アイリ「やっぱり、今回は船長には内緒で動きましょう。ロイ爺とウラドとカイヴァーンは残って、封鎖が解けたらすぐ船をレブナンに動かして。太っちょ、不精ひげ。船長を尾行するわよ」
ウインダムに引き続き、何かと怪しい動きを見せるフォルコン号の乗組員達。
そしてまたまた出ました風紀兵団。
まさかこんな所に、私を知っている風紀兵団が居るとは思わなかった。
彼等はいつも大兜を取らないし、装備も完全に揃いの物を使っているので、私の方からは全く見分けがつかない。声で解るのはトライダーぐらいだ。
野原を横切り、森を抜け小川を渡り、レブナンへの道は続く。
風紀兵団に捕まりたくない私は最初、一生懸命走った。
しかしいつも通り鎧兜を着て盾まで背負っている風紀兵団は、さすがにそんなに速く走れない。私が全力で逃げてしまうと、すぐ置き去りになってしまうのだ。
彼等について来て貰えば安全にレブナンに行けると考えた私は、自分も疲れたふりをして行き足を落とす事を考えた。
「……マリーさぁぁん! お待ちなさぁぁい!」
風紀兵団はへとへとになりながら、必死で追って来る……私は自分の中の悪魔に戦慄しつつ、自分もへとへとになったふりをしながら、田舎道をゆっくりと走り続ける。
◇◇◇
辺りが夕焼けに染まっている。木も草も全てがオレンジ色を帯びるような強烈な夕焼けだ。
少し前に崖の上から、セリーヌ川とその大きな河口、そこに広がるレブナンの町が見えた。まだ結構遠かったけれど、風紀兵団に追われたおかげで明るい時間にここまで来れた。
その風紀兵団ももう追いついて来ないようだ。私は一休みして水筒の水を飲む。
……
昔は迷惑な奴等だとしか思わなかった。いや、今もそう思っているけど。
あんな重そうな鎧を着たまま、あんなに走れるものなのか。たった一人の、言う事を聞かない不良孤児の為に。
前にヤシュムでイマードさんにいきなり大兜を被せられた事があったけど……あれも重いし周りが殆ど見えなくなるよね。あんなの一日中被ったままでいられるもんなの?
風紀ある市井の為に?
……
風紀兵団に志願する人って凄いな。
汗水垂らして働いて給料はほとんど無し……世の為人の為とは言え、どんな精神力があったらそんなブラックな仕事に心血を注ぐ事が出来るのか。
凄い仕事だよ。
船長なんてだらけてても務まるのに。甲板で日向ぼっこでもしてる間に船と水夫がせっせと働いて色々な所へ連れて行ってくれるのに。
フルベンゲンの人々は、私がグラストで仕入れた毛織物を大変喜んでくれた。よくこんな所まで持って来てくれたと、船長の私に感謝してくれた。
だけどあの荷物を運んだのは船であり、船を動かしたのは水夫達であって、私は何もしていない。
我が事ながら、こういうのって不公平だと思う。
だいたいね、荷物を運ぶっていうのは例えばあんなふうに、汗水垂らしてですね……あれ?
夕焼けが照らす丘の上を続く道の、木立と野原の合間の辺りに、四人ばかりの旅人が居る。
うち二人はいわゆる雲助さん……旅人や行商人の荷物を担ぎ難所を越える手助けをしてくれる道案内業者のようだ。それが、二人連れの女の旅人と揉めている……
「この先はぬかるみが酷いんだよ、担いでやるって言ってるだろうが!」
「要らないって言ってるのよ! あっちへお行き!」
いや……あれは雲助さんじゃないよ、案内の押し売り、はっきり言えば追い剥ぎじゃないの!?
「ああもう面倒くせえ、寄越せって言ってるだろうが!」
「きゃあっ!?」
「荷物だけで勘弁してやろうって言ってんだ、黙って言う通りにしやがれ!」
「返して! 返して!!」
ちょっと……何これ!?
私は背の低い潅木に身を隠していた。背後を何度振り返っても、風紀兵団の姿は見えない。
私が居る事はまだ誰にも気づかれてない。このままやり過ごせば何事もなく通過出来るかもしれないけど……
「そうかい、黙って荷物を寄越しゃあそれだけで済ませてやろうと言うもんを、そんなに何もかも奪われてえのか」
「誰か―!! 助けて!! 誰か!!」
「うるせえ! 静かにしやがれ!」
旅人二人は親子のように見える……母親は私より小柄だが気丈に声を上げ盗賊に抵抗している。娘さんの方はすっかり怯えてしまって、抵抗どころか走って逃げる事も出来そうにない。
私は銃士マリーの服を着ていて、腰に剣のようなものを帯びている。ただしこれは黒樫造りの竹光だ。
どうするの、こんなの……
……
大丈夫。出来るし、やるべきだ。
ていうか……急がないと!!
「いい加減にしやがれ! 娘の方が大人しくしてんじゃねえか!」
「早くお逃げマリー! 町に向かって走るのよ!」
「いや……お母さんを……離して……!」
私はそこへ飛び出して行った。あの娘さんの名前もマリーらしい。変な縁があるわね。
「そこの野良犬共! お前ら雲助紛いの追い剥ぎか!?」
私は声だけでもフレデリクにしてみる……いや、したつもりだったけど、やはりマスクも衣装も無しではフレデリクにはなりきれない。
「あア!? 何だァ小僧!?」
「何だおめェ、正義の味方のつもりかァ?」
ぎゃああああ怖い怖い怖いぃぃ!! 近くで見ると男共の顔は古い傷跡だらけだ……これはかなりの場数を踏んだ相手と思える。
待て、落ち着け、私。
「悪党なら話が早い、試し切りの相手を探してたんだ、お前達なら丁度いい!」
私は逆光を背に竹光のレイピアを抜き、歯を剥き出しにして見せる。一応笑ってるつもりなのだが、顔は引きつっていると思う。そして……ひいい怖いぃ! 男共が隙間だらけの歯を剥き出しにして笑ってるゥゥ!?
