ドパルドン「馬鹿なッ……ラズピエールがこんな文章を書く訳が無いッ!」ミシュラン「では誰がこんな物を!? 封印を担当した海軍の下っ端の事務官が書き加えたとでもおっしゃるのですか!?」
素のままで盗賊と戦うマリー。武器は竹光。
いくら船酔い知らずがあっても本当に大丈夫なの?
そんな戦いの最中、現れたのは何と……
私は一瞬、その人物も賊の一味なのかと思った。声はトライダーに似てるけど、トライダーがこんな食い詰めた放浪者のような格好をしているはずが無いと。
「な……なんだてめェは!?」
しかし先頭を走って来た盗賊の男は驚いて足を止め、蛮刀を抜いてその人物の方に向き直る。どうやら盗賊の仲間ではないらしい。
―― バキッ……!!
ぼろを着た背の高い男は駆け寄り様に手に持った太い木の棒を、まるで鋼の剣のように一閃、一振りで盗賊の顎を斜め下から切り上げる!
その威力は、大の男を宙に舞い上げる程だった。
私はその間にも周囲を見ていた。母親を人質に取っていた盗賊の視線は、完全に新たに現れた背の高い男に奪われていた。
盗賊の蛮刀が……今は見えない……
「ハッ!!」
私は再び、全身のばねを解放して刺突を放っていた。私の樫の剣の切っ先は、人質に取った母親に組み付かれていた盗賊の男の、むき出しの胸板に突き当たる。
「ぐっ……」
男の目線がこちらを向いた。分かっている、私の打撃は軽い。男は自分のしている事の不利を悟り、母親を突き放してこちらに向き直ろうとする……母親が無防備な男の後頭部に、背負い袋を叩きつけたのはその瞬間だった。
「ぐぎゃっ!?」
袋の中には割と固いものが入っていたらしい。私は盗賊男が白目を剥くのをはっきり見た。男は膝から崩れるように斜面に倒れ、滑り落ちる。
周りに目を配れば。背の高い男に殴りつけられた方の盗賊は、仰向けに弾き飛ばされ草むらに叩きつけられて、動かなくなっていた。三人の賊が既に倒されている。
そして背の高い男は、既に私に背中を向けていた。この人がトライダー……? そんな訳はない、きっと声が似てるだけの、別の正義の味方だ……髪の毛は濃い目の金髪のようだけど、きっと。
「残りは四人か、六人か。良民を苦しめ王国に仇なす凶賊め、我が名はヨハン・トライダー! 貴様等の悪運もこれまでだ!!」
間違いなくトライダーだよ! だけど何でこんな姿に? あっ、放浪者に変装して盗賊を捜索していたのかも!? 司直の仕事も大変だ。
盗賊達は残り四人でも六人でもなく、五人だった。最初に私が見た二人のうち、一人が新手に加わってここまで追って来たらしい。
おっと、まだ敵はたくさん居るしトライダーは鎧を着てないし武器も木の棒、黙って見ている訳にはいかない。
私は剣を構え、トライダーの斜め後ろに進み出ようとしたが。
「大丈夫だ! 後は私に任せマリー君を守ってくれ!」
え?
トライダーはそう言って、後ろ手に私を制止した。
盗賊達はトライダーが見せた怪力に肝を冷やしたのか、締まらない脅し文句と汚い呪詛を撒き散らしながら、たった一人の正義の味方を攻めあぐねていた。
トライダーは呼吸を整えながらじっくりと間合いを詰め、やがて勇躍し盗賊に飛び掛って行った。
五人で取り囲もうとした盗賊の正面の一人を大上段からの脳天一撃でぶち倒して、囲みを突破。
返す刀ならぬ返す棒切れで隣の盗賊のわき腹を横薙ぎで、くの字に折り畳む。
三人目は最早棒立ちになっていたが、容赦ない下からの突き上げで顎を砕かれる……
残る二人は後ろを向いて逃げ出したのだが、トライダーは許さなかった。一人はすぐに追いつかれ首根っこを掴まれ、道端の崖下に投げ捨てられ悲鳴を上げて落ちて行く。
最後の一人は100mくらい逃げたが追いつかれ、膝を突き命乞いをした所を蹴り倒されて棒で尻をさんざんに殴られた。
さて。
助かったけど面倒な事になった。
今フレデリクだったら何でもなかったのになあ……久し振りとか何とか言って、適当に話をしてサヨナラ、で済んだと思うのだが。
ああ……走って戻って来る……また王立養育院へ行けって言い出すんだろうなあ。しかも今日のトライダーは鎧兜をつけておらず、いつもよりずっと足が速そうだ。
まあこちらには船酔い知らずがあるので、捕まらないとは思うけど。ただ、命を助けてくれた人から逃げなくてはならないというのは、さすがの私も心苦しい。
