鐘を鳴らす係りの人「モゴッ、モゴゴゴー! モゴゴー!」
ひどいよ! 顔の大きなおじさん!(棒読み)
そしてまた現れたデュモン卿。
「ちょっと待って! 話を聞いて!」
駄目で元々、私はそう叫んでみる。
「危険分子は貴様か……当然と言えば当然なのだろうな。今度は逃さぬ」
ヒッ……デュモン卿はそう言ってレイピアを抜き、ピタリと私に向ける……!
助けて風紀兵団! 早く私を逮捕してどこかへ連れてって! それでいいわけじゃないけど、もうそれでいいから……
私はそんな願いを込め、ちらりと後ろを見た。
「お待ち下さい! これは何の騒ぎですか!」
「風紀兵団……邪魔をするな」
駆け付けて来た風紀兵団は私を追い越し、デュモン卿と私の間に立ちはだかる……ちょ……ちょっと!? いいのそんな事して!?
「先程の不敬な叫び声なら私も聞きました! あれは男の声です、貴方は何故我らの団長に剣を向けられるのですか!」
「我々は彼女の指揮の元、衛兵や騎士団が手薄にしてしまった埠頭地域の警備をしているのだ! 本末転倒も甚だしい!」
ええええ!? 嘘でしょそんな酒の席で生まれた冗談をこんな場にまで持ち出して何する気!? これは私の勘だけど、この暗くて怖そうなデュモンおじさんには多分冗談は通じないよ!?
ていうか人を風紀兵団扱いするのやめろよ! 嫌ですよタダ働きのブラック兵団のそのまた下働きなんて、そんなのを仕事にするくらいなら牧草地で牛糞集めてサロモン坊ちゃんに笑われてる方がマシだよ!
いやだけどここは風紀兵団だって事にしないと私本当に不敬罪で逮捕されるじゃん、絶対打たれる、そんなの絶対鞭でビシバシ打たれるよ……
「き……貴様が……風紀兵団だと……?」
デュモン卿が、こめかみを引き攣らせながら、ギロリと私を睨む。
「は……はい…………」
私は小さく頷くしかなかった。
待て。違う。これは方便です、この場を逃れる為の方便なんです。
「おお……」
「……はい」
風紀兵団達が大兜の中で小さく呟くのが聞こえる。やめて。頷かないで……
「お聞きの通り、私が彼等にこの一帯の警備を御願いしました。昨夜見た時も、とても手薄に見えたのでね!」
そして私はまた暴走していた。内心はビビり倒して悲鳴ばかり上げてるくせに。
一体何なんだ。真実の……いや贋物のマリー船長に海軍、枢機卿、そしてこの黒衣の連中。お前ら私と父の船を使って何を企んでるんだよ。
「おのれ、小癪な……」
私がきっと睨み返すと、デュモン卿は一度下げていた切っ先を再び私に向ける。
「デュモン卿! お止め下さい、何故そのような狼藉をなさるのですか!」
風紀兵団が、盾を構えて間に割って入るが……
「狼藉ではない。昨夜その小娘はまさにこの埠頭で、警戒中の修道騎士団の同志に攻撃を加え昏倒させた上で立ち去った。それを悪戯好きの小娘のした事だと言うのならまだ酌量もしようが、風紀兵団の名を負う者、即ち騎士道の端くれに連なる者の仕業だと知った以上、修道騎士団の紋章を預かる私が受忍する謂われは無い。これは私闘だ! さあ。剣を抜き、私と立ち会え」
あ、あれは不幸な事故であって決して私が意図したものでは……ていうか! 私もこの半年色んな経験をして来たけど、衆人環視の前で大の大人に決闘申し込まれるのは初めてですよ!
正気なのかこの人は。大の男が痩せたチビの小娘に決闘って……私がネズミに決闘申し込むくらい馬鹿みたいじゃないか……
そこへ。彼方から騎馬が二騎、いや三騎……大通りをこちらに向けて真っ直ぐ駆けて来る……あれは……あの人は見た事がある……!
