「32.危機感0(ゼロ)」
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それが、今後の力になりますのでw
静まり返った廊下を、脇の壁に体を預け、一歩一歩重い足取りで進む一つの影がある。その人物は、腹部を怪我しているらしく、ボタボタと血を溢れさせていた。その様子から、その傷の深さが覗える。よく見ると顔にも怪我を負っているようだ。左目から顎にかけて、紅い筋が隆々と流れている。
たぶん意識は殆ど無い状態なのだろう。残された右眼はとても虚ろで、息を乱しながらゆっくりと進んでいた。彼が通過した壁には、血の跡がハッキリと残っている。
その姿は黒兵士の格好で、顔は鬼のそれ。影の主はギーハだった。消えそうになる意識を必死に堪え、クレイとチュリアが待つ部屋へと向っているのだ。
今は廊下の明かりは点いている。あの後、ガーランド隊長が生を失った後、深い闇が訪れ、それでもギーハは隊長との目的を果たそうとした。自分の重い体を引きずりながら、闇の中を手や足で状況を探り、ゆっくり先へと進んだ。階段では、思うように体が動いてくれずに、二度ほど大転倒した。そんなこんなで目的の階、つまりは今彼がいる階にたどり着いた頃、急に明かりが戻ったのだった。そして今に至る、といったところだ。
彼の心中には、二つの事だけがある。一つは、隊長の死への後悔。そしてもう一つは、天使の治癒の力で助かるという希望。その二つの感情が、今の彼の全てだった。
実のところ、ギーハは隊長を心の底から尊敬し慕っていた。だがその気持ちを、態度や言動で伝える事はできていなかっただろう。時にガーランドの命令を無視し敵に突っ込み、時に彼に対しタメ口でものを言った。その事が、彼は悔しくてたまらなかった。
隊長の絶命を悟ったときに出た、「ふざけんじゃねぇ!」の一言は、たぶんその悔しさが込められていたに違いない。「自分の思いを素直に伝える前に、勝手に死にやがってふざけんじゃねぇ!」そういう意味があの言葉には込められていたはずだ。
虚ろながらも前を見つめるその視界に、見慣れた格好をした人物がこちらに向ってくるのが見えた。だが、彼には声をかける程の余力は無い。だがそれは、前から来る相手も同じような状態のようだ。別にどこか怪我をしている風ではなかったが、力なくガクリと両肩を落とし、視線を床へ向けゆっくりこちらに近づいてくる。その足取りは非常に重く、失意の底を彷徨う徘徊人の様だ。
ギーハには、それが誰なのかすぐに解った。それと同時に、その人物が一人だという事実に深く失望し、そこで意識が無くなった。そのままドサリと重い音を立て床へ倒れこむ。その音にやっと彼の存在に気がついたのだろう、黒兵士はびっくりした様に顔をあげ、そして不意に口を開いた。
「ギーハさん!」
その声は紛れも無く、新米兵士、魔銃クレイのものだ。クレイは急いで倒れたギーハの元に駆け寄り、そして体を数回ゆすりながら何度も名前を呼ぶ。
「ギーハさん!しっかりしてくださいギーハさん……ギーハさぁあぁん!!」
だがその呼びかけにギーハがこたえる事は無い。クレイは彼の傷の状態から不安を覚え、すぐに喉もとの動脈に指を当て脈の有無を確認する。微弱ながらも、命の鼓動が当てた指から伝わってきた。しかし、安心はできない。腹部からも左目からも、未だ大量の血が溢れているのだ。このまま放っておけば、ギーハは確実に死んでしまうだろう。そう思ってみても、彼にはどうすることもできない。
「ギーハ…さん…。」
