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8.ずるい人

 大きな背中をぼんやりと見つめる。

 アンタは一体どれだけの荷物をたったひとりで背負いこんでいるんだろう。

 あたしは、いつになったらアンタの荷物を持ってやれるようになるんだろうか。


 振り返った顔に感情はない。


 あたしは、荷物を分けてもらうことも、アンタを泣かせてやることもできない。

 こんな時になんて声をかければいいのかさえ分からない。

 あの人との短いやり取りの中でアンタが何を想い、何を憂いているのか察することさえできない。

 あたしがそうやってない頭を捻ってる間にだってアンタはひとりで前を向いてしまう。

 いや、はじめからアンタは振り返ったり俯いたりなんてしなかった。

 その深い夜色の瞳はいつだって毅然と前だけを睨みつけている。

 ずっとあたしの前に見える背中が哀しくて、なにもできない自分が情けなくて、隣に行きたいのに、すぐ側で支えたいのに、できなくて、泣きたくなって。

 ……俯きそうになるのはいつだってあたしだ。

 そんな俯いて座り込んでしまいそうなあたしの手を優しく引っ張りあげるのはやっぱりアンタなんだ。


「……悪かったな」

「なんで、謝んだよ」

「そんな顔してんのは俺の所為だろう?」


 違う!!バカじゃねぇか!自惚れんな!!あたしは泣きたくなんかないんだ!

 そう言ってやりたいのに言葉が出なくて、かわりに目頭はどんどん熱くなって、堪えるように唇を噛んだ。


 アンタの事情も、あの人の事情もさっぱり分からない。

 アンタたちの会話にあたしは全然ついていけてなかった。

 どうしてあの人の口からおじさんの名前が出てきたのかも、アンタを次の王だとあんなにキッパリ断言したのかも、アンタとあの人にどこか似たようなものを感じた理由もあたしにはわからない。

 あたしはただあの人が、自分の体に流れる王族の血とか、義務とか、責任とか、目に見えない鎖で雁字搦めになって、自分ではもう身動きができないくらいに縛り付けられていることしか、アンタがあの人と同じように“何か”に縛られて、重たいものを背負わされていることしか分からなかった。

 ようやく分かったほんの少しのことさえも曖昧で、アンタのことを何一つ理解してやれないあたしが、泣いてもいい訳ないんだ。


「お前のカンは獣並みだからな。難しいことを理解できなくても流れる空気は読みとったんだろ」

「どういう意味だ!」


 涙目で睨みつけた先には驚くほどに柔らかく瞳を和ませているアンタがいた。

 いつもじゃ絶対に見せない、もう、何年も見てなかった笑みを浮かべたアンタがいた。


「今日はもう休め。祝宴の準備ができたら呼んでやる」

「っ、一緒に、あたしも一緒にいたら、ダメなのか?」

「ディアナ」


 行かせたくないと思った。

 静かで穏やかな微笑みが怖かった。

 柔らかく細められた瞳に灯るあたしのしらない“決意”の光が怖かった。

 すぐ側にいるのに、手を伸ばせば届く距離にいるはずなのに、あたしを置いてどこか遠くへ行ってしまいそうなアンタが怖かった。

 だからなにもできなくても、ただ側にいることしかできなくても、それでも一緒にいたいと思った。

 すぐそばにいてアンタを繋ぎ止めなきゃと思った。

 それなのに今のあたしの精一杯の言葉は、アンタに届く前に静かな声に撃ち落とされた。

 すれ違いざまに頭にのせられた大きな掌に我慢していたはずの涙が音もなく頬を伝うのを他人事のように遠くで感じていた。



 名前を呼ばれただけ。

 ただそれだけのことであたしはもう何も言えなくなる。

 アンタの声があたしという存在を奏でるだけで。

 あたしは簡単にアンタに支配されるんだ。



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