「おい……こりゃ小僧じゃねえぞ、小娘じゃねえか」
「ああ? ああ……そのようだな……」
とにかく始めてしまった以上、やりきるしかない。私は竹光の切っ先を回して男達を挑発する。まずはあの旅人から男達を引き剥がさないといけない。
その男達は何度か振り返り、旅人達と私を見比べている……人質にでも取られたらどうしよう、御願いこっちに来てください、それかやっぱりやめにしてどこかへ立ち去って下さい……数の上では三対二になったのだ。そういう判断も有りでは?
「どうだ兄弟? あっちの親子は後にして、先に売られた喧嘩を買うってのは?」
「そうだな……そっちの方が良さそうだ」
男共が頷き……ぎゃあああこっち来たぁぁ!?
「そうこなくちゃ、新しい刀の錆にしてやるよ!」
私はそう言って一度滅茶苦茶にレイピアを振り回す。まだ間合いは随分遠い。男共は余裕を持って鉈のような短剣を構え直し、私を挟み撃ちにするように迫って来る。
私は十分に冷静だった。だって怖いものは怖いのだ。
私は別に、この男共を倒さなくていいのである。親子の旅人が逃げる隙を作りつつ、出来る限り時間を稼ぎ、後から来る風紀兵団を見せてやればいい。
どんなに遠目にでも完全武装の衛兵隊である風紀兵団が向かって来るのが見えれば、この手の追い剥ぎなど一目散に逃げ出すはずだ。
そして。戦わず逃げて逃げて逃げ回ると最初から心に決めていれば、どんなに山歩きに慣れた山賊だろうと、船酔い知らずの敵ではない。
「オラァァァアア!」
「ハハハッ! どうした、腰が抜けてるのか!」
「クソッ、このアマ、ウロチョロと!!」
「年寄りが無理するな! さっさと切られろ!」
男共を挑発しながら、私は道なき斜面を駆け上り、砂の浮いた崖を駆け下る。
最初のうちは必死に追い掛けて来た男共もすぐに勝手が違う事に気づき、足元のいい所に留まって吼え出す。
「ハァ、ハァ、畜生め!! いい加減に……しねえと……死ぬより酷ェ目に遭わすぞ!」
ぎゃあああ死ぬより酷い目って何なのそんなのに遭うのはいやああ!! 早く来てええ風紀兵団、助けてええ!!
「疲れたのか? じゃあそろそろ料理してやるよ」
だけどめちゃくちゃびびってる癖にフレデリクっぽい事を言い出すこの口は何なのか……私は男の一人の前に剣を構えて進み出る。もう一人は離れた崖の下で片膝をついている。
「舐めんな小娘がぁあ!!」
男は怒りの雄叫びを上げつつも、無駄に大きな振りをせず、短剣をきちんと構え、私の竹光の切っ先を見ながらじわじわと距離を詰めて来る。へなちょこの小娘相手でも油断しない、手練の悪党らしい。
私は男の歩幅を見ながらじりじりと後退する……駄目だ、男の足が止まった。どどど、どうしよう……はわわわ……
「舐めんなとか言って、威勢だけじゃないか」
「テメエこそ、逃げ回ってるだけだろうが!」
男の足が、一瞬棒立ちになる……
「ハッ!」
そこへ私は突くとみせて大きく踏み込む。
「ハーッ!」
男はカウンターを狙い一気に間合いを詰めて突き掛かって来る。上背、踏み込み幅、筋力、どれを取っても男の方が上、剣の長さの差を考慮しても間違いなく男の方がリーチが長いが……そんな事は関係無い。
私は剣を突いておらず、相手の突きをしっかり見ていて、余裕を持ってかわしていた。
そして私に釣り込まれて前進し過ぎた男の足は、ゆるやかな崖の斜面に踏み込んでしまっていた。斜面に普通に立っている私を見て判断を誤ったのだろう。
「ぬ、ぬおっ!?」
踏み込んだ足を滑らせ、股裂きになりそうになった男は、どうにか近くの細い枯れ木の幹を掴んだが。
「ハイ!!」
相変わらず本当にズルなんだけど、斜面でも普通に踏み込める私の竹光での刺突は、態勢を崩し真上を向いてしまった男の無防備な首に、少し斜めに突き立てられていた。
「エ……エジルー!!」
その瞬間を、崖の下に居た男がちょうど見ていた……男の目からは、私のレイピアが真っ直ぐに男の喉を刺し貫いてしまったかのように見えたのかもしれない。
エジルと呼ばれた男……今私が竹光で首筋を叩いてしまった男は、手放してしまった重そうな短剣と一緒に、緩やかな崖を土埃を巻き上げて滑り、転がり落ちて行く……
「おい! 何の騒ぎだ!?」
次の瞬間……背後の、道の方……親子の旅人が居た、レブナンへと続く下り坂の方から、男の野太い声がした。
風紀兵団? いやあれはエテルナ側から来るはず。じゃあレブナンから来た衛兵団かな?
振り向くと、親子の旅人の近くに、レブナン側の下り斜面の方から、七人くらいの男達が登って来るのが見える……皆十二月だというのに薄着で、そして、人相が悪い……衛兵ではないあれは……追い剥ぎの新手!?
「親分! この小娘が……エジルを殺した!」