アイリ「何考えてるの不精ひげェェエエ!!」不精ひげ「あの人、止めたって止まらないから……」
トライダーさんにはそんな事情が(震え声)
誤解を生んだのは、マリーがヴィタリスに黙って置いて来た謎の大金のせいかもしれません。
だけどトライダーさんもちょっと思い込みが激し過ぎるのでは……
だけどマリーにはその話を聞いている時間はありませんでした。
今回は一人称で御願い致します。
私は馬で市中を駆け抜けていた。
元々体が小さい上に船酔い知らずの魔法が掛かっているからだろう。私が乗った馬は他の三人の風紀兵団をどんどん引き離してしまう。
「下がって! 離れて!」
人にぶつかったらどうしようと思うと気が気ではない。少しでも早く通行人に気づいて貰えるよう、私は必死に声を張り上げる。ハマームでもこんな事があったっけ……いやあれはフレデリクがした事なので私は知りません。
「頼むから道を空けて!!」
魔法のおかげで多少ましになってはいるものの、服も髪も海水でずぶ濡れのままなので、風は身を切るように冷たく、口を開くのも辛い。
市場を駆け抜け、大型商船用の埠頭の辺りに出ると、道はさらに広く、人はより少なくなる。だけどここからは湾内を行くリトルマリー号の姿も見えた。
そのマストに翻るのは、昨日の美しいが役立たずの布ではなく、ごく普通の生成り色の丈夫な帆布だった。バウスプリットを切り詰めてしまったので船首の三角帆は無くなっていたが、順風を受けてそれなりのスピードが出ている。
このままだと間に合いそうにない……
「風紀ある市井!」
私の口が突然、思ってもいなかった台詞を吐き出す。するとどうだろう、少しだけ心の中の弱音が消えた。
リトルマリー号を取り戻すんだ。あれを賊に奪われてなるものか。私は前を見て、馬を操る事に集中する。
その時だ。
「マリーちゃん!?」
えっ……あ、あ、あれはアイリさん!? アレクに、不精ひげも! 何でここに居るの!? アイリさんとアレクと不精ひげが行く手の建物の影から現れ、こちらを見ている!
アイリさんは私を見て驚いている。アレクは……私の方を見ながら、リトルマリー号を指差した。そうだよ! リトルマリーが誘拐されそうなんだよ!
「船長ー!!」
そして不精ひげは私が向かおうとしている方向を指差し、全力で走り出した。背中に担いでいる……あれはアイリさんが魔法を掛けたマスケット銃だ!
私は不精ひげに追いつく直前に、少しだけ馬のスピードを落とす。
「無茶するなよ!」
「ありがと不精ひげ!!」
追い抜きざまに、不精ひげが全力で走りながら手渡してくれたマスケット銃を受け取り、私は再び馬を加速させる。
デュモン卿に詰問された時、私は答える事も、あの怖い顔を見る事も出来なかった。皆が一生懸命やっている時に、自分だけ何をしてるんだ。
リトルマリー号を取り戻す為、今度はちゃんと撃つんだ。
ただ、マスケット銃を受け取る時に一瞬見えたアイリさんは、デュモン卿に負けず劣らずの怖い顔をしていた。
◇◇◇
「道を空けて! 風紀ある市井! 下がって!」
私は叫びながら街を、人の間を縫うように馬を駆る。しかし大声で騒ぎながら街中で馬を駆り市井の風紀を乱しているのは私である。
保税地区から水夫や人足達の飯場が連なる小市街を抜けると、ようやく港湾管理地区と桟橋の袂が見えて来たが。
「ここは閉鎖だと言ってるだろう! 国王陛下の御行幸を知らないのか!」
「そんな話は聞いていない、そもそもお前達は一体……」
何を話してるかまでは解らないが、港湾役人と海兵隊が揉めている……いや、あの集団はアイビスの海兵隊風の服を着ているけれど、皆ちょっとずつ服装や装備が変だ。オランジュさん達はあんなだらしない感じの人達ではなかった。
役人さんは多分本物だがここには二人しか居らず、怪しい兵士は十人ばかり居る。あの兵士達は正規の港湾役人でも通れないよう桟橋を抑えているのだ。
……アイビスの衛兵は何をやってるんだよ!
「そ……そこの馬、止まれ!」
「風紀兵団だそこをどけェェ!!」
とんでもない事を叫びながら私は右手に提げていたマスケット銃を雑に構える。不精ひげはちゃんと弾を装填してくれていた。
―― ドン! ドォン!
ひゃあああ!? 下手くそが撃った威嚇射撃の一発は海兵隊もどきの人の足元30cmに着弾してしまった、勿論そんな所を撃ったつもりはありませんよ!
