ユロー「このような悪質な文書を畏れ多くも陛下の御目に掛けた人物。それも必ず割り出さなくてはならない」
第一作で出て来たパルキアという港には、アイビス王国の内海での海上活動を統括するパルキア海軍司令部がありました。マリーもそこを訪れた事があります。
「ひえっ、ぷしぃ!」
風邪でもないのに変なくしゃみが出るのは、どこかで誰かが自分の噂をしているからだという。本当だろうか……おっと、操帆の途中だった。
私は暖かい厚手の毛織の服、漁師マリー姿で、動索を手繰り出す。北北西からの潮風がガフセイルに掛ける圧力が高まる。
―― バタッ、バタバタバタッ……
帆がより大きく膨らみ、マストを、ガフを引っ張って……
―― ギシギシ! キイィ……ガラ、ガラ……
あちこちでロープが、滑車が鳴く……
―― ギイィィ! ギイィィ!
そして船体が撓み、軋む音がして……
それからぐぐっと! 船体のローリングが強まり、つまり甲板が傾いて、そして船が僅かに加速するっ……ぐぐっと!
「う、ぐえっ……」
私はまだ船酔いを克服出来ていない船長なので、この「ぐぐっと」には大抵船酔いがついて来てしまう。それでも、「船酔い知らず」の服を着ていたら味わえないこの「ぐぐっと」は、私の心をとても高揚させてくれる。
「船酔い知らず」の魔法は便利なのだが、マストや索具、船体に力が加わった時に彼等が上げる「船の声」を小さくしてしまう。人の声はよく聞こえるようになるんですけどね。
しかし「船の声」をより良く聞きたければ、船酔い知らずの魔法は無い方がいい。
「ミャウ、ミャウ、ミャウ、ミャー」
カモメが三羽、進路を変えて飛来し、波間を走るフォルコン号と併走するように艦尾に並び掛けて来る。
帆船もすごいけど、カモメもすごいよね。こんなに完璧に風を利用出来る生き物が居るのか。まるで力を入れず、遊ぶように空を飛んでいる。
一羽のカモメが、私のだいぶ近くまで飛んで来る。船の進行方向に並行して飛んでいるので、空中に止まっているかのようだ……そんなカモメがあまりに近くまで来るものだから、今なら触れるような気がして、私は思わずそちらに手を伸ばしてしまった。
「ミャーア、ミャッ、ミャッ、ミャッ……」
猫鳴きしたカモメはたちまち加速し、艦首の方へ真っ直ぐ、フォルコン号を追い越すように飛び去る。
現在の人類の叡智を集めて作られたスループ艦も、まだまだカモメには敵わないようだ。こっちも限界まで風を利用しているつもりなんですけどねェ。
私はマストを見上げる。
軋む木材、張りつめたロープ、はちきれそうな帆布……いやいや、速さではカモメに敵わないかもしれないが、フォルコン号はたくさんの荷物を積んで走る事が出来るのだ。
そして私に見た事のない景色をたくさん見せてくれた。
―― ザザァ……ドドン! ザザァ……
船体が波間を飛んで水面を打ちつける音と、甲板にまで飛んで来る飛沫……ああ。海はいいなァ。船酔いは気持ち悪いし船乗り共には腹が立つ事もあるけれど、海と船という奴は、こちらがやった事に、やった通りに、素敵に答えてくれるのだ。そう、海と船は。
問題は船乗り共、そう船乗り共だ。
私は大きく息を吸い込んだ。
「ごるぁぁぁぁあああ! 当直は誰だよ、何やってんの帆が萎れてんじゃん、あんた達! 何年船乗ってんの! そこへ並べッ、並べーッ!!」
◇◇◇
「ここはクレー海峡だよ!? レイヴンはすぐそこ! いや、レイヴン関係なしに船の通行量が多い場所でしょ!? 気をつけなきゃいけない場所じゃん!?」
