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深見先輩だけは

嘔吐表現があります。

 

 片付けを終え、先輩と一緒に、下校する。


 校門で、さりげなく別れようとしたものの、先輩は断固拒否し、現在送ってもらっている。


 会話は無い。けれど、ずっと先輩の声を聞かされている。


(ああ、夕焼けに染まる鏡花の黒髪も美しいなあ……)

(駄目だ、落ち着け、密室空間にいた時を思い出せ、邪な感情を抱くんじゃない)


 邪な自覚はあるのか。そして、黙っていたのは、密室空間にいたからか。余計怖くなってきた。



(はぁ、結婚したい。今、鏡花が隣を歩いているんだよな)

(いつか、俺が会社から帰り、鏡花が迎えに来たりして、こんな風に夕焼けに染まる道を二人で歩き、長い影がどこまでも伸びて、幸せを感じ……)

(入籍したい)

(同じお墓に入りたい)

(鏡花と結婚がしたい)

(名前とかで呼ばれたい)

(あなた、旦那様、おいお前、でも可)


 病気としか思えない。付き合ってもいない。仲良くも無い後輩との結婚を想像するな。


(しかし無言が続いている)

(俺は鏡花との無言は苦にならない)

(だが鏡花はどうだろう、俺をつまらない奴と思いはしないだろうか)

(何か話さねば)

(日常的な、とりとめもないような話が良い)

(何か、ないだろうか)

(何か……)


「そういえば」


 深見先輩が、ぐっと床を睨みながら言葉を発する。傍から見れば、怒り爆発寸前なほど眉間にしわが寄っている。


「はい」

「お、あ、い、き、君は家庭科は、得意なんだろうか」

「え」


 先輩の質問に、何かまた邪なことを考えたのかと疑いの目を向ける。だが先輩の心の声は、何かの話題を必死に探していて、苦し紛れの言葉だと分かった。


「……まあ、そこそこ、です」

「そうか、お、俺は苦手だ。だから今日みたいに、居残りになった」

「そうですか」

「あ、居残りは、俺だけじゃないぞ、ほ、他にもいたんだ、だが、皆用事があっていなかっただけで、そ、その俺だけが最後までできなかったという訳では無い」


(一番最後まで残っても出来ないと思われたら嫌だ!出来ない奴だと思われたくない! 信じてくれ鏡花! 皆いなかっただけなんだ!)


 そんなこと、口に出して言う声と心の声、両方で言わなくてもすぐに分かる。


 一年も二年も同じ授業があったのに、居残りの生徒が深見先輩しかいなかったのは、別に深見先輩がどうしようもなく出来ないんじゃなくて、周りの生徒は不正をしたり、さぼったからだろう。先輩は、風紀委員としてか、真面目だからかで、不正をせず、さぼりもしなかっただけ。ただ、それだけだ。



「風紀委員ですから、示しつかないってなりますもんね、お疲れ様です」

「いや……ど、どうだろうな」


 私の言葉に、深見先輩はどことなく視線を彷徨わせながら答える。何か様子がおかしいと様子を窺うと、やや切なそうな、懐かしむような先輩の心の声が聞こえて来た。


(目の前にいる、君に示しがつかないからと言ったら、君はどんな反応をするんだろう)

(俺は、あの時から、ずっと君を追いかけている)

(いつになったら、君の隣を歩ける男になるのだろうか)


 あの時?


 前にどこかで、先輩と会っている?


 一方的な未遂ストーカーではなく?


 先輩の顔を見ると、頬を染めながら、少しずつ、呟くように話を始めた。


「じ、実は、目標にしている人が、い、いるんだ。俺は、中学二年生の夏、色々とあって、非行に走っていた訳では無いが、真っ当には生きていなかった」


(剣道部の、夏の稽古)

(手首の怪我)

(俺の道は、断たれた)

(亡くなった母に言われ始めた剣道)

(剣道は、俺の全てだった)

(死にたかった)

(生きていても、意味が無いと思っていた)


 深見先輩の濁した言葉が、どんどん聞こえてくる。先輩が、剣道。確か今先輩は剣道部に所属していない、帰宅部。手元が覚束なかったのは、怪我のせいだったのか。


「だが、そんな時、そ、その人と出会って、変わろうと思ったんだ。」


(俺だ)

(気付いてもらえないだろうか)

(俺だ)

(そんな時、君が現れたんだ)

(身なりと行いのせいで、万引きを疑われた俺を、君は助けてくれた)

(君が、俺を庇ってくれたんだ)

(誰だって疑われることは辛いと、言ってくれた)

(正しくあろうとすることは絶対間違っていないとも言ってくれた)

(でも、きっと姿が違うから、分かってもらえないだろうな)

(知って欲しいような、欲しくないような、もどかしい)


 先輩の心の声で、思い出す。


 確かに、私は、その頃、万引きを疑われた少年を助けた覚えがある。犯人の心の声も聞こえ、品物をバッグに入れているのを見たと少年を疑う店員に伝え、流れで一緒に店の事務所についていった。


 確かその時、私のように死んだ目をして、心の中が絶望に染まりきっている少年に、確かに私は、疑われるのは辛いと、言ってしまったのだ。正しくあることは、間違っていないとも。普段は、人と関わろうなんて絶対思わないのに、あまりにも私によく似ていた気がして。



 あの時の少年は、肩まで髪を伸ばしていた。先輩の瞳を見ると、絶望はしていないし、むしろ光ある瞳をしているけれど、確かにあの時の少年に似ている……というか、言われればその面影がはっきり認識できる。


 というか、それが原因で、先輩は、未遂系ストーカーになったの?