海兵隊のおじさん達は……
「ひいぃ!?」「ぎゃあああ!」「お助けェェ!?」
蜘蛛の子を散らすように桟橋の入り口から飛び退いた!? 海に飛び込んだ人まで居る、私、そこまでしろとは言ってないよ!
でもこれで解った。この人達は偽海兵隊だ。本物はこんな腰抜けではない。
「風紀兵団が来る、道を空けろ!」
二人の港湾役人さん達も唖然としていた。私はそのまま、幅せいぜい2、3mという細い桟橋へと駒を進める。
リトルマリー号は今にも桟橋の狭間を抜けようとしていた。
桟橋の長さは数百メートル……だめだ、もう間に合わない……いや、諦めるのは早い、リトルマリーはまだそこに居るのだ。
桟橋の外海側には小型のガレー船が漕ぎ寄せて来つつあった。内海に居る古い鈍重なやつではない、喫水を浅くし機動力に特化した新型の高速軍用ガレーだ。クレー海峡で両岸の海軍が哨戒に使っている。
さらにその船から来たのか、たくさんの漕ぎ手を備えた細長い高速艇が、沖合の桟橋の近くへ接近しつつある。乗り手から感じる雰囲気は、先程簡単に海に飛び込んだ奴らとまるで違う……本物の軍隊が乗っているような気がする。
あれらがアイビス海軍の船なら何の問題も無いのになあ。きっと違うんだろう。ああ違う。アイビス海軍の船ならアイビスの港でアイビスの旗を掲げていない訳が無い。じゃああれはどこの船だ。
「そこの小僧! 止まれー!」
ガレー船の方から叫び声がした。そっちはまだそんなに近くには居ないのだが、高速艇の方は私がこれから向かう桟橋の途中に居て……マスケット銃を構え出した!
「止まらないと撃つぞ!」
細長い桟橋は海の上を走る一本道だ。
高速艇は桟橋の外洋側50m程沖を、港湾の出入り口に向かい、桟橋と平行するように進んでいた。しかし今は漕ぐのをやめ銃を取り出している。
私の馬は少し行き足を落としていた……
よく見ればこの桟橋だって板張りじゃないか。こんな所馬で走れる訳無いよ。
止まろう、止まったら絶対リトルマリー号には間に合わないけど仕方ない。前に進めば桟橋が壊れるか銃で撃たれる。
あのガレー船はきっと偽マリーとアルセーヌおじさんを迎えに来たのだ。あの高速艇はその先遣隊だ。
そうだ。
バウスプリットを切り落とした船ではスピードは出ない、アイビス海軍から逃げたい彼等はガレー船に乗り換え、リトルマリー号は置き去りにするだろう。
そうなれば誰もあの小さなバルシャ船になど用は無くなる。私はただ、その後で乗り移ればいい。今頃不精ひげやアレク、アイリもこちらに向かってるはず、それでいいじゃないか。
この馬だって陸軍の馬だ、こんな危険な事に付き合わせる訳には行かない……
私はほんの刹那の間に、そんな事を考えた。
顔に大きな流星のある黒鹿毛の馬が、眉を逆立て、片目で私をちらりと見た。
私はぐっと鐙を踏みしめた。馬はそれを待ち侘びていたかのように、鋭く加速した。
―― ドン! ドォン! ドン!
私はマスケット銃をしっかりと両手で保持し台尻を上から頬で抑え、銃口を高速艇の船腹に向けて立て続けに引き金を引いた。
高速艇はまだ斜め前方にあり向こうは撃ち始めてない。魔法なんてズルいと言われてもこっちは一人だしこの場は譲れない!
手綱は口にくわえた。行き先は馬任せだ。
―― ダァン! ダム! ダン!
高速艇からも撃って来る、並んだマスケット銃が私に向けて立て続けに火を吹く!
―― ドォン! ドォン! ドン!
私は負けじと撃ち返す。立て続けに撃てる私のズルい銃は一度当たりだすと狙いの周辺に弾が集まりやすくなる。
「う、撃ち方止めッ!」「何なんだあの小僧は!」
一方、高速艇の方は私の連射に驚き船体を揺らしてしまったのか、早い段階で狙いがつけられない状態に陥っていたようだ。乗組員は一旦船底に伏せ、銃撃は止んだ。
リトルマリーは、今まさに目の前の桟橋の狭間を抜けようとしている……私は一旦マスケット銃から片手を離し、手綱を掴みなおす。
「ごめんね、こんな賭けに巻き込んで」
私は全力で桟橋を駆け抜ける黒鹿毛の駿馬に語り掛ける。