トライダーが道を駆け登って来る。私は道から少し離れ、顔を引きつらせて呟く。
「あの……私は」
トライダーは私の前を素通りし、まっしぐらにあの母娘の方に向かって行った。
「マリー君! 無事なのか!?」
私が振り返ると。トライダーは倒れている娘さんの脇に駆け寄り、膝をついていた。
私は一人赤面していた。ああ、マリーさんって、そっちのマリーさんでしたか……すみません私、自惚れていました。ですよねぇ。
しかし。
「あ、あの、助けて下さって有難うございます……貴方は?」
娘さんは涙を拭いながらトライダーを見上げ、首を傾げる。どうも彼女の方はトライダーの事を知らないらしい。
「ああっ……ああ……申し訳ない、人違いをした。いや、貴女達を助けられた事は良かった。近くを歩いていたら、御母上の、マリーという名を呼ぶ悲鳴が聞こえたのだ」
この道は東斜面で南西側は崖になっている。今は夕暮れ時。道の下から見上げると、位置によっては完全な逆光になるのか。
つまり、トライダーは私に気づいてないの!? まあ。ヴィタリスの百姓娘がレブナン郊外の山中に居るとは普通思わないよなあ。
とりあえず、トライダーには背中を向けておこう。盗賊達を見張らないとね。まあ皆さん倒れて動かないか、倒れて呻いておられるようだが。
「私はヨハン・トライダー。御覧の通りの、しがなき放浪者だ……ああすまない、君は……彼女達の衛士か?」
トライダーがこちらを向いたようである。どうしよう。マリーでもフレデリクでもない声が出せるだろうか。うーん……ヨーナスの声を真似てみよう。
「あっ。あー。もう一人、姿の見えない賊が居るな、僕が様子を見て来る」
「何? まだ居るのか、私が行く、どこだ?」
ヒエッ!? トライダーがこっちに戻って来る!? どうしよう、もうこのまま逃げちゃおうか、今なら難なくレブナン側に逃げられる、だけど人としてどうなの、お礼も言わずに逃げるなんて……
「……マリーさーん! 待ってくださーい!」
ぎゃぎゃっ!? 一難さってまた一難さらにもう一難!? 今度の声は昼間の風紀兵団だ、どうやらエテルナ側の道からやって来て、こちらを見つけたらしい。全く。さっきまでは待ってたんだけど、今更来られてももう遅い。
もう駄目だ面倒くさい、逃げよう。
私は人として正しい事、踏み止まって命を助けてくれたトライダーにお礼を言う事を放棄し、外道を、お礼も言わず逃走する事を選んだ。ここまで逃げ続け、あと数日で逃げ切れるのに、今捕まって養育院に送られるのはどうしても嫌だ。
しかし。
「あ……貴方は……トライダー卿!」
「トライダーさん!?」
「皆心配してたんですよ! トライダーさん!」
風紀兵団達が、遠くで口々にそう叫ぶ。一体何事が? 私は好奇心に敗れ、自分に迫る危機も忘れて振り向いた。
その瞬間。トライダーは脇目も振らず、下り坂を駆け下りて行った。木の棒を捨て、何も言わず。
トライダーは私が振り向いた瞬間に私の前の道を駆け抜けて行ったので、私がトライダーの顔を見る事が出来たのはほんの一瞬だった。
それはたった今ここで武勇を奮い罪無き母娘を見事に凶賊の手から救い出した勇者の表情ではなかった。その横顔に浮かんでいたのは……羞恥と苦痛。
継ぎ当てだらけのチュニックに、擦り切れた長ズボン……腰に巻かれたベルト代わりと思われる麻紐には、煙管が一本、ぶら下げられている。他には何も持っている様子がなく、靴さえ履いてない、足にはぼろ布を巻きつけてあるだけなのだ。
私は一歩も動く事が出来なかった。
あれがトライダー……? 嘘でしょ!?
「ハァ、ハァ……待って、下さーい!」
「トライダーさん、ハァ、ハァ、御願いです話を聞いて下さい!」
「トライダー卿! どうしてっ、何もっ、話してくれないんですか、ハァ、ハァ」
少しして、風紀兵団達が追いついて来た。そのうち一人は私の横に立ち止まり、私の袖を掴む。
「ハァ、ハァ……マリーさん……きょ、今日こそ、王立、養育院にお連れ」
私はその風紀兵団の袖、いやサーコートの襟元を両手で掴み返す。
「王立養育院じゃないでしょう、あれがトライダーさんですって!? あの人裁判で無罪になって、王様に力を認められて出世したんじゃなかったんですか!? 貴方達は何をやってるんですか、一体何が起こってるんですか!!」