水夫「喜んでたなあの女の子」トスターダ売りのおじさん「ハッハッハ、気前のいい事をした後は気分がいい!」
当作品は「マリー・パスファインダーの冒険と航海」の第五作でございます。
前作未読の方は宜しければ是非、第一部「少女マリーと父の形見の帆船」から御覧下さい。
ページ下部の「マリー・パスファインダーの冒険と航海シリーズ」のリンクからどうぞ!
そしてそして、四作目から引き続き御覧の皆様! 今作も是非是非最後までお付き合い下さい!
レイガーラントを治めるクラッセ王国は新興国であり、領土も決して広くない。だけどこの国にはあらゆる人種や文化を受け入れる寛容さとそれがもたらす勢いがあった。港町ウインダムはその象徴だ。
「ターミガンのケバブはいかが! スパイスたっぷり、ほっぺが落ちるよ!」
「チュロスが揚げたてだよー! 今日は砂糖3倍サービスの日だよ!」
「極光鱒のスモークはどうだ! 次はいつ食べられるか解らないぞ! どうだいそこのお嬢ちゃん、一口味見してみてよ!」
ここは波止場に隣接した場外市場、周りに居るのは船乗りや港湾のお兄さん方、そして海千山千の商人のおじさん達だ。お嬢さんなどと呼ばれる者は滅多に歩いてない……違ってたら恥ずかしいなと思いつつ、私は声のした方に振り返る。
「あらやだ、このお魚生じゃないの?」
「お姉さま、スヴァーヌの方ではこのまま召し上がるそうですのよ」
声を掛けられていたのは私ではなかった。屋台で極光鱒のスモークをコルジア風のトスターダに挟んで売っていたおじさんが声を掛けていたのは私ではなく、お供を連れた着飾ったお嬢様の二人連れだった。
「スヴァーヌって大変な田舎なのでしょう? いまだにヴァイキングが暴れ回っているとか」
失礼な事を言うお嬢さんである。私は思わず口を出す。
「あの、スヴァーヌには極光鱒を使った料理がたくさんあるんです、この食べ方はラクスと言ってただの生魚じゃなくて、丁寧に塩漬けしたものを低温で長時間かけて燻製にしたものなんです。とても美味しいんですよ」
私は故郷でも着ていた普段着の上から古い毛織のショールを一枚被っていた。これでもみすぼらしいという事は無いと思うんだけど、色鮮やかなドレスを着たお姉様達と比べるとだいぶ見劣りするかもしれない。
「ふ、ふーん、そうなの」
「おじさま、私達は要らないからそのお魚この子にあげたら?」
二人連れのお嬢様達はお供を連れて立ち去ってしまう……トスターダを売っていたおじさんはちらりと私を見た。私は商売の邪魔をしてすみませんという意味で、
「ごめんなさい」
そう言ってその場を立ち去る。
私はマリー。アイビス王国南部の山懐で生まれ育った百姓娘である。
故郷ヴィタリス村は4000kmの海路の彼方。それでも先日まで居た所に比べればだいぶ近づいたのだが、帰り道はまだまだ先が長い。
「そこの女の子! 待ってくれ」
後ろから誰かに声を掛けられ、私は振り返る……今度は私だろうか? 私らしい。
「ほら、極光鱒の試食。食べていきな」
それは先程のトスターダを売っていたおじさんだった。わざわざ露店を離れ追い掛けて来てくれたのか。極光鱒は珍味であり値段が高く、こんな貧相な娘に試食させたって買わないというのは解っているだろうに。
「すみません、商売のお邪魔をして、朝食は食べましたのでお構いなく」
「まあそう言うなって、一切れだけだから! 滅多に食べられない珍味だぞ!」
私はおじさんが手に持った、極光鱒のスモークを挟んだ小さく切られたトスターダを見る……ううっ。もう匂いを嗅ぐのもキツい。
しかしこれは、この貧相な娘に一口だけ極光鱒を食わせてやろうという、おじさんの善意と心意気の塊である。おじさんは自慢げに声を張る。
「この極光鱒はつい何日か前に、極北海から来た水産会社が急送して来た物なんだ! 特上品さ!」
知っている。この極光鱒は訳あって私が寝泊まりしている船が、遥か北の国から運んで来てこの港で売った物だ。
その航海には私も乗り合わせていて、その船内では毎日極光鱒の消費が義務付けられていた。勿論、おじさんは私のそんな事情は知るまい。
「ありがとうございます、それでは、いただきます……ああ、とても美味しい! 香りの良い魚肉が品の良い脂と共に口の中で蕩けて広がりますわ、程よい塩加減も相まって、お口いっぱいの幸福感が長く続きます!」
