風紀兵団「あの人の言う通りだ。努力をするんじゃない、意識を変えるんだ」風紀兵団「風紀ある市井!」「風紀ある市井!」
天敵・風紀兵団の野営地を訪れ、彼等の前で演説を打ったマリー船長。
風紀兵団達はそれを真剣に聞いてくれた。いやー良かった良かった。
要約すると、私はただ「頑張れ」と言っただけである。だけど風紀兵団の諸兄はそれで納得してくれたのか、私が立ち去るのを黙って見ていてくれた。
私は大きく腕を伸ばし、柔らかな日差しを浴びながら、十二月の引き締まった空気を胸一杯に吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
「あは……あはは……あははは!」
何だろう、この足取りの軽さ。海に向かって続く下り坂を、私は踊り、回り、スキップしながら降りて行く。
一番しつこかったトライダーは風紀兵団を辞めた。この町に来ている風紀兵団とは今、休戦協定のようなものが成立した。
私が16歳になるまで、本当はあと数日あるんだけど……私はもう風紀兵団に追われていないのだ! 何と言う解放感だろうか!
風紀兵団は今から地元の衛兵や王宮の近衛兵、各軍の治安要員に騎士団や僧兵、貴族の私兵ら様々な組織が跳梁跋扈する市内に突入し、彼等との仕事の奪い合いに参加するそうである。
一体誰にそそのかされたんですかねぇ。よせばいいのに。
トライダーに関しては……一応、見掛けたら声を掛けます、くらいの事は約束する事になってしまった。まあね、見掛けたらそうしますよ。今は風紀兵団じゃないんでしょ? 大丈夫。
……
私は踊るのを止め、普通に歩き出す。
トライダーがあんな姿になっても勤王の志を忘れてないって本当ですかね? 誰が言ったんだっけ、そんな事。
◇◇◇
私は市内に戻っていた。
さりとて別にやる事は無い。気が変わった王様がリトルマリー号に乗りに来たりしないかなあと、期待して待つだけだ。
港の卸売市場は閉鎖中だが、町の商店は営業していた。むしろ普段よりだいぶ人通りが多い事もあり、活況を呈している。
カイヴァーンへのお土産をウインダムの運河に落としてしまった事を思い出した私は、銃砲を扱う店を見つけて立ち寄る……店のご主人は、小僧のような姿の小娘が入店して来たのを見て眉を顰める。
ウインダムより品揃えが悪いな……いや、ウインダムが良過ぎるんですね。
見事な象牙細工のついた物などは無かったが、丈夫で扱いやすそうな短銃があったので、ベルトに提げられるいい感じの装薬袋と一緒に購入する。
私が財布から金貨を取り出した途端、ご主人の態度がコロリと変わった。嗚呼。結局の所世の中は金なのでしょうか、お父さん。
……
トライダーは本当にお金が無くなってしまったのだろうか?
あの男が提げていた煙管はフレデリク君が気まぐれに投げてやった物だ。そして彼には他に持ち物が何も無いように見えた。
あの煙管の金属部分は純銀なので、質屋に持ち込めばいくらかになるはず。
なのに、鎧兜や剣、色々な物を質入れしてもあれだけは残してある……そんな事があるのだろうか。
困ったなあ。
マリーはどうしてもあの男が好きにはなれない。口を開けば養育院養育院、人を何だと思ってるんだ。
祖母を亡くした私の所にやって来たトライダーは、最初のうちは説得により私を王立養育院へ連れて行こうとしていた。
その時期に、私は何度も誠心誠意説明したのだ。
父は船員なので普段は家に居ないが自分は孤児ではない、ヴィタリスには善良な大人がたくさん居て自分の生活に不自由は無い、住居は衛兵宿舎の隣で安全にも不安は無く、小さいが自家用の耕作地もある、自分の居場所はこの村であり、何百kmも離れた王立養育院に連れて行かれる方が余程不安で心細いと。
しかし、私の言葉は奴の耳には届いているようだったが、頭の中には全く届かないようだった。或いは、あれには私が人ではない家畜か何かにでも見えていたのか。
私がどんなに説明しても、奴の返事は王立養育院だった。そしてしまいには実力行使で私を連れ去ろうとするようになった。
貧相なチビの小娘である私にとって、説得が一切通用しない人間というのは恐怖の対象でしかない。
だからマリーにとってトライダーはどうでもいい人間だ。向こうだって私の気持ちなんかどうでもいいんだから、おあいこである。
それなのに。フレデリクという奴が私の頭の中で騒ぐのを止めない。
この男も本当にしつこいよなあ。風呂敷で巻いて極北の海に投げ捨ててやったのに、まだ生きているのか。
トライダーはあんなに心血を注いでいた風紀兵団を離れ、何をやっているのか。
