離し天井を見上げ、深く息をする。それからマリーが初めて、いや、大きくなってからのマリーが初めてリトルマリー号にやって来た時の光景を脳裏に思い浮かべる。
あれがほんの半年前だったのか。あの時のマリーはまだ海や船、船乗りという未知の世界に怯えるごく普通の、自分に自信の無い少女に見えたのだが。
だけどマリーが最初は人見知りである事も、人の世に良かれと思えばどんな困難とも勇敢に戦うという事も、物事が上手く行くとお調子者になるという事も。全て彼女の父でリトルマリー号の前の船長、フォルコン・パスファインダーが繰り返し語っていた通りであった。
ニックが横目でちらりと見ると、マリーは額の汗をハンカチで丁寧に拭いながら、りんご果汁でかなり薄く割った白ワインを少しずつ飲んでいた。
マリーは着ている服で性格が変わる事があるが、このオレンジ色のジュストコールを着ている時の性格は、演じている本人もとても疲れるものらしい。
ステージではまだ歌謡と演奏が続いていて、ほとんどの客はそちらを向いている。マリーとニックは少し離れた店の隅のカウンターに寄りかかり喉を潤してしたのだが……先程から、カウンターの並びの少し離れた所に居た黒い外套を羽織ったままの年老いた紳士が、マリーの事をちらちらと見ていた。
やがて老紳士は、意を決して話し掛けて来た。
「貴女は……ニーナさんではないですな?」
ニックは瞬時に、それをどこかで聞いた事のある名前だと思ったが。
「ぶひゃっ☆※▽!? うえっ、げほッ、げほッ、ぐえっ……」
次の瞬間、マリーは豪快にむせ、よろめきながら咳き込み、カウンターの上を半ばのたうち回る。
「船長? 大丈夫か」
「だいじガッ! だダいじブひゃっ、だいじグエッ!」
「ごめん解った、喋るな、いいから落ち着け」
老紳士の方は申し訳ない事をしたという風に両手を揉み合わせ、背中を丸めてマリーとニックを交互に見比べながら言った。
「あああ、申し訳ない、人違いもいい所でした、こちらの……娘さんが、ニーナさんな訳が無い、失礼致しました、店の中は暗いものですから」
老紳士はそう言って下がろうとしたが、マリーは亡者のようによろめきながら、老紳士の袖に襲い掛かる。
「おまヒ下さい、ぶひゃッ……あ、あの、貴方がおっしゃっているのは私と良く似た三十代のアイビス人女性の話ですか!?」
「よせって船長、急にどうしたんだ……申し訳ない、うちの船長が失礼を」
ニックは慌てて二人の間に入り、マリーの手を老紳士の袖から離させる。
どうにか二度深呼吸をして落ち着いたマリーはピンと背筋を伸ばし、ジュストコールの襟をきちんと正し、二角帽もきちんと被り直し、最後に咳払いをして、澄まし顔で言った。
「コホン、失礼、私はアイビス人でパスファインダー商会の商会長をしております、マリー・パスファインダーと申します。貴方が私をその、ニーナさんという方と見間違えたのは、もしかするとそのニーナさんが私の……遠い親戚だからかもしれません。長い事会っていないのですが、風の噂ではウインダムに居ると聞いたような。もし宜しければ、貴方が御存知のニーナさんの事を教えてはいただけませんか?」