「だから、ここで投げ出したら、その人に示しがつかないと思ったんだ、委員会とかは、関係ない」


(高校で君を見つけた時、すぐにわかった)

(絶対に運命だと思う)

(好きだ)

(絶対離さない)

(何処までも追いかける)



 流れるような犯行予告が同時に聞こえ、どう返事をしていいか分からず、私は結局、「へえ」とだけ答えた。
















「じゃあ、ここで」


 アパートの前で、止まる。先輩に向き直ると同時にノイズ交じりの恐ろしく低い声が聞こえた。


(邪魔な奴は皆殺して、俺の女にしてやる)



 その声の恐ろしさに、私は目を見開いた。


 危ない、殺意を持った人間がすぐ近くに、いる。




 瞬間的に先輩の腕を掴み、部屋への階段を駆け上がる。震える手で鍵を鞄から取り出し、鍵で扉を開き、突き飛ばすように先輩を部屋に入れると、すぐに扉を閉め、鍵をかけ、チェーンをかける。


 聞こえて来た声のおぞましさに身体の震えが止まらない。声も知らない、姿かたちも知らないけれど、鮮明過ぎる残酷な手順と非道な声がどんどん聞こえてきた。


 頭が割れそうに痛い。でもどうにかしなきゃ。先輩だけは絶対に助けないと。そもそもこのアパートに、この部屋に来ようとしているのか分からない。


 隣には、確か大学生の女の人が住んでいた。眩暈のする頭を何とか働かせ、意識的に隣に耳を澄ませると、恋人とバレンタインのパーティーをしているらしい。男がいる。なら、大丈夫だ。部屋からも出てこないはず。


 けれど、何者かの声はどんどん近づいて来ている。想いの強さだけじゃない。近くに来ている。頭を押さえながら様子を窺い、どうしたらいいか考えていると、ずっと止まっていた先輩が私の背中をさすり始めた。


(どうしたんだ急に)

(顔色が悪い)

(救急車を呼ぶか?)


 混乱した先輩の心の声で、今は悲しくなるくらい安らぐ。



(石崎、鏡花)


 頭をがつんとぶつけられたかのような衝撃が走る。完全に、この部屋に来るつもりだ。多分今、一階の窓側の方に居て、こちらの様子を見ている。このまま先輩を逃がそうとしても、先輩が鉢合わせて刺される可能性もある。助けなければ、先輩を。何としてでも。この人だけは。絶対助けなきゃ。


 警察に、電話だ。


 震える手でスマホを操作しようとすると、先輩が私の手からスマホを奪う。


「俺が救急車を呼ぶから、君は座ってなさい」

「違う……」


 大きな声が出そうになるのを、慌てて抑える。頭のおかしいやつだと思われても仕方ないけれど、先輩の命だけは。この人の命だけは。


「警察を、警察をお願いします」

「どういうことだ?」

「すぐ……近くに、強盗が居ます……包丁を持って。多分、この部屋を狙ってる……、だから警察を……、うっ」


 強盗の最悪な心の声が聞こえ、吐き気が止まらない。先輩、頼むから信じて、警察を呼んで。


「分かった、大丈夫だ。強盗が今どこにいるのか分かるか」


 信じてくれた?


「たぶん、玄関から来ます、なので、いま、窓のほうに行って、電話かけてください、私は扉、押さえてますから……」


 また戻しながら、荒い呼吸を整え先輩に頼む。扉を押さえていれば、時間稼ぎにはなる。刺されるだろうけどもう先輩が生きていてくれるなら何でもいい。


「分かった」


 先輩は動かない。それどころか私を自分の背へ移動させ、庇うようにして扉の正面に立つ。


「傘借りるぞ」


(おそらく壊してしまう、すまない)

(鏡花を守らなければ)

(何があっても)

(この命にかえても)

(絶対に、守って見せる)

(怖い思いはさせない)

(絶対助ける)


 先輩は、靴箱にかけていたビニール傘を取った。剣道で、撃退するつもり?

 けれど、ここは剣道場のフィールドじゃない。こんな狭い中で傘を振り回すなんて不可能だ。一体どうするつもりで……。


「うっ」


 強盗が扉の前に来た。どんどんおぞましいことを語りだし、頭が割れそうに痛む。気持ちが悪い。何でこんなことが考えられるのか。人間じゃない。


 カチャカチャと、扉に細工する音がする。そしてガチャ、と扉の鍵が開錠された瞬間、勢いよく先輩は扉を押し開いた。


「うわっ」


 さっきまで扉の間近にいたであろう強盗が、顔面を扉にぶつけながら仰け反る。そのまま先輩は部屋の外に出て行き、そのまま扉を力強く閉めた。バタバタとぶつかり、打撃音が響く。


 慌てて外に飛び出すと、傘を持ちただ強盗を見下ろす先輩と、転がった包丁。蹲る様に倒れ意識を失う男が居た。


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