アレク「駄目だ……どの宿も今日は満室だよ」アイリ「仕方ないわ、どこか休めそうな所に忍び込みましょ」不精ひげ「アイリさんってかくれんぼ得意そうだな」
失踪したトライダーについて風紀兵団と話すマリー。
行き掛り上、酒食を奢る事にもなりました。
昔は逃げる事しか思いつかなかったのにね。
マリーも少しずつ、成長しています。
翌朝。私はレブナンの町はずれの宿屋の寝室で目を覚ます。周りでも他の女性の旅人達が起き出して、朝の支度などなさっている。
こういう行事のある時は、市内の宿などは満員で泊まれなかったのではないだろうか。ぎりぎり泊まれたから良かったけど、考えが足りなかったなあ。
チーズはここに置いて行こうか。心意気で貰った物だし出来れば船に持って帰りたいけど、ずっと担いで歩くのは辛い重さだ。あのお母さん力持ちだったのね。
高台にあるこの宿からは、セリーヌ川とその河口に出来た港町、レブナンが一望出来る……昨日は暗くて気づかなかった。
市の中心からは遠いけど、いい宿じゃないですか。
「あのご主人、今夜も泊まらせていただきたいのですが」
「ベッドをとっとかないといけないから前金になるけど、いいかい?」
私は今夜分の宿賃を払ってベッドにチーズを置いておく。今日フォルコン号に帰る事になったら宿賃が無駄になっちゃうけど、仕方ない。
市場が閉鎖され外国商船も締め出されているせいか、町には半分お休みのような空気が漂っている。
「中止なら中止で、とっとと封鎖を解いてくれねえかなあ」
「もうじき新年だってのによう」
通りすがりの、仕事にあぶれたお兄さん方がそうボヤいている。今日は季節の割に暖かいせいか、散歩をしている人も多い。
商港の岸壁には国内の商船がいくらか停泊していたが、河口の錨地には軍艦が三隻ばかりポツン、ポツンと停泊しているだけで、がらんとしていた。これは国王陛下が優雅にランチでも召し上がりながらリトルマリー号で一周する為、空けておいたのだと思う。
しかし昨日の御上船は中止になった。
「衛兵さんよ、結局国王陛下は御上船されるのか? 祭りはどうなるんた?」
ちょうど、私もそれが知りたいというような事を、通りすがりのおじさんが衛兵さんに聞いている。
「とにかく封鎖は明日の正午までだ、それ以外の事はまだ何も決まっていない」
「祭りはやるのかよ、やらないのかよ……やらないんならさっさと港を開けてくれたらいいのに」
衛兵さんを責めるのは酷ですよねェ。彼等も何も知らされていないのだ。
私はそのまま波止場を歩いて行く。わりと人出が多い……みんな暇なんだな。口笛も聞こえて来るけれど、昔レッドポーチで聞いた時のようには気にはならない。船乗りなんて皆あんなもんだと、今は良く知っているのだ。
軍用のドックの周囲には陣幕が張られていたが、あまりきっちりとは張られておらず、その中身は歩いて近づくと丸見えになった。
うわあ。これがリトルマリー号ですか! 前に洋上で見た時もびっくりしたけど、あの時よりもさらに厚化粧させられている。何と立派になって……
船長室なんかどうなったんだろう? あの父の臭いが染みついた小部屋は? あれも陛下が船長気分を味わう為の部屋として、過激に改装されているのだろうか?
乗組員さん達の姿も見える。なんだか凄いな、皆さん背が高くてシュッとしてますよ。無駄口もきかず動きも機敏で賢そうだ。きっと海軍の中から選抜されたエリートなのだろう。
「市民! あまりじろじろ覗くんじゃない、国王陛下のバルシャ船であるぞ」
陣幕の間からドッグの船を覗いていた私は、そう注意される……町の衛兵さんではなく、王様の近衛兵さんだろうか。きらびやかな軍装ですね。
「すみません」
私は会釈してその場を離れる。これ、一応私の船なんだけどなあ。
よく見れば波止場には、色々な種類の衛兵さんが居る。むしろこの町の衛兵さんはあまり居ない。
王都の衛兵、王宮の近衛兵……海軍儀仗隊に陸軍憲兵、騎士団の従卒隊に修道院の僧兵……これが全部、それぞれの指揮系統に従って同じ場所の治安活動をしてるんですか? それで、ちゃんと意思統一とか出来てるんですかね?
