ミシュラン「陛下。この後の事ですが。コホン……陛下? 陛下!? み……み……皆の者! 陛下がッ……陛下がーッ!!」
トライダーは極端な苦行の旅をしていた。その姿はまるでアイビスの子供達が夢中になる絵本「小豆餡入りブリオッシュの顔を持つ男」の主人公……
小豆餡入りブリオッシュの顔を持つ男は常に無償で正義を執行し、空腹の者には小豆餡入りブリオッシュを渡して食べさせる一方、自らは何も食べないのである。
「一昨日の朝、トライダーさんを見掛けたという人を見つけました! 街道から市内に入ろうとした所、警備の陸軍に放浪者として追い払われてしまったと……」
「私達は二週間前にトライダーさんらしき人に助けられたという方を……峠で急な寒さに震えていたら、その人は自分が着ていた上着を置いて立ち去ったそうで」
風紀兵団は昨日の町の広場で落ち合う事になっていた。
そして聞き込みは意外にも成果を挙げてしまっていた。他の場所を回っていた隊も二、三、トライダーの目撃情報を持って戻って来ていたのである。
風紀兵団達の大兜は、皆一様に俯き気味になっていた。
「本当に……団長のおっしゃる通りなんですね。トライダーさんが辞めたのは風紀兵団であって、風紀ある市井の為に戦う事は少しも辞めていなかったと……」
「今ならとても良く解ります。団長が昨日、何も解らないなら皆で風紀兵団を辞めればいいとおっしゃった意味も」
その団長というのは誰の事なのか。そんな冗談を言ってる雰囲気では無いと思う。
自分がトライダーを追い掛ける側になるとは想像も出来なかった。もしかするとこれは、この半年間に私に起きた事の中では一番大きな変化ではないだろうか。
「あの……やっぱり皆でトライダーさんを捜しに行きますか……?」
何故これを私が切り出さなくちゃならないのかは解らないが、黙っていたら誰も言いそうにないので、私はそう切り出した。
風紀兵団はまたしても互いの大兜を見合わせて何事か逡巡した挙句……頷き合い、そして全員で私の方を向く。
「いいえ! トライダーさんの方から戻って来て貰えるよう、風紀兵団として立派な勤めを果たします!」
「トライダーさんが近くで見てる事が解ったんです! 今が頑張り時ですよ!」
「我々が探しに行けばトライダーさんは逃げてしまう。そうですよね団長!」
ええ……そんな事言ってる場合かよ……言いたくないけど、トライダー、想像以上の重症だよ? 完全に騎士道物語か何かにかぶれきっているよ……一刻も早く確保しないと、命に係わるのでは?
それに、風紀兵団の務めを果たすと言ってもね……国王陛下はもう王都に帰られるだろうし、護衛をしようにも、移動が船となると風紀兵団の出番は無い。どうすればいいんだろう……
いや待て、何で私がこれ以上風紀兵団の面倒を見なきゃならないんですか……だいたいこいつら大人の男じゃないか。
しかもつい最近まで私を捕まえて養育院に連れて行こうとしていたくせに。何故今は全員大兜をこちらに向けて、私が何か言うのを待っているのか。
「あー……あのですね」
風紀兵団が全員、大兜を少し近づけて来る。
どうしよう……そんなに私に何か言って欲しいなら、少し、自分の目的の為に利用させて貰ってもいいのだろうか? 私もさすがに、そこまでするのは抵抗があるんだけどなあ。
「ちょっと頼み事をさせていただいてもいいですか? 北のエテルナ村の港にフォルコン号という船が入港していますから、そこへ行って荷物を受け取って来て下さいませんか? 二人くらいでいいですから、どこかで馬でも借りて。私がメモを書きますから、船の船長のロイという人にそれを見せて下さい」
たちまち二人の風紀兵団が前に進み出る。私は懐の鉛筆でロイ爺宛てのメモを書く……この二人にキャプテンマリーの服が入った箱を渡して欲しいと。
「心得ました! 急ぎエテルナに向かいます!」
「ええ、助かります」
二つ返事で引き受けてくれたけど、何も疑問とか無いのかしら……二人の風紀兵団は私のメモを手に急ぎ足で立ち去って行く。
さて、毒喰らわば皿までだ。
「それから……枢機卿の所には今日も行った方がいいですね。また四人で訪問してみて下さい……ああ、今日は御不在でしたらちゃんと、どちらへ行かれたか御伺いしておいて下さいね、いろんな人に」
