「27.初めての感情」
評価のほうよろしくお願いします。
老神官は、自分はさっぱり何も解らないと言いたげな表情をした。「一体何の事ですかな?」と逆に質問を返され、アリシアは困り果ててしまう。「それが解らないから聞いているのに…。」と、心の中でそっと囁いた。
「12番目のという話は全く解りませぬ…。しかし、アイツというその人物について、もう少し詳しい説明があれば助かるのだが。」
そう言って、神官はやっとアリシアの方を見る。そこには、グッとこちらを睨み付ける二つの眼があった。詳しいことと言われても、彼女はその人物について何も知らないのだ。ただ解っているのは、黒い服を着ていたということだけ。
「その男は、黒い服を着ていた。それ以外の事は何も…。」
「ほほぅ…黒い服…。」
そしてまた、神官は少し悩む。アリシアは、自分の中で沸々と湧き上がるもどかしさを必死に堪え、神官の言葉を待った。黒服の顔は解っているのに、名前も素性もわからない。だから、神官に上手く伝えることができず、それがもどかしくてたまらないのだ。
「あなたもこの施設の人間なら、なんとなく解らないの?黒い服を着た偉そうな男よ…。」
その言葉を聞いているのかいないのか、神官はそっと目を閉じたまま沈黙を決め込み続ける。その姿は少し怒っている様にも見えた。だからアリシアはそれ以上声をかけない。もしかすると、自分の声が彼の思案を邪魔しているのかもしれないからである。いつかは口を開くだろうと諦め、その場でじっと彼の言葉を待ち続ける。
部屋に飾られた蝋燭が、ジジジっと音を立てるのがどこかから聞こえる。それほどに部屋の中は静かで、澄んでいた。
たぶんそれは数分だったのかもしれない、あるいは数秒か。ほんのわずかな時間の経過も、この部屋で緩やかに流れる時間の中では、それは数時間にも思えるほどだ。やっと神官が口を開く。
「黒い服の偉そうな男、その人物には心当たりが無いことも無い。ですが、その前にあなたは一つ勘違いをされているようだ。」
「え???」
アリシアは面食らったような顔になる。「勘違いとは、一体何の事なのだろう?」と、その疑問がすぐに頭を駆け巡った。
「あなたは私をこの施設の人間だとそう思っているようだが、実際のところ私はこの施設の者ではない。」
「????」
神官が話を進めるほど、アリシアの思考回路は混乱していった。実際この施設にいるのに、自分は施設の人間ではない。もはや、彼の言っている事がどこか違う国の言葉の様に思えてきた。
「私はこの施設に、監禁されているだけなのだよ。」
そう言って神官は、神へ祈りを捧げるかのような素振りをする。それは、監禁という野蛮な言葉を使ってしまった事への祈りなのだろう。アリシアは神官のその姿を、ただ呆然と見つめ尽くしている。唐突に監禁されていると告白され、これ以上彼に何と声をかけていいものか解らなかった。やがて祈りを終えた神官が、アリシアをそっと見つめた。その顔は先ほどまでとは変わらず、穏やかである。
「もう9年ほど前になりましょうか…。」
口を開くこともできない彼女の変わりに、神官は更に話を続けた。おもむろに天井を見上げ、遥か昔の出来事を思い出しているかの様に遠い目をする。
「私はとある大国の大神官を務めておりました。しかし運命のあの日、目の前に白衣を着た者たちが現れ、この部屋へと連れて来られたのです。」
ゴクリと喉が鳴る音がした。神官の話に聞き入りすぎて、アリシアは思わず唾を飲み込んでしまったのだ。だが神官は、その音にも気がついていないようで、相変わらず遠い目をして話を続けようとした。
「なんでここから逃げないの?あ…ごめんなさい。」
先に声を出したのはアリシアだ。思ったことをすぐ言葉に出してしまい、彼が語る話の腰を折ってしまった事に対して軽く謝る。
「逃げる必要などないのだよ。私は神に仕える身、神への祈り場があれば、そこが私の存在する場所なのだから。」
そう言って自分自身を軽く嘲笑する。無理やり連れて来られたのなら逃げればいい。なのに、彼は逃げる必要はないというのだ。アリシアには彼の言うことが少しも理解できなかった。
「この施設の者は実に利口な方法で、私をここから出られないようにした。こんなに素晴らしい三神像を与えられれば、神官としてこれほど光栄な事は無いのだから。」
「私は神官じゃないから、あなたの言うことが全く解らないわ。」
素直にそう告げると、神官は「全くだ。」と笑い出す。その笑いのお陰で、今までの重々しい空気が一気に開放されたようだった。その姿を見ていたアリシアも、思った事を相手の顔色を覗うこともなく、そのまま口に出せるようになった様な感覚を覚える。早速、思いついた疑問を投げかけてみることにした。
「いくつか聞きたいんだけど。あの白衣の男たちは一体何者?そして、この施設は何の為のものなの?」
その疑問に神官はすぐに答えをくれた。でもそれはアリシアの求めていた答えとは若干違うものだった。
「実のところ私にも解らないのです。9年もここにいるのに?と思われるでしょうが、元々俗世の事についてはあまり興味が無いので。」
「そうなんだ…。」
「求める答えを与えられず、申し訳ない。」
残念そうな顔をするアリシアに対し、神官は頭を下げた。先ほどまでとは違い、今では自分が優位な状況にいると彼女は思った。だから、更に色々彼に聞くことに決めたようだ。
「じゃぁこの部屋は一体なんの為に?」
「それは先ほどの話を聞いておられれば解ると思われるが…。この施設の、あの白衣の者たちが「罪」を神のもとへ返す為に、ここへ祈りに来るのです。」
「なるほどね…。でもちょっと待って!っていう事は、黒服の男もここに来たことがあるかもしれないって事じゃないの?」
急に何かを思いついたといった感じで、アリシアは立ち上がり、神官へと詰め寄った。だが、神官はその姿を見て笑っている。
「だからさっき、黒服には心当たりがあると言ったのだよ。あなたは、人の話をちゃんと聞けない人のようですな。」
そう言って、また笑い出した。それにつられてアリシアも笑い出す。笑いながらアリシアは、今まで感じたことの無い感情を感じていた。それは、喜怒哀楽で言うところの「楽」の感情だ。この老神官と話していると、なぜか心のそこから癒されるような不思議な感覚を覚え。そして今は湧き上がる感情を抑えられずに笑いが漏れてくる。目覚めてから今まで緊張の連続で、こんな気持ちになったのは初めてのことだった
第二十八話へ続く…