「女の子が船を観たがっているのに、止める事は無いだろう」
「これは陛下が乗る船だぞ、陛下の別荘と同じだ、じろじろ見るのは失礼だ!」
「見せる為に持って来たんじゃないか! 隠すのはおかしい!」
出来てないらしい。私への注意を巡り、近衛兵と儀仗兵が揉めている。
巻き込まれてはかなわないので、私は急ぎ足でそこを離れる。風紀兵団の連中には、この縄張り争いに割って入る覚悟があるのかしら。
私は密かに思う。王様の船の番なんかそんな人数要らないんだから、もっと街道の安全とかを守れよ。
◇◇◇
私は再び郊外に戻る。
なんだ、もうレブナンでの用事は済んでしまったじゃないですか。私は何故もう一泊料金を払ってしまったのだろう。リトルマリー号は見た。市場は明日まで開かない事が解った。町に見る物はもう無さそうだ。
今から歩き出せば、チーズを背負ってでも昼過ぎにはエテルナに戻れるのでは?
……
国王陛下の御上船、見たかったな。
今まで全く意識してなかったんだけど……リトルマリー号は父が名づけた父の城で、私はその二代目船長だ。どんな気まぐれで陛下がその船に乗る事を決めたのか知らないが、父と私の船に国王陛下が乗る所、見られるものなら見てみたかった。
急に気が変わって、やっぱり乗るって言い出さないかなあ、国王陛下。
明日の昼には港の封鎖は解かれる。だけど今日はまだこのままなのだ。
リトルマリー号はいつ陛下の気が変わってもいいように、準備万端を整えて待機している。
やっぱり、もう少しレブナンに留まろう。
そうと決まれば、一応、彼等との約束も果たしておこうか……
◇◇◇
風紀兵団の野営地は陸軍の野営地よりも外側の湿地帯にあった。
「ああっ、マリーさん! 来て下さったんですね、もう来られないかと思いましたよ」
「人聞きの悪い事言わないで下さいよ、今ちょうど午前九時ですよ、約束の時間通りじゃないですか」
私は懐中時計を見せて抗議する。まあ、数十分前までの私は半分黙って帰るつもりでいたのだが。
風紀兵団は野営地の周りの空いた所を街道に見立て、行進訓練をしている所だった。揃いの鎧兜とサーコートを身に着けた、二十人の風紀兵団……何という禍々しい眺めだろうか。
「本当に捕まえなくていいのか? こんな好機は滅多に無いのでは」
「彼女は孤児なのだろう? 是非とも養育院にお連れしないと」
「今のうちに周りを取り囲んではどうだ? すばしっこい女の子らしいし」
ひそひそ話をしている奴等も居る。こちらには船酔い知らずの地獄耳があるので、そういう声も聞こえてしまう。
「よせ同志、今回は我々の仲間の為に、御願いをして来ていただいているのだ」
一応、そう言って仲間に注意している風紀兵団も居る。まあ、こちらはいつでも逃げられる距離を取って話をしているけど。
「あの。皆さんって国王陛下の直臣なんですよね? 何でこんな所に野営されてるんですか? 国王陛下の身辺警護をしてるんじゃなかったんですか?」
風紀兵団の何人かが、大兜を被った顔を見合わせる。いつも思うのだがあの兜を被ったまま互いの顔を見る事に何か意味があるのだろうか。
「根本的な誤解があるようですマリーさん、我々は陛下の身を守る衛士ではないんです」
「我々風紀兵団は、基本的に国王陛下の同志なのです! 共にアイビスの国土と国民を愛する、仲間なのです」
「忙しい陛下に成り代わり、アイビスの隅々に残る暗がりを正義の光で照らす、それが我ら風紀兵団の使命なのです!」
「良く解りました。皆さんが給料も貰わずに働いているのは、皆さんが国王陛下と理想を共にする、同志のようなものだからですか」
私がそう内心呆れながら言ってやると、風紀兵団達は名誉に感じたのか、胸を張ったり背筋を伸ばしたり、サーコートを整え直したりと、解りやすい反応を見せる。
なるほど。典型的なやりがい搾取の職場なのね。