深見先輩は朝から全力
人の心を読む能力。
この能力が、どうして存在するのだろうと、常々思う。
それと同時に、どうして私にそんなものがあるのかも。
朝、通学路を歩く。この町の最寄り駅への道と繋がっているこの住宅街は、学生だけじゃなく、会社に向かう会社員は勿論、老人の散歩コースになっていたりと、大層賑やかに人が行き交う。煩い。
本当なら、こんな道通りたくない。出来れば、人がいない、獣道を通って通学したい。けれど私の通う学校は、この道を通らなければ辿りつくことが出来ないのだ。早朝を狙ったこともあったけれど、散歩しているお年寄り、ランニングする人々で同じようなものだった。むしろ余計うるさかった。
ヘッドホンをかけ、物理的な音は遮断している。なのに煩い。煩くて、耳障りだ。
忌々しい、耳を閉じても聞こえる、周囲の人間の想い。
それは様々なもので、笑っていたりすることもあれば、泣いていたり、怒鳴っていたり、様々だ。そして想いが強ければ強いほど大きく聞こえるそれは、週の初め、月曜日により顕著になる。
(爆破だ爆破、あんな会社)
(そうだ、今週小テストじゃん!)
(もう延々とミルクのんで寝る生活がしたぁい!)
正直誰が何を思おうがどうでもいい。各々事情がある。でも、うるさいものはうるさい。集団で叫び、発狂しているような空間にいることは辛い。勝手に聞こえてしまう私が悪いのだけど、溜息を吐かずにはいられない。
教室にいる時もいる時で煩いけれど、授業中はわりと心の声も静かだったりする。眠たくなるような授業では、皆ぼーっとして何も考えていないし。だから、一刻も早く学校につくように早歩きで歩みを進めると、突如凄まじい爆音が響いた。
(あああぁぁぁぁあああぁぁぁぁあああ鏡花あああぁぁああぁぁああああ! 俺の、天使いいいいぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいい!)
変にビブラートをきかせる、不審者。校門の前に、深見先輩が立ってた。まだ私との距離は五十メートル以上ある。深見先輩は眼鏡、視力はさほど良くないはずで私は見えないはずだし、そもそも私は教室ほどの範囲内の人間の心しか認識できないのに、良く響く声、いや、馬鹿みたいに大きい声が、周囲の騒音を殺すほど響き渡っている。
本当に何で深見先輩は私を察知し、私は深見先輩の声が聞こえるのだろうか。意味が分からない。もしかして深見先輩の目が異常で、想いの強さが規格外、そういうことなのだろうか。恐ろしい。背中に冷たいものが走る。怖すぎる。
(はぁーーーーーー鏡花のシャンプーの香りがどんどん強まってくる。来るぞ来るぞ来るぞおおおおおおおおおおおおおぅぅぅ! 先週くらいから新しいのに変えたんだよな……、この前はシトラス、今回はフラワーブーケか? 何だかとても魅惑の香りだ……、どちらも鏡花自身の香りと混ざり、どんな香水よりも美しく、そそられる……。誘われたい……。はっ、も、もしかして、彼氏が出来たとかか!?)
スーパーの特売品で、普段と違うものにしただけだし、もう全部が怖い。
(うぅ、悲しい、学校の校則に、男女交際厳禁の項目を付け加えられないだろうか!)
出来るわけがない。
怖い。ただただ深見先輩が病気過ぎて怖い。それでも、学校の中に入るためには、現在校門の前に立つ、深見先輩の前を通らなければならない。私は溜息を吐き、一月前のことを思い返す。
そう、深見先輩に送られてから一か月が経っている。が、深見先輩の病気が治る気配は相変わらず無い。
あの日、結局深見先輩は、私の家を見て案の定、
(このアパート、セキュリティしっかりしていないんじゃ……)
(ポストの中身も、簡単に手に入れられそうだ)
(危ない……、本当に大丈夫なのだろうか?)
(俺がパトロールをした方が……)
心配なのか犯行予告なのかよく分からない反応をしていた。私を送り届け、部屋に入っていくのまでしっかり見てから深見先輩は帰ったけれど、それから、私を見かける度私の家の住所を心の中で音読する。郵便番号付きで。
完全に、覚えていた。怖い。
しかし一月経過してなお、私の家に、二つ目の鍵はつけられていない。
それは深見先輩という脅威が去ったとか、いなくなったとか、転校したとか、そういうわけではなく、単純に別の脅威が増えてしまったからである。
……今現在、この地域には不審者の目撃情報が後を絶たないらしい。パトロールという名の犯罪をしている深見先輩かもしれないけど、決まったわけじゃない。もしかしたら違うかもしれない。だから防犯スプレーを買うべきか鍵を取り付けるか選ばなくてはいけないのだ。
本当なら両方備えることが望ましいのは分かってる。
でも、お金がない。
奨学金は貰えているけれど、そもそも家が困窮しているわけではないため、成績重視の微々たる額。生活の支援は受けられない。
公的な支援をしてもらうには、私は恵まれていて、普通の生活を送るには、私は見放されているらしい。
役所に支援を望む前に、まず親に支援を望む、というのは、きっと当然のことで、普通なのだろう。
でも、私は普通じゃない。人間の家に化け物が生まれてしまったのだから。先日、親戚に会うと、どうやら私に弟が出来たらしかった。心が読めたことで、知らないことを悟られずに済んだけれど、完全に私の家族のようなものが、私の存在を無かったことにしていることは、はっきりと分かった。
親からの仕送りは、日々減っている。
しかし四月から学年が変わり教材も変わり、それに伴い出費がかさむ。ついでに新年度の振り込みも増える。振り込みは三月だけど、その前後は節制しないとギリギリだ。
その為冬休みはずっとバイトをして、余裕が持てるようにしたけれど、足りない。でもこれ以上増やすと、今度は勉強が出来なくなってしまう。奨学金の制度を利用しているから、成績は絶対下げたくない。だから先月と今月は、とにかく食費を切り詰め、食べない日を意識的に設けている。バイトが増やせなければ、食費を切り詰めればいい。
だから、鍵もスプレーも、出来れば買いたくない。
死ぬこと自体は、別にいいと思っているのかもしれない。今のところ、死ぬのは怖い、痛いのは嫌だと思って死を避けている訳で、生きたい理由は無い。
……気付けばもう、一メートル先には、深見先輩がいた。
(はあ、鏡花が来る。鏡花が来る。緊張してどうにかなりそうだ……。いや、俺にはすることがある。しっかり……)
風紀委員の役目を……?
(息を吐き出そう、限界まで、そして鏡花がここを通過し、去った瞬間、大きく息を吸い込み、鏡花の吐いた二酸化炭素を肺いっぱいに取り込むぞ!!)
犯行予告として警察に通報することが不可能な宣言を聞きながら、なるべく呼吸を浅くする。
「おはよう、合格だ、行ってよし」
「おはようございます、どうも」
呼吸を止めて、足早に去る。
……? 声が聞こえてこない……?
少し離れ、深見先輩の様子を窺うと、深見先輩はじっとこちらを見つめていて、慌てて前を向く。
(…………はぁ)
放心、してる……。
怖い。何か、怖い。人の匂い嗅いで、放心してるのこわい。怖い怖い怖い。震える。しかも真顔で。表情と思考が乖離してる人間なんて何百人と見て来たけれど、深見先輩はその中でも乖離がトップクラスだ。病気。