アイリ「今そこで聞き出して来たわ! マリーちゃんが王様に会いに行ったんですって!」アレク「ええっ!? 本当に」不精ひげ「凄いな船長」
贋物です、贋物が出ましたよ! どうするの、本物は自分だと名乗り出るの!? それとも何を企んでるか突き止めるの?
え? 普通に落ち込んでる? なんで?
店を出た私は暫くの間、とぼとぼと街中を歩き回った。どこをどう歩いたかも良く覚えていない。
気がつけば私は、港から少し離れた砂浜に立っていた。
―― ザザーン……ザザザザ……
穏やかな波が打ち寄せては引いて行く……潮騒が心に染み渡る。
酷い船酔い体質の私が不本意ながら船乗りになり、半年以上が過ぎた。
それまで私にとって海とは、父母を奪った大きな塩辛い水溜りでしかなかった。
そんな私が今、生まれて初めてこの境地に辿りついた。
―― ザザザ……ザパーン……
海はいいなあ。
―― ザザーン……ザザザザ……
海を見ていると、自分のような者の悩みや迷いなど取るに足らない些細な事だと思えて来る。
ただ見ているだけでこれだけの御利益があるのだ、今、ボートに乗って波に揺られたらどんなに心地良いだろうか……ああ、だけど今は船酔い知らずを着ていた。この姿では波の揺れを感じる事は出来ない。
まあ他の服を着ていれば、心地良くなる前に心地悪くなってそのうちゲロゲロ言い出す訳だが。
―― ドザザザ……ザザーン……
僅か半年の間ではあるけれど、内海の果ての古都ハマーム、砂塵舞い飛ぶ灼熱のソヘイラ砂漠、海洋王国の華やかな都ディアマンテ、ウインダム、そしてオーロラ輝く極北の地フルベンゲン……
南から北まで、歩いてでは一生掛かっても行けないような場所へ私を連れて行ってくれたのは、この海と、船だ。
私は目を細め、空を見上げる。優しいけど頼りない、冬の太陽が辺りを柔らかく照らしている。不思議だ。私は半月前まで昼でも太陽が昇らない世界に居たのだ。
フォルコン号に乗りたいなあ。
私はそう考えている自分に気づき、驚いた。
船を降りてまだ24時間しか経っていないのに、もうそんな事を考えてしまうのか。
私には自分で思っていたよりもずっと深く、船乗り根性が染み込んでいたのか? そんなまさか。
こんな有様で、私はあの船を降りられるのか? 折角あと数日で16歳になり、故郷で地に足をつけまともな仕事をして暮らせるようになるのに。
降りたら降りたで海が恋しくなったりしてしまうのか? そんな馬鹿な、自分に限って。
「あっはっはっはっは……」
私は思わず一人、腹を抱えて笑い出す。
まずいなあ。海を見ていただけでこんなに元気が出てしまうとは。これは私、意外と重症かもしれませんよ……そうか。私は船乗りだったのか。
「ははっ、あははっ、ひっひっひっひっひ……」
なかなか笑いが止まらず、腹を抱えてのたうち回る私。
あっ……近くで海を見ながら何事か囁き合っていた、私より少し年上のお兄さんとお姉さんが……変な人を見る目で私を見ている。
「これは失礼、御両人、どうかお構いなく」
私はそれだけ言って踵を返し、走ってそこから立ち去る。
◇◇◇
港へ戻る海沿いの道の途中。
早歩きで港へと戻る私を、天蓋付きの馬車が追い越して行く。
護衛の騎兵がつけているあれは修道院騎士団の紋章。つまりあの馬車に乗られているのは、聖職者の偉い人という事か。
その馬車が。私を追い越して50m程行った所で、速度を落とし、止まる……
どうしたんだろう。庶民の私が邪魔になってはいけないので、こちらも立ち止まろうか。
騎兵は八騎。馬車の周りで駒を止め、辺りを伺っている。
しかし馬車はまた、何事も無かったかのように走り出し、騎兵を連れて町の方へと去って行く。
別にどうという事も無いんだけど……妙に胸に引っ掛かる出来事だった。
◇◇◇
波止場に戻った私は例の海軍のドックの方へと歩いて行く。フォルコン号が居ないならリトルマリー号に癒して貰おうか。まあ今は乗る事は出来ないんだけど。