私は更に枢機卿の偵察まで任せようとした。しかしこれにはさすがに異論があるのか、一人の風紀兵団が進み出て言う。
「あの、団長」
だから団長って誰だよ。知らないよ。
「国王陛下が王都に帰られるという事は、枢機卿も帰られるという事ではないでしょうか、今日修道院へ行っても枢機卿は王都へ帰られた後か帰る所になるのでは」
「枢機卿が間違いなく王都に帰られたのなら、それを確認して戻って来て下さい、国王陛下の動向を直接掴む方法が無いなら、枢機卿を見れば解るって事ですよ……本当は誰かが直接国王陛下に聞いてきてくれたらいいんですけどね」
「ですから、それを是非マリーさんに」
まだ言ってる。
百歩譲って、陛下の御休処の門前に行って近衛兵さんに何か頼んでみるぐらいの事なら出来ないでもないけど、その時に名前を聞かれてマリーパスファインダーでーすと答えたら、私はそのまま逮捕され、最悪火炙りにされるかもしれない。
「私が陛下に御会い出来る訳がないでしょう、人を何だと思ってるんですか」
「そんな事は無いとは思いますが……失礼しました、すぐに向かいます」
四人の風紀兵団はやはり急ぎ足で立ち去る。私が言うのも何だけど、いいんですか本当に。
「ええと、あとの皆さんは波止場近くの市場と倉庫街の巡回をしては如何ですかね。市場が休みだからか、町の衛兵さんも居ませんでしたよ」
リトルマリー号の周りで誰かが何かの陰謀を企てているのだとしたら、そいつは近くを風紀兵団が歩き回ってたら嫌がるに違いない。
「何と、警備にそんな隙があったとは気づきませんでした! 早速参ります!」
「国王陛下の御上船までは陸軍さんで一杯だったみたいですけどね」
◇◇◇
こうして風紀兵団は方々に散って行った。
何だろう。騙そうとしてないのに相手が勝手に騙されているみたいで、少々居心地が悪い。
昔、ヴィタリスで鱒追い祭りの時に、つい張り切り過ぎて頭まで水浸しになった私を見て、村の大人達はマリーは鱒追いの大将だなと言って笑い、からかった。風紀兵団が私を団長と呼びだしたのも、そういう意味合いの事だと思うのだが。
とにかく自由になった私は宿の方へ引き返す道を急ぐ。この町でやる事はもう済んだと思ったのになあ……二、三、新たな気掛かりが出来てしまったのだ。
一つは真実のマリーさんと枢機卿の関係である。別に誰が私の代わりをやろうと私は気にしてなかったのに、デュモン卿のような物騒な感じの人が関わってると思うと、胸がざわついてしまう。
もう一つはトライダーだ……申し訳ないがマリーは何も出来ない、だけどトライダーはあの煙管をまだ持っていた……フレデリクの声なら、今のトライダーの耳にも届くかもしれない。
宿の近くでは小さな異変が起こっていた。立派な緋色の制服を着た近衛兵らしき人が二人、こんな郊外の四辻に立って辺りを見回している。
何かあったのかしら……あっ! もしかしてこの道を、王都に帰る王様の行列が通るとか?
どうせ風紀兵団が戻って来るまでは時間がある。私はその間に残るもう一つの気掛かり、あの真実のマリーさんと話していた油問屋の若旦那のサブレさんの事を調べようと思っていたのだが。王様の行列をこんな近くで見られる可能性があるなら、ここで待ってようかしら。
私は辻から少し離れて立ち尽くす。
今日は割り合いいい天気だ。晴天高く薄雲がたなびき、冬の午前の低く柔らかい日差しが、南向き斜面のレブナンの町とその郊外を優しく照らす……
……
王様の行列はいつ通るんだろう? 私は近衛兵さんに聞いてみた。
「あの、衛兵さん、ここ、陛下の行列が通られるんですよね?」
「ああ? 何を言ってるんだ小娘! さっきからそんな所に立ち尽くしてどうしたのかと思えば、ええい、仕事の邪魔だ立ち去れ!」
ヒッ!? 怒られた、何で!?
「す、すみません!」
私はその場から飛んで逃げる……行列が通るんじゃないんですか!? じゃあなんでこんな場所に近衛兵が。何なんだよ、もう。
そんな事を考えながら私はその場所を離れ、さらに近衛兵の視線を避ける為、道端の雑木林の木立の中に入った……するとそこに。
「あ」
「あっ……」
昨日はピンクのプールポワンを着ていた、あの顔の大きな嫌に髭やもみあげの手入れのいい、油問屋の若旦那らしいおじさんが……今日は料理人見習いのような黒い長ズボンと白い上着を着て、背の低い灌木の間に屈んで隠れていた。