「枢機卿!?」
「ユロー猊下!」
やっぱりそうじゃん嘘でしょおお!? ああ……だけど間違いない……
馬を急がせ、この場にやって来たのはなんと、ユロー枢機卿ご本人だった。供の者はたった二人、そして自ら馬を駆っている。
私はこの人に会える事は無いだろうと思っていた。彼は権力者であり、何を企んでいるにしろ事件が起きている現場に自分で来る必要は無いのだから。
「これは、何の騒ぎですか……!」
馬で駆けつけた枢機卿に、風紀兵団の一人が機転を利かせ轡を取る。
「枢機卿猊下……只今多くの者が国王陛下の名を汚す叫び声を聞きました。そしてここへ急ぎ駆けつけてみた所、この女がここに一人で居たのです」
デュモン卿の言い方には悪意があるが、説明としては間違っていない。私は、すぐには反論しなかった。
グラストのシビル艦長はこの人のせいで死ぬ所だったんだ。
だから私はまず、枢機卿が何を言い出すつもりなのか観察した。
「……それが本当ならば許される事ではありません。国王陛下の尊厳は国の礎。改革派戦争は多くの者がそれを蔑ろにした為に起きた」
枢機卿は穏やかにそう言いながら、助けも借りず馬を降りる。身軽な動きだ……穏やかな物腰とは裏腹に、猊下自身、一角の騎手でもあるらしい。
「王国の臣民はその為に互いに争い、血を流す事になりました。領土は周辺国に削り取られ、農地は荒れ、王国の食料の最大四割が失われた……それがどういう意味か解りますか。人々は残された食料を公平に分けたりしない。全く食べる事の出来ない者が、大量に現れたのです」
枢機卿はゆっくりと、歩いて来て……抜刀したままだったデュモン卿の肩にほんの少し触れた。デュモン卿はたちまち剣を収め、膝をつく。
そして枢機卿は私の目の前に立った。この人も私より30cm近く大きい……私はかなり見上げる格好になる。
「国王陛下の尊厳は強く、確固たるものでなくてはならない。そうでなくては国土の隅々に居る人々を守れない」
「下がって下さい」
私は自分のすぐ周りを固めてくれていた風紀兵団達に言った。風紀兵団は一瞬大兜を見合わせていたが、やがて頷いて私から離れる。
枢機卿も振り向き、デュモン卿に向かって小さく頷いてみせる……デュモン卿は忠実な猟犬のように、頭を垂れたまま五歩下がった。他の黒衣の者達も同様に下がる。
「……君は何故、ここに居るのだろう」
枢機卿は、小さな声で話し始めた。少なくともこの人は、私を今すぐ不敬罪で逮捕して連行するするつもりは無いらしい。
「リトルマリー号は私の父の船です。その船に国王陛下が御上船される事は大変な名誉ですから、それを見届けようと思ったのです」
私も声を落として答える。この会話は恐らく風紀兵団にもデュモン卿にも聞こえていないだろう。
「この日を……待ち侘びていたのですか?」
「いいえ。私は北洋の貿易航海から帰る途中で、ここに来た事は偶然でした……まさかリトルマリー号だけではなく、マリー・パスファインダー船長まで見られるとは思ってもみませんでしたよ」
「……君は……あの船長を知らなかったと?」
は?
「知る訳ありませんよ! 何ですかあの非の打ち所の無い美人は! あんな人が居たら恥ずかしくて私が本物だなんて絶対言い出せませんよ!」
しまった。私は枢機卿と話しているのだった。こんな事言うべきじゃない……いや。違う、枢機卿はこの話が聞きたかったらしい。猊下の表情の変化が、それを語っている。
「……彼女は、猊下が御呼びになったのではないのですか?」
私が問いかけると、枢機卿は一瞬考え込む。本来であれば、猊下のような位の高い人が私のような下々の者に問われて、手の内を明かす必要は無い……しかし。猊下は顔を近づけ、先程より低い声で、早口で言った。
「私は陛下に偽者を紹介したりしない! 私自身が国王陛下の尊厳を損ねるような行いをする事は絶対に無い。だが私が止める間もなく、陛下は偽者と会ってしまった……さあ。今起きている事を全て説明してくれ!」
私の頭の中でリスが一生懸命ハンドルを回し、ウサギがレバーを上げ下げする。鈍臭い私の脳の歯車がギシギシと音を立てて回る。
そもそも枢機卿猊下は何故このような所へ、僅かな供を連れ、大慌てで現れたのか?
―― ガランゴロガラン…… ガランゴロガラン……
その時。遠くで鐘が鳴り響く……嘘……もう正午? 私は枢機卿が目の前で答えを待っているのにも関わらず、懐中時計を取り出す……それが、大変重要な事だと思えたからだ。時刻はまだ10時半……この時計がいつも遅れている事を考えても、いくらなんでも早過ぎる。
「リトルマリー号に行かないと……!」
私は顔を上げてそう呟いた。次の瞬間。
「封鎖は終わりだあああ!」
「開場! 開場ー!!」
「さあー商売! 商売だ! 道をあけろー!」
ヒエッ!? どこに隠れていたのか? 卸売市場外縁の大通りに向かい、そこらじゅうから人が、荷車が、押し寄せてくる!
「待て! まだ正午ではない、今の鐘は間違いだ!!」
風紀兵団はそう声を上げるが、封鎖の解除と商売の再開を待ち侘びていた人々には通じなかった。
「うるせー! 鐘が鳴ったんだから封鎖解除だろ!」
「急げー! 荷物を運び込めー!」「商売の時間だああああ!!」