―― ガラーン…… ガララーン……
ん? 時報の時間でも無いのに、方々で鐘が鳴っている。何事だろう。
波止場には制服を着て警備に当たっている海兵隊のお兄さん方が居る。私はそちらに視線を向けるが……その海兵隊も怪訝そうに辺りを見回している。
倉庫街の方を巡回していた陸軍さんの一隊が、海兵隊の方に何事か、という身振りをしてみせる。海兵隊は解らない、という身振りで応える。
やがて大通りの方から、地元の衛兵らしき人が一人、慌てて走って来る……
「国王陛下の御出座しだ! この波止場は立ち入り禁止となる! 警備担当者は昨日の正午の位置に着く事! 国王陛下、御出座ー! 警備を、立て直せー!」
伝令役をやらされているらしい町の衛兵さんは、それだけ言ってまた慌ててどこかへ走り去って行く……
「ただ今よりこの波止場を封鎖する! 市民は倉庫通りまで離れよ!」
「国王陛下御出座! 皆の者、波止場を離れよ!」
海兵隊が俄かに色めき立つ。倉庫街に居た陸軍の一隊も波止場の方へ駆け寄って来る。
今日は十二月にしては天気も良く暖かい日な上、港と卸売市場の封鎖のせいでたくさんの市民が仕事にあぶれていた。陽当たりの良い波止場では散歩や日光浴をしていた者も多く、彼等相手の露店や棒手振り商人などで賑わっていた。
「さあお前達! 波止場は封鎖だ、散れぃ、散れぇぇい!」
「待てよ! 俺は今やっと飯にありついたばかりだぞ!」
「やかましい、国王陛下の御行幸だ、さっさと立ち去れ!」
「お前らだって今ここで飯食ってたじゃねえか! 畜生、衛兵だからって威張るんじゃねえ!」
椅子やテーブルを並べて焼き貝とパスタと林檎酒を提供していた屋台では、たった今まで客同士だった、王都からの出張衛兵と一般市民の間で掴み合いが起きている。
「聞こえたのか貴様ら! ここは封鎖だ、お前達も自分の屯所に帰れ!」
「はああ!? ここは港だ、貴様ら陸兵はすっこんでろ!」
「ふざけているのか、ここは陸上だ、海軍は船に帰って閉じこもってやがれ!」
「港は海軍の縄張りに決まっているだろうが、お前らこそ山でも守ってろ!」
ほんの数十秒前には仲良く身振りで情報を伝え合っていた陸軍と海兵隊も、縄張りを巡り喧嘩を始める。
私は愕然としていた。ここで何が起きようとしているのか? それは、国王陛下がリトルマリー号に御上船されるという事なのだろう。
では何故? 昨日は中止されたのに今日は乗られるというのか? それはもしや……理想のマリー船長が現れたからか?
「そこの小娘! 波止場は閉鎖だ、さっさと向こうへ行け!」
「へっ……ひえっ、すみません今どきます!」
誰かに怒鳴られて私は正気を取り戻す。今はすみやかに退去しなくては。
「待ってくれ、ちゃんとどけるから!」
「ええい、グズグズするな!」
ふと見れば焼き貝屋のおじさんが陸兵にせっつかれて目を白黒させながら屋台を片付けようとしている。無理だよ、そんな急に片付けられるものか。
だけど陸兵は苛立っていて、下手をすると屋台を薙ぎ倒してでも片付けようとするかもしれない。
「手伝いますおじさん、みんなも力を貸して!」
私はそう叫びながら空き木箱を拾い上げ、屋台に広げてある木皿やらフォークやらを急いで中に仕舞う。
幸いすぐに、周りの手の空いている市民達が集まって来てくれた。食べ掛けのパスタの皿を抱えた人達も、自分が座っていた椅子を持ってくれた。
「ありがとうお嬢ちゃん、本当に助かるよ!」
「いえいえ、さあ急ぎましょう」
私達は泥棒のように慌ただしく、分解した屋台や貝の入った樽、椅子やテーブル、パスタの入った鍋などを抱え倉庫街の方へ走って行く。
私は食器を入れた木箱を抱えて走りながら少しだけ後ろを見る。
海兵に陸兵、有力貴族の私兵に出張衛兵……立派な体格をして役に立たない連中はまだ、喧喧囂囂の縄張り争いをしている。
あの中に風紀兵団が含まれていない事は、悲しむべきか、喜ぶべきか。