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ハイネン「あの子、役者になる気はないのかな。きっと向いていると思うんだが」

ハイネン氏と腹を割って話す事に成功したマリー。見た目が悪いなんて言う人もいるけれど、実直で良い男じゃありませんか。

だけどそんなハイネン氏は、ソフィの事を心配して縁談を諦めようともしていた。

 挨拶もそこそこにハイネンの元を離れたマリーは、細い水路沿いの道を歩いて行く。マリーがハイネンと話している間、ただ()()()ついているだけだった二匹の猫もついて来る。


「ぶち君ねえ、今日は本当にもういいから。私も、もう一度だけあの女の子の顔を見て、そしたら船に戻るから……それでこの話はおしまい。今回ばかりは私も諦めますよ、もう」


 マリーはそうぶち猫に告げるが、相手は所詮猫である。マリーの言葉など解らないのか、真ん丸に目を見開いたままマリーの後を追う……そんな、次の瞬間。


「フギャッ!」


 ぶち猫が、鋭く叫んだ。続いて……マリーが今歩いている、狭く人通りの少ない路地の前方の角から、フード付きの黒い外套を深く被った、小柄な人物が、行く手を塞ぐかのように現れたかと思うと、いきなり……棒を振りかざしマリーを襲撃して来たのだ。


―― バキッ!


 マリーは飛び退く。間一髪という程ではないが、何かの棒の先端はたった今マリーが居た場所に叩き付けられていた。


―― ブウン!


 一撃目は振り下ろされて地面を叩いた棒が、二撃目は薙ぎ払うように振り回される。襲撃者はさらに。振り上げた棒を再び、叩き落とすように上から振り下ろす。


―― バキィッ……!


 三度目の打撃は、後ずさりして尻餅をついたマリーの足元に叩き付けられていた。僅かに砕けた細かな木片が、地面に跳ね返ってマリーの顔の近くまで舞い上がる。



 襲撃者は決して手練てだれの者ではなく、むしろここ半年の間にマリーが立ち会った相手の中では最も動きが鈍く、力が弱い者であった。

 しかし。襲撃者が()()()()という事に気づいたマリーはたちまち青ざめ、震え上がり、唇を震わせていた。


「おか……お母……さん……」


 マリーは思わず、そう口走ってしまった。

 襲撃者の顔は、深い漆黒のフードに隠れて見えない。


「どうして解ってくれないの……私だって……私だって必死なのよ。あのお金では足りないというの!? どうして……ユーリ君をあんな風に巻き込んで……」


 マリーは必死で首を振る。その震える唇からは正直な言葉も、いつもの口八丁くちはっちょうの嘘や言い訳さえも、一つも飛び出して来ない。


「ちが……ちがう……」

「それだけでは飽き足らず……」


 襲撃者も、肩を震わせ絞り出すように言葉を繋ぐ。


「ハイネンさんに何を言ったの!? 私見ていたのよ、あの人に何を吹き込んだの……解っているわよ、貴女が私を憎んでるのは、だけど……だけど私も生きて行かなきゃならないのよ!」


 大きく棒を振り上げた襲撃者の頭から、漆黒のフードがはらりと後ろに外れる。

 舞台衣装である古代グース風の肌も露わなドレスの上に外套を羽織ったその人物は、マリーやソフィと似た顔をした、見た目は20代半ばぐらいに見える、マリーと同じくらいの背丈の舞台女優、ニーナ・ラグランジュだった。


