「34.天使の嘘」
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不意に、重く鈍い音が響いた。
ボッゴォン!!グワァッシャン!!!
それはギーハが、抑えられなくなった怒りをクレイにぶつけた音。硬く握った拳で思い切り殴ったのだ。殴られた衝撃で、クレイの体がいとも容易く吹っ飛び、後ろの壁に体を少しめり込ませる。それ程に、ギーハは怒りを込め、力を込めて殴った。
「ちょっとおっさん!私の大事なクレイちゃんになんて事するのよぉ。バーカ!」
ミアはそう言って、ギーハの足を軽く蹴った。そしてそのまま、壁からズルズルと床へと落ちるクレイの元に駆け寄る。見ると、クレイの頭の防具は見事に砕け、顔の半分が露になっていた。そこから覗くクレイの青い瞳は、しっかりとギーハを睨んでいる様に見える。
その眼を見て、ミアはクレイに対し言葉をかけられなくなった。いつも自分に微笑みかけてくれる眼とは、明らかに違う。例えるなら、それは獣の眼。大きな威圧感を感じ、ミアは後ろへと数歩下がる。今は自分が出る幕ではないと、そう理解したのだ。
クレイはおもむろに立ち上がり、もはや意味を成してはいない防具を取って床に捨てる。同時に彼の顔の全貌が現れ、それは少し幼い顔立ちだった。そして彼の瞳はやはりギーハをしっかりと捉えている。カシャンカシャーンという音と共に、防具は二度ほどバウンドを繰り返し、その後小さく揺れ始めた頃、ようやくクレイが口を開いた。
「俺だって、黙って見ていた訳じゃないんだ。あの闇の中で…しかも、あんな得体の知れない肉の化け物の戦って…。」
「なっ!!肉の化け物って!お前らも奈落と戦ったのか!?」
「奈落…?かどうかは解りませんが、アイツは確かに魔剣の力を使ってました。そして、ようやく倒したと安心していたら……アイツの触手が…チュリアさんの心臓を…。」
そこまで言ってクレイは視線を落とす。チュリアが死んだあの瞬間の光景が、頭の中にハッキリと思い出されているのだろう。しっかりと閉じられた瞳からは、また涙が零れ始めている。
「そうか、なるほどな……。スマン。」
ギーハは全てを納得したという様な面持ちで、殴ってしまった事に対し素直に謝罪する。それは同時に、「非があるのはクレイではない、自分にこそ非があるのだ」と、認めた瞬間だった。そしてギーハも床に視線を落とす。
そこでようやくミアが会話に入り込んできた。2人共、もう話す様子はないと思い、そして二人の話を聞いて、自分も伝えなければならない事があると思ったのだ。
「あのねあのね〜。ルー隊長の部隊も、その肉の、奈落の住人さんと戦ったよぉ〜。ミアもめちゃがんばったぁ♪」
ミアはルキア大隊長を「ルー隊長」と呼ぶ。ちなみに、ガーランド隊長は「ガー隊長」。ルキアやガーランドと言うのが、ミアにとって面倒と言うのがその理由らしい。だが、愛しのクレイや、いつも傍にいるザイル、お姉さんのようなチュリアは普通に呼ぶ。たぶん彼女の中には、その見えない境界線が存在しているようだ。
クレイは彼女の話を聞いた途端すぐに顔を上げ、驚いた表情でミアに聞き返した。
「え?…ルキアさんの部隊も…?」
「うん♪だけど〜、ルー隊長ってば超張り切っちゃって、あっという間に倒しちゃったんだけど…。そんでその後、ガー隊長達が心配だから様子を見て来いって…。」
「それで、来やがったのか…。」
これはギーハの言葉だ。ミアが嫌いなギーハにとって、ルキアの命令は実刑を下されたのと同じことだった。いや、もしかするとその方がまだましだと思えるほど、彼はミアをひたすら嫌っている。
「命の恩人に向って、来やがったとは何よ!!!今度死にそうになっても、もうミアは知らないんだから!!」
そう言ってまた、ミアはギーハの足を蹴り、そのままザイルの後ろへと逃げた。そういった行動が、ミアの幼さを現している。それがまたギーハにはムカついて仕方なく映るのだが…。
「そういえばギーハさん、隊長の姿は見えませんが……二手に分かれたんですか?」
「・・・。」
不意にそう聞かれ、ギーハは俯いた。クレイは正直にチュリアの事を報告したのに、自分は言うタイミングを逃してしまった。しかも、クレイを殴り、怒鳴ってしまった後だ。更に事実を伝えることが困難だと思ったのだ。悩むギーハを見て、代わりにミアが言った。
「ガー隊長なら、さっきすれ違ったよ♪うんうん、超元気そうだった。下にクレイたちがいるからヨロシクって♪」
「そうなんだ…、そうか……じゃぁよかったぁ〜。」
クレイは、思い切り安心した表情を作る。不意に、両目に涙が溜まったのが自分でも解った。今日は、一体何回悲しい涙を流すのだろうと、クレイはそう思う。そう、ミアの話を聞いて、彼は切なくてしょうがなくなったのだ。
クレイもただの馬鹿ではない。何も言わないギーハの普段とは違う態度、そしてミアが嘘をついた時に見せる癖。彼女は嘘をつく時、必ず自分で納得するように「うんうん」と頷く癖があるのだ。その二つの要素が、隊長はもうこの世にはいない事を如実に物語っていた。ちょっと変な子だが、普段嘘をつく事はあまり無い。だけど、自分を悲しませないようにと、ミアは無理して嘘をついている。そう思ったから、クレイは悲しい顔などミアに見せたくは無かった。だから、安心した顔を「作った」のである。
ミアはギーハの方を見て、一瞬だけ怒った顔を見せた。その顔を見て、ギーハも彼女の言葉が嘘なのだとすぐに気がつく。あれ程の状況で隊長が生きているはずは無い。ミア達はここに来る際に、確実にガーランドの亡骸を目撃しているはずなのだ。事実を言い出せずにいた自分に対して、ミアは怒っているのだと理解した。
「それにしてもあのお肉ちゃんはぁ、一体何匹いるのかなぁ?めちゃラブリーフェイスだったけどぉ♪」
「・・・・・・・・・。」
隊長とチュリアの死への悲しみに暮れる2人に対し、ミアは明るく元気に発言した。しかし返事が返ってくるはずは無い。だが、ミアは自分が場違いだ等とは全く思っておらず、更に言葉を続けた。
「でもでも、お肉は乙女の天敵よねぇ!だからミア、アイツ嫌ぁ〜い。ねぇ、ザイルも嫌いだよね〜?」
「ア…アァ…。」
今度はザイルまでも巻き込もうとしたのだが、その作戦は失敗に終わる。もちろんザイルも、ガーランドの亡骸を見ていた。無口な彼でも、悲しくない訳がない。
クレイもギーハも、ミアが必死に場の雰囲気を盛り上げようとしている事は解っていた。だがそれ以上に、2人の仲間を失ったと言う事実が二人に重くのしかかる。それにクレイに至っては、もう一つ重要な事を言ってないのだ。初めからギーハに伝える気は無かったが、隠し事をしているという後ろめたさも、彼を無言にさせる理由の一つである事は間違いない。
クレイが仲間に隠す事、それはもちろんアリシアの事だった。先ほどまで確かに一緒にいたはずなのに、その事については一言も彼の口から出てはない。それは一体何故なのか。話は数十分前、奈落の住人と戦ったあの部屋に戻る。
第三十五話へ続く…