「38.もう一つの借り」
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徐々に、いつもの調子を取り戻してきているのだろう、クレイが揚々と話を続けた。
「そして、もう一つ。今のうちに借りを返しておくよ。借りを残したままだと、後々面倒だし。」
「どういうこと??」
アリシアは訝しげな顔で聞く。彼女には、クレイの言う事が全く納得かいかないのだ。借りを作った覚えも無いし、故に返される覚えも無いのだから。
「今は大人しくこの場から逃げてくれ。」
「は?」
アリシアはとても驚いた。自分の命を狙っている相手が、逃げろと言うのだ。支離滅裂もいいところ。もはや、彼の考えも言葉も、その全てが彼女の思考を遥かに凌駕している。命を救われた事には、少しだけの疑惑と感謝があるのは間違いない。だから彼女は、彼に対し聞きたい事も、そして伝えたい事も山のようにあるのだ。
「まだ、色々話したいことがあるんだけど…。ダメなの?」
「あぁ。そんな時間は無いよ。電気が点いたことで、心配性の俺の仲間が、たぶんこっちに向っている。もし鉢合わせでもしたら、アンタはまた犠牲を出してしまうかもしれないだろう?」
その話を聞いて、やっとクレイの思惑が少しだけ理解できたような気がした。アリシアがこれ以上犠牲を出したくないと言う事を、彼はちゃんと理解してくれている。そして、それに対しての回避方法を自分に与えてくれているのだ。つまりは、もう一つの借りを返すというのはそういう事なのだと彼女は思った。
「アンタは強い。それはこの前の戦いで充分わかった。だから俺も、易々と仲間を犠牲にされたくは無いんだ。」
「クレイ、その事なんだけど、私は貴方達と戦ったことなんて無いよ。」
「え?何を言っているんだ、アンタはギーハさんの腕を切り落としただろう?」
「それは私じゃない。貴方達は知らないようだけど、実は私と同じ姿をした人がもう一人いるのよ。」
「なんだって!?アリシアが2人…」
アリシアの言葉を聞き、クレイは素直に驚いた。そして暫く黙り悩んだ後、「なるほど、そういう事かぁ。」と一人呟き納得した様子だった。
「通りで、あの時とは様子が違うはずだ…。やっと納得できたよ。ん?でも待てよ…。」
「何か気になることでもある?」
「いや、うん、まぁなんでもない。貴重な情報ありがとう。」
「ありがとうって、私に言うのも変じゃない?」
「あ…そう言われれば、そうだな…。」
2人は笑った。先ほどまでの沈んだ雰囲気が嘘のように、今は部屋中に笑い声が響いている。
クレイもチュリアの死を乗り越えたのか、その表情は明るさを取り戻している。だが、現実は全く違っているようだ。彼の心中では、まだ、チュリアの死に対する悲しみと憂いが渦巻いている。心の軟弱な彼に、仲間の死を簡単に乗り越える事などできるはずは無い。彼はそれを忘れたいが為に、無理をして明るく振舞い、そして笑っているのだ。
「そろそろ時間切れだな…。俺は隊長たちを探しに行くよ。チュリアさんの事を伝える義務があるし。たぶん、その後この部屋の状況を視察しに来るはず、だからアンタも部屋を離れたほうがいい。モニタールームかどこかに隠れて、俺たちをやり過ごせばいいさ。」
「わかったわ。じゃぁそうさせてもらう。」
「ただ、勘違いはしないでくれよ。もうアンタに借りは無い。次に会った時は、俺は迷う事無くアンタを攻撃するだろう。例えその先に、死が待っていると解っていても。」
「そうだね。」
アリシアの顔は憂いに満ちていた。いずれは戦わなくてはならないと言う現実が、どうにか訪れないことをそっと祈るばかりだ。
「じゃぁ、そろそろ行かないと。あの人たちかなりの心配性だから、もうすぐそこまで来ているかもしれないし。」
そう言って彼は、開きっぱなしの扉のほうへ体を向ける。そして、片手を上げ「じゃぁな、魔剣アリシア」と言い残し、アリシアの言葉も待たずに駆け足で部屋を出て行ってしまう。
この時点でクレイは、ある重大な事実を知らなかった。それは、チュリアがルキアの娘だと言う事だ。彼は、大事な仲間を失った悲しみだけを胸に部屋を出た。大隊長の愛娘を救えなかった等とは、思ってもいないのだ。そしてその事実が、後に自分を苦しめる事件に発展するとは、知る由も無かった。
一人残されたアリシアは、少し寂しい気分になったが、今は別れに浸っている場合ではないとすぐに思い直す。そして彼女は、もう一度チュリアの亡骸に両手を合わせ祈った。その後、肉の塊に対し怒りを込めて睨みつけ、やがて扉のほうへ歩を進める。「もう絶対に、この部屋には戻ってこない。」と、そう心に固く誓い、勢い勇んで部屋を出た。
アリシアもまた、この時点である重大な事に気がついてはいなかった。それは、クレイに対する特別な思い。彼女にとって、まともに会話を交わした異性は、彼が初めてだったのだ。だから自分の中で芽生え始める感情に、違和感を感じ戸惑いはあるものの、それが一体何かまでは解るはずも無い。
そう、その芽生えた感情こそが彼女にとっての「初恋」だったのだろう。後に、この気持ちがアリシアを苦しめ、怒らせ、悲しませる結果になる。
部屋には血の池に浮かぶチュリアと肉の塊、そして白衣の男たちと黒兵士たち、様々な形で最期を迎えた亡骸達が横たわっている。まさに、画家が好んで描く地獄絵図のような無残な光景が広がっていた。
第三十九話へ続く…