私が目を覚ました時、フォルコン号はアイビス本土とレイヴン本土との間が一番狭い場所、クレー海峡に差し掛かっていた。何かあったら困るので、ここは当直を手厚くしていたはずなのに。甲板には操舵手のウラドと見張りのカイヴァーンしか居なかった。
私が黙って弛んだ帆を一人でいじりだすと、カイヴァーンが慌てて皆を起こしに行った。そして今の状況である。
「不精ひげ! この時間の運行責任者はあんたでしょう、一体何してたのよ!」
私は責任者を詰問しようとしたのだが。
「申し訳ありません! 時間通りに起床出来ませんでした!」
「待ってくれ船長、わしが引き継ぎの時に起こすのを忘れたんじゃ、不精ひげのせいではない!」
「爺ちゃんは悪くないよ、姉ちゃん、俺が不精ひげの兄貴を起こしに行けば良かっただけだから!」
「カイヴァーンは見張りだったんでしょう!? 私が行けば良かったのに、ごめんなさいマリーちゃん、私厨房で料理に夢中になってて」
「あああ、あの船長、僕は単に寝てました、ごめんなさい」
「すまない船長! 私が舵を固定して皆を呼びに行っていれば……」
「やーかーまーしー!!」
この通りである。船員達は我も我もと言い出して、結局私に責任追及をさせない。船乗り共というのは何故こういう時だけ迅速かつ効果的に団結するのか。アイリさんまでなんですか、すっかり船乗り根性が染みついてしまったんですか。
「もういいよ! 不精ひげは今日は配給のエール無し、ロイ爺とアレクは戻って睡眠取って! 以上! アイリさん私お腹空きました!」
◇◇◇
もうじき年が変わり、私は16歳になる。そうすれば私はアイビスで成人として仕事に就く事が出来る。
この時期に母に出会えた事は、ある意味運命だったのかもしれない。
町育ちの何も知らないお嬢様だった母は父に騙されてヴィタリス村に嫁に来た。大反対した実家とはその時に縁を切ったそうである。
父フォルコンは自分は船長であり、母ニーナは船長夫人、生まれて来る子供は船長令息か船長令嬢だと言った。母はその話を鵜呑みにしていた。
実際父はごく稀には、まとまった金を持ち帰る事もあったようだ。私が12歳くらいの頃にも一度そんな事があった。父はしょうもない土産の品を大量に抱えてやって来て、それはもう得意顔で祖母と私にさんざん自慢話を聞かせ、村の衆を捕まえてはある事ない事吹きまくり、数日後にはまた居なくなった。
だけどそんな風に上手く行く事は滅多にない。殆どの時は僅かばかりの蓄えを持ってそっと帰って来た。
だから私は。16歳になったら、きちんとした仕事に就きたいのだ。
私は今、船長と呼ばれ、船長っぽい部屋に住んでいる。なんだかんだ泡銭らしき物もある。
だけどここで調子に乗ったら、自分は船長という仕事をしているんだと言い出したら、私は父と同じモンスターになってしまう。
アイビスでは16歳未満の少年少女が正式な仕事に就く事は禁止されている。しかし船長になる事は禁止されていない。それは多分、船長は正式な仕事ではないからである。
◇◇◇
次の行先はレブナン。そこは王都へ続くセリーヌ川の河口にある港町で、内陸の大都市との貿易拠点である。フォルコン号は夜には着くつもりでそこへ向かっていたが。
―― カンカン、カンカン
レブナンまでまだ20kmはあるかというアイビス沿岸の洋上で、海軍の警備艇に停められた。
「ロングストーンの商船フォルコン号です! ウインダムからレブナンへ行く荷物を積んでるんですけどー!」
私は停船を指示して来た全長10m足らずの海軍の警備艇に呼び掛ける。
「レブナンは王室行事の為に封鎖中で、外国商船は入港禁止なんだ、レブナンに用があるなら近くのエテルナに寄港してくれー!」