私は嘘をついている。このトスターダ、ただでさえ脂っこい極光鱒にオリーブオイルを掛け過ぎだよ……うええ……でも極光鱒が初めての人には、このくらいの方がインパクトあっていいかしら。
「美味そうじゃないか。親父、それをくれ」「俺は二つ」「へい! 毎度!」
私のわざとらしい感想に釣られたお兄さん方がトスターダの屋台に歩み寄り、おじさんも屋台に駆け戻って行く。良かった。頑張った甲斐があった。
人の善意と心意気が好景気を呼ぶ風となり、商いが帆を膨らませて前進する……世の中、常にこのようにあって欲しいものだ。
◇◇◇
石畳も新しい中央波止場付近には大手商社の大きな帆船が並んでいて、規律正しい水夫達が勤勉に働いたり、整然と休息したりしてしいる。
私はそこを通り過ぎ、港の外れの古い小さな桟橋が並ぶ地区へと歩いて行く。そちらには中小の商船や運搬船が係留されている。
この辺りの場末の錨地は中央波止場付近と違い、だらしない水夫やごろつきがうろうろしていて、仕事ぶりもダラダラしてるし雰囲気も悪い。時折口笛も聞こえて来る。
こんな所を小娘の私が一人で歩くのは少々心細い。だけどフォルコン号はそんなハズレ錨地に停泊しているのだ。
スループ型、一本マストの小型帆船フォルコン号。
それが今の私の棲家である。
フォルコン号には風除けの幌が何枚か張られていた。十二月の甲板の一部を風の吹かない快適空間にする為の幌だ。
舷門を潜った私はその甲板に、両手と背中の荷駄を降ろす。中身はキャベツにブロッコリーに人参に赤ビート、大根に葱にほうれん草などだ。
「おかえりマリーちゃん、何か面白い事あったー?」
真っ先にそう声を掛けて来てくれたのはアイリさんだ。アイリさんはこの船の料理長兼航海魔術師、28歳のちょっとフワッとした綺麗なお姉さんである。彼女は船内で唯一私を叱ってくれる人でもあるが、今日は私の方に言いたい事があった。
「面白い事じゃないですよ! みんないつまでだらけてるんですか! いつまで! この港の片隅で商売もせずゴロゴロしてるんですか!」
出航の準備もせず、甲板に折りたたみテーブルと椅子を広げてカードゲームに興じていたのは航海魔術師兼料理長のアイリさんだけではない。
掌帆長で30代後半の大柄な水夫通称「不精ひげ」ニック。主計長で27歳くらいの小柄な水夫通称「太っちょ」アレク。そして60歳前後で長い髭のフォルコン号副船長ロイ爺。さらに私の義理の弟で14歳、ぼさぼさの黒髪のカイヴァーン。
周囲のハズレ桟橋の他の船の面々に負けず劣らず……フォルコン号の乗組員達はだらけていた。
確かにフォルコン号は10日間、過積載の状態で雪風に追われながら休みなく操船してこの港、ウインダムに辿り着いた。そしてこの船の船長は水夫達の疲労を考慮して3日間の休養を決めた。
ところがその休みが、何故か終わらないのである。
「ウラドはどこへ行ったんですかあの青鬼ちゃんは! 太っちょを探しに行くって言ってたんじゃないんですか!?」
「えっ僕を探しに行ってたの? ごめん船長、入れ違いになったかも」
「ははは」「仕方無いのう」
太っちょは悪びれもせず頭を掻いて笑う。あとの四人も笑う。
私は掌で目を覆う……ずっとこうなのだ。誰が出掛けたとか誰が居ないとか、全員揃ったと思ったらもう夜だし明日の朝にしようと言い出し、朝になったら飲み水の仕入れを忘れてたとか言い出して、それで出掛けた奴がまた帰って来なくて……
「でも良く考えたらウラドは心配ねぇ、まさか水夫狩りに遭ってるんじゃ」
「この港は水夫狩り禁止が厳しいはずじゃが、どこにでも規則を守らぬ船長は居るからのう」
「よし、俺が行って探して来よう」「俺も行くよ、不精ひげの兄貴」
「止まれーー!!」
ブチ切れた私は絶叫する。いそいそと舷門に駆け寄ろうとしていた不精ひげとカイヴァーンが、ピタリと立ち止まる。
「全員動くな止まれーッ! 船長命令だよッ、誰も船を降りるな! これ以降この港を出るまで船長の私以外全員下船禁止! 解ったら返事ッ!」
「了解、マリー船長」
五人が、まるで普段から訓練してる海軍さんみたいにピタリと声を揃え、背筋を伸ばしてそう答える。私はマリー・パスファインダー。このスループ艦フォルコン号の船長でもある。
「私が探して来るから! 全員ちゃんとここに居て下さいよ!」
船の事など何も知らない素人を船長と呼ばなければならない大人達を、私も気の毒に思わないでもない。
だけどあと少しの辛抱なのだ。
彼等は間もなくこの小娘への忍従から解放される。