かつての仲間に名前を呼ばれ、羞恥と苦痛に顔を歪めながら逃走したのは何故なのか。あれはそんな男ではなかったはずだ。
そして奴はあんな姿になっても、ほんの数時間行動を共にしただけのフレデリク君との友情を大事にしているというのか。
腕組みをして思案をしながら、私は街中をひたすら歩く。
私が風紀兵団に言った事も決して全くの出鱈目ではない。逃げる者を追い掛けるのは不毛なのだ。重装を捨てられない風紀兵団は今のトライダーを捕まえられないだろうし、力づくで捕まえた所で何かが解決する気はしない。
だから我々がトライダーを何とかしようと思ったら、彼の方から戻って来たくなるような……そんな方法を考えないと駄目だと思う。
まあ単に、私が自分からトライダーを探すのは嫌だという気持ちもあるんだけど。
◇◇◇
レブナンの町は国王陛下の行幸で大変に賑わっている。随行の兵士達は非番になれば町を闊歩するし、近隣からの物見客も、そして港と卸売市場の閉鎖で仕事が出来なくなった職人や仲仕達も、暇を持て余している。
私も無為に歩き回っていた。港と高台を行き来したり、柄にもなく大聖堂に寄って礼拝したり、海軍海兵隊と陸軍工兵隊の喧嘩を見物したり。ひたすらに時間を浪費していた。来るか来ないか解らない、国王陛下の御出座しを待ちながら。
その合間に、一応。私は一応、辻の衛兵さんや露店商、井戸端のお母様方や町の聖職者達に尋ねて回る。濃い目の金髪で身長180cmちょっとの、体格の良い若い放浪者を見掛けなかったかと。
しかし奴の噂を聞く事は出来なかった。市内には現れていないのだろうか。
レブナンの大聖堂の鐘が鳴る。正午になったらしい。
私は自分の懐中時計を見る……ああ、二十分ズレてるな。じゃあ私は風紀兵団との約束に二十分遅れてたのね。
港の様子は朝と変わらない。
気が変わった王様が、リトルマリー号に乗りに来たりはしなかった。
◇◇◇
結局午前中ずっと歩き回っていた私は、昼食を食べられる場所を探していた。
昨夜宿で食べた林檎のパイ、美味しかったわね。この辺りは葡萄より林檎、林檎を使った料理も色々あるらしい。
それから、チーズ造りも盛んで家ごとにこだわりが深いとか。ん? そんな集大成のような料理の名前が、店先の黒板に白墨で書いてある。
林檎と鶏もも肉をクリームで煮込み三種類のチーズで仕上げたレブ葱とろける絶品シチュー? 長い! 名前で全部説明してる! でも一瞬で恋に落ちる!
これに決めた、絶対これを食べたい! そう思った私は黒板から店構えに視線を移す。
気が付けば私が居るのは石造りの立派な建物が立ち並ぶ、町の上流階級の居住区に近い広場だった。貴族や富裕層向けの宿泊施設があり、馬車や馬丁が行き来している。
魅惑のシチューを提供しているのも少々、いや重々お高い店のように見える……うわあ、入り口に身なりのいい執事のような方が立たれてますよ。私、入れるのかなこんな店。
私は足を止め、腕組みをして思案する。今日の私の身なりは銃士マリー……これはちょっとどうかなあ。
でも、料理の看板を出してるくらいだから意外と気さくな店かもしれませんよ? だけど値段は絶対高いだろうなあ。
いやいや、私、船長だよ。私が高級レストランごときを相手に怖気づいていたら、水夫達が悲しむよ。
よし決めた、行こう。私の為ではない、水夫達の為だ、フォルコン号の名にかけて! キャプテンマリー、勝負させていただきます!
などと私がくだらない事を考えている間に、店の入り口に天蓋付きの馬車が一台止まる……そこへ入り口の立派な紳士が駆け寄って、扉を開ける。
馬車から降りて来たのは、黒いドレスをきちんと着こなした、背が高く手足の長い、大変美しい御姉様だった。見事な長い赤毛はきちんと結いあげられていて、グラマラスだが腰は細く、知的で洗練された雰囲気がある。
凄いや。何だか溜息が出てしまう。こういうのを都会の美人というのだろう……私など二度や三度転生しても、こうはなれないだろうなあ。
アイリさんも美人だけどアイリさんはこう、ふんわりとして柔らかい、優しいイメージがあるのだが、この人はきりりと引き締まった、そしてどこか危険な香りがする。
例えるなら。アイリさんが華やかで優しい白い胡蝶蘭なら、この人は美しいが棘のある赤い薔薇……
私はさらに馬鹿な事を考えながら、ポカンと口を開けてただそれを見ていた。
「ようこそお越し下さいました、御嬢様」
レストランの執事が恭しく御辞儀をすると、女の人は穏やかに微笑んで答えた。
「マリオット卿はこちらにいらっしゃいますかしら。マリー・パスファインダーが来たとお伝え願いますわ」