 ニーナが振り上げているのは、舞台の小道具らしい、古代グースの賢者風の杖だった。それなりの重量があり、まともに頭を打たれたら危険なように見える。

 マリーは動く事が出来なかった。ただニーナの顔を見上げ、悲しみに唇を震わせていた。



 ぶち猫はその瞬間、マリー(・・・)目掛けて飛び掛かった。



「フシャアアア!」

「ぎゃああっ!?」


 鼻に噛みつく勢いでぶち猫に飛び掛かられ、マリーは四尺棒を取り落としながら、後ろに引っくり返る。


「フギャアアアア」

「痛いッ、痛いよ何すんのこのボケ猫!!」


 マリーは突如、マリーでもフレデリクでもないようなドラ声を張り上げ、顔に張りついた猫の首根っ子を掴み後ろへ放り投げながら、肩を怒らせて立ち上がる。

 放り投げられたぶち猫は空中で二回転しながらもピタリと着地を決め、すぐにマリーに向かって総毛と尻尾を逆立て全力で威嚇のポーズを取る。


「フシャアア! フギャアア!」

「やかましー! 何だよ人が良かれと思って汗かいて走り回ってんのに、のんきにかわい子ちゃんとイチャイチャしやがって、こっちは色々と悩んでんだよ、お前なんか帰れ!」



 突然。

 自分を無視して猫と喧嘩をし始めたマリーに、ニーナは賢者の杖を振り上げたまましばらく狼狽ろうばいしていたが。


「ま、まだ私の話は終わってないわよ! 私は貴女に邪魔される訳には行かないのよ!」


 マリーは、そう叫んだニーナの方を向く。

 今度はマリーの目はしっかりとニーナが構えている杖と、ニーナの出足を注意深く見つめていた。


―― バキンッ……


 大上段から振り下ろされる杖を、マリーは余裕をもってかわし、真後ろにあった水路にかかる小さな橋の欄干らんかんに飛び乗る。


―― ブゥン……


 続く横凪ぎの杖も。マリーは敢えて欄干の上に立ったままぎりぎりの所で避ける。


―― カン! カン! カン!


 さらに立て続けに足元を狙って突き出される攻撃も、マリーは欄干の上で軽いステップを踏んで回避する。なんだかんだで半年間船に乗っているのだ。船酔い知らずにもずっと頼っている訳ではない。

 マリーに全ての攻撃をかわされたニーナは、息を切らしてマリーを見上げる。

 マリーはまるで、舞台の上でこれから決め台詞を言おうとしている役者のように、見得みえを切る。


「私は……!」


 私は、と言い掛けて。マリーは言葉を濁す。

 今、このまま全部本音をぶちまける事が正解かどうか解らない。


 しかし。現実はマリーに考える時間をくれなかった。



「おい! ニーナねえさんが小僧と戦っているぞ!?」

「あれがハイネン氏を蹴りつけたクソガキか!?」

「行くぞお前らぁぁあ!」


 その時。下町方向を走り回っていた劇団員の集団が近くの路地に現れ、小柄なフード付きコートを着た男だか何だかを相手に、棒を振り上げて威嚇しているニーナの姿を見つけ、口々にそう叫んだ。


 マリーは鳥肌を立て、退路を探そうと道の反対側を見る。すると。


「あれはニーナ女史じゃないか……あっ! きっとあいつがあのクソガキだ!」

「大変ですぞ! ニーナさんが危ない!」

「ハイネン氏のかたきーッ!」


 劇場周辺の捜索をしていた劇場スタッフの一団がそちらからやって来て、この状況を見て血相を変えて駆け寄って来る。


 マリーは、そしてぶち猫は総毛を逆立てて震え上がる。


「ぎゃああ!? どうすんのこれ!!」

「フギャッ!」


 ぶち猫は辺りを見回し、その辺りの空樽を踏み台に町屋の一階ののきへと飛び上がる。

 マリーも今は船酔い知らずを着ていないのにも関わらず、欄干から地面、地面から樽へ飛び移り、さらに平屋の屋根へとよじ登る。


「野郎、屋根の上に逃げたぞ!」

「追えー!! 逃がすなー!!」

「ニーナさん! 御怪我はありませんか!?」


 たちまち両側から殺到する、劇団員達と劇場関係者達。ニーナはただ唇を震わせて、マリーが消えた屋根の上を見上げていた。


「お前ら、向こう側へ回り込め!」

「俺達はこっち、お前らはあっちだ!」

「ニーナさんは劇場に戻って下さい!」



 殺気立った男達は、マリーが消えた建物のブロックを包囲するように駆け出して行く。ニーナの周辺には二人の劇場関係者が残ったが。


「はぁ、はぁ……この後、正午からの公演、出来るのかな……」

「やるしか、ないだろ……この上、芝居も出来ないなんて言ったら、本当に客に見捨てられちまうぞ……ニーナさん、早く戻って準備をしないと」


 その場にはあの茶虎猫も残っていた。彼女は突然屋根の上に飛んで消えたぶち猫とその友人を追い掛けられる程機敏ではなかったのだ。


「アーオゥ……」


 そして、茶虎猫が切なげに一鳴きした瞬間。マリーは再び屋根の上に現れそこから樽の上、そして地面へと飛び降りて来た。


「うわああ!? 現れやがった!!」


 体力切れでへばっていた二人の男は、思わず尻餅をついた。

 マリーは先程落としてしまった、魚の駕籠をつけた四尺棒に駆け寄りそれを拾い上げる。ぶち猫も屋根から樽、樽から地面と飛び降りて来た。


「マ……!」


 ニーナは思わず、10年前に捨てた娘の名前を呼びそうになり、それをこらえる。


「あの野郎戻ってきやがったぞ!」

「こっちだー!! 囲んでぶちのめせ!」


 建物の周りに走って行った男達のいくらかが駆け戻って来ながらそう叫ぶ。

 四尺棒を担ぎ直したマリーはドラ猫のようにたくましく、ひらけた退路めがけて駆け出して行く。

 その後をぶち猫が、そして茶虎猫が追い掛ける。

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マリー・パスファインダーの冒険と航海シリーズ
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