もう一度、名前を呼んでみる。もちろん名前を呼んだところで、この最悪の状況を脱することはできないと、彼自身理解している。それでも自分には、そうすることしかできない。悔しさが後から後から込み上げ、枯れ果てたと思っていた涙が、今は確かにその眼から流れ落ち始めた。
その時、女神はそっと微笑んだ。ギーハが来た先、階段がある方から不意に声が掛かる。
「あぁっ!いたいた〜〜〜〜。おぉ〜〜〜いクレイちゃぁ〜〜〜ん♪」
その声は沈んだ状況を、見事に打ち砕いた。なんとも間の抜けた、危機感の感じられない子供の声。だが、重い雰囲気を変えた理由はそれだけではないようだ。声の主に顔を向け、クレイは力の限りに叫ぶ。
「ミア!!早くこっちに来て!!!!お前ならギーハさんを治せるだろう!!!早く!!!」
そう、ミアと呼ばれた背の低いお子ちゃま兵士は、今は亡きチュリアと同じ「魔に堕ちた天使」なのである。その事実が、クレイの不安をも打ち砕いたのだった。
「わぁお!緊急事態発生、緊急事態発生!ミア天使、ただ今むっかいまぁ〜〜〜す!」
そう言って、ミアは彼女の後ろに立っているもう一人の黒兵士を見上げる。そして、危機感の無い話口調で更に続けた。
「よし、ザイル!ミアは走るのメンドイから、私を担いでひとっ走りヨロシクゥ♪」
「ラジャ…。」
ザイルは一言だけそう言って、ミアを軽々と持ち上げて肩車をした。
「ヒャッホォ〜〜〜イ♪高い高ぁ〜〜〜い♪ザイル号、ゴーゴー!!」
彼の身長はギーハをも凌駕する大男で、肩に乗せられたミアの頭は天井すれすれのところにあった。そして、大きな体からは想像もつかない程のハイスピードで、クレイたちの下へと爆走する。
あっという間にザイル号は目的地にたどり着き、ミアは肩から勢い良く飛び降りた。その先にはクレイの姿。
「クレイちゃ〜〜ん♪」
そう言って両手を大きく広げ、彼に抱きつく体勢を作る。クレイにはその小さな体を受け止める以外に選択肢がないので、そのまま、がっちり彼女を抱きしめる形で受け止めた。思ったより大きな衝撃のお陰で、クレイはそのまま後ろへと倒れこみ、ミアが彼に馬乗りになる体勢になる。
「クレイちゃんナイスキャァ〜ッチ!アハッ♪」
「ミ…ミア…重い…。」
クレイは苦しそうな声で言った。いくらミアが子供とはいえ、防具の重さは相当なもの。軽く40キロ程度の重量が、クレイに重くのしかかっているのだ。
「んまぁ!可憐な乙に対して重いだなんてぇ!ミアの愛の重さだと思って、受け止めなさい!!」
2人が会話を交わす中、後ろで控えていたザイルが口を挟む。
「ミア、ギーハタイヘン、ハヤクタスケテ。」
彼は片言の言葉使いでそう言った。それに対し、ミアは少しムッとした口調で返す。
「ザイル!もう少し空気読んでよね。今大好きなクレイちゃんとラブラブ中なのよ♪見て解らないの?」
「ミア…お前が空気読めよ…。」
そうクレイは言った、もちろん心の中でそっと。口に出して言えるはずは無い。今彼女に機嫌を損ねられると、更に話がややこしくなると思ったからだ。込み上げるフラストレーションを隠し、クレイも彼女に対しお願いをする。
「頼むよ…ミア…。後でゆっくりラブラブできるだろう…。今はまずギーハさんをお願い。ミアの天使の力……見たら、俺もっと好きになるかも…。」
彼は、腹部に圧し掛かる重さに耐え、息も絶え絶えといった感じだった。
「ホント!?じゃぁ今すぐギーハのおっさん治しちゃう♪」
そう言ってミアはクレイから降り、横たわるギーハの傍らに軽く座る。そして両目を閉じ、深い深い瞑想を始めた。
第三十三話へ続く…